やじさんの日記帳 2005年5月
唖然 2005,5,31
朝方は曇っていたが、いつの間にか雲が切れて晴れていた。

5時半に仕事が終わり、そのまま家に戻った。
天気もよく温かかったのでそTDRの試運転だ。
バッテリーは充電したので大丈夫だろう。

が、何回キックしても一向にエンジンがかからない。
仕方ないのでギヤを3速に入れて押しがけ。50ccなので押しがけは楽。
のはずなのだがどうしてもかからない。車庫の前を何度も行ったり来たり。

いい加減イヤになって右のグリップの根元を見ると・・・唖然。
キルスイッチが作動している。これじゃ一生キックしててもかからないや。
気を取り直し、スイッチを元に戻すと一発でかかった。

エンジンがかかったので近所を走ってみた。
バッテリーが弱っているのでライトをつけてウィンカーを作動させると、
リミッター解除装置が作動しなくなる。
まあ回転数が高くなければ特に問題にはならないけど。

あと問題になりそうなのはメーターケーブルが切れていることくらい。
それ以上に気になるのは明後日の天気だ。雨じゃバイクに乗れないし。
乗れないこともないんだけど、乗りたくないな。
あとはお天気しだいだな。

雨の一日 2005,5,30
今日は朝から雨模様。しかしそれほど強い雨でもない。
雨のせいか気温が低く、長袖のシャツ1枚だけじゃ少し寒かった。

5時半に仕事が終わり、傘をさそうとしたが雨は上がっていた。
駐車場に向かって歩いていると、僅かに霧雨を感じる程度で傘をさすほどでもなかった。
車に乗り込み走り出すと、また雨が降ってきた。
やれやれ、でも昨日洗車したばかりなのに。

家に戻り、昨日修理しかけたTDRに充電したバッテリーを取り付けた。
いまいち充電不足かバッテリー寿命かはわからないが、ニュートラルランプが薄暗い。
エンジンを始動すると明るくはなったが、まだちょっと不安が残る。
でもまあエンジンは吹け上がるようになったからいいだろう。

久しぶりの雨。空気がしっとりとして、なんとなく落ち着いた気分になった。
雨もたまにはいいもんだな。

米原の砂 2005,5,29
今日も何となく雲の多い朝でした。

10時ころ、御殿場のホームセンターに行き靴を買ってきた。
それから近所のダイソーに行き、青色のガムテープを買って家に戻った。
そしてそのガムテープでテント修理することにした。
石垣では蟻やイモムシにテントを食い破られて穴がたくさん開いてしまったのだ。

倉庫からテントを引っ張り出し、車庫の前で広げてみた。
そしてポールを差し込んで立ち上げた。おおっ、懐かしいな。
中に入ってみると、あっ、米原の砂だ。よくみると潰れたサナギもあった。うぇっ。

中から透けた所を見つけて表と裏と両方にガムテープを貼っていく。
穴は全部で6・7箇所くらいあった。

とりあえず全部塞いだようなのでたたもうか、と思ったら強風が吹いてきた。
とたんに竹の葉っぱまみれになってしまった。もおーっ、めんどくさいな。
もう乾いたからいいや、少しくらい葉っぱ入ってても。

それから弁当を買いに行って車庫で食べ、
その後近くの公園の駐車場の日陰に車を止めて休んでいた。

1時間ほど休んでから講習会場の商工会議所の下見に行った。
場所は街中なので路上駐車は不可能。有料駐車場はあるが1時間200円。
1日止めるとけっこうな金額になるな。それじゃバイクで来ようか。

家に戻り、車庫から原付のTDRを引っ張り出した。
が、なかなかエンジンがかからない。やっとかかったと思ったら全然回転が上がらない。
どうやらバッテリーが完全に上がっているのが原因のようだ。

普通ならバッテリー無しでも走るはずだが、コレにはリミッターカットが付いてるからな。
試しにそれを外してみたら普通に走る、が、リミッターが利いてまともに走れない。
仕方ない、もう一度取り付けるか。

燃料タンクを外して取り付けていると、バランスが崩れてタンクが落ちてしまった。
ひえーっ、タンクが傷だらけになっちゃったよ。あーあっ、せっかくきれいにしてたのに。
仕方ないなあ、とりあえずペンキを塗っておこう。
今日はここまで、あとはバッテリーを充電してからだ。

世界遺産 2005,5,28
今日は雲の多い一日でした。でも薄日も差してちょうどいい感じ。

朝、駐車場に向かっていると、妙に道路が空いている。
そうか、今日は土曜日だったんだ。

仕事は急ぎのものはそれほど無く、3時で終わってしまった。
帰り道、眠くなったので近くの公園の駐車場に車を止めて休んでいた。
風も気持ちよく、気がつくと1時間以上寝ていたようだ。

それから家に戻ってまったり。テレビや新聞を読んですごしていた。
ふと気づくと随分日が延びている。そういえばもう1ヶ月もすると夏至なんだな。
早いなあ、ついこの前年が明けたと思ったら、もう5ヶ月が過ぎたんだ。

それじゃ、8月ももうすぐだ。今年の北海道は涼しいのかな。


ちょっと世界遺産が気になって調べてみた。
僕が訪れたことのあるのは世界で23箇所だった。

インド  タージマハール
     アグラ城
     フマユーン廟
     クトゥブミナール

中国   九寨溝の自然景観
     黄龍の自然景観
     麗江古城
 
エジプト メンフィスとそのネクロポリス/ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯
     アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群
     イスラム文化都市カイロ
     古代都市テーベとその墓地遺跡

アメリカ ハワイ火山国立公園

日本   白神山地
     日光の社寺
     白川郷・五箇山の合掌造り集落
     古都京都の文化財
     古都奈良の文化財
     法隆寺地域の仏教建造物
     紀伊山地の霊場と参詣道
     広島の平和記念碑(原爆ドーム)
     厳島神社
     屋久島
     琉球王国のグスク及び関連遺跡群

ゆっくりの一日 2005,5,27
今日はバイトは休みにして、平日しかできない手続きをすることにした。

午前中、まずは沼津の労働基準協会へ。
そこでフォークリフトの講習の申し込みをした。
まあ一応運転はできるのだが、この機会にちゃんと資格を取っておくことにした。
就職する時にも有利になるかもしれないし。

労働基準協会に到着すると講習日時が張り出されていて、次回は7月のようだった。
でも聞いてみると、キャンセルが出たのか、6月に受講できるという。
できるならその方がいい。受講証を受け取るのはおそらく翌月になるだろうから、
7月に受講すると、8月にずれ込んでしまいそうだ。

とりあえず申し込み用紙をもらい、近くの公園の駐車場で記入。
そして書き終わると再び労働基準協会に行って手続きを完了。

その後ホームセンターで作業着を買い、銀行を回り記帳したり通帳を新しくしたりした。
そして弁当を買って家に戻って食べた。

それから天気もいいのでバイクを車庫から引っ張り出し、1年ぶりのオイル交換。
といっても距離は3000キロも走っていない。
オイル交換を終えると錆びたり錆びそうなところに防錆スプレーを塗った。
そしてワックスがけ。これで冬眠?準備完了。車庫に戻してカバーをかけた。

その後は近くの公園の駐車場に行き、車を日陰に止めて少し休んでいた。
エンジンを止めて窓を開けると気持ちい風が通り抜ける。
暑くも寒くもなく、一番いい季節だな。一年中ずっとこうならいいのにな。


いい季節 2005,5,26
今日も一日いい天気でした。
朝は涼しくて気持ちよく、昼間はちょっと汗ばむほど。
天気も安定していて、1年のうちでいちばんいい季節かもしれないな。

仕事は今日も定時の5時半まで。
ちょうど教科書の時期なので重たい仕事が多い。
でもお金をもらったうえに筋トレにもなるしな。健康的かもしれない。

明日は手続きに行くのでバイトは休み。ちょっとゆっくりしよう。

任期延長 2005,5,25
今日も朝からいい天気。朝日が眩しく感じられた。

バイトは昨日だけかと思ったら今日も入ってしまった。
まあ行けば多少なりともお金になるからいいんだけど。でも昨日は疲れたよ。
久しぶりに仕事したからな。今日は筋肉痛の様相だ。

仕事は定時の5時半で終了。
帰り際「それじゃ、当分来るかい?」と聞かれた。
まあ断る理由もないから承諾した。とうわけで当分同じ職場でバイトすることになった。

仕事を終えて駐車場まで歩いてきた。
朝は晴れていたのに、空はすっかり雲に覆われていた。
梅雨なんて無ければいいのにな。

季節が進んだ 2005,5,24
目が覚めると外が明るい。もう6時ころになるのかな、
っと思って時計を見るとまだ午前5時前。ずいぶん明るくなったな。もう一度寝よう。

6時半過ぎに家を出てバイト先に向かった。駐車場に着くと、日が高くなっていて暑い。
3月ころはまだ日が出たばかりで寒かったのに。2ヶ月でだいぶ季節が進んだんだな。

仕事は忙しくて終わったのが9時。
どうせバイト今日だけだからいいや、と思ったら帰りがけに明日も来てくれと言われた。
久しぶりに働いたからちょっと疲れたな。でもまあいいか。

NMさんに遭遇 2005,5,23
今日は朝からいい天気。

午前中、沼津のホームセンターでキャンドルを物色していると「やじさーん」と声が聞こえた。
振り返るとNMさんだ。ああ、びっくりした、米原以来だよ。でもまあお互い地元だからな。
NMさんもやっぱりアウトドア用品売り場に来たんだな。
来月北海道に行く時に使うブルーシートを買いに着たらしい。

僕はブロンズ色のキャンドルとバイク用のオイルと筆記用具を買った。
それからしばらく海岸の公園で休んでいると、電話がかかってきた。
明日はバイトが入った。7月くらいまであればいいけど。

その後、裾野のホームセンターに行くと、ボスレインボーが30本1880円だったので買ってきた。

家に戻り、バイクのオイル交換をしようと思ったが面倒になり、
代わりに車のオイル交換をした。

それから部屋に戻り、久しぶりに水戸黄門を見た。

さてバイトはいつまであるかな。明日聞いてみよう。

今日は夢をみているようなハッピーな一日になりました。

51日ぶりの運転 2005,5,22
6時ころ目が覚めた。ううっ、寒い。毛布と布団を掛け直した。
朝はこんなに寒かったのか。外は曇り空。今にも雨が降りそうだ。

午前中、ちょっと御殿場のホームセンターに行ってみた。
51日ぶり運転した車。最初感覚がおかしかったが、すぐに取り戻した。

1ヵ月半で売り場は様変わりし、アウトドア用品がたくさん並んでいた。
その中でキャンドルが248円だったので1個買ってきた。
今まで使ってたのより安定性が格段に良さそうだ。

お昼過ぎから雨が降り始めた。冷たい雨。

昨日は250キロバイクで走り、それまで丸2日船に揺られていたからな。
ようやく今日になって調子が戻って生きた。でも何となくまだ本調子じゃない。
こっちの気温に慣れるまで風邪をひかにようにしなきゃな。

帰還 2005,5,21
目が覚めたのが午前5時前。旅に出てから50日目の朝だ。
まだ大きなローリングが続いている。
部屋から出てレセプションホールに行くと、外は明るくなっていた。
そうか、もうずっと東に来たんだな。

後部デッキに出てみると風が冷たい。とてもTシャツなんかじゃいられないよ。
下を見下ろすと、鉛色の海。ああ、あのコバルトブルーの海はどこへいったんだ?
この海を見ると、帰ってきたことを実感するなあ。
でも天気がよくてよかった。これなら雨の心配はなさそうだ。

それから部屋に戻り、また寝ようかと思ったが寝つけず、
携帯にセットしたアラームは鳴る前に止めることになった。
そして6時前には行動開始。ローリングは収まった。どうやら湾内に入ったようだ。
久しぶりに着たジーンズとトレーナー、なんだか堅苦しく感じられた

展望通路に出て缶コーヒーを飲みながら沖縄で買ったパンを食べた。
外を見るとたくさんの貨物船が、まるでレースのように先を競って名古屋港を目指していた。
それにしてもすごい数の船だ。よく衝突しないかと思うよ。
あれがみんな港に入ったら身動きとれなくなっちゃうな。

7時を過ぎ、そろそろかな、と思ってレセプションホールの案内を見ると、
いつのまにか到着時刻が訂正されていて、7時45分になっていた。
最初は7時だったのに。まああまり早く着いても寒いからな。ちょうどいいか。

7時15分、名古屋港の信号表示は"F"飛龍は船速を落とし進行を続けた。
窓の外には巨大なコンテナ船に、小さなタグボートがくっついていた。
そしてカラフルなコンテナヤードが見えてきた。ああ、ついに帰ってきたか。

7時40分ころ、車両甲板に下りた。そして固縛を解き、ランプウェイが開くのを待った。
そして7時50分過ぎ、50日ぶりに内地に降り立った。

一度ターミナルで記念写真を撮った後、一路静岡を目指して走り始めた。
やっぱり内地はまだ寒いな。トレーナーの上にジャケットを着込んだ。

まずはR23に出て、豊明からR1に乗った。
懐かしい風景だ。このルートは一昨年、NMさんと一緒に帰った道だ。
あのころに比べれば、R1バイパスは無料になり、道の駅もできて便利になった。

急ぐ道のりでもないのでゆっくりと走る。
途中、公園やスタンド、それに新しくできた道の駅などで休憩。
2時ころには懐かしい家に戻った。今日は天気が良くて本当によかった。
そして荷物を下ろし、バイクを車庫に入れた「50日間ご苦労さまでした」

それから部屋に戻り、荷物の整理を始めようとしたが眠くなったので少し休んだ。

夜、西表温泉以来、1ヶ月ぶりに湯船に漬かった。すっかり長風呂になってしまった。
久しぶりに寝る自分の布団と枕。この感触が懐かしかった。

あと少し 2005,5,20
19日の続き

那覇では一時上陸できることが放送などで知らされなかったので、
結局那覇で一時上陸したのは僕だけだった。

船に戻ると展望通路に座り、那覇の夜景を見ながらチューハイを飲んでいた。
那覇でほとんどの人が降りてしまったためか、展望通路は僕一人。

窓の向こうには泊大橋が見える。ああ、あの辺りが波の上ビーチかな。
4月4日、沖縄に上陸してビーチの防波堤のベンチに寝ていたっけな。
あのころは朝方はまだ寒かったな。

懐かしい。そして空港からタンデムで、北谷のアメリカンビレッジや、
高速に乗って首里城も見に行ったな。
そしてマックスバリューで買い物をして船に乗った。この船はあの時と同じ船だ。
もう、ずっと昔のよう思えてならない。

11時、外の景色が流れ始めた。どうやら出港したようだ。
しばらくして僕は船室に入り、シャワーを浴びた。

シャワーから出て着替えていると、今まで着ていたTシャツの背中に何か付着しているのに気づいた。
んんっ、何だこりゃっ、何か付いてるぞ。えっ、もしかして・・・、ひえーっ、こりゃ繭じゃないか。
一瞬背中に冷気が走るような感覚に襲われた。

そういえば昨日着替える時、プリント部分がくっついているのを剥がすような感触があったな。
そしてあの時、ぽろっと何か落ちたような気がしたのは、あれはサナギだったのか。
そういえばこのTシャツ、しばらく着ていなかったし、ダークグリーン色をしている。植物とでも思ったのか。

知らぬが仏とはいえ、一日あのシャツを着ていたのか。
サナギが落ちたからよかったものの、もしそのままで横になったら・・・ああ考えたくない。
まさかTシャツにまで繭を作るとは。恐るべき米原の生物だ。

しばらくして再び甲板に出ると、那覇の明かりがだいぶ遠くになっていた。
1996年、初めて沖縄に上陸してから、16回目の沖縄に「さようなら」。


5月20日

6時半ころ目が覚めた。どうやら米原の時の体内時計がまだ働いているようだ。
レセプションホールに出ると、外ははまぶしいくらい明るかった。
窓から外を覗くと、雲は多いながらも青空が見える。
海は、色が少し変わったような気がするな。

外に出てみると風が違う。さらっとしていて、あのじめっとした蒸し暑さがない。
7時、そろそろ奄美大島あたりだろうか。でも見渡す限り海ばかりだ。

時々ひとりでいると、ふと頭に浮かんで口ずさんでしまう歌がある。


なんにもない なんにもない まったくなんにもない
生まれた 生まれた 何がうまれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた
星には夜があり そして 朝が訪れた
なんにもない大地に ただ風が吹いてた


たしかこんな歌詞だっただろうか。
はじめ人間ギャートルズのエンディングテーマだった。
僕が小さいころ、大好きだったテレビ番組のひとつだ。

そんな荒野の中にひとり自分が立っている。
船の中、ゆっくりと流れていく贅沢な時間。
そんなことを考えられるのも、船ならではだろう。

頭の中に米原の景色が浮かんで離れない。
あっ、そういえばあのブランコ。去年ガエルという外国人が作ったということを聞いた。
ガエルというと、もしかすると一昨年出会ったフランス人なのかな。
また日本に来ていたのか、もしそうなら、会いたかったなあ。

携帯は時々通信可能となるが、すぐにまた圏外表示になってしまう。

お昼過ぎ、後部デッキのジャグジーのふたの上に横になった。
おそらく九州沖を航行しているのだろう。双眼鏡を使うとかすかに陸が見えた。
しかししばらくすると見えるのは海ばかり。あとは遠くに見える船のシルエット。

日差しは強く、顔が焼ける感覚を覚えた。風も温かく心地いい。
そう、心地いいのだ。あの蒸し暑さは、もうここにはなかった。
船員たちは外の甲板のサビを取り、そしてペンキを塗っていた。
天を仰いでいると、流れるのを忘れて意識が薄れていった。
1時間ほど眠っていただろうか。

それから船室と展望通路、そして甲板を行ったり来たり。

2時前にカップ麺を食べ、その後ベッドで横になっていると怖い夢を見た。
キャンプをしていた夜、うなり声を上げて誰かがこっちに向かってくる。
僕は必死に声を出そうとするが、どうしても声が出ない。
そしてやっと叫び声を上げると目が覚めた。これはいったいなんだったんだろう。

それから展望通路で小説の続きを読んだりした。
長い周期のローリングが続いていた。

4時半過ぎ、ちょっとお腹がすいたのでサーターアンダギーを取り出した。
マックスバリューで最後に買った"いまむら食品"の黒糖入り。
僕はこの歯ごたえのある固いサーターアンダギーが好きだ。

展望通路で食べていると、米原で食べたあの食感がよみがえってきた。
ああっ、懐かしい。あの時、テントで食べたあの味だ。
そうだ、さよこのサーターアンダギーも買ってくればよかったかな。
でもまあまた今度行った時に買おう。あれはやっぱり揚げたてがいいな。

5時過ぎ、外の空気を確かめようと後部のデッキに出た。
風は幾分涼しくは感じたが、まだ十分暖かさも残っていた。

ふと水平線を見ると、明らかに貨物船とは違う船影。
急いで双眼鏡を持ってきて見ると"A LINE"の文字が見えた。
ということは大島運輸だな。多分ありあけの東京行ききだろう。

7時前、オレンジ色の太陽が西に傾いたので後部のデッキに出てみた。
そして太陽は水平線上の雲の中にその姿を隠していった。
が、しばらくすると雲の中から再びその姿を現わし、
縞模様の太陽が水平線に沈んでいった。
これが、今回の50日間の旅の最後のサンセットだった。

そういえば米原での日没は7時10分過ぎころだったか。
もうそれだけ北上してきたんだな。気温も下がり、風もだいぶ冷たくなった。
右舷側の水平線を見ると、まだ大島運輸が並走していた。

あれから携帯はずっと圏外。下り便よりかなり沖合を航行しているようだ。
僕は展望通路の椅子に座り、ノルウェイの森を一気に200ページ以上読み続けた。
そして午後8時40分、全てを読み終わった。

その物語は、学生時代に読んだ時と-ほとんど覚えていなかったが-
全く違った感動を与えてくれた。
そして何か忘れていた、大切なものを自分自身の中に見つけたような気がした。

9時過ぎ、一向に携帯が繋がらないので船舶公衆電話を使って電話をかけた。
これは人工衛星を経由しているので通話が届くまでに若干のタイムラグがある。
そういえば小笠原でも携帯が使えたが、同じように会話がズレたりしたな。

これで旅に出てから49回目の夜だ。
米原を出るとき、あと一週間いたいなって思ったけど、
一週間経てば、また同じことを思うんだろうな。
もうちょっと居たい、そう感じるときが帰り時かもしれないな。

シャワーを浴びて、再び展望通路に出てみると、そこにはほとんど人はいなかった。
それじゃ僕も休もうか。明日の朝にはもう名古屋だ。

さようなら・ありがとう石垣 2005,5,19
目が覚めたのが午前4時。外はまだ真っ暗。ついに石垣を離れる時が来た。
正直ちょっと寂しいが、でも充実感がいっぱい。
部屋から出て外を見ると、雨は降っていなかった。
港はすぐ近くとはいえ雨は降らないに越したことはない。
予報では明け方まで雨だったが、本当にラッキーだよ。

まだ夜明け前、バイクに荷物を積みこんでいく。
この時間なのになぜか散歩をしている人の姿が目立った。
そして5時半、荷物を積み終え夜の街に走りだした。

最後の石垣、サザンゲートブリッジに上ると飛龍が石垣港に入港中だった。
バイクをUターンさせ、離島桟橋を通過して港に向かう。
テント下のベンチには寝ている人がいたが、ここで夜明かしなのだろうか。
桟橋には見たことのある人が歩いていた。昨日米原に来ていた人たちだ。
目が会うと向こうも軽く頭を下げた。

空が明るさを取り戻してきた。
雲が多いものの、わずかに青空も見える。

6時前、石垣港に到着。まもなく接岸し、ランプウェイが開いた。
降りてきたライダーは一人だけ。これからどこに行くのだろうか。

30分くらいしてようやく乗船開始。バイクは僕を含めて2台だけ。
船室に入ると昨日まで米原にいた人がいて挨拶を交わす。

とりあえず部屋に荷物を置き、甲板に出て荷役作業を見ていた。
そして7時15分、定刻より30分ほど遅れて飛龍は石垣港を離れた。
だんだん小さくなっていく石垣の街。観音崎を回りこむと街は見えなくなった。

御神崎、そして川平の半島を回りこむと米原が見えてくる。
しかし海上は靄がたちこめ、わずかに海岸線が見えるだけ。
於茂登岳も見えないが、多分あそこが米原だろう。

双眼鏡を使ってもブランコや浜を歩くTJMさんの姿は見えなかった。
あーっ、懐かしい米原。昨日まであそこに居たんだよな。いつか必ず戻ってくるよ。

それからずっと甲板で最後の石垣を見守っていた。
時折船に驚いて、海面すれすれを滑空するトビウオの姿も見えた。

そして9時前、石垣島最北端、平久保の灯台も肉眼では見えなくなった。
さようなら、石垣。たくさんの思い出と感動をありがとう。
まもなく、双眼鏡を使っても灯台が見えなくなったので僕は船室に戻った。

その後はベッドで休んでいたが、11時半前、船が大きく傾いたので甲板に出てみた。
おっ、宮古島だ。そういえば去年、琉球海運の船で石垣に向かうとき一時上陸したな。
あれからもう1年以上たったのか。とても信じられないよ。

青空は見えず、風が吹いていてちょっと寒く感じた。時折霧雨も降ってきた。
結局宮古ではほとんど遅れは取り戻せず、1時10分、岸を離れた。

それから船室と展望通路を行ったり来たり。
お腹がすくと、カフェに行ってカップラーメンを食べていた。

7時半過ぎ、カフェでカップ麺を食べていると、米原に居たキャンパーが2人来た。
一人は那覇在住、もう一人は今日那覇に泊まり、明日の飛行機で札幌に帰ると言う。
しばらく丸いテーブルに座って話しをしていた。

携帯が電波を拾ったので甲板に出てみると、右舷前方に那覇?の街明かりが見えてきた。
風が違うな。やっぱり石垣とは2・3度違う。ちょっと肌寒く感じられた。

9時半、ようやく那覇港に接岸し、一時上陸のため船から降りた。
そしてシャトルバスでターミナルに行き、そこから歩いて近くのコンビニへ。
お結びやパン、そしてカップ麺、それにチューハイを買って船に戻った。

那覇を出るとしばらく沖縄ともさよならだ。またいつか必ず戻ってくるよ。

最後の夜 2005,5,18
目が覚めたのが6時過ぎ。静かな朝だ。んんっ、風は止んだのか。
テントから出ると青空が見える。風も無い。最後の最後に本当にラッキーだ。

すぐにテントから出て日課となった貝拾い。
浜の隅の方に行くとジャングルから煙が上がっている。
おおっ、TJMさんが朝食を作っているな。

僕もテントに戻り最後の朝食。
といってもいつもと同じコーヒーとチーズトースト。

食べ終ると撤収開始だ。まずは荷物を全て外に出す。
天気がよくて本当によかった。屋根無しの炊事棟に荷物が並んでいく。
それにしてもすごい荷物の量だ。MNさんも「あれ全部積んでくの?」
と言っていたが、とてもじゃない。あんなに積んだらウィリーしちゃうよ。
積みきれないガスを1本NMさんに上げた。

しばらくすると、すぐ後にテントを張った人も起きてきて、彼も今日撤収すると言う。
話しをしていると、彼も明日の船で帰り、荷物が多いので郵便で送り返すらしい。
郵便局に無理を言って10時半に集荷を頼んであるというので僕も便乗させてもらうことにした。

8時半、汗ダクになってテントの中の荷物を全て出し終わった。
何も無いテントの中。設営し終わったばかりの時と同じだ。

そしてタープを外し、フライシートを剥がすと、ありゃりゃーっ、何だよこれ。
あちこちに繭やらサナギがくっついていて、所々穴が開いている。
あーあっ、やっぱりなあ。夜中にギシギシ変な音がしてたもんな。
まあ仕方ない。穴はテープで塞げばいいや。

メインテントの撤収が終わると、そこはすっかり更地になった。
4月5日、僕たちがここに来た日と同じ状態になった。
あーっ、1ヵ月半ここで暮らしたんだもんな。やっぱりちょっと寂しいな。
でも今回はすごく充実していたからな。今までのように、涙がでるような寂しさは感じなかった。

10時ころ、あれれっ、郵便局の車が来たぞ。たしか10時半って言ってたのに。
僕はまだ1つしか荷造りが終わってない。まあいいや、2往復すると思えば。
とりあえず大きい方の荷物を持って行ってもらった。やれやれ、助かった。

それからサブテントも撤収し、10時半過ぎ、荷物も全てまとまった。
残るは物干しのロープとハンモックだけだ。

持って帰れない洗い桶などは、まだしばらくいる滋賀のキャンパーにあげた。
ブルーシートやイグサマットは丸めて紐で縛ってゴミ置き場に置いた。

相変わらず日差しは強い。それじゃ、最後に泳ごうか。
今日は小潮でそれほど干満がないから今でも十分泳げる。
テントは撤収してしまったので、シャワーで着替えて海に入った。
今日も日差しがあって真っ白い海底には幾何学的な模様が映って綺麗だ。
もちろんサンゴや魚も美しかった。

30分ほど泳いで海から上がった。はあーっ、今度はいつこの海に潜れるかな。
シャワーを浴びて着替え、ハンモックに揺られていた。
しばらくすると比嘉さんがゴミの処理にやってきた。

僕が使っていた発泡スチロールの箱は、落書き部分を切り取ったので使い物にならない。
だれも持って行かなかったので比嘉さんがイグサマットと共に焼却場へ持っていった。
ブルーシートのうち1枚は別のキャンパーが使うといって持っていき、
もう1枚は比嘉さんがモッコを作ると言って軽トラックの荷台に放りこんだ。
発泡の箱とイグサマットは、比嘉さんが灯油をかけて荼毘に付してくれた。
ブルーシートは比嘉さんがしばらく使ってくれるな。なんだか嬉しくなった。

それから川平の郵便局に行き、残ったもう1つの荷物を出してきた。
コンロや食器は全部送ってしまったので、知花食堂でそばを食べた。
あっ、名古屋港周辺の地図も送ってしまった。あがやぁ。

キャンプ場に戻り、写真を撮ったりハンモックに揺られたり。
最後の時間はゆっくりと流れていった。

4時過ぎ、荷物を全部積みこんでキャンプ場を出発。
宿に荷物を置いてもう一度戻ってこよう。

川平回りで街に向かった。荷物が重くて何となく不安定だ。
こんなんで名古屋から250キロも走れるかなあ。

それでも4時半ころには旅の宿に到着。
部屋を見せてもらうが、個室で2000円なら上等だ。
とりあえず荷物を置いて宿を出た。

最初港へ行こうと思っていたのになぜか米原に向かっていてUターン。
明日は定刻に出港かと聞こうとしたら、今発券するという。
やれやれ、念のためと思って来てみてよかったよ。

それから開南経由で米原に直行。サイトには誰もいなかった。
とりあえず残っていたロープを外し、ゴミを片付け、記念にワイヤーロックを木にかけた。
そして最後にブランコに乗って最後の米原を味わっていた。

夕暮れまで居ようかと思ったが、沖合の雲が真っ暗だ。
時折雷のような音も聞こえる。こりゃヤバイかも。早めに街に戻ろう。
最後に「さようなら、また来るからね」と言ってサイトを後にした。

キャンプ場の中の道を走っていく。
3号付近にテントを張っていたNMさんに挨拶をして米原を後にした。
初め川平回りで行こうと思ったが、やっぱり最後は大浜だ。
Uターンして於茂登トンネルをぬけ、大浜回りで市街地に入った。

そしてマックスバリューの前を通り、ひさしぶりにあさひ食堂であさひ定食を食べた。
量が増えたのか、僕の胃袋が小さくなったのか、全部は食べきれなかった。
でもサラダの横にあったパイナップルは美味しかったなあ。

お腹いっぱいで店を出て、離島桟橋を通過。
730交差点に戻り、サザンゲートブリッジを越えて緑地公園へ。
いつのまにか公園は整備されていた。一緒にここにくればよかったな。
でも今度のためにとっておくことにしよう。

しばらく防波堤の上に座っていたが夕日は見えそうもないし、雲行きも怪しくなってきた。
最後にマックスバリューで船の中での食料を買いに向かった。
駐車場に着くと、見たことにあるバイク。このまえ米原に来た人だ。
店に入るとその人はレジに並んでいたので支払いを終えるのを待って挨拶をした。

彼はまだしばらく石垣にいるという。
僕は明日帰る事を告げ「またどこかで」と固く握手をして別れた。
本当に、またどこかで会えたら楽しいな。

今日は都合よく水曜で99円市だ。
僕は菓子パンをいくつかとサーターアンダギーを買って宿に戻った。
そしてシャワーを浴びて出てくると、外はけっこう強い雨が降っていた。
やれやれ、雨に遭わずによかったな。

どうやら1階は僕だけのようだ。
リビングを一人占めしてテレビを見ながら日記を作成していた。

9時半ころ、ちょっと外に出てみた。
店の明かりは消え、見えるのはモスバーガーくらいか。
コインランドリーの前には米原にいたライダーのバイクが止まっていた。
キャンパーなのにコインランドリー?という僕も昔はそうだったな。

もう少し歩いてみようとも思ったが、雨も少し落ちてきたので宿に戻ることにした。
そういえば米原にいたキャンパー2人が明日の同じ船に乗るといっていたな。
彼らは朝まで飲み明かす、なんて言ってたけど。

小雨の中、歩いて宿に戻った。これが石垣最後の夜だな。
でも楽しかったなあ。今までで最高の石垣だったよ。
また必ず米原に戻ってきたい。

明日は6時45分出港。寝坊しないようにしなきゃな。

米原最後の夜 2005,5,17
夜中に雨音がして、急いで洗濯物をタープの下に移動させた。

目が覚めると曇り空、でも少し青空も見える。
6時半にはテントを出て、貝を拾いながら浜を一往復。
その後コーヒーを沸かして朝食を食べた。

しばらく雨は降りそうもないのでシュラフを干していた。
そしてテントでラジオを聞いていると、ポツポツという音。
最初木から何か落ちてきているのかな、と思ったがやっぱり雨だ。
急いでテントから飛び出してシュラフを取りこんだ。

それから雨は降り続けた。一瞬止んでもまたすぐに降ってくる。
合羽なしではバイクでは走れないほどの雨。
蒸し暑い上に出かけられずにストレスがたまる。

仕方ないのでテントの中を整理。少しパッキングを始めた。
ほとんどの段ボールを処分したので、テントの中が何となく寂しくなってきた。

それにしてもおかしい。ラジオの天気予報では晴れを繰り返している。
それなのに何でこんなに雨が降っているんだ?

11時過ぎ、雨が小ぶりになったのを見計らって浜に出てみると、
平久保も川平も明るい。おまけに沖合も晴れている。
どうやら雨が降っているのは米原だけのようだ。

まあ沖縄最高峰の於茂登岳が背後にそびえているからな。
南風なので、風下側の米原上空に雲ができて雨が降っているのだ。
こうなったら強引に米原から脱出しよう。

準備をして合羽を着ずに強行出発。
案の定川平方面に2・3キロ走ったら雨は降っておらず、路面もドライ。
やっぱりな。雨は米原に集中して降っていたんだ。

そういえば夜になるとやたらと明るいあの照明はいったい何なんだろう。
前から気になっていたのでその正体を見るべく捜索開始。
めぼしを付けて走りまわっているとそれはあった。

気になっていたあの設備は浄水場だったのだ。
それで夜にあんなに明るい照明をつけていたのか。
やっと正体がつかめたよ。

それから久しぶりに川平のクラブメット方面に行ってみた。
街路樹はしばらく剪定されていないようで、枝が伸び放題で奇妙な形になっていた。
それから街に向かい、マルチメディアセンターへ。

30分ほどでセンターを出て、離島桟橋を通過。
それからサザンゲートブリッジを渡った。
前に来た時より自由に行ける道が伸びていたが、
公園以外にはスクラップ置き場のようなものしかなかった。

そして空港入り口までバイパスを走り、旧道で街中に戻った。
それから弁当を買いに知念商会へ。
1時半を過ぎていたが、店は高校生でいっぱいだった。

さて米原に戻ろうか。
於茂登方面は少し雲が薄くなったようだ。
途中開南の無人販売でパイナップルを買った。
ようやく時期になったのか、100円から300円までたくさんの種類があった。

米原に戻ると晴れている。急いで弁当を食べ、水着に着替えて海に入った。
風は少し強いものの、水は澄んでいて、日差しが美しく底に映っていた。
今日は観光ビーチの方は結構賑わっていた。

これで米原の海も最後になるかもしれないな。
サンゴや色とりどりの魚を記憶に焼き付け、40分ほど泳いで海から上がった。

海から上がり、さっき買ったパイナップルを食べた。
100円だったけど葉っぱが無い分安かったのか、実は大きかった。

それから3日越しのリベンジ。研究所の先の海岸に貝拾いに向かった。
しかし以前と変わってしまい、モダマもきれいな貝も見つけることができなかった。

諦めて峠を越えて伊野田キャンプ場を偵察。テントは3・4張りしかなかった。
帰りはそのまま下って大里農道を経由し、於茂登トンネルで米原に戻った。
トンネルの手前は曇っていたものの、米原は晴れていた。

南風が強いが気持ちいい。
ハンモックに揺られていると、いつのまにか眠っていた。

7時過ぎ、今日は夕日が見られそう。
こういう時に限ってご飯を炊いていたりする。
何とか炊きあがったようなので、火を止めて急いで浜に出た。

だんだん太陽が低くなっていく。
今日は遮る雲も無く、オレンジ色の太陽が川平の半島に沈んでいった。
来た時よりもだいぶ先に沈むようになった。もう1ヶ月半だもんな。
八重山の神様も、最後にこんな綺麗な夕日を見せてくれたな。

空が藍色から黒へと変わっていくと、空には無数の星が現れた。
明るい月が輝き、白い砂浜には影ができていた。
風は恐ろしいほど強くなった。いつだったか、こんな風が吹いていたな。

ああ、ついに米原最後の夜になちゃったな。
テントの前のテーブルの上、最後のキャンドルに火を灯した。

降ったり晴れたり 2005,5,16
目が覚めると外が明るい。テントから出ると青空が広がっていた。
おおっ、こんな天気久しぶりだな。

さっそく浜に出て貝を拾って歩いた。
今日もTJMさんより早かったので収穫は多かった。

それからサイトに戻ってコーヒーとトーストで朝食。
その後、いっぱいになった貝殻を整理。水で洗って段ボールの上に広げて干した。
約1ヵ月半で集めた貝は意外に重かった。どうしよう、これ持って帰ろうか。
とりあえず乾かすことにして天気がいいので海に入った。

水は温かかったが波が高く、今日もリーフエッジには行けなかった。
海から上がり、記録に残すためテントの周囲の写真を撮って回った。

ふと地面を見ると、ONさんの忘れていったガムテープの残りが落ちていた。
あーっ、ONさんが帰ってからもう1週間経ったのか。
なぜかこの1週間は長く感じられたな。

それじゃ出掛けようか、と思うと出鼻を挫く雨が降ってきた。
雨は上がったかと思うとまた降ってくる。八重山の梅雨特有の降り方だな。

お昼過ぎ、ようやく少し天気が安定してきた。
食料庫の在庫を減らすためカップラーメンとサーターアンダギーで昼食。
あっ、しまった。カップラーメンは船の中で食べるために残しておいてもよかったな。
まあいいや、また買えばいいか。

12時半過ぎ、於茂登岳は厚い雲がかかっていたので川平経由で街に向かった。
途中パラっと雨を感じたが局所的なもので、川平あたりまで雨はなかった。
しかし問題は名倉湾に出てからだ。

湾岸に出て、名倉大橋が見えてきた。
うーん、フサキの方は霞んでるな。この前と同じ間違いは繰り返すまい。
退避所に止まって様子を見た。

対向車のボンネットは大粒の水。それにワイパーを動かしている。
これは間違いなく降ってるな。戻ろうかな、でもせっかく来たのに。
こんまま突進したらこの前と同じだ。ここでちょっと待つとするか。

しばらく待っていると、フサキ方面が少し鮮明に見えるようになった。
それに上空の雲が流れて薄くなってきた。
それじゃ行ってみるか。降ってきたらすぐUターンすればいいな。

それほどスピードを出さずに進む。予想通り路面は水たまりができるほど。
しかしそれほどの雨には遭わず街に入った。今回の選択は正解だったようだ。

今日は月曜なので図書館もマルチメディアセンターも休み。
730交差点を通過し、登野城漁港のマンタ公園の前を通った。

公園では昨日のトライアスロンのテントの撤収作業が行われていた。
そういえばサザンゲートブリッジのノボリや看板もすっかりなくなっていたな。
賑わっていた昨日を思いだすと、ちょっと寂しい感じがした。

カネヒデの寄ってみるとちょうど売り出し期間で安売りをしていたので以下の物を買った。
緑のたぬき69円×1と沖縄そば69円×2、ボスレインボー59円×1、デミタス59×2、
パッケージにちょっと傷がある見切り品のコーヒー(70g)198円。
波照間の黒糖が・・・あっ、198円だ×3。マックスバリューより5円安かった。

次にマックスバリューへ行き、食パンと家に持って帰るお土産を買った。
バイクに積みきれなかったら郵便で送ろう。
段ボールと氷をもらって外に出ると、何やら怪しい雲行き。今にも降ってきそうだ。
開南方面はヤバそうなので、比較的明るい川平方面から米原に戻った。

米原に着くとと雨が落ちてきた。やれやれだ。

3時ころ、再び日差しが出てきて暑くなった。
海を見ると泳いでいる人がいる。それじゃ僕も泳ごう。
今日2回目の海に入った。潮はやや引き加減だが泳ぐには問題ない程度。
大きなタカセガイを見つけたので、30分弱で海から上がりシャワーを浴びた。

海から上がってしばらくするとまた雨。まったく天気が不安定だな。
その後も降ったり止んだり。時折青空も見える。
今日も北部方面の貝拾いには行くことができなかった。

7時過ぎ、川平の上空の雲が切れ、雲の輪郭がオレンジ色に染まっていた。

このテントで寝るのもあと2晩か。もう1ヶ月半も過ごしたんだな。

鉄人三項運動大会 2005,5,15
5月14日追加

夕べ、星がきれいだったので浜に出て流木に腰かけていた。
川平上空には三日月が登り、その輝きが海面に反射して幻想的だった。
月は明るく輝き、浜では懐中電灯が要らないくらい明るかった。。

暑くも寒くもなく、風も心地いい。波の音を聞きながらたたずんでいた。
この瞬間、永遠であってほしいと願わずにはいられなかった。


5時過ぎに目が覚めた。まだ早いな、もう一度寝よう、と思ったのだが寝つけなかった。
仕方ないので6時過ぎにはテントから出て朝食を食べた。

今日は石垣島トライアスロンの日。雲が多いが何とか天気は持ちそうだ。
準備をして7時過ぎにはキャンプ場を出て開南経由で街に向かった。

郵パックを出したいのだが、この時間じゃまだ郵便局は開いてないな。
ちょうどいいや、郵便局の軒下のバイク置き場に置いていこう。
7時半には郵便局に着き、登野城漁港まで歩いていった。

すでにスタート地点に着くと、選手たちは既にウォーミングアップ中で、港の中を泳ぎまわっていた。
7時50分から開会式が始まり、8時ちょうどにスタートした。

午前中はファミリー大会で、一般の参加者は900人以上。
一斉スタートはできないので8グループに分けて30秒おきのスタートになった。

一般参加といってもトップグループはプロ並に早い。
20分もしないうちに1.5キロのスイムを終えてバイクにトランジット。
中にはバイクで走りだしたが、ギヤがうまく噛みあわずチェーンが切れてしまった選手もいた。

スイムの最後の選手がほとんど上がってきたので郵便局に行き郵パックを差し出した。
そして再び漁港に戻るとトップの選手はバイク40キロを終えようとしていた。
そして最後はラン10キロ。トップの選手は2時間を切ってゴールした。

トップクラスの選手の多くは同じユニフォームを着用していた。
”チームゴーヤー”というらしく、良く見るとユニフォームはゴーヤーみたいだった。
どうやら沖縄のチームのようだった。

多くの選手がゴールしたので、一度キャンプ場に戻ってお昼を食べた。
まだ少し時間があったので、炊事棟に寝転んだりマットを干したりしていた。

12時前、再び街に向かい郵便局にバイクを止めて登野城漁港まで歩いた。
向こうからはゴールした選手たちが自転車に乗って走ってきた。
レースを終え、おそらく宿に帰るのだろう。

漁港に着くと、まだ一般の選手のゴールが続いていた。
そして最終の選手は74才の女性だった。
年齢を聞いて思わず耳を疑った。タイムはともかく完走だよ。
それも笑顔でゴールしてみんなに手を降っていた。頭が下がる思いがした。

さて午後からはITUワールドカップ。世界の一流選手が集まっている。
1時前、まずは女子。一人ずつ紹介されて浮き桟橋からの一斉スタート。
さすがワールドカップ。迫力が全然違う。
20分を切ってみんなバイクに乗り換えていった。

ファミリー大会とちがって今度は周回コース。
僕はサザンゲートブリッジの歩道に移動して観戦していた。

そういえばさっきから上空にヘリコプターが巡回しているが、あのへりどこかで見たことあるな。
双眼鏡を取りだして見ると”中日本航空”の文字が見えた。

そうだ、この前開南のヘリポートに止まってたへりだ。
どうしてあんな所に止まってるのかと不思議に思ってたんだ。
このトライアスロン大会のために来ていたのか。

2時間あまりで全選手がゴール。1位の選手はニュージーランド。2位と3位は日本人だった。
全力を尽くして走り終わった選手は、みんな本当に格好よかった。

女子が終わると今度は男子。男子を見るのは初めてだ。
男子は44人。一斉スタートは大迫力。
スイムが終わると再びサザンゲートブリッジへ移動した。

やっぱりスピード感が違う。選手が通るたびに拍手で応援。
間近で見ていると選手の汗が飛んできたよ。

時折雨がポツポツと落ちてきたが通り雨で、本降りになることはなかった。

そういえばさっきから中国人選手ばかり撮影している人がいるな。
背中に背負っているリュックを見ると”中国鉄人三項運動協会”と書いてある。
なるほど、鉄人三項運動か。どうみてもこれはトライアスロンだな。

トップは1時間45分ほどでオーストラリアの選手。2位と3位はアメリカだった。
ほとんどの選手がゴールすると表彰式が始まった。
初めに女子。日の丸の旗が両側に上がった。

次が男子。ゴールしたばかりなのでユニフォームのまま。
ゴールしたときは苦しそうだったが、今はみんな笑顔になった。
最終の選手はまだゴールしていなかったが、オーストラリアの国歌とともに国旗掲揚が始まった。

しかし、何か変だぞ。2つのアメリカ国旗のうち1つが異様にデカい。
おそらく大会本部でアメリカ国旗を1枚しか用意していなかったのだろう。
それでどこからか急遽調達したのでサイズが不揃いになってしまったんじゃないかな。

最後にシャンパンが授与され、6時ちょうどに閉会となった。
みんないっせいに会場を後にした。
ぼくもその流れに乗って郵便局まで歩いていった。

あーあっ、終わっちゃったな。でも楽しかったしたくさんの感動をもらったよ。
また来年見られるといいな。

今日はちょっと疲れたのでマックスバリューで惣菜を買ってご飯だけ炊こう。
と思ったのだがお弁当が半額になっていたので迷わずに買ってしまった。

7時前、キャンプ場に戻ってシャワーを浴び、そして弁当を食べた。
さっきから感じていたんだけど何だか頭が痛い。
汗もいっぱいかいたし雨にも濡れたからかな。
コーヒーを沸かして飲むと、頭痛はだいぶ収まった。

さて石垣にいる時間も残り少なくなってきたな。
寂しいけどそろそろ帰り仕度しなきゃ。今日は早めに寝よう。

パイナップル 2005,5,14
なんとか電源を確保できたので、今まで通りアップでることになりました。

今日も曇り空の朝。今日の予報は昼前から一時雨。
朝食を食べてからしばらくハンモックでまったり。

満潮時刻を待ってから浜を歩こうと思ったらTJMさん発見。
しまった、今日は先を越されたか。あの人は潮の干満まで考えてないだろうからな。

10時過ぎ、シャワーを浴びて洗濯。
さて今日は早めに出かけようかな、と思ったら雨。
それからもずっと雨が降ったり止んだり。一日これじゃまいっちゃうよ。

あーあっ、今日はダメかなあ。と思ったら雨が止み雲が切れた。
急いでお昼を食べて街に向かった。
今日は久しぶりに開南経由。途中の無人販売でパイナップルを3つ買った。
もっと買いたかったのだが、程度のいいのがなかったので他であとは買おう。

しばらく走ると路面はドライ。こっちは雨は降っていなかったようだ。

今日もまずはマルチメディアセンター。
40分ほどでセンターを出てマックスバリューでチーズと乳酸菌飲料を買った。
もちろん氷をたっぷりもらってきた。

帰りに久しぶりに体育館の前を通ってみると、
明日のトライアスロンの車検?と受け付け等をしていて自転車でいっぱい。
見たところママチャリやマウンテンバイクなどは見当たらなかった。
みんな真面目なんだなあ。

一度キャンプ場に戻り荷物を置き、野底方面に貝拾いに行こうと思ったらまた雨。
なあんだ、また雨かよ。今日こそは行こうと思ってたのに。
しかししばらく待つと雨が上がったので気を取りなおして出発。
そうだ、その前にパイナップルを買いに行こう。貝殻は逃げないからは帰りでいいや。

野底を通過し、その先の無人販売へ。
しかしそこにはまだ緑色したのが1つかなかったのでパス。
伊原間まで一気に突っ走った。

そして伊原間の商店に着くと、パイナップルがいっぱい。
店のおばあに聞いてみると、みんなすぐに食べられるという。
そして値段を確認するが、おばあはなかなか反応しない。
さっきから必死にパイナップルをむいている。

むき終わったようなので値段を聞くが、また答えずに
「食べなさい」という。おおっ、あれは僕のためにむいてくれていたのか。
「それじゃいただきます」というと「全部食べなさい」と。
まあ小さいパイナップルだったが、一人で食べるにはいささか多すぎる。

僕は大きめで良さそうなのを2個選んでテーブルに置き、
むいてくれたパインを食べていると、「400円」と言いながら袋に入れてくれた。
おばあは「若いんだからたくさん食べないと・・・」
まあ残すのも悪いので全部いただいたが手がベタベタだ。

それにしてもあの大きさで200円は安いな。
葉っぱが無くて、見た目はあまり良くないが味には全く関係ないし。

お金を払い「ごちそうさまでした」と言って袋を受け取ると、
おばあは「またいらっしゃいね」と言ってくれた。
なんだか嬉しくなってまた来たくなった。

それからキャンプ場に向かっていると雨が落ちてきた。
合羽を着るのも面倒なのでそのまま走りつづけた。
貝拾いはまた次回に持ち越しになってしまった。

米原に戻り、しばらくするとバイクの音。
テントから出てみるとYSさんだ。久しぶりだなあ。
この前は米原に1泊しかしなかったけど、一緒にヤシガニ狩りに行ったな。

聞くと一昨日西表から戻って楽園にいるという。
しばらく炊事棟に座って話しをしていたが、時々ポツポツと雨が落ちてきた。

彼は沖縄が初めてだが、いきなり石垣に来てしまった。
「帰りに本島はどうしようかな」、などと言っていたが、この海を見てしまうとな。
本島はおろか日本中の海で泳げなくなってしまうよ。

5時半過ぎ、空が少し安定してきたようなのでYSさんは楽園に帰っていった。
僕もご飯を炊いて夕食にした。今日はチーズタコライス。
といっても食料庫を空にするため、最近はほとんどレトルトかインスタント。
でも米とパスタが余りそう。まあ余ったら北海道で食べればいいな。

夕食を食べ終るとシャワーを浴びたが、風が北よりに変わり、涼しくなった。
そしてテントでシュラフかけて夕暮れの川平を見ていたらいつのまにか眠ってしまった。

そして気がつくと外は真っ暗になり、風は止んでいた。
外に出てみると雲の切れ目から星が見えた。

さあ、明日は石垣島トライアスロン。
参加するわけではないが、僕にとって最後のイベントだ。
世界中から集まるアスリートが生で見られる。
天気がいいといいなあ。


かゆい 2005,5,13
しとしととした雨は朝になっても降り続いていた。今日は13日の金曜日か。

7時前、テントから出て浜を歩こうと思ったらまた雨が降ってきた。
タープの下で朝食を食べ、コーヒーを飲みながら雨が止むのを待った。

しかし依然として雨は降り続き、ひたすらテントの中で時間を過ごしていた。
小説を読んだりラジオを聞いたり、外に出られない時間が続いた。

うーん、まいったな。屋根のある6号炊事棟は占拠されてて使い物にならないしな。
こう蒸し暑いと寝てもいられないし。

お昼ころ、ようやく雨が上がって雲が切れてきた。
すぐにお昼を食べ、シャワーを浴びて洗濯をした。
出発の準備をし、バイクでキャンプ場内を走っていると見たことのあるカブ、それにテント。
すぐ脇にはNMさんが立っていた。1年ぶりの再開だ。
少し話をしてから街に向かってキャンプ場を出た。

於茂登方面は雲が厚いので今日も川平回り。
この時期は海岸沿いの方が比較的天気がいいようだ。

そういえば最近、本格的なレーサータイプの自転車に乗っている人をよく見かける。
明後日のトライアスロンに参加する選手だろう。

市街地に入りマルチメディアセンターへ。
ここはエアコンが効きすぎていて寒いくらいだ。
帰りに設定温度を見たら23度になっていた。

それからカネヒデとマックスバリューで買い物。
店から出てくると、於茂登方面には暗雲が垂れこめている。
こりゃ向こうは雨かもな。

というわけで川平方面から米原に向かった。
何とか雨にも遭わずにキャンプ場に戻って来た。

少し落ち着いてからバッテリーを引き上げようと思ったらドアが開かない。
全てのドアが施錠されていた。ありゃーっ、ついに閉鎖されたか。
あのレゲエ連中の蛮工のおかげでついに閉鎖されたか。

一部の人たちの行為でみんなが迷惑するんだよな。
そういえば12時過ぎまでジャンベーが鳴ってたし。あの音は住宅街まで響いてた。
あれじゃ閉鎖は仕方ないが、僕の電池がまだあの中だったのに。

何度か管理人さんの所へ行ってみたが不在。まいったな。
それじゃ少し泳ごうかとも思ったが、これだけ潮が引いているととても泳げない。

6時過ぎ、夕食を食べてシャワーを浴びた。
ここのところ気温も水温も上がり、ずっと浴びていても寒くなくなった。

青空も広がり、少し風も出てきて気持ちのいい夕暮れだった。

7時半、ようやく管理人さんも帰ってきたので事情を聞いた。
すると僕の電池は他の人に預けたと言う。
預けたその人は今日は帰ってこないかもしれない。まあ1日くらいいいけど。

それにしても体中がかゆい。どうやらこれは蚊だけじゃないようだ。
ダニか毛虫かその他かわからないが、ここ沖縄には正体不明な生物がたくさんいる。
とにかく何かの虫に噛まれているようだ。

とうわけでこれから電源の確保ができなくなってしまった。
今回はインバーターを持ってこなかったので、モバイルがまもなく使えなくなってしまう。
この日記もしばらくアップできなくなるかもしれません。

貝を先取り 2005,5,12
昨夜、目が覚めて外に出ると満天の星空が広がっていた。
こんな星空は久しぶりだ。ずっと使っていなかったシュラフを浜に敷いて天を仰いだ。
低いところには雲はあるものの、真上は数えきれないほどの星。
流れ星も2つ見えた。願いがかなうといいなあ。

明るくなって目が覚めたのが6時過ぎ。
6時半前にテントから出ると空は雲に被い尽くされていた。
でもなんとなく雲が薄い。ちょっと浜を歩いてみた。

やはりこの時間だとまだ誰も浜を歩いていない。
ということは誰も貝を拾っていないということだ。
おまけに昨日の深夜に満潮を迎えている。
思った通り今日もきれいな貝殻を拾うことができた。

ふと沖合を見ると、なぜか飛龍が航行している。
おかしいな。石垣発の定刻は6時半、米原から見えるまでには1時間はかかるはずだ。
ということはダイヤの変更があったのだろう。

それから朝食を食べ、シャワーを浴びてから洗濯、
その後はハンモックに揺られて小説を読んでいた。

しばらくすると比嘉さんが来たので残りのキャンプ料金を支払った。
でもちょっと寂しいな。でもまたいつか必ず来るよ。

比嘉さんは辺りを回り、新しく来た人から集金していた。
その後、例のレゲエ連中が管理棟の窓から電工ドラムで電源を引いているのを発見。
ドアも開けっぱなしだったので注意すると彼らは電源コードを撤収した。

やれやれ、と思ったら、比嘉さんが帰ったら今度は別の所からコードを引っ張り、
カムフラージュするためにコードを埋めていた。どうしようもないな。
これじゃ管理棟の電源が使えなくなるのも時間の問題だ。
それどころか米原閉鎖、なんてことにならなけれないいが。

再び浜を見ると、TJMさんが歩いていた。
でもいつもより足取りが遅いような気がする。
時々立ち止まっては何かを拾っている。そして数歩あるいてはまた何かを拾っている。
僕が朝早く拾ってしまったので、いい貝が見つからないのだろう。
ごめんなさい、TJMさん。

午後から天気が悪くなりそうな予報なので11時前、早めに街に向かった。
今日も川平回り。まずは労金に寄って帰りの船代を振り込まなくては。
労金のCD機でカードを使って振り込もうとするが、エラーになってしまう。

たしか2年ほど前も同じで窓口で振り込んだ覚えがある。
どうやら労金は県別の独立組織なので静岡労金のカードじゃダメなようだ。

諦めて現金を引きだし、CD機で現金で振り込みをしようとしたができない。
窓口だと高くなってしまうので他の金融機関に行くことにした。

桟橋通りの海邦銀行では何の問題も無く振りこみができた。
今度から石垣に来た時ははこの手を使おう。

銀行を後にしてマルチメディアセンターへ。
まだお昼前だし駐車場には自転車が2.3台。なあんだ、ガラガラだな。
と思ってトイレに寄ってから中に入るとほとんどの席が埋まっていた。
僕がトイレに行っている間に来た人と僕で満席になった。
みんなどうやってここに来たのだろう。

その後、数人が来たが中に入れず外で待っていたので、
今日は特に急いで調べるものもないので早めに席を譲ることにした。
外に出ると外国の人が3人待っていた。いったいどこからここの情報を仕入れているのだろう。

センターを出ると小雨が降っていた。でもそれほど気になるほどでもなかった。
そしてマックバリューへ行き99円のバナナと大きなコロッケを買った。
そして知念商会でフライドチキンとお結びを1つ買って米原に向かった。

途中開何の無人販売に寄ると、100円の所に1つ良さそうなのがあたったので買って帰った。
何とか雨に会わずに戻ってきて炊事場の上で海を見ながらお結びとチキンを食べた。

その後しばらくハンモックで休んでいたが、だんだん飽きてきた。
2時過ぎ、ちょっと野底の無人販売へ行ってみようと思ったら雨が降ってきた。
あーあっ、雨か。しばらくすると本降りになった。でも無理に出なくて良かったな。

屋根のある6号炊事棟はレゲエ連中に完全に占拠されて使い物にならない。
それからどこにも行けずにテントの中で小説を読み、ようやく上巻が読み終わった。
それも飽きてきたのでたまっていたレシートを整理してみた。

出発した4月2日から今日まで、ほとんど毎日のレシートがあった。
日付順に並べなおし、内容を見ると記憶が鮮やかによみがえってきた。

あーっ、あの時あんな物を買ったんだな、って。
名古屋や沖縄本島にいたのは遠い昔に感じるけど、
石垣でテントを買ったのはついこの間のように思えてならない。

6時過ぎ、一瞬雨が止んだがまた降りだした。
まるで梅雨のような降り方だ。もっとも沖縄はすでに梅雨入りしているのだが。

6時半になると西の空は雲が切れて太陽が見えている。
でも上空の雨雲のせいか、小雨が降りつづけている。
しばらくすると雨が上がったのですかさずシャワーを浴びた。
戻ってくるとまた雨が降りだした。

7時過ぎにご飯を炊いてマックスバリューで買ったコロッケで夕食。
しばらくするとバイクの音が聞こえた。
誰か来たのだろうが、僕のテントの回りはレゲエ連中に囲まれてしまった。
みんな怪しい格好をしているし、一日中ジャンベーの音がしている。
おまけに炊事棟もあの状態じゃ、新しい人が来てもこの周囲には来ないだろうな。

そういえば朝早く飛龍が見えたのは、宮古で不発弾処理があるため
石垣を1時間早く出港したとのこと。
ラジオのニュースでは、平良港内で見つかった不発弾を水中処理したという。

今日ばかりは予報が当たったな。
明日は晴れるといいな。

ツーリング日和? 2005,5,11
昨夜からの雨は、時折強くテントを叩きつけた。
おまけに12時過ぎまでジャンベーの音がうるさくてよく眠れなかったな。

6時過ぎ、目が覚めて外に出た。
雨はすっかり上がり、雲の切れ目から青空が見える。
今日は久しぶりに晴れになりそうだ。

朝飯前の散歩。浜の隅っこの秘密の場所まで歩いていった。
すると普段見たこともない大きな巻貝を見つけた。
貝は薄くて数個所穴が開いていたが、磨けばきれいになるだろう。
早起きは三文の徳、かな。

テントに戻って朝食。食べ終るともう一度浜を歩いて貝を拾った。
一度炊事場に戻って貝を洗っていると、浜を歩いて行く人がいた。
白いこぎれいな服を着て、帽子をかぶり、リュックを背負っている。
いつもと違いすぎる姿に思わず目を疑ったが、間違いなくTJMさんだ。
時計を見ると8時前。そうか、今日は水曜日。街に買い出しに行くのか。

それからまた浜に出て、TJMさんが歩いてきた方向に向かって歩いた。
いったいどこから歩いてきているんだろう。
しばらく浜を歩いていくとジャングルに入る道。
そこを辿っていくとジャングルから抜けた。そして獣道。

少し進むと洗濯物を干すロープがあった。おっ、ここだな。
足場はしっかりベニヤ板が敷かれている。
このベニヤ板、コンパネだ。おそらく近くの工事現場から出たものだろう。
さらに奥、ブルーシートが見えた。おおっ、2年前来た時と同じ場所だ。

しかしどうやってもそこに行けない。
2年間で草もボウボウになり、とてもかき分けて進む気にはなれない。
ということはTJMさんだって行けないな。するともうここは使われていないのだろうか。
それとも他のルートがあるのだろうか。

少し戻ってジャングルに入ると、ゆんたく場のような拓けた場所があった。
ここなら知っている。小さなヨットのような物が置いてあった場所だ。
そういえば2年前も使われていないようなテントが数張りあったな。

周囲を見回すと、2年前には無かったブルーシート。良く見るとその奥にもある。
竹などを使ってきれいに三角に組み立てられ、入り口には黒いシートが垂れている。
おおっ、これだ。いつにまにかこっちに引っ越していたのか。
資材や装備は前に来た時と同じ。きれいな貝殻もたくさん見える。

でもジメジメしていて暗い。これじゃ前のほうがよかったのに。
ここじゃ僕はとても居られないな。などと思っていると2個所も蚊に刺されてしまった。

テントに戻るとだんだん暑くなってきた。
汗びっしょりになったのでシャワーを浴びた。冷たい水が気持ち良かった。

いつのまにか雲が切れ、真っ青な空が広がった。
そして遠くには真っ白な入道雲。おーっ、夏雲だ。

こんなに晴れたのは久しぶり。
ハンモックを張ってシュラフを干し、数日ぶりにイグサマットも干した。
が、良く見るとテントの底に接していた面にまたカビが生えかかっている。
うーん、数日でこれか。やっぱりかなり湿度が高いんだな。

11時過ぎ、こんな天気にここにいたんじゃもったいない。
とりあえずシュラフやマットをテントに入れ、北部方面に向かった。

それにしてもいい天気だ。青い空、白い雲、そして鮮やかな緑。まさに若夏だ。
野底の先に行くと、無人販売にパイナップルが置いてあった。
ここでもやっと時期になったかな。

40分ほどで平久保灯台に到着。
平日なのにレンタカーが入れ替わりたち替わりやってくる。

高台に登るとこれ異常無いというほど美しいリーフが見渡せた。そして沖合いには入道雲。
おおっ、良く見ると遠くに島が見えるぞ。多良間島だ。双眼鏡を使うと水納島も見える。
多良間が見えたのは、2002年、AO木さんと来たとき以来だ。

それから少し先の浜に出たが、暑い上に貝もそれほどないのですぐに引き上げた。
東方面は雲が厚いので、来た道を戻って米原に向かったが、途中何箇所か路面が濡れていた。
しかし米原はまったく雨が降った様子は無かった。

それから川平経由で街に向かった。こんなにいい天気だから大上部だろう。
と思ったのだが崎枝を過ぎると雲行きが怪しくなってきた。
というより街のほうは真っ黒な雲がかかっている。
そのうち観音崎方向が見えなくなった。うーん、向こうは雨かなあ。

さらに進むと雨が少し落ちてきたのでUターン。
パーキングにバイクを止めてしばらく様子を伺っていた。
街のほうから来る車はほとんどが濡れている。

うーん、どうしようか、戻ろうか。でもせっかくここまで来たのに。
今日は水曜市、99円のバナナも食べたいしなあ。
まあ少しくらい濡れてもいいや。とりあえず合羽を着ていこう。
それほど降らないだろうと思ったので、ブーツカバーは装着しなかった。

が、名倉大橋辺りから激しい雨。車はワイパーを高速で動かしている。
シールドに身を隠すように走るが、遅い車に追いついて減速。
と同時に靴の中に大量の水が流れ込んできた。
ひえーっ、まいったな。まるで海に落ちたみたいだ。

でもどうにもならない。得意の強行突破だ。
大雨の中走りつづけ、マルチメディアセンターに逃げ込んだ。

このまま中に入ると床が水浸しになりそうだ。
トイレの流しで靴下を絞ると滝のように?水が出てきた。
気持ち悪いけど仕方ない。靴下を履いて1時間ほどネットをしていた。

窓の外を見ると雨も上がったようなのでセンターを後にした。
そしてマックスバリューで買い物をして大浜経由で米原に戻った。
途中路面が濡れていたが、他のキャンパーに聞くと、米原はずっと晴れていたという。
いつもは逆で、こっちが天気が悪いのにな。こいいう時もあるんだな。

サイトに戻り、海を見るとかなり引いている。
でもこんないい天気。もうないかもしれない。

すぐに水着に着替え、海に入った。
干潮で浅いため、深い所がある場所まで歩いていった。
リーフエッジまで行きたかったが、波がある上誰も居ないので諦めた。

久しぶりに入る海。水は少し濁っているが、魚やサンゴは鮮やかだった。
30分ほど天然の水族館を鑑賞して海から上がった。

5時ころ、NMさんからメールが来た。
それによると、事情により急遽明日の船で帰るという。
ありゃーっ、戻ってくると思ったのにな。

僕もクルーズシステムに電話し、来週の船を予約した。
まあ最初の予定どおりだが、確定してしまうとやっぱり寂しいな。
でも、その後は北海道が待っているし。

6時を過ぎると蚊が猛攻撃を仕掛けてきた。
炊事場でハンゴウに水を居れていると、数十匹の蚊に取り囲まれた。
これはたまらない。走って浜に避難。しばらくしてテントに退避した。

7時ころにはお腹がすいてきたのでご飯を炊いた。
おかずはメンチカツと大きなソーセージ。何れもマックスバリューで99円だった。

そういえば今日も買いものは全部99円。99×5=495円だった。
レジで99円を連呼されてちょっと恥ずかしかった。

いつのまにか雲が広がり、その切れ目から上弦の月が輝いていた。
星はあまり見えない。明日は曇りの予報だ。

久しぶりの雨 2005,5,10
7時前、テントから出ると空は雲で覆いつくされたいた。
前日の天気予報は全くあてにならず、まあ信用できそうなのは当日くらい。
しかし米原と街では天気がだいぶ違う。

朝食を食べてから少し浜を歩いてみた。
ちょうど満潮なので、きれいな貝がいくつか流れついていた。
そしてイニシャルの形のサンゴを拾い、写真に撮ったりした。

それから食器を洗い、洗濯をした。

浜で拾ったクモガイを茹でようと、コッヘルでお湯を沸かし、
沸騰したのでコンロから外そうと取っ手を持った瞬間、あちーっ。
右の人差し指を火傷してしまったよ。
カセットコンロでコッヘルなんか使うんじゃなかったな。

その後、しばらくはハンモックで小説を読んでいた。
時折青空も見える程度で日差しは無いが、全くの無風で蒸し暑くてたまらない。

今朝の予報では昼過ぎから雨。
早めに昼食を食べ、シャワーを浴びた後、髪が乾くのを待って街に向かった。

雲の様子を見ると、灰色の雲はこの辺りだけ。
とりあえずトンネル経由で行こうとしたら雨が落ちてきた。
すぐにUターンして川平回りに変更。
それでも時々雨が落ちてくるのでシールドに隠れて先を急いだ。

雨は降ったり止んだり。路面は完全なウェットの所もあればドライの所もある。
同じ島でも場所によって天気がかなり違うんだな。

新川のあたりにくるとまた雨だ。今度はちょっと来そうな雰囲気。
買い物をしてすぐに帰ろうと思ったが、近くにあったマルチメディアセンターに吸い込まれた。
ここなら車庫に屋根があるし、パソコンも無料で使える。

平日とあって、センターはそれほど混んでいなかったが、回線は相変わらず遅い。
チャットのソフトをダウンロードし、インストールしてみるが、
ファイヤーウォールが設定されているようで、チャットはできないようだ。
ルーターの設定を変えることはできそうもないので諦めた。
1時間ちょっとでセンターを出ると、雨はほとんど上がっていた。

センターを後にし、カネヒデに寄ってみたが、相変わらずシークワァーサージュース品切れだった。
惣菜コーナーを見ていると、大きなチキンカツが198円だったので迷わず買った。
千切りのキャベツとマカロニサラダもついている。
そういえば最近は、カレー、パスタ、タコライス、インスタントラーメンくらいしか食べてなかったからな。
久しぶりにまともな夕食が食べられるよ。

次にマックスバリューに行き食パンとスナック菓子を少し、
それに1.5リットルのシークワァーサージュースを買った。
今日も製氷機は満タン。2袋分詰め込んだが、それでもまだ溢れそうだった。

それから給油して大浜経由でキャンプ場に向かった。
途中少し雨が落ちてきたが、びしょ濡れになるほどでもなかった。

それからしばらくすると、久しぶりに本格的な雨になった。
傘が必要なほどの雨なんて、先月の26日以来だ。
ONさんたちは本当にラッキーだったな。

6時半過ぎ、雨は上がった。
それからテントでラジオを聞きながら横になっていたらいつのまにか眠っていた。
8時過ぎ、気がつくと外は真っ暗だった。
結局今日は西表からは誰も来なかったなあ。
天気が安定しないと撤収もできないしな。

梅雨といっても内地の梅雨と違い、一日中雨が降り続くことはない。
でも合羽が手放せない。しばらくそんな天気が続きそうだ。

一人の夜 2005,5,9
ゴールデンウィークも終わり、静かな米原に戻っています。

目が覚めるとポツポツと雨粒がテントに当たる音。
でも雲はそれほど厚くなく、雨も弱く降ったり止んだり。

7時前には起きてテントから出た。
しばらくするとONも起きてきて慌ただしく朝食を食べていた。

それからONさんは蚊の猛攻撃を交わしながら撤収開始。
雑然としていたサイトがだんだん整然と、物が少なくなっていく。
背中に寂しさを感じてしまう。まるで時間を巻き戻しているような感じだ。

しかし時間は進み、13日間張っていたブルーシートも無くなった。
ONさんは機内持ち込みできないガスや泡盛などをくれた。

10時ころにはすっかり荷物がまとまり、ONさんはシャワーを浴びた。
それから2人でダべリング。雨も上がり、蒸し暑くなってきた。

11時半過ぎ、最後に写真を撮ってバス停に向かった。
ほぼ定時にバスはやってきた。そしてONさんは笑顔で手を振りバスに乗りこんでいった。

僕はサイトに戻り、洗濯をして軽く昼食を食べた。
それからあまりの蒸し暑さに耐えきれず、シャワーを浴びた。

すっかり更地になったONさんのテント跡は寂しさが漂っていた。

1時ころ、僕はバイクを出して街に向かって走り始めた。
於茂登方面は雲が厚いので、やや遠回りとなるが、川平方面を経由した。
街が近づくにつれ、ポツポツと雨が落ちてきた。
でも合羽を着るほどでもなく、傘をさしている人もいない。

2時前には空港に到着。しばらく2階の送迎デッキで離発着を見ていた。
2時ちょうど、バスが着く時間なので外に出た。
バスが到着すると、大きなバックパックを背負ったONさんが降りてきた。

ターミナルに入り、まずはチェックイン。
今日は北よりの風なので、マックスバリュー側から離着陸する。
そのため左側の窓側の席を指定した。

それからしばらく時間があったので、ONさんはお土産を買い、送迎デッキに上がった。
しばらく離陸が続き、駐機場には1機もいなくなってしまった。
あれっ、駐機場がカラになったぞ。
この時間に1機もいないとなると、折り返しの名古屋行きが遅れてしまうな。

しばらくすると、南側からブルーのANK機が着陸してきたのでターミナルに戻った。
そして固く握手を交わし、ONさんは手荷物検査を受け待合室に入っていった。

それから僕は2階の送迎デッキに上がった。
まもなく、徒歩での搭乗が始まった。しばらくするとONさんの姿が見え、お互い手を振った。
機の中に姿が消えたが、数分で窓から手を振っているONさんが見えた。

乗客が全員搭乗し、ドアが閉まった。定刻より20分ほど遅れて機は動き始めた。
そして滑走路の手前で止まり、着陸機を待って再び動き始めた。
滑走路に出て機は右に曲がる、はずなのだがなぜか左に曲がってしまった。
どうやら風向きが変わってしまったようだ。

そうなると離陸時にはONさんは反対側になってしまう。
僕は滑走路を走っていく機に、視界から消えるまで手を振った。
数分で機は折り返し、轟音を残して離陸していった。
やがて機は左旋回し、雲の中にその姿を消していった。

あーあっ、行っちゃったな。やっぱり寂しいよ。、でも楽しかったなあ。
僕一人だったらヤシガニなんて捕まえられなかったし、見ることもなかっただろう。
またいつか会う機会があるだろうか。

空港を後にし、マックスバリューで買い物をした。
帰りにいつも氷をもらって帰るのだが、今日は製氷機が満タンになっていた。
連休中はほとんど無くて氷を掬うのに苦労したのに、
今日は氷を掬うオタマが埋もれていて、氷を袋に入れるのに苦労したよ。

それから開南の無人販売でパイナップルを物色。
今日は程度のいい物は小さいのが1つだけだった。
でも1人で食べるのにはちょうどいいな。

米原に戻り、ハンモックに乗ってノルウェイの森の続きを読んでいた。
時折青空も見え、日差しも感じられた。気がつくといつのまにか眠っていた。

6時過ぎ、夕食を食べて食器を洗っていると雨が降って来た。
やや強くなったのでタープの下に避難、が、1分ほどで止んだ。
そんなことが2・3度続き、雨は上がった。どうやら通り雨だったようだ。

それからシャワーを浴び、テントに戻った。
話す人もいなくなり、また一人の夜になった。
明日は西表に行っていた人が戻ってくるかもしれない。

今夜は早めに寝よう。

ゆっくりの一日 2005,5,8
6時半前目が覚めた。なんとなく眠く体が重い。
そういえば寝たのは2時ころだったな。ちょっと寝不足のようだ。
今日は夕方から雨の予報。今日一日ゆっくりしようか。

それでも7時前にはコーヒーを沸かしてトーストを焼いた。
空は雲に覆われていたが、時間が経つにつれ雲が切れ目が見え始めた。

8時半前、ONさんは友人のところへ行くと言ってバス停に向かった。
僕はハンモックを吊ってまったりしていた。

10時前、街に向かった。天気の安定している午前中に用を済ましてしまいたい。
於茂登トンネルをぬけると路面が湿っている。わずかに霧雨を感じた。
しかしすぐに路面はドライになった。

開南の無人販売に行くと、パイナップルがまた増えいていた。
今日も3つ買い、一度キャンプ場に戻ってきれいに水洗いした。

そしてふたたび街へ。まずダイソーでガムテープを買い、
郵便局に行って郵便物を出したのだが、わずか5グラムで送料が1つ上のランクになってしまった。
昔だったらまけてくれたのに、今は秤はデジタルで発券機と連動しているかな。
5グラムで2キロ分の料金が増えるのはちょっと納得がいかない気がする。
もう少し料金区分を細かくすればいいのにな。まあ宅配便よりははるかに安いからいいか。

帰りに知念商会に寄り、おむすび2個とフライドチキンを買って米原に戻って食べた。
これで250円。内地ではこんな安い惣菜屋はないだろうな。

米原はいつのまにか晴れ上がっていた。
戻ってくると、昨日のニュージーランドの人たちはいなくなっていた。
今日は日曜で大潮なので島の人もたくさん繰り出していた。
僕も干潮時刻を前にリーフに出た。でもどうも調子が悪い。すごく体が重い。

きれいな貝を2個拾い、浜に戻った。
そしてハンモックに揺れられ、そよ風に吹かれていると、いつのまにか眠っていた。
やっぱり寝不足で疲れていたのだろう。

3時過ぎ、ONさんが戻って来た。
ONさんは明日帰るので、最後の泳ぎといって海に入っていった。
いつんまにか空は再び雲に閉ざされていたが、依然として蒸し暑かった。

僕は久しぶりに村上春樹の文庫本を引っ張り出して読んでいた。

この時間になってもまた島の人が数家族やってきて、ピクニックを楽しんでいた。
子供も一家にも3人くらいはいるので賑やかで楽しそうだ。
僕が貝を洗っていると興味深そうに話しかけてきたり、
ヤシガニに興味を示していたが、あまり珍しくはないのだろう、それほど驚いてはいない様子だった。

夕食を食べ、薄暗くなると、僕のテントの前でONさんと泡盛を飲んでいた。
短い間だったけど、いろいろ教えてもらって楽しかった。別れはやっぱり寂しいよ。
「もう二度と来られないかもしれない」 ONさんの一言にはすごく重みがあった。

時折雨が落ちてきたと思うと、星空の広がる時もあった。

10時半前、それぞれのテントに戻った。
誰もいなくなったテーブルに、キャンドルの光だけが瞬いていた。

初めての石垣 2005,5,7
夜中に目が覚めた。
外に出てヤシガニを入れてあった箱を見ると、なんと上面に穴が開いている。
でも穴が小さいな。これじゃ出られないんじゃないか。
すぐにふたを開けてみたが、もぬけのカラ。やられたー。
やっぱりコインロッカーじゃないとダメだったか。

6時過ぎ、目が覚めてテントから出た。空は厚い雲に覆われていた。
予報では一日曇り。まあ雨が降らないだけいいか。
でも海を見るとリーフで砕けるすごい波。北風に乗って豪快な音だ。
そういえば今朝は涼しいな。Tシャツ1枚だとちょっと寒かった。

朝食を食べ、しばらくすると少しではあるが雲が切れてきた。
朝食の後、ONさんとダべリング。
それから浜を歩いて貝殻を拾い、その後ハンモックに乗って休んでいた。

お昼前、気がつくといつのまにか雲が消え去って快晴の青空が広がっていた。
湿度も低く、暑くも寒くもない。気持ち良すぎて脳ミソが溶けてしまいそうだ。

お昼を食べてから街に出かけた。
マルチメディアセンターへ行ってみるが、予想どおり満席。
諦めて買い物に行き、米原に戻ろうと思った。

しかしこんないい天気。ちょっと遠回りしてみよう。
そういえば白保にキャンプ場ができたってきいたことがあった。
白保小学校の先から内陸に入った。
そういえばこの辺りは1回も走ったことがなかったな。

そらからしばらく走るとそれらしき場所があり、慌ただしく動く人たちが見えた。
止まっていたバイクを見ると、時々米原に来ていた人たちだ。

その先、起伏の富んだ牧場や畑の中を走る快適な道。
石垣には通算7ヶ月以上いたが、こんな所があったなんて。
まるで他の島、いや外国に来たような気分だ。

流れていく景色、風、全てが新鮮に感じられるよ。
なんで今まで来なかったんだろう。気がつくと1時間近く走りまわっていた。
走り慣れた道に出ても、視線を変えるだけでフレッシュな気分になった。

米原に戻ると潮が満ち始めていた。
すぐに水着に着替えて海に入った。しかしなんだか様子がおかしい。
流れが異常に早い。波打ち際はまるで川のよう。
浮いているとどんどん流されてしまう。フィン無しじゃ危険だな。

リーフでは相変わらず豪快に波が砕けている。
今日は危なそうなのであまり沖に出ず近くで泳いでいた。

海から上がって着替えてくると、何やら車から大量の荷物を降ろしている人たちがいた。
あれっ、まさか。良く見ると白保にいた人たちみたいだ。
それにしてもものすごい資材だ。島のファミキャン顔負けの量。
コンテナボックスは20個近く、プロパンガスのボンベまである。
そのうち鳴り物が鳴りだし奇声があがった。

IMさんから聞いたあの人たちだな。
ああ、これで平和な日々も終わりかな。

暗くなると、焚き火を囲んで泡盛を飲みながらニュージーランドから来た人たちと話していた。
沖縄本島で英語の先生をしているという。

12時前、お開きになり僕とONさんはヤシガニハントに出かけた。
今日は東側の崖。すぐにONさんが「いた!」と叫んだ。
しかし穴の下のほうに入ってしまい、捕まえることができなくなった。
仕方なく穴の下に回りこむと、他のヤシガニがいた。

すぐにタモで捕まえた。さっきのより小さいけどとりあえずまあいいか。
そしてさっきの大きなヤシガニを捜索。すると穴の上のほうに隠れていた。
しかし棒でつついても煙や火でいぶり出そうとしても意固地に出てこない。
1時間近く格闘したが、結局確保できずに諦めた。

3度は同じ間違えは繰り返すまい。そのままコインロッカーに入れた。

さっきまで広がっていた満天の星空も、いつのまにか雲に隠されていた。
明日もいい天気ならいいな。

大雨? 2005,5,6
南よりのテントが変形するほどの強い風は夜通し吹き続けた。

目が覚めて外にでると、空は雲に被われていたが、それでも時々青空も顔を見せた。

朝食を食べた後、久しぶりに浜を歩いて貝殻を拾い集めた。
その後はハンモックでまったり。風が心地よかった。

近くを歩いていると、ステンレスの大きなピンセットのようなものを発見。
それを使ってゴミを拾っていると、使いかけの蚊取り線香をいくつか見つけた。

ブランコの所に行くと、ロープが枝に引っかかって使用不能になっていた。
誰だ?あんな所に引っ掛けたのは。あんな所に自然に引っ掛かるわけないしな。
僕は長い棒などを探し、ビニールテープで連結して何とかロープを外した。

10時前、街に向かった。今日東京に帰るOTさんを見送りに行こう。
今日は大浜を経由して空港に到着。まだ姿は見えなかったので一度街に出た。
離島桟橋を通過すると、救急車がストレッチャーを出して待機していた。
なにかあったのだろうか。

それから再び空港へ。2階の送迎デッキに出て離発着を見ていた。
11時ころ、空港に到着するバスが見えたのでバス停の近くに出てみると、
OTさんと缶ビールを持ったONさんの姿が見えた。

OTさんは搭乗手続きをし、まだ時間があったので送迎デッキに出た。
今日は南風なので北からの着陸。海上保安庁のYSも離陸していった。
もしかしたら魚釣島に向かうのかな。

そろそろ時間のでOTさんは手荷物検査を受け搭乗待合室に入っていった。
機は定刻より10分ほど遅れて離陸していった。

それから僕はマルチメディアセンターへ。
しばらくするとONさんもやってきた。
僕は1時間ほどでセンターを後にし、買い物をして米原に戻った。

僕のテントに近くには1つテントが張られていたが、誰もいない様子。
どこかに出かけているのだろうか。

ハンモックに揺られていると、ONさんもバスで帰ってきた。
それからすっかり静かになったサイトで2人でダべリング。
暗くなってからは泡盛を飲んで話をしていた。

時折風が強くなり、雨もパラパラと落ちてきた。遠くで稲光が見える。
予報では雷をともなって、一時激しく降ると言う。
でも雲は薄く、大雨のふる様子はない。
このまま小康状態でいてくれればいいが。

寂しい米原 2005,5,5
夜中に目が覚めた。時計を見ると午前1時。すっかり静寂の世界。
耳をすますとどこかで誰かのイビキが聞こえる。
今までこんな静かなGWは経験したことがない。

物音で目が覚めたのが午前6時。どうやらファミキャンが起き始めたようだ。
僕も6時半前にテントを出ると、TBさんは撤収を始めていた。
彼は今日のフェリーで西表に旅立つ。

撤収を見守っていると、ついでOTさんも起きてきた。
レンタルバイクは今日の12時までなので、OTさんも撤収を始めた。
OTさんは明日の飛行機で帰るため、今日は街のホテルに泊まる。

ONさんは朝からニコニコしていた。
今朝4時ころ、一人でヤシガニを探しに行き、捕まえてきたという。
発泡スチロールの箱を開けて見せてもらうと、一昨日のヤツよりかなり大きい。
最初に取り逃がしたのよりは小さいが、まあまあの大きさだ。
コイツも今日はコインロッカーに保管することにした。

辺りを見回すと、申し合わせたようにファミキャンたちも撤収開始。
今年はみんな静かで苦痛は全く感じなかったので、ちょっと寂しい光景だ。

7時過ぎ、大きな銀マットをくくりつけたTBさんの自転車が米原を後にした。
空は薄雲に覆われてはいるが、薄日もさし雨の降る様子はない。

朝食を食べ、OTさんの撤収を見守っていた。
ゆんたく用に張られていたブルーシートも取り外され、屋根がなくなった。
地面には雑然と食器やら泡盛のビンが散乱していた。
そこになぜか、ハイビスカスの花が1輪、泡盛のビンにさされていた。

11時前、OTさんはスクーターに荷物を満載して米原を後にした。
ONさんと一緒に手を降って見送ったが、あっという間に後姿が見えなくなった。
それにしてもOTさんは、本人もそう言っていたが、飲んで、泳いで、寝て。
本当にそんな姿しか見なかったな。

それからONさんとダべリング。
しばらくすると、僕のテントの回りのテントは1家族を残すのみとなった。

お昼ころ、僕は街に向かった。
電気に詳しいONさんから、ACアダプターでバッテリーが充電できることを聞き、
バイクからバッテリーを外し、ONさんから借りたワニ口クリップで昨日からずっと充電していたのだ。

恐る恐るセルボタンを押すと、軽快な音でセルが回った。これでしばらく安心だ。
まずは郵便局に行ってみると、なぜか窓口が開いていた。
祝日なのになんで開いているんだろう。まあいいや。聞いてみると3時までだという。

それなら今日発送できるな。
マックスバリューに行き、黒糖を買って再び郵便局に行って差し出した。
それからあやぱにモールのネットカフェに行き、1時間ほどネットをした。
ハードはノート、OSはWIN2000、回線はDSLのようで、速度に関しては快適だった。
料金は1時間300円。450円ほどのドリンクを頼むと1時間無料で使える。

あっという間に1時間が経過。
バッテリーが復活したので気軽にあちこち行ける。
久しぶりにカネヒデに行ってみると、金ちゃんヌードルが76円だったので2個買った。
それからマックスバリューに行き食材などを買った。

その後、市街地を少し走って米原に戻った。
本格的な連休も今日で終わり。レンタカーの数も、心なしか少なくなったような気もする。

米原に戻ると、最後まで残っていたファミキャンもいなくなっていた。
周囲には無人になったONさんのテントだけ。
ONさんは今夜はOTさんのホテルに泊まるので今夜は一人か。

梅雨に入ったというものの、米原では日差しがある。
浜に出るとたくさんの人がいたので僕も泳ぐことにした。
しかしまた風が強くなったので20分ほどで海から上がった。
その後汚れていた炊事場を掃除し、散乱していたゴミを拾った。

それからなんとなく調子が悪いような気にがしたのでしばらく休んでいた。
7時前、ご飯を炊いて夕食にし、食べ終るとシャワーを浴びた。

すっかり暗くなると、最後まで残っていた若者たちのデイキャンパーも帰っていった。

米原の混雑を嫌って帰ったり避難してしまったキャンパーもいて、
テントの数は連休前より少なくなってしまった。

聞こえるのは風の音だけ。こんな静けさは久しぶり、いや初めてかな。
今夜は早めに寝ることにしよう。

静かなGW 2005,5,4
夜中に目が覚めた。時計を見ると午前2時。
んんっ、2時?おかしいぞ、人の声がしない。静か過ぎる。
改めて時計を見直すが、やはり午前2時。
静かなのに越したことはないのだが、毎年この時期は朝まで賑やかだったのにな。
ちょっと拍子抜けだ。まあうるさくて寝られないよりずっといいが。

周囲の声で目が覚めたのが6時過ぎ。僕も起きあがってコーヒーを沸かした。
そういえば昨夜は涼しくて寝やすかったな。
テントから出ると薄曇りだがいつものことだ。今日もいい天気になりそう。

朝食の後、ONさんとTBさんを案内してマーペに登ることになった。
僕が先導して峠を越えて伊野田にぬけ、伊野田キャンプ場を偵察。
キャンパーのほとんどはブルーシートを張った長期組。
米原の混雑を嫌ったと思われるキャンパーも見受けられた。

それから野底林道に入り、登山口にバイクを止めて登り始めた。
10分弱で頂上に到着。ややガスっているが、平久保まで見渡せる。
初めてきたONさんたちはその美しさに感動していた。

しばらくパノラマを楽しんでから下山。米原に戻ってきた。
軽くお昼を食べてから僕は街に向かった。
そして今日も開南の無人販売に寄ってパインを買った。

今日は100円のピーチパインもたくさんあった。
それしにてもパインには習慣性があるのだろうか。つい寄って買ってしまう。
テントにパインが最低1つはないと不安になってしまう。

街に入ると強烈に暑い。マックスバリューで買い物をした後、スタンドで給油。
そして帰ろうとセルボタンを押すが、反応が鈍く、カチカチカチっとイヤな音。
うわーっ、またバッテリーが上がってしまった。もう寿命かもしれないな。

仕方なく勢いをつけて押しがけを試みたが、なぜかかからない。
よく確かめるとキーがオフになっている。これじゃあかかるわけないな。
それだけでもう汗だく。もう押しがけする気力もなくなった。
そこで再びセルボタンを押すと、一瞬だけセルモーターが周りエンジンが始動した。
ふーっ助かった、でも毎回これじゃ疲れるな。

それから川平回りで米原に戻った。
あまりの暑さに耐えられず、すぐに水着に着替えて海に飛びこんだ。
来たころに比べると水温も上がり、魚も格段に増えてきた。
30分ほど泳いでから海から上がった。

その後はONさんたちとダべリング。
6時前に夕食を食べ、食べ終わると蚊の攻撃を避けるため浜に避難。
残念ながら水平線近くは雲が厚く、川平に沈む夕日は見られなかった。

しばらくすると、ぱらぱらと雨粒が落ちてきたので急いでバイクにカバーをかけ
洗濯物をタープの下に移動した。
どうやら通り雨のようで、15分ほどで雨は上がった。
おかげで気温が下がって心地よくなった。

その後シャワーを浴びてすっきりした。

それからONさんたちとダべリング。
ONさんとOTさんは昼間からずっと泡盛を飲んでいるので9時半過ぎにはダウン。

僕もテントに戻ったが、周囲の話し声もそれほど気にならない。
毎年これくらいだったらよかったのにな。

明日はファミキャンのほとんどは撤収するだろう。


ヤシガニの味 2005,5,3
梅雨に入り、八重山も曇りの朝を迎えた。風は無く静かだ。

今日から連休後半。朝から続々と家族連れがやってきた。
しかし朝方ちょっと雨が降ったせいか、出足は例年ほどじゃない。
まあこの程度なら快適に過ごせそうだ。

朝食を食べ終わり、4人集まって昨日捕まえたヤシガニを取り出しに行った。
恐る恐るコインロッカーを開けると、扉のすぐ前に丸くなっていた。
ONさんが背中を持って出そうとすると、急に目が覚めたように威嚇の態度をとった。

手で持つと危険そうなので、ぺグで挟ませて発泡スチロールの箱に入れた。
しかしこのヤシガニどうしようか。小さくて4人で食べるほど身がなさそうだし、
絶滅危惧種とも聞いた。コイツを食べてしまうにはしのびないな。
サイトに戻り、しばらくヤシガニを観察してそどうするか決めることにした。

その後も家族連れがかなり来たが、撤収する人も多く、それほど密集はしなかった。

2時過ぎ、雲が薄くなりわずかに日差しが出てきた。
OTさんは泳ぐ気満々だ。僕も誘われたのでTBさんと3人で泳ぐことにした。
ONさんは二日酔い+朝から飲んでいたのでテントから足を出して寝ていた。

海に入ると水が冷たい。日差しが無い分寒く感じる。
波も高くリーフエッジまで行けないので、20分ほどで海から上がった。
シャワーから出てくると青空が広がり暑くなってきた。
あれれ、まあこんなもんだな。

髪が乾いたので今日も開南の無人販売へ。
今日は品物は増えて得ていなかった。
100円のピーチパインは虫がいっぱい付いていたので止めて、スナックパインを二個買った。

それから野底の先の無人販売へ行ってみたが、未だパインは出ていなかった。
それにしてもレンタカーが多いな。
島中のレンタカーが全部走っているんじゃないかな。

キャンプ場に戻り、スナックパイン?を食べてみた。
味はピーチパインと似ているが、芯が若干多いような気がした。
それと実が小さいので手でちぎっては食べられなかった。

暗くなり、夕食を食べ終わるとONさんがヤシガニの料理を始めた。
ぐつぐつと30分ほど煮込むと、噂に聞いた通り真っ赤になった。
そのほとんどはONさんが食べたが、僕も足を少しだけ食べてみた。
味はカニと似ていて美味しかったが、後味がどうも気になった。

梅雨入りしたものの、空には満天の星空が広がっている。
風が北に変わったためか、今夜は涼しくて気持ちいい。
それに鳴り物やカラオケ、それに大騒ぎする人もなく快適だ。
今年はこのまま無事GWが過ぎてくれればいいな。

明日もいい天気になりそうだ。

リベンジヤシガニ 2005,5,2
沖縄地方は今日梅雨入りしました。


ようやく風が収まった。青空の朝だ。やれやれ、やっと静かになったな。

7時ころテントから出て早速ヤシガニを見に行った。
そしてONさんがいたので「おはようございます」と挨拶をした。
しかし応答は"おはよう"ではなく、「逃げられたー」だった。

ヤシガニを捕まえておいた発泡スチロールの箱を見ると、
側面に穴が開けられ、縛っていた紐も引きちぎられていた。

ありゃーっ、まさかこんなことになるなんて。
ふたの上にはおもりの石を乗せ、万一のことを考え紐で縛っておいたのに。
これは悔しくてたまらない。せっかく4人がかりで捕まえたのに。
それにしても恐るべきヤシガニ。今夜のリベンジを約束した。

朝食を食べ終わりしばらくすると中学生が大挙してやってきた。
おっ、今年も来たな。これからバーベキューをするようだ。

しばらくすると気温も上がり、暑くなったので水着に着替えて海に入った。
水も澄んでいて魚もかなり増えてきた。
しかしイヤなヤツも出没する。ウミヘビだ。
襲っては来ないとわかっていても、コイツを見ると逃げずにはいられない。
今日は風は無いが、波が高いのでリーフエッジには行かなかった。

海から上がるともうお昼だ。OTさんとTBさんと知花食堂に行くことにした。
しかしONさんの姿が見えない。どうやら酔っ払ってテントで寝ているようだ。

知花食堂で焼きそばを食べながらテレビを見ていると、耳を疑いたくなるニュース。
沖縄地方が梅雨入りしたという。平年より6日も早い梅雨入りだった。
あーあっ、もうそんな時期になってしまったか。こっちはこんなに晴れてるのに。
でも予報は当たらないからな。

食事を終えると僕は街に向かった。
途中日課となった開南の無人販売へ立ち寄ると、100円の籠に変なパインがあった。
普通のパインより黄色いスナックパインだ。
ようやくこれも値段がこなれてきたな。程度の良さそうなのを1つ選んで買った。

街に着きまずはダイソーで野菜ジュースとタモを買った。
これで崖にいるヤシガニも捕まえることができる。
そして隣のマックスバリューでバナナとレトルトのタコスを買って米原に戻った。

すると大分のYSさんがバイクで近くにやってきた。
楽園が暑くてたまらないのと、知りあいがいると思ってきたという。
しかしその人はすでに西表に行ったようで、ちょうで入れ違いになてしまたようだ。
とりあえず炊事棟で話をしていた。

しばらくすると中学生は撤収を始めた。
そして何人かが僕たちの方に来て「よかったら食べてください」と何かを差し出した。
見ると焼き鳥が20本ほど、他にも牛肉や味付きカルビもあった。
おおっ、今夜は久しぶりにマトモな飯が食える、と3人で声を合わせた。

中学生は全員帰っていったが、炊事場は汚れたまま。
また今年もか。でもまあ肉ももらったから掃除してやるか。
僕は2つの炊事場を水を流して掃除した。
隣の炊事棟にはもうひとつ置き土産の"洗剤"があったのでありがたく頂戴することにした。

それからONさんのテントの前に集まったり、
ハンモックに揺られたり、ゆったりとした時間が流れていった。

薄暗くなると5人集まって焼肉の開始。
とりあえず僕とTBさんはご飯を炊いた。
まずは焼き鳥から。しかしONさんとOTさんは激辛好き。
段ボールのテーブルには各種のオレンジ色の調味料が乗っている。

塩コショウで味付けした後は島とうがらし。これは強烈。
少ししか塗っていないのに激辛だ。
ワインや島酒を飲みながら、僕たちの周りはいい匂いに包まれていた。
その後肉や焼きそばを作っているともう9時半になってしまった。

みんな酔っ払っているのでしばらく休んでからヤシガニ捜索に出発した。
ONさんがタモ、僕はクマデ、TBさんが箱を持って5人で出発。
まず西側の崖。しかし今日はなぜかヤドカリも少ない。ヤシガニは見つかるかな。

しばらく平らな所を探していたが、一向にみつからない。
昨日はうじゃうじゃいた巨大ヤドカリもほとんどいない。
仕方なくまた崖登り。しかし気配が感じられない。

今日はいないかなあ、と思ったとき、OTさんが「いたいた」と叫んだ。
ヘッドランプの照らしている先を見ると、崖の上の方にヤシガニが張り付いていた。
おおっ、ヤシガニだ。すぐにONさんが駆けよってタモで確保。
そして僕がクマデで押さえつけた。

しかしここからがやっかいだ。ヤシガニがタモの網を挟んで離さない。
そこでぺグで興味を誘い、ぺグを挟ませてようやく引き離し箱に収納した。
やったー、リベンジだ。ちょっと小さいがまあいいか。

その後東の隅まで行ってみたが、ヤシガニは見つからなかった。

今度は絶対に逃がすわけにはいかない。
そこで僕が思いついたのはコインロッカー。
一部はタダで使えるので今夜はそこに閉じ込めておくことにした。
さすがに鉄は破ることはできないだろう。

やれやれ、これですっきり寝ることができるな。


ヤシガニをGET 2005,5,1
今日から5月。GWも本番になってきた。

昨日からの南よりの強風は、朝になっても吹き止まなかった。
テントの変形を防止するため、前後の出入り口を開けていたため、
朝目が覚めるとテントの中は砂と葉っぱだらけ。だけでなく頭も砂まみれになっていた。

7時前、テントから出ると、ONさんが今日の未明、ビーチの隅でヤシガ二を発見し、
捕まえようとすると岩の下にもぐりこみ、一人では岩が動かせず諦めたという。
そこで二人で行ってみて岩をどかしたが、すでにヤシガ二は居なかった。
代わりに綺麗な貝をいくつか見つけることができた。早起きは三文の徳、かな。

朝食を食べ終わり、しばらくまったりしていると、ONさんがヤシガ二探しに行こうと言う。
あとOTさんも一緒に加わり3人で鍾乳洞まで行ってみた。
しかし夜行性のヤシガニは発見に至らず、収穫はヤドカリ二匹だけだった。

それから暑くてたまらなくなり、水着に着替えて海に入った。
しかし潮の流れに加え、リーフ内でもウサギが跳ねるほどの強風。
必死に泳いでもほとんど進まない。
クロールで泳げば少しは進むが、シュノーケルに水が入ってきてしまう。
観光ビーチの方まで行ってみたが、泳いでいるのは僕たちだけ。

しばらくすると遠くからワニの乗り物が流されてきた。
それを追いかけて浜を走ってくる人も見える。
僕は進路に先回りして確保しようとしたが、僕のすぐ前で舞い上がり捕まえられなかった。
ワニはどんどん沖に飛ばされていったので、追いかけていた人もしばらくすると諦めて帰っていった。

危険なので沖には出ず、折り返してきた。
帰りは楽チン。浮いているだけで勝手に進んでいくよ。
後でラジオを聞いていると、波浪注意報がでていたようだ。

軽くお昼を食べてから街に買い物に向かった。
とりあえず開南の無人販売で今日もパインを買い、マックスバリューへ。
食パンとカフェオレを買ったが、製氷機には少しの氷しかなかった。
仕方ないので登野城店へ行くとクーラーボックスいっぱいにあったので、
シークヮーサージュースを一本買い、氷をたくさんもらってきた。

街中は米原と比べると風が弱かった。

米原に戻ると見かけたことのある車が止まっていた。
その人とONさんたちが話している。
聞くと20年来の米原キャンパーで、島の人と結婚して石垣で暮らしていると言う。
だからここで見かけたことがあったのか。
しばらく一緒にはなしをしていた。

ここが風が強いのは、南風のとき山の谷間を通った風が吹き降りてくるかららしい。
まるで羅臼おろしみただな。

陽が沈んだころ、ようやく風が収まった。と同時に蚊が大量発生。
足を数個所くわれ、かゆくてたまらない。
液体ムヒの風呂があったら入りたいくらいだ。

辺りがすっかり暗くなってから、4人でヤシガニ探索に出かけた。
最初浜のずっと東の方に行ってみたが、見つかるのは巨大なヤドカリばかり。
諦めて今度は反対側へ。観光ビーチからさらに西へ行ったところで、
ONさんが「いたーっ、捕まえた」と声を上げた。

3人が駆けよるとONさんがヤシガニを棒で押さえつけていた。
そしてOTさんが足で背中を抑え、僕はペグをハサミで挟ませ戦闘能力を喪失させ、
TBさんが箱のふたを開け、僕がペグ挟んだままのヤシガニを箱に入れ、
TBさんがふたを閉めて確保。4人がかりの勝利だ。

その場にOTさんとTBさんを残し、さらに探索を続けた。
僕とONさんが崖を登っていると、ONさんが再び「いたいた」と叫んだ。
少し離れた所で探していた僕はすぐに駆けつけたが既に逃げられていた。
そこにはヤシガニの紫色の足が一本残されていた。
周辺を入念に探索したが、結局見つけられなかった。

残念だがこれ以上奥へ行くと危険だ。
まあ一匹確保できたから良しとしよう。
4人で勝利をかみしめながらサイトに戻って来た。

そして管理棟に入り、扉を閉めて逃げ口を無くして箱を開け、足の間に紐を通して縛った。
これで逃げられないだろう。
念のため箱に入れ紐を木に縛りつけて明日を待つことにした。

昨日の予報では明日は雨だったのに、さっきの予報では晴れになっていた。
夜中になって再び風が強くなってきた。
それにしてもこの時期にこんなに風が続くことは初めてだ。
早く収まってほしいな。