やじさんの日記帳 2004年5月
長崎は今日も・・・ 2004,5,31
夜中に稲光と雷を感じた。それから強烈な雨。そのうち風も出てきた。
屋根下にテントを張れてよかったよ。
しかし横なぶりの雨が外側のフライシートに叩きつけていた。

5時半過ぎ、まだ薄暗い中目が覚めた。雨は小降りになっている。
もうちょっと寝ていたいな。でもここは道の駅だ。すぐに撤収開始。
荷物を外のテーブルに出し、すべてビニール袋に入れた。

今度はテントだ。幸いフライは濡れているのは1面だけ。
本体もそれほど濡れていないので、昨日に比べ撤収はスムーズだった。
7時前には全て準備完了。でも出発にはまだ早い。

自動販売機でペーパーカップコーヒーを飲み今日の予定を考えていると、
突然雨風が強烈になってきた。なんだこれ、前線が通過しているのかな。
それでも7時過ぎにはピークを過ぎ、風雨が収まってきた。

7時20分、小雨の中道の駅を出発。R324を東進し、天草パールラインに出た。
2号橋から5号橋のあたりは、まるで東北の松島のようだった。
これで天気がよければ最高なのにな。残念だがまたいつか来られるだろう。

1号橋を越え、そのままR266を走っていると、海岸には消防車とたくさんの車。
よく見るとパトカーも1台いて、海にも小さな船が何隻も出ていた。
みんな何かを探しているようだ。誰か流されてしまったのだろうか。

その先の道の駅不知火で休憩。松橋から北上し熊本港に向かった。
給油した後、取り付け道路に入ると雨が強烈になってきた。
シールドに当たる雨粒がパチンパチンと音を立て、体に当たると痛みを感じるほど。

何とか熊本港に到着すると、次のフェリーの出発まであと3分。
タイミングがいいのやら悪いのやら。2日続けて駆け込み乗船だ。
平日ということもあって、船内はガラガラ。うとうとしているうちにもう島原港だ。

車両甲板に降り合羽を着込んだ。
そしてR57を雲仙方面に走り始めるが、寒い。
標高が上がるにつれ、寒さに加え、霧が濃くなりほとんど前が見えない。
何なんだこの寒さ。昨日はあんなに暑かったのに。これじゃ全然おもしろくない。
途中温泉でも入ろうかと思っていたが、その気力も失せた。

雲仙温泉郷から近道と思って県道128に入るが、これが狭くて暗い。
おまけにすごいワインディングで却って時間ばかりかかっているようだ。
もう、ただ走っているだけ。そんな感じになった。

何とか国道251に出て西進、途中唐比温泉に寄ろうと思ったがパス。先を急ぐ。
長崎市街に入り、橘湾沿いの県道34に乗った。
ますます寒くなり、狭い道にうんざりしてきた。
それにチェーンも伸びて異音がし始めた。うーん、どうしようか。
野母崎まで行こうかと思ったが、こりゃダメだ。軍艦島を見て戻ろう。

しかし茂木湾を過ぎたころ、その気力も無くなった。
寒い、もう限界。市街地にってネットカフェにでも駆け込もう。
来た道を引き返し、R324に乗って市街地を目指す。
途中考え事をしていて赤信号の発見が遅れ、そのまま通過して信号無視。
ヤバイヤバイ。車が来てなくてよかった。

市街地に入るが駐車場のあるネットカフェが見つからない。
雨も強烈になり、合羽を来ていてもシャツが濡れてきた。
ついにはアイドリングも不安定になる始末。ああ、もうイヤだ。
何でこんな雨の中走らなきゃならないんだ。

雨も止まないし、店もみつからないし。おまけにバイクも調子悪い。
もう帰りたくなってきた。北九州からフェリーに乗って帰ろうか。
とりあえず北上しよう。・・・ああああー、ナガサキーはー、今日もー、雨だった。
そんな歌も頭に浮かぶ余裕は無かった。

高速道路の入口を見つけたのでゲートを通過。
長崎自動車道に入った。バイクで高速なんて久しぶりだ。
合羽を貫くほど強烈な雨。何のために走っているのかわからなくなる。
しかししばらく走ると雨は小降りになってきた。

案内標識では福岡まで100キロたらず。んんっ、これなら1時間で着くな。
そうだ、福岡のバイクステーションに泊ろう。あそこなら安くてランドリーもある。
サービスエリアに駆けこみ公衆電話で予約した。

そして筑紫野インターで降り、渋滞した道を抜けて5時過ぎにようやく到着。
やっと今日は屋根の下で寝られるな。
受付を済ますと料金は2100円。あれっ、一昨年来た時は1000円じゃなかったかな。
気のせいかな。まあシャワーもあるし、ランドリーも無料だからいいか。

向かいにあるレッドバロンに、チェーンの調整をお願いした。
アイドリングの不安定はいつの間にか治っていた。
しばらくしてバイクが戻って来た。工賃は945円。
これですこしは調子よく乗れるな。

その後、自転車を借りて近くのスーパーに買い物に出掛けた。
見切り品の弁当と、昨日温泉に忘れてきてしまったヘアーブラシを買った。

コミュニティールームには2人の人が来ていたので話しをしていた。
ここに来る人はみんなライダーなので話し会う。
二人とも沖縄に行こうか迷っていたようなので、僕が八重山の素晴らしさを披露した。
すると洗脳された彼等は完全に沖縄モードに入った。
クルーズシステムや、琉球海運のライダー割引のことを話すともう行く気満々。
いままで立てていたこれからの予定を全てキャンセルし、沖縄へ行くことになった。
たしか先月も僕が3人ほど八重山病にしてしまったな。

話しは尽きず、10時過ぎまで話しをしていた。
その後シャワーを浴びて洗濯をした。

明日は天気が良さそう。結果的に帰らなくてよかったな。

キャンプ場が… 2004,5,30
夜中中稲光と雷が続いていたような気がする。
時折雨が強くなり、撤収のことを考えると気が重くなった。

目が覚めて時計を見ると5時半過ぎ。まだ早いなあ。
いや、ここは道の駅だ。それにちょうど雨が止んでいる。
すぐに起きあがり、荷物を全て東屋の下に移動。そしてテントも移動。

そしてフライに付いた水滴をタオルで拭き取った。そしてフライを外し、ポールを抜いて解体。
あれっ、底から少し浸水しているな。雨の時は下にブルーシートを敷かない方がいいようだ。
テントがビショ濡れなので撤収に手間取った。でも少し薄日もさしてきたよ。
ある程度収拾がつくと、コーヒーを沸かしてパンを食べた。
結局パッキングが終るまでに2時間近くかかってしまった。

7時半過ぎ、道の駅を出た。R226を南下し、指宿を目指す。
雨の予報で期待はしていなかったが、辺りは霧に包まれ幻想的だ。
沖合にいる船が、まるで宙に浮いているように見える。

途中、殿様湯の看板に引かれ、脇道に入ったがなかなか見つからず。
何度か行ったり来たりして見つけたが、まだ開いていなかった。

指宿の市街を通りぬけ、山川港を回りこんだ。
天気予報はどうなったのか、日差しが出てきた。湿度も高く、止まると熱い。

開聞岳が見えてきた。しかし中腹より上は雲の中。
開聞山麓自然公園のゲートの手前を左に入る。
何だかジャングルの中に突入するようだがその先はトンネルになっている。
狭く、随分長いトンネルだが灯りは無い。
その代わりに天井に数メートル間隔で灯り取りの四角い穴がある。
そこから植物の蔓か根が垂れ下がっていて不気味だ。
その上はいったいどうなっているのだろう。

しばらく行くとビニールハウスの骨格の中のような所に出た。
何だここは。ビニールをかけたら温室になるよ。
その先もトンネルになっていて、トンネルを抜けると狭い曲りくねった道。
こういう所は僕は大好きだ。本当にジャングルの中にいるようだ。
途中の退避所で止まり、シャツを脱いでTシャツ1枚になった。それでも暑い。

開聞岳を回りこみ、再びR226に乗ってひたすら西進。
坊津町に入り、北上し始めると峡路のSSになってきた。

途中のパーキングにはなぜかショーンコネリーや丹波哲郎のサインの入った石碑があった。
007は二度死ぬ、とも刻まれていたが、この地と何か関係があるのだろうか。

それにしても急カーブの連続で、いくら走ってもなかなか進まない。
ここでかなりの時間を要してしまった。

笠沙町に入り高崎鼻を回りこみR270に乗って北上開始。
何箇所かのキャンプ場に寄ってみたが、この時期は閉鎖中。
九州のキャンプ場は夏だけしか営業していない所が多い。

市来町からはR3だ。といっても高規格道路ではない。
道の駅阿久根で休憩、さらに北上する。天気がいいうちにできるだけ北に行きたい。
水俣方面には行かず、R389に乗り黒之瀬大橋を渡り長島に上陸。
交通量の極めて少ない快適な道を北上。

見晴らしのいい所にあった道の駅長島で休憩。
案内板を見ていると、毎時00分に牛深行きのフェリーがある。
今13時52分。間に合うかわからないがとにかく行ってみよう。

蔵之元港が近付くと、数十年時代が逆戻りしたような世界になった。
橋で陸続きにはなったが、こちら側はまだ孤島の雰囲気が残っている。
いつか再びここを訪れた時、このまま変わらぬ"島"であって欲しい。

フェリー乗り場に付くと、すでに1時59分。
もうダメかな、と思ったら、係員に乗船券を買うように指示された。
窓口に行って乗船券を買い、フェリーに乗りこむと車はバスを含む5・6台。
こんなんじゃ採算取れないな。これじゃ航路が次々に廃止になるよな。

30分ほどで対岸の牛深に到着。車両甲板に降りていった。
バスの乗客のおばちゃんたちが、僕のバイクを見て「大きいねえ」と驚いていた。

さて今日はどこに泊ろうか。
竜洞山にキャンプ場があるから行ってみよう。
牛深の市街地はいい雰囲気。なんと説明したらいいかわからないが、
僕はこの街に一目惚れしてしまった。

市街地を抜けR266を北上。
道幅は広く、適度な高低差とカーブ。思わずアクセルを開いてしまう。
三軒家から海岸線に出るため脇道に入った。
しばらく進むとまたしても林間SS。これは楽しい。
でもルートを外すと復帰は不可能。発見されるかどうかも怪しい。

海岸沿いの県道26に出ると、これぞリアス式海岸。
急峻な山が海に落ち、平らな所が全く無い。小さな入り江がたくさんある。

この辺りは昭和40年代の雰囲気をよく残している。
僕が小さいころ育った街を思い出す。頭の中に新日本紀行のテーマが流れてきた。
初めて来たのになぜか懐かしい感じのした所だった。

海岸沿いから山岳部のワインディングをひたすら進み、
1時間近くかけてようやく"ふれあいの里緑の村キャンプ場"に到着。
んんーっ、開いてはいるがかなり人里離れたキャンプ場だな。
それに誰も泊っていないようだし。ここはちょっとなあ。
こりゃまいったぞ。この近くにはもうキャンプ場は無いな。

ツーリングマップルで検索。よく見ると西海岸の白鶴浜はキャンプできそうだ。
明日は雨の予報だから、できるなら東屋のある所がいい。
それに温泉も近くにある。とりあえず行ってみよう。

来た道を戻り、田中港から北上、またしてもSSを通過しR266に出て南下。
途中スピード違反の取り締まりか、停止係とパトカーの姿が。
何キロ出ていたかわからかったが、幸い止められる事はなかった。やれやれ。

R389に入り、いくつかの天主堂を目にした。
なぜこんな漁村にこんな建物があるんだろう。

そして白鶴浜と思われる場所に到着。
しかしキャンプ場の受付は閉鎖されていた。
中を偵察すると、トイレもシャワーも使えそう。でも炊事場は工事中。
うーん、屋根下にテントを張れないことはないが、バイクが乗り入れられない。
内地にはいいキャンプ場が少ないな。

さてどうしたもんか。ちょっと北にもう一つキャンプ場があるが。
そこに行って見てダメだったらユースにでも泊ろうか。
下田温泉郷を通りぬけ、とどろき万太郎村キャンプ場を探す。
しかしなかなか見つからない。どうやら道を間違えたようだ。

案内看板まで戻ると、分岐矢印の反対側に書いてあるから間違えたんだ。
正しい方向に行ってみたが、かなりの山奥。おまけに誰もおらず閉鎖状態。
ダメだあ。どうしようか。もう5時だし。

ツーリングマップルで再度検索開始。
ちょっと遠いが道の駅がある。そこがダメだったら宿にしよう。
海岸沿いのR324を飛ばし、50分ほどで道の駅有明に到着。
ここは温泉もあり、屋根の下になんとかテントも張れそうだ。
それにコンビニもすぐそばだ。今日はもうここに決めよう。

とりあえず弁当を買って食べた後、温泉で汗を流し、外のテーブルで日記を作成。
9時を過ぎたので温泉も営業を終了。テントを張って休むとしようかな。

明日は全国的に雨の予報だな。

九州に上陸 2004,5,29
6時過ぎ、目が覚めたのでベッドから出て外を見てみた。
霞んでいてよく見えないが、窓には水的が次々と付いてくる。
雨かあ。少し青空も見えるけど、鹿児島に着くころには止まないかなあ。

ベッドに戻り、再び目が覚めたのが7時過ぎ。そろそろ準備をするか。
荷物をまとめ、身支度を整えた。島と違ってTシャツに半ズボン、てな訳にはいかないな。

そして7時50分ころ、鹿児島港入港のアナウンスが入った。
アナウンスが入ると通常はロビーが人でいっぱいになるが、今日はガラガラ。
何しろ13人しか乗ってないからな。

珍しい?ことにほぼ定刻に接岸した。
そしてタラップで一度地上に降りてから、船尾のランプウェイに向かった。
岸壁ではたくさんの巨大なフォークリフトが行ったり来たり。
その合間を縫って歩いていく。

しばらく待っているとランプウェイが開いたので乗りこんだ。
とりあえず荷物をビニール袋で防水しバイクに積みこんだ。
そしてついに九州に降り立った。と思ったら雨が降ってきた。
ヤバイ、どこか屋根の下で合羽を来よう、と走りだすが、出口のバーに阻まれた。
あれっ、駐車券か何か無いと出られないぞ。

仕方なくバックしていると、係の人が来てカードを持ってきてくれて出ることができた。
そして正面の屋根の下にバイクを止め、合羽を着込んだ。
約1ヶ月前旅に出てから初めて着る合羽だ。

小雨の降るターミナルを出て、桜島桟橋に向かった。
懐かしいなあ。一昨年の10月、屋久島に向かう時にも乗ったな。
そういえばあの時も雨だった。

桜島に着き、南下して本州最南端の佐多岬を目指す。
しばらく雨の中を走り続けたが、神川キャンプ場に着くころには雨が上がった。
入口がわからず通りすぎてしまい、Uターンしてキャンプ場を確認。

海岸沿いで、設備もきれいでなかなかいい所だ。それにこの時期は無料。
管理人のおばちゃんは「今は無料だからゆっくりしていきなさい」と言っていた。
でもまだ10時、テントを張るにはまだ早すぎる。

東屋の下にはBMWのオフ車に乗った人がいて、しばらくするとこっちに来た。
話しをすると、僕と同じくこれから佐多岬に向かうという。「また後で」と挨拶をして去っていった。

道の駅根占に着くころには路面もドライ。
合羽を脱ぎ捨てネットに挟みこんだ。
気温も高く、なにしろ湿度が高い。蒸し暑い、半袖でも十分だ。

海岸沿いの国道269を南下し、有料区間に入った。料金は400円。
椰子の木など南国ムード満天。しかし沖縄のような巨大な羊歯類は見当たらない。
南国、というよりトロピカルムードと言った方が適切かもしれない。

アップダウンの激しいワインディングを進むと駐車場に出た。
そしてトンネルを通ろうとすると、また100円徴収された。
トンネルを抜けると歩道なった。階段やらアップダウンの大きい傾斜した道。
汗がボトボト落ちてくる。暑い。

息を切らせながら何とか展望台にたどり着いた。
そこから見下ろす海は確かにきれいだが、米原に比べると・・・だ。
海面近くも霞んでいて、島は一つも見えなかった。

岬を後にし、北上。途中雨が降ったり止んだり。
その度に合羽を着たり脱いだり。面倒だなあ。

指宿方面に渡るために根占のフェリー乗り場を探す。
しかしなぜが案内看板がどこにもないので通り過ぎてしまいUターン。
地図を頼りに何とか着いたものの、なんとこの航路は廃止されていた。

あぎゃあーっ、ここから向こうに渡れないと、ずっと遠回りしなきゃならないよ。
このツーリングマップルはだいぶ前のだからな。やっぱり最新版じゃなきゃダメだ。
向こう岸は見えているのにな。仕方ない、垂水まで行くか。

来た道を戻り、垂水から鴨池までフェリーでワープ。
それから南下して生見キャンプ場を探す、が看板も無く見つからない。
おかしいなあ、確かにこの辺りなのに。ツーリングマップルが古いからかな。
よく見ると、それらしき海水浴場はあるが、ちょっとキャンプはできそうもないよ。

仕方なく来た道を戻り、戻り喜入の森キャンプ場に行ってみるも、
フリーサイトは無いと言われ断られた。
でもそこのおじさんが、道の駅喜入は広場があってキャンプできると教えてくれた。
それじゃ今日は道の駅に泊ろう。タダだし。

道の駅に行ってみると、確かに大きな芝生の広場があり、トイレも水道もある。
おまけにスーパーも酒屋も、そして温泉まである。こんなロケーション他に無いな。
中に入り、パンフレットを見ると、キャンプ場はあることになっている。
おかしいなあ、見逃したのかな。

まだ時間があるので再び南下。
海水浴場を確認し、入ってみるとキャンプ施設は積み上げられたまま。
どうやらキャンプは夏季だけのようだ。

生見小学校から脇道に入り、県道17号方面に向かった。
そして県道17号に乗ると、何と素晴らしい見晴らしだ。
標高も適度に高く涼しい。交通量も少なく高速コーナーの連続で、たまらなく楽しい。

料金所の手前で右折。道の駅喜入に戻って来た。
お腹が空いたので、近くのスーパーに行き半額の弁当とパンを買って駐車場で食べた。
しばらくはラジオを聞きながら川沿いの景色を眺めていた。
広場ではキャッチボールやサッカーをしている人達もいた。

7時になったので道の駅に併設されている温泉に行った。入浴料は300円。
温泉から上がり、8時半ころまで2階の休憩所でまったり。

外が真っ暗になったので、温泉を出て駐車場に戻りテントの設営。
まだ蒸し暑いのでチューハイでも、と思ってスーパーに行くが売っていない。
酒屋は既に閉まっていた。飲みたい時に買えないと悔しいな。

しばらく階段に座り、ラジオを聞きながら川を眺めているた。
川面のに映る対岸のナトリウム灯が揺らめいて、まるで蝋燭の火のようだ。
叢では虫の声も聞こえる。

空には僅かながら星が見える。
九州は平年より早く梅雨入りしてしまった。島抜けのタイミングを見誤ったか。
晴れることはあまり期待できないが、せめて雨が降らなければいいな。

いつかきっと 2004,5,28
夜中に怖い夢を見た。
上空を飛行する航空機から爆弾が次々に投下され、逃げ惑う夢。
何とかコンクリートの構造物の陰に身を寄せ、辛うじて被弾せずに済んだ。
そんなことを何回か繰り返しているうちに目が覚めた。

なぜこんな夢を見たのだろう。
船の揺れとエンジン音が原因か、それともここが沖縄だからなのだろうか。

6時半過ぎ、ベッドから出て甲板に上がった。
雲が多いながらも青空も見える。風はまだ沖縄の風で、少しの安堵感。

7時半前、那覇港到着のアナウンスが入ったので、荷物をまとめ
ロビーに出ると米原にいたMUさんがいた。
僕はMUさんの横に座り、下船が開始されるまで話しをしていた。

MUさんは那覇に数泊してから鹿児島に向かい、屋久島に行くという。
懐かしいなあ。一昨年旅に出て、10月下旬に僕も屋久島を訪れた。
あのころの想い出が鮮明に蘇ってきた。

下船が開始され、一度タラップで地上に降りてから車両甲板に上った。
そしてバイクに荷物を乗せ、横にいたMUさんに「またどこかで」と一言挨拶して下船した。

約1ヶ月ぶりの本島だ。日差しは相変わらず強い。
時計を見ると7時40分。珍しく定刻よりも早く着いたよ。
とりあえずターミナルに寄ってみるが、まだ窓口は開いていなかった。

僕は沖縄最後の時はいつも波之上ビーチに行くことにしている。
港に近いだけじゃなくて、何か惹かれるものがある。それが何かはわからないが。

安謝港から泊大橋を越え、若狭公園の前にバイクを止めた。
そして防波堤の上に座り、パンを食べながら缶コーヒーを飲んだ。
海を眺めていると、前方を旅客機が通過。そうだ、瀬長島に行ってみよう。

バイクに戻り、走り始めると上空を黒い雲が通過している。
そのうちパラパラと雨が降りだした。でもそのうち止むだろう。
と思ったのだがだんだん強くなってきた。ありゃりゃ、こりゃヤバい。
泊大橋を降りた辺りで左折し、若狭公園の東屋の下にバイクごと駆け込んだ。
やれやれ、ここで雨宿りだ。雲の流れが早いのでそのうち止むだろう。

15分ほどすると雨も止んだので瀬長島に向かった。
気温の表示は27度。蒸し暑いが高架の上はスピードが出せて快適。
あっという間に瀬長島の海中道路に着いてしまった。

とりあえず誘導灯の切れ目にバイクを止め、滑走路の方向を眺めていた。
今日の風向きではこちらに向かって離陸する。
この時間は着陸ばかりで旅客機の離陸が無いようで、海保などのプロペラ機ばかり。
大型のジェット機に比べ迫力が劣る。

ようやく国際線と思われる中型のジェット機が離陸。これはなかなか迫力がある。
しかしその後は何か様子がおかしい。
滑走路上に小型機が4機も出てきた。何だ何だ、一度に4機も、いったいどうなってるんだ?
まず先頭の子型のプロペラ機が飛び立つと、その後には横に3機が並んでいる。
双眼鏡でよくみるとジェット戦闘機だ。

プロペラ機が飛び立ってまもなく、一番右の機のライトが点灯。
そしてすさまじい爆音と共に猛スピードで頭上を通過していった。
あの音は旅客機なんかの比じゃない。隣りの人とも話しができないな。
あんなのがしょっちゅう飛んでたらたまらないな。
その後数秒間隔で合計3機が離陸していった。
いったいどこに行くんだろう。
そういえば那覇空港は官民共用だったんだな。

その後はしばらく離陸も無さそうなので安謝港に行ってみた。
しかしまだ窓口が開いていなかったので再び波之上ビーチに。
白い砂、エメラルドグリーンの海、そして真っ青な空を目に焼きつけた。
この焼けつくような暑さもしばらくお別れだな。

10時半過ぎ、ビーチを後にした。また来るからね。
途中コンビニに寄り、ポーク玉子のお結びとハンバーガーを買った。

港に到着するも、待っている人が異常に少ない。
窓口に行き、乗船手続き。2等の洋室(ベッド)を指定した。

その後しばらくターミナル内をウロウロ。
カウンターに置かれたたくさんのドミトリーのチラシがなぜが懐かしく感じられる。

11時過ぎ、船に向かった。
船尾の辺りにバイクを止め記念撮影。
しばらくすると船員に積みこむよう指示されたのでランプウェイから乗船した。
今度バイクに乗る時は九州か。

必要な荷物を持ち、一度地上に降りてからタラップで客室に上がった。
やっぱり人が少ない。今日の乗客は13人という。
まあ那覇から鹿児島なんて、飛行機で行った方がずっと早い。
いくら安いとは言え、バイクや車以外、船で行くなんて変わった人なのかもしれない。

上部の甲板に出て正午の出航を待っていたが、今日も時間調整をするらしい。
出航予定は1時10分とのこと。一度船室に戻り、甲板でさっき買ったハンバーガーを食べた。
しばらく那覇の街を眺めていたが、暑くてたまらいので船内に避難。

そして1時5分、船内に蛍の光が流れる中、船は岸壁を離れた。
これから19時間の航海だ。
甲板に上がり、少しづつ小さくなっていく那覇の街を見続けていた。


初めて沖縄を訪れたのは、1996年の年末だったかな。
日本で唯一行っていなかった県に車で上陸したんだったな。
気候の温かさもさることながら、人々の明るさ、そして文化の違いにも驚いた。
そして98年に初めて八重山に到達した。
それから毎年吸い寄せられるように沖縄を訪れている。


船が北上するにつれ、島影が薄くなっていった。

部屋に戻ると同室の人も起きていて、話しをして過ごした。
その人は画家で世界中を回っていて、
今回那覇で展示会を終え、次の熊本に向かっているという。
もし日程が会えば、熊本の展示会場に行ってみようと思う。

ゆっくりとしたローリング。外洋独特の揺れ。
明日の朝にはもう鹿児島だ。



僕の沖縄暦
1996−年末年始:車:本島
1997−年末年始:車:本島
1998−GW:バイク:本島、石垣
1998−11:飛行機:本島、宮古、石垣
1999−02:飛行機:本島
1999−GW:バイク:本島、石垣
2000−GW:バイク:本島
2000−年末年始:車:本島
2001−GW:バイク:本島
2001−年末年始:飛行機:本島:南北大東島
2002−GW:バイク:本島、石垣
2002−06:飛行機:石垣
2002−10:バイク:本島、石垣
2003−04:バイク:本島、石垣
2004−04:バイク:本島、石垣

さようなら石垣 2004,5,27
午前3時ころ目が覚めてテントを出た。
空を見上げると恐ろしいほどの数の星。こんなにたくさんの星があったなんて。
ここにきて一番きれいに見えた星空だった。

7時前、目が覚めるとテントの内側に木の影が映っていた。
外が明るい。風も無い。テントから出ると快晴の青空だ。
最後の日に、最高の青空だ。海も凪いでいる。

炊事棟に行き、米原最後の朝食。トーストとコーヒー。
コーヒーを飲んでいると、KPさんからメールが入った。
今、有村の船は米原沖を航行しているという。

急いで浜に出てみると、肉眼でもはっきり船影を確認できるほど近くに見える。
双眼鏡を取りに戻り、再び浜へ。船名まではっきり読み取れる。
しかし人の姿までは確認できなかった。
僕はKPさんとNMさんの乗る飛龍を米原から見送った。

しばらく双眼鏡で船を見ていると、向こうの方から人が歩いてくる。
あのシルエットはタジマさんのようだが、どうもいつもと様子が違う。別の人か?
白いシャツに白い長ズボン、それにきれいなタオルを頭に巻いている。
シャツもズボンも真っ白。おまけにサングラスをかけリュックを背負っている。
しかしどう見てもタジマさんだ。いったいどういうことだろう。

だんだん僕に近付いてきて、挨拶をしようとするとタジマさんから話し掛けてきた。
「いつまでいるの?」 「今日の船で帰ります」 「あ、そう。琉球?」 「そうです」
「今日はスーパー日和だから、水・木は野菜が100円・・・」
今までこんなふうに気軽に話しかけてくれることもはかったのにな。少し嬉しくなった。

さすがにいつもの格好で街に行ったら、いくら石垣でも警察に捕まってしまうだろう。
話し終えるとタジマさんは観光ビーチの方へ歩いていった。

それからずっと西側にテントを張っているNKさんに挨拶に行った。

炊事棟に戻り朝食を終えると撤収開始。まずテント内の荷物を出して炊事棟に移動。
家に送り返す荷物を選別。そして持ちかえれないものは誰かに使ってもらおう。
”ご自由にお使い下さい”と書いた段ボール箱を設置した。

ある程度荷物の整理がつくと、今度はテントの撤収。
先に外側を雑巾がけしてからタープを取り外した。
そしてフライシートを外し、ポールを抜いてテントをたたんだ。

時々通りすぎていく人から「帰るんですか?」と声をかけられる。

ぐっと寂しさがこみあげてくる。やっぱりもう少しここにいようか。
いや、ここで退屈な毎日を過ごすのなら、やっぱり新しい場所に行こう。
もう少し居たい。そう思うころが帰り時だろう。

最後に下に敷いていたブルーシートを外すとすっかり更地になった。
僕が1ヶ月近くここで暮らしていた痕跡が、一気になくなってしまった気分だ。
廃墟になった集落や、ダムの底に沈んでしまった村のようにも思えてならない。

一通りパッキングが終ると、コンテナボックスを2つ積んで川平の郵便局に向かった。
約1ヶ月前、ここで受け取った荷物を送り返す。複雑な気分だ。
でもこれで終わりじゃない。またいつかきっと来られるさ。

米原に戻り、テント跡を整地。この前掘った放水路を埋め、辺りを掃除した。

夕方までゆっくりしていようと思ったが、何だか雲行きが怪しい。
平久保方面の空は真っ暗。このままだと雨が降って来そうだ。
急いで荷物をバイクに積みこんだ。
そしてキャンプ場内を走り、みんなに挨拶をして米原を後にした。

今度はいつ来られるだろうか。いや、必ず戻ってくるよ。
僕には米原がある。そう思うと明日への希望が湧いてくる。

於茂登トンネル方面はヤバそうなので、川平方面から街に向かった。
途中パラっと雨を感じたが、本降りになり様子はなかった。
そして名蔵からバンナ展望台に寄ってみた。

展望台に上がるとたくさんの観光客。
バスガイドさんが、あの独特の口調で説明をしていた。

展望台を下ると新しくできた公園に出る。
この前ここで雨宿りして、MKさんとトミーのパンを食べたっけな。
やっぱり寂しいけど、楽しい思い出も残った。またいいことがあるかもしれない。

坂を下り、マルチメディアセンターに吸いこまれた。
が、意外なことに満席。平日の2時前なのになんでだろう。
受付をし、しばらく待っていると何人か出てきた。
話している言葉は中国語のようだ。もしかして台湾のクルーズ船が来ているのかな。

1時間ほどネットして、港へ行ってみると思った通り大きな豪華客船が、
拡大された石垣港の新しい岸壁に接岸していた。

その後琉球海運の窓口に行き、乗船手続きをした後マックスバリューへ向かった。
駐車場にバイクを止めると観光バスが2台止まっていて、
たくさんの人が降りてきた。話している言葉は中国語。久しぶりに見る光景だ。

買い物を済ませ、まだ少し時間があるので図書館へ。
駐輪場には今日同じ船で帰る人のバイクが止まっていた。
ここは当日帰る人の時間調整の定番だ。
1時間ほどニュートンを読んで、4時半ころ図書館を後にした。

ホッパーに寄り、ポーク玉子お結びとハンバーガーを買い、ターミナルで食べた。
まだ乗船まで1時間半ほどあるので最後にもう一回り市街を走ってみよう。
730交差点を通り、サザンゲートブリッジを渡った。
石垣港には琉球海運の船とクルーズ客船が2隻並んで接岸していた。
最後に離島桟橋前を通過し、石垣港ターミナルに戻った。

乗船は6時からと聞いていたが、5時半ころ外を見るとバイクが乗りこんでいた。
僕もすぐに下に降り、バイクを積みこんだ。
そしてターミナルに戻ると米原にいたアメリカンの人がいた。
いつもなぜが長袖のジャケットに長ズボン。バイクに乗るには理想的だが暑そうだ。
しばらく話しをしていると乗船が開始された。

船室に荷物を置き、甲板に出た。これでしばらく石垣ともお別れだ。
7時25分ころ、鮮やかなオレンジ色の太陽が水平線上に姿を消した。
そして7時30分、船は岸壁を離れた。

だんだん遠くなっていく市街の灯り。
やがて岬を回りこむとその灯りも見えなくなり、街の灯りが稜線を映しだした。
辺りが暗くなると、僕は船室に戻った。

今回もいろんなことがあったなあ。
米原に来ていた人は思ったより少なかったけど、それでも楽しかった。
何度も言うようだが必ずまた戻って来たい。

明日の朝は沖縄本島だ。

島を出ようか 2004,5,26
目が覚めると静かだ。川平方面には青空も見えた。

しかし、しばらくすると様相が急変。強烈な雨が降りだした。
KPさんは雨の止み間を見計らって撤収開始。
荷物を次々に運び出し、パッキングしていった。

NMさんのテントを見に行くと、やはり撤収の最中だった。
雨が降ってしまったので撤収が大変そうだ。雨が止むと湿度が高くたまらない。

僕はただ撤収を見守っていることしかできなかった。
だんだん寂しさが募ってきた。

昼過ぎ、ついにタープも取り外されKPさんのテント跡は更地になった。
さすがにこれには寂しさを隠しきれなうなった。
そしてMKさんも戻ってきて、バイトが決まったので今から撤収するという。
当然台湾にも行くことができなくなった。
そうなってしまうと僕のテントの周りに誰もいなくなってしまう。
そして僕がここにいる理由も無くなってしまった。

それなら僕も島を出よう。
明日には那覇経由の鹿児島行きがあるのでそれに乗ろう。
ぼくも急遽荷物をまとめ始めた。

KPさんがテントをしまうころ、天気は急速に回復。日差しが出てきた。

NMさんも撤収を終え、バイクを移動してきた。
そして3人で知花食堂まで歩いて行き、僕は最後に焼きソバを食べた。
次にここに来られるのはいつになるだろう。
でも絶対に戻ってこよう。

サイトに戻り、NMさんは米原を後にした。
KPさんは泳ぐというので僕も最後に泳ぐことにした。
潮は引き加減だが、波も穏やかで水もそれほど冷たくなく泳ぐには最適。
リーフエッジのドロップアウトまで行ってみたが、
今まで見たことの無い魚やサンゴを見ることができた。
僕は美しい自然の芸術を目に焼きつけた。

40分ほど泳いでから浜に戻ろうとしたが、途中浅すぎて泳げない。
まいったなあ。フィンをつけたまま歩くのは大変だ。
20メートルほど歩くと何とか泳げるほど深くなった。

海から上がり、シャワーを浴びて出発の準備。
待ち合わせ場所のメイクマンに向かった。
途中、今日オープンしたさよこのサーターアンダギーの店に寄り、
5種類のサーターアンダギーを2個づつ買った。

それからメイクマンに行き、ブルーシールのアイスを食べた。
駐輪場に並んだ3台の沼津ナンバーのバイク。
こんな光景を見られるのもしばらくお預けだな。

その後、ヌカさんのアパートに行き最後の晩餐。
明日の朝早いKPさんとNMさんはヌカさんのアパートに泊る。
僕も晩ご飯をご馳走になることにした。僕にとっても最後の夜になる。

一度アパートに行ってチャイを頂いた後、刺身などを買いだし。
そしてアパートに戻りヌカさんの作ったカレーをご馳走になった。
カレーといっても日本のカレーと違い、スパイスと野菜だけのインド風。
去年行ったインドのことを思いだした。あれからもうすぐ1年か。
全く同じルートでもいいからもう一度行ってみたい。

9時半前、僕はみんなに別れを告げて米原に向かった。
郊外に出ると辺りは真っ暗。
もうこのバイクで、ここを通ることはあるのだろうか。
やっぱり感傷的な気分になってしまう。

米原に着くが、僕のテントの周りは真っ暗。
近くにあったテントもすっかりなくなり寂しさが募る。
こんな状態はとても耐えられそうも無い。やっぱり明日帰るのが妥当かな。

さて、これが米原最後の夜になるんだな。
明日からは新しい旅が始まる。

引きどき 2004,5,25
夜中に目が覚め、外へ出ると満天の星空。
僅かに薄雲があるのか、残念ながら水平線近くは漆黒の闇だった。

朝テントから出ると曇り空。それでも青空も見え、雨は降りそうも無い。
トーストとコーヒーで朝食の後、しばらくKPさんたちと話しをしていた。

気温は25度を超えた。風はやや強いが久しぶりに泳ぐことにした。
水着に着替え、シュノーケルとフィンを持って海に入った。
水はやや冷たい。海の中に入る時はいいが、立ちあがると寒い。
30分ほどで寒さを感じたので海から上がった。

シャワーを浴びて、髪の毛が乾くのを待っていると1時を過ぎてしまった。
なにか温かいものが食べたくなったので、知花食堂に行きソバを食べた。

その後、バイクで北部方面に向かったが、雨の気配を感じたのでUターン。
そういえばKPさんが名倉ダムの展望台にトイレができたと言っていたな。
ちょっと行ってみようか。

川平方面から民族園前を通過し、名倉ダムの堰堤が見えてきた。
ダムを迂回するように設置された道は、舗装されていた。
前に来た時はかなり荒れたダートだったのにな。あれからもう1年以上経ったのか。
カーブを曲がるとなぜか前方に観光バス。んんっ、何でこんな所にバスがいるんだ?

バスが左に寄ったので追い越して展望台に到着。確かにトイレもある。
するとさっきのバスが来て乗客が降りてきた。
あれっ、ここも観光コースになっちゃったのかな。静かでいい所だと思っていたのにな。
秘密の場所が見つかってしまったようで、ちょっと残念な気分だ。

乗客のほとんどは道の反対側にある御嶽の方に行ったようだ。
団体が展望台に登ってくる前に僕は展望台を降りた。

トイレの前に設置されている水道の蛇口は、押すと水が出てしばらくすると自動で止まる。
節水が目的のようだが、みんな興味半分で押して見ている。
普通の蛇口なら誰も興味を示さないのにな。なんだが笑ってしまた。
それから嵩田林道を通って於茂登登山口を経由してキャンプ場に戻った。

炊事棟に行くと、なぜかパスタの袋が床に落ちていた。
袋が引き裂かれていた所をみると、これはカラスの仕業だ。
ああっ、まだ400グラムは残っていたのに。
しっかり箱の中に入れておかなかったのが悪かったな。

海は引き潮でリーフが露出していた。これなら歩いて行けそうだ。
さっそくビーチサンダルに履き替えてリーフまで行った。

振り返ると遥か遠くに白い砂浜が見える。
ふと東の方に目をやると、岩場の先に小さなビーチが見える。
砂浜は岩場で終わりだと思っていたら、あんな所にも砂浜があるよ。

一度浜に戻り、岩場まで歩いていった。
それから岩の上を歩いて進んだが、1箇所はどうしても海に入らなければ先に進めない。
幸いかなり潮が引いているので膝下くらいで無事通過。
その先には足跡の全く無い小さなプライベートビーチがあった。

ここなら静かだし、陸からは道も無いので人もまず来ない。ゆっくりできそうだ。
しかし潮が満ちてくると次の干潮まで帰れなくなってしまう。
ゆっくりするなら水着で来ないとダメだな。
そこに落ちていたきれいな貝を数個拾ってビーチを引き上げた。

夕食の後、NMさんのテントに行き、昨日買ったパイナップルを食べた。
まだ少し早かったのか、一部すっぱく感じだ。
風もあり寒いので10時ころにはテントに戻った。


米原に来て1ヶ月近くが経ったが、いろいろな人が来ては去っていった。
明日には台風による欠航で足止めになっていたKPさんとNMさんが帰ってしまう。
なんだか急に寂しくてたまらなくなってきた。

ひとつがうまく行かなくなると、連鎖的にいろいろなことがうまく行かなくなる。
それは単なる僕の思い過ごしかもしれない。
思いこみで自滅するのだけは避けたい。
そろそろ引き時なのだろうか。

静かな朝 2004,5,24
今日も静かな朝を迎えた。雨音がしないとほっとするよ。

朝食を食べた後は周囲の掃除。
一年中緑が絶えない分、葉も一年中落ちる。
片付けても数日後には、また葉っぱだらけになってしまう。

ふとヌカさんを見掛けたので奥の方に行ってみた。
するとタープの下からテントを出し、すでに撤収を始めていた。
街にアパートを借り、この前から住みはじめていたが、時々キャンプ場にも来ていた。
でもテントが無くなっちゃうとやっぱり寂しくなるな。
でも狭い島だ。またどこかで会えるだろう。

お昼前、ちょっと御神崎まで行ってみた。
NMさんがいるかな、と思ったけど工事関係者しかいなかった。
トイレも工事中だったので駐車場まで行って降り返し。

お腹がすいたので知念商会に寄って惣菜とお結びを買ってキャンプ場に戻った。

お昼を食べてしばらく休んだ後、ちょっと野底方面に行くことにした。
途中研究所の先の海岸に立ち寄りモダマを探した。
しかし今日は1つも見つけることができなかった。
日差しが出てくると首筋が暑い。蝉も鳴き始めた。

浜に座ってよく見ると、無数の小さなきれいな貝殻が落ちていた。
通常きれいな貝にはヤドカリが入っているものだが、ここのは全て空。
MKさんはさかんにきれいな貝を集めていた。

その後野底まで行き、無人販売でパイナップルを買おうとしたら売りきれ。
仕方なく降り返し、トミーのパンに行った。
すでに午後3時、在庫はかなり少なくなっていた。
あまりお腹が空いていなかったので、僕は1つだけ買った。

それから少し離れた商店まで行ってみると、ヌカさんとKPさんのバイクが止まっていた。
店に入るとなぜかヌカさんが店を手伝っていた。
僕はパイナップルを1個100円で買ってきた。
500円ほどの小玉のスイカ、6個で100円のゴーヤーなどの野菜もあった。

キャンプ場に戻ると潮がかなり引いていた。
ビーチサンダルに履き替え、リーフまで歩いていった。
先端近くまで行くと、たくさんのカニやタカセガイなどがいた。
しかし茶色のタカラガイは、中身が入っているものばかり。
結局空のものは3個見つけたが、どれもあまりきれいではなかった。

夕方、蚊が猛攻撃を仕掛けてきたので浜に避難。
今日は雲が多く、サンセットは見られなかった。

8時前、炊事棟に移動しカレーパスタを食べた。
その後、久しぶりにNMさんのテントに行きダべリング。

11時ころテントに戻った。
ここのところ数日は、夜は22度くらいで快適に寝られる。
熱帯夜だった1週間ほど前が懐かしく感じられるよ。

久しぶりの観光 2004,5,23
目が覚めると外が明るい。今朝は少し冷えたかな。
テントから出ると、風は強いものの青空が見える。太陽も久しぶりに顔を見せた。
気温もいつのまにか24度まで上がっていて、風が心地よく感じられた。
太陽を見ると、やっぱり嬉しくなるよ。

朝食を食べた後、マットやシュラフなどを干し、テントの中を掃除。
そして久しぶりにハンモックに揺られていた。

11時40分ころ、とんかつ力(りき)に向かった。
お昼前なのでまだ店内には空席があったのでさっそく窓側の席に着いた。
ほぼ1年ぶりの力だ。僕はミックスフライを頼んだ。

イカとヒレ、メンチに串カツ、それとサラダにゴーヤーのあえ物と味噌汁。
ご飯は1回おかわりできて750円。すっかりお腹いっぱいになった。
外には待っている人がいるので早めに店を出た。

キャンプ場に戻ったが、お腹がいっぱいですぐには動けそうもない。
しばらく休んだ後、久しぶりに観光に出発した。
まず川平に行き、グラスボートに乗ることにした。

切符売り場に行き、MKさんの知りあいが働いていたことを告げると安くしてくれた。
すると見たことのある顔が。おおっ、隣りのグループの料理長だ。
毎日仕事に出掛けていると思ったら、ここで仕事していたのか。

まだ少し時間があったので、砂浜を歩いていた。
そして船に乗りこんだ。乗客は7人。
外海は時化ているのでリーフの中まで少し波が入ってきた。
走っている時は底を見ないほうがいい。

ポイントに着くと、米原では見られないサンゴや魚もいた。
やっぱり太陽が出ているときは美しさが違う。ここはぜひ晴れている時に訪れたい。
今人気のクマノミもたくさん見ることができ、30分ほどで浜に戻った。

それから御嶽を巡ったりビーチを歩いたり。
川平を後にし、古代村キャンプ場に寄ってみた。
今は営業はしていないとの噂を聞いていたが、キャンパーは2人。
一人は自転車の男の人、もう一人はヨガの先生らしい。
テントというよりちょっとしたバラックのようで、インドでよく見たような光景だった。

それから街に行き、買い物をしてからJAのスタンドに寄って給油。
そして休憩室でコーヒーを飲んで茹で玉子を1個食べた。
そこではコーヒーと茹で玉子が無料なのだ。

7時前、キャンプ場に戻りシャワーを浴びた。今日は水が冷たく感じられた。

蚊の攻撃が強烈なので浜に退避。
するとこれぞ"オレンジ色"の帯が鏡のような海面に伸びていた。
何とも言葉では言い表せないような光景だ。
本当のオレンジ色とはこの色のことを言うんだろうな。そんな気がした。
残念ながら完全なサンセットは見られす、太陽は水平線近くの雲の中に沈んでいった。

蚊の攻撃が収まるころを見計らって浜から戻った。

夜、浜に出るとオレンジ色に染まった不気味な月が輝いていた。
まもなく雲にその姿を消したが、上空にも少しの星が見えた。
あしたも晴れるといいな。

梅雨の一日 2004,5,22
しとしとと降る雨は、夜が開けても降り続いた。

今日もこんな天気が続くのだろうか。
朝食の後、しばらくしても雨は強くなったり弱くなったり。止むことは無かった。

今日は小泉首相が北朝鮮を訪問する日。
ラジオに耳を傾けながら時間だけが過ぎていく。
直接自分には関係が無いが、なぜか緊張感を感じる。

4時ころ、ようやく雨が上がった。
しばらく浜を歩いてきれいな貝を拾ってまわった。
天気が悪いので泳いでいる人は見当たらない。
それでも観光ビーチでは家族連れが水遊びを楽しんでいた。

その後MKさんのテントの引越し。
近くのカップルの異様な行動に耐えられなくなったという。

6時半ころ、なぜか昼間より気温が上がり、温度計は22度を示していた。
風も収まったのでシャワーを浴びた。水はかなり冷たく感じたがすっきりした。

結局今日は街には出かけられなかったので夕食はパスタくらいしかない。
すでに7時近くなっていたので、とんかつ力もやってないだろうな。
とりえず通りに出てみると、不思議パンがまだ営業していた。
パンを3つほど選び、オバアの店でアイスを買ってサイトに戻って来た。
アイスを買った時、オバアは「寒いのにアイス食べるの?」と言っていた。
気温が22度ではこっちでは寒いのだろう。

ラジオでは今日の日朝首脳会談のニュースでもちきりだ。
一度経過した時間を取り戻すことはできないし、
その間に生じてしまったギャップを埋めるのには時間が必要だ。

久しく蝉の声も聞いていない。こんな天気が続くと気が滅入ってしまうよ。
寒いので、みんな早々とテントに戻ってしまった。明日は晴れるといいな。

ヌカさんの絵 2004,5,21
目が覚めてテントを出ると曇り空。風は収まっていた。
その後も小雨が降ったり止んだり。内地の梅雨のような天気だ。

それでも11時ころには小康状態となり、雲も薄くなったのでシャワーを浴びた。
そして泥だらけになったバイクも洗車した。

どうやら天気が安定してきたようなので街に出掛けることにした。

ちょうどお昼になったので、途中トミーのパンに寄り、適当な所で食べようと思った。
が、ちょうどいいところには自動販売機もなく、街に近づいてしまった。
そういえば新しくできたバンナ公園があったな。

一度公園まで行ってみたが、自販機が無いので少し戻って飲料を買って公園に戻った。
するとパラパラと雨が落ちてきた。んんっ、合羽も持ってないしまいったな。
とりあえず東屋の下にバイクを入れて、そこでさっき買ったパンを食べた。

しばらく話しをしたりしていると雨が上がったのでマックスバリューに向かった。
とりあえず食パンとコーヒー、クリームと砂糖を買った。
それからゆいロードにあるヌカさんの描いた絵を売っている店に向かった。

途中、滅多に開いていないという台湾の物を売っているお店を発見。
でも欲しい物は売り切れだったようだ。
お店の人は台湾人。もしかして・・・と思って聞いてみた。
すると日本円から台湾元に両替してくれるという。
これはラッキー。これで基隆で外貨の心配が無くなった。
持ち合わせが無いのでまた明日来ることにした。

それから近くの本屋で立ち読み。
その後ヌカさんの絵を見に裸の王様という店に。
ヌカさんの絵はほのぼのとして優しさを感じる絵だった。
帰る時に1枚買って帰ろうと思う。

店を後にし、バスターミナルに行って時刻表をもらって帰ろうと思ったら、
MKさんがさっき買ったノートを本屋に忘れてきたという。
すぐにUたーん。幸いノートは無事残っていた。
そしてキャンプ場に戻って来た。

バイクをテントの前に止めるとすごい悪臭が漂っている。
なんだなんだ、お昼までこんな臭いしなかったのに。
周囲を見まわすと、炊事棟の前にハラワタの無い魚が2匹放置されていて
大量のメタルカラーのハエがたかっていた。

誰だ、魚を放置したのは。まったく迷惑なヤツだ。
どうせ捨てるんなら海に捨てればいいのに。

仕方ないので魚を袋に入れ口を縛りゴミ箱に捨てた。
そして水に洗剤を溶かし、魚のあった辺りに大量に撒いた。
なんとか耐えられるほどまで臭いは収まったが、完全には無くならなかった。

炊事棟の流しや床も、水を撒いて掃除した。それでも収まらない。
どうやら排水口の奥にある浄化槽の中から臭ってくるようだ。
これはどうしようもないな。とりあえず排水口をビニール袋で塞いだら少しはよくなった。

6時過ぎ、ご飯を炊いてタコライスを作って食べた。
隣りのグループではドラム缶のゴエモン風呂が完成したようだ。
そういえば家を出てからシャワーばかりで風呂に入ってないな。
沖縄ではシャワーも風呂って言うけどやっぱり浴槽にゆっくり浸かりたいな。

今日は気温が低めで過ごしやすかった。しばらくは梅雨空が続きそうだ。

雨の一日 2004,5,20
目が覚めると外は静かになっていた。台風は去ったようだ。

ラジオでは南大東島に台風が接近しているとの情報。
風速35メートル、波の高さは12メートル。
南大東では高波が押し寄せると島の地震計が振れるという。
12メートルの波とはいったいどんなものなんだろう。一度見てみたい。

やや風はあるが気温は25度ほど。少しの寒さを感じながら朝食を作った。
それからは雨が降ったり止んだり。こうなってしまうと何もできない。
炊事棟で話しをしたり、たまに外に出てみたり。

お昼になりMKさんもテントから出てきたので、最近開店したパン屋に行ってみた。
とんかつ力の前を通ると、トンカツも食べたくなったが店内は満席。
しばらく待っても席が空かないのでそのまま不思議パンまで歩いていった。

店内には6種類ほどのパンがあった。値段も100円から150円くらい。
僕はあんパンとジャムパン、それにミルクパンを買ってきて炊事棟で食べた。

食べ終わるとMKさんは歩いて出ていき、ハイビスカスの花を2つ摘んできた。
そしてオシベの奥の方にマヨネーズを付け、包んで食べてしまった。
ハイビスカスは食べられると聞いていたが花を食べるのはちょっと抵抗がある。

もう一つの花も食べるのかとな思ったら、マヨネーズを付けると僕に手渡した。
ええっ、これって僕の分?んんーっ、ちょっと…。
少しためらったが思いきって食べてみた。
味のマヨネーズの味が強かったのでよくわからなかった。
食べた後も、お腹の調子は特に変わり無かった。

その後も雨は降ったり止んだり。北風も吹き続けた。気温は22度まで下がっていた。
炊事棟は寒いのでみんなテントに戻ってしまった。

5時過ぎ、ようやく雨が上がり、風も弱まったのでオバアの店まで歩いていった。
お菓子とアイスを買って、アイスを食べながら戻って来た。
炊事棟でスパゲティーを作っていると、少し離れたテン場のGOさんが来て、
チョーさんが釣った魚をたくさんもらったので、一緒にどうかと誘ってくれた。

MKさんは以前GOさんたちの所に行ったことがあったが、僕は初めてだった。
モヒカンやレゲエ系の人達は近寄り難かったけど、話してみるとおもしろい人達だった。
最近では珍しい十代のキャンパーもいた。

そういえば10号にいたあのおじさんはやっぱりチョーさんだったんだ。
以前からそうじゃないかと思っていたんだけど、一昨年来た時もよく釣りをしていたな。
髭が少なくなり、帽子も被っていたのでよくわからなかったよ。

GOさんたちのゆんたく場で、お釜で炊いたご飯や焼き魚、それに刺身や味噌汁も頂いた。
食べ終わると再び風雨が強くなってきた。気温こそ違え、まるで冬のよう。
寒くてたまらなくなったので、お礼を言ってテントに戻って来た。

結局今日は出かけられなかったな。
明日は晴れとまではいわないけど、せめて雨が上がってほしい。

米原からの全国中継 2004,5,19
夜明け前、強烈な雨が降った。これが台風2号か。
と思ったが、朝方にはすっかり止んで青空さえ見えていた。

今日はNHKの生中継に映ることになっていたので6時過ぎにはテントを出た。
そして撮影場所に行ってみたが誰もいないし車も無い。
おかしいなあ、朝の豪雨で中止になってしまったのかな。

NMさんのテントに行き聞いてみると、誰かが発電機の音がうるさいとクレームをつけ
やむなく車や発電機を移動。キャンプ場内の撮影も見合わせたという。
せっかくの全国放送だったのに。残念だ。

しばらくするとスタッフが次々と現れ、浜に出て撮影準備を始めた。
見に来た人は数人だけ。ちょっと寂しい中継だ。

そして6時40分になり、中継が始まった。
僕は携帯用のテレビでその放送を見ていた。
僅か1分ほどの中継。いつものアナウンサーが目の前にいるのが不思議な感じだった。
カメラがスタジオに帰ると、レポーターは「スタジオの反応がよくない」とこぼしていた。

7時20分過ぎ、2回目の中継に入った。
今度は腰まで浸かるほどの海の中。幸い波も無く問題は無さそう。
ラッキーなことに中継の最中にクマノミが現れた。それにしてもこんな浅瀬によく来たな。
中継が終るとレポーターがガッツポーズ。今度はうまくいったようだ。

しかし台風はどうなったんだ。風も波もいつもと変らない。

10時過ぎ、台風が来る前に街に行こうということになった。
大浜ビーチに出てみたが、遥か向こうのリーフでは巨大な波が砕けていた。
砕けた波がしぶきになり、辺りが霞むほど。台風のすごい威力だ。

ビーチを後にシ、サンエーに行き、大きなDパックを探したが見つからず。
それから郵便局に行き、帰りにとろぴかるに寄ってチキンの唐揚げとお結びを買った。
久しぶりに食べるとろぴかるのチキン。サイズは大きくなったようだが値段も150円になっていた。
チキンだけ外のベンチで食べ、後はキャンプ場に戻って食べた。

しばらくサイトでまったり。
すると昨日戻って来たYGさんの携帯に連絡が入った。
明日出航の名古屋行きのフェリーが欠航になったという。
ということは他KPさんもNMさんも帰れなくなったということだ。
YGさんは日曜日に結婚式に出席するためどうしても帰らなければならない。
仕方なく飛行機で帰るために携帯で予約をしていた。

その後太平洋側の波を見るために伊野田キャンプ場に行ってみた。
テントは5張りほど。1張りを除いてみんなブルーシートの長期だった。

オートサイトの方にバイクを止め浜に出てみた。
台湾や中国のペットボトル、浮きや海藻などが散乱し、汚いという印象。
やはりリーフエッジでは巨大な波。音がここまで聞こえてくる。

テントサイトを歩いて横切って偵察。ちょっと不気味な雰囲気だ。
それから浜に出てしばらく歩いてみた。そしてたくさんのきれいな貝殻を収集した。

喉が乾いたので自販機で清涼飲料水を飲んだ。今日もご馳走になってしまった。
ふと見ると、割れたプラスチックの穴からバッタが自販機の中に落ちていた。
かわいそうだけどどうしようもないな。

キャンプ場に戻ると北風が強くなっていた。
台風の余波のようだが雨が降らないだけいいな。
早めにシャワーを浴びようと思ったら水が出ない。
あれっ、断水?水源のメンテナンスかな。でもヒガサン何も言ってなかったし。

離島情報でヒガ荘の電話番号を調べるも、今年版から削除されていた。
仕方なく歩いてヒガ荘まで行き、状況を報告した。
その時ビールを頂いた。

キャンプ場に戻りシャワーのバルブを開けると水が出た。
しばらくするとヒガさんが現れ、工事関係者が閉めた元栓を開け忘れたたようだ。
すぐにシャワーを浴びたが風が強く、寒さを感じた。

その後ご飯とレトルトカレーで夕食。
風は止まず、気温は25度近くあるあるものの体感温度はかなり低い。
9時前にはみんなテントに戻ってしまった。

台風接近 2004,5,18
そういえば昨日の夕方、日本人の女性と外国人の男性のカップルが来た。
米原に来たはいいが、肝腎なテントを忘れたという。
もうバスも無いようなので、ヒッチで街に行くと言っていた。

そのカップルを案内してきたのは何となく見たことのあるような人。
近くに歩いて行き、顔を見合わせると双方「あっ」。
去年・一昨年も米原で、夏に鳥沼でも会ったNAさんだった。


未明、強烈な雨が降った。タープをも貫通するような巨大な雨粒。
それが断続的に続き、すぐに米原湖が出現した。
それでも大雨は長時間は続かず、浸水するテントは無かったようだ。

7時過ぎには雨が小康状態に状態になったので炊事棟に移動。
溜まった水を海に誘導しようと掘り掛けの水路を延長。
しかし水は流れず砂に吸いこまれていった。
放水路の効果は無いとは言えない程度。そのうち湖は姿を消した。

今朝はパンが無かったのでビスケットの朝食。
しばらくすると、何人もの人が歩いてきた。
何だろうと思って車の方に歩いていくと、どうやらNHKのスタッフのようだ。
明日このキャンプ場から生中継があるので、その下見に来たようだ。

詳細は、午前6時40分ころ、"おはよう日本"の番組中、約50秒の中継という。
キャンプシーンも撮影するので、僕も映るかもしれない。ただし荒天時は中止。

スタッフが帰っていったので、雨の止み間を見計らってシャワーを浴びて洗濯。
その後も雨が降ったり止んだり。なかなか出掛けられない。

お昼になり、天気も安定したようなので新しくできた"不思議パン"まで行ってみた。
が、今日は定休日だった。残念。仕方なくナカマス売店でアイスを買った。
いつもは無愛想なオバアだが、今日は孫と一緒で上機嫌だった。

その後、雲の様子では雨は降りそうも無いので、川平経由で街に向かった。
日差しは強烈。黒のTシャツを着てきたのは間違いだった。背中が焼けそうだ。

まずマックスバリューで食材を少々。MKさんが100円ショップでコミックを。
隣りのメイクマンでリュックを探したが見つからず、2時過ぎマルチメディアセンターに到着。
今日はたっぷり2時間ネットを楽しんだ。

そういえばお昼はアイスだけだったのでお腹がすいた。
帰ってから作るのは大変なので、ほっかほっか亭で弁当を買って帰った。

キャンプ場の戻り、炊事棟で弁当を食べ、しばらくまったり。
夕方、太陽は川平のすぐ上で雲に隠れてしまったが、
その後は何とも言えない幻想的な世界になった。
これほど海がオレンジ色に染まったのは初めて見たよ。

台風2号が近付いている。
早ければ明日の朝には八重山が強風域に入りそう。
テントの周囲や炊事棟に置いてある物が飛ばされないように対策を講じた。
去年も2号に直撃されたけど、今度は大丈夫かな。

気になる台風2号 2004,5,17
梅雨入りはしたものの、梅雨らしい天気は5月5日だけ。
毎日いい天気で、時折雨がパラつく程度。まあこの方がありがたいんだけどね。

6時半前に目が覚め、昨日の日記を作成。
KPさんは既に起きて何か準備をしているようだ。
7時半ころテントを出ると、その姿は見えず、どうやらフカイオモト岳に向かったようだ。

朝食を食べ終わり、9時過ぎにKPさんが下山してきた。
特に雨らしい雨も降っていないので、汗と露でズブ濡れになっていた。
聞くと整備された登山道は無く、本当に獣道のようでかなり苦労して登ったようだ。
頂上もそれほど展望はなく、一度登ればもういい、という感じらしい。

予定では米原滞在もあと1週間となったので、在庫過多になっていた食料を消費。
お昼には袋ラーメン1.5個とバナナ2本。

午後からは情報収集のため街に向かった。
途中バンナ展望台に寄ると、霞みがかかっているものの、八重山の島々が見渡せた。
展望台にはいつからか、無料の双眼鏡が設置されていた。
僕が持っている携帯用の小さな物に比べ、格段の倍率と解像度だ。
遠く隣りの山の展望台も鮮明に見えた。
というわけで向こうの展望台にも行ってみた。

展望台を後にし、港にある有村産業の代理店の美崎運輸に向かった。
ダイヤを確認すると、行きは石垣に寄港するが、帰りは那覇直行。
その船は那覇から石垣に戻るが、運賃は基隆−那覇+那覇−石垣の合算。
往復割引も効かず、なんとも納得しがたいシステムだ。
まあコムレイド割引で2割引にはなるようだからいいかな。
問題だった両替も、大きなホテルでできるらしいことがわかった。
これでちょっと湾が近付いてきたな。

帰りに100円ショップに寄ってトラベル英会話の本を買ってキャンプ場に戻った。

その後はMKさんに借りたコミックや台湾のガイドブックを見て中国語の勉強。
暗くなるといつものメンバーが炊事棟に集まってきた。

台風が近付いているので、20日早朝の船で帰るKPさんとNMさんは
明日早めに撤収する可能性があるのでこれが最後の夜になるかもしれない。
月並みだけど、過ぎてみると早かったなあ。

潮が満ちてくると、波の音も強烈になってきた。
波の高さもここに来て最高の高さ。恐怖感すら感じてしまう。
どうにか影響がでないといいな。

今日は早め。10時半ころにはみんなテントに戻っていった。

台湾への長い道 2004,5,16
梅雨入りはしたものの、比較的いい天気が続いています。
晴れ時々曇り、所によって一時雨、といった感じです。

朝食を食べた後洗濯。しばらくすると雲行きが怪しくなってきた。
まもなく川平方面が真っ白に。これは雨の降る前兆だ。
ほどなく雨が落ちてきたのてすぐに洗濯物とハンモックを取りこんだ。

隣りのKPさんはテントにいないようなので、メールを送信したが返信が無い。
とりあえず干してあった物をタープの下に移動した。
それから10分ほどしてからKPさんは水着姿でもどってきた。
せっかくリーフまで泳いでいったのに、雨が降ってきたので急いで戻ってきたという。
そのころには雨も止み、しばらくすると晴れてきた。んーっ、どうも間が悪い。

12時近くなったので、MKさんとトミーのパンまでバイクで向かった。
途中こちらに向かって歩いているKPさんとすれ違った。
適当にパンを買ってキャンプ場に戻り、炊事棟で食べた。

その後ハンモックに揺られてまったり。
今日は日曜日なので地元の人もたくさん訪れている。

KPさんは山に登ると言って出掛けてから1時間あまりで戻って来た。
随分早いなあ、と思ったら、道に迷って戻ってきたという。
かなり悔しそうで、近いうちに再チャレンジすると言っていた。

3時過ぎ、潮も入ってきたので水着に着替えて海に入った。
浅瀬の方は水が濁り温泉状態。長い時間いたらのぼせそうだ。
しかし少し沖に出ると水温は下がり、サンゴや熱帯魚が鮮やかだ。
30分ほど水中散歩を楽しんで海から上がりシャワーを浴びた。

その後MKさんと街に向かった。
その前にちゃーに寄り、昨日忘れてきた上着を回収し、白保回りで街に出た。
メイクマン、K-MAX、チャレンジと回ってみたが、気に入ったリーフシューズは見つからず。
また今度にすることにした。

とりあえず本屋により台湾に関する情報を収集、地球の歩き方を買った。
そして100円ショップに行き、ゴザとトラベル中国語の小冊子を調達。
せっかくパスポートを持ってきたのだから、何とか海路で台湾に行ってみたい。
でも基隆に着くのは午後6時。銀行は営業を終了しているので両替が問題になる。
うーん、家にあった3千元ほどを持ってくればよかったな。
現地通貨さえ手に入ればどうにかなる。う少し情報収集が必要だ。

帰りに楽園を偵察すると、ほとんどが長期、というか定住している人だった。
タープとしてブルーシートを張っていないのは2・3張り。
多くの人はここから仕事に通っているようだ。

8時前、だいぶ暗くなってきたキャンプ場に戻って来た。
炊事棟の鍋には7・8個のサザエやタカセガイが入っていた。
いつの間に誰が採ったのだろう。

パスタを作って食べ終わったころ、みんな集まってきた。
貝はKPさんがリーフのプールで採った物だった。
そして木で火を起こして貝を焼いて食べた。

いつのまにか11時も回り、今日も浜に出てみた。
雲は多いものの、雲の切れ目には無数の星が輝いていた。
しばらく空を見上げていると、空を横切る白い光り。今日も流れ星を見ることができた。

波打ち際て照らすとたくさんの小魚。でも夜光虫はあまりいなかった。
いつのまにか日付が変り、みんなテントに戻っていった。

キャンプの醍醐味 2004,5,15
ここのところ、夜中に通り雨があるくらいでまあまあいい天気が続いています。

7時ころテントを出ていつものようにトーストとコーヒー。
しばらくしてヌカさんが一昨日採ったイソハマグリで味噌汁を作るというので、
起きてきたMKさんと10号の奥へ歩いていった。

ヌカさんのテントの前に日本語ペラペラのIAさん、AKさん、NMさん、KPさん、MKさんの6人集まった。
おそらく200個以上はあろうイソハマグリ。
身が小さいので出汁にする程度で食べるには物足りない。
それでもみんな小さな貝の中から身を取りだして食べたいた。

11時ころ、みんなでマーペに登ろうということになり、僕がMNさんを後に乗せて出発。
野底林道はこの前工事中だったので伊野田に抜けて反対側から登り始めた。
そして5合目の待避所に到着。
今回はNMさんを除いて少し先にある正規の?登山口から登ることにした。

そちらは多少距離が長く、短純な登りが続く。途中キノボリトカゲを発見。
エリマキトカゲの襟無しバージョンのようだった。
15分ほどで登り口から15分ほどで頂上に到着。NMさんは既に着いていた。
今日は天気がよく360度見回せ、沖合に航行する琉球海運のRORO船も見えた。
よく見ると反対側からも車やバイクが走ってくる。どうやら工事は終ったようだ。
しばらく話しをしたり記念写真を撮ったりしてから下山してちゃーがんじゅうさーに向かった。

今日は初めてやきそばを食べてみた。
もちろん内地の焼きそばとは違い麺は沖縄そば。
味付けは塩コショウで初めての味だったけどすごく美味しかった。

食事を終え、ちゃーを後にし米原のヤエヤマヤシ林に立ち寄った。
キャンプ場のすぐ近くにあるのだが、ここに来たのはもう何年ぶりだろう。
たしかバイクで来たのは初めての時、98年だっただろうか。
上の方には老朽化した展望台があり、立入禁止の札。
しかし特に問題なさそうなので階段を登りしばらく休憩していた。

それからキャンプ場に戻りKPさんとMKさんの3人でリーフエッジまで向かった。
海岸近くは水が生暖かい。そしてエッジの手前の浅瀬では温泉状態で熱いくらい。
何だか気分が悪くなりそうなくらいだが、しばらくして一気にいつもの通りに冷たくなった。

この前見つけたクマノミのいるリーフエッジのイソギンチャクまで何ともあっけなく到着。
海の中は目標物が見つけ難いので、同じ所に行くことは難しいと思ったのにな。
日差しは強く、底の見えないコバルトブルーの世界も神秘的に見えた。
30分ほど熱帯魚やサンゴを鑑賞して浜に戻っていった。

6時過ぎ、今夜はカレーを作ることになっていたので街に買い出しに向かった。
カレーに必要な玉葱やジャガイモ、人参、それに肉などを買った。

日が沈み、薄暗くなった道を駆けぬけてキャンプ場に戻った。
さっそく6号炊事棟に集結して作業開始。
こういうときはキャンプ経験豊富なNMさんがいると助かるな。

しだいに炊事棟周辺がいい匂いに包まれてきた。
ご飯も炊き終わりルーを入れて完成。手作りのカレーなんて久しぶりだ。
IAさん、AKさん、ヌカさんもやってきて炊事棟は賑やかになった。
味も申し分無いが、みんなで集まると楽しくて一層美味しく感じられた。
やっぱりこれがキャンプの醍醐味なんだろうな。

カレーを食べ終わり、ふと空を見上げるとたくさんの星が見えた。
MKさんと浜に出てみると、雲も多いながらすごい数の星。
しばらく見上げていると、いくつもの流れ星を見ることができた。

それから波打ち際に行ってみると、小さな魚がいっぱい群れていた。
そしてMKさんが砂を投げこむと、海中のあちこちで蛍のような光。
ヤコウチュウやウミホタルのようだ。こんなの初めて見たよ。
ここで泳いだらあちこちで光ってきれいなんだろうなあ。

11時半過ぎ、まだ暑いのでハンモックに揺られていた。
そして日付が変ったころ、テントに戻った。

復活、トミーのパン 2004,5,14
夜中にわずかな雨音で目が覚めた。すぐに洗濯物とハンモックを取りこんだ。
そのうち雨は強烈になり、ラジオの音も聞こえないほどになった。
まもなく水が炊事棟周辺に流れこみ、久しぶりに米原湖が出現したが、
KPさんのテントはこの前の対策が功を奏し、何とか浸水を免れた。
豪雨はそれほど長くは続かず、しばらくして米原湖はその姿を消した。

午前7時、テントを出てコーヒーを沸かし、トーストを焼いた。

昨日来た女の子はフライが半分くらいしかないテントで、かなりの浸水だったらしい。
そこでNMさんと、余っていたロープとブルーシートでタープを作ってあげた。
当面これで浸水の恐れは無くなっただろう。

しばらくすると、海の方にテントを張っていたカップルが撤収を始めた。
日本人の女の子とフランス人のカップルで、1ヶ月以上前から米原にいた。
不思議な人達だなあ、と思っていたが、聞いてみると北海道へ転勤になり、
それまでの休暇を好きな石垣で過ごしていたという。
あまり親しく話しをすることはなかったが、いなくなるとやっぱり寂しい。

彼らはテントを撤収し、荷物を炊事棟に運びこみ、要らなくなったガスや食材を頂いた。
そしてお昼ころ、2人は大きなバックパックを背負って米原を後にした。
僕たちはキャンプ場の入口まで歩いていき、2人を見送った。

一度サイトに戻り、お昼になったので、先日移転リニューアルしたトミーのパンに向かった。
途中、ヒッチハイクをしていたカップルを追い越した。
バイクだと5分たらずで到着。適当にパンを選び来た道を戻った。
再び2人とすれ違い、笑顔で手を振りあった。
またどこかで出あえることがあるかのな。

キャンプ場に戻り、炊事棟でパンを食べた。
フランスパンをベースにカレーやチーズ、たまごなどの入ったパン。
噛み応えもあって、以前と変らない美味しさだった。

それから街のマルチメディアセンターに行き1時間ほどPCに向かっていた。
今日は特に買い物も無いので川平線から北上。
一度米原を通過し、野底の無人販売所でパイナップルを1個買ってきた。

3時15分ころキャンプ場に戻ってきたが、暑くてたまらない。
すぐに水着に着替えて海に入った。
でも今日は波が高く、リーフまで行っては危険だ。
しばらく潮見台沖のサンゴの群生と、共生する小さな熱帯魚を鑑賞していた。

海から上がろうとすると、KPさんが波打ち際で、まるで死体のように浮かんでいた。
何をしているのかなあ、と思ってそのまま上がったら口笛の音がしたので振り向いた。
どうやら浅瀬で小さな二枚貝を採取していたようだ。
去年来た時MD夫妻も採っていたイソハマグリかな。

海に戻り、浅瀬の砂を手で払うと1.5センチほどの貝がおもしろいように出てくる。
僕は20個ほど集めて海から上がった。
KPさんはそれからもずっと海にいて、3時間も入っていたという。
200個ほどの貝を鍋に入れて、震えながら上がってきた。

夕方、蚊の猛攻撃の中ご飯を炊いて夕食にした。
ヌカさんからレタスをもらったので今日はチーズも入ったタコライス。
暗くなってからはKPさん、昨日来たMKさんと炊事棟でダべリング。
しばらくしてからNMさんもやってきた。

11時過ぎか、暑くてテントでは寝られそうもないのでハンモックで揺られていると、
遠くで稲光の閃光も見えた。
少し涼しくなったころテントに戻った。

見送り 2004,5,13
今朝、津波に襲われる夢を見た。
巨大な波が迫ってくる。でも逃げ道が無い。
波が迫ると強烈な風圧を感じ、橋桁が一瞬持ち上がった。
そして波に飲まれる直前に目が覚めた。
随分リアルな夢だったなあ。

夢とは裏腹に、今日も静かな朝を迎えた。
朝食の後、しばらくして浜に出ると川平方面に大きな虹が懸っていた。
時折副虹も見られ、時間の経過と共にその姿を替え、次第に消滅していった。

その後10号のヌカさんのテントに行き味噌汁をごちそうになった。
中身はヘチマなどの内地ではあまり馴染みの無いものばかり。
しかし意外にも美味しかった。

ふと海を見ていると何とも目を疑いたくなるような光景が飛びこんできた。
本人達は人目を全く気にしていないようだがいかなるものか。
最近このキャンプ場ではモラルが低下しているようだ。

10時過ぎ、日差しもあるので3人でリーフエッジに向かった。
潮はやや退き加減だが、何とか泳いでいくことができた。
今日はやや波が高いので、かなり上下に揺れるが、
この前と違い水も澄んでいて、日差しのあるコバルトブルーの世界はまた格別だった。
30分ほど泳いで海から上がった。

お昼になり3人で歩いて知花食堂まで行き、僕は今日はやきそばにした。

キャンプ場に戻り、今日の船で帰るIWさんは撤収を始めた。
すっかり更地になったテント後は、哀愁をも感じさせた。

その後は海を見たりハンモックに揺られたり。

6時ころ、IWさんを見送りに石垣港へ向かった。
途中トミーのパンの新店舗の場所を確認。でも歩いていける距離じゃなくなってしまった。

そして7時前には石垣港ターミナルに到着。船は既に接岸していた。
今日の出航は2時間ほど遅れる見込み。IWさんはまだ着いていないようだった。
2階の待合室で荷役作業を見ているとIWさんがやってきた。
しばらく話しをした後、IWさんはバイクを積みこんだ。

出航までまだ時間があるので僕たちは船に乗りこんで見送り。
タラップが格納されるまで話しをしていた。

出航が近付き、僕たちは船を降りてターミナルのテラスに出た。
そして船が離岸し、船影が見えなくなるまで手を振った。
「ああっ、行っちゃったな」 ちょっと切なくなった。
でもまたどこかで会えるだろう。

ターミナルを後にし、買い物をして10時前にキャンプ場に戻った。

その後NMさんのテントに行き、チューハイを飲みながらダべリング。
11時過ぎにはテントに戻ったが、そのまま寝てしまった。

牛の逆襲 2004,5,12
昨夜から9号炊事棟で騒いでいた人達は、日付が変ってもその勢いは衰えず、
雨音で気付いた午前3時ころにも相変わらずの状況。
それから眠れなくなってしまった。ようやく平静が戻ったのは午前6時過ぎだった。

7時過ぎ、テントを出ると今日もいい天気だった。
トーストとコーヒーで朝食を済ませ、しばらくはハンモックで休んでいた。

毎年冬に宗谷岬にバイクで来るIWさんは明日の船で北上する。
それじゃみんなで観光に行こうということになり、4台で出掛けることになった。

10時過ぎ、オフロード車4台を連ねてキャンプ場を出発。
研究所の先から峠を越えて、伊野田に出てマーペに登山開始。

今回はKPさんが先頭。先頭は蜘蛛の巣が引っかかるので、できるだけ避けたい。
また、先頭の人がヘビを踏み、2番目が激怒させ、3番目が噛まれる、という定説もあるらしい。
僕は比較的安全?な2番目に登り始めた。
所々休みながら登ったが、それでも15分ほどで頂上に出た。

今年はマーペ3回目の登頂だが、今日は今までの中では最高の天気だ。
360度の展望が開け、海の色も鮮やか。真っ白い雲も豪快だ。
適度に風も吹き、いつまでもたたずんでいたい気分だった。

しばらくしてから下山開始。
野底林道を戻り、北上して玉取崎展望台に立ち寄った。
展望台周辺ではハイビスカスの剪定が行われていたが、
あれじゃ花はほとんど無くなっちゃうな。ちょっとかわいそうだ。

東屋に到着し、美しいリーフを見下ろした。ここも今まででは最高の展望だ。
それにしてもすごい暑さだ。とても日向に出ていられない。今日も真夏日のようだ。

展望台を後にし、一気に平野まで北上。通称平久保第一林道に入った。
2つ目のゲートを過ぎると牛や馬が放牧されているエリアだ。

牧場に入ると通常は轍の上を走っていくが、突然IWさんがルートを外れ、
まだ生まれたばかりのような子牛を連れた親牛の直前を回りこんだ。
普段なら牛は逃げていくのだが、子牛の足はまだおぼつかない。
すると親牛は子牛を守ろうとして必死だ。

威嚇の態度を見せ、こちらに向かってきそうな雰囲気。
その牛はまるで近鉄のマークのように長く鋭い角をもっている。
いやいや、こりゃまいったな。あんなのが向かってきたらとてもかなわない。

しばらく様子を見ていたが埒があかない。
KPさんが強行突破したので、僕はその横を通って何とかやりすごした。
ああっ、怖かった。こんなのは初めてだよ。
その先は特に問題なく牧場を出た。

1時近くなってしまったので牧場を後にし、お昼を食べるためにちゃーがんじゅうさーに向かった。
今回も僕はラフテー丼。4人とも頼んだら3人分しかできないというので、
NMさんがソーキそばに変更した。

先に3人分のラフテー丼、次いでNMさんのそばが来た。
が、NMさんのそばは具だくさんの超大盛り。
おばちゃんが気をつかってサービスしてくれた。
4人ともお腹いっぱいになり、しばらく休んでから見せを出てそこで解散となった。

僕はそのまま街に買い物に向かった。
今日は水曜なのでマックスバリューで99円均一がある。
しかし目的のバナナの他、ついビスケットやパンも買い込んでしまった。

買い物を終えキャンプ場に戻った。
何となく疲れたのでハンモックに乗り目を閉じるといつのまにか夢の中へ。
風があるせいか、気温は28度もあるのだが1時間ほどすると少し寒さを感じた。

6時を過ぎたので夕食の準備。
お昼にお腹いっぱい食べたので、パスタ100グラムとバナナ2本。
今日は雲が多く、夕陽は見られなかった。

日が完全に沈んでから浜に出て海を眺めていた。
時間と共に、空も海も色を失い、モノトーンの幻想的な世界になった。
少しの寂しさと切なさを感じた。この先いったいどうなるんだろう。

完全に暗くなり、僕は一人テントの前で泡盛を飲んでいた。
9時半ころ、KPさんが戻って来たのでIWさんと3人でオリオンビールを飲みながらダべリング。

同じ日なんて二度と無い。
何もしなくても明日は来るが、明日を自分で造り上げられたら素敵だと思う。

11時前、お開きとなりそれぞれのテントに戻った。
平衡感覚がおかしいな。ちょっと飲みすぎたかもしれない。

リーフツアラー 2004,5,11
今日も無風の朝を迎えた。水平線は霞み、波も無い。
ラジオの気象情報に耳を疑った。宮古島地方で濃霧注意報が発令されているとのこと。
数軒隣りも見えなくなるほどだという。こんなことは滅多に無い。

朝食を食べた後、しばらく朝の海を眺めていた。

その後炊事棟の蛇口の修理。
捨てられていた自動止水の蛇口を分解して構造を確認。
調子の悪かった蛇口の元栓を閉めて分解清掃。
中のOリングのゴムが劣化していて完全には修理はできなかったが、
一部の部品を移植して修理完了。しかし以前よりはずっと調子よくなった。

10時過ぎ、KPさんとIWさんと3人でリーフエッジへと向かった。
まだ潮が入っているので波打ち際からずっと泳いでいく。
20分ほどかけて珊瑚礁の終わりまで来た。

すると突然現れるコバルトブルーの世界。
降り注ぐ日差しに光のカーテンが美しい。
ほぼ90度で珊瑚礁が落ちこんでいて、足元が全く見えなくなる。
神秘的でもあり、少しの不安をも感じる。
しかしこの美しさは筆舌に難い。

水温もそれほど低くなく、時間を忘れて泳ぎつづけていた。
戻ってきて時刻を確認すると、2時間も経過していた。
KPさんはさらに1時間後にサザエを6個持って戻って来た。大漁だ。

軽くお昼を食べた後、僕は街へと向かった。
気温も30度くらいまで上がり、高速で風を切って走るのが心地いい。

街に入り、久しぶりにマルチメディアセンターでデスクトップパソコンに向かった。
相変わらず通信速度は遅く、未だISDNのようだった。
1時間ほどネットをして、センターを出て買い物をしてキャンプ場に戻って来た。

夕食はタコライスの素を買ってきたのでタコライス。
これが簡単ですごく美味しい。しかしサンセットが迫ってきたので急いで食べて浜に出た。

今日は水平線上に多少雲があったが、却ってこの方が夕焼けがきれいだった。
だんだんと空が青さを増し、星が少しづつ増え始めた。
日が沈んでも、しばらく浜でたたずんでいた。時の流れを忘れる一時だった。

その後、MNさんのテントに行きダべリング。
昨日買ったパイナップルを食べると、甘くて最高に美味しかった。
内地ではまず味わえない美味しさだった。

11時過ぎ、テントに戻った。

梅雨の晴れ間 2004,5,10
目が覚めると外が明るい。んんっ、随分静かだな。
テントから出ると完全な無風。海を見るとベタ凪ぎで、水平線が霞んでいる。
何とも神秘的な海だ。

朝食を食べ終わり、しばらくすると日差しが強烈になってきた。
それと同時に蝉の鳴き声も聞こえるようになった。もう夏だな。
フェンスの上ではアカショウビンがヤドカリの殻を割って食べている。

10時過ぎ、暑くてたまらなくなり水着に着替えて海に入った。
水面に浮かんでいると、背中が熱く感じられる。
強い日差しが水面で屈折し、コーラルサンドの海底に幾何学的模様を映しだしていた。
サンゴに群れているメタルブルーのスズメダイが一層鮮やかに見えた。
今回ここに来て最高の天気になった。
30分ほど泳いだ後、波打ち際に座り水平線の彼方を眺めていた。

海から上がり、髪が乾くのを待って街に向かった。
米原ではあんなに天気がよかったのに、於茂登トンネルを抜けると路面が濡れている。
まもなく、ポツポツと大きな雨粒が落ちてきた。高速で走っていると手が痛くなるよ。
幸い数分走ると雨雲の下を駆け抜けたようだ。

米原から街に向かうには、だいたい3ルートがある。
街には一番近いのが開南ルート、スーパーに行くには大浜ルート。
そして海岸沿いに行く川平ルートだ。
快晴の時にはどのルートを通っても問題無いが、この時期はルート選択が重要になる。
雲を見て、雨の降っていないルートを選ばなければならない。

市街地に入り、給油した後ひさしぶりにあさひ食堂に向かった。
店に入るとメニューボードがリニューアルされていて、値段も改定されていた。
おそらく内税表示に替えた時だろうが、あさひ定食は25円ほど値上がりしていた。
ボリュームは申し分無く、お腹いっぱいになって店を出た。

その後買い物をしてキャンプ場に戻ることにした。
空を見まわし雲の一番薄そうな開南ルートへ向かった。
途中雨が落ちてきたが、他のルートよりはいいだろう。
於茂登トンネルを抜けると真っ青な空。いつもとは逆の現象だ。

それじゃもうちょっと走ってみよう。
一度サイトに戻り荷物を置いた後、北方面に向かった。
研究所の先にバイクを止め、海岸を散策。去年モダマを見つけた浜だ。
強烈な日差し下、地面に目を凝らす。意外にも5分ほどで1個のモダマを発見。
しかしその後は見つけることができず、暑すぎて15分ほどで探索を打ち切った。

さてどうしようかな。そうだ、この天気ならマーペも絶景だろう。
来た道を少し戻り、峠を越えて伊野田に出た。
そして野底林道を登り、登山口の待避所にバイクを止めた。

わずが10分ほどだが単独での登山はなんとなく心細い。
登山道は湿度が高く、汗がボタボタ落ちる。
蜘蛛の巣に何度も引っかかる所を見ると、誰も登ってないだろう。

急な坂を登り、8分ほどで山頂に到着。この前と違って360度の展望が開けていた。
しかしこの山で上昇気流が起きているのか、頭上には不気味な積乱雲。
風も全く無く蒸し暑くてたまらない。おまけに小さな虫が大量発生。
とても留まっていられず、2分ほどで下山開始。こんなに短い滞在は初めてだ。

バイクに戻り、野底方面に向かったが、工事中通行止めの予告標識。
バイクぐらいは通れるだろう、と思っていつものように強行進入。
しばらく下るとこの先工事中の看板。おおっ、もうすぐだな。

エンジンを止めさらに進むとなんとバリケードに進路を阻まれた。
あーあ、ダメだったか。野底はすぐそこなんだけどな。まあいいや戻ろう。
峠を越え伊野田から玉取先を経由して野底方面に向かった。
途中無人販売で100円のパイナップルを買ってキャンプ場に戻って来た。

暑くてたまらず思わずペプシの500ml缶を買った。
ハンモックに座り飲んでいると、近くにいたおじさんが返却口に手を入れ僕の方に来た。
そして50円玉を僕に手渡した。

そうだ、100円玉1枚と10円玉6枚入れたんだった。
暑さのあまり、お釣を取るのを忘れていたんだ。
「ありがとうございました」と言うと、おじさんは「んん」とだけ呟いてどこかに去っていった。

そういえばあのおじさん、石垣に座って一部始終を見ていたんだ。
それにしても親切なおじさんだな。

その後海を見ながらハンモックに揺られていると、与那国に行っていたIWさんが帰ってきた。
手早くテントを張り終えるとまたどこかに出掛けていった。

やっと暑さが収まったので、僕は浜から砂を運んで周辺に撒いていた。
10往復ほどすると、辺りが真っ白になりきれいになった。

しばらくすと西表に行っていたNMさんが荷物満載でやってきた。
6号炊事棟の周辺にはいい場所が無く、遠くの方にテントを張ることになった。
次いでKPさんも戻って来たので僕たちはNMさんのテントの設営を見守っていた。

シャワーを浴び、陽がだいぶ西に傾いたころ、ふと海を見ると雲が全く無い。
これは完全なサンセットを見られるかも。
カメラを持ちだし川平方面ぬ向かってカメラを構えた。
そして太陽は完全な姿で川平に沈んでいった。
雲の無い、こんな完全な日没は初めて見たよ。

暗くなってからNMさんのテントに行きダべリング。
空を見上げると満天の星空。水平線付近には雲があるが、それでもすごい数の星。
流れ星もいくつか見ることができた。今度も願い事はできなかったけど。
気がつくともう11時半を回っていた。

どうやら明日も天気が良さそう。

キャンプ場でまったり 2004,5,9
昨日からの強風は夜通し吹き荒れた。
冬のように吹き続けるわけではなく、数秒おきに、間欠的に突風が吹く。
風は南よりに変り、テントの正面に吹きつけるようになってしまった。
強風が砂を巻き上げ、入口の下から巻きこんでメッシュを通過してテント内に入ってきた。
これはたまらない。頭が砂だらけになってしまう。

朝になると幾分風は収まったようだ。

朝食を食べ終わり、散乱した落ち葉を掃除し、その後ハンモックに揺られていた。
今日は日曜日とあって、地元の人もの車もたくさんやってきた。
しばらくすると日差しが出てきた。そして雲が切れ、これぞ沖縄のティダという感じになった。

砂浜に出ると、目を細めてもまぶしくてたまらない。
ここのところ午後になると干潮になってしまうので、泳ぐなら午前中、今しかない。
さっそく水着に着替えて海に入った。

水はやや冷たかったが、ちょうどいい潮加減なのか、カラフルな魚がたくさんいた。
30分ほど自然の水族館を鑑賞して海から上がった。
今日の収穫はやや大きめのタカセガイ1個だった。

お昼になったので知花食堂まで歩いて向かったが、今日は最高の暑さだった。
店に着き、少しお腹が空いていたのでそばの(小)とライスを頼んだ。
しかし出てきたのはどうみても(大)のようだ。
案の定食べ終わるころは汗びっしょりでお腹はいっぱい。ふーっ。

しばらくお腹を落ちつかせるためハンモックでまったり。
ここは木陰なので最高にいい気分。かぜも適当に吹いていて快適だ。
そのうちいつのまにか眠ってしまった。

その後洗濯をしたり、浜から砂を運びこんで木の根元に撒いたり。
しかし砂を運ぶ袋の底が抜けて戦意喪失。再びハンモックに戻った。

夕方、浜に出ると何とも言えず幻想的な空になっていた。
陽が沈んだ後、入道雲がオレンジ色に染まり、海面にもその姿を映していた。

暗くなってくると、突然の雨。そして降ったり止んだり。
沖縄特有の梅雨の雨だ。

10時半ころまで泡盛を飲みながらダべリング。
テントに戻ると、聞こえるのは風と波の音だけ。

自然の芸術 2004,5,8
朝方雨が降ったかな。タープを叩く雨粒の音がかすかに記憶にある。

7時ころテントを出ると、IWさんがテントを撤収していた。今日の船で与那国に行くという。
3日後には戻ってくるが、キャンプ料金がもったいないので撤収したのだろう。

空はいつ雨が降ってもおかしくないような状態。
でも今日は平久保方面が明るく、風も南風。それほど天気は崩れないんじゃないかな。

コーヒーとトーストで朝食を済ませた後、テントの周りの落ち葉を徹底的に除去。
そして浜から砂を持ってきて木の周りを埋めた。これで害虫の発生が少なくなるだろう。

そんなことをしているうちにもうお昼になってしまった。
残っていたドーナツを少し食べた後、KPさんと明石食堂に行くことにした。

キャンプ場を出て北上、新しく開通した野底林道で峠を越えた。
そして久しぶりに玉取崎展望台に登った。
駐車場には数台のレンタカー。ハイビスカスの咲く歩道を上がると東屋に出た。
すると、ぱっと目の前にパノラマが広がった。

多少霞んではいるが、遥か遠くのリーフまではっきりと見渡せる。
エメラルドグリーンとコバルトブルーの海、そして白い砂浜と砕ける波。
いつまで見ていても飽きない風景だ。

展望台を降り、明石食堂までは15分くらい。風を切って走る。
沖縄に来たら、やはり一度はソーキそばを食べてみたいものだ。
さっき少し食べてしまったので、今回は(中)を頼んだ。

しばらく待って、そばが運ばれてきてびっくり。すごく厚くて大きな肉。
味もしっかり付いていて、噛み応えもある。肉だけでもかなりの量だ。
そばやスープも申し分なく、噂通りの美味しいそばだった。

さて腹ごしらえもできたので、KPさんに教えてもらって特殊観光だ。
まず小さな浜に向かう道を進むと、なんと船が浜に乗り上げている。
そらもかなり大きな漁船で、相当古いものだった。
甲板に上がってみるとゴルフバックやら扇風機やらが捨てられていた。
よく見ると木も根を降ろしていて、その歴史を感じさせた。

浜を後にし今度は牧場の中のダートだ。
平野からの林道の他に、もう一つあるとは聞いていたが僕は初めてだ。
やや急な坂を登るとゲートがあった。巻かれていたチェーンを外し、牧場内に進入。

しばらくすると高台に出て、海まで見渡せる。枝道に入ると小さなビーチに出た。
山腹を蛇行して走る道も遥か先まで見え、あちこちで牛や馬が草を食んでいる。
まるで外国のサファリのよう。とても日本の風景とは思えない。
こんなダートがあったなんて知らなかったよ。また来てみたい。

その後、街まで出て買い物に向かった。。
いつのまにか青空が広がり刺すような日差し。いかにも沖縄という感じになってきた。
やっぱりこれじゃなきゃな。でも街に入ると暑くて信号ごとにエンジンを止める。

買い物を済ませ、マルチメディアセンターに行くが満席。
土曜日だから仕方ないな。諦めて嵩田林道を通り、キャンプ場に戻った。
サイトに着くと、テントの前に置いてあった食器カゴがひっくり返っていた。
KPさんのタープもペグが抜け、バシー状態。
相当強い風が吹いたんだな。

米原でも天気が回復したのでハンモックを出して風に吹かれていた。
雨が降るたびにロープを解いて撤収するのは面倒なので、
カラビナを買ってきてワンタッチで脱着できるようにした。

夕食を食べた後、暗くなってから北の空を見ると何か光っている。
雲の中で放電していて雲のシルエットがはっきり見え一瞬海が真っ白く光る。
それがひっきりなしに続いている。自然の芸術だ。
単発的には時々見るが、連続して30分以上も続くなんて初めてだよ。

暗くて人影は見えないが、浜にはこの現象を見ている人が何人かいるようだ。
10時半過ぎまで海を眺めていたが、その後テントに戻った。

シャコ貝をGET 2004,5,7
夜中に車のドアを何度も開閉する音で目が覚めてしまった。
それになかなかエンジンを止めないバイクの音。非常識な人達だ。

6時過ぎに目が覚め、7時ころにテントを出た。
さてトーストを、と思って昨日買った食パンを開封すると、消費期限は昨日だった。
なんだなんだ、昨日買ったのに昨日が期限かよ。安くなってなかったよな。
まあ1日2日は大丈夫だろう。

朝食を終えた後、テントの周囲の掃除を始めた。
落ち葉が害虫発生の温床になっているようなので、徹底的にかき集めた。
そこに浜から砂を持ってきて撒いた。これできれいになった。

気温も25度近くまで上がり、少し日差しもでてきたので泳ぐことにした。
KPさんと海に入り、観光ビーチまで泳いでいった。
GWは終ったが、観光ビーチにはたくさんの観光客が泳いでいた。
あまり混雑したのも嫌だが、まあこれくらいないら賑やかでいいな。

しばらく泳いでいると浮き輪が流されていた。
その後を少年が追い掛けていたがm風に流され全然追いつけない。
僕はやや沖合にいて、フィンもあるので先回りして浮き輪を捕獲した。
むせながらも必死に泳いできた少年に浮き輪を渡すと
「ありがとうございました」と喜んでいた。
30分ほど泳いでから6号炊事棟の浜まで泳いで戻った。

海から上がり、シャワーを浴びて休んでいると、もうお昼になってしまった。
ちょっと疲れて自炊する気にならなくなったので、今日も3人で知花食堂まで歩いていった。
今日は味噌汁を頼んだ。味噌汁といってもこちらではいろいろな具の入った丼。
それにご飯もついてくる。スープも美味しく全部飲んで満腹になった。

帰りにオバアの店によりアイスクリームを買って、観光ビーチに行くと、
駐車場に止まっている車はほとんどが"わ"ナンバーのレンタカーだった。

潮がだいぶ退いて来たので昨日みつけたシャコ貝を取りに出発した。
今回はヒガさんにバールを借りたので装備は完璧。
だが肝腎なシャコ貝が見つからない。
どこも同じような風景で、昨日の場所がぜんぜんわからなくなってしまった。

1時間近くさまよっていたが、別の場所でやや小さいシャコ貝発見。
これで何とか面目を保った。その後、もう一つ大きいシャコ貝も見つけた。
まあ2つ捕れればいいや。僕は浜に戻った。

それから川平線で街まで買い物に行き、天気が心配なのですぐに戻って来た。

夕食の後、さっき捕った貝の調理。海水で茹でて中身を取り出した。
僕は貝柱を食べてみたが、意外に美味しかった。
明日もまだかなり潮が退くので、天気がよかったまた捕りに行こうかな。

その後は泡盛りを飲みながら炊事棟でダべリング。
時々ヤドカリが炊事棟に上がってくるが、中には変りだねもいる。
カタツムリの殻を背負っているものや、物干し竿の端末キャップを殻にしているものもいた。
でも貝に酔ように、完全に中に入れないのであまり役に立っていないようだ。
まあ軽くていいのかもしれないけど。

真っ暗な海を見ると、フラッシュライトが点滅していた。
どうやらWリーフでダイビングをしているようだ。
夜の海ってどうなっているんだろう。いつか見てみたいなあ。

明日は雷を伴う雨の予報。
あてにならない八重山の予報だが、雨の予報は外れて欲しい。

静かな朝 2004,5,6
6時過ぎ、目が覚めて外を見ると曇り空。とりあえず雨は降っていなかった。

昨日買い物に行けなかったので、ビスケットで朝食。
気温は21度ほどで、風があり少し寒いのでトレーナーを着こんだ。

今にも雨が降りそうだが、風があるので洗濯をした。
しばらくすると何となく雲が薄くなり、暖かくなってきたような気がした。

11時ころ、天候は小候状態のようなので、合羽を持ってKPさんと出掛けることにした。
お昼は高縞食堂で食べようということになった。
キャンプ場を出ると、霧雨のような細かい雨。これくらいなら我慢できる。
於茂登トンネル付近になると少し強くなってきたが強行突破。
しかしトンネルの向こうは路面も乾いていた。やっぱりな。

それから開南方面から八重山高校の正門前にある高縞に到着。
一見営業しているのかよくわからない。でもダクトのファンが回っているのでやっているだろう。
ドアを開け中に入ると僕達が一番乗りだった。

ここのお客は99%が八重高生なので、一般の人は珍しいようだ。
ガイドブックなどには出ていないので、口コミでしか知る術はない。
知る人ぞ知る店?なのかな。

ここの特徴は、カレーは300円でご飯は自分で好きなだけ盛れる。ルーはお替り自由。
僕は今回はタコライスの大(300円)を頼んだ。
まあ高校生相手の店なので、一番高いカツカレーでも350円だ。

その後、買い物をしてマルチメディアセンターに行ってみたが休み。
雲行きも怪しくなってきたのでキャンプ場に戻ることにした。
於茂登トンネルが近付くと雨が降ってきたが、シールドに隠れるようにして走った。
雨はそれほど強くなることもなく無事キャンプ場に到着した。

しばらくすると雨も上がり、風も止んで僅かながら日差しも感じられた。
それじゃシャワーを浴びよう。水は冷たかったけどさっぱりした。

GWは昨日までだったが、今日になってもレンタカーで観光客がけっこう来る。
女の子3人連れが浜に出ていたら、タジマさんが3人をリーフまで連れていった。

今は1年でも一番干満の大きい時期。干潮でリーフが完全に露出していた。
KPさんも戻って来たので僕たちもリーフに向かった。
所々の潮だまりに小さな魚が取り残されいた。

リーフの先端まで行くと大きな魚を吊り上げている人もいた。
そうだ、貝を探そう。しばらく周囲を探索すると、サザエを1個発見。
その後、大きなシャコ貝を発見したが、素手では取ることができなかった。
明日また干潮の時、バールかなにか持ってこよう。

夕食の後、浜に出てみると少し青空も見え雲がオレンジ色に染まっていた。
まあこれくらいが八重山の梅雨じゃないかな。昨日のが続いたら気が滅入るよ。

暗くなってからは炊事棟でダべリング。10時過ぎにテントに戻った。

早くも梅雨入り 2004,5,5
昨日の夜9時ころか、突然テントを叩く音と「やじさん」との声。
テントを出るとOKさんだった。バイクの音は、風と雨の音でかき消されてしまったようだ。
OKさんは明日の船で帰るので、僕の写っている写真を届けにきてくれた。
写真を見ると、あの時のことが鮮やかによみがえってくる。
楽しかったなあ。

「また会いましょう」「ありがとうございました、気を付けて」
わずかに雨を感じる中、OKさんのZZRは闇に消えていった。

しばらくすると、明日の船でOKさんと一緒に帰るOYさんから電話があった。
この時間になっても帰って来ないので、心配してかけてきたようだ。
10分ほど前に帰ったと告げると、安心したようだった。


旅に出ると、いろいろな人達と出会い、行動を共にし、時間と感動も共有する。
そして必ず別れが訪れる。

いつも、もうこんな出会いはできないんじゃないか。これが最後になるんじゃないか。
そう思ってもまた旅に出る。
しかし、必ずまた新しい出会いがある。そんな繰り返し。

いつのまにか友達の輪が広がっていき、いつかどこかで再会することがあるかもしれない。
そんな時、旅に出てよかったと思う。

行き先の見えない旅は、想い出が後から追いかけて来る旅。
そんな旅の中に、今僕はいる。


昨夜からの雨は降り止まず、まるで冬のようだ。
午前3時過ぎ、テントを出て空を見上げてみたが、見えるのは闇だけ。
月食は見えそうもないので再び寝入った。
発電機の音と投光機の明りはまだ燈っていた。声もまだ聞こえていた。

7時過ぎにテントを出て炊事棟に行ってみたが、風が吹きぬけて寒くてたまらない。
それに昨日から来ている若者たちの備品でいっぱい。
仕方ないのでタープの下でコーヒーを沸かしてトーストを焼いた。

まもなく若者たちはブルーシートと未開封のミネラルウォーターを残して帰っていった。

こういう天気になると何もできないし出掛けられない。
それでもBBQの装備を積んだ車が何台かやってきた。
さすがにこの雨と風では浜に出ることができず、炊事棟を占拠してしまった。

しばらくするとKPさんも起きてきて炊事棟でダべリング。
するとバイクの音。昨日は通り過ぎていってしまったIWさんだ。
昨日はあの混雑状況を見てここにテントを張るのを諦め、空港付近の浜に張ったという。

雨も上がったようなので、3人で歩いて知花食堂に行くことにした。
平日なら地元の人が多いのだがさすがGW、今日はレンタカーが圧倒的だ。
僕は久しぶりに焼きそばを頼んだ。麺は沖縄そば、なぜかケチャップとマヨネーズが乗っている。
野菜や肉も入っていて美味しい。汁と漬物も付いていて550円。

店を出るとまた雨が降ってきた。
炊事棟に戻ると地元の人が炭を起こしてBBQの準備中だった。
寒いと口走っていると、こっちにこいと言われ火に当たらせてもらった。
そしてさんぴん茶をいただいた。

しばらくは話ししていたが、寒くてたまらなくなりテントに避難。
それでも子供達は服のまま泳いだりしていた。

時々外に出てみるが、状況は変わらず。
ラジオに耳を傾けると、沖縄は今日から梅雨入りだという。去年より10日早い梅雨入り。
おいおい、ここに来てまだ5日なのにもう梅雨入りか。
去年は梅雨入り以降もいたけど、こんな内地みたいな降り方じゃなかったけどな。

時々レンタカーに乗った観光客も来るが、海を見ても足早に立ち去っていく。
せっかくの八重山なのに残念そうだ。

夕方、ご飯を炊いてカレーライス。
結局一日中ぐずついた天気で街には出掛けられなかった。

暗くなって、炊事棟で話しをしていたが寒くなり9時過ぎにはテントに避難。
こんな天気が1週間も続くとまいってしまうよ。

米原湖出現 2004,5,4
午前6時過ぎには目が覚めた。外は明るく今日もいい天気だ。
しばらくすると暑くてテントの中にいられなくなり外に出た。
昨夜はハンモックで寝たPT君たちの姿はなく、7時半の船で帰ったようだ。

外のテーブルには既に何人か起きてきていた。
僕は缶コーヒーを飲みながら、昨日の残りのサーターアンダギーを食べた。
まだ8時過ぎなのに日差しが刺すように強い。
僕は9時20分の船で帰る事にしたので8時50分くらいまで話しをしていた。
そしてみんなに挨拶をしてキャンプ場を後にした。

キャンプ場にいると、1泊だけでも仲良くなれる。
また日本のどこかで会えたらいいな。別れの時はいつもそう思う。

港まで10分ほどで到着。
しばらくすると宿泊施設の送迎バスが何台も来て、港はかなりの人になった。
9時15分くらいに船が入ってきた。降りる人もかなるの数だ。

全員降りると乗船が開始された。僕は船内の後部に座った。
そして数分遅れてほぼ満席で船浦港を離れた。
適度な揺れと少し寝不足気味だったので、10分ほど外を見ていたが、
その後は眠ってしまった。気がつくと港内でスローになっていた。

船を降りるとやはり暑い。10時10分ころ石垣に到着した。
桟橋に降り立ち、バイクの所まで行き無事なのを確認して荷物を積みこんだ。

離島桟橋を出て、石垣港の方に向かうと有村の船が見えた。
おっ、もう入港したようだ。ちょっと行ってみよう。
ターミナルに向かう直線道路を走っていると、対向車線に数台のバイク。
すれ違うとKPさんだった。僕はすぐにUターン。後に付いて離島桟橋まで行った。

もう一人、大阪から始めて石垣に来たというライダーもいた。
しばらく情報交換をして解散。僕は米原に向かった。

ちょうどお昼近くなったので知花食堂に寄り、久しぶりに沖縄そばを頼んだ。
食べていると外でバイクの音。KPさんは僕のバイクを見てUターンしてきた。
そして一緒に食べた後、キャンプ場に戻って来た。

米原は街に比べ、少し雲が多いがいつものことだ。
引き潮でリーフには多くの人達が出ていた。
KPさんは適当な所にテントを張り、張り終えたころから急に雲行きが怪しくなってきた。
川平方面をみると、かなり暗くなり霞んできた。これは雨の降る前兆だ。

「これは30分以内に雨が降るぞ」と言ったとたんに雨が降り始めた。
いそしでバイクにカバーをかけ、荷物をタープの下に移動。
雨は勢いを増し、豪雨の様相。雷も鳴りすごい雨。そのうち米原湖が現れた。
早めに西表を出てきてよかったよ。

湖は時間を追って大きくなり、ついにはKPさんのテントまで迫ってきた。
周囲に堤防を築いたり、溝を掘って水を引きこんだりして何とか浸水を阻止。
しばらくして雨も止んで難を逃れた。

でもこれが数時間続いたら完全に水没だ。あそこは場所的に問題があるな。
しかし楽園にいるOKさんに電話すると向こうは晴れているという。
お互いに「信じられない」と言いあった。

ふと気付くとさっきまでいたファミキャンが一気に撤収していた。
普段なら連休最終日までいるはずなのに、残ったのは若者たちの1グループだけ。
6号炊事棟でバーベキューをしていた。
今夜はうるさいかな、と思っていたが、うるさいのは風と波の音になった。
なんだか肩透かしをくらったような寂しさをも感じてしまう。

それからしばらくすると北東の風が強くなり、波の砕ける音が強烈になってきた。
そして大潮の満潮。リーフを越えた波が間近で砕けている。
これは…まるで一昨年の12月の冬の米原だよ。

この様子じゃ明日の皆既月食は見られないかな。

島ぬけ 2004,5,3
さすがに2日連続は体力がもたないのか、昨夜は比較的静かだった。

いい天気なので、炊事棟で朝食を食べているとPT君が来た。
今日は鳩間島の音楽祭と、西表島でまあちゃんライブがあるという。
両方行きたいが、今からだと準備が間に合わないな。
それに鳩間島に行ってしまうと西表での宿の確保が難しくなってしまう。

一度街に出て買い物をし、夕方の船で西表に行くことにした。
ミトレアキャンプ場に電話し、今夜は固定テントを借りることにした。

相変わらずの暑さだ。信号で止まると手が焼けるようだ。
今日も知念商会でお結びと揚げ物を買ってキャンプ場に戻り食べた。

その後しばらくハンモックに揺られていると、浜の方にいた女の子が変なことを言っている。
「あの赤ちゃん、自分でバイクに乗った」 
最初何のことだかわからなかった。が、振り向いてみてびっくり。

2歳くらいの男の子が僕のアフリカツインにまたがっている。
自分の身長より遥かに高いこのバイクにどうやって登ったのだろう。
急いでバイクの所に行くと、何と手袋までしていた。

この子バイクが好きなんだなあ。なんてのんきな事も言っていられない。
でもエンジンもマフラーも冷えていてよかったよ。

ところでこの子はいったい誰だ。親はどうしたんだ。
通りがかったおばちゃんもびっくりして「この子あんたの子?」なんて言っている。
そこにさっき気付いた女の子が来て「○○さんちの子だよ」
「ああ○○屋さんの子ね」
そしてバイクからその子を抱いて降ろし、親のところへ連れていったようだ。
さすが島だなあ。横のつながりがあってよかったよ。
これが都会だったら警察に届けるしかなかっただろうな。

3時ころ荷物を全てテントの中にいて、適当に荷物をまとめてキャンプ場を後にした。
途中買い物をし、ちょっと時間が余ったのでバンナ展望台に寄ってから離島桟橋に向かった。

GWとあって桟橋は賑わっている。この喧騒が僕はなんともいえず好きだ。
めまぐるしく出入りする船と、乗り降りする人達を見ると
石垣に来ているんだなあ、と実感する。

4時になり乗船が開始された。
高速船も1年ぶりだな。今日は波も低く、それほど揺れなかった。
うとうととしていると、あっという間に船浦に到着した。
そこからキャンプ場までは坂を登り10分あまり。

そしてキャンプ場の入口からサイトに入ると向こうの方に懐かしい顔が。
NMさんだ。「おおっ、やじさん。ST君、やじさんが来たよ」
えっ、ST君も来ているの。奥に歩いていくと1年ぶりに顔を見合わせた。
こんな所でまた偶然会えるとは。これだから旅は止められないんだよな。

他の人達とテーブルを囲み、しばらく話しをしていた。
ここからも多くの人がライブに行く。6時前、みんなで港に向かって歩いていった。

港の歩道にみんなで座り、他の宿からも集まってきた。全部で30人近くか。
しかし6時を過ぎても向かえは来ない。場所が違うんじゃないかな。
とりあえず通りまで出て待っていた。

すると6時半近くなりようやくマイクロバスが来た。
みんな乗りこみ星立に向かった。途中からも乗りこんできてバスは満席。
さらに先方では乗りきれずに通過。バスはもう1往復することになるようだ。

浜に座るときれいな夕陽。そして真っ白な月。ビールが美味しかった。
7時15分ころからライブは始まり、最初は主にスローな曲。
そして休憩をはさみテンションが上がってきた。
さらに島酒も加わり、ホロ酔い気分。
最後は砂浜で踊ったり歌ったり。まあちゃんのトークには涙も出てきた。
大満足のライブだった。残念ながらGWのライブはこれが最後になる

ライブが終わり、30分ほど待ってバスが来たので乗りこんだ。
キャンプ場に戻り、僕はチューハイを飲みながら、みんなで話しが盛りあがった。
午前1時ころにはテントに戻ったが、その後も港に行って飲んでいる人もいたようだ。

久しぶりにいい気分でシュラフに潜りこんだ。

アドベンチャー 2004,5,2
昨夜はよく眠れなかった。というのも沖縄電力の団体が夜通し大騒ぎ。
午前4時ころまで子供の騒ぎ声が絶えなかった。これにはさすがにまいったよ。

それでも午前6時過ぎには一部が撤収を始め、それもまた騒がしい。
いったいいつ寝ればいいというのだろう。これがまだ数日続くのか。
それにしても彼等もよく体力が持つな。せめて1時ころまでにしてほしいものだ。

結局あまり熟睡できずにテントを出てトーストを焼いた。
その後、残っていた洗濯を済ませてハンモックでまったり。

10時近くなったので、楽園に向かった。
来る時一緒の船だったライダー達が鍾乳洞へ探検に行きたいといっていたのだ。
しかし楽園に着くも彼等は一人もいない。どこへ行ったんだろう。
その時携帯の呼び出し音が鳴った。出てみると彼等だ。
どうやら全くの入れ違いで、今米原に着いたとのことだ。ありゃりゃ。
それじゃ戻ろう。来た道を飛ばして20分ほどで米原に戻った。

さて、ほぼ1年ぶりの鍾乳洞だ。ビーチを歩いてジャングルに入った。
入口までは難無く到着。最初の登りを今回は上から行ってみようと思ったのが間違いだった。
穴の中に入ると下は垂直の壁。こりゃ危ない。戻ろう。
しかし無理に右足を通したため、狭い穴の中にはまってしまい後戻りできなくなってしまった。
まいったな。どうやっても戻れない。行くしかないか。

先は真っ暗な上滑る。落ちたら骨折は免れないだろう。
それでも泥だらけになりながらも何とかそこをパス。その先は判っているので順調に進んだ。
そして30分ほどで洞窟をぬけて海に出た。
問題はここから。大潮が近く、干潮で歩いていけそうだが崖を登ることにした。

ほぼ垂直な崖を登っていく。幸い珊瑚礁なので先が鋭利だが滑らない。
下を見ないようにジャングルに入り、道路を目指したのだが今回もルートを見失った。
いつものことだが判り難い。ルートを拓いてもすぐにブッシュに変わってしまう。

途中ウェストポーチのポケットが開きカードをバラ撒いたり、
蔓に引っかかって傷だらけになりながらも何とか道路に出た。やれやれだ。
久しぶりに川口浩のアドベンチャー気分を味わった。
その後サイトに戻り、しばらくしてからマーペに向かうことにした。

その前に"ちゃーがんじゅうさあ"に寄り昼食を食べた。
1年ぶりだがおばちゃんは僕のことを覚えてくれていた。やっぱり嬉しいな。
ふと八重山新聞の折り込み広告を見ていると、今日JAのお祭りをやっているようだ。
よく見ると夕方には川門正彦のライブがある、これは行くしかないだろう。

僕は定番の裏メニュー"ラフテー丼"だ。相変わらず味は各別で満腹。
少しお腹を落ちつかせてからマーペの五号目に向かった。

林道に入るとやけに対向車が多い。もしかして開通したのかな。
そして登り口の退避所にバイクを止めて登り始めた。
しかし途中からガスが出てきて頂上に着いてもほとんど展望が無かった。
こんなに低い山なのになあ。また天気のいい時に来るしかないな。

登り口に下り、そのまま進むとやはり開通していた。
キャンプ場に戻ろうとすると、パイナップルの無人販売発見。
見てみると大きさにより100円・150円・200円。僕は150円のを1つ買った。
そして吹道川のマングローブを見てキャンプ場に戻って来た。

そこで解散し、僕はシャワーを浴びてから街に向かった。
そして会場に到着。見たことのあるべスパも止まっていた。OYさんだ。
会場内を歩いてみたが見当たらない。どこにいるんだろう。

一度外の歩道に出て外から見ると一番前にいた。おおっ、参加型だな。
と思ったら、前にもう一列あったのだがみんな椅子を持って後に下がってしまい
いつのまにか最前列になってしまったらしい。まあいいや隣が空いていたのでそこに座った。

ライブが始まり後半になるとテンションが上がってきた。
何人か前に出て踊っているが、僕は今回は見ていよう。
と思っていたのだが、予想通り他の人に引っ張り出されてしまった。
こうなったら仕方ない。一緒に踊ろう。
いつもならお酒の勢いで踊るのだが今回はシラフだ。でもこれも楽しいな。

一度はみんな席に戻ったのだがアンコールでも引っ張り出された。
踊っていると暑くなってきた。でもこれが八重山らしくて楽しかった。

ライブが終わり、川平線で米原に向かった。
ヘルメットのシールドがスモークの上、メガネを忘れてきた。
仕方なくシールドを開けて走っていると、顔面に虫が直撃。痛えーっ。
閉めるとよく見えないし、開けると虫がぶつかるし。困ったもんだ。
この時間になっても半袖で気持ちいい。道路脇のリフレクターが幻想的だ。

虫との衝突をを避けるため、臥せるようにしてなんとかキャンプ場に戻って来た。
暗くてよく判らないが、テントが増えているようだ。

明日からの連休後半、どうなるかな。

初泳ぎ 2004,5,1
6時過ぎには目が冴えてしまった。仕方なくラジオを聞いていた。
7時ころテントを出てコーヒーを沸かして朝食にした。
その後たまっていた洗濯を一気に片付けようとしたが洗濯バサミが無いのに気がついた。
ハンガーはあるので取りあえずTシャツなどを洗った。

しばらくすると地元車が来て荷物を降ろし始めた。んんっ、なんだ?
そうか、今年は休みの並びが良く、土曜が休みなら今日から連休になるんだ。
今年もついに恐怖のゴールデンウィークが来たのか。
サイト内を歩いてみると、トラロープでかなりの面積をを場所取りをしてある所もあった。
いくらなんでもこりゃやりすぎじゃないか。
それから次々にテントが増えていったが、去年ほどのラッシュではない。
3連休ではないので建設ラッシュは初日には集中しないようだ。
でも明日からが心配。きっとテントを張るスペースがなくなるほど混むんだろうな。

10時になったので待ちに買い物に出掛けた。
於茂登トンネルをぬけると刺すような強烈な日差し。半袖では手がヒリヒリするよ。

まずマックスバリューでパンとチーズを買い、段ボール箱をもらった。
隣の100円ショップで食器を入れるカゴ、そして熊手など。
ついでにカネヒデに寄り安売りのパスタ。

帰りに知念商会に寄り、お結び3個とフライドチキン、それにポークの天ぷらで300円。
そしてキャンプ場に戻り炊事棟で食べた。お結びは1つ食べきれずお腹いっぱい。

しばらくハンモックで休み、日差しがあるので泳ぐことにした。今年の初泳ぎだ。
潮も満ちてきてリーフも見えないのでちょうどいいだろう。
水着に着替え海に入ったが、それほど水は冷たくは感じない。却って温かいくらいだ。

久しぶりに海に入った。きれいなサンゴとカラフルな熱帯魚は変わっていないな。
真っ青なスズメダイ、黄色いチョウチョウオ、でもクマノミが見えない。
噂ではなにやら大人気のようだが、まさか。
30分ほど天然の水族館を鑑賞し海から上がった。

その後はハンモックに揺られ、通りすぎるそよ風を感じながらまったり。
時折荷物を満載したバイクが来る。聞いてみると今日の船で来たようだ。
でももう6号炊事棟付近にはいいテン場が無い。みんな3号の方へ行ってしまった。

夕方、浜に出てみると西の空がオレンジ色に染まっていた。
しかし水平線付近には雲があり、まもなく太陽は雲の中に沈んでいった。

一度炊事棟に行き夕食を作ったが、蚊が多くてとてもいられない。
虫除けスプレーも蚊取り線香も、ここの蚊には焼石に水。すぐに浜に避難して食べた。

空はだんだん青さを増し、やがて星が輝き始めた。
八重山では8時半くらいまで空が明るい。
上空は濃い青から黒へと変わり、星の数が増え始めた。
ふと足元を見ると、自分の陰がはっきりと映っている。懐中電灯も要らないくらい明るい。
振りかえってみると、まぶしいほどの下弦の月。
こんな幻想的な光景を見たことは、もうしばらくなかったな。

空が完全に色を失っても、浜には多くの人たちが出て焚き火や花火などを楽しんでいる。
こんなに米原が賑わうのも、1年でもこの時期だけだからな。
こういうのもたまにはいいかも。

浜でそんな風景を見ていると、もう終わりにしてもいいかな。そんな気になってしまう。