やじさんの日記帳 2003年5月
苺狩り 2003,5,31
今日は早起き。友人の実家が苺農家なので毎年恒例の苺狩りだ。
5時50分にアラームをセットしたが5時30分に目が覚めた。
早速朝食を食べて着替えをして準備をした。
ここから韮山まではだいたい30〜40分くらいだろう。
6時15分、車を出した。

この時間じゃまだ道路は空いている。雨も少し降っていた。
台風から変わった温帯低気圧の雲が近付いているのでこれから雨がひどくなるかもしれない。
日大のあたりまで来て容器を持ってくるのを忘れたことに気が付いた。
あがやぁ〜。この前買っておいたのにっ。でも戻ったら間に合わないな。
渋滞もなく30分ほどで現場到着。先着している車が1台いた。
するとすぐにHMさんがきたので箱を借りて採取開始。
しばらくすると次々と懐かしい面々が集まってきた。
1時間ほどで4箱の苺を採ったが、これ以上採っても食べきれないのでここで終了。
相変わらず調子が良くないので帰ることにした。

雨は来た時より強くなり本降りになってきた。でも風はあまり吹いていない。
家に着きとりあえず3箱を持ち帰った。
ちょうど妹と甥っ子が来ていて、これから山梨にさくらんぼ狩りに行くところだった。
なんとか間に合ったようだ。甥っ子は大きな苺をおいしそうに頬張っていた。

その後両親も一緒に出かけてしまったので、家には僕一人になってしまった。
残った1箱はNMさんの家に届けた。
KPさんは今日は仕事のようなので、とりあえず苺を置いて家に戻った。

今日はゆっくりしていよう。風邪薬を飲んで横になっていた。
薬といっても症状を緩和するにすぎない。根本治療ではないので無理は禁物。
最終的には人間の体の免疫力に頼るしかない。
ウィルス感染だったらもうすぐ抗体ができるだろう。

昼過ぎ、KPさんからメールが来て夕方NMさんの家に行こうということになった。

5時半ころKPさんから連絡が入ったのでNMさんの家に向かった。
僕が到着してしばらくするとKPさんもアイスクリームを持って到着した。
3人で苺とアイスクリームを食べながらダベリング。米原にいたときと変わらないな。

KPさんから四国八十八箇所巡礼の資料を見せてもらった。
できれば歩いて回りたい。歩くとおそらく30日以上かかるからな。
KPさんも歩いて37日かかったという。
バイクなら1週間ほどで回ってしまうけど味気ない気もする。
歩いて回るなら分割で回るしかなさそうだ。まあそれでもいいか。

8時過ぎ、NMさんの家を後にし自宅に戻った。
家に戻っても当然誰もいない。電気をつけて風呂にお湯を入れる。
キャンプの方が楽かもしれない。

寒気を感じたのでゆっくりと湯船に浸かって体を温めた。
風呂の中で眠くなり、何度も意識が遠のいてしまった。
なんとか気力で風呂から出て布団にもぐりこんだ。
この風邪早く治らないかなあ。

ちょっと不調 2003,5,30
相変わらず調子がよくない。普通の風邪なら数日でよくなるんだけどな。

昨日は郵便局へ行って、渡辺美里の西武ドームのコンサートのチケットを申し込んだ。
ファンクラブの優先予約なので振込めばチケットが送られてくる。
今年で14年連続の参加になる。
でもこれに行くとねぶたに行けなくなってしまいそうだ。

7時ころ起きて朝食を食べて9時前に出かけた。
8時前に米原にいるMDさんからメールが来ていて、風は強くなってるがテントは問題ないらしい。
仕事はようやく始まったみたいだけどかなりきつそうだ。

コーヒーを買って公園の駐車場に車を止めて休んでいた。
一度家に戻り銀行に行ってから沼津の街まで出かけた。

昼を過ぎても調子が良くならないので風邪薬を飲んでしばらくまったり。
思い出したようにホームセンターに行き、デジタル体温計を買って測ってみたが平熱。
よく考えると薬を飲んだから今測っても平熱だわな。

家に帰ると8日出発のツアーの日程表が送られて来ていた。
早速見てみるとやたらと移動時間が多い。
初日、デリーまでは経由便で7時間40分。これは時差を含んでいるのかわからない。
2日目はバスでデリーからジャイプールまで6時間。
3日目はジャイプール滞在。
4日目、ジャイプールからアグラまでバスで6時間。
5日目、アグラからべレナスまで列車で9時間。さらに駅からホテルまでバスで1時間。
6日目、べレナスからデリーまで寝台列車で16時間。
7日目はデリーから成田まで帰国の途、15時間10分。
なんなんだこれは。

でも僕はバスとか列車は好きなのでまあいいかな。楽しみだな。

明日は苺狩りで早起きしなければならないので今日は早めに寝よう。

米原キャンパーに再会 2003,5,29
台風が近付いているな。こっちに来るなあ〜!

喉が痛い。喉の痛みで目が覚めたのが6時過ぎ。
今度は鼻水が出る。ただの風邪かな。

今日もいい天気。車が汚れていたので洗車することにした。
30分ほどかけて洗車するとピカピカになった。少し嬉しくなる。
どこかへ出かけようかと思ったが、調子があまりよくないので断念。

そうだ、バイクも洗車しなきゃ。石垣にいる間に1回しか洗車しなかったからな。
だいぶ潮風をあびているから洗い落としてしまわないと。それにチェーンのオイルも塗らないと。
とりあえずバイクを車庫から出し、タンクバックとサイドバックの取付ベルトを外した。
センタースタンドを立てエンジンをかけてギヤを入れ、ワイヤーブラシで汚れを落としてから
チェーンにスプレーオイルをたっぷり塗った。でもこのままじゃオイルべったりだ。
一度バイクを出し、近所を走って余分なオイルを飛ばした。

それから洗車を開始、水気を飛ばそうとコンプッレッサーを作動させるための
発電機のエンジンをかけようとしたが、しばらくぶりなのでなかなか掛からない。
3回目でようやくかかり、コンプレッサーが回った。
エアーガンを使って細かいところの水気を飛ばし、
そしてあちこち小さな錆が発生しているのでスプレーや刷毛を使ってタッチアップ。
ラジエターガードは錆が目立つので脱着塗装した。

そんなことをしているうちにお昼になってしまったのでコンビニに行き弁当を買った。
そして沼津の方まで車で行き、公園の駐車場の日陰に車を止めて食べた。
それからしばらく文庫本を読んだりしてまったり。
4じころか、KPさんからメールが来てこれからNMさんの家に行くというので
千本浜海岸の駐車場で待ち合わせをした。

4時半頃、突然横に見慣れないバイクが止まった。
カワサキのKSRのようだが誰だ?KPさんはたしかBAJAに乗っていたな。
でもこっちを見て手を振っている。KPさんは僕の車も知らないはずなのに。
ヘルメットを外すとKPさんだった。バイクは買ったばかりらしい。
僕の車が判ったのは、リヤガラスに日本の四隅のステッカーが貼ってあったからだという。
車にこんなステッカーを貼ってあるのはこの辺りでは僕だけだろう。

さっそくMNさんの家に向かった。駐車場からは5分もかからなかった。
MNさんの家は防波堤の目の前で、車を止めて草ぼうぼうの道を歩いて玄関まで行った。
玄関でKPさんが「マスター」っと呼ぶとNMさんがでてきた。
しばらくNMさんの家でダベリング。プリムスのストーブをいただいた。

米原で出会ったキャンパー同士、再び地元で再会できた。
来週あたり、町田のモンベルの店に寄って、船の科学館に行こうということになった。
僕も北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の不審船を見たいと思っていたのだ。ちょうどいい。
そして空いている平日に行こうということで話がまとまった。フリーのいいところだ。
7時過ぎ、お腹がすいてきたので家に帰ることにした。

僕が8日から行くインドは北部だけど、ニュースを見ていたら南部では気温が48度まで上がり、
この熱波で死者が500人近く出ているようだ。いったいどんな暑さなんだろう。

平和の琉歌 2003,5,28
朝5時過ぎ目が覚めた。喉が痛い。
再び目が覚めたのが7時過ぎ。相変わらず喉が痛い。
なんとなく熱っぽい気もする。今日一日ゆっくりしていよう。

しかしなぜ風邪をひいたのだろう(多分風邪だと思うが)
そういえば米原ではTSさんたち、飛龍の船内ではNMさんが調子悪かったな。
飛龍で感染したとして調子が悪くなったのが昨日。ということは潜伏期間3〜5日。
ウィルスの仕業かな。

そういえば中国ではSARSの影響で、食事の習慣も変わろうとしているな。
僕が行った時はまだ大きな皿に料理が盛られていて、みんなが自分の箸で取っていた。
これが感染症を拡大させる原因になっていたようだ。
中国政府はこれを止めるよう通達を出した。

9時頃、車を出して缶コーヒーを買いに行った。
しかし缶を取り出して気付いたのだが"HOT"のボタンを押してしまったようだ。
もう一度"COLD"を買いなおした。
そして五月晴れの青空の下、末広山の駐車場に車を止めてコーヒーを飲んだ。

その後沼津のカインズホームに向かったが、途中沼津自動車検査登録事務所に寄ってみた。
中を通過しただけだが、何人かの懐かしい顔を見ることかできた。
カインズホームでは電池式のベープを買った。インドでは蚊がたくさんいそうだからな。

昨日テレビで世界の天気予報を見ていたら、インドのデリーの最高気温はなんと42度になっていたな。
ガイドブックでよく調べたら、5月から6月にかけてが暑さのピークになっている。
その後は雨季に入って気温が下がっている。
どうやら一番暑い時期に当たってしまったようだ。
でもこうなったらその暑さを満喫してこよう。42℃なんて滅多に味わえるものじゃなさそうだしね。

一度家に戻り弁当を買って箱根の林道に車を止めて休んでいた。
車の中ではずっと平和の琉歌を聞いていた。
MDに合わせて歌っていると、涙が出てきて最後までなかなか歌えない。


この国が平和だと 誰が決めたの?
人の涙も乾かぬうちに

アメリカの傘の下 夢もみました
民を見捨てた戦争の果てに

蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります

愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない 人々へ
語り継がれて いくために

この国が平和だと誰が決めたの?
汚れ我が身の罪ほろぼしに

人として生きるのを 何故に拒むの?
隣合わせの軍人さんよ

蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります

愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ 人々へ
いつか花咲く その日まで


あれから半年 2003,5,27
今日であの事故からちょうど半年が経ちました。
怪我は…というと未だに完治していません。
以前に比べかなりよくなったとはいえ、親指の第二関節が完全には曲がりません。
曲げるとまだ少し痛みます。まあ仕方ないのかなあ。
あの事故のことは一生僕の記憶から消えることは無いでしょう。

最近道路を走っていて、自分の運転が変わっていることに気が付いた。
脇道に車を見ると飛び出してくるんじゃないかと気が気でない。
内地ではほとんどありえないのですが、それがあの島ではそれが当たり前。
交差点ではこっちを見ないで平気で進入してくるし、合図も出さずに曲がる、止まる。
それがいつのまにか体に染み付いていて、以前より安全運転?になった気がする。

今日は失業認定日。これから4週間に1度職安に行かなければならない。
別に行かなくてもいいのだが、失業保険がもらえなくなってしまう。
というわけで今日は早めに準備をして9時頃車で出発した。
外は小雨。梅雨のような天気だ。

受付は9時半から10時まで。この時間に出ればちょうどいいだろう。
30分弱ですぐ近くまで行き駐車場に入ろうとすると、あがやぁ〜。満車のようだ。
列の最後尾に着くが一向に進まない。このままじゃまずいな。
しびれを切らした車が列から出て右に進路を変えた。他の駐車場に行くのかな。
しかし駐車場の出口を見ると何台も車が出てきている。おかしいなあ。
ふと先を見ると車の列が列が途切れている。早く進めよー。
よく見ると、なんと職安の目の前に合図も出さずに駐車している車がいて、
その後ろの車がそれを駐車待ちと勘違いしてその車の後ろで待っていたのだ。
しばらくしてさらにその後ろの車がようやく気が付いて追い越した。
まったく非常識なヤツだ。

まあ何とか時間に間に合って書類を提出したが、待合室はいっぱいだ。
1時間近くたってからようやく名前を呼ばれた。
何か言われるのかと思ったが、次の認定日を指定され書類を渡されただけだった。
なんか呆気ないな。
帰りにパソコンで求人情報を見て、スタンプを押してもらい次回の認定要件を満たした。

車に戻り、駐車場から車を出し途中弁当を買って家に戻った。

最近トランクに積んであったコードレスのコンプレッサーがフル充電されなくなってしまった。
しばらく乗ってなかったし、乗っても時間が短かったからな。
一昨日買ってきたバッテリーチャージャーで充電するか。と思ったが充電用のコネクタが無い。
車庫の中を物色し、なんとか合うコネクターを探し出し、テスターで極性を確かめて
バッテリーチャージャーとつないだらチャージのランプが点灯した。これでOK。
が、本体をよく見ると内部にACアダプターと12VDCコードが格納されていた。あがやぁ〜。

弁当を食べ終わり、戸田書店に行ってインドのガイドブックを買ってきた。
その後、近所の床屋に行って散髪をしてもらった。これですっきり。

しかし今日は朝からなんとなく調子が悪く喉が痛い。咳も少し出た。もしかしてSARSか。
まあそんなことはないだろうが今日は早めに休もうかな。
8時前にゆっくり風呂に入って温まった。

あのころの僕は・・・ 2003,5,26
帰ってきて2日が経過しました。
すでにホームシック?にかかり、頭の中は米原のことばかり。
うちなーポップスを聞きまくっています。

さて今回の旅でもたくさんの人に出会いました。
僕の日記に登場した人たちをもう一度思い出してみましょう。
話をしたことのある人たちだけでもこんなにたくさんになりました。

☆まず大阪南港で
寒い寒いを連発していた名古屋から来たおじさんライダー
SL230ライダーの山川(YW)さん
☆飛龍船内で
向中野(MN)さん
☆以下石垣、米原キャンプ場で
BLさん けいちゃん
HDさん 本田さん
IMさん 蛍さん
KJさん かじさん
KPさん かんぺーさん
KTさん ハーレーのかとうさん
MDさん 前田さん夫妻
MDさん 船内で知り合ったおじさん
MSさん まさみさん
MTさん ミッチー
NMさん マスター
NOさん なおちゃん
NSさん にごいさん
OGさん ジェベルのライダー
OKさん おかくん
OSさん おおさとさん
OTさん おもらいさん
PTさん パチくん
STさん 佐藤さん
SUさん 鈴木さん
TSさん としくん
UKさん ゆうこさん
WNさん 渡辺さん
YKさん ゆかりさん
YMさん ユミミ
#以下順不同#
たえさん
ガエルさん
ニトロさん
比嘉さん
IS会長
タジマさん
中島さん
マコトさん
シャーマンさん
YMD三兄弟
ジャンベーの青年
カナダ人女性二人
日本人女性と外国人男性のカップル
古代村のキャンパー
STさんが船で知り合った女の子
沼津ナンバーのカタナライダー
八重山ホンダの社長
ちゃーのおばちゃん


昨日の夜中、NHKアーカイブで昔放送された番組を再放送していました。
それは、「生きることの苦しみ、そして安らぎとは」をテーマとした「野のきよら山のきよらに光さす」でした。
僕もこの番組を1983年(昭和58年)の放送当時に見ていました。
あのころとは違った視点で見ることができ、時間の流れを感じることができました。
この番組が僕に与えた衝撃は、あの頃とは、比較にならないほど大きかった。

人それぞれ違った目的で、四国八十八ヶ所を巡っています。
僕も旅の途中何人も、そんな人とめぐりあいました。
僕も、一度お遍路の旅をしてみようかな。
自分をもう一度見つめなおす。そんな機会にしたい。


久しぶりにスズメの鳴き声で目が覚めた。テレビドラマみたいだ。
朝食のあと、金融機関をまわって通帳の記帳。それと滞納していた国民健康保険税を納めた。
その後御殿場のカインズホームへ行ってカラーボックスを買おうとしたが
同じ物なのに沼津店より100円ほど高い。なぜだろう。
しかし100円のために片道30キロも走るのは面倒なので御殿場店で買ってきた。
帰りにブックオフに行き、愛と青春の旅立ちとビバリーヒルズ青春白書のサントラのCDを買った。

帰ってきてボックスを組み立て、部屋に戻りネットをしていると揺れを感じた。
ゆっくりとした、周期の長い揺れ。
とっさにこれはかなり遠く、そして深い地震だと感じた。
そしてこの辺りでは大きな揺れにはならないだろうと思った。
すぐに日本気象協会のページにアクセスし、地震情報を見ようとしたがアクセス障害。
まあみんな一斉にアクセスしているか、情報を更新しているのだろう
と思ったら、NHKが番組を中断して地震情報を放送し始めた。
予想通り遠く深い地震だったが、マグニチュード7.0というにはさすがに驚いた。

###後で追加アップします。!!!

会計報告 2003,5,25
久しぶりに自分の布団で目が覚めたのが7時半頃。沖縄と違って涼しいな。
朝食を食べて、着替えをした。

9時過ぎ、車庫に降りて洗車した。
出かける前にワックスをかけておいたので、撥水は抜群。簡単に汚れが落ちた。
それに車庫の中だから水垢も付いていなかった。

10時半頃車で出発。久しぶりなのでハンドルがやや重く感じた。
カーステレオではIMさんからいただいたうちなーポップスを聞いていた。
僕の車には400Wほどのアンプとサブウーファーが付いているので音は抜群だ。

まず沼津に行き郊外のホームセンターで組み立て式の3段ボックスを買った。
倉庫にしている部屋が、僕のバイクやキャンプ用品でごちゃごちゃになってしまった。
何とかしないと、と思ってとりあえず1つ買ってみた。
具合が良かったらもう一つ買ってこよう。1個890円。

12時過ぎ、以前勤めていた会社の人と会うために会社の駐車場に行った。
日曜なのに、忙しくて出勤していたのだ。
2時間ほど話をして帰ってきた。

しばらく車は使っていなかったので、サブバッテリーが完全に上がってしまって
アイソレーターだけでは充電が追いつかないようだ。
エンジンを止めるとすぐに電圧降下の警報音が鳴る。
仕方ないので近くのホームセンターでバッテリーチャージャーを買ってきて充電をした。
今夜いっぱい充電して復活しなかったら交換しないとダメかな。

出発したのが4月5日。あれから50日間留守にしている間に随分季節が進んだ感じがする。
いつのまにか緑があふれ、花も咲いている。満開だった桜も、今は葉っぱがいっぱいだ。

それでは今回の旅費の集計をしてみよう。
まず往復のフェリー代、コムレイドクラブ割引を使って往復 63,392円
行きの高速道路料金、沼津から吹田までと阪神高速で 7,850円
石垣での交通費、波照間、西表、竹富に行ったので 12,120円
キャンプ料金は少しまけてもらって 13,600円
ガソリン代は 15,724円
食費は 47,433円(1日あたり930円、贅沢しすぎたか?)
その他の雑貨で 29,405円
自動販売機で買った清涼飲料水などで 2,330円
〆て191,854円也。1日平均約3,762円でした。

無事帰還 2003,5,24
同室のおじさんたちの話し声で目が覚めた。
時計を見ると、まだ5時半前じゃないか。
この部屋は貸し切りでもないし
全員があなたたちのように早起きなのじゃないんだから。
もう少し考えてもらいたい。

どうにもならず、しばらくして部屋を出て展望通路に行き日記のアップ。
やっと携帯が通じるようになったよ。
そして朝食を食べているとNMさんがオレンジを丸ごと1個くれた。

レセプションホールには到着予想時刻が表示されていて
それによると名古屋到着は定刻の2時間遅れの午前9時になっていた。

外を見ると、そこはすでに別世界になっていた。
鉛色の海、たくさんの貨物船。外に出ると冷たい風。
あのコバルトブルーの海はどこに行ったんだ。
この海を見ると、帰ってきたことを実感する。

ふと思った。この海は、米原ともつながっているんだ。
みんな、今ごろ何しているのかな。あの、テント村が目にうかぶ。
時間だけは、今も変わらずに流れ続けている。

今回の石垣滞在は、多くの人と出会い、いろいろなことを得た。
そして何よりも、天気に恵まれたことは、旅をさらに楽しいものにしてくれた。
出発した時の嵐も、今となっては楽しい思い出だ。

米原では、何人もの人が僕を頼ってきた。
今までは、そんなことはなかった。
僕は今まで、多くの人に助けられ、その結果今の僕がある。
僕を助けてくれた人達も、その先輩から助けられたのだと思う。
今度は僕が、誰かを助ける番だ。
そしてその輪が、大きく広がっていったらいいなと思う。
訪れる人は変わっても、いつまでも、変わらぬ米原であってほしい。

8時半頃、車両甲板へ降り、久しぶりにバイクに再会し荷物を載せた。
8時50分、ランプウェイが開き僕はエンジンをかけ港に降り立った。ついに帰ってきた。

NMさんと2台で、R23、R1と乗り継いで我らが故郷沼津に向かった。
やはり風は冷たく、ジャケットを着て走る。
本当に久しぶりに走るR1。単調な景色と渋滞を避けるためいつも敬遠していたが
たまに通るといいもんだな。
10時を過ぎると暑くなってきた。NMさんがドラッグストアに寄ったついでにジャケットを脱いだ。
駐車場で止まっていると老夫婦に話し掛けられる。

途中吉野家の牛丼で昼食。
道の駅富士で寒くなり再びジャケットを着込んだ。
西沢田の交差点でNMさんと別れ、16時20分、僕は51日間の旅を終え、家に到着した。
ここで今回の旅は終わり。でも僕の旅はまだ続きます。

その後部屋に入り、大量にたまっていた郵便物を分類。
国保の督促状や自動車税の納付書が大量に送られてきていた。

夕方美術館をアップ。結局10時近くまでかかてしまった。

12時過ぎ、僕は52日ぶりに湯船に浸かった。そして布団で眠った。

船での一日、最後の夜 2003,5,23
今日で旅に出てから50日目。明日には家に帰ります。
7時過ぎ、誰かがつけたテレビの音で目が覚めた。
とりあえず顔を洗い歯を磨いて外に出てみた。
天気は曇り、でも青空も少し見える。
あの強烈な日差しは無く、風も少し違う感じがした。
幸い海は穏やかで、ローリングはほとんど感じられない。
長い周期のピッチングはあるが気になるほどでもない。
今日一日ノンストップの航海だ。

展望通路にはMDさんも来ていて、僕は話しをしながら缶コーヒーを飲みパンを食べた。
僕はしばらく過去の日記を読み返していた。

10時過ぎ、外の木甲板に出てジャグジーの上で横になった。
来た時にもMNさん、YWさんと3人でここに来て写真を撮ったな。そんなことを思いだした。

船はもうだいぶ北上してきただろう。それでも日差しはまだ強く、風も温かい。
しかし太陽が雲に隠れると、少し涼しく感じるようになった。
一度船室に戻りお菓子を持って来た。

その後ベッドでしばらく休憩。
同室のおじさんは、この船は最低だと言っていた。
今までこんな船には乗ったことが無いという。
たしかに他の豪華客船に比べれば設備は格段に劣る。
でもこの船はカーフェリーだ。比較対象が間違っている。
他社のフェリーと比べても、同じ運賃で大部屋じゃなくてベッドで、部屋にシャワーも付いている。
僕はこの船は最高だと感じている。
同じ船で、同じ時間を過ごすのに、最低と思うか、それとも最高と思うか。
少なくとも僕の方が幸せだと思った。

それに昨日から昼夜を問わず大きな声で話しをする。
豪華客船に乗ったことがあるわりには公共スペースでのマナーがなってない。
まあ豪華客船には相部屋なんてないからね。仕方ないのかな。

再び外のデッキに出て、通路の下の日陰で横になった。

1時半ころ、カップ麺を食べに展望通路に行った。
その後再び外のデッキに出た。
ウェストポーチを枕にして天を仰いだ。

途切れることなく続くエンジンの音。波の砕ける音。
ゆっくりとしたピッチングで、上下に揺れる水平線。
暖かい日差しを受けて、眠ってしまった。
4時半ころまでデッキにいた。
携帯はずっと圏外のままだった。

その後展望通路に移るとMDさんが1冊の本をくれた。
宮古島でもらった本らしいが、平良市立図書館のスタンプがある。
中島渉著、熱帯夜の安息。多分リサイクル本だろう。

6時過ぎ、レストラン営業開始のアナウンスがあった。
これで今回の旅の最後の夕食になる。
僕はレストランに行き、とんかつ定食を頼んだ。
とんかつとマカロニとキャベツのサラダ、汁と漬物にモズク、それにシークァーサーのゼリー。
これで900円。今回の旅に出てから最も高価な食事だ。
八重山の食堂のように極端な量はないが、船内の食事としてはまあまあだ。

夕食を終え外を見ると雲がオレンジ色に染まっていた。
急いでカメラを持っデッキに出たが、水平線上は暑い雲。
水平線に沈むサンセットは見られなかった。
それでもオレンジ色の雲の中の夕陽は美しかった。
そして、最後の夕陽が雲の中に沈んでいった。

それからはずーっと展望通路にいた。
時々外のデッキに出て天気と気温を確かめた。
やはり少しづつ風が冷たくなってきた。
8時過ぎ、オリオンビールを買ってきて飲んでいた。
いつのまにか揺れが大きくなっていた。
10時を過ぎると通路の椅子には3人ほど残るだけになった。
明日の朝の到着に備えてみんな早めに休んでいるのだろう。

僕も11時前にはベッドに戻った。

さあ、明日はついに51日間の旅を終え家に帰る日だ。天気がいいといいな。

さようなら石垣 2003,5,22
4時過ぎ、バイクの音で目が覚めた。こんな時間にどこへ行くんだろう。
4時50分、再び目覚まし時計で目が覚め出発の準備を始めた。
外に出るとまだ真っ暗だ。懐中電灯を持って炊事棟に行き顔を洗った。
すると誰かこちらに歩いてきて自販機で飲み物を買った。
こんな時間になんだろう。
よく見るとMDさんだ。
そしてまた2人連れがこちらに向かってきた。TSさんとUKさんだ。
3人もこんな朝早く見送りに来てくれたんだ。

僕は残った荷造りをしてバイクに積みこんだ。
そしてバイクにまたがりエンジンをかけて米原を後にした。
3人は笑顔で手を振って見送ってくれた。
こんなに朝が早いんで、僕は一人で出発すると思っていた。
本当に嬉しかった。ここに来てよかったと思った。

ライトが前方を照らしだし、景色が後方へ流れていく。
なぜかエンジンの音は聞こえず、風の音だけが聞こえる。
トンネルを抜けると、於茂登の山々の稜線が、僅かに空との区切りを現わしていた。
そして朝霧がたちこめ、なんともいえない幻想的な世界を作りだしていた。
僕は霧の中をバイクで駆けぬけ、米原の日々を思った。

20分程で、少し明るさを取り戻した市街地に入った。
当然営業している店は無い。信号と、自販機の明かりだけが輝いている。
730の交差点まで来て、港が近付いてきた。いよいよだ。
僕はよく通った図書館の周りを一周回ってから港に向かった。
いつか必ず戻って来るよ。

港に着くと、すでにNMさんのバイクが停まっていた。
あのバイクの音のドカティーも停まっていた。
2階のデッキに上がるとNMさんがいて、出航が1時間ほど遅れるという。
まあ1時間くらいの遅れはよくあることだが最初からわかっていればな。
もうすこしゆっくり出発できたのにな。

空はすっかり明るくなり、市街地の方向にはオレンジ色の太陽が雲の上に顔を出した。
遠く靄がかかっていて、まるで夢の中のような光景だった。

しばらくして船が入港してきたので僕達は下に降りバイクを移動した。
しかし荷役作業がなかなか終わらず、乗りこんだのは定刻より1時間遅れ、7時45分ころだ。
これじゃ1時間遅れじゃすまないな。結局1時間20分遅れの8時5分、岸壁を離れた。
46日間の八重山の旅が終わった。

しばらくデッキに立って、だんだん小さくなっていく石垣の街を眺めていた。
相変わらずの靄で視程はよくない。
今朝は2時間半くらいしか寝ていなかったので、眠くなって船室のベッドに戻った。
出航から1時間ほど経ったので外に出てみたが、靄でもう島は見えなかった。
視界がよければ船からも米原が見えるんだけどな。諦めて再び船室に戻り休んだ。

お昼ころ、宮古寄港のアナウンスで目が覚めた。
さっそく外に出てみた。船はすでに港内に入っていて転回しているところだった。

接岸が近付き、ふと埠頭を見渡すと見たことのあるような人が立っている。
記憶を遡ると、米原の10号にいたMDさんじゃないかな。
1週間ほど米原に滞在して宮古に向かったんだったよな。
銛を持っていて、スクーターに大量の荷物。さらにクーラーボックスも持っている。
これだけ条件がそろえば間違い無いだろう。
指笛を吹いて手を振ると、サングラスを外してこっちを見た。
でも遠すぎて僕だとはわからなようだった。

スクーターが乗船したのを確認して船内に戻った。
しばらくしてMDさんと思われる人が乗船してきたが、手続きをしてすぐに船室に入ってしまった。
声をかけるタイミングを逸してしまった。多分間違いないと思う。
こんど見掛けたら声を掛けてみよう。

1時間以上の遅れで宮古を出航した。
それからしばらく木甲板に出て離れていく宮古島を眺めていた。
気温も高く、日差しも強烈。海の色もコバルトブルー。ここはまだ沖縄だ。

明日の今ごろはすでに沖縄を出ている。
もう少しこの暑さを味わっていたい。
缶コーヒーを飲みながら日陰に座り風を感じていた。

一度船室に戻り、サングラスとウェストポーチを持って木甲板に出た。
そして通路の下の日陰に横になって空を仰いだ。
いつのまにか夢の中に誘いこまれていて、気がつくと1時間以上経過していた。

6時ころ、レストランに行き食事をした。
パンやカップ麺は持っていたが、どうしてもカレーが食べたくなった。

席に着いて待っていると、同じテーブルに数人が座った。
話しを聞いていると米原が話題になっていて、今までキャンプしていたと言っている。
ふと顔を上げるとあのカップルだ。
去年から習志野の軽ワンボックスで来ていた人だ。
つい数日前まで米原にいたな。
話しをするのは初めてだったけど、僕のことを覚えているようだった。
世間は意外に狭いんだなあ。

その後展望通路で休んでいると、宮古から乗ったMDさんが歩いてきた。
僕は立ちあがって歩いて行き、目が合うとMDさんも気がついた。
席に座り泡盛をいただいて話しをしていると、あれからずっと宮古にいたという。
そして名古屋で降りて、これから神津島へ行くらしい。
8時過ぎ、MDさんは少し休むといって船室に戻っていった。
僕も船室に戻り少し休んだ。

9時半ころ、那覇港入港のアナウンスが入った。
僕は一時上陸するため下船券を上陸用のパスに切り替えた。
船が接岸し、下船が開始されたので僕はタラップを降りてバスに乗りターミナルまで行った。
そして近くのコンビニエンスストアーまで10分ほど歩き、お土産用の古酒と
自分のチューハイとお菓子を少し買った。
そして再びターミナルまで歩き、バスに乗り船まで行って乗船した。
これでしばらく沖縄ともお別れだ。
でも、来ようと思えばいつでも来れるじゃん。

パスを再び下船券に切り替え、展望通路に行き
チューハイを飲んでいると(多分)OMさんから電話があった。
PDC式の携帯のため音声の忠実度が今いちだ。
内容は、今度の日曜に会社に遊びに来たら?ということだった。
もう少し早かったらお土産を買って帰れたのにな。
まさか電話があるとは思わなかったよ。とっくに忘れられていたと思っていた。
でも、すごく嬉しかった。

一度船室に戻りデジカメを持ってデッキに出て写真を撮った。
ストロボをオフにして手擦りを利用してカメラを固定し、
スローシャッターを切ると見たままが忠実に再現できる。
これが最後の沖縄だな。

再び展望通路の椅子に座りチューハイを飲んでいた。
11時半ころ、船室に戻った。

米原最後の日 2003,5,21
7時前、目が覚めた。これが最後の朝だ。
天気は晴れ、最後の日にこんなにいい天気になるなんて嬉しいな。

いつもの通り炊事棟に行き、コーヒーを沸かしトーストを焼いて食べた。
複雑な思いになった。

しばらくしてテントの撤収を始めた。
とりあえず周囲のロープを切り、タープとして使っていたブルーシートを外した。
久しぶりにテントがむき出しになった。
そして引き綱を外していると、あちこちに何かのサナギが付着している。
それを剥がすと小さな穴がたくさん開いているじゃないか。
最初位置を固定する時に食いついたんじゃないだろうか。
これじゃタープ無しじゃ使えなくなってなってしまったよ。
でも3980円で2ヶ月近く使ったからまあいいかな。
そして外側を雑巾がけし、フライシートを外した。

今度は荷物の整理だ。
別便で送り返す物をより分けてコンテナーに詰めこんだ。
しかしこれだけでは収まりきれない。しかたなくもう一つ段ボールを用意した。

しばらくするとOKさんが街から帰ってきて最重要機密情報を得た。
SGが街にいたという。
所在不明になった宝貝や、搬入した資材の使用目的を調査する絶好のチャンスだ。
直ちにチームを編成し調査に出動。この調査は僕は3回目になる。
浜を歩き現場に到着。そこには恐るべき世界が広がっていた。
これぞまさに地上の楽園、あの永遠のシャングリラがそこにあった。
それに前回の調査時より相当なグレードアップがなされていた。
しばらく周辺施設を調査した後、重要な記録集を発見。これは意外だった。
30分ほどで調査を終了、大発見をしてジャングルを後にし、全員無事帰還した。

11時すぎころ、おじさんが軽トラで乗りつけ、カマドのところを何か見始めた。
どうやらこのカマドを使うようだ。そして大きな鍋を持ってきて乗せた。
昔給食室で見たあの大きなバケツのような鍋だ。
材木を持ってきて火を付けると辺りはすっかり煙に包まれた。

そのうちにお昼になってしまった。
僕はWNさんと知花食堂に歩いて行き、最後に残ったメニュー”みそ汁”を頼んだ。
これで知花食堂のメニュー全て制覇だ。
予想道りどんぶりに入った汁に野菜や肉、豆腐や卵などいろいろな具が入っている。
でも味噌味はしないような気がしたが…。
ご飯と漬物も付いてきて500円。かなり安い。

汗をかきながらキャンプ場に戻ってきて海を見た。
まだ十分に泳げるな。すぐに着替えて海に入った。
これで本当に最後の米原の海だ。少し寒い気もしたが、今日もサンゴも熱帯魚も美しい。
全てを記憶に焼きつけながら30分ほどの海中散歩を楽しんだ。
そして海から上がりシャワーを浴びた。

シュノーケリングセットを乾かし、段ボールに詰めこんだ。
まだ少し隙間があったので、いらない衣類で隙間を塞いだ。
そしてガムテープで封をした。これで送り返す荷物の梱包が終わった。
コンテナーと段ボールの箱をバイクに積みこみ、近くの川平郵便局に持って行った。
2個で送料が3000円弱。この前出したのと合わせて約4500円。結構かかったな。
なぜこんなに荷物が増えてしまうんだろう。
昨日作ったリサイクルボックスは3個に増えているのに。

郵便局から戻ってきて今度はテント本体の撤収を始めた。
まだ中に荷物がかなりあるので、とりあえず全て炊事棟に移した。
ペグを外し、ポールを抜くと、1ヶ月半暮らしたテントはぺちゃんこになった。
テントとフライをたたんで袋に詰めこみ撤収完了。
下に敷いてあったブルーシートを外すと、すっかりと更地になってしまった。
これを見ると、さすがに寂しくなった。

夕方、潮がかなり退いたのでMDさんは釣りに行く準備を始めた。
昨日あれだけ釣れたので、味をしめたようだ。
それじゃ僕も釣りをしよう。でも竿も糸も持っていない。
そこで僕は1メートルほどの塩ビのパイプを拾ってきてMDさんから糸をもらい先端に縛りつけた。
重りはその辺に落ちているサンゴのかけらだ。
そして針も1本もらって結びつけた。でもこんなんで本当に釣れるんだろうか。

リーフの先端まで行き釣りを始めた。
でもエサを触るのが嫌なので、それはWNさんに頼んだ。
糸を垂らして数秒後、魚が集まってきた。そして手に懐かしい感触を感じた。
釣りなんてしたのは20年ぶりくたいかな。
すぐに引き上げると12センチほどのカラフルな魚だった。
魚を針から外すのもWNさんの役目だ。
しかし針を外し網に入れようとしたら魚を落としてしまい逃げられてしまった。
でもこんな仕掛けでも魚が釣れることがわかった。
MDさんの釣り竿よりも早く釣れた。

その後何回も大きな魚がかかったが、すぐに糸を切られてしまった。
結局パイプ竿で吊り上げたのは4匹で、2匹逃げられた。
そして3回も糸を切られてしまった。
MDさんは吊り上げたのは2匹、そのうち1匹は小さすぎるのでリリースした。
潮止まりになり、針も無くなったので今日はこれで終了。合計3匹を持ちかえった。
MDさんは唐あげにして今夜のおかずにするという。

炊事棟に戻ってきて足を洗った後、僕とWNさんは街に食事に行くことにした。
バイクを連ねて出発。複数台で走るのも、これで本当に最後だな。
於茂登岳の上に見える夕陽がとてもきれいだった。

20分程で市街に到着。労金のキャッシュコーナーに寄ってあさひ食堂に向かった。
これで石垣最後の食事だ。僕はゴーヤー炒めを頼んだ。
ゴーヤーチャンプルーと何が違うのかはよくわからなかったが
ゴーヤーは意外に美味しく、やみつきになりそうだ。
そしてなによりここは量が多い。
やっとのことで腹に詰めこんだが、汁までは飲めなかった。

帰り、マックスバリューで明日の朝のパンを買い、給油をしてキャンプ場に戻って来た。

すかっかり暗くなったキャンプ場で、僕は荷物をまとめた。
水着は半乾きだったが袋に入れてバッグに詰めこみ、バイクに乗せた。

しばらくしてWNさんはテントに戻っていった。
「おかげで石垣島を満喫できました」という言葉には心を打たれた。
ここに来る回数を重ねるうち、いつのまにか他の人を案内できるようになっていたんだなあ。

日記を途中まで書き終え、真っ暗になったサイトを歩いてTSさんたちのゆんたく場に行った。
TSさんの他にUKさん、YKさんもいた。
「やじさんがいなくなると、すごく寂しくなるね」
そういわれると僕もせつなくなった。でも反面、すごく嬉しかった。
しばらくしてOKさんが戻って来た。
蝋燭の灯りの下、話しをしているうちに、いつのまにか日付が変わり、1時近くなってPTさんも戻ってきた。
僕にとっての最後の夜は、最高に楽しい夜になった。そして、忘れられない夜になった。

僕も、今回の旅で、石垣を満喫できた。

午前1時半過ぎ、僕は今日だけの寝床に就いた。

ラストスパート 2003,5,20
今朝は6時20分に目が覚めた。
テントから出ると青空が広がっている。降水確率は10%。
とりあえずコーヒーを沸かしトーストを焼いた。
コーヒーはブラック。トーストも2枚焼いて一枚はそのまま食べた。
食材を余らせないためにチーズやミルクなどを買っていなかったので
ここ数日は質素な朝食となっている。

こんなに天気がいいのなら出掛けるしかないだろう。
ゆっくりと準備をして10時過ぎ、キャンプ場を出発。目的地は竹富島だ。
本当は日曜日に行く予定だったが天気が悪く中止したのだった。
梅雨の晴れ間は期待していなかっただけにすごく嬉しい。
最後にこんな天気をもたらしてくれるなんて、神様も粋な計らいをしてくれるな。

Tシャツと半ズボンで出発。最高に気持ちいい。
数えきれないくらい通ったこの道だけど、何度通っても新鮮だ。
もうすこし居たいな、とも思うけど、そう思うときが帰り時かな。

途中とろぴかるに寄ってサーターアンダギーとお弁当を買った。
離島桟橋にバイクを止め、八重山観光で往復のチケットを買い
浮き桟橋の前のベンチに座ってサーターアンダギーを3つ食べた。
竹富は4ヶ月ぶりかな。僕は10時半の船に乗り竹富に渡った。
何人か出航寸前にやってきて、他の連れの人を待っていたので5分ほど遅れて出発。
平日ということもあって、船はそれほど混雑はしていない。乗客は15人ほど。
10分ほどで竹富に到着した。

竹富では自転車を借りようか迷ったが、とりあえず集落まで歩いてみることにした。
日差しは強烈。でも僕はこの沖縄のティダが大好きだ。
さわやかな風が吹きぬけ、日陰に入ると涼しさをも感じる。
咲き乱れる原色の花々、真っ青な空、そして白い雲にエメラルドグリーンの海。
そしてここにはコーラルサンドの道と、赤瓦の家並みもある。
本当の沖縄が、ここに集結しているみたいに感じられる。
僕は歩いてこの島を巡ることにした。

ゆっくりとした足並みの水牛車を横目に見ながらなごみの塔に向かった。
塔に登ると美しい家並みと美しい真っ白い道が見渡せた。

塔を降り、狭いコーラルサンドの道を通りカイジ浜に行き、浜伝いにコンドイビーチまで歩いた。
ビーチにはたくさんの人が海水浴や日光浴をしていた。
僕はベンチに座ってサンピン茶を飲みながらサーターアンダギーを食べた。
30分ほど海を眺めてから集落を通り、港に向かった。

この竹富島の存在を知ったのは、たしか僕が小学生のころだっただろうか。
ガイドブックを見て、星の砂がある島だと知った。
でも、当時僕はこの島に来ることができるなんて思いもしなかった。
あのころは、遥か遠くの別世界だったなあ。

13時45分の船で僕は石垣に戻った。
それからキャンプ場に直行。
海を見るとかなり潮は退いているが泳げない程じゃない。
すぐに水着に着替えて久しぶりに海に入った。
残り少なくなった八重山で過ごす時間、ラストスパートだ。

これでしばらくこの美しい海底庭園ともおわかれになるかもしれない。
まるで夢の世界のような、色とりどりのサンゴと熱帯魚を記憶に焼きつけた。
40分ほどシュノーケリングを楽しんで海から上がりシャワーを浴びた。

しばらくして潮が完全に退ききったとき、MDさんが釣り竿をもってリーフに向かった。
僕もすぐに偏光グラスを持って後を追った。

仕掛けを作りエサを付け、糸を垂らすとみるみるうちに魚が集まってきた。
ほとんど入れ食い状態でイラブチャーが釣れた。
今まで浜で釣っていたのは何だったんだ、と思わせるほど簡単に釣れた。
その後も次々に魚が釣れ、15分ほどの間に4匹も釣れた。
いくらでも釣れそうだったがさすがにこれ以上釣っても食べきれないのでそこで終了。
坊主の日々は終わりを告げ、今日は大漁だ。
MDさんは早速釣った魚をさばいていた。
僕は暑くなったのでシャワーを浴びた。

しばらくすると比嘉さんが集金にやってきた。
僕はあさっての船で帰ることを告げると
「また、必ず来なさいよ」と言ってくれた。
いつか、かならず戻ってきますよ。このキャンプ場が存在する限り。

TSさんのところに行ってみるとUKさんが顕微鏡を持ちだしていた。
プラスチック製であまり高級感はないが400倍でもよく見えた。
説明書には”プレパラート”や”カバーグラス”など、懐かしい語句が書いてあった。

今日は珍しく仙人が浜にシートを広げて海を眺めていた。
比嘉さんが集金に行くと、8月いっぱいまでいるという。
どういう事情があるかはわからないが、相変わらず言葉の少ない人だ。

7時近くなり蚊が発生し始めた。
僕はサマーベッドを浜に持ちだし夕陽を眺めていた。
西の空に雲は無く、真っ赤になった太陽がゆっくりと傾いていった。
水平線のわずか上で消えてしまったが、久しぶりに美しい夕陽を見ることができた。

陽が沈んだ後、炊事棟に行き夕食を食べた。
その後浜に出て最後の焚き火をした。
最初僕一人だったけど、WNさん、TSさん、UKさんも集まってきた。
今日は薪を用意していなかったので一時間ほどで火がなくなり終了。
炊事棟に戻るとTSさんたちが食事を作っていた。

残った蝋燭に火をつけ、沖縄の音楽を聞きながら最後のキャンプ生活をかみしめていた。
WNさんはテントに戻ってしまったが、3人で話しをしているうちに
いつのまにか日付が変わっていた。

1時前、最後のテントに潜りこんだ。

虫の知らせ 2003,5,19
午前2時前、目が覚めてしまい眠れなくなった。なぜだろう。こんなことは初めてだ。
2時半ころか、バイクが帰ってきた音を聞いた。
しばらくして明かりが近付いてくる気配を感じ、それは僕のテントを照らした。
ほぼ同時に声が聞こえた。「やじさん、お休みのところごめんなさい…」UKさんだった。
僕はすぐに起き上がり返事をした。
どうやらTSさんが帰ってくる途中転倒して怪我をしたらしい。
「消毒液をもってませんか?」 
僕は手元にあった救急セットを手渡した。

しばらくして再び気配を感じた。
UKさんは事故の怪我を見るのが初めてらしく、僕に見て欲しいとのことだった。
一緒にTSさんのところに歩いていくと、TSさんはサマーベッドに横になっていた。
手は腫れて血がにじんでいた。顔も擦り傷があり、左の頬は形が変わるほどどった。
刺し歯がほとんど折れてしまったという。
こんな状態でよく帰ってきたな。
TSさんは「大丈夫、大丈夫」を繰り返している。
指も全て動かせるし、しびれているところもないらしい。
転倒したのは開南の手前というので、ここまで来られたのだから頭は大丈夫のようだ。
出血も止まっていた。

しばらく様子を見たが重篤なようではなかった。
僕はUKさんに出きるだけ見ていてあげるように言って
何か様子がおかしくなったらためらわずに救急車を呼ぶように言った。

その後5時前まで起きていたが、そのうちに寝てしまったようだ。
目が覚めると7時。夜中に目が覚めたのは虫の知らせだったのだろうか。

日記をアップした後、テントを出てトーストを作って食べた。
雲が多いものの雨は降っていない。この時期にしてはまあまあというところか。

米原にいるのもあと3日になったので、いらない荷物の整理を始めた。
段ボールに先に送り返す物を選別して詰めこんだ。
寂しさを感じながらの作業になった。
WNさんも同じ日に帰るので同様の作業をしていた。
”リサイクルボックス”なるものを作り、後からくるキャンパーの為にまだ使える物を残すことにした。

10時過ぎ、TSさんのところにいってみるとすでに起きていた。
骨には異常が無いようで、これから病院に行くという。
僕はとりあえずバスの時間とタクシーの手配先をUKさんに伝えた。

11時20分ころ、WNさんが街に出掛けようとしているので僕も行くことにした。
高縞食堂に行こうということになり、MDさんも同行することになった。
安さと量に目を奪われたようだ。
しかし高校の午前の授業が終わるまでに到着しなければ店に入れなくなってしまう。

3台で連ねて街に向かった。
こうして一緒に走るのはもう最後になるかもしれないな。
石垣を走る喜びをかみしめて走った。
街に入ると天気がよくなりすごく暑くなってきた。
高縞に到着するとWNさんとMDさんはすぐに上着を脱いだ。
店に入り僕はタコライスの大、MDさんはカレー、WNさんはタコライスの特大を頼んだ。
特大というのはメニューに無いので、逆にいくら分?と聞かれていた。
WNさんは500円玉を示し、おばちゃんに頼んだ。

MDさんは皿にこれでもか、というくらいにご飯を盛った。
本当に食べられるのかな、という感じだ。
しばらくしてタコライスが配膳されてきた。
僕は以前食べたことのある量だがWNさんのは超大盛り。
WNさんは半分ほど食べ終わってため息をついている。
MDさんも同様の反応。しかし二人ともなんとか腹に詰めこんだ。
味も言うことなく、量にいたっては大満足のようだった。

食べ終わって店を出てそれぞれの目的地に向かうため解散した。
僕は郵便局に行き、送り状を何枚かもらってから100円ショップに向かった。
100円ショップではポップコーンと野菜ジュース、スーツケースのベルトなどを買った。
病院に行ってみたがまだTSさんは来ていなかった。
その後キャンプ場に戻って来た。
TSさんはすでに病院に向かったようだ。

僕は炊事棟に行き、途中まで詰めこんだ荷物を段ボール箱いっぱいにした。
そしてガムテープで箱を補強して川平の郵便局に持って行った。
あと箱2つくらい送ることになるだろう。

一度キャンプ場に戻って来たが、TSさんのことが心配になり再び街に向かった。
八重山病院は僕が以前に何回も通ったので、中はほとんど把握している。

病院にに入り、1階を一周回ってみたが見当たらないのでもう一周回ると、
外科の前で「やじさん」という声が聞こえた。TSさんだ。
一時半ころ来て手続きをしたが、まだ呼ばれないという。すでに3時だ。
僕は一度病院を出て街に向かった。
街のコインランドリーの前にはYWさんたちがいた。

再び病院に行ってみるとTSさんはまだ待っていた。
それからしばらくしてようやく呼ばれた。3時半だ。
しかし何の変化も無く診察室から出てきた。これで終わり?という感じだ。
3時間待ちで3分診療。まるで東京の大学病院のようだ。
ただ問診と触診だけで処置はなにもしなかった。
歯の方は内地に帰ってから治療するという。

その後薬局で薬を処方されてPTさんのバイクでキャンプ場に戻って来た。
でも骨や頭にに異常は無くてよかった。

TSさんのテントのそばに集まって話しをしているとUKさんが
「比嘉さんがみんなにということで小銭を置いていってジュースを」、
ということなのでみんなで自販機に行き僕はコーヒーを頂いた。

6時過ぎ、ご飯を炊いてヤハシライスを食べた。

ふと見るとしばらく留守にしていた仙人が帰ってきていた。
身なりは数日前に見た時と同じ。着替えを持っていないのだろうか。
見たところ小さなリュックしか持っていなかったが、
アレには何が入っているのだろうか。
キャンパーは誰一人話しをしたことは無いが、よくわからない人だ。

暗くなってきてから僕は一人炊事棟でネーネーズを聞きながら泡盛りを飲んでいた。
今夜は一人でも、沖縄を味わいながら飲もうと思っていた。
しばらくするとTSさんとPTさんがやってきて一緒に飲み始めた。
二人とも、初めて見た時は変な人だなあと思ったが、
でも、本当はすごくいい人達だ。
ここにいる人達は、みんな個性的な人ばかりだ。
ここのことは、いろいろなことが言われているけれど、
僕がここに溶けこめて、ここの人達に信頼されるようになったことは、最大の喜びでもある。
何人かの記憶に、僕が残ることは、僕の存在を裏付けることになる。

12時50分、それぞれのテントに戻った。
空には、久しぶりに星空が広がっていた。

第二次探検隊発足 2003,5,18
7時過ぎ、テントから出ると今日も梅雨空。
でも雨の確率は低く、とりあえず小康状態。
炊事棟に行き朝食を食べた。

WNさんは波照間に行くといって7時半ころ出掛けていった。
できれば天気のいい日に訪れたい島だけど残りの日程が少なく仕方ないか。
天気が安定していれば僕も竹富へ行こうと思っていた。

10時ころ、大阪からフェリーで一緒だったYWさんと洞窟探検の打ち合わせをした。
今日午後2時出発することになった。天気が持てばいいが。

その後しばらくMDさんのハンモックでまったり。
お昼にはレトルトのタコライスを食べてみた。これがうまい!たくさん買って帰ろう。

1時半ころから霧雨が降りだした。
霧雨は2時になっても降り止まなかったが、今後晴れる保証はない。
僕もYWさんも22日の船で石垣を離れるのでもう延期できない。
こうなれば得意のびしょ濡れ覚悟の強硬突破だ。

YWさんのほかにもパッカーの人も行くことになっていた。
彼はヘッドランプを持っていなかったので僕の予備を貸してあげた。
他にも参加者を募ったが、この天気と危険なことを知るとみんな後ずさり。
とりあえず3人は確定。他の人は行けるところまで行ってみるという。
2時ちょっと過ぎ出発。5人で浜を歩いて行き浜の際の崖に到着。
ここでビーチサンダルの一人が脱落。
岩をよじ登りジャングルを抜け洞窟の入口に到着。
ライトを持っていない一人が入口を確認して引き返した。

さあここからは暗黒の世界だ。
最初のカーブを曲がったところで前方の岩に何かが動いている。
ライトを当てるとなんとヤシガ二だ。20センチはある。
食べるとうまいらしいが、あのハサミに挟まれると指なんか簡単に切断されるらしい。
捕まえたかったがまだ入口だ。持ったまま洞窟を探検するわけにはいかないので諦めた。

ぼくはもうこの鍾乳洞は4回目だ。出口へと抜けるルートはまず迷うことはない。
30分ほどで出口に出た。雨はさっきより多少強くなったようだ。
潮は退いているものの腰くらいまで浸からないと帰れない。
同じ濡れるのならジャングルを抜けよう。
ということで崖を登った。僕はもう3回目だが他の人は初めてだ。
かなり怖がっていたが何とかクリヤー。

ジャングルの中は葉っぱが濡れていて通って行くと全身びっしょり。
もう開き直って進む。そのうちルートを見失った。
でもここは横か縦に進んでいけば必ず道路か浜に出る。
強引に進んでいくと来た時の道に出た。

同じ道を戻るのもおもしろくないので波打ち際の崖を進むことにした。
この辺りは珊瑚礁の岩なので滑ることはないが先端が鋭利だ。
慎重にルートを選び進んでいく。
かなりのスリルを味わってようやく浜に降りた。
同行した人達は「おもしろかった。本当に久しぶりに探検したよ」
と言っていて、探検気分を満喫したようだ。
予定通り1時間半程で戻って来た。無事帰還できてよかった。

すっかりびしょ濡れになってしまったので傘を持ってシャワーを浴びた。
その後一時雨が上がったが5時過ぎ再び降り始めた。
6時ころ、炊事棟で夕食を作って食べた。

風も強くなり炊事棟にも雨が吹きこんできたのでテントに避難。
過去の日記を読み返していたが、そのうちうとうとして10時過ぎに寝てしまった。

今日は大潮だ 2003,5,17
夜明け前、大粒の雨の音で目が覚めた。
再び目が覚めたのは6時半過ぎ。7時ころテントを出た。
空は雲がぎっしり。本格的な沖縄の梅雨は初体験だ。

炊事棟でトーストを作って食べ、MDさんのハンモックを借りて乗ってみた。
ただ乗っているだけではおもしろくないので近くの木に紐を結びつけた。
ハンモックに乗った状態で紐を引っ張ると、反作用で揺れる。
ゆりかごのようで楽しい。思いっきり引っ張るとブランコのように揺れる。
しばらく揺られていると気持ち悪くなってきた。ハンモック酔いのようだ。

洗濯をした後、11時前、まだ雨は降りそうもないので街に向かった。
マルチメディアセンターに行ってみたが、前には自転車がたくさんとまっている。
そうか、今日は土曜日だったんだ。
これだけいるとなると、おそらく空いてないな。
たとえ空いていたとしても遅くて使い物にならないだろう。

あきらめてセンターを後にし、港に向かった。
天気のいいうちに帰りの船のチケットを買ってしまおう。
窓口でチケットを買い手続きをしてしまうと、なんだか寂しくなったよ。
もう、帰る日が迫っているんだなって。

その後マックスバリューに向かった。
マックスバリューでの買い物も、これが最後になるかもしれない。
食パンとお菓子を少し買った。

帰りにとろぴかるでお結びと定番のフライドチキンを買ってキャンプ場に向かった。
於茂登トンネルの少し手前で雨が落ちてきた。洗濯物が干しっぱなしだ、急がなければ。
しかしこういう時に限って遅い車の後に付く。
トンネルを出ても雨は降っていたが、それほど濡れずにキャンプ場に到着。
洗濯ものはWNさんがタープの下に入れておいてくれてあった。助かった。

炊事棟で買ってきたお結びを食べた。
その後再びハンモックでまったり。

2時ころ、海に向かった。
今日は1年中で一番潮の退く大潮の日。干潮は2時過ぎ。
すっかりリーフが顔を出してしまっている。
たくさんの人がリーフを歩いていた。
石垣では大潮の日は仕事が休みになることもあるらしい。

くるぶし辺りまでの水深でリーフの先端まで歩いていける。
よく見ると、小さな水たまりに取り残された熱帯魚がたくさんいた。
先端まで行くと、きれいな枝サンゴも顔を見せていた。
少し雲行きが怪しくなってきたので浜に戻り、シャワーを浴びた。
シャワーを浴び終わる寸前に雨が降り始めた。
急いで服を来てシャワーを出た。

しばらくするとWNさんも帰ってきた。友達は内地に帰ったようだ。
食べ物の量と安さにはかなり驚いていたようだった。

4時半ころ、WNさんと知花食堂に向かった。
夕方行くのは久しぶりだな。僕は豆腐チャンプルーを頼んだ。
初めて頼んだメニューだが、ゴーヤーは意外においしかった。

帰ってきてからは蚊の攻撃が激化してきたので浜に避難。
子犬を4匹連れて散歩をしている人がいたので行ってみた。

そういえばこの前から米原に住みついている犬が来たが少し様子が違う。
毛が短くなってすっきりしている。どうやらTSさんがハサミでカットしたようだ。
他の犬たちは海で遊んでいるので
TSさんがその犬を海に入れたらすぐに陸に上がり逃げてしまった。でも少し泳いでいた。

その後シャワーを浴びようと行ってみたが混雑している。
TSさんたちのゆんたく場で話しをしながら待っていたが、何箇所も蚊に刺されてしまった。
でも最近は最初来た時のようにひどくかゆくなることはなくなった。
免疫ができたのだろうか。
YKさんもTSさんたちも出掛ける準備をしている。
OKさんやPTさんもいないもで、この辺りは無人になってしまうな。

20分ほどしてからシャワーを浴びて炊事棟に戻った。

その後WNさんとしばらくダべリング。10時ころテントにもぐりこんだ。


梅雨の一日 2003,5,16
6時半過ぎテントを出た。
空に太陽は見えなかった。すっかり梅雨入りしてしまったようだ。
雲が厚く今にも雨が降りそうだ。

午前中は海を見たりしてまったり。
MDさんは釣りをしていたが、根がかりして糸が切れ浮きが流されてしまった。
MDさんはすぐに水着に着替え、腰まで水に浸かって浮きを回収した。

10時過ぎ、WNさんの友人達三人が来て海に入った。
今日で3日連続で米原の海に来ている。
あのリーフの縁の美しさにはまってしまったようだな。

昼ちょっと前、知花食堂まで行き初めてやきそばを食べた。
焼きそばといっても内地の焼きそばとは違って麺も沖縄そばだ。
それにピーマンや肉などが入ってソース味。
でもなぜがケチャップとマヨネーズが乗っている。
不思議なことにお吸い物と梅干が2個付いてくる。これで550円。

帰ってきてもWNさんたちはまだ泳いでいた。
潮がかなり退いたのでリーフの縁まで歩いていって写真を撮った。
万一のことを考えて、密封できるビニール袋にデジカメを入れていった。
これなら濡れないし、もし落としても水に浮く。
結局2時間近く泳いでいたようだが、やはりあの美しさに感動していた。

しばらくして雨が降りだした。時折強くなったりする。
降っては止み、の繰り返し。でも内地の梅雨とはちょっと違った感じだ。
気温は25度あるが少し肌寒く感じたのでテントに入り過去の日記を読み返していた。
忘れかけていた記憶が、再び鮮明によみがえってきた。


僕が旅に出てからいったい何人の人達と出あって、そして言葉を交わしただろう。
日常生活では絶対に味わえない出会いと感動の毎日。
故郷を長く離れていると、住めば都という意味がわかってきた。
世界中どこでもというわけにはまだいかないが、
日本ならどこでも生きていけるような気がする。
最低限の生活なら、なんとかやっていけそうだ。
これからの人生、どこで過ごそうか。
ここで暮らしていると、帰る家があるってことは、幸せなことなんだって実感する。


4時半ころ雨が上がった。
涼しいような気がしたが温度計を見ると25度ある。
雨が降りだす前にシャワーを浴びることにした。
水はそれほど冷たくなくさっぱりした。
他のキャンパーは寒がってシャワー浴びるのを見合わせているようだった。
そういえば冬の米原を経験しているのは、今僕だけのようだ。
あのころに比べれば今日の水シャワーなんて苦にもならない。

夕方、スパゲティーを食べた。
浜に出るとMDさんが釣りをしていた。成果は相変わらずのようだ。

炊事棟に戻ると羽蟻のような虫が大発生してしていて光に群れている。
人にも寄ってきて気持ち悪い。
しばらくすると羽が落ち、地面を歩き回っていた。
すると大量の蟻が出てきてその羽の落ちた虫を捕獲していた。
ヤモリも何匹か来て、上手に捕まえて食べていた。

うっとうしいのでテントのタープの下に避難して泡盛を少し飲んでいた。
WNさんは帰ってきたが疲れたのだろう、すぐに寝てしまったようだ。
僕も早めに寝ることにして、9時過ぎテントに戻った。

久しぶりの雨 2003,5,15
昨夜は寝苦しい夜だった。
6時半前に目が覚めて、7時ころテントを出た。
WNさんはすでにでかけているようだった。

僕は炊事棟で朝食を食べた。
コーヒーを飲んだら暑くてたまらないのでシャワーを浴びた。
少し陽射しはあるのだが全体的に雲に覆われている。
水平線は霞んでよく見えない。天気は下り坂かな。
風は南風。湿った温かい、というより暑い風だ。

しばらくするとガエルがやってきて、食材の残りと蝋燭、蚊取り線香をくれた。
それにストーブの燃料のガソリンをもらってバイクに入れた。
8時半のバスで街に向かい、12時の飛行機で石垣を後にし京都に向かうという。
この前も言っていたけどやっぱり帰りたくないんだろうな。
8時10分ころ、ガエルは大きなザックを背負って米原を後にした。

僕は8時20分ころバス停に歩いていった。
ガエルは歩道の段差に座っていた。
そこで僕のホームページとEメールの書いてある名刺を渡した。
ガエルは紙にメールアドレスを書いてくれて僕にくれた。
定刻にバスは来て、ガエルは乗りこみお互いに手を振って別れを告げた。
見送りに来たのは僕だけだった。
少し寂しくなったな。僕も世界を歩いてみたい。

10分ほどしてからWNさんが戻って来た。見送りできなくて残念そうだった。

天気予報では昼前から雨の予報。
9時過ぎ、バイクを出してマックスバリューに直行。
買い物をして途中とろぴかるに寄って弁当とチキンを買ってキャンプ場に戻った。

チキンを食べMDさんとNMさんと話しをしているとYMさんが来た。
とんかつりきにお昼を食べに来たが、まだ早すぎて開店していなかったらしい。
お父さんも降りてきて海を見ていた。
遠くてよくわからなかったが感じはわかった。

そのうち雲行きが怪しくなりだんだん暗くなってきた。
炊事棟の荷物を流しの下に移していると、WNさんたちが戻って来た。
これから泳ぐというが、この感じだともうすぐ雨が降るよ。
そう言ったがどうしても泳ぎたいらしい。

みんなが着替えていると案の定大粒の雨が降り始めた。
それでもかまわずみんな海に向かったが、強烈な雷がなったと思ったらみんな戻って来た。
しばらく様子を見て小ぶりになったところで海にむかったが、すぐに大雨になった。
今度は戻ってこないでリーフまで歩いていって泳いでいた。

大粒の雨は降り止まず、久しぶりに米原湖が形成された。
あちこちに川ができ、MDさんが水除けに作った堤防は見事に決壊しタープの下が川になった。
他にも水たまりがたくさんできたが、みんな心得ているのか水没するテントは無かった。
でも今朝撤収した2張りのテントがあったら完全に水没していただろう。

1時間ほどしてみんな無事海から上がって戻って来た。
あのリーフの壁には感動したようだ。
でも、あの美しい光のカーテンを見せてあげたかった。

2日ぶりに2張り隣のおじいさんがズブ濡れで戻って来て、奇妙な形にロープを張った。
何をするのかと思ったら、その上にグリーンの作業シートを張った。
でもあれじゃあんまり意味がないんじゃないかな。
終始傘もささず合羽も着ないで黙々と作業を続けていた。
しばらくしていつのまにかまた姿を消していた。

5時過ぎ雨が上がったので、すぐに準備をしてシャワーを浴びた。
シャワーを浴びてからご飯を炊いて夕食を食べた。
雨が再び降り始め、降ったり止んだり。
少し泡盛を飲んでから9時前テントに戻った。
今夜は涼しくてよく眠れそうだ。

ついに梅雨入りか 2003,5,14
今日も烏の鳴き声に起こされず、すっきりとした目覚め。
テントから出て温度計を確認するとすでに気温は27度を超えていた。
やっぱり熱帯夜だったか。昨夜は本当に寝苦しかったな。

コーヒーを沸かしたが、ミルクも今日で最後。次からはブラックだ。
トーストを2枚、1枚はバター、もう1枚はスライスチーズ。
朝食を食べ終わると昨日の焚き火ですっかり煙のにおいがついてしまったのでシャワーを浴びた。
気温が高いので全然寒くなくすっきりした。

9時になってもYMさんは起きてこない。一緒に街まで行く予定だったのにな。
メールを送信したらしばらくして起きてきた。なんか起こしたみたいで悪かったかな。
準備をして10時過ぎ、街に向かった。

Tシャツ半ズボンでも暑い。日射しはまるで刺すようで、強烈な紫外線だ。
20分程でオリックスレンタカーに到着。
YMさんはレンタカーのシステムを知らなかったので、僕が聞いてわかりやすく説明した。
料金と保険関係の説明を受け、車をチェックした。
車に乗りこんだがコラムシフトがわからないようだったので助手席に乗って説明した。

そこで別れて途中とろぴかるに寄ってフライドチキンとおむすびを買ってキャンプ場に戻った。
まだ少し早かったが買ってきたおむすびを食べて昼食にした。

しばらくしてYMさんたちがマーペの道を僕に聞いてきたので僕も一緒に行くことにした。
どうやらYMさんのお父さんが飛行機に乗り遅れて到着が遅れるらしい。
他にもガエルと2人乗るので僕はバイクで先導することにした。

マーペに行く前に街に1人迎えに行くというので伊野田のキャンプ場で待ち合わせすることにした。
戻ってくるまでには1時間近くかかるだろうから僕はサマーベッドで休んでいた。

うとうとしていると「やじさん、いますか」という声が聞こえて置きあがると
OKさんとNKさんだった。他のキャンパーが木に刺さっていた釘で怪我をしたので
消毒液を持っていないか聞きに来た。当然持っているので一緒に行ってみた。
かなり深く切ったようで腕の根元の方を縛ってあったが、
静脈が損傷したのならこれじゃ逆効果だ。
動脈だったらあんな縛り方じゃ止血できないだろう。
とりあえず出血は止まっているようだった。
彼は健康保険にも加入していなかったので心配したが大丈夫のようだった。

しばらくしてYMさんから連絡があったので僕も出発した。
この時間に出れば少し余裕がある。伊野田キャンプ場を偵察するとテントは5張り。
まだ来ないので少し戻ると対向車にYMさんの運転するムーブが来た。
すぐにUターンしてマーペ登山口まで先導、さっそく登り始めた。

僕以外はみんなサンダルだ。
僕が道案内をして登ったが、最近では”隊長”と呼ばれるのがが定着してしまった。
多少苦労していたが10分ほどで頂上に到着。
突然360度の展望が開け、みんな歓声を上げていた。
少し雲ってはいるがまあまあの展望だ。
米原から平久保まで見通すことができた。
写真を撮ったりして1時間ほど頂上の風景を堪能した。
下山してキャンプ場に戻った。

その後しばらくしてからYMさんはお父さんを迎えに行くのでキャンプ場を後にした。

5時半過ぎ、お腹がすいたので夕食にした。
夕食を食べ終わり浜に出て蚊の攻撃を回避。今日は雲が厚く夕陽は見られなかった。
ラジオでは沖縄本島は梅雨入りしたようだ。
ここ八重山も時間の問題だ。

WNさんは友人が来て出掛けてしまったので僕は一人炊事棟で泡盛を飲んでいた。
浜に出て薪に火をつけ1時間ほど眺めていた。

9時半ころテントに戻り寝ようとしたが暑くてとても寝られない。
浜にサマーベッドを出して波の音を聞いていた。
僅かに吹いている風が最高に心地いい。
いつのまにか寝てしまった。
12時前、目が覚めてテントに戻った。

最後の焚き火 2003,5,13
今朝は烏の鳴き声も無く静かな朝を迎えた。
今日も風が無く青空だ。すがすがしい気分になる。

テントから出てトーストを作った。
コーヒーに使うシュガーは無くなってしまった。
来た時に50個入りを買ったのだが、それだけ日数を過ごしたということだな。
なので今日は砂糖無しだ。
残りの日数も少なくなったので買い足すのはやめておこう。
少し寂しくなった気もする。

朝食を食べ終わるとしばらくまったり。
浜にサマーベッドを持ちだし海を眺めていた。
そのうち関西の人と思われる60歳以上の団体が来た。
水着に着替えたので泳ぐのかと思ったら、リーフの方まで歩いて行った。
これから干潮、どうやら潮干狩かな。
他に地元の人と思われるひとも二人来てリーフまで歩いていって泳いでいた。
地元の人は必ずシャツを来て泳ぐ。水着だけなのは内地の人ばかりだ。

11時ころWNさんが街に出掛けるというので僕も後から行くことにした。
開南を抜けシード線の交差点で追いついて、マルチメディアセンターに向かった。
40分程でセンターを出て僕はホカ弁で特のりタル弁当を買ってキャンプ場に戻った。
今キャンペーン中で50円安くなっていた。

炊事棟で弁当を食べているとWNさんも戻って来た。
だいぶ潮も入ってきて泳げるようになってきた。
WNさんとリーフまで行こうと話していると水中カメラを買うのを忘れていた。
WNさんがイナフクまで行って買ってきたので
僕とWNさんとYMさんと三人でリーフの縁まで泳いでいった。
晴れた日の海の美しさは格別だ。
そこで記念写真を撮った。
YMさんは今日でキャンプ生活も終り。思いっきり楽しんでいるようだ。
僕は深いところで5メートルほど潜ってみた。
1時間ほどで海から上がってシャワーを浴びた。

その後はアスレチックの塔に登ってまったり。
しばらくするとNMさんが西表から戻って来た。前と同じ所へテントを張ったようだ。

夕方、ご飯を炊いて夕食を食べた。
炊事棟にはガエルもやってきた。彼は15日に帰国する。
明後日の朝は早いので、夜更かしできるのは今日が最後。泡盛を飲んでいた。
彼も「帰りたくない」とつぶやいていた。
YMさんも明日家族が来るのでキャンプ生活も今日で終り。
ガスや残った食材をもらった。

みんな夕食を終えた9時ころ浜に出て薪に火をつけた。
バッテリーとスピーカーを持ってきて、YMさんのお気に入りの曲を聞いていた。
ふと空を見上げると、月に幻想的なリングがかかっていた。
こんなのは初めて見たよ。天気が下り坂かな。

焚き火がおきになったころ、アルミホイルで包んだジャガイモを焼いた。
4人で焚き火を囲んで食べた。

いつのまにか時刻は11時を過ぎていた。
退ききった海では魚を捕っている人のライトが輝いてる。
12時前、僕とYMさん、WNさんは浜を後にした。
しかしガエルはもう少しこの雰囲気を味わっていたかったのか、浜に残った。

炊事棟を少し片付けて、12時過ぎ眠りについた。

言葉にできない 2003,5,12
7時前、テントから出ると今日も快晴。風も無い。
青空を見るといやなことを全て忘れられる。

炊事棟に行き朝食を食べ、薪集めに出掛けた。
ここ数日で近くの薪になりそうな枯れ木は取りつくしてしまった。
しかし近くのブッシュを探していると、枯れて倒れた大きな木を発見。
引っ張り出そうとしたが他の木に枝が引っかかっていてとても一人じゃ動かせない。
仕方ないので太い枝や根っこを折って引きちぎった。
それでもけっこう集めることができた。

浜に出ると昨日僕が海底(といっても1メートルくらい)から引き上げた木が打ち上げられていた。
引っ張って来ようとしたがすごく重たい。そすいえば海の底に沈んでいたんだな。
ということはすっかり水を吸ってしまっている。よく見ると藻もくっついていた。
これは乾かさないと燃えないな。
とりあえず60センチくらいの長さに切りそろえた。
しかしこれが意外に大変だ。もともと固い木らしくなかなか切れない。
そのうち汗びっしょりになってしまった。
たまらずシャワーを浴びてすっきりした。

その後は炊事棟でまったり。
さっきまで釣りをしていたMDさんが来て久しぶりに魚をつりあげたようだ。
刺身のお裾分けを頂いた。

11時半ころWNさんと街に向かった。
昨日休みだった高縞にタコライスを食べに行く。

20分程で到着、12時前なので高校生はいない。と思ったらすでに数人が来ていた。なぜだ?
中に入りさっそくタコライスの(大)を頼んだ。300円。
テレビを見ながら待つこと数分、タコライスが運ばれてきた。
単にタコスだけかと思ったら、チーズとケチャップ、それに野菜も乗っていた。
これで300円は安い。それに多すぎず少なすぎず、ちょうどいい量でもあった。
しばらくして高校生が来て、おばちゃんに「タコライス特大」などと冗談を言うと
おばちゃんもすかさず「特大1000円」と言い返した。
1000円ならどれだけの量なんだろう。
混んできそうな時間なので僕達は食べ終わると店を出た。

そしてメイクマンに行きフィンを物色。WNさんが買った。
そこでWNさんと別れ、とろぴかるでフライドチキンを2個買ってキャンプ場に戻った。
先日食べ終わった骨を置いておいたらトカゲが来て食べたという。

僕はチキンを持ってTSさんたちのゆんたく場に行って食べた。
2個はとても食べきれないので1つYMさんにあげた。

そのころちょうどいい具合に潮が満ちてきた。
早速水着に着替えて海に入ったが、今日は平日なので泳いでいる人はほとんどいない。
ちょっと不安だがリーフに縁まで泳いでいった。
ここ何日かウミヘビを見ないので安心して泳いでいられる。
でも底が見えないところまで行くと少し不安だ。
40分ほど泳いで海から上がりシャワーを浴びた。

その後アスレチックの塔に登り小説を読んだり昼寝をしたり。
他の人達もみんなまったりしている。

そういえば朝この塔を修理していたが再上段は床が抜けたままだ。
よくみると釘を追加して打っただけだった。
しかも下の木が腐っているので釘が全然効いていないところもあった。
そのうちに直しにくるのかな。

キャンプ場内を散策しているとガエルが戻ってきていた。ずっと西表にいたようだった。
少し話しをしてさらに先に進んだ。
すると元競輪選手のOTさんのテントが見当たらない。
本人がいたので聞いてみると明日石垣を出るという。
これから北上して北海道に向かうようだ。
ほとんど他のキャンパーとは話しをしていないようだった。

陽がだいぶ傾いて日差しが暑く感じなくなったので浜に出た。
今日も美しい夕陽を見ることができた。
毎日違う幻想的な風景。
陽が沈んでからの美しさは言葉では言い表せないほどだ。


浜ではMDさんが釣りをしていた。
僕もここにいられるのは10日あまりになってしまった。
MDさんに「帰るのは寂しくない?俺は寂しくてたまんないよ」と聞かれた。
やっぱりみんな同じことを思っているんだな。
せっかくなかよくなった人達と別れるのは本当にさみしい。
次にいつ会えるか、もう二度と会えないかもしれない。
そう考えると涙が出てくるよ。

楽しかった。本当に楽しかった。つまらない日なんて、一日もなかった。
いろいろな人に出あい、そして別れた。
なんでこんなにせつなくなってしまうんだろう。
きのうYKさんが言った言葉を思いだした。
「みんな一緒に暮らせたら、楽しいだろうね」

この半年余りの僕の旅。
いったい何人の人に出あっただろう。いくつの発見をしただろう。そして、いくつの感動を得ただろう。
時と共に薄らいでいく記憶。
でも、僕には、忘れられない記憶が残った。毎日欠かさず記した日記が残った。
この日記は、何年か先、ここで過ごした日々を、鮮明に思い起こさせてくれるだろう。
おカネでは買えない、素晴らしい感動を、再び体感させてくれるだろう。
絶対に忘れない。なんの後悔も無い。
かけがえの無い、僕の人生の一コマ。
旅に出たのは10月2日。
僕は、1年でこの旅を、終えようと思う。
また、新しい明日が待っている。今日より素晴らしい明日が。

すっかり暗くなって、炊事棟にもどって夕食を食べた。
YMさんも夕食に来て、WNさんも戻って来た。ガエルも来た。
遠くでジャンべーの音が聞こえると、YMさんとガエルが行ってしまった。

10時過ぎ、WNさんはテントに戻った。
僕はこの時間と空間をまだ味わっていたかったので、一人炊事棟で泡盛を飲んでいた。

11時、僕もテントに戻った。

世捨て人の浜? 2003,5,11
今日も烏の鳴き声で目が覚めた。うるさくて寝ていられない。
テントから出て近くの烏を追い払った。
朝食を食べて炊事棟を掃除した。
今日はおそろしく天気がいい。雲量ゼロ。本当の快晴だ。
石垣に来て初めて見た雲一つ無い青空だ。

MDさん夫妻は今日は二人とも休み。八重山では母の日は休みになるという。
しばらく話しをしていると、TSさんとUKさんがバイクで戻って来た。
よかった。仲直りしたんだ。
昨日は朝まで飲んでいて、朝マーペに登ったという。
TSさんは昨夜のことを”犬も食わない…”などと少し恥ずかしそうに言っていた。

その後僕は焚き火に使う薪を集めて回った。

11時半ころ、昼食を食べようと街に向かった。
でも高縞もあさひ食堂も休み。
仕方なく買い物をして、途中とろぴかるで揚げ物を買ってキャンプ場に戻った。
そして茹で卵を4つ作り、そのうちの1つを食べた。そしてバナナ2本。
ちょっと食べすぎでお腹がいっぱいだ。

しばらく休んでから水着に着替えて海に入った。
もうすこしで満潮なのでリーフまで泳いで行ける。
でも流れが早くて逆らって泳ぐのは疲れる。泳ぐのを止めるとすぐに押し戻される。
20分くらいかかってようやくリーフの縁までやってきた。
入江のようになっているところは恐ろしく深く底が見えない。
でもドロップアウトのところはサンゴが見事だ。
今日は日差しもあって鮮やかさが違う。
サザエを探すのも忘れて縁をずっと泳いでいた。
時折大きな波が来るので、波に乗って遊んだ。

40分ほどして少し寒さを感じたので浜に戻っていった。
途中で立ちあがるとすぐ横にYMさんがいた。
リーフの縁まで行きたいようだが一人では不安そうだったので、
僕はひき返してYMさんと一緒にリーフの縁まで泳いでいった。
YMさんもそこを見て「きれいだね」って言っていた。
結局1時間以上泳いでいた。

シャワーを浴びてからアスレチックに登って小説を読んだり昼寝したり。
浜の日陰にサマーベッドを出して小説を読んでいると、
地元の人が壊れたシャワーを見ながら「ここは世捨て人の浜だな」などと言っていた。
僕はまだ捨てたわけじゃないけど…。
地元の人からは、そう見られているのかな。

浜に出るとMDさんが釣りをしていたが、成果は相変わらずだった。

7時前、夕食の準備をしていたが、日没が見られそうなので中断。
浜に出て西の空を眺めていた。
太陽は一度雲の中に隠れたが、水平線近くで再びその姿を現わし
空を溶けそうなオレンジ色に染めながらゆっくりと沈んでいった。

一度炊事棟に戻り夕食を作って浜で食べた。

その後昼間集めた薪に点火。みんな次々に集まってきた。
YMさんはヤギ汁を食べに行っていたが、味の方は×だったらしい。
近いうちにみんなでマーペ登山に行こうということになった。
YKさんが持ってきた蓬(よもぎ)を燃やすと、周囲がいい香りに包まれた。

8人で焚き火を囲んで話しをしていた。
TSさんたちが住んでいる東京の市営住宅が話題になった。
収入が無ければ家賃は月4000円。
「みんな一緒に住めたら楽しいよね」とYKさんがつぶやいた。
僕もそう思った。

晴れた空に月がおそろしく明るく輝いていて、影が鮮明に写っていた。
サイトの中は木の影が地面に写り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

焚き火がおきになると、すなの中に足を入れて”砂湯”を楽しんだ。
いつのまにか日付が変わり12時半ころみんなテントに戻った。

モー娘に遭遇 2003,5,10
朝2時ころ目が覚めた。なぜかなかなか眠れなかった。
再び寝入ったが、6時には目が冴えて眠れないのでテントを出た。

朝食は昨日買っておいたトミーのパン。パンを焼く手間が省けた。
食べ終わってからコーヒーを沸かした。
いつもと違うパターンでコーヒーを沸かし忘れていた。

8時半ころ僕はバイクで街に向かった。
昨日YMさんが石垣に戻っていて、友達の友達の家に泊っていて
今日与那国に行こうとしたら、13日に親が来るというので急遽延期したというので
街まで迎えに行くことになった。
また会えると思わなかったな。

早く着きすぎたのでマンタ公園で時間調整して待ち合わせ場所に向かった。

数分遅れてYMさんが来た。久しぶりにあったYMさんは日焼けしていた。
YMさんは与那国に行こうか迷っているという。でもやっぱり延期。
ガエルもYMさんと一緒に今日与那国に行くといっていたので
とりあえず埠頭に行ってそのことを伝えることにした。
でも出航時間になってもガエルは現れなかった。

YMさんは朝食がまだだったので、ホカ弁で安売り期間中ののり弁を買った。
そして新栄公園に行って二人で食べた。
食べ終わってから隣の図書館に行ってまったり。
僕はニュートンと日経サイエンスをゆっくりと読んでいた。

1時ころ図書館を出てYMさんが泊っていた家に行って荷物を引き揚げた。
その荷物は前にも増して増えていた。こんなにバイクに積めるかな。
持ってきたロープとネットで無理やりくくりつけた。
それにリュックを背負ったYMさんが乗ると、ミラーで後が見えなくなるほどサスが沈んだ。
でもアフリカツインだから特に問題なく走った。

*追記*
於茂登トンネルの手前でMTさんのジムニーとすれ違った。
MTさんとBLさんは今日の船で波照間に渡り、戻ってきたら北上して奄美に向かう。
多分二人で奄美に住むことになるだろう。もう会うことはないのかもしれない。
この旅で、僕は住む所までは決めることができない。
そこまで考えて旅に出てこなかった。そういう生き方もいいのかなあ。

20分程で米原に到着し、YMさんはテントを設営した。

僕はしばらくアスレチックの塔に登り曾根綾子の小説を読んでいた。
しばらくして眠くなったので空を仰いで目を閉じた。
気が着くと1時間近くが過ぎていた。
僕は塔を下りてシャワーを浴びた。
気温が23度と低かったので少し水が冷たく感じた。

その後浜に出ているとWNさんが呼びに来た。
近くで何か撮影をやっているようだ。
聞くとモーニング娘らしい。急いでテントに戻りカメラと双眼鏡を持って現場までダッシュ。
行ってみると米子焼きで撮影の真っ最中だった。
デジカメで写真を撮ろうとしらスタッフに制止された。しかし既にシャッターは切っていた。
僕のデジカメは古いのでシャッターを切っても大きな音がしない。
残念そうな顔をしてカメラをしまうとスタッフは撮ったことに気付いていないようだった。
でも僕はモー娘を知らないので誰が誰だか全然わからなかった。
あとで他の人に聞いたら新人を含む三人だった。
天使のようなコスチュームだったけど、いったい何の撮影だったんだろう。

夕方、ご飯を炊きWNさんが買ってきた肉を焼いて焼肉だ。
焼肉なんて久しぶりのような気がした。

その後蚊が出てきたので浜に避難。薪を集めて焚き火をした。
近くでは花火をやったりしていて賑やかだ。

11時前、UKさんは街に行くというのでTSさんが何か話に行ったら
UKさんとTSさんが喧嘩になってしまった。あんなに仲がよかったのに。
でもしばらくして落ちついたようだった。

11時半ころ炊事棟を片付けテントに戻った。

シャレコウベ 2003,5,9
今日は6時過ぎに目が覚めた。
昨日は泡盛も飲まなかったし早く寝たのですっきりだ。

テントを出て朝食の準備をしていたが、いつもは起きているWNさんはまだいなかった。
朝食を食べ終わり炊事棟を掃除していると、何台かのトラックが荷物を積んで入ってきた。
荷台の荷物を見ると大きなテントの袋に”石垣2中”と書いてあった。
そういえば去年も中学生が大挙して来た記憶があるな。
それほどの時を経ずして中学生が列をつくってやってきた。

荷物を降ろし、どうやらバーベキューをやるようだ。
ちょっと荷物が心配なのでコンテナボックスと集めた貝をテントに入れた。

11時ころWNさんと平久保の牧場ダートを走りに行くことにした。
キャンプ場を出て30分ほどで平久保崎灯台に到着。曇っていたので海の色がいまいちだった。

そして平野からは牧場ダートだ。
最初のゲートから次のゲートまでは牛がいないので安心して走れる。
道は以前に比べ少し荒れていたのでスタンディングで走った。

途中一部だけ木が茂り洞窟のような場所があり、そこに人骨があるとの噂を聞いていた。
それと思われる場所にさしかかったので、バイクを止めて周囲を散策。
するとオーバーハング状の岩陰に何か白い物が…。
近寄ってよく見ると頭蓋骨だ。それもたくさん転がっている。
何かで磨いたようなピカピカの白骨ではない。人骨ってこれのことだったのか。
他にもありそうだったが気持ち悪いのですぐに立ち去った。
でもあんなもの放置したままでいいのだろうか。
そういえばこの牧場はあのYM三兄弟の牧場だったな。

次のゲートを通過したが路上には牛は見当たらず、周囲に散在しているだけだった。
今日は順調に通過できそうだ。と思ったのも束の間。
いきなり子牛が2頭現れて逃げていった。
すぐその先には大きな親牛がこちらに睨みをきかせていた。
バイクの温度計はかなり上がっていたので止まらずに強硬突破。
一瞬牛が向かってきそうな雰囲気だったがすぐに反転して逃げていった。
しかし僕の心臓はプルス150以上に上がっていたと思う。

なんとか牛をやりすごし最後のゲートを通過した。

その後伊野田のちゃーがんじゅーさーに行った。
ここんきたらやっぱりラフテー丼。
僕がおばちゃんに頼むとWNさんはメニューを眺めて不思議そうな顔をしていた。
これはメニューには無いんだよ。

相変わらずの超大盛り。食べ終わるとしばらく動けなくなった。
そのうち店に来ていた客とおばちゃんが口喧嘩になった。
お客の方は少し酔っているようだったが、おばちゃんはひるむことなく言い返した。
その人は「ナイチャーはダメだ。」などどさかんに言っていた。
お腹も落ちついたので僕達は店を出た。

僕は伊野田キャンプ場を偵察するためそこで別れた。
行ってみるとテントは4張り。それらは全て長期キャンパーのようだった。

僕もそこからキャンプ場に直行した。
中学生は全員浜に出ているようだったので炊事場を確認すると
僕のスポンジが食器洗いには使えそうもないほど汚れていて
洗剤も半分くらい無くなっていた。まあ流しに放置しておいた僕が悪かったかな。

しばらくしてWNさんと島内観光をしながら街に向かった。
WNさんは今まで観光らしい観光をぜんぜんしていないという。
いままでどこを走っていたのだろう。
於茂登登山口から名倉ダムに抜ける林道からバンナ公園を経由して
市民の森の展望台に上がり、そのまま林道を抜けて街に入った。
僕達はマルチメディアセンターに行ったが
僕は特に調べる物もなかったので20分程度でセンターを出てキャンプ場に戻った。

北側の入口から戻ったが、管理棟の前に中学生が全員座っていて通れない。
僕のバイクが近付くと立ち上がってキャンプ場を出ていった。
外に待機していたバスに乗って帰るようだ。

シャワーを浴びてテントに戻ると以前来ていた仙人のような爺さんがまた来ていた。
今度は片手にテント、そしてシュラフを持っている。それも今買ったばかりのような新品。
1時間以上行ったり来たりしてようやく場所を決めたようだ。WNさんの隣だ。

しばらくしてTSさんたちが帰ってきて、プラカップに入れた不気味な物を持ってきた。
葉っぱに長さ三整未両さな繭がいっぱい付いていた。いったい何だ。
TSさんたちはそれが羽化するまで観察するという。

その後炊事棟で夕食を作った。風があるので蚊がいなくて今日も快適だ。
暗くなってきてからは風が冷たく感じるようになった。
しばらくは泡盛を飲みながら話しをしていたが、
寒くなってきたので9時半ころテントに避難。
いつのまにか夢の中へ…。

暑い… 2003,5,8
目が覚めたら7時を過ぎていた。昨日はちょと遅かったからな。
テントを出ると異常に暑い。気温は28度。熱帯夜だったんだ。

炊事棟にはすでにWNさんが来ていて朝食の準備をしていた。
僕もコーヒーを飲みながらトーストを食べた。

しばらくするとUKさんがやってきた。
今日はSG基地の探検に行く予定になっていた。
SGさんが外に出てきた時に行こうということになったので
持ってきたトランシーバーを1つTSさんたちに渡して連絡をとることにした。
しかしこういう時に限って姿を現わさない。
あまりの暑さに耐えきれず水シャワーを浴びた。
11時過ぎ、UKさんは友人を見送りに行くというので作戦は延期になった。

それじゃ泳ごうか。気温も30度。さっそく水着に着替えて海に入った。
今日の海水は温かく、ずっと泳いでいても寒さを感じなかった。
しかし流れが早い。フィンを外してみたら流れに逆らって進めなかった。

この前海上保安庁の人が来て調査していたのはどうやらリーフカレントらしい。
ここは通常でも1ノット。最大4ノットの流れがあるという。
4ノットもあったらフィン無しじゃ完全に流されてしまう。
まあ冷静になって流れから外れればいいんだけど、パニックになっちゃうんだよね。

30分ほど泳いで海から上がりシャワーを浴びた。

そろそろお昼なので、僕がここに来た時には改装中だった、
とんかつ「りき」にWNさんと行くことにした。
歩いて「りき」に向かった。

5分ほどで到着、席はまだ空いていた。
今日はミックスフライにした。
しばらくして運ばれて来るとWNさんは思わず声をあげた。
「うわーっ、すげーっ」 その量に驚いていた。ご飯もおかわりできる。

フライの量のわりにご飯は相対的に少ない。(といっても絶対量は普通だが)
フライを半分くらい食べるとご飯が終わってしまった。
WNさんはおかわりを頼んだが、出てくると最初と同じ量だ。
僕もご飯を食べ終わってしまったので、半分だけおかわりした。
しかし食べきれるかだんだん不安になってきた。
でもおかわりしたからには残すわけにはいかない。
半分意地になって胃袋に詰めこんだ。もう食えない、という感じだ。

店が混んできて外で待っている人もいたので、食べ終わるとすぐに店を出た。
食べ終わったら街に出掛けようと思っていたがしばらく休んでからにしよう。
30分ほど炊事棟で休むとやっとお腹が落ちついた。

WNさんも出掛けていったので、次いで僕も街に向かった。
最初にマルチメディアセンターに行ったが、ここはエアコンが効き過ぎている。
1時間ほどで寒くなりセンターを出てカネヒデで買い物。
100円ショップでポップコーンを買った後、マックスバリューで食材を調達した。

店を出て於茂登方面を見ると雲行きがかなりヤバそうなので急いで帰ることにした。
しばらく走ると途中大浜あたりでポツポツと雨が落ちてきた。
こういう時に限って遅い軽トラの後についてしまい、対向車も途切れない。
ホッパーのY時路でやっと軽トラを交わし、帰りを急いだ。
雨はそれほど降ってはいないのだが粒が大きく腕や胸に当たるとかなり痛い。
トンネルの先はどうなっているのか心配したが、幸い雨は降っていなかった。

キャンプ場に戻ってくると急に風が強くなってきた。
アスレチックの塔に登りしばらく昼寝。風が心地よかった。
1時間ほどしてから炊事棟に戻り夕食の準備をした。

この風で蚊が出てこなくて快適だ。
蚊がいないとこのキャンプ場はこんなに快適だったのかと思うほどだ。

薄暗くなってきたころトラックが入ってきて、フェンスの所に何か取り付けた。
去っていったあと見に行くと、またタバコの収穫要員募集だった。
10と11日の2日間のみだ。相変わらず給与はいくらか書いてない。
それにAM8からPM18時と書いてある。PM18時っていったい何時だ。
12から6時間過ぎているということは、午前6時までか?まあそんなことはないだろうけどね。
製糖が長引いているので人手不足のようだ。

7時半ころMDさん夫妻が帰ってきた。
以前炊事棟に来たYM三兄弟のことが話題になった。
MDさんが職場でその話しをしたら、あれは石垣でも有名なビーチャーらしい。
知っている人はほとんど相手にしないという。それでここに来たのか。

今日は風も強いので10時ころテントに戻ってテレビを見ていた。
11時ころには寝てしまった。


サメかっ? 2003,5,7
一度6時に目が覚めたけどまた寝てしまった。
再び目が覚めたらもう7時だった。
すぐに起き上がり日記をアップしてテントを出た。
今日もいい天気で暑くなりそうだ。

炊事棟にはすでにWNさんがいて朝食の準備をしていた。
僕はコーヒーを沸かしてトーストを作った。
僕もワンパターンだがWNさんは朝も夜もパスタだ。

その後しばらく小説の続きを読んでいた。
そのうち暑くなってきたのでシャワーを浴びた。水シャワーが気持ちいい。
髪が乾くのを待って僕は街に出掛けた。

まず郵便局に行って局留めの郵便を受け取ろうとしたがまだ来てないという。
1日に発送しているのにおかしいな。他の局に送ったのかな。

一度外に出てIMさんからのメールを確認すると、やはり1日に発送している。
文章をよく読んでいくとMDの他に、ヒガさんのために黒糖も送ったことになっている。
ということは小包かも。今まで何度も窓口で「普通の郵便です」と言ってしまっていた。
だから見つからなかったんだ。
再び窓口に行き「小包かもしれません」と言うと、局員が奥の方に行って荷物を持ってきた。
やはり。消印は5月1日になっていた。

局を出てすぐ近くの写真屋に行った。
DELLコンピューターと僕の持ってきたメディアリーダーの相性が悪く
マルチメディアセンターのパソコンにインストールできなかった。
そこで写真屋にメディアを持っていってCDRに焼いてもらうことにした。
少し時間がかかりそうなので、あさひ食堂に行ってあさひ定食を食べた。

昼食を食べ終わってしばらく街を流してからさっきの写真屋へ行った。
CDRは焼き終わったようだがインデックスがまだプリント中だった。
店の人は富士山に登ってみたいようで、その話題になった。
数分後プリントが終りCDを2枚受け取った。

それからマルチメディアセンターへ直行。
早速CDを見たが画像が大きすぎる。画面に入りきれないくらい大きい。
オリジナルサイズは640×480だったはずだ。
どうやら写真屋の機材はプリントを前提に設定されているらしい。
これじゃ400kB以上あるので掲示板に載せられない。
画像編集ソフトで落とせばいいんだがそんなこと200枚もやってられない。
あきらめて他のPCで試してみるが、やはりエラーが出てしまう。

仕方ないのでセンターを出てPCショップを探した。
するとすぐに見つかったので行ってみたが
スマートメディア対応のリーダーは置いてなかった。やっぱりダメか。
あやぱにモールのやいまワールドはどうだろうか。
行ってみるとなんと夜逃げでもしたように内装がすっかりなくなっていた。
どこかへ移転してしまったのだろうか。でも案内もなかった。
もうあきらめるしかなさそうだ。買えってからアップしよう。

キャンプ場に戻って来たが暑い。
潮は退き加減だが泳ぐことにした。
見たところリーフはまだ出ていない。リーフまで泳いで行けるだろう。
水着に着替えて海に入ったのだが意外に浅い。
途中泳げるほどの水深もなくなりフィンを付けたまま苦労して歩いた。
リーフの縁の入江に到着し泳ぎ始めた。
すると小さな魚を追って大きな魚がやってきた。1メートルはある。
うわっ、サメだ。一目散に岸を目指したが、振りかえるとロウニンアジだった。
助かった。

しばらくはその入江で美しいサンゴと熱帯魚を鑑賞していた。

30分ほどしてから戻ろうとしたが、さらに潮が退いてしまいとても泳げない。
あきらめてペタペタとゆっくりと歩きながら帰ってきた。

シャワーを浴びてからアスレチックの塔に登ろうとしたら子供がネットをよじ登っていた。
MTさんの友達の人の子供だった。
危ないのでしばらく様子を見て一緒に遊んだ。
そして小説の続きを読み始め、やっと最後まで読み終わった。

村上春樹の小説はハッピーエンドにならないことが多い。
この国境の南、太陽の西もそうだった。
そしていろいろなことを考えさせ、自分の記憶と照合する。
あんな生き方もあるんだなって。

しばらくしてMTさんの友達の家族が帰っていった。
入れ違いのように去年米原で会って僕が帰るまで楽園で一緒だったNMさんに再会。
そしてニトロさんも現れた。

旅人が訪れては去っていくこの米原。
出あいと別れの繰り返し。
決して同じ一日、同じメンバーなんてありえない。
でも、この日記に、そして僕の記憶に、今まで出あった人全員が残っている。

夕方、スパゲティーを作ったが、炊事棟は蚊が大量発生してきた。
とてもいられないので浜にサマーベッドを出して食べた。
今日もきれいな夕陽を見ることができた。
僕は暗くなるまで西の空を眺めていた。

その後炊事棟に移動しIMさんからもらったMDを聞いていた。
しばらく一人で泡盛りを飲んでいたが、そのうち何人か集まってきた。
TSさんは60度のどなんを平気な顔をして飲んでしまった。

夜遅くなってOKさんとNOさんもやってきた。
いろいろな話しをしているうちにいつのまにか日付が変わっていた。
1時半ころみんなテントに戻った。

静かな朝 2003,5,6
昨日は少し飲みすぎたかな。
6時ころ目が覚めたがなかなか起きられなかった。
7時ころまでうとうとしていたが、思いきって起き上がりテントを出ると、
久しぶりにすがすがしい青空を見ることができた。静かな朝だ。
ここのところずっと曇り空だったからな。
今までのもやもやがすっ飛んで行った感じがした。

炊事棟に行き、昨日MDさんからもらった食パンを焼いてトーストを作った。
といっても食パンの両端の部分なので、片側はいわゆる”耳”だ。
片側だけ焼いてバターを塗ると意外とおいしかった。
コーヒーを飲んですっきりした。

蚊の攻撃は日に日に激しさを増してきた。蚊取り線香は焼け石に水だ。
シャツやズボンの上からも刺されてしまう。
たまらず浜にサマーベッドを出して避難した。

蚊もいなくなったので、アスレチックの塔に移動し小説を読んでいた。
村上春樹の小説を読むと、僕は学生時代にタイムトリップする。

一度何かがうまくいかなくなる。
するとそのうまくいかないことが別のうまくいかないことを生み出す。
そしてその状況はどこまでも悪くなり続ける。
どうあがいても、そこから抜け出すことができなくなってしまうのだ。
誰かがやってきて、そこからひっぱりだしてくれるまで。


久しぶりに晴れた空を見たせいもあり泳ぎたくなってきた。
11時前、水着に着替えて海に入った。
気温に比べ、今日は水温は低く少し寒く感じられた。
それでもいつのまにか熱帯魚の数も増え、30分ほど自然の水族館を堪能した。

海から上がり簡単に昼食を作って食べた。
そしてバイクで街に向かった。
マルチメディアセンターに行き、2時間ほどネットをしてから
サンエーの宝くじ売り場に行きロトを買ってキャンプ場に戻って来た。

しばらくするとTSさんたちがヒッチで戻って来た。
僕はTSさんから、透かして見るとステンドグラスのような貝をもらった。

再びアスレチックの塔に登り、仰向けに寝て空を見上げた。
真上には大きく欠けた真っ白の月が見えた。
高い雲が時折その姿を隠していた。
その下を低い雲が別の方向に流れている。
いつのまにか僕は夢の世界へ行っていた。

5時過ぎ、WNさんが戻って来た。
どうやら”星の砂”と”星砂亭”キャンプ場を間違えたらしい。
間違えて”星の砂”に泊ってしまい、居心地が悪いので帰ってきたようだ。

その後ご飯を炊いて夕食にしたが、蚊が大量発生してとても炊事棟にいられない。
すぐに浜に避難して食べた。

食事のあと、再び浜に出るとTSさん、OKさん、YKさん、NOさんもいた。
少しづつ傾いていく太陽を見ていたが、突然同心円上に虹が現れた。
虹は海面にも映ってなんとも幻想的な風景だ。
それが30分以上も続いた。
やがて空はオレンジ色に染まり、太陽は一度雲に隠れたが
地平線近くで再びその姿を見せ、川平に沈んでいった。
こんな夕陽は滅多に見られないな。

太陽が沈んだ後、UKさんが海に入り、TSさんは波打ち際にいた。
僕も行ってみると、TSさんが不思議な物を発見。なんだろう。
水の中に、やや褐色をした6〜7センチくらいの物体だ。
UKさんがサンゴのかけらでつついてみると色が白く変わり移動した。
よく見ると小さなイカだった。

観察を続けると瞬時に白くなったり茶色になったり、縞になったりもした。
薄暗くなり、UKさんも海から上がり食事の準備に戻っていった。

僕は炊事棟に戻り、WNさんと泡盛りを飲みながら
WMさんのパッカーで世界を旅した時の話しを聞いていた。
気が付くともう11時を回っていた。
テントに戻りラジオ深夜便を聞きながら夢の中へ…。

嵐のあと 2003,5,5
午前6時、物音と人の声で目が覚めた。
隣のファミリーキャンパーがもう起きたようだ。子供の声が聞こえる。
日記をアップしてから6時半過ぎテントを出た。

炊事棟はファミキャンはほとんど使わないので特に問題無く使える。
朝食の後はサマーベッドを浜に出してラジオを聞いていた。

今日で連休も終り。ファミキャンは次々とテントを撤収している。
でもまだかなりの数が残っている。相変わらず賑やかだ。

トイレに行った帰り、YKさんから「OKさんのバイクのエンジンがかからない」ことを聞いた。
これは僕の出番じゃないか。早速行ってみて状況を確認。
バッテリーが弱っていてセルが1回転くらいしかしない。
他の電装品は正常に作動する。
キックも付いているのだが固着して使い物にならない。
スクーターだから押し掛けも不可能だ。ケーブルを使うしかないな。

しかしこのスクーター。バッテリーがどこにあるのかわからない。
あちこち開けてみるが見当たらない。
こうなったら最後の(本当は最初の?)手段、”取扱説明書”だ。
幸いシートの下に入っていたのでページをめくって確認。
どうやらメンテナンスフリーなのでフロントカウルの中らしい。
まずフロントバスケットを外さなければならない。工具が必要だ。

一度炊事棟に戻り案を練る。
バッテリーは完全にあがっていないので、ケーブルは100V用で足りるだろう。
余っていた電源コードを切り詰めて2メートルほどを確保した。
これでどうにかなるだろう。
バイクに乗ってOKさんのバイクのところまで行った。

フロントバスケットは意外に簡単に外れたが、
カウルを固定している埋めこみナットの1箇所が空回りしてしまっている。
引っ張りながら回すとナットごと取れてカウルが外れた。
ナットは叩きこんでおけばいいだろう。
ケーブルの片側の途中をカットして安全を確保し、バッテリー同士を繋ぎ、カット部分も繋いだ。
アフリカツインのエンジンをかけ、次いでスクーターのセルボタンを押した。
セルは勢いよく回り、2秒ほどでエンジンがかかった。
YKさんは思わず「やじさん、かっこいいー」と言った。
こんなのは僕にとっては朝飯前なんだけどな。少し恥ずかしくなった。

しばらくしてOKさんが戻ってきて、街にバッテリー交換にでかけるという。

隣のファミキャンはテントは撤収したけれどテーブル類はそのままで宴会を続けている。
僕は喧騒を避け、でかけることにした。それにちょうどお昼だ。
知花食堂に寄ってそばとご飯を食べて川平線で街に向かった。
しかし途中で雲行きが怪しくなってきた。
僕はUターンしてウガン崎方面に行ってみた。
以前から気になっていた”電信屋”という所に行ってみたが、こんなもんかなあという感じだった。

一度キャンプ場に戻り、今度は於茂登トンネルから開南方面から街に向かった。
こちらはいい天気で雨の心配は無さそうだが路面が少し湿っていた。

まずK-MAXにいってみたら今日は休み。
メイクマンでカンカラ三線を探したが売ってなかった。
サンエーでロトを買おうとしたら2時まで昼休み。うまくいかないので帰ることにした。

キャンプ場に戻るとテントの数はかなり減り、30余り。
代わりに大量のゴミが山積みになっていた。
ヒガさんに聞くと3日間で15万くらいの売上?だそうだ。
今年はファミキャンのマナーが例年に比べよかったという。

5時過ぎ、ファミキャンの全てが撤収して静寂が戻った。
しかし僅か数時間でこうなってしまうと寂しさを隠しきれない。
哀愁をも感じてしまう。兵どもが夢のあと、という感じだ。

炊事棟を掃除していると隣にMTさんの友達の家族がテントを張った。
なぜか少しの安堵感を感じた。
僕は炊事棟でスパゲティーを作って食べた。

薄暗くなってきてから浜にでた。こんなに静かだったのか。
心地よい風に吹かれながら夕焼けに染まる雲を見ていた。
しばらくしてMDさんも出てきた。
沖合には豪華客船が航行していた。
僕の残りの人生に、あんな船に乗る機会はあるのだろうか。

周りがすっかり暗闇に包まれたころ、炊事棟に戻り僕は泡盛りを飲んでいた。
11時過ぎ、誰もいなくなった炊事棟で、一人波の音を聞き風に吹かれていた。

ちょっと飲みすぎたかな。
蝋燭を吹き消しテントに戻った。

テントラッシュ 2003,5,4
6時過ぎ目が覚めた。外はだいぶ明るくなっていた。
久しぶりに平らな所で寝たような気がした。
6時半ころまで寝ていようとしたが、目が冴えて眠れないので、
起きてトイレに行き歯を磨いた。

僕とYKさんは7時半の船で石垣に戻る予定。YKさんは今日も仕事がある。
6時55分になっても起きてこないので起こすことにした。
すると一度6時に起きたけどまた寝てしまったらしい。
すぐに準備をして港に向かった。

歩いてキャンプ場を出た。僕達二人は結局手続きをしなかった。
後の人達にまかせよう。
10分ほどで港に到着。切符売り場は遠いので現金で乗ることにした。
YKさんは他社の帰りの切符まで買ってしまってったので石垣で払い戻すことにした。
同じような人が他にも2人ほどいた。

YKさんがトイレに行くというので待っていたら、なぜか切符を買ってきた。
地元の人に乗せてもらって売り場まで行ったらしい。

定刻に船が入ってきて西表を後にした。こんなに短い滞在は初めてだ。
本当は探検もしたかったんだけど準備不足だった。またの機会にしよう。
海は凪いでいて揺れはほとんど無かった。
石垣にも定刻に到着。バイクは無事だった。
窓口に行きYKさんは払い戻しをしたが、手数料はかからなかった。
僕はコインロッカーからヘルメットを取り出し港を出た。

途中マックスバリューでパンを買ってキャンプ場に戻った。

キャンプ場に着くと思わず目を疑いたくなった。
もうこれ以上テントを張るスペースがないというくらいテントがぎっしりだ。
場内に張りきれず、浜にまでテントを張っている人が入る。
車もぎっしりと止まっていた。想像以上の混雑ぶりだ。

テントは無事だったがサマーベッドが無いな。
きのう出しっぱなしだったかな。しまったような気もするけど。
周りを見まわすとすぐ近くにあって荷物がたくさん乗せてあった。
僕は近くにいた人に「この荷物は誰のかねえ」と言うと
おばちゃんが慌てふためいて曰く「ああ、すみません。すぐに片付けましょうね」と。
まあ見つかってよかった。

MDさんも昨日は米原を抜け出していたようだ。
一緒にキャンプ場の隅まで行ってテントの数を数えると、なんと82もあった。
そのほとんどは5人用の大型テントだ。張り綱で歩くのにも苦労する。
ヒガさんも大いそがしだった。

僕はテントに戻って荷物を整理していたが、そのうち眠くなって寝てしまった。
気が着くと12時だった。

周りは騒がしくてここじゃとてもゆっくりしていられない。
僕はバイクで出掛けることにした。
気温は30度近くまで上がっているようで、Tシャツでも暑いくらいだ。
名倉ダムの手前から林道に入り、於茂登登山口入口付近まで行って山道を戻った。
ダムの堰堤に登ると上流左岸方向に何か新しい建物が見える。
いったいあれは何だろう。トーチカのようにも見える。さっそく行ってみることにした。

さっきの林道を進むとまだ工事中の所があり、歩道をバイクで強引に進むとそれはあった。
木で壁が作ってあって、所々長方形にくり貫いてある。
そしてダム湖方向の木が伐採されていて湖面が見とおせる。
ロケーションは抜群だ。バードウォッチング用の施設だろうか。
そこのベンチにすわってしばらく休憩。喧騒を忘れられる貴重な時間だ。

その後バンナ岳から街に出て買い物をしてキャンプ場に戻った。
少しテントの数は減ったようだが相変わらずだ。
考えてみればこんなに賑やかになるのは1年でもほんの数日。
逆に楽しんでしまえばいいんだよな。賑やかなキャンプ場も楽しいかも。

みんなそれぞれ調理器具を持っているので炊事棟は閑散としている。
コーヒーを沸かしてサマーベッドを木陰に出した。
しかしそこらじゅうにテントがあるのでスペースを探すのにも苦労したよ。
しばらく海を見ながらコーヒーを飲んでいた。

6時過ぎ、炊事棟に戻り買ってきた弁当を食べた。
浜に出るとYKさんたちがいた。蚊の攻撃を避けているようだ。
今日はターゲットがたくさんいるのであまり蚊に刺されなかったな。

聞いてみるとまだTSさんたちは帰ってきていなかった。
YKさんは「あの人達は先のこと考えないから…」と言っていた。
なるほど、僕はまだその域にまでは達していない。

しばらくするとUKさんから電話があり今日もキャンプ場に泊るらしい。
今日はお昼からピナイサーラの滝に行ったという。
いいなあ。僕ももう少し装備があれば行ったのにな。
でも彼らは僕よりも身軽だった。
僕はキャンパーとしてはまだまだだな。

暗くなってからは隣のテント村が賑やかになってきた。さかんに長渕剛の曲を流している。
とても落ちついていられないでYKさんのテントの方に避難。
僕とYKさん、OKさん。NAさんの4人で島酒を飲んでいた。

10時過ぎ、風が強くなり寒くなったのでテントに戻ったがとても寝られない。
ラジオ深夜便のテーマが聞こえてきたが、子供達のはしゃぐ声が聞こえ
深夜とは思えないほどの賑やかさだ。

結局2時過ぎくらいに静寂を取り戻した。

まあちゃんライブ 2003,5,3
昨日は急遽西表島に行ってしまったので後日アップしました。

朝6時ころ、何かの物音に目が覚めた。
WNさんがテントの撤収を始めたようだ。それにつられてNSさんも起きてきた。
2人とも今日米原を後にする。WNさんは西表に、NSさんは宮古に旅立つ。
2人がいなくなると僕のテントの周囲には誰もいなくなってしまう。

2人ともテントの撤収を終え、8時過ぎ、WNさんは荷物を積み終え米原を後にした。
WNさんは1週間後には再び米原に戻ってくる予定だ。

しばらくすると地元の人か、僕のテントの周囲を探索している。
いよいよ来たか。今日から連休後半の3連休だ。どうなるんだろう。
早速荷物を降ろし始め、5人用の巨大なテントを設営した。
その後も次々と車がやってきてテントを張り始めた。
あっというまに5張りのテント村ができ、空白のスペースが埋まってしまった。
さらにテントの間にテーブルや椅子などの大量の資材を置いていった。
まるでテントの展示場になったようだ。

10時ころ、NSさんが出発していった。

これじゃ夜が思いやられるな。なんとかここを抜け出せないかな。
TSさんのところに偵察に行くと、PTさんが今夜西表にライブに行くという。
聞くと”まあちゃんバンド”が浜でライブをやるらしく入場無料だ。

これは行くしかないだろう。急遽島抜けが決定した。
今日は鳩間島の音楽祭もある。何とか両方行けないだろうか。
鳩間島には臨時の高速船が出るようだが時間が合わない。
鳩間に行ってしまうと西表に行けなくなってしまう。
それに今からでは間に合わない。よって西表行きに決定。
ライブの後、浜で野宿するらしい。僕もそうしよう。

5時ころの上原行きの船で行くことに決まったのでしばらくまったり。
シャワーを浴びたあと、サマーベッドで小説を読んだりしていた。

3時ころ、みんな街に向けて出発。
以前からいたキャンパーの半数が西表に向かったようだ。
途中100円ショップでシートとバッグ、マックスバリューでお菓子を買った。
ちょっと物足りないのでホッパーでおむすびを2個調達した。
離島桟橋にバイクを乗りつけガードレールにバイクを繋いだ。
一晩くらい大丈夫だろう。ヘルメットは念のためコインロッカーに入れた。

少し早く着いたので、僕は4時10分の上原行きに乗った。
見たところ米原キャンパーは僕を含めて5人乗っていたが
他の人達は5時の最終便で向かうようだ。

上原に着くと送迎バスが来て、会場まで無料で送ってくれた。
5時過ぎ、星立の浜に到着、リハーサルの真っ最中だった。
開演は7時、とりあえず一番いい場所を確保した。
防波堤に座って待っていると、「おじいの船を出すので手伝ってください」と言われた。
近くにいた4人で浜に行き、浜に乗り上げていた船を海へ押しこんだ。

6時を過ぎると続々と人が集まってきた。
送迎バスは超満員で到着。降りてくる人を見ていると見たことのある人が。
先頭を歩いてきたのはYMさんだ。今朝出発したWNさんもバイクでやってきた。
ガエルも来た。この島のキャンパーのほとんどが来ているんじゃないかな。
TSさんたちもこのバスでやってきた。

7時過ぎ開演、僕は泡盛りを飲みながら見ていた。
前半は民謡やスローな曲。途中休憩が入った。

9時過ぎ、テンションが上がってきてみんな立ちあがってステージの周りに集結した。
僕も座っていられずステージに駆けよって踊りに加わった。
とたんに暑くなり汗ばんできた。下が砂なので結構疲れる。
10時過ぎまで歌って踊って大満足なライブだった。
終演後、一緒に記念写真を撮ってもらった。

ライブの後はすぐに後片付けが始まって、あっというまに撤収されて照明が消された。
しばらく誰かがジャンべーを叩いていたが、ホテルから苦情が出たらしく鎮圧された。

みんなこのまま浜に野宿しようということになった。
そのためにシートとシュラフを持ってきた。
MTさんたちは既に浜でシュラフにくるまって寝ていた。

しかし11時過ぎ、急にキャンプ場に行こうということになった。
僕はテントは持ってきていなかったが、他の人達も持っていなかった。
キャンプ場で寝るのもまあいいかな。
というわけで最終のバスに乗ろうとしたがとても乗りきれない。
再び浜で野宿しようという声も上がったが、バスがもう1便来ることになった。
僕達はそのバスに乗って某キャンプ場まで向かった。
キャンプ場に着いたがもう受け付けは終了、適当に寝ることにした。
管理人が来たら受付をしようということになった。
僕は眠くなり12時ころ寝てしまった。

潮干狩り 2003,5,2
毎日ラジオからは新型肺炎のニュースが流れてくる。
いったいどうなってしまうのだろう。もう一度中国へは行きたかったんだけどな。

6時過ぎに起きて日記のアップをして7時ころテントを出た。
天気はまあまあ。天気予報では高気圧の縁にあたり曇りの予報。
コーヒーを沸かしトーストを食べた。

朝食の後は蚊の攻撃を避けるため浜にサマーベッドを持ちだし避難。
だんだん天気が回復してきたので洗濯をした。

そして昼から出掛ける潮干狩りのために熊手を作り始めた。
ゴミ捨て場に行くとパイプ椅子の残骸があったので適当な所で折って
ハンマーを使って先端を潰し、7センチほどの所を石垣を使って曲げた。
それを2個作って針金でまとめ、ビニールテープを巻いて完成だ。

NSさんは最初ファイバーのポールを使って作ろうとしたが固定できないので諦めて
落ち葉を集める熊手を改造して作っていた。
他にも何か太い針金を曲げて作ったようだ。

11時過ぎ、トミーのパンに行ってツナとチーズのフランスパンを買って昼食にした。

11時55分、米子焼きの駐車場に集合。潮干狩りの参加者は全部で8人。
僕とWNさん、NSさん、ガエル、TSさん、UKさん、そして米子焼きの2人。
3人はバイクで、5人は軽のワンボックス車で出発。定員オーバーじゃないか。
川平線を南進し、唐人墓の手前で浜に向かった。

先頭に案内役のおじさん。ハブの季節なので棒で藪をかき分けながら進む。
その後ろを靴を履いている人が行き、最後にサンダルの人が進んだ。
藪を抜けるとすっかり潮が退いた海岸が見えてきた。
砂浜の先の小石がぎっしりと敷き詰められたような所に出た。
このあたりにいるらしい。

僕は昨日熊手を買ってあったので、作ったものをWNさんにあげた。
早速適当な所を掘り始めるが要領を得ない。
するとおじさんが「あった」と声をあげたので、その付近を掘ると貝が出てきた。
意外に捕れるもんだな。でも出なくなると全然出てこない。
どうやら鉱脈のようなものがあり、集中的に棲息しているようだ。
他の人は散りじりになったので僕は同じ所を集中的に掘った。

大きな貝が見つかると嬉しくなる。みんな黙々と掘っている。まるでゴールドラッシュだ。
1時間ほどで、プラスチックの熊手の真中の骨が折れてしまった。
これでは効率が悪い。他の人の様子を見に行くと僕が一番たくさん捕っていた。
WNさんにあげた熊手もかなり使えているようだった。
NSさんが作ってガエルにあげた物は柔らかすぎてあまり深く掘れないようだった。

陽が出てくると暑い。強烈な日差しだ。背中がヒリヒリするよ。
そのうちもう一本の骨も折れてしまったので戦意喪失。
3時ころまで掘っていて約40個の貝をGETした。この貝どうしよう。

その後僕は楽園を偵察に行った。
テントは30張り以上はあっただろうが、やはり昼間の楽園は4人しかいなかった。
日陰が無いので暑くてとてもいられない。
僕も去年、1泊で撤収した記憶がある。
楽園を出て街に行き預金を降ろしてキャンプ場に向かった。
於茂登トンネルを抜けると路面が濡れている。この辺りだけ雨が降ったようだ。

キャンプ場に戻ってきて荷物を降ろしてシャワーを浴びた。
しばらくアスレチックの塔に登って小説を読んでいた。
村上春樹の小説を読むと学生時代だったあのころを思いだす。

あのころのみんな、今は何してるんだろう。
いつも電車で隣に座っていた人とも、一度も話すことはなかった。
僕のことを覚えている人は、いったい何人いるんだろう。
誰もが、喧騒の中、無関心で足早に通りすぎていく。
でも、その中に、僕は確実に存在していて、そしてその時代を生きていた。
こことは対称的な世界だったな。ここのことなんて知る由もなかった。
もうこの世界から、抜け出せなくなるような気がする。
そんな生き方も、有りかなって思う。

夕方、ご飯を炊いて夕食を食べた。
その後昼間捕ってきた貝を食べることにした。
どうやって調理するか3人で考えた末、まず酒蒸しにしてみた。
酒はどなん。フライパンに注いだ瞬間、激しく炎が上がった。まるでフランス料理だ。
しかし中まで焼けず失敗。直火で焼いた方がよさそうだ。

網を取り出しゴトクにアルミホイルを敷いてコンロで焼き始めた。
いいにおいが広がって貝が開いた。
焼きあがったようなのでWNさんが試食した。うまいらしい。
でも腸(はらわた)が気になるのでそれ以外の所を食べることにした。
僕も1つ食べてみたが普通の貝と味は変わらなかった。

腸は集めておいてTSさんたちのヤドカリ牧場に持っていった。
しばらくして行ってみると、大量のヤドカリが集まってひしめきあっていた。
ヤドカリの引越しの瞬間も見ることができた。
小さい貝はTSさんに譲った。
11時過前テントに戻って休んだ。

明日からは連休本番。僕も観光気分を味わうために離島にい行ってみようかな。

みんなで合奏 2003,5,1
今日から5月。でもここにいると月日の感覚がなくなっています。

朝目が覚めると6時前、KPさんの見送りには間に合わなかった。
でも清水町なんですぐ近く、NMさんも沼津だ。みんなで集まれるだろう。

日記をアップしてからテントを出た。
昨日買い物に行けなかったので菓子パンとコーヒーで朝食。
今日は曇り空だが雨の心配は無さそう。でもちょっと風が冷たく感じられる。

食事の後は久しぶりにサマーベッドを浜に出して蚊の攻撃をかわす。
ラジオを聞きながらゆったりとした時間が流れていく。
去年のような喧騒は、まだ無い。

昨日来た日系のカナダ人はテントを撤収していた。
街までヒッチで行くというのでTSさんが”まち”と書かれた段ボールを渡した。
裏には”米原”と書かれていて、ヒッチハイクに使ったらしい。

炊事棟にいると、おじさんがやってきて「アルバイトしないか」と聞かれた。
タバコの葉の収穫の仕事だ。最近は毎日のようにバイト募集が来る。
製糖が長引いていて、人手不足のようだ。
僕はバイトをするつもりはないので断った。

浜に出てみるとこの前使わなかった長い薪が放置されていた。
僕はノコギリで適当な長さに切って櫓を組んだ。

昼近くなったのでこの前休みだったタカシマ食堂に行くことにした。
僕とWNさん、それと今日帰るOGさんも一緒に行くことになった。
125ccのWNさんを先頭に走る。こうして何台かで走るのも楽しいな。
街が近付いたので僕に先頭を代わった。

MTさんに聞いた通りに行ったのだがなぜか見つけることができなかった。
一方通行の出口まで来てしまったのでMTさんに電話すると
その食堂は通りには直接面してなく、駐車場の奥にあるという。それで見逃したのか。
このあたりは一方通行なので1つ先の路地を逆方向に戻り、再び今来た路地を進んだ。
しばらく進むと駐車場の奥に”高縞”と書かれた建物を発見。ここだったのか。

バイクを止め中に入るとほとんどは高校生だ。ここは八重山高校の正門前。
レストランと書いてあったがこれはレストランというよりむしろ学生食堂だ。
僕はこの店で一番高い”カツカレー”を頼んだ。
ご飯とルーはセルフサービス。自分で好きなだけ盛れる。
ルーはお替り自由だがご飯は最初の1回だけ。ちょっと多いかな、くらい盛った。
これでなんと350円。他にはカレーが300円、チャーハンは200円だ。
食べ始めると、授業が終ったのか、高校生が大挙して押し寄せてきた。
みんなおばちゃんに注文しているが、よくあれだけの数をさばけるな。感心してしまう。
本当に学食のようにごったがえしている。
そんなに食えるのかよ、と思うほど盛っている高校生もいた。

僕達もお腹いっぱいになり混んでいるので早めに店を出た。
僕とWNさんはマルチメディアセンターへ、OGさんは米原へ向かった。
マルチメディアセンターでは1時間ほどネットをしてマックスバリューに向かった。

マックスバリューでは食パンとお菓子、100円ショップでは釘と針金、熊手を買ってきた。
明日は潮干狩りに行く予定だ。

キャンプ場に帰ってきてシャワーを浴びた。
その後アスレチックの塔に登って小説を読んでいた。
すると与那国に1泊で行っていたNSさんが帰ってきた。
おみやげに”どなん”(60度の泡盛)をいただいた。

夕方、浜からジャンべーの音が聞こえてきた。
行ってみるとTSさんたちが集まって何か合奏をしていた。
楽器はみんな持ち寄ったもの。鉄筋をたたいたり鐘をならしたりさまざまだ。
僕も参加することになり、近くにあったサンゴを紐で吊るしてたたくときれいな澄んだ音がした。
リジュリジュを借りて吹いてみると意外に簡単に音が出た。
アフリカの原住民のお祭りのようだった。
しばらくみんなで遊んでいた。

6時ころ、僕は夕食を作るために炊事棟に戻った。
夜になって島人が農業用のトレーラーを引いてきた。
すごい装備だ。発電機にガーデンチェア一式、トレーラーはシートを掛けテントに。
NSさんはテントが明るいと言っていた。
かなり遅くまで発電機の音が響いていた。

今日は早め、11時半ころ眠りについた。