やじさんの日記帳 2003年9月
肩の荷が下りた? 2003,9,30
今日で9月も終わり。1年があっという間に感じられます。
今朝は最低気温が12度切った。ついこの前まで熱帯夜だったような気もするが。
それに富士山がはっきり見えた。やっぱり秋を感じるな。

朝食を食べた後は、妹と甥っ子が車で来ていたので僕の車と2台洗車。

洗車を終え、ペットボトルホルダー用のOリングを買いに沼津のホームセンターまで出かけた。

途中久しぶりにS自動車に寄り、ATFを交換できないか相談。
しかし、単純な交換はできるがトルコン内のオイルを押し出すチェンジャーはないという。
ATFの交換なんて滅多にないので、必要な時はスタンドから借りてくるらしい。
というわけで、スタンドでの交換を勧められた。

沼津のカインズホームでは、この前清水町で180円で買った物と全く同じ物が145円。
ちょっとがっかり。でも同じ所で2個買わなかったから良かったのかもしれない。

その後、青山の2階のダイソーへ行ってリボンを物色。ちょうどいい幅と厚さの物を発見。
これは裾野店には無かったな。他にスーツケースのベルトも探すが置いてなかった。
店によって、かなり品揃えが違うんだな。ついでにトラベル中国語の辞書とCDも買った。

お昼になったので、弁当を買って港近くの日陰に車を止めて、国会中継を聞きながら食べた。
そして少し休んでからスタンドに向かった。

まだ4時前なのでスタンドも空いていた。
店員に聞くと、通常は何回かオイルを入れ替えて交換するが、圧送もできるという。
オイルを少し抜いてみたら真っ黒。本当に交換したのか疑いたくなった。

そして30分ほどで交換終了。
オイルがヘドロ状になっていて、だいぶ良くはなったがまだ完全にはきれいにならないとのこと。
これからこまめにオイル交換すれば良くなるかもしれないという。
んんーっ、7万5千キロも交換しなかったのが悪かったな。まあ仕方ない。

走り出すと、以前よりは良くなったようだが、まだ少し変速ショックがある。
帰りに裾野のマックバリューの中のダイソーに行きスーツケースベルトど歩数計を買った。
スーツケースのベルトはすぐに壊れてしまうのでこれで十分だ。
さて明日から何歩歩いたか測ってみよう。

家に戻り、ゲージで確認するとオイルが赤色を取り戻していた。
これなら今度からは自分で交換できるな。

NHKのBSでロッテVsダイエーを見ていると、試合の途中で西武が負けてダイエーの優勝が決まった。
王監督も、やっと肩の荷が下りたかな。

120キロ先は・・・ 2003,9,29
目が覚めると今日もいい天気だ。
テレビをつけると昨日の苫小牧の製油所のタンクはまだ燃えている。
ナフサは揮発性が高いので、燃え尽きるまで待つしかないのかな。
それにしてもあの煙、大気汚染が心配だ。

天気がいいのでどこかへ出掛けたくなった。そうだ、久しぶりに南アルプス林道に行ってみよう。
朝食を食べたあと、さっそく車を西に向けた。
R1を西進し、興津からR52を北上。この道は本当に久しぶりだ。
所々工事が行われていてペースが悪い。
遅い車を追い越してもその先の工事でまた遅い車に追いついてしまう。

R52を左折し南アルプス街道を北上していく。
しばらく行くと、時間帯通行規制の看板。多分工事か何かだろう。
しかし、そんな看板が数キロごとにある。なんでこんなにたくさんあるんだろう。
気になって止まって見ると、午前中と夜の1日に2回しか通行できないじゃないか。
これじゃ時間帯規制じゃなくて、時間帯通行可だ。

もしかして通れるかもしれない、と思って一番奥まで行くがやっぱり通行止め。
どうやら渋滞や事故を防止するために、時間ごとに一方通行にしているようだ。
何年か前に来た時は、こんな規制はなかったのに。規制解除までにまだ5時間はあるな。
でもここまで120キロも走ってきたんで戻るのも癪だ。仕方ない、待つか。

6時半に開通したとして、林道を抜けるのに1時間、さらに市街地までも1時間はかかるな。
念のため燃料を補給しておこう。この前みたいな石油危機は心臓に悪い。
12キロほど戻って給油。信号はないが数個所で工事をしていてペースダウン。
でもまだ時間あるからいいか。

途中、この辺りを走っている、日本を横断している大断層、フォッサマグナを見に行った。
トンネルができてしまったので、場所を見つけるのにかなり苦労した。
最初看板に従って進んでいったが全然わからない。
広い路肩があったので、そこに車を止めてUターンしようとした。
その前にお腹がすいたので、買ってきたおむすびを1つ食べた。

ふと川原の方を見ると、下のほうに何かモニュメントのような物があった。
なんだ、あれ。と思って車を降りその方に歩いていくと、断層の説明だった。
それを読むと、フォッサマグナが地上に露出しているのは非常に珍しいらしい。

それならもっと目立つように看板を立てればいいのに。
偶然ここに止まらなかったら絶対に見つからなかったよ。

給油を終えて戻って来たが、これからどうしよう。まだかなり時間あるし。
そうだ、近くの温泉に行ってみよう。何年か前から気になっていたんだよな。
車を駐車場に止め、温泉まで坂を登っていく。5分ほどで到着。
町営の温泉で入浴料は400円。

浴室に行くと、けっこう広い総檜作りの浴槽が2つ。それぞれ温度が違う。
温泉成分の分析表を見ると、採取口で42度。ちょうどいい温度だ。
僕はぬるい方に入ったが、多分温度は38度くらいかな。ぬるくて僕にはちょうどいい。
このお湯は源泉で、沸かしてもいないという。無色透明で、僅かに硫化水素の匂いもする。
この温泉は昔から知られていたそうだが、入浴には使わず、全部川に流れていたという。

ぬるいお湯にゆっくり浸かってすっかり温まった。筋肉痛も緩和された、ような気がする。
しばらく国会中継を聞きながら駐車場で休んだ後、5時半になったのでゲートへ移動開始。

ふと駐車場の出口で気になる看板を発見。「甲府方面への通り抜けはできません」
えっ? なになに、通り抜けできない? はあっ、そんなこと聞いてないよ、冗談でしょ。
とりあえずゲートまで行き、そこにいた警備員の人に聞いてみた。
すると、夜叉神区間は崖崩れで当分の間通行止めで、広河原までしか行けないという。

うぉーっ、なんだよー、せっかく4時間も待ってたのに。
開通を待って進んでも戻ってこなきゃならないじゃん。それも真っ暗で何も見えない中を。
これじゃ来た意味が無い。今度は午前中に出直してこよう。

この林道は、未舗装の断崖絶壁の道路に照明の無い素堀のトンネルなどのワイルドさが売りだ。
それに夜叉神のSS区間も最高に楽しかったのに。それにその先に温泉もある。

周囲はすっかり暗闇に包まれた。仕方なく来た道を戻った。
結局家に戻ってきたのは8時過ぎ。まあこんな事もあるわな。
時間だけはまだあるし。また天気のいい日に行けばいいさ。

今日の夜になって、ようやく苫小牧の製油所の火事も鎮圧状態になったな。
あれだけのナフサを燃料に使ったら、いったい乗用車で何年分になるんだろう。

筋肉痛だ 2003,9,28
朝目が覚めると今日も晴天。青空を見ると嬉しくなるよ。
さて起きるかな、と思うと足が痛い。筋肉痛だ。やっぱり。
まあ、ある程度予想してたけど、翌々日に発症じゃなくてよかった。

1階に下りると、この前ネットで予約したツアーの申込書が送られてきていた。
中には申込書のほかに、九寨溝や黄龍のガイドも入っていた。
九寨溝や黄龍って市販のガイドブックにはあまり詳しく出てないんだよね。
今日は日曜で金融機関も休みだから、明日振込みに行こう。

ふとアブシンベルでペットボトルホルダーを忘れてきたことを思い出した。
あのホルダーはライブハウスで買ったもので、他の場所で売っているのを見たことがない。
それじゃ、自分で作るかな。しかしあの黒いゴムのリング、どうやって手に入れよう。
専用に型を起こしたとすれば、なかなか手に入るもんじゃないな。

んんっ、でもあのリング、どこかで見たことがあるような気がするな。何だったかなあ。
あっ、もしかしてパッキン用のOリングじゃないか。そうだそうだ。

さっそくホームセンターへ向かった。ついでにペンキも買ってこよう。
そして清水町のホームセンターに到着し、店内を探して回ったがなかなか見つからない。
工具や機械類、それにゴム製品の売り場でも見当たらない。
うーん、やっぱり一般の店じゃ売ってないのかなあ。

諦めようと思ったが、パッキンならもしかして水道関係のところにあるかな。
向かってみると予想は的中、たくさんの種類のOリングがあった。
その中からペットボトルのキャップと同じくらいの物を選んだ。
3個入りで180円、こんなもんかな。
ついでに階段に塗る明るい灰色のペンキも買ってきた。

一度家に戻りさっそくペンキ塗りを開始。水性塗料なので扱いが楽だ。
今日は天気もいいのですぐに乾くだろう。塗装日和だ。
1時間半ほどかけてステップ部分を全て塗り終わった。
これで夜でも足を踏み外すこともないだろう。

とりあえずリングは手に入ったので、あとはストラップだ。
これは100円ショップに行けば手に入るだろう。
とうことでしばらく休んだ後、近所のダイソーへ向かった。

携帯電話などのストラップが使えるだろう、と思ったのだがみんな細い紐のような物ばかり。
ペットボトルは重いから紐じゃダメだ。何か代用できるものはないかな。
で、目についたのが犬の散歩用の平たいロープと包装用のリボン。
とりあえずこれで試してみよう。接着剤も要るかな。

家に戻りさっそく製作開始。適当な長さにロープを切り、リングに通して接着する。
最初、縫わなきゃダメかな、と思ったが意外に接着剤だけでも十分だ。
引っ張っても全然剥がれない。これなら大丈夫だ。とりあえず2つほど作ってみたが上出来だ。

*作り方は美術館にアップしてあります。

ああ、ダイエーは今日も優勝を決められなかった。王監督も眠れない日が続くな。

ハイキング日和 2003,9,27
目が覚めると外が明るい。久しぶりの青空だ。
こういうときは出かけなきゃ。いえにいたらもったいない。

さっそく朝食を食べて準備開始。9時過ぎ、車庫に降りた。
こんなにいい天気だから、ちょっと山を歩いてみたいな。
そうだ、久しぶりに丹沢へ行ってみよう。ここからなら1時間くらいで行けるし。

R246に出て北上。交通量は多いが流は良く快適に走れる。富士山もきれいだなあ。
途中コンビニで食料とスポーツドリンクを調達、それに飴も買った。

坂を下ったところで左折、懐かしい道だ。前に来たのはいつだったかな。
たしか玄倉川で水難事故があった時だから1999年か。あれからもう4年も経ったんだな。

三保ダムを過ぎ、玄倉川を少し遡った所でゲートに阻まれる。ここからは徒歩だ。
何年か前まで、奥のロッジまで車で行けたんだけどな。本当に残念だよ。
年々林道への進入規制が厳しくなるな。

僕が初めてここに来たのは、小学生のころ父に連れてきてもらった時だった。
僕が生まれる前、父も母も、この丹沢にはよく足を運んでいたという。

ゲートの前には10台ほどの乗用車が止まっていた。
僕も空いたスペースに車を止め、Dパックに荷物を詰め込んだ。
そしてトレッキングシューズの紐を締め直し、歩き始めた。

最初は舗装された道を歩いていく。15分ほどで境隧道を通過、ここからはダートだ。
聞こえるのは葉擦れの音、はるか下を流れる水の音、蝉の声、そして僕の足音。
緑の葉の隙間からの木漏れ日が美しい。自然を満喫して歩いていく。

時折工事車両や工事関係者と思われる車が走っていく。

青崩隧道が近付いてきた。この林道で、僕がいちばん好きな場所だ。
巨大な岩盤を貫いた素掘りのトンネル。照明なんて無い。
途中、明かり取りか何かわからないが横穴があり外に出られる。
といってもそこは断崖絶壁、落ちたら命は無い。

そこからしばらく進むと玄倉ダムがある。
そこには言葉にできないほど美しい、澄んだエメラルドグリーンの水が。
僕は思わずそこに立ちすくみ、しばらくその美しさに見惚れていた。

以前来た時は、ここに着いた時にはすでに疲れ果てていたな。
でも最近、よく山歩きをするようになってから、2時間くらいは休まずに歩けるようになった。

肉眼で見てもわからないほど緩やかな上り坂を登っていく。
途中何人かのハイカーとすれ違い挨拶を交わす。
駐車場から約1時間20分でユーシンに到着。それでも標高差は300メートルはあった。
ガイドブックでは標準所要時間2時間なので、かなり早いペースだった。
そいえば玄倉ダムで5分くらい止まっただけで、あとはほとんどノンストップだったからな。

母に聞くと、このユーシン園地は以前広い駐車場があったという。
それが大雨で流されたらしい。僕が初めて来た時はすでに駐車場はなかった。

僕は木陰の石の上に座り、買ってきたサンドイッチとパンを食べた。
大自然に囲まれた中で食べるサンドイッチは、僕にとって最高のご馳走だ。

その後、ロッジを見に行き、しばらく休憩してから戻ることにした。
帰りは緩やかな下りなので比較的楽だ。でもやっぱり少し疲れたのでペースを落とす。

途中、競技オリエンテーリングをやっていると思われる人たちと遭遇。
3人くらいのグループで、目も眩むような急な崖をロープ1本で降りていく。
そして川原を走って下っていった。あれじゃ景色を楽しむ余裕は無いな。

帰りは1時間半ほどかかって駐車場に到着。心地いい疲労感だ。

まだ時間があるので中川の方に行ってみた。
そして犬越路林道に行こうとしたが、あえなくすぐにゲートでシャットアウト。
あれーっ、ここも規制がかかってしまったか。
前にはよく犬越路トンネルを越えて、山梨県側へ抜けたのになあ。あれは絶景だったのに。
それに数年前までトンネルまでは行けたんだよ。なんでこんなに規制してしまうんだろう。
あんな立派なトンネルを作ったのに、なんで一般車を通れなくしてしまうんだろう。

仕方なく来た道を戻り、さらに奥へ。
しかしここもすぐ先で規制のゲート。なんと、ここもダメか。
ああ、もうあそこまで車で行くことはできないのかなあ。
一度も行ったことが無ければ気にもならないが、
以前、行けた時代を知っている僕にとってはすごく悔しく残念でならない。
一度規制されてしまうと、おそらく二度と通ることはできないんじゃないかな。

少し重い気分で車を折り返した。
気をとり直し、温泉に寄ってみることにした。疲れたし、汗を流すのにちょうどいいや。
しばらく来た道を戻り、2時半過ぎ、町営の中川温泉に到着。駐車場はけっこう混んでいる。
それでも2台分ほど空きスペースがあったので車を止めた。

町営だから安いだろう、と思ったのだが意外と高く2時間で700円。
まあ関東近辺じゃこんなもんなのかな。
しかし中はそれほど広くなく、内湯は5・6人入れる程度。露店はもうちょっと入れるか。
入ったときは混んでいたが、しばらくすると空いてきた。
完全に、とまでは行かないが、ある程度疲労も回復。
2階の休憩室で清涼飲料水を飲みながら、少し休んでから温泉を出た。

帰りにパンフレットを見ると、大浴場と書いてあり写真を見ると内湯もかなり広い。
おかしいなあ、全然違うぞ。これに比べるとありゃ家族風呂だ。
聞くと、日毎に男湯と女湯が入れ替わるらしい。今日は大浴場は女湯だったのか。

そこから1時間ちょっとで家の近くに戻ってきた。
しばらく公園に車を止めて、ラジオでダイエーvsオリックスの中継を聞いていた。
ダイエーは今日優勝かと思ったら2試合連続のサヨナラ負け。試合が終わったので家に戻った。

今日は疲れたけどいい疲労感。今夜はぐっすり寝られそうだ。

虫の知らせ? 2003,9,26
今朝5時ころか、突然目が覚めた。ラジオでは大きな地震があったとのニュース。

ラジオの電源が自動的に入る”緊急放送”のシグナルを定期試験以外で聞いたのは初めてだ。
すぐにテレビの電源を入れ、北海道の友人にメールし、無事を確認して一安心。
昨日の夜、突然テレビが壊れたのは虫の知らせだったのか?

ネットで地震情報を見ると、かなりの広範囲で揺れを感じたようだ。
最初マグニチュード7.8と表示されていたが、いつのまにか8に訂正されていた。

それにしてもNHKはほとんどの番組を中止し、地震のニュースを繰り返している。
公共放送だからこそできる技だな。

今朝は小雨模様。でも何となく蒸し暑い。
10時過ぎ、車庫に降りると車全体に露が付いていた。
暖かく湿った空気が流れ込み、冷えていた車体で結露したんだろう。

中国に行くまでにまだ時間があるので、それまでにどこかに行きたいな。
ネットで検索していると、台湾が3日で2万円台だった。7月は2万円以下だったのに。
でも3日じゃちょっと忙しないんだよな。
でもよく見ると4日で29800円という観光無しのツアーがあった。
んんっ、また行きたくなってきたぞ。手元に2700台湾元あるし。

前に行った時は朝食付だったけど、このツアーは無しか。
でも台湾には日本以上にコンビニがあるし、食事には全然苦労しないからな。
前回行けなかった台中にも行ってみたい。ちょっと検討しよう。

その後しばらく車庫の整理。
そういえば昨日車庫入れした時、何か踏んだような気がしたな。多分ゴミだと思うけど。
一応左の後輪の付近を確かめると、なにか光るものが・・・。
近付いてよく見ると、あちゃーっ、コッヘルだ。半分潰れてる。
この前山口に行く時に、大きい方のコッヘルは置いていったんだ。
それがいつのまにか床に落ちていて、それを踏み潰してしまったのか。
んんーっ、これじゃ叩いても直らないだろうな。

いつのまにか雨が上がり、さらに蒸し暑くなってきた。
車を出し缶コーヒーを買って、三島方面に向かった。途中食事をした後、しばらく休憩。

しかし毎日自動販売機で缶コーヒーを120円で買うならケースで買ったほうが得だな。
帰りに近くのホームセンターの食品売り場を物色。
どこかで聞いたことがあるメーカーの缶コーヒーが30本で1440円。こりゃ安い。
あまり安いので味の方はリスキーだが1箱買ってみた。
他にもラッカーのスプレー缶を3本買った。

車の中で1缶開けて飲んでみたが、味の方は値段相応だな、
冷えてないせいもあるかも知れないけど。やっぱりダイドーのほうが美味い。

それにしてもサンガリアってどこかで聞いたようなメーカーだ。何だったかな。
そうだ、石垣の100円ショップで2本100円で売ってた野菜ジュースのメーカーだ。
30本で1440円てことは1本48円。まあ100円ショップよりは安いか。
とりあえず石垣のカネヒデで売ってた39円の韓国製のコーヒーよりは美味いからいいか。

家に戻り、車庫から家に上がる階段の補修を開始。
所々錆が発生していたので、それを落としスプレーで補修。
でもスプレーじゃ塗膜が薄いから、そのうち刷毛で塗りなおさないとダメだな。

ニュースでは相変わらず今朝の地震と津波のニュースがメインだ。
道東でバイトしている友人の無事も確認。
早く収まるといいんだけど。僕の住んでる静岡もひとごとじゃないからな。

虫も復活 2003,9,25
今日は朝から雨模様。なんだか梅雨みたいな降り方だ。

ふと過去の日記帳を読んでみた。もう1年以上続いてるんだな。

朝食を食べた後、缶コーヒーを買いに近くまで出かけた。
ついでにホームセンターへ行き、インクジェット用の光沢紙を買ってきた。
いままでデジカメで撮った写真はモニターでしか見ていなかったけど
昨日プリントしてみたら、なかなかいいなって思ったよ。

帰りにダイソーへ寄ってファイルと電池を調達。電池はよく見ると200円。
どこかで200円の物を売っているのを見たことがあったけど、ついにここまで進出してきたんだ。
200円コーナーとかを別に作ってくれると選びやすくなるんだけどな。

相変わらずトルコンの変速ショックが大きい。車検の時にオイル交換したんだけど。
レベルゲージで見てみると、オイルの量は適量だけど、かなり汚れている。
整備記録を見ると、やはり車検の時にATF5リットル交換したことになっている。
おかしいなあ。やっぱり壊れかけてるのかなあ。

そうだ、ディーラーに聞いてみよう。
早速電話してサービスの人に変速ショックが大きいと伝えると、多分オイルが原因だという。
車検の時に5リットル交換したことになっていますが。と言うと、
それは下から抜いて、その分補充しただけで、それじゃ全然きれいにならないという。
2万キロごとに交換しているならそれでもいいが、
7万キロも乗ってしまったらほとんど効果がないらしい。
いくらトッポBJでも、完全にきれいにするにはポンプでオイルを圧送し、
きれいになるまで送る続けると、最低10リットルは必要だと言う。
費用も2万円くらいかかると言う。んんーっ、ちょっと考えちゃうな。

家に戻り、車庫にたまっていたゴミをまとめて焼却炉に入れて火をつけた。
最近ダイオキシンの問題で、やたらとゴミを燃やせなくなってしまったんだよね。
有害なガスが出るプラスチック類はとりあえず分別しておいた。

最近パソコンの動きが悪くなってきたような気がするのでハードディスクを覗いてみた。
CとDドライブにはそれぞれ40Gが入っているが、どちらも2/3くらい使用している。
要らないファイルが大量に溜まっていたので一気に削除。そしてデフラグ。
これで少しは良くなったような気がする。本当に気のせいかもしれないが。

暗くなってくると、何日かぶりに虫の鳴き声が聞こえ、ちょっと安心。
去年米原でキャンプしていた時のことを思い出した。そして米原でよく聞いた曲。

あなたに会えて 本当によかった うれしくて うれしくて 言葉にできない・・・

今日まで涼しかったけど、明日からはまた夏日になりそう。
僕は夏が大好き。だから秋は寂しくなってしまう。また来年、夏は来るんだけどね。

人生の分かれ道 2003,9,24
昨日は秋晴れだったのに、今朝は曇り空。

朝食を食べた後は部屋の掃除。
旅行から帰ってきてすぐにまた出かけてしまうので片付ける時間が無かった。
そのためかなり散らかってしまい、いいかげん鬱陶しくなってきた。
しかし掃除はなかなか捗らない。
旅先で買ったものや写真が出てくると、ついそれに見入ってしまう。
不要なDMやゴミを捨てただけであまりきれいにならなかった。
まあ少しづづ片付けるしかないな。

その後、車を近くの公園に止め、毎月旅行会社から送られてくるツアーの案内を見ていた。
そういえば去年から九塞溝や黄龍に行きたいと思っていたけど実現できなかったな。
カンボジアも雨季に入ってしまったし、マチュピチュは強烈に高かったし。
エジプトに行った時には周りの人にトルコはすごくいいと聞かされたし。
またどこかに行きたくなってきたな。

しばらくして空からは雨が落ちてきた。

家に戻り車庫のゴミを処分した後、ネットで検索。
トルコは10月分はほとんどが満席や催行中止。
マチュピチュにも行きたいけどおそろしく高く、やっぱり予算オーバー。
ここはいつかのために残しておこう。
やっぱりアジアがいいな。で、再び候補に上がったのが九塞溝。

ここは5月から10月までしか行けない、冬には閉鎖になる秘境。
それに九塞溝や黄龍では5時間ほどのトレッキングもあるし楽しそう。
成都では子パンダも抱いて写真が撮れる。
もうこれが最後のチャンスかもしれないな。

JTBや近畿日本ツーリストなどメジャーな旅行会社は受付終了だったり満席になっている。
ありゃーっ、ちょっと遅かったかな。

再び車を出し、公園に止めて検討、夕方戻ってきた。

再びネットで別の関西系の旅行会社で検索すると、催行が決定していて受付中だった。
ううーん、どうすべきか。考えてる時間はあまりないぞ。
一人だとどうしても割高になってしまうが、ここならなんとか予算内に収まりそうだ。

しばらく考えた末申し込むことに決定。ねっとで予約、席を確保した。
フリーでいる間、多分これが最後の海外になるだろう。


もうすぐ旅に出てから1年になるな。本当にあっという間だったよ。
いろいろな所に行ったし、たくさんの人に出会い、嬉しい再会も果たした。
旅に出なかったら絶対に出会うことが無かった人と出会い、そして再会。
考えてみると、おそろしいほどの偶然の積み重ねで人はつながっているんだな。
そして、無限の選択肢の中から、ほとんどは意識することなく道を選んでいる。

もしあの時、風が吹かなかったら、僕がキャンプ場にいなかったら、
怪我をしていなかったら、そして浜に出なかったら…、
話もすることなく離れていき、二度と会うこともなかったかもしれない。

人生の分かれ道って、いたるところにあるんだな。そして、行き先は自分で決める。
僕は、今までそれに気付かなかっただけなのかもしれない。
そして今、僕にその時が来たのかもしれない。

買わなくてよかった 2003,9,23
今日は秋分の日。甥っ子の声で目が覚め、ゆっくりの7時半の起床。
外を見ると真っ青な空と白い雲。少し涼しくて、富士山もはっきり見えて、ちょっと秋の気分。

それにしても子供って、ちょっと見ないうちにどんどん成長するんだね。
いろいろな新しい言葉もたくさん覚えて、すごい能力だよね。

朝食を食べた後、車庫に降りて洗車。
1週間ほど車で旅していたので、外も中もすっかり汚くなってしまった。
外を洗ったあと車内を清掃。しかし行方不明になっていた写ルンですは発見できなかった。
せっかく撮った写真が見られないほど悔しいことってないよね。
思い出をたくさん閉じ込めておいたのに。

ふとオドメーターを覗き込むと、前回オイル交換してから5000キロ以上走っている。
この1週間で2000キロ以上走ったからな。そろそろオイル交換しないと。
それに携帯を機種変更したので今まで使ってたホルダーが使えなくなってしまった。
ということで近くのホームセンターに出かけた。

祝日の10時過ぎとあって駐車場はかなり混雑。ちょうど1台出たのでそこへ駆け込んだ。
とりあえず携帯のホルダーを買って、今度は三島のホームセンターまで行った。
オイルの値段を見ると、こっちの方が500円も安かった。さっき買わなくてよかった。

そういえば携帯を替えたんで、モバイルにつなぐケーブルも買いに行かなきゃ。
ケーブルがないと、出先でネットに接続できないからな。
R1バイパスを西進し、ドコモショップに向かった。
でも良く考えると車載充電器はそのまま使えたな。もしかすると・・・。
脇道に入り車を止め、ケーブルを差し込んでみると、ぴったり入った。
おおっ、NTTドコモにしては珍しい。機種が違ってもとりあえずは入るんだ。
問題はネットにつながるかだ。で、やってみるとちゃんとつながった。
最近はインターフェースの規格が統一されているのかな。買わなくてよかった。

それじゃUターンして一度家に戻り携帯のホルダーを取り付けよう。
しかし垂直の場所に取り付けるので両面テープだけではちょっと不安だ。
そこで電動ドライバーで螺子を2本打ち込んだ。これなら落ちることはないだろう。

エンジンも少し冷えたので、車をジャッキアップしてオイル交換。
いつも家でオイル交換するのでオイルの空き缶が20本近く貯まってしまった。どうしようかな。
その後弁当を買いに行って、しばらく休んでいた。

夕方パソコンショップに行き、携帯電話のデータをパソコンに取り込むソフトを買った。
しかしノートパソコンではメールは取り込めるけど、なぜか画像を取り込むと固まってしまう。
仕方ないのでデスクトップで試してみると正常に取り込めた。
ペンティアム266のメモリー64メガじゃスペック不足かな。無理やりMeを乗せてるし。

使い方はだいたいわかったけど、ダウンロードした画像はどうしても取り込めない。
パッケージや取扱説明書にもこの件に関しては記載が無い。んんーっ、どうやるんだろう。
チャクメロに関しては著作権の関係で取り込めないらしい。画像もそうなのだろうか。
J-PHONEから来る画像はパソコンでもアクセスできるのに、DoCoMoはアクセス不能。
それじゃどうやって受信した画像をプリントアウトすればいいんだろう。

秋の夜長、分厚いマニュアルを読んでみようかな。

宮本武蔵 2003,9,22
明け方近く、雨がぱらついたようだ。そして寒くて目が覚めた。
気温は14度くらい。これじゃ車の中でも寒いよ。シュラフは夏用だし。
エンジンをかけて温まった。これでまた寝られる。

6時半ころ目が覚めたので、コーヒーを沸かしパンを食べて出発の準備。
その前に昨日の日記を書いてHPにアップ。8時過ぎ出発。

R181を東に進み、中国自動車道沿いに走る。
津山からはR429に入ったが、これはSS級の山道。とても国道とは思えない。
でも僕はこういう峡路が大好きだ。快調に飛ばし、ツーリングマップルは関西版に移った。

ふと行き先の方を見ていると”みやもとむさし”なる駅を発見。なんだ、この駅。
この地図は1997年版だから、NHKの大河ドラマにあやかって改称したんじゃなさそうだ。
それじゃ行ってみよう。

山道を越え、R373に出ると駅はすぐ近くにあった。
どうやらここは宮本武蔵の生誕の地らしい。なるほど、それで納得。
それにしても巌流島に行った後に、こんな所に出くわすなんてすごい偶然だな。

駅は新しく建て替えたようで、武家屋敷風の造りの無人駅だった。
僕がホームに上がると一日に数本しかない特急列車が入ってきた。これも驚くべき偶然。
なんか今日は運がいいなあ。

数人が列車から降りて写真を撮って戻っていった。降りたのは一人だけだった。
僕も数枚写真を撮って、駅にあったパンフレットをもらって後にした。

駅前には”宮本武蔵生誕の地”の看板があったので、その通りに進んでいくと
そこには昔風の2階建ての建物が建っていたが、本当に武蔵がここで生まれたんだろうか。
その周りにはお土産屋もあり、これはNHKの影響だろうがかなり賑わっていた。
観光バスも数台止まっていた。

再びR373に出て、途中を東進。ひたすら深い山の中を飛ばす。
しばらく中国道に平行して走り、福崎の市街地に出た。そうだ、携帯の機種変更をしよう。

僕の携帯はアナログ時代から使っているが、契約先がドコモ関西なのでちょっと面倒だ。
地元の東海では変更はできるが、本体価格が恐ろしく高くなる。
以前も和歌山まで行って機種変更した記憶がある。

左右を注意して見ながら進むとドコモショップ発見。
しかし止まれず通過してしまったので信号を左折すると家電量販店があったので入ってみた。
やはりこっちの方が断然安い。静岡では21000円くらいするのにこっちでは7000円だ。
なんと3分の1の値段で買える。一応値段をチェックして店を出てドコモショップに向かった。

ドコモショップに入り、どの機種にしようか見てみたが値段はさっきの量販店と同じ。
そしてP251が7000円だったのでそれに決めた。これで写真も送れるようになった。
手続きが終わり、店を出て試しに使ってみた。
今までのとキーの使い方が違うので慣れるまでちょっと手間取りそうだ。
でも液晶もキーも大きくて使いやすくなった。

しばらく中国道沿いに走っていたが、そろそろ街になるな。きっと渋滞しているだろう。
なぜか急に早く帰りたくなってきたので、西宮北から高速に乗り一気に東へ。

途中何箇所かパーキングで休憩し、8時ころ家に戻ってきた。
そして車から降りると・・・、寒い。なんだ、この気温差は。大阪あたりは暖かかったのに。
僕が出かけていた1週間で一気に季節が進んだのかな。
今夜は虫も鳴いていない。なんだか寂しく感じるな。

さてこれからどうしようかな。あと1ヶ月、考えるより行動が先かな。

青空の見送り 2003,9,21
8時にセットしたアラームで目が覚めた。
昨日は寝不足だったせいもあるが、ぐっすりと寝ることができた。

カーテンの隙間からは明るい光が漏れていた。
少しカーテンを開けて外を見ると、真っ青な空。心配していた台風は沖合を通過したようだ。
そのおかげで雲をみんな吸い取ってくれたみたいだ。

ゆっくり準備をして9時半ころ部屋を出た。問題はフロントの前を通る時。
Nさんがチェックアウトしている時に僕がフロントの前を通過した。
僕は特に問題も無く通過できたが、Nさんはチェックアウトしている時
ホテルの人の視線を感じたという。
シングルの部屋なのに二人で出てきたら不審に思うだろうな。
僕は一応ポーターということになっているんだけど。

風は強いけど最高にいい天気。日差しがまぶしいよ。
Nさんは広島を12時半に出発する飛行機で帰るので、まだ少し時間がある。
ここから広島空港まで1時間くらいだから、あと1時間ちょっとある。

とりあえず原爆ドームの近くに車を止めて、周囲を散策。
市内見物をするために路面電車に乗ってみることにした。
ここの路面電車はどういうルートになっているかよくわからなかったけど
停留場に乗り方などの書かれたリーフレットが置いてあった。

どこに行こうか検討の結果、江波あたりが適当と判断。江波行きを待った。
ふと右側を見ると、路面電車が列を成して向かってくる。
二台ほどやり過ごすと江波行きが来たので乗りこんだ。

僕は路面電車は香港でしか乗ったことがなかったけど、
それに比べるとエアコンも効いていて揺れも少なく、ずっと乗り心地が良かった。
終点に到着してそのまま折り返そうと思ったら、一度車庫に引き上げるようだ。
仕方なく150円を払って電車を降りた。

そうか、一度車庫に行って行き先別に時間調整をするんだろう。
適当に折り返していたら全然来なくなったり団子になったりするもんな。さすが日本。
広島駅行きが来たので電車の横で写真を撮っていると、すぐにドアが閉まり発車してしまった。
あれーっ、こんなに停車時間が短いとは思わなかったよ。
でも10分くらい待てば次が来るな。

しばらくして広島駅行きが来た。今度は乗り過ごさずにすんだ。
そして原爆ドーム前に戻り、しばらくドームの周囲を散策して車に戻った。

駐車場を出て広島インターに向かう。そして高速に乗った。
一緒にいられるのもあと少しになってしまったなあ。
北海道に帰ってしまうとなかなか会えないからな。ちょっと寂しさを感じる。
Nさんの「楽しかったね」という言葉が心に響いた。

そして広島空港に到着。荷物をまとめて空港ターミナルに入った。
Nさんはチェックインし、荷物を預け、買い物をしてから手荷物検査に向かった。
この先は乗客しか入れない。そこで手を振ってお別れ。今度いつ会えるかな。
Nさんの姿が見えなくなったので、僕は屋上の送迎デッキに上がった。

風が心地よく、日差しが肌に感じる。
12時半、定刻に機は移動を開始。そして札幌に向けて飛び立った。
しばらくして機は左旋回し、僕の視界から消えた。

空港を後にし、尾道に向かった。空席になってしまった助手席に寂しさを感じる。

30分ほど走って尾道の市街にに入った。
狭い道、急な階段、そして尾道水道を行き来する渡し舟。
この尾道独特の雰囲気が僕は好きだ。

車を千光寺公園に向け走らせた。商店街を抜け坂を登る。
駐車場は満車だったがしばらく待つと止めることができた。
公園の中を歩いて展望台に登ると美しい尾道の展望が広がっていた。
新しくできたしまなみ海道の尾道大橋も見える。
僕はしばらく風に吹かれながらその景色に見とれていた。

家は遠いので先に進むことにした。でも僕は混雑した道は嫌いだ。
尾道を1周してR184を北上、R432を経由して東条町に出た。
何年か前に来た帝釈峡を通過し、道の駅東条で休憩。
ここに泊ろうかと思っていたが意外に早く着き、まだ5時前だ。じゃあ先に進もう。

R182を中国道沿いに進。しばらくすると軽トラ4台の行列についてしまってペースダウン。
直線になったので一気にゴボウ抜き。やっと快適になった。
そして新見で食料を調達しR180を北上、新貝千屋温泉”いぶきの里”に向かった。
内陸部は気温が下がり15度前後になっていた。
さっきの店でおじさんに「半袖で寒くない?若いからげんじゃのー」と岡山弁で。
そういえば米原でも山口のMDさんが
「・・・じゃけん」、とか「・・・じゃのー」なんて言っていたのを思いだした。

新貝千屋温泉に到着しゆっくり温泉に浸かって汗と疲れを流した。

温泉を出ると外はすっかり暗くなっていた。
来た道を少し戻り、車1台がやっと通れるような山岳路を通過。
これが昼間だったら楽しいだろうな。またいつか来よう。

まるでラリーのSSのような道を抜け、四十曲トンネルの鳥取県側に出た。
四十曲といってもトンネル内は直線だった。
そして7時半過ぎ、道の駅メルヘンの里新庄に到着。今日はここで泊ろう。

3日分の日記を一気に書き上げアップ。11時を過ぎてしまった。
さて明日はのんびり東を目指して走ろうかな。静岡はまだ遠いな。


島巡り 2003,9,20
午前1時ころ、二人とも目が覚めた。
なぜか二人とも全然眠れなくなり、ずっと寝ながら話しをしていた。
眠りについたのは、午前4時ころだっただろうか。

朝早く、近所で何か集まっているようで、たくさんの人達の話し声が聞こえた。
どうやら朝市みたいのがあったようだ。

そして7時に目覚ましのアラームが鳴ったが、さすがに起きるのは辛かった。
うとうとしているうちに8時になり、朝食が運ばれてきた。
部屋で食べる朝食なんて、これも久しぶり、というより記憶にあったかな。

朝食の後、身支度を整えて荷物をまとめ、宿代を払って駐車場に向かった。
雨は上がり、雲の切れ目からは青空も顔を見せた。

今日は島巡り、角島と厳流島へ行くことになった。
厳流島にはアントニオ猪木ファンのNさんが行きたいと言っていたが
僕も一度行ってみたいと思っていた。

R491に出て北上し、R191に乗り西進。
角島へと向かう橋は、僕のTMだと点線なのに、Nさんの最新版は写真も載っている。
ほぼ1年ぶりに僕は角島へと向かった。

途中R191を右折、右へ回りこむと橋が見えてきた。
これが青空だったら、海の色も最高にきれいなのだけど。
それでも風は強いけど、時折青空も見えるし気温も高く風は気持ちいい。
パーキングに止まり、写真を取った後展望台に上るとサーファーの姿が見えた。
こんな強風と波で、やっぱり好きな人は好きなんだろうな。

その後橋を渡り角島へ、そして先端の灯台のある公園へ。
車を止め、海岸に歩いていったが去年あった座礁船の姿は見えなかった。
波の下に入っているのか、それとも流されたか撤去されたか。

しばらく公園を散策し、駐車場にあった店でイカ焼きとサザエを食べた。
サザエは海水だけの味付けだったが十分美味しかった。

角島を後にし、一路下関を目指す。市街地に入ると道が混んでいる。
厳流島にはどうやって渡ればいいんだろう。
とりあえず下関港に行ってみようとしたが、いつのまにか通過してしまっていた。

すると左側に厳流島渡船の小さな看板発見。通りすぎてしまったのでその先を左折。
しかしそこは三菱造船所の工場で、おかしいと思いミラーを見ると守衛所から誰か出てきた。
ありゃりゃ、手前を曲がらなきゃいけなかったんだ。
すぐにUターンして外に出たが、その人は変な顔をしていた。

狭い路地を進んでいくと、行き止まりになった。この先は海だ。
おかしいなあ、どこだ?と思い車を降りて先にいくと、ビーチパラソルの下に人がいた。
聞いてみるとここが渡船場らしい。運賃は往復1000円。

すぐに船が来たので乗りこんだ。座席は3つだけ。
他にも大きなフェリーのような定期船が出ているようだが、こっちのほうがいいな。
数分で厳流島に到着。船頭さんに簡単な説明を聞いた。

土曜日の昼下がり、NHKの影響か、島はきれいに整備され賑わっていた。
お土産屋やJRのオレンジカードの売り場もあった。
スポーツチャンバラの大会が行われていたが、何だか子供会の運動会みたいだった。

僕達は決闘の銅像や、武蔵が乗ってきた船?で記念写真を撮ったりしていた。
像の周りには誰もいなくなったので、芝生に寝転んで空を見上げていた。

しばらくすると雲行きが怪しくなり、小雨が降ってきた。関門橋の方はかなり霞んでいる。
傘を持っていなかったので、ひどくなる前に船乗り場方向に移動開始。
トイレに行くと雨が強くなったのでしばらく雨宿り。

Nさんがお土産を買っていると雨が上がった。
本来渡船は電話をして呼ぶのだが、ちょうど桟橋に着いた。
他の乗客が読んだようだが、乗ってきたのはさっきオレカを売っていたJRの人だ。
雨なので店じまいのようだ。

帰りは椅子が濡れているので座って手摺りにつかまっていた。
また雨が強くなってきたが、船を降り車にかけこんだ。

今晩はNさんは明日広島から札幌に帰るので、広島のホテルに泊ることになっている。
下道じゃ夜中になってしまうので一気に高速で広島に。
僕も同じホテルに泊ろうと電話してみたが、なんと満室との返答。本当かなあ。

仕方ないので取りあえずホテルに向かい、Nさんがチェックインしてから食事に行くことにした。
広島といえばお好み焼き。とりあえず駅方向に車を向けた。
途中繁華街を見つけたので車で周回。
飲み屋や風俗店がいっぱい、その中にお好み焼き屋もあった。

車をコイン駐車場に止めて周囲を散策。
二人で歩いていると風俗店の呼びこみに声を掛けられないので楽に歩ける。

このあたりの地理はまったくわからないのでNさんがコンビニで聞いてみた。
地図を見せてくれたので場所を把握。こらなら何とか行けるだろう。
八昌という店で、人気のみせらしい。

僕は方向感覚には自信があったが店が見つからない。おかしいなあ。
仕方ないのでまたコンビニに行き、情報誌を見て場所を確認。
歩き始めると二人で意見が別れてしまった。
Nさんが目標にしていたホテルを見つけたのでそれを基準に周囲を捜索。
するとすぐにその店はみつかった。僕はすっかり自信喪失。

噂の通りその店は盛況で、店の外にも10人ほどが列を作っていた。
15分くらい待って店に入り、そば入りを注文。
店員がヘラのようなものを差し出し、何か聞かれたがよく理解でなかった。
しばらくして巨大なお好み焼きが出てきた。でも皿と橋が出てこない。

どうやらさっき皿は要るかと聞かれたのか。
対面に座っている人を見ると、かなりツウのようでヘラだけで上手に食べている。
僕達は初心者なので皿と橋を出してもらった。

それにしてもデカい。半分くらい食べると不安になってきた。こんなに食べられるかなあ。
それでも無理やりお腹に詰めこんで、なんとか食べ終わった。ふうーっ、もういっぱいだ。

それじゃ、そろそろホテルにもどろうか。
僕はどうしようかと思ったが、Nさんと一緒に泊ることにした。

といってもシングルルームなのでシュラフ持ち込み。
フロントの前を通る時、何か言われるんじゃないかと思ったけど何とかパス。
ベッドサイドの僅かなスペースにレジャーシートを広げて敷いた。
まあなんとかなりそうだけど、こんなの初めてだよ。

今朝は寝不足気味なので、シュラフにもぐりこむと、しばらくして夢の中へ。

探検日和 2003,9,19
夜中に何度か目が覚めたような気がしたがよく覚えていない。
7時過ぎ、目が覚めた。さっそくシュラフをたたんで出発の準備。
しばらくして予報通り雨が降ってきた。
雨じゃ寒くて波乗りもできないし。今日は洞窟探検に行こう。

8時過ぎ道の駅を出発。しかしすぐ先で渋滞。あれっ、なんで渋滞してるのかな。
んんっ、今日は平日だから通勤ラッシュか。忘れていたな。

その先にスタンドを発見したのですぐに駆け込み燃料補給。
30リットルのタンクに29,8リットル入った。危なかったなあ。でもこれでひと安心。

益田からR191に乗り日本海側を走る。しかしあまり展望は良くない。
萩市内に入り、鍾乳洞のある所まではもうすぐだ。
Nさんは厚底のサンダルだったので、ホームセンターでリーフシューズを買った。

R191から南に逸れ、まずは影清洞に向かった。
久しぶりだなあ。あれから何年経ったんだろう。もう6・7年かな。

ここの洞窟は途中までは照明があるが、その先は真っ暗。
そこからは別の探検コース料金で、ヘルメットとヘッドランプを借りて探検する。
しかし今回はヘッドランプを2個持ってきたので観光コースの入場券だけ買った。

入口のあたりはすごく広い。しかし気温は14から17度とかなり涼しいが歩いているとちょうどいい。
観光コースが終るとその先は真っ暗。ヘッドランプを装着してその明かりだけで進む。
足場も岩がゴロゴロ転がっていて探検気分は最高。

所々に落書きがされていて、それが昭和44年とか書かれている。
それにしては随分鮮明だな。初めは嘘じゃないかな、と思っていたが
ここは紫外線はゼロ。落書きも劣化しないのかな。

そのうちに墨で書かれたような落書き?も発見。
書かれいるのは全て漢字で読むことができない。元号もなにやら江戸時代以前のようだ。
にわかには信じられないが、ここに平影清が逃げこんだとすれば考えられないこともない。
なんだかよくわからないが、探検気分と共にミステリアスな感じもあじわえる。

終点が近付くと、屈んで進まなければならないほど天井が低くなる。
これはなかなか楽しい。アドベンチャー気分を満喫できた洞窟だった。
外に出ると雨が強くなっていた。まあ少しくらい濡れてもいいや。

影清洞を後にし、カルスト台地を抜けて秋芳洞に到着。
ここでお昼を食べてから洞窟に向かった。

秋芳洞には何回も来たことがあるが、平日に来たことは初めてだ。
両側がお土産屋の並ぶ道を歩いていくが、自分のペースで歩けたのは初めてだ。
いつもは人波に押されながら歩いていったのに。

洞窟の入口はバリアフリー化の工事が行われていて、
パイプの足場が大量に立っていて、景観を損ねてちょっと残念。

しかしこんなに閑散としている秋芳洞には初めて入った。
平日はこんなに静かに、しかもゆっくりと見られるのか。写真も気兼ね無く撮れる。

巨大なホールと、リムプールの美しさに圧倒される。何度見ても感動する。
どうしてこんな美しい造形が、想像もできないような時間をかけて作られたのか。
自然のパワーに思わず言葉を失った。

車に戻り、次はどこに行こうか考えた。
一度R191に戻り、去年走ったルートをたどってみることにした。

長門湯本温泉を通過し、俵山温泉郷に到着。なつかしいなあ。
ここは1000年以上の歴史を持つ古い湯治場の温泉。
狭い道路を挟んで両側にぎっしりと立ち並ぶ旅館はまさに湯治場の雰囲気。
そのほとんどの旅館には内湯がなく、2軒ある外湯に通う。
派手な温泉街じゃなくて、なんかいい雰囲気だなあ。
僕達は今日はここに泊ることにした。一度こういう所に泊ってみたかったんだよ。

その前に温泉に入ることにした。車を駐車場に止め、歩いて旅館街を歩いてみた。
人通りは少なく閑散としている。でも僕はこういうのが好きだなあ。
温泉はわずかに粘性があり、肌がすべすべになった。

温泉を出てどこに泊ろうか決めるため、近くを散策。
駐車場にも近く、2つある温泉の真中の旅館にすることにした。
飛びこみで行ったけど、とくに問題もなく泊れることになった。
今からでは夕食が間に合わないので朝食付きで1泊5000円。

部屋に案内されると、これぞ本当の湯治の温泉宿という感じ。
Nさんは「おばあちゃんのおうちみたい」と言っていたが本当にそんな感じだった。
木造の3階建てということは、建築基準法の施行以前に建てられたんだろうからな。

宿のおばさんはお茶と宿帳を取りに戻っていった。
宿帳には2人とも書かなきゃいけないのかな、と思ったが
おばさんが戻ってくると、記入する紙は1枚だけで同伴者の記入欄はなかった。
2人の住所が北海道と静岡じゃ、変に思われたかもしれない。

その後、僕は車に荷物を取りに行って戻ってくると、すでに布団が敷かれていた。
しかしシーツは何となく汚い。なんだか洗っていないような気がする。
取りあえず表面を払ったが、やっぱり汚いな。まあいいか。
テレビは二時間で100円。タイマーは旧式で、コンセントを抜くとタイマーが止まるようだ。

おちついたところで食事に行くことにした。
霧雨が降っているが、傘が無くても気になるほどでもない。

誰もいない道を二人で歩いていくが、聞いた二軒の店は何れも休みのようだ。
まいったなあ、これじゃ夕食はエジプトで買ってきたチョコレートだけになっちゃうよ。

しかししばらく先に進むとラーメンと焼き鳥の店が営業していた。
やれやれ、それじゃここにしようか、というよりここしかない。

中に入ると予想通りお客は誰もいなかった。
取りあえずちゃんぽんを2つ頼み、Nさんは焼き鳥を頼んだが今日は品切れだった。

しばらくしてちゃんぽんが出てきたが、なんなの、これ。
大量の野菜が山盛りになっていて、麺はおろかスープさえ見えない。
野菜を食べ終わるとお腹いっぱい。麺はなんとか無理やりお腹に詰めこんだ。
Nさんは食べきれず、僕に「食べる?」と聞くがもう食べられないよ。

飲み物を買って宿に戻り、もう一つの外湯に行った。
再び宿に戻り、10時過ぎにテレビのタイマーが切れたので寝ることにした。

テレビが消えると全くの無音になった。こんなに静かなの、本当に久しぶりだよ。

石油危機 2003,9,18
今朝は5時半に目が覚めた。今日もゆっくり寝られた。
どうやら時差ボケは解消したようだ。

コーヒーを沸かして朝食を食べ、キャンプ場内を散策。
当たり前だけど、去年来た時と変わってなくてちょっと安心。
もちろんキャンプしてる人は違うけど。

ここのキャンプ場はサイトも炊事場も広くて快適。ゴミ箱も設置されている。
トイレも水洗できれいだし、向かいのサイクリングセンターで200円で入浴もできる。
さらに重要なのはタダなのだ。

ゆっくりと準備して8時前に出発。R8に乗ると、米子96キロの表示。
ありゃっ、100キロ近くある。けっこう遠いんだな。まあいいや、時間あるし。
道路は信号は少なく流れもいい。

途中自動車専用の米子道が暫定無料供用されていて一気に距離を稼いだ。
このペースだと早すぎるな。ちょっと寄り道しよう。
ということで左に逸れ、大山に行ってみることにした。
しかし天気は最高にいいのだが、なんとなく靄っていて視界があまりよくない。

坂を駆けあがり、どんどん標高が高くなりようやく大山が見えてきた。
しかしやっぱり霞んでいて海や市街地はまったく見えなかった。
そのまま山を下り、米子の街を抜けて境港の夢みなとタワーに行ってみた。

ここは何年か前、大地震があった直後見に来たことがある。
埋立地のこの周辺は液状化現象が起き、あちこちで水が吹きだしていて
道路も水没してルートを選ぶのに苦労した記憶もある。
タワーや温泉も休業していたな。

あれから何年か経って、地震の傷跡も完全に癒えたように見えて安心した。
公園に車を止めて、しばらく防波堤沿いを歩いていた。

海の方を見ると、低空で航空機が飛行している。米子空港に着陸するんだな。
米子空港はローカルでそれほど発着は多くないと思っていたのだがけっこう飛んでくる。
それも羽田では滅多に見ないような珍しい機ばかり。なんだろう、あれ。
空港の近くに行きよく見ると自衛隊の輸送機だ。えっ、ここは自衛隊と共用なの?

11時過ぎ、空港に到着。ターミナル前の駐車場は有料なので
まだ時間があるので緑地公園の駐車場の日陰に車を止めてまったり。
しばらくして空港の到着ロビーに行き、東京からの到着時刻を確認。
今日は5分遅れの12時10分に到着する予定になっていた。

一度車に戻ろうとすると、前の駐車場は1時間以内の利用は無料になっていた。
12時前、車を駐車場に移動しようと思ったが、近い位置は空いていない。
そこでターミナル前の道路に路駐。他にも何台か止まっていた。

12時になったので、ターミナルに行き送迎デッキに上がってみると
ANAの青いボディーのエアバス機が着陸してきた。
そしてボーディングブリッジが付いたようなので到着ロビーに降りた。

しばらくして、ボディーボードを抱えたNさんが出てきた。約3週間ぶりの再会。
さっそく車に荷物を積みこんだ。そしてとりあえず境港の方へ向かった。
Nさんによると、みずきしげるロードというものがあるらしい。

境港駅に着くと、なつかしいキタローのオブジェが。汽車にもキャラがたくさん描かれていた。
でもここはみずきしげるロードじゃないようだ。車を先の駐車場に移動。
すると道の両側にはたくさんのオブジェとお土産物屋が並んでいた。

しばらく二人で散策。オブジェはブロンズに緑色の緑青に似た塗装がされていたが、
目玉オヤジなどみんなが触る所は塗装が剥げていた。
まだお昼を食べてなかったので、お腹がすいたのでパン屋で昼食。
みずきしげるのキャラのパンがいろいろあった。
Nさんは全種類のパンを買ったけど、2つくらいづづしか食べられなかった。

車に戻り、先に進む。境水道大橋を渡りひたすら西に向けて走る。
北海道と違って車が多く、ペースが上がらない。
大社から南下してR9に出てさらに西を目指す。

カーブとアップダウンを繰り返す。交通量は多いがけっこういいペースで走れる。
途中サーフィンの大会が開かれるという浜田市の国府海岸に寄ってみた。
広い砂浜がずっと向こうまで広がっていた。海水浴には最適だな。
でも日が暮れはじめていてだれも泳いではいなかった。
波もほとんどなく波乗りも不可能。砂浜をすこし歩いて先に進むことにした。

薄暗くなってきたので温泉に行くことにした。ツーリングマップルで検索。
この辺りにはちょっと内陸に入ると温泉ががたくさんある。
僕の持っている2000年版には出ていないのに、Nさんの最新版には出ている温泉があった。
ということはきっと新しい温泉施設だな。そこに行くことに決定。

そこまで高速道路で一気にワープ。一般道と違い一瞬にして瑞穂インターに到着。
浜田ではETCで入ったのに瑞穂ではETCブースが無い。
まだこの浜田道は末端の料金所しか対応していないようだ。

インターからは10分くらいで到着。600円で露天風呂もあり、薬草やハーブの湯もあった。
ゆっくりと温まって温泉を出た。さて今日はどこに泊ろうかな。

とりあえず一度日本海側に出よう。その前にどこかで燃料を入れないと。
石見町からR261に向かうがスタンドは全て休み。まだ8時なのに。
国道に出ればどこかあるだろうと思ったがTMには何の表示も無い。

メーターはEを指しているが経験上あと50キロは走れるだろう。
いくらなんでもR9に出ればどこか開いてるだろう。江津”市”だし。
と思ったのだがどこのスタンドも全て営業終了。おいおい、本当かよ。

メーターは完全に振り切った。こうなるとあと1か2リットルしか残ってない。
慎重にアクセル操作をして浜田市内に入った。
ここは高速道路の入口だからな。さすがに1個所くらいは営業しているだろう。
との期待も見事に裏切られた。市街地にいっても全て営業終了。

もうダメだ。これ以上進むと危険だ。近くには道の駅があるのでそこで夜を明かそう。
途中のコンビニで食料を調達。何とか道の駅にはたどり着いた。
明日、朝になったら出発しよう。今日はここでビバーグだ。

この車に2人で寝るのはちょっと窮屈だけど。
荷物を全てラッゲージやルーフに乗せ、シートをフラットにすると何とかなりそうだ。

田舎では燃料を早めに入れないと危険だ。教訓にしなきゃ。

なつかしい景色 2003,9,17
昨日は8時ころ家を出た。
最初太平洋ルートで行こうかと思ったが、R1は道の駅などの休憩施設が少なく
景色も単調なので止めにした。そして日本海ルートで行くことにした。

そうだ、去年旅に出たときのルートをたどってみようか。
御殿場から籠坂峠を越え、河口湖を通り御坂峠を通り甲州街道に出た。
甲府の市街を抜けると交通量が減り快適に走れる。

道の駅はくしゅう辺りで止まろうかとも思ったが、時差ボケのおかげで全然眠くない。
諏訪、岡谷、松本と順調にパス。さらに進む。1時を回ってもまだ眠くならない。
でも休まないと朝まで走ってしまいそうなので、道の駅小谷で泊ることにした。


朝6時ころ目が覚めた。
エアコンもヒーターも要らず、シュラフを被ってちょうどいい感じ。ぐっすり眠れた。
コーヒーを沸かしパンを食べて朝食。インスタントでも美味しく感じる。
そして6時半出発。糸魚川からはR8を西に進む。
このルートは去年、石垣に向けて旅だったルート。ほぼ1年ぶりだな。

さてツーリングマップルを中部版に、と思ったら無い。関西と中国を持ってきたが
中部版はすっかり忘れていた。でも寄るところもないからいいか。
ひたすらR8を西進、なつかしいなあ。

そして道の駅越後市振の関を通過。去年はここにキャンプしたな。
さらに日本海側を進み、道の駅河野でトイレ休憩。ここでもキャンプしたなあ。
いろいろなことを思いだしながら走る。ちょっと複雑な気分。

暗くなってきたのでそろそろ温泉に入りたいな。
ツーリングマップルを見ると、近くに木津温泉があったので行ってみたが
どこを探してもみつからない。6年前の地図じゃダメか。

仕方ない先に進もう。このあたりは道が狭く、ペースがあがらない。
7時過ぎ、ようやく城崎温泉に到着。地名だけは志賀直哉の「城崎にて」で知っていた。
以前もここを通過した時、温泉に入っていきたいなあと思っていた。

ここは6箇所の外湯があると書いてあった。さっそく探索開始。
橋を渡るとすぐにいくつか見つかったが駐車場が無い。
民営の駐車場は2時間800円と高い。どうしようかな、どこか止められないかな。
と思ったら目の前に「鴻の湯」があり、専用駐車場もあったので迷わず駆け込んだ。

入浴料金は500円。比較的新しく、露天風呂もあった。お湯は無色透明。
露天風呂では星を見上げ、虫の大合奏を聞きながら贅沢な時間。
ふーっ、気持ちいいなあ。こんな贅沢ができるなんて、幸せだなあ。

すっかり温まって車に戻った。さて今日はどこに泊ろうか。
地図を見ても道の駅は全然無い。じゃあ去年泊ったキャンプ場に行ってみよう。
たしか鳥取砂丘の近くの柳茶屋だったな。

真っ暗になった道をひたすら走り、9時半ころようやく到着。なつかしいなあ。
この先、ここにキャンプすることなんてできるのだろうか。
本当に僕は夢を実現したんだなあ。

さて明日はもちょっと西へ行くよ。

時差ボケか 2003,9,16
僕がエジプトへ出かけていた10日間。
帰ってくると、一気に季節が進んだ気がした。

いつのまにか阪神の優勝へのマジックが2になっていて、相撲も始まっていた。
日暮れも早くなり、虫の声もいっそう賑やかになってきた。
そして朝晩は涼しくなった。

朝早く一度目が覚めた気がしたが、また寝てしまったようだ。
そして再び目が覚めて、時計を見てびっくり。9時半だ。
携帯のアラームをセットしておいたのだが、G線上のアリアというのがまずかったか。
全然気付かず、かえって快い眠りに導いてしまったようだ。

やっぱりまだ時差ボケが残っている。エジプトでは午前3時半だ。
今日は10時までに職安に行くことになっていたのだが今からじゃ間に合わない。
時間に対してはそれほど厳しくないので、一応病院に行ってから行くと電話しておいた。

まだ少しお腹の調子が悪いので、10時ころ近くの開業医に行った。
脱水気味というのは自分でもわかっていたが、尿検査の結果は良くなかった。
先生に「糖やタンパクも出ているね、だいぶ調子悪いんじゃない?」と言われてしまった。
「はあ、エジプトに行っていたので。それにフライトが長くてほとんど寝られず疲れました」
と言うと納得したようだ。

採血の後、脱水症状の緩和のため点滴を開始。600cc近くあるためけっこう時間がかかる。
途中から抗生剤も追加された。いつのまにか寝てしまい、気がつくとあと少しになっていた。
点滴が終わり、待合室の時計を見ると2時になっていた。

病院を出て薬局で薬をもらってそのまま沼津に向かった。
職安には連絡してあったので、時間外だったが受け付けてくれて一安心。

一度家に戻り洗車。僕の車にはキャリアが付いているので成田の駐車場では洗車してくれない。
10日も放置?してあったので砂だらけ。まあ砂漠の国だから仕方ないか。・・・違うか。

その後、慌しく荷物を梱包して郵便局に行き、また家に戻ってきてパッキング開始。
今夜からまたちょっと車で西のほうへ行く。今回はそんなに長い旅にはならないだろう。
さてシャワーを浴びてから出発するとするか。

懐かしい雲 2003,9,15
機内ではあまりよく眠ることができず、起きたり寝たりの繰り返し。
昨日のうちに、パンと飲み物が来たようだがよく覚えていない。
リンゴジュースを頼んで一気飲みした記憶はあるが、パンは記憶にない。
でもパンはシートのポケットにしっかりと入っていた。そういえばそんな記憶も・・・。

午前1時ころか、目が覚めた。なぜか外が明るい。んんっ、なんでだ。
そうか、もうずっと東の方に来てるんだ。日本時間だと午前7時過ぎか。

時計を6時間進め、日本時間に合わせた。
午前9時半、朝食が配られてきた。これが最後の機内食だ。
無理をせず半分くらい食べた。

到着は予定より1時間ほど早めに着くという。

外は明るいのに眠くて仕方が無い。日本時間10時でも、エジプトでは午前4時だ。
その後もうとうとしているうちに11時ころ着陸。駐機場に到着しドアが開いた。
ボーディングブリッジに乗り移ると、んんっ、暑い、何だこの暑さは。
気温はそれほど高くないのだが、とにかく湿度が高く不快な暑さだった。

検疫では今回正直に申告。発熱、腹痛、下痢があったことを申告すると
空港では無料で菌の検査ができるという。でも原因は多分水だ。
そのほかにもいろいろ聞かれたが、地元の病院に行くと言って検疫を通過した。

入国審査は難なくパス。
荷物が出てくるのを待って、添乗員さんに挨拶して自然解散。

税関はちょっと緊張するが、表情に出さないのとツアーのタグを見えるようにするのがコツ。
少しでも受け答えがおかしいとスーツケースを開けさせられることになる。
そうなると面倒だし恥ずかしい。後ろの人も迷惑だ。
僕は本当に申告するものや、違法なものは持ってなったので荷物は見ずにパス。
税関の人に「擦れちゃってますね」と言われたのでスーツケースの反対側を見ると真っ白。

うわーっ、なんだよこれ。ベルトの金具も曲がってるじゃん。
まあベルトは100円だからいいけどこの白いモノは何だろう。
手で触ってみると簡単に取れた。多分エジプトで付けられたんだろうな。まあいいや。
金属製の扉をくぐり、僕は日本に戻ってきた。これで僕のエジプトの旅は終わりを告げた。

荷物はかなり重くなっていて、キャスターがついていてもけっこう重たい。
なんとかバス停まで引っ張っていって、駐車場のバスに乗り込んだ。

駐車場には懐かしいトッポBJ。運転するのは6日以来。
空には久しぶりに見る真っ白い入道雲が浮かんでいた。
東関道、京葉道、首都高、東名と、ほぼ順調に来て3時過ぎ、無事帰還。

さっそく荷物整理を始め、その後HPのアップ。
今日は時差ぼけで眠れるかな。
日本に戻ってきたらお腹の調子も戻ったみたい。やっぱり水が原因だったのかな。

砂漠の足跡 2003,9,14
今日はモーニングコールがないのでゆっくりの起床。
目が覚めたのが7時半過ぎ。外はすっかり明るくなっていた。
カーテンを開けると、カイロの街が朝焼けに染まっていた。
これがエジプト最後の朝だな。

ベッドから出てシャワーを浴び、しばらくはテレビを見ながらまったり。
そしてパッキングを開始。9時半過ぎ、朝食は10時までなので食べに行こうが迷ったが
やっぱりお腹がすいたのでカフェテラスに向かった。

パンをいくつかと果物を食べ、早めに食事を済ませて部屋に戻った。
そして向かいのデパートへ買い物に行くことにした。
エジプトポンドがまだ200ポンドほどある。使ってしまわないとタダの紙切れになってしまう。

10時を過ぎても開いている店は少なかったが、いくつかのお土産屋を見て回った。
適当にお土産を買い、荷物出しは11時なので、一度ホテルに戻ってスーツケースに詰めこんだ。

でもまだ90ポンド近く残っている。しばらくしてまた買い物に。
今度は計算しながら買っていく。20ポンドほどはお昼の飲み物代に残しておかなければ。

こお店は定価販売だけど、意外に安い。
市場でこの値段以下、もしくは同等に値切るのはかなり苦労するからな。
値切って買う楽しみもあるが、相場を知らないとかなり損するかもしれない。

適当に選んで残りは20ポンドほど。これくらいでいいかな。
ホテルに戻り、テレビを見ながらまったり。
しかしラクダの置物を買うのを忘れたことに気が付いた。
集合時間まではまだ30分ほどあるので、三度デパートのお土産やまで出掛けた。

無事買い物を終え部屋に戻り、残りのエジプトポンドをまとめると、小銭が残って18ポンド。
まあこれくらいいいだろう。記念にもって帰ろう。

荷物をまとめ、バルコニーからカイロの街並みを最後に見渡し部屋を出た。
集合時間になったので、エレベーターに乗りロビーに降りた。
そしてバスに乗りこんでエジプト最後の食事のレストランに向かった。

バスの窓から流れていく街並みを記憶に焼きつけていく。
今度来られるのはいつになるのかな。最終日はどうしても感傷的になってしまう。

15分ほどでレストランに到着。そこは河岸に係留された水上レストランだった。
エジプト最後の食事になるけど無理をせず軽い物を選んだ。
でもケーキはどうしても食べたくなり、小さな物を5個も食べてしまった。

食事が早めに終ったので、外にあったお土産屋に行ってみた。
小さな瓶にラクダやピラミッドの模様を描いた砂をいれたきれいなものだった。
瓶はみんな不揃いで、どこからか拾ってきたと思える物だ。
でもそれがエジプトらしくていいかもしれないな。

ここでも値段は店員と交渉。最初は高いことを言うが、だんだん値が下がってくる。
なかなか折り合いがつかなくなったころ、1個おまけさせて10ドルで買った。
しかしガラス瓶なのでけっこう重い。割れないように注意しなきゃ。

出発まで10分ほどあったけど先にバスに戻った。
でも運転手は食事をしているようで見当たらない。ドアも当然閉めたまま。
しばらく木陰に入っていた。吹き抜ける風がすごく気持ち良かった。
こんなに気持ちいいのは、たぶんこれが最後になるな。

出発時間ギリギリになって運転手が戻ってきて一言、「ドウゾ」。
おいおい、そりゃないだろう。でもまあこれもエジプトらしさかもしれない。

それから40分ほどでカイロ国際空港に到着。
シュ濃く審査の時、出国カードの間違いを審査官が書き直してくれた。
ずいぶん親切な国だな。普通だったら文句を行って突き返すのに。
やっぱり観光の国だからな。

出国審査のブースを通過し、免税店で少しお土産を買った。
ここの空港の免税店はあまり品揃えがなく、エジプトポンドは使えない。
そのわりに細かいお釣りはポンドで帰ってきたりする。
ドル単位でぴったり買い物するしかないな。

待合室にはかなり具合が悪そうな人もいて、ずっと横たわっていた。
トイレに行くために地下に降りると、お祈りを捧げるための部屋があった。
中には3・4人のイスラム教徒ぼ人がいて、メッカの法を向いて祈りを捧げていた。

しばらくして搭乗待合室に入り、バスに乗り機に乗りこんだ。
これでエジプトともしばらくお別れだな。この飛行機を降りるときはもう成田だ。

定刻の現地時間18時に出発。機が動き出してすぐに離陸。
僅かに見えたカイロの街に、少しの寂しさを感じた。

それにしても救命胴衣の着用方法などのビデオが流れている最中に離陸。
通常はこれが終ってからじゃないの。それか離陸の時は止めるんじゃない。
日本の感覚ではわからないよ。

機内食が配られ、食べ終わるといつのまにか外は闇の世界。

エジプトか・・・。思ったより整然としている、そんな印象だった。
人々は口髭は生やしているが、顔の色は白い。
だからインドほど違和感がなかったのかもしれない。

以前ルクソールの銃撃テロがあり、治安の問題も心配していたけど、
あれだけの数の警察官がいて、それに護衛も付いてきて
エジプト政府も躍起になって治安の維持に努めているんだな。

しかし今回僕は、途中で体調を崩してしまい、残念な思いをしてしまった。
観光をできなかったところもあった。やはり体が一番だな。

それでもあの巨大なピラミッドを間近で見た時の感動は忘れることはできない。
初めて降り立ったアフリカの砂漠。僕はそこに足跡を残した。
僕の残した足跡は、一瞬にして吹き消されてしまうかもしれない。
でも、僕の記憶からは、一生消えないだろう。

最後の晩餐 2003,9,13
ガッタンゴットンという音と、小刻みな揺れで目が覚めた。時刻は5時半。
外はまだ真っ暗。列車の中の目覚って、最高にいい気分だ。
そういえばこの列車、発進する時のショックがまるでない。
日本の列車と基本的に連結装置が違うようだ。これに限ってはエジプトの方が優れている。

ベッドから起き、洗面台のボタンを押すと、少しではあるがお湯が出た。
しかしタオルを絞って顔を拭いているとお湯が出なくなった。タンクが空になったかな。
おかげで歯磨きはミネラルウォーターを使う羽目になった。

しばらくして朝食が配られてきたが、「No thank you」 この後ホテルで朝食を食べる。
7時前、ギザの駅に到着。バスに乗りこみレストランへ向かった。
まだお腹の調子が良くないのでドーナツなどを4個とヨーグルト。
クレープのような物も美味しそうなのでチョコレートソースをかけて2枚食べた。
今日も一日僕達のグループにSPが同行するという。

食事を終えると次はメンフィス。なにか聞いたことのあるような響き。
博物館ではラムセス2世の巨像などを見て回った。日差しが強烈になってきた。

博物館を後にして、赤のピラミッドと呼ばれるクフ王の父のピラミッド。
ここは最近まで一般に開放されていなかったらしい。
すぐ隣に軍隊のキャンプがあるためだったが、テロ事件以降観光客が激減。
そのためここを一般に開放したという。しかし今でも個人では来られないらしい。

バスは砂漠の中の道を走り赤のピラミッドに近付いた。
遠くには途中から角度の変わっている屈折ピラミッドも見える。
ここはギザの3大ピラミッドと違って砂漠の真っ只中にあり、いかにもエジプトという感じ。
そして驚くべきことに登ることすらできるのだ。
僕は頂上の99メートルまで登りたかったが、時間の関係で5メートルほど登ってみた。
風化が激しく、下の方は崩れて砂に埋まっているように見えた。

反対側には世界最古のピラミッドも見えた。バスはそこへ向かって走り始めた。
15分ほどナツメヤシの林の中を走って階段ピラミッドに到着。
ここも風化が進んでいる。近くにはほとんど原型を残さないようなものもあった。

日本にこんな遺跡があったら、登ることはおろか近づくことすらできないだろうな。

ぼくはそこでロバに乗った。
ロバはラクダや馬と違っておとなしく、優しくて、なんとなく悲しそうな目をしている。
僕の体重くらい何でもないだろうけど、ちょっとかわいそうな気もした。

物売りが近付いてきて、パピルス(偽)2ドル、カレンダー5ドルと言っている。
僕はカレンダーが欲しかったが、物欲しそうな顔をするとつけこまれるので
しばらく歩きながら無視、するとパピルスとカレンダーで5ドルになった。
それでもまだ高そうだ。僕は「ワンダラー」と言ったら笑っていた。
ちょっとそれじゃ安すぎたかな。

次の僕の攻撃はカレンダーとパピルスで2ドルでどうだ?と言うが、4ドルだと言う。
じゃあ要らない、と言ってさらに歩いていくと3ドルになった。
なかなか折り合いがつかず、出口が近付いて来たので「グッバイ」と言ったら折れた。
結局2ドルで買うことができた。まあこれくらいが限界かな。

カイロへ戻る途中、カーペットスクールに立ち寄った。
でも僕はあまり興味が無いのと眠いので、早々にバスに戻った。
そしてカイロの市街に入るまですっかり寝てしまっていた。

気がつくとビルが立ち並び、クラクションの音が鳴り響いていた。
次はモハメドアリモスク。なんでこんな新しいところを観光するのか不思議に思っていた。
実は僕はボクシングのモハメドアリが建てたモスクだと思っていたのだ。
えらい勘違いだった。恥ずかしい。

そこは高い丘の上にあって、遠くが良く見渡せた。
遠くギザのピラミッドまで見えた。
モスクの中に入るとき、男性はハンズボンや半袖でも問題無いが、
肌を露出している女性は緑色の被り物を借りて着てから中に入らなければならない。

モスクを後にしてハンハリーリ市場に向かった。
駐車場でバスを降り、そこで解散して1時間自由時間になった。
僕は路地に入り散策。途中腕をつかまれ無理やりシャツの店に連れ込まれたが
要らないと言うとさらに奥の他に店に連れて行こうとするので
すきを見て走って逃げだした。店員も追って来たが逃げ足は僕の方が早い。
やれやれ。もう細い路地に入るのは止めよう。

露天街は特に買いたいものがなくても散策しているだけで楽しい。
日本語や中国語、スペイン語でも話し掛けてくる。
結局何も買わないまま1時間近くが経ってしまった。
喉が乾いたのでオープンカフェでスプライトを飲んでいるともう時間だ。

バスが来たので乗りこんでホテルに向かった。
今日のホテルはラムセスヒルトン、今までで最高級のホテルだ。
8日間ガイドしてくれたポッサムさんとはここでお別れ。
なんだがあっけない別れになってしまった。

部屋はやたらと広く、24階で眺めも最高だが何なんだこの部屋は。
ベッドはソファーベッドでバスタブも無い。
なぜか大きな冷蔵庫とキッチンが付いている。
どうやらこの部屋は宿泊用の部屋じゃないようだ。

ディナーまで時間があったので、向かいの別館のデパートに行ってみた。
お土産屋を見てみたが、金額の単位がわからない。
ドルなら妥当な金額かと思うがポンドじゃ安すぎるんじゃないかな。
店員に聞いてみるとやっぱりエジプトポンドだ。こりゃ安い。
とりあえず置物をいくつか買って、あとは明日にしよう。

部屋に戻ると西の空が真っ赤に染まっていた。
急いでテラスに出ると、美しい西陽が地平線に沈むところだった。
こんなきれいな日没を見たのは5月の米原以来だよ。
陽が完全に沈むまで、気持ちいい風を受けながら眺めていた。

しばらくすると、空が紺色に染まっていった。
そして街に灯りが燈り、まるで100万ドルの夜景を見ているようだった。
ナイル川のクルーズ船、そして車の流れ。
ずっと見ていても飽きない景色だった。

8時前、ディナークルーズに行くためにロビーに降りた。
そこで添乗員に部屋がこういう状況だと説明すると、ホテルに交渉してくれた。
しかし部屋を替わるとナイル川が見えなくなってしまうという。
それじゃ今のままのほうがましかな。バスタブはないけど。
お詫びにワインかフルーツバスケットを届けてくれることになった。
僕は部屋でワインを飲む気はなかったが、持って帰ればいいかな。
ヒルトンホテルのワインなら、まあまあじゃないのかな。

バスで15分ほどで船着場に到着。早速船に乗りこんだ。
食事をしながらベリーダンスを見ていたが、僕はバンドの目の前なのでうるさくてかなわない。
しばらく見てから屋上に上がり、最後になるカイロの夜景を眺めていた。

11時ころ、ホテルに戻るとバンド演奏の大きな音。人だかりもできている。
なんだなんだ、カメラマンもいるぞ。
階段の上をよくみると結婚式が行われていた。
こんなふうに生バンドの演奏や、みんなに祝福される結婚式なんていいなあ。
でももう11時だよ。こっちではこれが普通なのかな。

部屋で日記を書いているとワインが届いた。
その後すぐにフルーツバスケットも届いた。あれっ、どっちかじゃなかったの?
とても食べられないのでせっかく持ってきてくれたけど断った。

明日は13時チェックアウトでモーニングコールもない。
今回のツアーで、最初で最後のゆっくりの朝になるな。

カイロ ラムセスヒルトンホテル泊。

ナイルエキスプレス 2003,9,12
今日はゆっくりの7時のモーニングコール。でも5時半過ぎに目が覚めてしまった。
あまり眠くないのでしばらくテレビでカンフー映画をやっていたので見ていた。

そして6時過ぎ、ゆっくりとお湯に浸かってシャワーを浴びた。
バスルームから出てくるとモーニングコールが鳴った。1時間近く入っていたようだ。

そして着替えと荷造りをして7時45分にレストランに向かった。
熱は無いようだけど、相変わらずお腹の調子は良くない。
でも昨日に比べたらだいぶ良くなってきたような気がする。

今日もパンとオレンジジュースを少し、それに食後の紅茶。
まあ水分とミネラルだけとっていれば、数日間は断食しても大丈夫だろう。

8時半、集合時間になったのでロビーに降りた。
そしてバスに乗りこみメムノンの巨像を見てから王家の谷に向かった。
この王家の谷は、僕がエジプトに来て最も見たかった所の一つだ。

以前、このナイル川西岸に行くにはフェリーでナイル川を渡り
別のバスで行かなければならなかったという。
でも最近、市街地から8キロ離れた所に橋ができ、観光客にとっては往来が便利になった。
でもわざと8キロも遠くに作ったのは、一般の人や車の移動を抑えるためという。
ホテルから対岸に見える王家の谷も、30分以上かけて行かなければならない。

王家の谷に行くには駐車場でバスを降り、
そこから排気ガスのクリーンなトロッコのような乗り物に乗っていく。
でもけっこううるさくて、黒い排気ガスをまき散らしている。こんなんでいいのだろうか。

わずか数分で入口に到着。谷というより周りを砂漠の山に囲まれたような感じだ。
まるで西部劇の舞台のようで、今にも馬に乗ったギャングが出てきそうな雰囲気だ。
灼熱の砂漠を歩いて墓を巡る。1枚の入場券で3つの墓が見学できるらしい。

まずすぐ近くの墓に入った。入口で門番のおじさんが券の片隅をちぎった。
中にはレリーフが刻まれているくらいで、ミイラなどはいっさい無かった。
二十数個ある墓のうち、盗掘を逃れたのはわずか1つ。それがツタンカーメン王の墓。

その前に坂を登り、他の墓に行ってみることにした。
最初にたどり着いたところはさっきとあまり変わらない。
ここはおもしろくなさそうなのでパス。
少し下って横道に入ったところに、何やらおそろしく急な階段を発見。
おおっ、こういう所に行きたかったんだよ。なんだか冒険心をかきたてられる。

階段は狭く急で、段差もけっこうある。ここに来ているのは同じツアーでは僕だけのようだ。
登り終わると今度はすぐに急な下り階段。
よくこんな所に墓を作ったな。それに盗賊もよく見つけたよ。

ここでも入口で門番が券の隅を少しちぎった。
これで入場した墓の数を積算しているようだ。

中に入るとムッとする熱気。湿度が高く空気が淀んでいる感じがする。
頭上に注意しながら急な階段を降りていくと、見事な色のレリーフが残っていた。
何千年も前の人が描いた絵が、こんなにきれいに残っているなんて。
石棺のあった部屋まで行くと汗びっしょり。
こんな所長いこといられないよ。すぐに退避。
外に出ると、こんなに空気が美味しかったんだって感じた。

しばらく日陰で涼んでいると、もう集合時間だ。とても3つなんて見ていられない。
そしてツタンカーメン王の墓を見学。入場料は£40(約800円)と特別に高い。

しかし中に入るとなんともあっけなく、何もない。
いくらツタンカーメンの墓だといってもこれじゃ£5で十分だ。
それに中にあったものはみんなエジプト考古学博物館にあるじゃないか。

墓を出て駐車場に戻り、途中石細工の店に寄ってからハトシェプスト女王葬祭殿に向かった。
ここは以前銃撃テロがあり、日本人も犠牲になっている。

バスを降り、セキュリティーチェックを受ける。
そしてガイドの説明を聞いた後解散し、自由行動になった。
僕はしばらく周囲を散策してから葬祭殿に歩いていった。

入口で門番に入場券を渡すと半券を切り取った。
しかし僕の持っていた三脚を見ると、入場を拒否されてしまった。
さっきバスの中で、僕は三脚を持ちこんでも大丈夫かと確認すると、
ガイドが交渉するから大丈夫だと言っていたのに。

ここに置いて行けば戻ってきた時には無いだろうし、といってバスに戻る時間も無い。
結局そこから先には進めなかった。うーん、ここまで来て見られないとは。
こういうことはガイドがはっきり説明すべきだ。カネ返せと言いたくなるよ。

その後東岸に戻り、レストランで食事をした後、カルナック神殿に。
たくさんの小型のスフィンクスと、象形文字の刻まれた柱、塔、そして壁。
茶色いモノトーンの世界に真っ青な空。まぶしい日差し。
アラビアを舞台とした映画の中に迷いこんだような気分だよ。
そしてなにかすごく新鮮な気分になるよ。
それにしても古代の人は、よくこんな大きな建物を作ったよな。それも人と動物の力だけで。

気温はピークに達し、45度。インド並みになってきた。
遺跡の日陰に入っても、その遺跡自体が温まっているので暑い。
途中ミネラルウォーターを買い、木陰で休んでいると、吹きぬける風がすごく気持ちよかった。

こういう遺跡は半日くらいかけてゆっくりと見ていたいな。やっぱりツアーじゃせわしないよ。

カルナック神殿を後にして、ホテルに行き2時間ほど休憩。
シャワーを浴びてリフレッシュ。体調も元に戻りつつある。
5時半、レストランで食事をするためホテルを出発。
食欲も出てきたけど腹七分目程度で止めておいた。

その後、ライトアップされたルクソール神殿を見学。
白熱灯のような黄色味がかった色の光線でライトアップされた神殿は、何とも幻想的。
僕はツアーを離れ、一人レリーフを見上げていた。
そして昔の人が成し遂げた偉業に心を打たれた。

空には明るい月と、いくつもの星が輝いていた。頬を過ぎる風が気持ちいい。
しばらく時を忘れて歩いていた。昼間の喧騒が嘘のようだった。

見学を終えるといよいよルクソールを離れカイロに戻る。
今夜はナイルエキスプレス。寝台列車に乗る。これも楽しみの一つだった。

すぐにルクソールの駅に付き、ホームへと向かった。
この駅も改札が無く、誰でも切符無しでホームに入れてしまう。
ホームには何人もの物売りの姿もあった。

ホームに行き、しばらくすると大量の警察官に囲まれて数人が歩いてきた。
ずいぶん厳重な警備だな。VIPだろう、と思ったらその反対、囚人だった。
ホームの反対側に止まっていた、汚くて真っ暗な列車は囚人列車だったんだ。
よく見ると窓は鉄格子になっていた。
僕達の乗る列車が入ってくると、彼等はその囚人列車に乗りこんでいった。

このナイルエキスプレスは日本のA寝台個室並みの快適さだ。
部屋も1人で使うには十分広く、洗面台も付いている。
こういう列車に乗ると、寝るのがもったいなく感じてしまう。
でも明日も早いから、適当に切り上げて寝るとするかな。

しばらくして夕食が配られてきたが、さっき食べたばかりなので「No thank you」
すぐにベッドメイクをしてもらった。これでゆっくり休めるな。

この適度な揺れと、線路の継ぎ目の音が旅情をかきたてる。明日は観光最後の日。
部屋の電気を消し、外を流れていく夜の景色を眺めていた。

いつのまにか夢の中へ。

観光パス 2003,9,11
夜中にお腹が痛くて目が覚めた。でも熱は下がったようだ。

ゆっくりとお風呂に浸かった後シャワーを浴びた。
そしてレストランへ行き朝食。あまり食欲がないのでパンをいくつか食べた。

集合時間にロビーに降りるとエアコンが効き過ぎて寒い。すぐに外へ出た。
まだ完全には熱は下がっていないようだ。
もう1台のバスのグループでは不調者続出らしい。水が合わないのかな。
ミネラルウォーターの表示を見ると、硬度430。日本では考えられないほどの超硬水だ。

バスに乗りこみ昨日のバザール方面に走っていく。
途中広い路側帯に停車。他にも何台かバスが停車していて警察もいる。
検問かなにかかな、と思ったがどうやらそうじゃないらしい。
ここからルクソールまで、前後に護衛のパトカーを付けてコンヴォイで移動するという。
ええっ、そんなに治安が悪いの?
まあ念のためというか、旅行者を安心させるための手段らしい。
あのルクソールでの銃撃事件はまだ記憶に新しいからな。

8時ちょうどにバスは隊列を組んで走り始めた。
今日の観光は2箇所、ルクソールへ向かう途中の神殿だ。

1時間弱でコムオンボ神殿に到着。僕は観光をキャンセルしてバスで待つことにした。
極端に調子が悪いわけではないけど、あの北海道の前例があるからな。
今良くても後で響いてくるかもしれない。それに炎天下だし。
神殿もこのあたりはあまりメジャーでないので興味も少なかった。

30分ほどでみんな戻って来た。何人かは僕のことを気遣って声を掛けてくれた。
そして次のエドフのホルス神殿までも約1時間の道のり。
僕はほとんど寝ていた。そしてそこも観光をキャンセルした。

昼過ぎ、ルクソールのホテルに到着し昼食。今日は鳩料理という。
日本人にとって鳩はあまり馴染みのない料理だからな。
ほかのメニューに変更する人もいた。

僕はあまり食欲が無かったので特に変更はしなかった。
出てきた料理を小さな首のない鳩が焼かれて皿の上に乗っていた。
一口食べてみたけどあまり美味しくなかった。

昼食を食べ終わり、ジュエリーショップへ寄った後ホテルにチェックイン。
まだ3時半だったけど僕は部屋で休むことにした。

すっかり眠ってしまい起きたのが6時前。
6時半からは夕食なのでレストランに向かった。
なんとなく食欲が出てきたような気がするのでパン以外にも肉類を少し。
そしてオレンジジュース。

このオレンジジュースの一気飲みが悪かったかな。
またお腹の調子が悪くなってしまった。
明日のモーニングコールは7時だからゆっくり休めそうだ。
王家の谷には絶対に行きたいからな。早めに寝よう。

ルクソール メルキュールホテル泊

バザールでゴザール 2003,9,10
昨日のホテルにはやられたなあ。
エアコンの調整が全く効かず、止めるか最強か、どちらかにしかならない。
おまけにフィンが固定されていて、風が顔を直撃する。
夜中に一度寒くて止めて、暑くて起き、またつける。
朝目が覚めると体がだるく、お腹か痛い。おまけに寒気もする。
お腹が痛いのは冷えたせいか、食当りかわからないが。

目が覚めたのはモーニングコールの15分前の4時25分だっけど、
セットしたはずの腕時計のアラームには気が付かなかった。
それとも作動しなかったのだろうか。そういえば昨日おかしな操作をしたような気がする。

慌ただしくシャワーを浴びて荷造りし、6時45分にレストランで朝食。
あまり食欲が無いのでパンを3つくらい食べて終りにした。

そして6時にホテルを後にしアブジンベルの空港に向かった。
帰りのこの便も自由席。右側を確保したが、調子が悪いのでほとんど寝ていた。

そしてアスワンに到着し、モーターボートでフィエラ島のイシス神殿を見学。
このころから熱っぽくなり、ガイドさんの話しも右から左、何も覚えていない。
一通り見学を終え、自由時間になったのでオープンカフェに行きコーラを飲んだ。

次はヌビア村の訪問。ファールーカに乗って遊覧。ここで自己紹介。
もう一組のツアーのファルーカでは歌ったり踊ったりしていた。
僕も調子が悪くなければ踊りたかったけど、今回は止めておいた。

そして上陸するためにファルーカを陸着けしようとしたが、
何といっても風任せのファルーカ。うまく着けず、流されてしまって上陸できず。
船頭さんは渡り板をオール代わりに漕ぐが、風には勝てず諦めて沖に船を戻した。
そしてようやく陸着できた。やれやれ。

それにしても日差しは強烈だ。これが砂漠の太陽か。今回初めて帽子を被ったよ。
でも相変わらず調子は好転せず、肺炎再発か、とも思わせる。やばいな。
だだ村の中を通り過ぎた、としか思えなかった。非常に残念。
写真を撮る気力も無くなってきた。

その後レストランで昼食。ここでもパンを数個。
幸い今日はこれで観光は終り。夕方バザールへ行くオプショナルツアーがある。
どうしようか迷ったが、とりあえず申し込んで調子が悪かったら辞退することにした。

そして部屋に行き、風邪薬を飲んで休むことにした。
次に目が覚めたのが4時50分。出発は5時半。
薬が効いたおかげで頭痛と寒気は収まった。
お腹はまだちょと変だけど、我慢できないほどじゃない。
それじゃ行こうかな。バザールって僕は大好きだ。

集合時間の5時半になってもまだ8人ほどが集まらない。
部屋に電話しても出ないようだ。どうしたんだろう。

しばらく待っていると、2つあるエレベーターのうち片方が止まっているという。
どうやら8人は閉じ込められているようだ。
おいおい、いくらエジプトだからって、これじゃしゃれにならないよ。
そういえばさっき僕が乗った時もドアがすぐ閉まってしまい、ボタンを押しても反応がなかったな。

10分ほど経ってから、みんなが階段から降りてきた。
どうやら上階でホテルの人がドアを開け、やっと開放されたようだった。
みんなもう一つのエレベーターに乗るのが怖くて階段で降りてきたという。

全員集まったので、バザールへ馬車で向かう。僕は馬車なんて初めてだ。
ホテルは丘の上、そこまでは馬車は上がってこられないようなので、坂の下まで歩く。
そして馬車に乗りこみバザールへは15分ほど。
意外に乗り心地はよかったが、馬は痩せていてなんだかかわいそうだった。

そしてバザールに到着し、説明を聞いてから自由行動となった。
見たところ地元の人が多いいが、欧米系の観光客もけっこう来ている。
通りを歩いていると、「ジャパーニーズ、コンニチハ」とか「バザールでゴザール」
などと日本語で話し掛けてくる。
女の子に対しては、「カワイイ」とか「アイシテル」とか。

僕はTシャツが欲しかったので、近くの店に入って値段交渉だ。
いろんな柄があり、みんな欲しくなる。値切って5枚で1200円ほどか。
日本の感覚ではかなり安いけど、後から考えるともっと安くできたかな。
調子がよくないので、値切る気力もなくなっていたようだ。
まあハン・ハリーリに行った時の参考にしよう。でも楽しかったよ。

そろそろ時間になったので、集合場所に行く途中、店で缶のコーラを買った。
2エジプトポンド、日本円で40円弱。ずいぶん安いんだな。
飲んでみるとあまり冷えてなくて、炭酸も日本の物と比べると弱かった。

そして帰りもホテルの近くまで馬車で帰ってきた。
バクシーシを要求されるが無視。馬車を降りてホテルのレストランで夕食。
相変わらず食欲は無い。でも何か食べないと体が持たないのでパンを3個。

部屋に戻り風邪薬を飲んだ。明日には治って欲しいな。
それじゃないと観光をキャンセルして、ずっとバスの中にいなければならなくなるな。
今日はゆっくり休みたいな。ツアーはやっぱりハードすぎるな。

アスワン バスマホテル泊

幻のショー 2003,9,9
今朝は、というより夜中かな。モーニングコールは2時45分。
僕はゆっくりシャワーを浴びたいので目覚ましを2時15分にセット。
さすがにこの時間ではアラームの助けを借りなければならなかった。

僕は寝起きはかなりいい方なので、それほど苦にはならなかった。
ゆっくりとシャワーを浴びていたら、早めに電話が鳴った。
まだ時間前じゃないか。フライングだから無効だ。出る必要は無い。
しばらくそのままにしておいたら静かになった。なんだか本末転倒のような気もするが。

しばらくしてまた電話が鳴ったので出ると、今度は自動じゃなかった。
5分くらいするとまたしつこく電話が鳴り、今度は自動再生。
いったい何なんだここのモーニングコールは。

着替えをして身支度を整え、今度は荷造り。
とりあえずいらないものをスーツケースに詰めこんだ。
まだ隙間がたくさんあるので均等に詰めないと荷物が中で暴れてしまう。

そして3時半、荷物を部屋の前に出し、朝食を食べにレストランに向かった。
外はまだ真っ暗で、ライトアップされた椰子の木が幻想的だ。
空にはたくさんの星が見え、明るく輝く月が印象的だった。まだ3時半なんだよな。

適当に食事を済ませ、一度部屋に戻り手荷物の整理。
そして4時30分にロービーに集合し、バスに乗りこみホテルを後にした。
道路は閑散としていて人々の姿は疎だ。それでも要所には銃を持った警官がいる。
多分、日本の10倍くらい警察官がいると思う。

ナトリウム灯が立ち並ぶ一直線の道路の両脇には、ナイトクラブが連なっていた。
その名の通り、ここでは夜通し営業しているという。

30分ほどでカイロ国際空港に到着。今日は国内線だ。
2回の手荷物検査を経て、無事搭乗口にたどり着く。
なんだなんだ、またバスか。まあいいや。

バスは走り始め、すぐに機に着くかと思ったらなかなか着かない。
10分くらい走ったんじゃないだろうか。ようやくバスは止まった。
なんでこんなに遠くに飛行機を止めるんだろう。
いったいどうなっているんだ、この空港。

カイロからアスワンまで1時間10分ほど。
通路側の席になってしまい、外が何も見えないので寝ることにした。
ほぼ定刻にアスワン空港に着陸。しばらくしてからドアが開いた。

そしてタラップに立つと、なんなんだ、ここは!ここって地球?
砂漠の真中に一直線の滑走路。まるで他の惑星に降り立ったようだった。
思わずスタートレックのエンタープラズ号が頭を過った。

空港を出てバスに乗りこみまずは「未完のオベリスク」。
日差しは強烈だが湿度が極端に低いので風がさわやかだ。
日陰に入ると本当に気持ちいい。

なんだか映画のセットみたいでおもしろい。僕は一番に登り始めた。
そして切りかけの柱の所まで登った。今は残念ながら上に乗ることは禁止されていた。
40メートルもの柱、いったい何に使う予定だったんだろう。

バスに戻ると物売りが来た。頭に被る白い綿の布、それに胡弓に似た楽器がそれぞれ£10。
安くておもしろそうなので両方買ってみた。
外では物売りが、誰が売るんだともめていて、そのうち喧嘩になったみたいだった。
その楽器を弾いてみたが、彼等のようにうまく演奏できない。
まあ仕方ないか。実用的な物じゃないからな。飾っておこう。

次は予定を繰り上げてヌビア博物館。ここでもカメラを持ちこむと£10取られる。
カメラに比べ、ビデオカメラは£100と桁違いに高い。それほどの付加価値はあるのだろうか。
エジプトでは外国製の電化製品は関税が200%とか。それに比例して高いのかな。

博物館にはカメラを持ちこもうか、いつも迷う。
たいした物は無いかもしれないし、貴重な物もあるかもしれない。
それは人によって違うけど、いずれにせよ入ってみなければわからない。

ここは中が暗く、撮影にはかなり苦労する。
そこはデジカメの本領発揮。その場で良し悪しがわかる。
ダメなら消して、うまく撮れるまでシャッターを押し続ければいいんだもんね。

次はアスワンハイダム。小学校のころ社会科で習ったあのダムだ。
そのころ、僕はエジプトと言えば、ピラミッドとこのアスワンハイダムくらいしか知らなかった。

以前からずっと来てみたいとは思っていたが、まさか実現できるとは。感動も一入だ。
ここまで来るには簡単な道のりではなかったからな。
ただおカネを出せば来られるというものでもなかった。
ずっとサラリーマンでいたら、きっと定年になるまで来られなかっただろうな。

ダムの堰堤の入口には検問所があり、観光客以外は簡単には通過できない。
ビデオの撮影は軍事上の問題で禁止という。
まあここがテロの標的になったら大変だもんな。そう簡単には壊せないだろうけど。

バスを降り、三脚を立てて写真を撮ろうとしたら、緑の服を来た軍人が来てダメだという。
どうやらカメラはいいが、三脚はダメらしい。まったくよくわからない国だよ。

適当に写真を撮り、バスに戻り空港へ向かった。
とりあえず一度アスワンを離れアブジンベルに向かう。
通常にツアーではまず宿泊しないアブジンベル。このツアーを選んだ一因がここにもある。

アスワンからアブジンベルまでは飛行機で約40分ほど。
この航路は予約が少ないと、すぐに欠航になってしまうらしい。
今日の乗客も、僕達ツアーの一行以外はエジプト人は3人しか見なかった。
僕達が乗らなければ欠航になっていただろう。
そのわりに警備が厳重で、飛行機に乗るまでに3回も手荷物検査があった。

そしてなぜかこの区間は自由席。さっそくガイドブックの通りに左側の席に座った。
離陸直後から左旋回し、今飛び立った空港が最高によく見える。
さらにずっと低空で飛び、ナセル湖が見渡せる。その大きさは琵琶湖の7倍とか。
入り組んだ無数の入り江は、まるで朱鞠内湖や奥只見湖の拡大版のようだった。
しかし砂漠の中の、こんな湖は見たことも無いし、筆舌に難いスケールだ。
なんとも言葉では言い表せないほど衝撃的な風景だ。これが地球とはとても思えない。
着陸寸前、あのアブジンベル神殿が左下に迫り、すぐ横を通りすぎていった。
あっというまの遊覧飛行でアブジンベルに到着。これで$50とは激安だ。

このあとはさっき空から見た神殿を見に行く予定だが、今からだと暑過ぎるので
今日宿泊のホテルで食事をし、しばらく休憩してから夕方でかけるという。
このアブジンベルに宿泊する観光客はあまりいないから、そのほうがいいかもしれない。

お昼はめいっぱい食べてお腹いっぱいだ。ちょっと食べすぎかもしれない。
食事の後、カギを受け取りにフロントに行くと、ウェルカムドリンクだという。
それなら食事の時に出してくれれば飲み物を頼まなくてもよかったのに。
とてもじゃないがもう飲めない。なんだか策略的だな。

カギを受け取って部屋に行ったがドアが開かない。
それに違う人の荷物も置いてある。まあその辺はエジプトだからな。
ノブを回してもビクともしないので、ドアを蹴ったら一発で開いた。まあこんなもんかな。

部屋はバルコニー付きのツインルーム。
バルコニーに出ると、咲き乱れるブーゲンビリヤやナセル湖さえも見渡せる。
ラタンの椅子に座り、しばし物思いいに耽る。時を忘れる一瞬だ。
木々おそよぐ音と、時折湖の上を走っていく船の音。それだけを聞きながら時が流れていく。
こんな贅沢な時間。今でも本当に夢を見ているようだよ。

仕事をしていた時は、本当に幸せだと、実感することなんてあっただろうか。
少なくとも、今の僕の記憶には残っていない。
今、僕は五感をフルに使って、今という時間を全身で感じている。
生きているという実感。これほど幸せだと思ったことが、今まであっただろうか。

五時半、アブシンベル大神殿を見にバスへ向かった。
ホテルから僅か五分ほどで到着。ここにも入口にはセキュリティーチェックがある。

X線検査の機械にDパックを通すと、三脚(ステッキと言っていた)が入っているだろうと言われた。
もちろん入っていたので出して見せると、別料金が必要という。
なんだよお、そんなこと聞いてなかったぞ。
40人あまりのツアーで三脚を持っているのは僕だけだったから、
ガイドもカメラやビデオのように、いちいち確かめないようだ。

でも暗い神殿の中では三脚が必須だ。料金£30を支払った。

中に入り、裏側から回りこむと、その迫力に圧倒された。
さっき飛行機から見た神殿なんて、比にならないよ。
なんというデカさだ。どうやってこんなもん作ったんだろう。
古代の人々の偉業に思わず言葉を失った。

大小両方の神殿の中を見学した後、8時からは音と光のショーだ。
まあたいしたこと無いだろうとあまり期待をしていなかったのだが、
その思いは一瞬のうちに覆された。

大小の神殿が超巨大スクリーンと化し、大迫力の音と映像が見事にに調和している。
そして空には星が輝き、月明かりが神秘的に辺りを照らす中、
僕は言葉にはとてもできない衝撃を受けた。
また夢の世界に迷いこんだよ。もうここから1歩も動きたくない。
約30分間、本当に幻想的なショーだった。これは外国語でも楽しめたと思う。

余韻に浸りながら、ゆっくりと丘を登り、バスに戻った。
ふとペットボトルを忘れてきたのに気が付いた。
あららっ、水はどうでもいいが、あのホルダーは惜しい気がする。
明日も神殿に日の出を見に来るけど、それまであるかな。

バスに乗りこみホテルに戻り夕食。
アブジンベルに宿泊できて、本当によかった。
アブジンベルがこんなに素晴らしいなんて、嬉しい誤算だったよ。

明日も4時起きだ。周りには何人も体調を崩している人がいる。
僕は今のところ快調、でも無理しないようにしよう。

アブジンベル セティホテル泊

古代ローマの世界へ 2003,9,8
目覚ましを5時にセットしてあったのだが、アラームが鳴る10分前に目が覚めた。
さっそくバスタブにぬるめのお湯をため、目を覚ましてからシャワーを浴びた。

その真最中にモーニングコールが鳴った。
出ないとまずいかと思ってバスルームを出たが間に合わなかった。
再びシャワーを浴びているとまた電話が鳴った。
ほとんど濡れたまま電話に出たが、モーニングコールは自動応答の音声だった。
なんだ、出るまで何回もかかってくるようになっていたのか。

朝食は6時からバイキング。僕はこのスタイル方が好きだ。
レストランは日本人がいっぱいで、他のツアーの人もいたようだ。
パンを適当に選び、フルーツとヨーグルト、それにオレンジジュース。
食べ終わってから紅茶を飲んだ。

今晩もこのホテルに連泊なので荷造りは不要だ。
今日使わないものはスーツケースの中に詰めこんでカギをかけた。
そして7時にホテルを出発した。

朝のギザはなんとなく霞んだようで幻想的な朝を向かえていた。
この辺りはほとんど雨が降らないので砂埃が舞っているようだ。
バスは街中を抜け、カイロ中央駅には30分ほどで到着。

ここからアレキサンドリアまでは特急列車の旅だ。
”アレキサンドリア”、なんとなくいい響きだな。古代ローマを思い起こさせるよ。

カイロ駅には改札というものがなく、そのままホームに入りこめる。
日本人の感覚ではこんなんでいいのかなあ、という感じがする。
僕達が乗る列車は特急の1等。1等といってもそれほど豪華じゃない。
列車自体もけっこう古く、1等と呼ぶには少し名前負けする感じも否めない。
それでも座席の巾は広く、ピッチも新幹線並み。乗り心地はまあまあだ。
しばらくすると車掌が検札に来て、切符にボールペンで斜線を入れた。

窓は開かず二重になっていて、上のハンドルを回すとシェードが下りてくるようになっている。
適度な揺れとエアコンの効き具合、それに早起きしたのでいつのまにか夢の中へ。
気がつくと終点アレキサンドリアが近付いていた。
周囲を見渡すとヨーロッパ風の建物が多く、街並みはカイロとは全く様相を異にしている。

そしてアレキサンドリア駅に到着。ここも改札が無く、切符も記念に持ち帰れた。
駅前に待機していたバスに乗りローマ劇場へ。といってもそこは駅前。
わざわざバスに乗らなくても歩いていける距離だ。

円形の劇場はエジプトでもここだけらしいが、適当に見て写真を撮って後にした。

いつのまにか僕達のツアーにSPがついていた。
身長が2メートルはある大男。無線と拳銃をスーツの下に隠している。
いくら観光立国といってもここまでやるかな。
でもあのルクソールの事件を思いだすと、これでもオーバーとはいえないのかな。
基本的に日本とは考え方が全く違うんだよな。

次はカタコンベ。ここは地下のお墓で涼しくて快適。
たくさんの石棺室が、まるで迷路のように配置されていた。
奥に入りこみ電気が消えたら戻ってこられないんじゃないかな。
でもなんだか洞窟探検みたいで結構楽しい。
ここは撮影禁止だった。

次はポンペイの柱。
それにしてもポンペイってあちこちにあってよくわからない。
ここは火山で埋もれたあのポンペイ?
インドにも似た名前があったし、どこかの島もあったような気がするな。

一本だけ巨大な柱が青空に映えていた。
ここも少しだけど探検気分が味わえる。人が少なくてよかったかな。
ツーリストポリスがいなかったので、壊れた石造に乗って写真を撮ったりした。

もうお昼でお腹がすいてきたけどグレコローマン博物館に向かった。
途中バザールがあり、たくさんの地元の人達で賑わっていた。
いいなあ、こういうところ歩いてみたいよ。でも外国人はまったくいないようだった。

そして博物館に到着。この博物館もガイド無しじゃ何がなんだか全然わからない。
どれがアレキサンダー大王だかクレオパトラだか。何の説明も無く、まるで倉庫みたいだよ。
見学が終るとやっと昼食だ。バスに乗りこみレストランに向かった。

さっきのバザールはさらに賑わいを増していて、路面電車の軌道内にも出店。
電車が迫ってきたのを見て、慌てて店を片付けていた。
バスもそれらの店を蹴散らしながら、やっとのことで進んでいく。
そしてビルの谷間を抜けていくと、目の前がぱっと開けた。

地中海だ。ガイドブックで見たあの海岸だ。
緑色の海、砂浜はあの砂漠の色。でもあまりきれいには思えなかった。
あの沖縄の海をずっと見てきたからな。あれほどきれいな海なんて、あんまりないよね。

レストランではシーフード料理。
なんだかよくわからない食材もあったし、スパイス系はちょっと苦手だった。
食事の後、出発まで5分ほどあったので、車の切れ目を見計らって道路を渡った。
そして写真を撮って戻ろうとしたが、中央分離帯に取り残されてしまった。

車の流れは全然切れず、バスはついには僕を待つだけになってしまった。
うーん、中国人やインド人じゃないんだから、こんな道渡れないよお。
そのうちに出発時間になってしまい、痺れを切らしたSPが渡ってきた。
そして僕を先導して、平気な顔をしながら流れる車の中を渡った。
こういう時には頼りになるなあ。でもこれは僕が悪かったな。

そしてアレキサンドリア最後の観光は、カイトベイの要塞。これは復元された物。
海岸沿いの、さわやかな風が吹きぬけていた。
ここは中には入らず、写真を撮って後にした。
あとは220キロ先のカイロへ戻る。

単調な高速道路を走っていると、いつのまにか夢の中へ。
すっかりいい気分で寝入ってしまった。周りの人達もみんな寝ていたようだ。

途中ドライブインでトイレ休憩。ここで初めてトイレチップを払った。
そして6時半ころホテルに戻って来た。
その後、慌ただしく7時に夕食。ケーキをたっぷり食べてお腹いっぱい。

明日はモーニングコールが何と午前2時半。朝食は3時半だよ。
一気にアスワン、そしてアブジンベルへ。早めに寝ないとな。

カイロ、ギザ地区 ピラミッドパーク・インターコンチネンタルホテル連泊

ついにアフリカだ 2003,9,7
いつから日付が変わったのかよくわからないな。
時計を6時間戻し、エジプト時間に合わせた。
午前5時を過ぎても真っ暗。しばらくして4回目の機内食が配られてきた。
朝食を食べ終わるといよいよエジプトが近付いてきた。
僕にとって初めてのアフリカだ。でもエジプトって、何となく中東のような気がしてならない。

機はゆっくりと高度を下げていき、窓の外に街の灯りが見えてきた。ついに来たぞ。
かなり不安定な着陸でひやひやしたが、なんとか無事着陸。長いフライトがやっと終った。
しかしボーディングブリッジには着かず、バスでターミナルへ移動。なぜだろう。
現地時間午前5時45分。外はまだ真っ暗だ。

エジプトは現地で簡単にビザが取れる。
パスポートのチェックなんて無くて、15ドル分の収入印紙のような物を買ってパスポートに貼るだけ。
単なる入国料というか、外貨を稼ぎたいだけのようだ。

入国審査は難なくパス。さっきの印紙にスタンプを押すだけだった。
その次は機内預けのスーツケースを受け取るのだが、これがなかなか出てこない。
それに荷物の扱いがすごく粗く、斜めになったり2段に重なったりして出てくる。
最初のカーブでこぼれ落ちる荷物もあるほどだ。

出てくるまでかなり時間がかかりそうなので、添乗員から止められていたが両替することにした。
このあと今日泊るホテルに行き、そこの銀行で両替するという。
でも僕の予想ではホテルより空港の方がいいはずだ。とりあえず50ドルだけ両替した。
レートは1ドル=6.14エジプトポンド。$1=120円としても1LE=20円弱だ。
いつのまにか円高(エジプトポンド安?)になっていたようだ。
旅行者にとってはありがたい話だが。

エジプトのトイレには必ず番人がいて、チップを要求される。
まあ25から50ピアストル(5〜10円)ほどだけど。
そのかわりいつも掃除をしているようなので比較的きれいだ。
しかし空港のような公共機関でチップを取るなんておかしい。
僕は無視してトイレから出た。チップを払うのは日本人が多いようだ。

ようやく全員の荷物が出てきたので空港を出てバスに向かった。
重たいスーツケースはポーターが運んでくれるので楽ちんだ。

いつのまにか外は明るくなり、朝日が登り始めていた。
んんっ、意外に涼しいな。気温は21度。
空をを見上げると、これぞ雲一つ無いという青空。本当に雲のかけらすらないよ。

今回のツアーはかなりの申し込みがあったみたいで2つのグループに別れていた。
最初21人を2つのグループに分けたと思ったのだが、
実際は20人あまりのグループが2つできていた。45人ものツアーなんてすごいな。

バスに乗りこみギザのホテルに向かう。
バスの窓から見える風景は、インドや中国の、あのアジアの混沌さは感じられなかった。
なにか人も車も建物も整然と感じられた。インドの印象が強烈過ぎたのかも知れないけどね。

ホテルに到着したが、まだチェックインはできないので歯を磨き顔を洗った。
そしてホテルの銀行で両替。レートは$1=6.11ポンド。やはりレートが悪い。
僕はすでに列に並んでいたので20ドルだけ両替した。

再びバスに乗り込みいよいよあのピラミッドへ。
いつか小さいころ、写真で見たあのピラミッドが迫ってくる。

僕はピラミッドは砂漠の真中にあるものと予想していたが、
それが意外にも市街地のすぐそばだった。市街地といっても過言ではない。
ピラミッドはこんな所にあったのか。でも僕の目の前にピラミッドがあるよ。
下から見上げると思ったより高く、よくこんなに積み上げたかと思うよ。
エジプトの象徴ともいうべきピラミッドに、今僕は、ついにたどりついた。ここはエジプトなんだ。

バスを降りると定番の物売りだ。ワンダラーとかツーダラーとか。
そのうち聞き覚えのある言葉が…「ゼンブデセンエン」 思わずあっけに取られてしまった。
ここでも千円攻撃があるとは。やっぱりセンエンはグローバルスタンダードだったんだ。

そして1日300人限定のクフ王のピラミッドの内部に入った。
それにしても現地の旅行会社は40人以上ものツアーのチケットをよく確保したな。

内部は狭く急坂で、屈みながら急な坂を登らなければならない。
一瞬のうちに筋肉痛の様相。おまけに蒸し暑い。
石棺の部屋に到着したが、蒸し暑さでとてもゆっくりしていられない。

数分で来た道を戻っていった。外に出ると裏側にある博物館を見に行った。
発掘した巨大な木の船を再現してあった。なんでこんな大きな船を埋めたんだろう。

博物館の見学を終えるとピラミッドの石を少し削り持ち帰った。
ツーリストポリスには見つからなかったようだ。

それにしても警官が多いな。どこを見ても警官がいる。それも自動小銃を持っている。
もちろんツーリストに向けるわけは無いが、なんか威圧感がある。

展望台へ行って写真を撮った後はスフィンクスに向かった。
噂の通り、正面にはケンタッキーフライドチキンがあった。
といっても目の前じゃなくて、数百メートル離れているが、
そこまでの間、障害物が全くないので真ん前ともいえないことはない。

バスを降りてスフィンクスに向かって歩いていくと、またしても物売りの声。
でも今度はセンエンの他に「ヤマモトヤマー」・・・。なんなのこれ。
もちろん海苔を売っているわけではない。

一通りスフィンクスを見た後はラクダ乗り。
ラクダは見た目はおとなしそうだが近寄ってみるとそうでもない。
グワーっと大きな声を出したり歯を剥き出しにしたり。
それによだれをダラダラ流したりしていて意外に気持ち悪い。

そしていよいよラクダにまたがった。そして立ちあがる時振り落とされるかと思ったよ。
それに思ったよりに高く、1歩歩くたびに大きく揺れる。これは象よりも怖い。
今回は記念写真を撮って少し周りを歩いただけだったけど歩く度にお尻が擦れる。
こんなのとても1時間も乗っていられないな。

スフィンクスを後にし、パピルスの店に寄ってから昼食を食べにレストランへ。

午後からはエジプト考古学博物館の見学。
エジプトの博物館も、カメラを持ちこむとお金を取られる。
ここもカメラはE£10だ。さらに僕は三脚も持っていたので追加料金£20を取られてしまった。

この博物館は、遺跡から発掘されたものが雑然と置かれていて、
ガイドがいなければ、ただの倉庫とも思えるほどだ。
見学時間は2時間ほどあったが、とてもじゃないけど見きれないよ。

でも長いフライトで睡眠不足。それにちょっと疲れ気味。
モハメドアリモスクは最終日にまわすことになった。

5時半ころホテルに着いて一休みした後、6時から夕食。
大きなプールもある中庭を見ながらバイキング。

明日はアレキサンドリアへ、朝5時起きだ。今日はゆっくり休もう。

※カイロ、ギザ地区 ピラミッドパーク・インターコンチネンタルホテル泊

出発 2003,9,6
今日から10日間、日本を離れ、初めてのアフリカ大陸、エジプトに向かいます。

目覚ましを6時半にセットしておいたのだが、6時過ぎには目が覚めた。
目覚ましをセットして、鳴ってから起きたということが最近ではほとんどない。
不思議なことに、いつも15分くらい前に目が覚めるよ。

さっそく起きてシャワーを浴び、トーストで朝食。
パッキングは昨日のうちに済ませてあるので後は確認だけ。
一応必要な物はすべて詰めこんだはずだけど、
まあ最低パスポートと現金だけ持っていれば何とかなるからな。

7時半過ぎ、スーツケースとDパック、それにウェストポーチを持って車に積みこんだ。
そして8時ちょうど、家を後にした。帰ってくるのは10日後だ。

集合時間は14時、まだ6時間あるので余裕がある。大井松田までゆっくり下道で行こう。

R246の関東自動車北側の信号のところに来ると、なぜかベンツが止まっている。
そのすぐ近くで多分運転手だろうが携帯で何か話している。
なんで交差点の中に止まっているんだろう。事故なら相手の車がいるはずだけど。
歩道をよく見ると、倒れたバイクと動かない人。おいおい、大丈夫かな。

受信機を裾野消防の周波数に合わせた。でもなかなか出動の報告がない。
そして10分以上経過したころだろうか。やっと出動した。
多分あの場所は御殿場との境だから、御殿場消防側につながってしまったのかな。
あんなに時間がかかってしまって、軽症で済んでいればいいんだけど。
通信の内容は、だいぶ距離が離れてしまったのでほとんど聞き取れなかった。

さらにR246を北上し、御殿場を過ぎると山間部の快適な道。
交通量は若干多いが流れは順調。山北あたりでMY運送のFKとすれ違った。
懐かしいなあ。1便の帰りかな。

大井松田からは東名に乗った。
しばらく行くと電光掲示板に「東名川崎−東京 渋滞2Km」の表示。
まあ2キロくらいならたいしたことないな。おそらく料金所渋滞だろう。

と思ったのだが東京料金所は渋滞もなく通過。なんだなんだ、どこが渋滞してるんだ。
渋滞は解消されたのかな、と思ったのも束の間、ハザ−ドランプが見えてきた。
どうやら首都高の用賀料金所が先頭の渋滞ようだ。
それでもゆっくりとではあるが進んでいき、用賀料金所が近付いてきた。
ETCのブースはどこかと探すが、いつのまにか全てのブースがETC対応になっていた。

その後、箱崎で若干流れが悪くなったが7号に入ると快適。
箱崎も、両側のレーンから6号方面に行けるようになってから楽になったな。
そのまま京葉道路まで順調に進んでいった。湾岸線よりこっちの方が100円安い。

しかし、しばらく行くと事故渋滞12キロの表示。現在時刻は11時前か。
そのうちカーナビのVICSが反応、成田空港までは”2時間以上”となっている。
おいおい、冗談じゃないよ。2時間”以上”って、いったい何時間かかるんだよ。
画面ではずっと先まで赤の点滅。おまけに事故の場所はジャンクションらしい。ダメだこりゃ。

すぐ近くに並行して走っている東関道は何の表示もない。こりゃ乗り換えるしかないな。
仕方なくすぐ先の幕張で降り、東関道を目指す。
同じことを考える人が多いのか、信号のパターンが悪いのか、なかなか右折できない。
3回の信号待ちでようやく右折できた。その先はまあまあ流れていた。

そして東関道に乗ると障害は全くなく、あっというまに酒々井パーキングに到着。
そこでお昼を食べ、時間調整して12時半にパーキングエリアを出発。
空港近くの駐車場に車を預け、1時10分くらいには成田空港に到着。
まあまあ順調に来られたな。

団体受付の窓口に行くが、受付はまだ始まっていなかったのでしばらく待機。
2時前ようやく航空券を受け取ってチェックイン。
非常口座席を指定したけど、ツアーごとに座席の範囲が決められていて、
その中からしか選べないという。長帳場なので今回は通路側を指定した。

免税店でも特に買い物もないので手荷物検査と出国審査を終えると搭乗口に直行。
15時20分から搭乗が開始された。出発40分前からか、ずいぶん早いな。
機はB−777、エコノミーの座席配列は2‐4‐2。国内線に比べ座席ピッチは若干広いようだ。

座席に毛布と枕は置いてあったけど、噂のアイマスクとソックスがないな。
経費節減でやめてしまったのかな。それにヘッドホンもないよ。
ついでに喫煙席もなくなっていた。国際線でも最後まで残っていたんだけどな。

ボーディングブリッジを離れたのは定刻の16時。でも成田は滑走路までが遠い。
けっこう時間がかかり、離陸をしたのは30分も経った16時30分。

シートベルト着用サインが消えるとヘッドホンが配られてきた。
その中にアイマスクとソックスが入っていた。これって持って帰っていいのかな。
次いで機内食が配られた。メニューは3種類。その中から僕は天丼を頼んだ。
もちろん丼になんて入ってなくて、あの四角い保温トレーだけどね。

しばらくは映画を見て過ごす。日本語の吹き替えチャンネルもある。
出発から4時間20分。マニラ国際空港に着陸。
機内清掃のため乗客は全員降ろされ、空港のロビーで待つことになった。
機を降りるとボロボロのトランジットカードを受け取った。トランジットなんて初めてだ。
ロビーにあるお土産屋を見て回ったが、特に欲しい物もなかった。

20分ほどすると案内があったので搭乗口に向かった。
ボーディングブリッジで手荷物検査とボディーチェック。なんでここでもチェックが入るの?
そして機に乗りこむとまた機内食。
あまり食欲もなかったが、洋食にはケーキがついていたので洋食を頼んだ。
和食は稲荷寿司や巻き寿司だった。

その後眠くなりうとうとしていた。
マニラから3時間ほどでバンコクに到着。ここでもトランジット。
乗客は全員たたき起こされ機から引きずり降ろされる。そんなに極端じゃないけど。
ここでは降りた場所と搭乗口が違うのでちょっと面倒だ。
搭乗まで2時間ほど時間がある。

エスカレーターで上階の出発ロビーに上がるとすごい数の免税店。
歩いて見ているだけでもけっこう楽しい。どうやら24時間営業のようだ。
何かお土産を買いたくなるが、目的地はここじゃない。タイはまたいつか来ればいいし。
それに荷物になるしな。こんど象に乗りに来よう。

しばらく見て回って搭乗口へと向かった。
ここでもまた手荷物検査がある。けっこうシビアだな。

時計を見ると1時半を回っている。でもこれは日本時間だ。
タイは時差が2時間あるから11時半ころか。いったいいつまで今日かわからなくなってきたよ。
乗りこむとまたまた機内食。これで3食目だよ。でもちょうどお腹がすいたので半分ほど食べた。

とりあえず今日の日記はここまでにしよう。明日はいよいよアフリカだ。

秋の気配 2003,9,5
今日は朝からいい天気。雲量1以下の快晴だ。

今朝は少し涼しくて快適だったな。
朝食の後、母に頼まれた電球を買いに御殿場のカインズホームまで行った。
電球型の蛍光灯型のランプは寿命が長く電力消費量も少ない。
でもコストは約16倍。どっちが得なんだろう。

買い物を済ませ、富士山を見ると、若干雲がかかっているが概ねよく見える。
ちょっと行ってみようか。滝ヶ原から富士山に登っていく。
旧富士山スカイラインの登山区間に入るとエアコンもいらないほど涼しくなった。
バイクはジャケットを着込んで降りてくる。
九十九折れの急坂を登り標高がどんどん上がっていく。
標高が1000メートルを超えるとエンジンの調子が良くなってきた。おかしいな。
普通は標高が高くなると調子が悪くなるもんだけどな。まあいいか。

富士宮口五合目が近付くと霧に視界を阻まれた。
あれーっ、さっき麓と頂上は見えてたのに。この辺りだけ雲がかかっているようだ。
数分待っても状況は変わらないので下山開始。

周遊区間まで下りると晴れていた。
途中を左折し、御殿場口の五合目まで行くと、下界の様子がよく見えた。
しかし富士山はやはり五合目付近は雲の中。やっぱりあの辺だけ曇ってる。
ここに来たのは何年ぶりだろう。車を買い換えてから初めてだから
少なくとも3年は来ていなかったな。

売店やトイレはすっかりリニューアルされ、トレは雪崩を避けるためか地下に移設されていた。
周囲を歩いて散策。富士あざみはきれいな花をつけ頭を垂れていた。
ふと自動販売機を見ると、値段はすべて200円。随分高いな。

下界に降りてくるとやはり暑い。
旧246を下ってくると、自衛隊の輸送機がやけに低い高度で飛んでいる。
それも一定の間隔をあけて次々とやってくる。なんだなんだ。
あの辺にはたしか着陸できるところは無いはずなのに。
よく見ていると後部から何かが落ちて、すぐにパラシュートが開いた。
えっ、あんな所で、しかもあの高度で降下訓練か?そんな馬鹿な。
さらに近付き良く見ると、それぞれ2つのパラシュートが開いていた。
なんだ、物資の投下訓練か。ああびっくりした。

僕が子供のころは、市営グランドに空挺部隊が降下したり、ヘリが着陸したり。
今では信じられないようだが戦車が一般道を走っていた。
僕は戦車の走った後を歩いていった記憶がある。

夕方家に戻りパッキング開始。
暗くなってきて、ふと気付くと虫の鳴き声が。
いつのまにか日没がはやくなっていて、6時半でもう真っ暗。
それに今日は涼しいよ。季節は確実に進んでいるんだな。

僕は明日からちょっとだけ真夏に逆戻り。
20時間45分のフライトと時差ボケがちょっと心配だけど。
でも今夜は涼しくて、ゆっくり寝られそうだな。

難しい荷造り 2003,9,4
ふと気付くとつくつくぼうしの鳴き声が聞こえるな。
この鳴き声を聞くと、もう夏も終わりだなって感じがするよ。
なんだか過ぎていく夏を惜しんで鳴いているみたいだね。

午前中、近くの公園でエジプトについての下調べ。
その後、静岡銀行に行き米ドルに両替。
以前、両親がカナダに行った時に使わなかったドル紙幣を300ドルほどもらったので
今日はエジプトで必要と思われる小額の1ドルと5ドルを両替に行った。
1ドル札を20枚、5ドル札を6枚の計50ドルで6,000円弱。
とりあえずこれだけあれば十分だろう。あとはカードと少しの日本円で。

最近は海外では財布を使わないようにしている。
いくつかのポケットに分散させ、金額ごとに別々ポケットに入れている。
どこにどの金額の紙幣を入れたか覚えていれば、必要以上のお金を外に出すことは無い。
そういえばアジアの国では財布を持っている人をほとんど見た事がないな。

3時ころ、愛鷹総合運動場の駐車場に行くと、見覚えのある懐かしい車。
横に止めると、ちらっとこっちを見たが気付かない。
車を降りて声をかけると僕に気が付き曰く「久しぶりっす、今何してるんすか」
以前勤めていた会社のお客さんだったけど、けっこう親しく付き合っていたからな。
昔のことを思い出し懐かしくなった。いろいろと業界の近況を聞くことができた。

その後家に戻り洗車を開始。
北海道に行った時の虫が1回の洗車だけじゃ落とせなかった。
それにラジエターにこびりついた虫が蒸し焼きになり、嫌な臭いを発している。
大きな虫は棒で落とし、後は高圧の水で流し落とそうとしたが
かえってラジエターのフィンの中に入ってしまった。ありゃーっ。
まあ乾けばそのうち出てくるだろう。

部屋に戻りパッキングを始めた。出発は明後日なのでまだ余裕だ。
とりあえず必要なものは揃ったので、いらない物を選別。しかしこれが意外に難しい。
もしかしたらいるんじゃないかな、と思うものまで詰め込んでしまう。
そういうものは結局何も使わなかったというケースがほとんどだ。

今回は夏服だけなので、スーツケースも余裕がある。
帰りのお土産のために空けておきたいので、極力荷物は減らしたいんだけどな。
もう一晩じっくり考えようかな。

温泉はどこ? 2003,9,3
目が覚めると外は青空。いい天気だ。
朝食を食べた後、さっそく出かける準備。こんな天気に家にいたんじゃもったいない。
近くのコンビニで飲み物と食料を調達した後、R246を下りR1を西進。
今日は静岡市の山岳部の井川地区、畑薙ダム近くの温泉に行ってみよう。
そして山梨県に抜けて、久しぶりに南アルプス林道を走ってみようと計画を立てた。

静岡市に入りバイパスを下り山の方へ走っていく。
橋を渡ると道が狭くなり、ワインディング路になる。
口坂本方面の道は開通したとラジオで言っていたのでそっちから行こうとしたら
時間帯通行止めの看板。多分1日に何回か時間を決めて通行止めになるんだろう。
と思って工事の看板を見ると、通れるのは朝と夕方の2回だけ。
これじゃ時間帯通行可とすべきだ。

あきらめてもうひとつの道を登っていく。
標高が500メートルを超えれば通常エアコンはいらないはずだが今日は違う。
窓を全開にしても暑くてたまらない。しかたなくエアコンをつけて走る。
そうすると上り坂では水温がどんどん上がってしまい、エアコンの効きも悪くなる。
道が狭く見通しが悪いのでライトを点灯して走る。
燃料が無駄なのでできるだけブレーキを踏まず、ハイペースで走る。
それでも井川ダムまでは1時間近くかかる。

ダムを過ぎ、久しぶりに井川大橋を渡ってみた。始めて来た時から30年近く経ったんだ。
この橋は完成してからすでに46年も経っていたのか。いつまでもつのかな。
さらに上流へ向かう。途中スタンドで給油。1リットル108円。ここじゃこんなもんか。

この先を走るのは初めてだ。畑薙ダムを目指す。
そしてKPさんから聞いた温泉を探すが見つからない。
カーナビの表示している温泉の場所は更地になっていた。いったいどこなんだろう。
さっき通過したしらかば荘がそうだったのかな。でも有料みたいだったし。
結局畑薙第一ダムまで登ってみたがわからなかった。もう少し調査してから来るべきだったか。

まあいいや。それじゃ山梨に抜けるか。その前に対岸から井川大橋を渡ろう。
井川湖まで戻り、川を渡るとすぐ先には朽ち果てた吊り橋があった。
ひえーっ、なんだこの橋。ワイヤーも錆きって欄干も落ち、床も抜けている。
人が渡らないようにトラロープが張ってあったが草に埋もれていた。
まあこんな橋渡ろうとは思わないが、なぜ放置してあるんだろう。
撤去するのにお金がかかるからかな。遺跡としての価値はあるかもしれない。

その先、恐ろしく狭く、ガードレールもない絶壁を走る。怖い・・・。
途中から舗装も無くなりダートになった。しばらく走ると木が倒れている。
あれっ、なんだなんだ。車を止めて歩いていくと、なんと崖崩れで通行不能。
おいおい、どうするんだよ、こんな奥まで来てしまって。
それにこんな狭いとこでどうやって戻るんだよ。

その先を見に行くと草ボウボウで廃道寸前。かなり前から放置されているようだ。
こんな道に入ってくるのはかなりの物好きだろうけど、
通行止めの看板くらい出しておいてもらいたい。無視して入って来たとは思うけど。
後ろを見てもずっと狭い道なので、ここで切り返すしかないな。
崖から落ちたら命は無いな。慎重に切り返す。
5・6回切り返してやっと向きを変えられた。やれやれ。

来た道を分岐まで戻り、山梨県側に抜けようとしたら、通行止めと書いてある。
ううんっ、本当かな。どうすべきか迷う。あの看板、手書きだしな。
行けるかもしれないし、本当に通行止めかもしれない。
ここから県境までかなり距離があるしな。本当に通れなかったら骨折り損だ。
以前ここに来た時も本当に通行止めだったことがあったな。
あの時は山梨県側にかなり深く入った所から戻ってきた記憶がある。
しかたない、諦めよう。

来た道を戻っていく。延々とワインディングが続く。
途中眠くなり日陰に車を止めて30分ほど休憩すると目が冴えてきた。
結局今日は1つも目標を達成できなかった。まあこんなこともあるな。
途中から車のテレビで水戸黄門を見ながら家に戻ってきた。

いやあ、今日は本当に暑かったなあ。今年一番の暑さだよ。天竜では37.5度、体温なみだ。
9月になって、やっと本格的な夏がきた、って感じだね。
この天気、しばらく続きそう。本当の夏を思いっきり味わいたいな。

傷が消えた 2003,9,2
今朝はエアコンの効きすぎで6時前に目が覚めた。

朝食を食べた後車庫に下り、サングラスの傷を修正しようと水垢クリーナーを取り出した。
そして傷の付いたところに塗って磨いてみたが、表面が白くなってしまった。
これじゃ曇っていてまともに前が見えないよ。ありゃーっ、まいったな。
今度はもっとコンパウンドの細かいワックスを使ってみたが状況は変わらなかった。
余計なことをしてしまったな。このサングラスはオシャカか。
んんっ、待てよ。そういえばプラスチックの傷を消す技がラジオライフに出ていたな。

早速車を出し清水町のホームセンターに直行。ちょうど10時に到着し店内を物色。
接着剤や塗料のコーナーには無く、リホームのところでプラスチッククリーナーを発見。
あったあった、これだこれだ。値段は480円、とりあえず買ってみるか。
すぐに車に戻り試してみる。すると曇りが見事に消えた。おおっ、これは使えるな。
何度か繰り返すと表面の傷も消え、かけてもあまり気にならなくなった。
このサングラスなら砂漠でも使えるだろう。

今回のツアーで利用する航空会社はエコノミーでもソックスやアイマスクが標準装備。
でもアイマスクを着用すると完全に視界が奪われる。何か無くなっても外すまでわからない。
おまけに外から見ると完全に無防備状態だ。
それに比べサングラスをしていると、寝ているのかどうか判別できない上
可視光線も90%カットするので機内の照明も気にならず一石二鳥。ちょっと鬱陶しいけど。

その後、カメラ付き携帯が欲しくなりドコモショップへ行ってみた。
505シリーズは高いけど251なら手ごろな値段だ。
でも価格には「ドコモ東海のお客様の値段です」と表示してある。
僕の携帯はドコモ関西の契約なのでこの値段は適用されないのかな。
店員に聞いてみると、最大8000円も高い。やめたやめた。
大阪に行ったとき、量販店で買うことにしよう。そのほうが全然安いや。
カタログだけもらってドコモショップを後にした。

帰りにダイソーに寄り賄賂用?の電卓を3つ買ってきた。これをうまくつかえるかだな。

5時過ぎ、妹と甥っ子を三島駅まで送っていった。

その後家に戻り自分のHPをチェック。
昨日の夕方から突然僕のPCから美術館に接続できない状態になっている。
他のサイトは問題なく接続可能。原因がわからず試行錯誤。
ダイヤルアップで接続すると通常通りにアクセス可能。
プロバイダーに相談すると、サポートセンターでは接続できるという。
こうなるとこっちの問題かな。いったい原因はなんなんだろう。
思い当たることはすべてやってみたがダメだ。

そうなると残るはルーターか。
ブロードバンドルーターを取り外し、PCに直結したら正常に表示された。
それにしてもezbbsのwww1とwww2サーバーだけにアクセスできない。
www3にはルーターを通してもアクセスできる。ううん、わからん。
もしかして何か新しくアクセス制限を設定したのかな。
メールで問い合わせても返事が無いし。
しばらく画像をアップするのが面倒になったな。

と思ったけど最後の手段。全部のLANケーブルを外し、電源を落としリセット。
そして適当にポートを変えてつなぎ直した。
ふとハブにつないであった4つ目のポートの横のスイッチを見ると、なんとPCになっている。
あれっ、ここのスイッチは触った覚えはないんだけどな。
一応HABに直して電源を入れ、PCを再起動させると正常にアクセスできた。
やれやれ、このスイッチが誤動作したためにルーターがおかしくなったのかな。
それにしては他のサイトには接続できたなあ。
まあ直ったみたいだからいいか。これで今日はすっきり寝られそうだ。

まだ夏なんだけど 2003,9,1
今日から9月か。
朝6時半に目が覚めた。
7時ころ起床。昨日から来ていた甥っ子はもう起きていて遊んでいた。
朝からすごく蒸し暑い。湿度は高く、気温も25度以上はある。熱帯夜だったようだ。
8時半にはサイレンが鳴り響いた。今日は関東大震災から80年。防災の日だ。

朝食を食べてしばらくした後、近くの公園に車を止め缶コーヒーを飲みながら
送られてきた日程表と、ガイドブックを見ながら下調べ。
頭の中に現地の風景が浮かんでくる。そして期待が高まってきた。
出発までの準備してる時間て、けっこう楽しいんだよね。

そして近くのダイソーに行き買い物。カラーボールペンの10本セットを買ってきた。
現地で買い物の時、このボールペンが値引き交渉を有利に運ぶ手段になるらしい。
100円ライターも家に大量にあるので持って行こう。
インドに行った時はボールペンや、スパイラルコードのキーホルダー、
それに電卓を欲しがっていた。これらも少し買っていこうかな。

その後、青色LEDのキーホルダーを買いに沼津のホームセンターへ。
さらに先のカインズホームに行くと、キャンプ用品売り場が縮小されていた。
なんだか夏が終わってしまったようで、寂しくなった。
でも気温は33度。暑くてたまらない。エアコン無しじゃとても走れない。

あと偏光サングラスを探しに釣具屋に行ってみたが、以前売っていた冒険王がみつからない。
気になるほどじゃないんだけど、ちょっと傷が付いちゃったからな。新しいのが欲しかったのに。
サイドまであるサングラスって、一般用じゃあまり売ってないんだよな。
この偏光サングラス、水の中がよく見えたり反射光をカットするんだけど
困ったことに液晶の画面が見えなくなってしまう。まあ当然なんだけど。

1時間ほど車で休んだ後、夕方家に戻ってきた。
そしてスーツケースを引っ張り出し、必要な物を集めた。
出発まであと5日あるからゆっくりと準備しよう。
今までの海外では「あれが無くて困った」、なんてこともなかったしね。

7時ころになって美術館が開けなくなった。なぜだろう。
北海道の友人はMACだけど開けるという。
アップした画像が消えてなければいいけど。