やじさんの日記帳  2003年3月
ちゅらさん2 2003,3,31
今日は年度末かあ。でも今の僕には実感が無い。

11月27日に事故してから、長かった通院も今日で終わりにした。
先生の診察を受けて、10のところ9に戻ったら治ったとしよう、と言われた。
やっぱりバイクに乗る時は少し痛いけど仕方ないな。
あとは保険の手続きと示談で終わりにしよう。

一昨日から妹と甥っ子が来ていた。
子供って、少し見ないうちにすごく成長するんだよね。
この前まで単語を羅列するだけだったのに、今日はちゃんと言葉になってる。
電話で話もしていた。すごいなあ。

8時から"ちゅらさん2"が始まった。
僕が小浜島で見たロケのシーンも出た。
でもあのワンカットを撮るのにあんなに時間がかかるんだね。
義弟が番組作成の仕事をしている関係で、甥っ子が一瞬だけテレビに出たことがあった。
ローカル番組で、セリフは「ありがと」だけ。でも4時間もかかったっていってたよ。

懐かしい小浜島、こはぐら壮、一風館、そしてあのメンバー。
もう気分は沖縄になってしまった。こうなると止められないな。

今ホームページの移転作業中。
どうもソフトをいくつも開いているとどれか一つはおかしくなる。
もう少しで1ページができる時にエラーが発生すると溜息が出てしまう。
XPにしないとダメかな。

快晴の一日 2003,3,30
今日は朝から風も無くいい天気。快晴だ。

9時頃車庫に降り、洗車することにした。
ずっとワックス掛けしてなかったから、全然水をはじかなくなってしまった。
洗剤で洗ったあと水を拭き取り、近所を走って水気を飛ばした。

その後ワックス掛け。ルーフから順に塗っていく。
しかしドアの下の部分からザラザラし始めた。何だ?
最初融雪剤かと思ったが、それだったら水で落ちるはずだよな。
近寄ってよく見ると、小さなタール状の物体がこびりついている。
多分道路舗装の工事箇所でコールタールがくっついたんだろう。

これは厄介だ。ワックスじゃ落ちないな。
ピッチクリーナーのスプレー缶があったので吹きつけようとしたら
ガスがすっかり抜けていて、中身は入っているのに出てこない。
仕方ないので缶の側面に穴を開け、ボロ布に付けて磨くことにした。
しかし、しっかりとくっついているのでなかなか落ちない。
何回も力を入れて擦ってやっとのことで落としたが、完全には取きれなかった。

そして掃除機で車内を掃除したらお昼になってしまった。

午後からちょっと桜の開花状況を見に沼津の門池まで行ってみた。
五分咲きといったところか。花見をしている人たちもたくさんいた。

門池の前の根方街道では、遊学館高校のマイクロバスとすれ違った。
選抜ではたしか昨日負けてしまったんだよな。
石川ナンバーだったので間違いないのだが、なぜこんな所を走っていたのだろう。

一度家に戻ってから、深良川沿いに箱根を上って湖尻峠に上がった。
有料道路を通って湖尻に出て、強羅を経由して芦ノ湖に出た。
今日はたくさんの観光客が来ていた。

箱根峠には"エコパーキング"という駐車場が供用開始されていた。
昔ドライブインがあった所だが、僕が石垣にいる間に取り壊したようだ。
今までは、峠の路肩に夜しか走れない巨大なトレーラーが止まっていて危険だった。

峠を越えてゆっくりと下り坂を降りていった。
しばらく下り、山中城跡まで来ると、カーブの先の信号が赤になっていた。
普段は押しボタン式で、滅多に赤になったことがない。

前の車が急ブレーキをかけたが、僕はここに信号があるのを知っていたので難なく停車。
しかしミラーを見ていると、後続の車が迫ってきた。
ぶつかるーと思ったが、何とか追突寸前で止まった。助かった。

街の中に入ると大渋滞している。三島大社にはこの時間になってもバスが入ってくる。

春だなあ。これからどうしようかな。

瓢箪から駒? 2003,3,29
謎の肺炎、イラク戦争で、海外旅行の是非を検討する人が増えている。
ローリング・ストーンズの中国公演も中止(延期?)されてしまった。
僕も6月にもう一度中国に行く予定なのだが、ツアー自体が中止されてしまうかもしれない。
国内旅行に切り替える人が多いようだが米軍基地の多い沖縄も敬遠されてしまうのかな。
同時多発テロ事件で修学旅行が減ってしまい大打撃を受け
それも元に戻った頃にまたこれだもんな。僕は全然平気なんだけど。
日本人の悪いところ。いいか悪いかを判断せずにみんなで流れに乗ってしまう。

開発途上国が貧しいのは、先進国の搾取によるものが多いんじゃないのかな。
同じ、一人の人間なんだよな。

テレビを見ていて気になる発言があった。
反戦デモに参加していた女性の発言だ。
「こんなにたくさんの人が反対してるのに、なぜ戦争なんてするんですかね」
僕は腹が立つのを通り越して情けなくなってしまった。
本当にそう思っているんだろうか。

戦争をすれば、いくらアメリカ軍が強大な軍事力を保持していても
犠牲がゼロなんてありえない。重い人の命が失われるんだ。
大統領の単なるエゴイズムなんかじゃない。
そんな人物がアメリカ大統領なんかになれると思っているのか。
アメリカ国民の支持率は75%だよ。
一刻も早く、この戦争が終わることを祈りたい。


今日は朝から曇り空。気温も低かった。

いらないレシートを整理していたら、オートバックスの商品券が1500円分出てきた。
去年カーナビを買った時にポイントがたまってもらったんだな。1年以上過ぎていた。
とりあえずオートバックスに行って何を買おうか物色した。
まずバイクのタンクの傷に塗るタッチアップペイント。
それからワイパーブレードが目に止まった。
ブレードは北海道に行った時、凍ったままワイパーを作動させてダメにしてしまったんだ。
これで1699円。レジで差額199円を支払って帰ってきた。

2時過ぎ、箱根の林道を走っているとだんだん暗くなってきた。
待避所に車を止めしばらくすると、パラパラと何か落ちてきた。
雹(ひょう)か?でも直径5ミリ以下だから霰(あられ)だ。
数分間降ったあと雨に変わった。

その後強烈な稲光があったあと、車に乗っていても感じるほどの地響きがした。
車に雷が落ちても人は大丈夫だけど電装品は全てスクラップになる。
下手に走らないでこのあたりにいよう。
近くに送電線の鉄塔があるから最悪そこに落ちるだろう。
5時過ぎ、雷が収まってきたので家に戻った。

明日天気がよくなったら桜を見にいってみよう。

髪が戻ったよ 2003,3,28
朝からいい天気、気温も上がりそう。やっと春が来たって実感できるね。

そろそろアフリカツインのオイル交換をしないと。
沖縄へ行く途中、福岡のレッドバロンでオイル交換して以来だからもう5000キロだ。
エンジンをかけ、近くを一回りしてエンジンを温めてから戻ってきた。
センタースタンドを上げ、ドレーンボルトを外した。
勢いよくオイルが出てきた。結構汚れているな。エレメントも替えればよかったか。
でも車の時はもっと黒かったかな。それほど汚れていないから次回にしよう。
オイルを抜き終わってドレーンボルトを差し込んだ。
1リットル缶2本を入れたがまだ足りない。あと半分くらい入れたらちょうど良くなった。
エンジンをかけ、しばらくしてからゲージを見ると最大値になっている。
少し入れすぎたかな。まあそれほど問題ないだろう。
それじゃ車庫に入れようか。と思ったらボルトを締めていないのに気が付いた。
さっき、差し込んで手で締めただけだったんだ。でも気付いてよかったよ。
高速道路を走っていていきなりオイル漏れを起こしたら大変だからな。
後ろにバイクが走っていたら転ぶかもしれない。
それより自分のバイクのエンジンが焼きついて、そこで終わりだ。くわばらくわばら。

バイクを片付けて、車にのって沼津のバイク屋にヘルメットを見に行った。
しかしそこにはオフロードタイプのメットはアライのものばかりだ。
僕はショウエイのホーネットが欲しいんだ。
店の人に聞くと、僕の欲しかったのは製造終了になっているという。
それじゃ売っている店を探すしかないな。あきらめて店を出た。

R1を西に進み富士に向かった。南海部品ならあるかもしれない。
道沿いの桜並木は一昨日よりも花の数が増えていた。週末は花見だな。
途中、沼津自動車検査登録事務所に立ち寄ってトイレ休憩。
年度末で忙しそうだ。知っている人が何人かいたが、そのまま通過。

30分ほどで南海部品に到着。探していたヘルメットが1つだけあった。
それも青のLサイズ。ぴったりだ。でも廃番になった割には安くない。
新型にしようか迷ったけど僕はこの方が好きなんだ。今使っているシールドも合うし。
店の人に聞くと、やはりこれが最後だという。33600円か、まあいいや。
ついでにSHOEIのステッカーを買って店を出た。
1480円で買った半キャップのメットにこのステッカーを貼ろう。

午後から久しぶりに床屋に行った。
石垣で思いっきり短く切られてから2ヶ月あまり。ようやく伸びてきた。
でも全体的に切られては元の木阿弥。
前髪と上の方は切らないで、周りだけ切ってもらった。
これですっきりだ。やっと元の髪の長さに戻ったよ。

家に帰ってきて散らかっていたキャンプ用品を片付けた。
要るものと要らないものをより分けた。
来週の土曜日あたりの船を予約しようかな。

衣替え 2003,3,27
日本の事実上の偵察衛星の打ち上げの日時が昨日発表された。
北朝鮮の反応はもっともで、これに対し北朝鮮が起こるのは理解できる。
北朝鮮が日本を飛び越えて発射したのはミサイルだといわれるが
原理的には同じロケットだ。
「日本は良くて、なぜ自分たちはいけないのか」
とえらい剣幕で話すアナウンサーには笑ってしまった。
北朝鮮が同じ衛星を打ち上げたら日本も警戒するだろう。

しかし日本が打ち上げる偵察衛星の解像度は1辰"発表"されている。
これが本当ならば、通常のリモートセンシングとしては利用できるが
アメリカの持つ15造里發里箸枠羈咾砲覆蕕覆ぁM廚垢襪忙箸┐覆い里澄
今までも日本は衛星データをアメリカから買っていたのだが
精密さが要求される情報はこれからも自前では得られない。
数百億円を使う価値はあるのだろうか。衛星の設計寿命は5年だ。
5年経てばまた打ち上げなければならない。

圧倒的軍事力を持つ連合軍と、劣勢と言われるイラク側。
しかしなぜ戦うのだろう。
軍隊は完全な階級組織である。上官の命令には絶対服従が鉄則である。
これは入隊と同時に徹底的に叩き込まれる。
たとえ"間違った"命令でも服従しなければならない。
連合軍の事実上の頂点にいるのがブッシュ大統領だ。
軍人である限り、命令にはいやおなく従わなければならないのである。
いかなる反対運動がおきようとも、自ら反対だとは言えないのだ。


今日は朝はいい天気だった。もう雪は降らないだろう。
そろそろスタッドレスタイヤもしまうことにしよう。
久しぶりに発電機を作動させ、コンプレッサーを回した。
油圧ジャッキ2個を使って左右のタイヤを同時に浮かす。
あとはエアーインパクトでナットを外し、ホイールを交換。
リヤはデフを持ち上げるのでジャッキは1個でOKだ。
20分ほどで交換を終えた。
早速走ってみると、これは快適だ。コーナーでのロールがすごく少なくなった。

午後になると風が強くなり、なんとなく雲行きが怪しくなってきた。
4時頃になると雨が降ってきた。春の嵐になるのかな。

午後8時、テレビから懐かしいテーマ曲が流れてきた。"連想ゲーム"だ。
あの頃のメンバーを集めるのは無理だろうけど、
せめてキャプテンだけでも呼べなかったのかな。この番組はとても好きだった。
あれからもう12年も経ったのか。
僕もテレビの前で"連想"してみよう。

いやあ、楽しかったな。
昔に比べると、さっと頭に答えが浮かんできたよ。
それだけ年月が流れたんだよな。いろいろなことを経験したということかな。
最後の1分ゲームの時計は保存してあったのだろうか?疑問が残ってしまった。

もうすぐ花見? 2003,3,26
何年も使っていなかったニッカドバッテリーパックを引っ張り出した。
たしか最後に使ったのは98年から99年にかけて小笠原に行ったときにだったな。
何回か充放電を繰り返せば使えるようになるだろう。
これをキャンプに持っていけば使えそうだな。

今日は4月中旬なみの暖かさ。
やっぱり春っていいなあ。花粉は困るけど。
沼津の国道1号線沿いの桜並木も花が咲き始めた。
今週か、来週末には花見でにぎわうだろうな。
どうして申し合わせたようにいっせいに咲くんだろうな。よく考えると不思議だ。
普通は葉が出て秋に実るんだけど、桜はいきなり花だもんな。


午前中病院に行って、午後から買い物。
結局テントを買ってしまった。そんなに高いのではないんだけどね。
前室付のが前から欲しかったんだ。
前のはトータル60日以上使ったから十分元が取れただろう。
北海道から沖縄まで一緒に旅したからな。捨てないで非常用に取っておこう。

親指も少しづつ良くなってきたな。多分後遺症は残らないだろう。
でも膝の傷と、右手の手術跡は残ってしまうだろうな。

3月ももうすぐ終わり。いったいこの先どうなるんだろう。

半年続いたよ 2003,3,25
過去の日記帳を読み返してみた。もう6ヶ月以上続いている。自分でもびっくりだ。

今日は1日中雨だったな。
10時頃から買い物に出かけた。御殿場の方は霧がかかっていたな。
この時期、キャンプ用品を売っている店は少ない。
ホームセンターをいろいろ回ってみたけどテントを売っているのは2店だけ。
今あるテントを持っていくか、それとも新しいのを買おうか迷ってしまう。
大きいテントは楽だけど重くて風に弱い。小さいのは狭いし。
ちょっと考えよう。

相変わらずテレビやラジオではイラク情勢で持ちきりだ。
民間人の死者が出るのは耐えがたい。
連合軍側の死者も増え、国務長官や大統領の苦労ははかりしれない。
強靭な精神力が必要だ。
亡くなった兵士の母親は、ブッシュが息子を殺したと言っていた。
身内が亡くなれば、誰でもそう思うだろう。
そんなことがイラク各地で起きてしまっている。
死を覚悟、なんてことは簡単には言えない。
戦争は、人間の精神までも破壊してしまう。

真実はどこに? 2003,3,24
毎日イラク情勢の報道を目にしていると、だんだん感覚が鈍くなってくる。
非常に危険な状態だと言わざるをえない。
情勢はますます深刻化しているというのに。

イラクに捉えられた米兵の映像は、アメリカ本国では無条件には流されなかったという。
国務長官の要請により、各民放は放送を自粛しいる。

お互い都合のいいことだけを発表して、一般の人には真実を知る術もない。
知る必要など無いとでも言いたいのだろうか。

湾岸戦争でも150人余りの米兵が命を落としている。
家族の悲しみは、はかり知れない。


今日一日いい天気だった。桜も所々咲き始めている。
季節は確実に歩んでいるんだんあ。


米原キャンプ場の近くにある"TACOYA"のオーナーが亡くなったという。
あの米原リーフで。
トミーのパンの2階に開店してからまだ1年も経ってないのにな。

去年のGW、開店当時、海岸にPAを繰り出し大顰蹙を浴びていた。

1月、米原キャンプ場が閉鎖され閑散としたビーチに犬を連れ、
一人ジャンベーをたたいていた姿を見たのが最後になってしまったのか。


午前中通院でリハビリ。
午後からテントを引っ張り出して、フライシートに撥水スプレーをかけた。
テント本体は日干しし、シュラフも干した。
そろそろ必要な物を集めよう。

バイク日和 2003,3,23
今日テレビで砂漠での戦闘シーンが放送された。
おいおい、こんなの流すのかよって思った。

しかしテレビからは、実際のほんの一部しか伝わってこない。
ミサイルが着弾する時や、戦車砲を発射する瞬間のあの衝撃は伝わってこない。

僕の住んでいる市には東富士演習場がある。
隣の御殿場市には自衛隊の駐屯地や、米海兵隊のキャンプ富士もある。
ヘリコプターや榴弾の炸裂する音にも慣れてしまった。
信じられないようだが僕が子供のころ、一般道路を戦車が走っていたんだ。
近くの市営グランドに空挺部隊が降り立ち、輸送ヘリが着陸したこともあった。

僕は平成4年から毎年富士総合火力演習を見学に行っている。
目の前で発射する90式戦車の120mm滑腔砲は筆舌に難い。
一瞬砲先に真っ白な閃光が走り、ほぼ同時に全身に衝撃波を受ける。
アレは音というレベルをはるかに超越している。
1秒もかからずに、1キロ先の数十センチの目標を確実にとらえる。

音もなく接近するスーパーファントム。
目の前を通過した数秒後に轟音を残して一瞬にして視界から消え去っていく。

そして地上を走る数十台の戦車などの戦闘車両と、上空を同じ速さで飛んで行くへりの編隊は、
平時でも鳥肌が立つような威圧感がある。

テレビや映画などではとても伝えられない。
実際の緊張感は僕には想像もできない。


今日もいい天気だ。気温も上がりそう。
久しぶりにバイクのエンジンをかけよう。そして洗車をしよう。
9時ころ車庫に降りていってバイクカバーを外した。

でもこれは1日がかりだ。エンジンのかかるバイクだけで10台ある。
セルの付いているのはアフリカツインだけ、あとは全部キックだ。
片っ端から車庫から出して水洗いする。そしてキックの嵐。
が、いくらキックしてもかからない。プラグを外してキックすると火花が飛ぶ。
なぜかからない。タンクを見ると空っぽ、かかるわけないな。
延々とそんなことの繰り返し。
50ccなら楽だが250のシングルとなると疲れる。
XLRは機嫌を損ねると言うことを聞かなくなる。キックじゃかからない。
仕方なく近くの坂まで持って行って押しがけだ。

結局全部エンジンをかけ、洗車を終えたのは午後2時過ぎだった。
明日は右足が筋肉痛になりそうだよ。

危険な自由 2003,3,22
日本では報道の自由が保障されている。でも自由ってなんだ。
事実を正しく報道するのは当然だ。
間違った事実を報道し、訴えられることはあっても
報道しなかったことによって提訴されたなんて聞いたことがない。
自由に報道できるという反面、報道しない自由という面もある。
それは報道するメディアの方針によって決められてしまう。

しかし”イラクの自由”の報道は完全な統制の下に行われている。
ミサイルを発射したり、バグダッドに着弾するシーン、
イラク軍の兵士が投降したり、戦闘車両が砂漠を進んでいくシーンや
国務長官の戦果に関する会見は大々的に報道される。

でも連合軍の墜落したヘリコプターや、死亡した兵士のことは
その事実だけが短く伝えられるだけだ。

イラクの国営放送から送られてくる内容は反戦ムードをあおるものだけだ。

これらは全て作戦の一部だということを我々は十分に理解しなければならない。
報道をそのまま鵜呑みにするのは非常に危険なことだ。


月が変わったらまた出かけようと思っています。

今日は午前中通院、午後からホームセンターに買い物。
3連休ということもあって、R246やR1は渋滞気味。
LEDのヘッドランプを物色、3連のもので1780円。安いのだろうか。
洞窟探検や、夜本を読んだり日記を書いたりするのに便利そうだ。
単3乾電池4本でクリプトン球のものは398円、これは激安だ。
迷った末、両方買ってきてしまった。
つい余計な物まで買ってしまう悪い癖が出た。
100円ショップに行くといらない物まで買い込んでしまう。
店に備え付けの買い物カゴが悪いのかもしれない。

再会 2003,3,21
いったい今のこの状況をどう受け止めたらいいんだろう。
意見が2分し、対立が深まってしまう。

自分の家族が、愛する人が”ならず物”の攻撃を受けたら
見殺しになんて絶対にできない。身を呈して守ろうとしないだろうか。
もし被害にあったら、法的措置だけで納得できるだろうか。
安眠を妨害する暴走族に対し、話し合いで解決しようとするだろうか。

戦争反対というのは簡単だ。
反戦運動が起きることは、ブッシュ大統領だってそんなこと百も承知だ。
アメリカに圧倒的な軍事力があることはフセイン大統領だって知っている。

それでもなんで戦争が起こったのかを考えなければならない。

あまり表には出てこないが、外国も干渉できないでいる
民族間の内戦は、想像を絶する悲惨さだよ。

平和ボケしていると外国から言われる日本。
過去の最大の失策はダッカ事件だろう。
ペルー日本大使公邸人質事件の犯人は、このことを知っていたといわれる。

イラクが生物化学兵器を使えば、アメリカは核を使うといっている。
フランスも参戦するといっている。
核が、抑止力にとどまっていてほしい。


夕方箱根を走っていると、突然友人から電話があり帰郷しているという。
ということで7時過ぎ、友人宅に向かった。
同級生がやっているという店(飲食店)に行こうということになり
近くの駐車場に車を止め少し歩いて店に向かった。
そして地下に降りる階段を下りていくと目が合った。
会うのは十数年ぶりだったが彼女は僕のことがわかったようだ。
申し訳ないが、フルネームを聞くまで僕は彼女が誰だかわからなかった。
高校3年の時同じクラスだったのだが、あまり話をした記憶がない。
ずいぶん時間が経ってしまったんだな。でも懐かしかったよ。
みんなどうしているんだろう。
またあのころのメンバーが集まることができたらいいなあ。

正義って・・・ 2003,3,20
アメリカ大統領の権力は強大だ。決して賞賛しているわけではない。
彼の発する命令書のサインひとつで、数十万人の軍隊が動き出す。
1発百万ドルのトマホークが次々と発射される。
4千5百万ドルのF117ステルス戦闘機が、発進していく。
そして金額には換え難い人の命が失われる。

この戦争がいかなるものをもたらすのかはわからないが
ただ単に、戦争を支持、または反対だというのは無責任だ。

みんな考え方が違うから争いが起きるんだ。
いったい何が悪で、何が正義なんだろう。
世界がひとつに制度の下に統治されることなんてありえない。
文明が存続する限り、争いも絶えないのだろうか。

命が失われるのは、悲しいことだよ。


朝はいい天気だったな。
1日中イラク情勢のニュースだったな。
午後から富士まで買い物に行った。
富士由比バイパス田子の浦高架橋は午後3時に4車線の供用開始だったが
すでに開通していて一部だけ1車線になっていた。
多分式典を行うためだろう。

買い物の後、須津川渓谷まで行ってみた。
開通するかどうかわからない第二東名(第二東海自動車道)の橋脚の間を抜け
川をさかのぼる。すると滝の上に大きなコンクリートのアーチ橋が架かっていた。
何年か前に来たときは影も形も無かったのにな。
どうやってあそこまで行くんだろう。
あちこち脇道の林道に入ってみたがなかなかたどり着かない。
ここだ、と思ったらバリケードで通行止め。まだ未開通なんだ。

大棚の滝に向かう階段を降りつり橋を渡ると上の橋まで行く階段があった。
しかし階段はメッシュ(側溝の蓋みたいな網状)で下がよく見える。
手摺も溶融亜鉛メッキで滑りそうだ。
おまけにかなりの高低差があり、怖くなり途中で引き返した。
もうすこし暖かくなったらもう一度挑戦しよう。
***写真は美術館にアップします***

久しぶりのバイク 2003,3,19
今日は久しぶりに太陽が出たな。太陽を見るとほっとするよ。

しばらく洗車していなかったんで、車が汚い。
毎日雨降ってたし、融雪剤がいっぱい付着して真っ白だ。
車庫から車を出して水をかけ、スポンジで洗い流す。
滑らかさが全然無く、ガサガサ音がするほどだ。
30分ほどかけて洗車し、やっときれいになった。

洗車が終わると病院に行き、昼前に帰ってきた。
今日は温かいので延びのびになっていたバイクの見積りを出してもらいに行こう。
石垣で、帰る数日前にぶつけられたんだけど直す時間が無くて帰ってきてしまったんだ。
こっちで直すことにしたんだけど今まで寒くて乗れなかった。

1ヶ月と10日ぶりに車庫から引っ張り出した。
キーを回しセルで始動。キュルキュルキュル、でもなかなかかからない。まあ当然だな。
30秒ほどでやっとかかった。しばらく暖機運転して出発しようとしたが汚い。
ちょうどお昼になってしまったので弁当を買いに行った。

弁当を食べたあと洗車をした。石垣では気が付かなかった傷を発見。
でもワックスで磨いたら消えたからよかったよ。

洗車を終え沼津のレッドバロンに向かった。
日が射しているので暖かい。20分くらいで到着。
ついでにブレーキパッドも交歓してもらうことにした。
ホークが破損した時に漏れたオイルがディスクに付きパッドにしみこんでしまい
フロントブレーキの効きがすごく悪くなってしまったのだ。

早速、パッドの交換と見積もりを依頼した。
店内の待合室でバイク雑誌のバックナンバーを読んでいると
賀曽利さんが沖縄に行った時のレポートが出ていた。
僕が名古屋から乗った船で帰ってきて、ちょうどすれ違いだったんだ。
船から降りてきて記念写真を撮っていたのが賀曽利さんだったなんて。

1時間半ほどで作業終了。なんか雲行きが怪しくなってきた。
富士山の方向は真っ黒な雪雲。まずいな。
R246の旧道を上って行くと対向車がワイパーを動かしていた。
しだいに路面が黒くなってきて、ポツポツと雨が落ちてきた。
でもこの路面を見ると、さっきまでだいぶ降っていたようだな。
僕はほとんど濡れずに帰ることができた。運がよかったかな。

御殿場の方は雪かな。すっかり体が冷えてしまったので、車を出して
近くの公園の日向で車を止めてしばらく暖まっていた。

もうすぐ4月だ。密かに計画中

最後通告 2003,3,18
ついに最後通告をつきつけてしまったか。
フセイン大統領が亡命しない限り武力行使を止める手段はなくなった。

多くの罪の無い人たちが命を失ったテロ。
決して許すことはできない。忘れてはならない。そして屈してはならない。

日本で生まれて、飢えも、争いも知らずに今まで生きてきた。

苦しいことや辛いことはいくらでもあった。

車の中で命を絶った人たちの気持ちもわからないわけではない。

なんで争いが絶えないんだろう。時々虚しさを感じることがあるよ。


今日もずっと曇り、時々雨も降った。
春の天気は変わりやすいというが、それにしても晴れないなあ。
あの石垣の海がなつかしいなあ。
また行きたくなってきたよ。
4月になれば米原キャンプ場も開くしな。
行っちゃおうかな。

一触即発 2003,3,17
今日も曇り時々雨の天気だ。

そういえば昨日も沼津で猪に襲われて何人か怪我をしたな。
僕の住んでいるところまでは15キロほどあるし、街中を抜けてくることはないだろう。

でも以前、近所でサルが出没し、隣の家ではジャガイモが盗まれたり
僕の家の中を無断で通過するということもありました。
このサルはかなり広範囲に出没し、食べ物を盗まれる事件が相次いだ。
時々飼い犬の毛づくろいをしているところを目撃されたり写真に撮られたりした。
役所は対策に頭を痛め、罠を仕掛けたが捕まらず、いつのまにか山に帰ったようでした。

今ニュースで盛んに言っているけど、アジアで原因不明の肺炎が流行しているとか。
僕も中国南部から帰ってきたばかりなんだよな。大丈夫かな。
昆明、桂林、麗江といえばベトナム、ラオス、ミャンマーの国境まで数百キロしかない。
厦門も桂林も広東省の隣だよ。
原因がバクテリアによるものなら抗生物質でなんとかなるけど、原虫の可能性もあるし
未知のウィルスじゃ対処のしようがないな。
ウィルスを特定してからじゃないとワクチンもできないし相当時間がかかる。
それにウィルスの場合は潜伏期間がある。それがどのくらいの期間なのかも不明。
ウィルスが特定されない限り抗体検査もできないとなると感染しているかもわからない。
感染経路も感染力も不明となるとどうにもならないな。対症療法しかないのか。
今のところ症状も無いようだが。

旅行業界はこの方面、大きな打撃になるだろうな。
僕も6月に九賽溝へ行こうと計画しているんだけど…。事態が収束に向かえばいいが。

それにイラク情勢の緊張が高まっているな。
フセイン大統領の対応しだいでは一触即発って感じだ。
国外退避勧告や、国連軍の撤退など尋常じゃない。

最悪の事態にならなきゃいいけど寒気がしてきたよ。あれっ、まさか…。
ここに情報あり!

信号が変わった 2003,3,16
信号が変わるのは当たり前だ。ずっと赤だったらたまったもんじゃない。
そうじゃなくて信号の変わり方が変わったのだ。

日本の車両用信号は通常は、主信号として、赤、黄、青の3連だ。
これに加え補助信号として黄色や青の矢印がある。
この矢印の消え方に2つのパターンがあったのだ。
 隣の神奈川県などでは青矢印が消える時、再び黄色が点灯してから赤になる。
◆Г修譴紡个靴得轍県ではいきなり矢印が消えるだけだったのだ。

それがふと気付くと矢印が消えると同時に黄色が点灯した。
最初は錯覚かと思った。でも別の交差点でもこれを確認。おおっ、変わったな。

交通標識や交通信号は、各都道府県の公安委員会によって設置され設定される。
だから各県によって信号のパターンが違っているのだ。

でもなぜこのパターンを変えたのだろう。
従前のいきないり消える矢印も混在している。こんな県はないだろう。中国を思い出すよ。
今は過渡期なのか、1国2制度にするのかはまだわからない。
今のところ沼津、三島では大きな交差点だけがこのパターンになっている。

気が付いた方は情報の提供をお願いします。
新しい掲示板”知って得するおいしい情報”を開設しました。


今日は朝から曇り空、ぐずついた天候だ。
午前中ダイソーに買い物。
午後から雨が降ってきたので山は雪かな?
と思って箱根峠まで行ってみたけど残念ながら雨だった。


☆☆中国の治安☆☆

僕が行ったのは厦門・桂林・麗江・昆明など比較的田舎の方なので
日本と同じくらい安全かなって気がしました。
露店のお土産屋などは、観光客とみると最初かなり高いことを言ってくるが
日本のように言い値で買うことはない。お土産では半額くらいにはなる。
それでも売るということは損をしていないということだ。

夜の街を一人で歩いていても不安を感じることは無かった。明るいところなら大丈夫だ。
でも路地裏には入らないようにと言われた。
麗江古城などのすごく混雑するところでは荷物を前に持つようにとも言われた。

大都市などでは置き引きやぼったくりなどがあるというが、
僕は北京や上海などより田舎のほうが好きだから、都市には行くことはないかもしれない。



春になったら九賽溝(きゅうさいこう)に行ってみたいと思っています。

タクラマカン砂漠にも行きたいけど40万円くらいかかってしまうので、
そっちは無理かもしれないな。

早く指が元に戻らないかなあ。もうちょっと通院が必要みたいだ。

年をとった 2003,3,15
今日は僕の誕生日だ。法律上は誕生日の前日の午前零時に加齢する。
もう年はとりたくないよ。

昨夜も寝たのが午前2時を回っていたので8時前のゆっくりの起床。
朝食を食べ早速昨日の続き、昼ころまでかかって一気に画像をアップした。
ああ、疲れた。肩がこったよ。

昼すぎ、郵パックを出しに沼津郵便局まで出かけた。


中国から帰ってきて2日経過しました。ちょっと日本と比べてみました。

今日のテーマは☆交通事情☆

地域によって違うかもしれませんし、僕の勘違いがあるかもしれません。

右側通行。信号は場所によってまちまち。大きな信号にカウントダウン表示がある。
普通の信号は赤でも右折可。

補助信号(矢印の信号)は赤と青がある。
赤の矢印が点灯している時は、その方向への進行は不可。
青の矢印は日本と同じ意味だが、青になる前に左折の青矢印が出る。

日本のように3連信号の下に矢印があるのでなく、横に並んでいる。
場所によっては6連信号になっている。

時差式信号は無い。

カウントダウン表示の無い信号では黄色になる直前に青が数回点滅する。

歩行者信号もいろいろある。アニメーションのように動くものもあるが
前後の足が交互に点滅するだけなので、コマ不足で違和感がある。

割り込み巾寄せ当たり前。

クラクションは常識、鳴らさないほうがおかしい。

対向車がいても道幅が広ければ何のためらいも無く追い越しをする。
対向車もわかっているので際に避ける。トラブルになることは無い。
追い越す時は必ずクラクションを鳴らす。

横断歩道を人が渡っていてもクルマは速度を落とさずクラクションを鳴らす。
歩行者優先でも車優先でもない、勇気優先だ。

農耕用トラクタやバイクを改造したような3輪トラックが
ゆっくりと轟音を上げながら走っている。

トラックはボンネットタイプ。キャブオーバーは2トン車クラスだけ。

積載量は積めるだけ。

馬車、ロバ車は現役。郊外では豚や水牛が道を歩いている。

電チャリはスクータータイプ。

バイクはほとんど125ccの赤色。

50ccのクスーターは見かけない。

400cc以上のバイクも見かけない。

歩行者に交通ルールはない。どこでも車の流れを縫って渡る。
渡ってる時は平気な顔をしていなければならない。走ったり戻ったりしたら負けだ。

自転車は数え切れない。3輪自転車(トライクタイプ)も多い。


ようするに、ぶつからなければ何でも有りというわけである。

パソコンとにらめっこ 2003,3,14
昨晩寝たのは昨日というか今日の午前2時ころだった。
7時前目が覚めて少ししてから起きあがり朝食を食べた。

早速荷物の整理だ。スーツケースを開けて分別開始。
あちこちで買った雑貨がけっこうあるな。
僕は観光地で売っているお土産より普通の店で売っている雑貨の方が好きだ。
鉛筆やノート、お菓子などをたくさん買ってきた。
持ちきれないほどの量になっていた。
自分の分と家族の分とをより分けた。

その後久しぶりにパソコンの電源を入れデジカメの画像を取り込んだ。
全部で400枚以上撮ったようだ。
最初の10枚ほどは1280ピクセルの高画質で撮ってたのに気付かなかった。
これじゃ重すぎてHPに載せられない。72dpiに画増を編集する。

日付ごとにフォルダ−を作って振り分けようとしたが
途中でメディアを交換したので順番が逆転している日もある。
ひとつひとつファイル名を変えて並び替えた。
これらにけっこう時間がかかる。あとは午後にしよう。

パソコンの電源を切って病院に向かった。
マイクロ波治療を受けリハビリだ。
先生に聞いたらまだもうちょっと通った方がいいと言われた。

夕方家に戻り編集を開始。
ついでに新たに取得したアドレスに移行させていた。
1年以上お蔵入りしていたホームページビルダーを引っ張り出した。
これを使えば簡単にアップできる。

しかし温泉のページがうまく画像が表示されない。何度アップし直してもダメだ。
僕のパソコン上では完全に表示されるのにな。
鍾乳洞とライブのページをアップしてみたが、そっちは完全に表示された。

おかしいなあ。なんでだろう。
フォルダーの中を点検、もしかして。
ファイル名が漢字になっているものがある。これが原因だろう。
編集前の画像とごっちゃにしてフォルダーに入れてあったが
編集後の方が漢字になっていたのだ。
編集前の画像を削除し、ファイル名をアルファベットに変えたら正しく表示された。

その後は画像掲示板にアップを開始。
いつのまにか1000スレッドまでサービス内容がアップされていたのでまだまだ楽勝だ。
しかし意外に時間がかかる。
見やすいように全て逆の順番でアップしていくので時々順番を間違えてやりなおす。

11時過ぎ風呂に入って休憩。
風呂から出て一度トップから掲示板へのリンクを切って再びアップ開始。
午前1時過ぎ、眠くなり作業中断。あとは明日…じゃなくて朝にしよう。

昆明→成田 旅の終わり 2003,3,13
いよいよ今日で中国の旅も最終日、今まで奇跡的に天気に恵まれたよ。

目覚ましは6時半にセットしたが6時に目が覚めたので
バスタブにお湯をため、ゆっくりと温まった。
シャワーを浴びて、着替えをしているとモーニングコールが鳴った。やばい、もう7時だ。
荷物はそのままで、急いで準備をして1階のカフェに向かった。

今日も適当にパンとフルーツを選び、席で食べていたがいつまで待ってもコーヒーがこない。
痺れを切らし、ウェイトレスに英語で聞いたらちょっと待ってくれと言う。
しばらくするとコーヒーを持ってきてくれた。
急いで朝食を終え部屋に戻った。

問題は荷物だ。
ここ何日か街に出るとつい衝動買いしていしまい、荷物がかなり増えてしまった。
これを予想して、スーツケースは1/3くらい空けてきたんだが既にいっぱいだ。
昨日の石林でのお土産がかさばっている。まいったな。
このままでは埒があかないので衣類を圧縮し、
小物をバラしてパズルのように隙間が無いように詰めていく。
これで何とか収まったが、なかなか閉まらない。
体重をかけて無理やり閉め、ベルトを掛けて一件落着。
7時40分部屋の前に荷物を出した。

これで今日は物理的にリュックに入るだけの物は買えることになった。
あっ、昨日買った2箱の松茸は空港渡しだったんだ。

中国では物価が安いので、高級な物を買わない限りあまりお金を使わない。
一般的な農家は1ヶ月に500元あれば生活できるという。
外に出れば朝食は2・3元だ。
それでも5つ星ホテルに泊る中国人もいる。
上海では自動車のナンバーを取得するのに4万元くらいかかるという。
一部の人達は裕福になったが、ここ昆明でも200万台の自転車が走っている。

8時20分、荷物をまとめ1階のロービーに降りた。
あと半日、最後の中国を楽しんでこよう。
若干の時間があったので。3000円分だけ元に両替した。人民元210元だ。

今日は市内観光、8時30分バスに乗りこみ最初の観光地大観公園に到着。
バスを降りると何軒かのお土産物屋があり、「千円、千円」の声が聞こえた。
もうこの”千円”が頭に焼きついて、
中国といえば”千円”のイメージが完全にできあがったな。

公園の中には池があり、塔に登って公園内を見渡した。
料金は一人2元、シャワーキャップのような物を渡され
それを靴の底に被せて上に上がる。
なるほどこれなら汚れないが、団体が来た時は渋滞するので使用しないらしい。

塔を降り絵はがきとしおりを買って21.5元。
きれいな花が植えられた道を通り公園を出た。

次は東寺塔だ。日本の東・西寺と同じように東西に2つある。
西塔の前でバスを降り、歩行者用道路を渡り東寺塔内を見学。
信号の無い道路を渡るのも慣れてしまったよ。
東塔はピサの斜塔みたいに西側に傾いていた。
入場料は5角、約7.5元で随分安いな。
中ではなぜか大極拳や麻雀をしている人達がいた。

来た道を戻りバスに乗り市内最後の観光、円通寺だ。
門をくぐり中に入ると少し下り坂になっていて、いいにおいが漂っていた。
もう一つ門をくぐり、50センチはある線香に火を付けてお供えをした。
気温も比較的暖かく桜の花が満開で、いちばんいい時期に来たのかな。
僕はこういう古い寺院などを見て歩くのが大好きだ。
記念に”縁起のいい”文字の書かれた蝋燭を買って寺を出た。

バスは場所を移動したようで、駐車場まで歩いて行くようだ。
たくさんの露店が出ていて賑わっている。
こうして中国の人達の中を歩くのはこれが最後かな。
途中露店でお札の束を売っていたので「多少銭?(トゥオシャオチェン)」と聞くと
「サンクァイ」という答えが帰ってきた。1個3元だ、安いな。
記念に2個買おうと思い「二件(リャンチェン)」と言って欲しい物を指差すと
もっと高額の物もあるといって、もう一つすすめられた。
「サンチェン」と言って10元札を渡し1元のお釣を受け取った。

簡単な会話だけど、話す言葉の違う人と意思が通じると嬉しく感じるよね。

バスに乗りもう食事かと思ったら、まだ時間があるので昆明の博物館に寄ることになった。
瓦礫の中から再生された塔は印象に残った。
ガイドさんの流暢な日本語もよかったな。
でもやっぱり最後は売り場があるんだよな。
もう少し安いお土産を置いてあれば売れると思うんだけど。

博物館を出てレストランに向かう途中車窓の景色を記憶に焼きつける。
一瞬たりとも見逃すまい。瞬きをするのも惜しく感じられる時間だ。

レストランに着き中国最後の食事だ。
じっくり味わって食べる。日本ではこんなフルコース滅多に食べられないな。
そして最後に今日誕生日の人がいたのでケーキでパーティーだ。
ハッピーバースデーの歌をみんなで歌って祝福をした。
実は僕の誕生日は明後日だけど一緒に便乗させてもらった。
こんなことがあるなんて・・・。最高の思い出ができたよ。

ケーキをお腹いっぱい食べ、出発まで少しの時間があったので
周りを歩いてみた。観光客のいない街の道路。
相変わらず無謀と思える横断とクラクションの嵐。
横断歩道を渡ってる僕に何の戸惑いも無くクラクションを鳴らす。
中国では、俺はそっちに行くぞって挨拶みたいなもんなんだね。

レストランに戻り、バスに乗り空港に向かった。
空港までは5分ほど。流れる景色を楽しむ間もなく到着。
先に届けられていたスーツケースを受け取りチェックインの手続きをする。
ここで現地ガイドさんテイさんともお別れ。楽しい時間をありがとう。
手を振って別れを告げ、空港構内に入った。

チケットを受け取りセーフティーチェックを受ける。
カウンターは空いていて誰もいない。僕が一番最初。ちょっと緊張する一瞬だ。
パスポート、航空券、ビザなどを渡しチェックを受ける。
中国の役人は何も言わずスタンプを押して返した。

その先で手荷物のX線検査。
暇だからか?なかなかOKが出ない。
モニターを覗きこむとリュックの底にある傘を指差して何度も往復させている。
コンベヤーを3往復くらいさせてようやくOKになった。

僕のあとの人はバッグにペットボトルを入れてあったので
それを指摘され、本当に水かどうか飲んでみろと言われていた。
もちろんタダのミネラルウォーターなので飲んで見せていたが
他にも缶ジュースも開けて飲めと言われたが、開けてしまうと持ち歩けなくなって困る。
それなら要らないと言って所有権を放棄するようだった。

もし可燃性の液体や毒物だったら大変だからな。
アメリカのテロ事件以降シビアになっているようだ。

搭乗ゲート前に到着し、まだ時間があったので免税店に入った。
中国のお札は記念に一通り持って帰ろうと思ったが、50元札が5枚もある。
そのうち新旧の一枚を残して使ってしまうことにした。

適当に安いお菓子やお茶を選び、149元になった。
みんな同じことを考えているので会計が混んでいる。
列に並んで待っていると搭乗が開始された。
チェックイン済ませているからまだ大丈夫だろう。

しかしこの免税店にはレジが無い。
品物を次々に袋に詰めこみ暗算で計算し、端数のあるものは電卓を使う。
そして計算が終ると電卓を客に見せる。
店員は中国の人だがかなりいいかげんだな。
でも僕の計算通り全部で149元で、150元払いお釣は1元コインだった。
初めて手にした1元コインだ。
一般の店では”角”の単位までほとんどお札だった。
それに10元以上のお札だと入念に調べる。偽札が出まわっているのだろうか。

支払いを終え、搭乗ゲートを通りボーディングブリッジに向かったが
なぜが階段を降りるとその先にバスが待っていた。
なんでブリッジに着かないのだろう。空港使用料が高くなるのかな。

バスで駐機場所まで行き、最後に周囲を見まわしタラップを上がった。
ほぼ定刻通り機は動き出し離陸をした。
どんどん小さくなっていく昆明の街、周囲は緑の畑が見える。
しかし数分で雲に隠れ見えなくなった。
これで中国ともしばらくのお別れだな。今度はいつ来られるかな。
結局雨具は一回も使わなかった。
天候に恵まれ最高の中国の旅だったよ。

アモイに着いたのがつい昨日のように思えるよ。
いつか帰国する日は必ず来るのだけど、最高の8日間だったな。

僕はどこに行っても、また再び来ることができると思っている。
行こうと思えば、絶対に行けないなんてことはまず無いよ。
行けないと思うから、これが最後だって思うから行けないんだよ。
行こうと思えば行ける。いつか必ず訪れたい国だった。
時計を1時間進め、日本時間に戻した。

3時45分ころ機内食が配られた。
さっき食べたばかりだからあまりお腹がすいてないよ。
でも到着は4時間後、仕方なく無理やり全部食べてしまった。

機長からの案内があり現在上海の上空だという。
左下を見てみると確かに雲の切れ目から建造物が見えたが
それが上海だとは当然わからなかった。
何回か左に旋回してサービスしてくれたようだ。

しばらくすると眠くなり、気が付くと外はもう真っ暗。
機内アナウンスがあり成田到着まであと1時間。

日記を書いていると着陸態勢に入り、スチュワーデスにテーブルを戻すように言われた。

夜間の着陸。機内が減光され緊張感が高まる。
でも日本の航空会社だから少し安心していられる。

8時ちょっとすぎ、新滑走路に着陸。滑走路の変更があったため若干の遅れだ。
でも4時間半の飛行時間で15分じゃまあ定刻のうちだな。

ドアが開きボーディングブリッジを歩きターミナル内に入った。
あっ、字が読める。ついに帰ってきてしまったなあ。

ターンテーブルからは参加者の中で僕のスーツケースが最初に出てきた。
ここで解散だ。もうこの人達に会うことはないのかあ。


人それぞれ育った環境も性格も違う。合う人も合わない人もいる。
全く知らなかった人達が、こうして出会い、そして別れていく。
そして、また新たな出会いと感動をを求めて旅に出る。
生きている限り、その繰り返し。でも、別れるときは、やっぱり寂しい。


荷物を受け取り他の人達に挨拶をして税関に向かった。
何人か前の人はスーツケースを開けさせられ徹底的に調べられている。
僕はパスポートを見せただけで素通りできた。
ツアーのタグを付けているとほとんど税関はフリーパスだ。

金属製の扉を出ると、そこは完全に日本だった。
急ぎ足でバス乗り場に向かった。
8時37分、バス乗り場に到着。35分発のバスがまだ止まっていた。
一度閉めたラッゲージを開けてもらいスーツケースを積み込んだ。

一人バス停に立ち、夜の空港を眺めながら感傷的な気分に浸りたい気もした。
次のバスでもよかったかな。

でもそんな気分を感じる暇もなくバスに駆け込んだ。
空港から出ると、あっ、車が左を走っている。
強引に道路を渡る人も自転車もいない。ここは日本なんだ。
途中ビューホテルでほとんどの人が降り、ワシントンホテルまでは2人だけ。

駐車場に行きドアを開けた。エンジンはかかるかな。
少しセルの力が弱いような気もしたが一発でエンジンが始動した。

9時ちょうど、ホテルの駐車場を出た。
東関道は順調だ。環状線の飯倉から3号の三軒茶屋の先まで少し渋滞したが
おおむね順調に来られた。
東名に入ると大型トレーラーで74式戦車を運んでいる。それも何台もいる。
えっ、なんで東名をこんなのが走ってるの?74は確か40トン近くあるはずだ。
でも一般道をこれが走ったら一般の人に威圧感を与えてしまうだろうな。

秦野中井パーキングで軽く夜食をとった。
御殿場インターで僕は降りたが、戦車もここで降りていった。
夜の農免道路を走り23時50分家に到着。

本当に帰ってきたな。お昼を食べたのが中国だったなんて信じられないよ。
これで今回の旅も終わり。楽しかったなあー。

昆明 最後の夜 2003,3,12
今日も目覚ましが鳴る数十秒前に目が覚めた。5時ぴったりだ。
ゆっくりとシャワーを浴びているとモーニングコールがあった。
アモイと桂林のコールはテープだったんで、ここもそうかと思っていきなり切っていたが
昨日はどうも肉声のように聞こえた。
こっちが受話器をとったタイミングで「グッモーニン」と言うのでそうかもしれない。
今日は英語で答えてみたら向こうも応答した。2日間イヤな思いをさせてしまったかな。

シャワーから上がり急いで荷物をまとめる。荷物の回収は6時半だ。
でも3連泊だから楽だったな。毎日荷造りしなくて済んだもんね。
中国でのことは僕の記憶中枢が正常に機能している限り忘れないだろう。

6時半スーツケースを部屋の外に出し、1階のカフェに降り慌ただしく朝食を食べた。

部屋に戻り手元に残った荷物をまとめ、7時、荷物を持ってロビーに降りた。
チェックアウトを済ませバスに乗りこんだ。外はまだ暗い。
7時15分バスはホテルを後しにした。これで麗江ともしばらくお別れだな。

薄暗い市街地を通りぬけ、郊外に出た。
右手に段々畑を見ながら空港に近付いてきた。
30分ほどで麗江空港に到着。3日前到着した場所だ。
早いなあ、さっきここに降り立ったような気がしたのにな。

外はだいぶ明るくなってきた。

空港に入り売店でお菓子を2つほど購入。
チケットを配った時、一人だけ見つからないというトラブルもあったが
結局他の人のチケットに挟まっていたのがわかって事無きを得た。

チェックインを済ませセーフティーチェックを待っている列で
4日間ガイドをしてくれた任さんと一人一人握手をして別れを告げた。
任さんのガイドは明るく楽しく、また信頼のおけるものだった。
いつか再び麗江を訪れた時、また会えたらいいな。

セーフティーチェックを済ませ待合室で待っているが定刻になっても搭乗開始しない。
結局40分遅れで出発。中国ではこれが当たり前らしい。
滑走路に出たので窓から右の翼のフラップを見ると亀裂が入っている。
こんなんでいいのかと思うよ。

麗江の空港の滑走路は長いのでSTOL性能のいいB737でも余裕をもって離陸。
石垣空港に比べ加速感が無いのがやや残念だ。

高度を上げていくにつれ街並みが小さくなっていった。
いつかまた必ず戻って来るよ。

10時過ぎ、無事昆明空港に着陸。飛行機を降りると暑い。
4日間標高2400辰砲い燭らね。
昆明も1900辰呂△襪麗江より暖かい。
バスに乗り到着ロビーで荷物を受け取った。
ここは麗江に行く時乗り換えた空港だから見覚えがあった。

昆明空港からバスに乗り一路石林へ約2時間のバスの旅。
郊外に出てからは朝早かったのでうとうとしていた。

途中ショッピングセンターでトイレ休憩をした。
店員は何人もいるのだが店は電気が消されカーテンも閉められていた。
商売をする気があるのか疑問だ。

石林に到着し昼食を食べるためレストランに行ったがまだ準備中ができていなかった。
日本からチャーター機で来た農協の190名余り団体が食事を終えたばかりだったのだ。
いま片付けているので待ってほしいとのことだ。

食事を終え、奇妙な石の間を縫って歩いた。
今日もいい天気で歩いていると汗ばむような気候だ。
しかし中国の人は写真が好きだな。
展望台などで景色を楽しんでいると、遠慮せずにどいてくれと言われる。

一通り歩いた後バスに戻ったが、お土産やに寄ると
いろいろな物がすごく安い。ある物は15個で千円という。
千円でもかなり余裕がありそうな雰囲気だったので
ちょっと無理かなと思ったけど50元でどうかと聞いたらあっさりとOKだという。
他にも10個千円の物を15個千円で買ってきた。
でも重量は無いが、かなりの容積になってしまった。持って帰れるかな。

帰りのバスでも出発して少しするとみんな寝ているようだった。
僕もいつのまにか夢の中へ。ふと目が覚めると昆明が近付いていた。

急な坂を下っていると、突然前の車が白煙を上げながら急ブレーキをかけた。
すると一瞬後輪が持ちあがり前のカルタスに追突して停車。
僕の乗っているバスも間一髪で追突を逃れた。
追突された車はさらに前にいたバスに玉突き衝突。
その先で起きた事故のため渋滞していたのだ。
すぐにたくさんの人が集まってきて人だかりができた。
僕は前から2番目に座っていたのでその一部始終を見ていた。

しばらくすると車の列が動き始めたので事故車を横目に見ながら通過。
怪我人は無かったようだ。
中国では大きい事故以外は警察を呼ばずに示談で済ませるという。

昆明の市街地に入り、国営のお茶の商社に寄りお茶を試飲してホテルに入った。
万怡(マリオット)酒店☆☆☆☆は今まで泊ったホテルでは一番豪華だ。
スイートルームみたいだ。

一度部屋に荷物を置いた後、別のホテルのレストランで夕食。
朝食以外は全て中華のフルコースだったが全然飽きないな。
最初来る前は毎日中華で食べられるか心配だったけど、とり越し苦労だったようだ。

夕食後一度ホテルに戻り、ホテルの周囲を散策。
近くにスーパーがあったので、文房具売り場を見て回った。
ここも例に漏れず安い。クレヨン25色3.5元×2、ハードカバーのノートが2元×4
トランプ2.5元×2、鉛筆0.8元×10、陸軍棋ゲーム5元×2個を購入、全部で38元。
あまりに安いので計算が間違っていないか確認する気にもならない。

まず品物をカウンターに持って行き金額を計算して伝票を書いてもらって
別の所で支払いを済ませる。支払い済みのスタンプを押してもらい
その伝票を持っていき商品を受け取る。
中国ではこういうシステムも多いらしい。

他にもいろいろ欲しい物があったが持って帰れるか心配なのであきらめた。

その後少し歩いた所のお茶屋さんに行った。
お茶を買おうとして試飲させてもらったが、今日見たお茶の入れ方と同じだった。
最初10050元を1割引しかできないと言っていたが
添乗員さんが交渉してくれて、たくさん買うからと2割引の40元になった。
さっき寄った国営のお茶屋さんの1/4以下の値段だ。
みんなが買ったので僕も2缶買うことにした。
全部で600元くらいは買っただろう。

一緒に行った人がお店の人にトイレはどこかと聞いたらトランプをしていた店のおじさんが
わざわざ付いて行ってくれてホテルのトイレまで案内してくれたという。
戻ってきてからは段ボールのテーブルを囲んで何か話しているようだが
言葉は全然わからないけど身振りを見て大笑いしている。
最後にはみんな笑顔で記念写真を撮った。
中国にツアーで来て地元の人と交流できるなんて思わなかったな。
言葉は通じないけど同じ人間なんだなって思ったよ。
添乗員さんがいい人でよかったな。

10時過ぎホテルに戻ってきた。
中国最後の夜は最高に楽しい夜になったよ。

麗江2日目 3600メートルへ 2003,3,11
今朝は2枚の布団のおかげで寒い思いをしないで済んだよ。
ちょうど6時、目覚ましが鳴る直前に目が覚めた。外はまだ真っ暗。
毎日結構歩いて疲れるけど、こういうストレスの無い疲れって
風呂に入って一晩寝るとほとんど抜けてしまう。寝起きもいい。

起きあがって早速シャワーを浴び身支度を整え、6時40分1階のカフェに降りた。
まだオープンしたばかりで人影は疎だ。
適当にパンとフルーツを選んで席に戻り食べた。

部屋に戻り出発の準備をして8時20分ロビーに降りた。
人民元があと100元しかなくなってしまったので5000円分だけ両替した。
今日のレートはすごく良く、100円が6.99元。昨日別のホテルは6.59元だった。
僕が中国に着いた日は6.95元だったので今までで最高のレートだった。

8時30分出発。曇っていて寒いが青空も見える。
最初に行ったのは黒龍潭(たん)公園。
湖の水は湧き水で澄んでいるが黒色をしている。

公園を抜け、出口の所にある東巴(トンパ)博物館を見学した。
東巴文字を書ける人はもう二十数人しかいないらしい。
その内のひとりの先生が、注文に応じて文字を書いてくれる。
僕も自分の苗字をトンバ文字で印鑑を彫ってもらったが
象形文字で、言われてみればそうかなあと思うくらいで解読は不可能だ。

出口の所でトイレに寄った。
中国の公衆トイレは有料の所が多く、ここも2角(約3円)徴収された。
有料なのにニーハオトイレだった。そんなもんなのかなあ。

次は納西族の束河村という所を訪ねた。
まだあまり観光化されていないので観光客より地元の人のほうがずっと多い。
女性は畑やお店で働いていて、やっぱり男はブラブラしている人が多い。
幼稚園?では3歳くらいの子供達が声を合わせて歌を歌っていた。
かわいいなあ。みんな楽しそうに歌っているよ。

ここでは人々の暮らしを生で見ることができた。
こういう所に来たかったんだよ。

でもやっぱりお土産屋さんがあるけどね。
僕は東巴文字の刺繍入りのコースターを2個10元で買った。
この時値切れば多少安くなっただろうが値切ることはしなかった。
店の女の子はどことなく誠実そうで、5元じゃそんなに高くなく良心的な値段だ。
別の店で同じ物を売っていたので聞いてみたら10元だった。

広場ではなにやら見慣れない食べ物を焼いて売っていた。
納西族の人達は食べ慣れているだろうが僕が食べたらどうなるだろう。
ちょっと不安なのでパス。

村を一通り歩いたあと、農家のお宅を訪問させていただいた。
なんて言ったか忘れてしまったが、門をくぐると中庭?があり、
3方が倉庫や台所、居住空間になっている造りの屋敷だ。
少し奥の方には鶏や豚が飼育されていた。
軒には唐辛子やトウモロコシがいっぱい干してあった。
そこで頂いた手作りのクッキーはおいしかったな。

途中でパッカーらしい女の子がたくさんのカメラを持って写真を撮っていた。
どこかで見かけたことがあるような気がするが・・・。
パッカーは世界中を回っているからな。
日本のどこかで見かけたという可能性も無いこともないかもしれない。

僕は有名な観光地よりこういう素朴な風景が好きだな。
璃江下りのときに見た歩くツアーは日本からは無いらしい。
普通は観光地を高率良く回るからな。
危険も伴い体力でも差が大きく出るようなツアーは日本じゃ企画されないかな。
空港やホテルで現地の旅行社に手配してもらうしかないのか。
ここは今まで観光した中で最高だったよ。

バスに戻り途中食事をしてから云杉坪(うんさんへい)へ向かった。
市街地から少しだけいい道路だったがすぐに悪路に変わった。
運転手のシートはサスペンションが付いているからいいが乗客は直に衝撃が来る。
山に向かう狭い直線路を快走する。
石造りのような建物のレストランで昼食をとった。

そこから15分程で云杉坪の駐車場に到着。
リフトの待ち時間は1〜2時間と聞いていたが、行列は予想をはるかに越えていた。
これじゃ3時間か4時間待ちになるという。ダメだこりゃっ。

そこから少し離れた耗牛坪(耗は本来は牛辺、もうぎゅうへい)という所は
云杉坪より空いていてリフトにはすぐに乗れるという。
40分ほどかかり、40元の追加になるが全会一致で行き先を変更。
僕としては耗牛坪の方が高いところまで登れるのでよかったのだ。

恐ろしいほどの断崖絶壁を猛スピードで駆け上がっていく。
まるでラリーのSSのように飛ばす。
この道はカーブがきつく高低差も激しい。
カーブミラーはおろかガードレールさえ無い。
おまけに運転手はまた途中で携帯で電話している。
路面は石を敷き詰めたガタガタ道。
コースアウトしたら数百メートルの谷底に転落だ。生きた心地がしないよ。

ようやく耗牛坪が近付いてきた。
少数民族の集落があり、ヤギや馬が放牧されていた。観光登山用の馬もたくさんいる。
ここでも男達はビリヤードなどで遊んでいた。

駐車場に付くとバスは数えるほどしか止まっていない。
リフトは待ち時間ゼロだった。ゴンドラに乗りこみ登り始める。
このリフトはゴンドラがワイヤーから外れない低速リフトだ。
一応屋根はあるがシールドは無い。
一番下でも標高が3000メートル以上あり寒い。雪も舞ってきた。
日本のリフトなら中から開けられないし、
普通のリフトにしても高い所には保護ネットが張ってある。

しかしここは中国だ。手を伸ばせばドアを開けられるし保護ネットなんて無い。
下は100メートルはあろうかと思える谷底だ。
中国製のリフトはどうも信用ならない。
ワイヤーが切れるなんてことは無いと思うが早く着かないか焦ってしまうよ。

20分程で標高3600メートルの耗牛坪に到着。
空気が薄いので少し動いただけで息が切れる。
2日間2400段佞蠅砲い燭里任泙世いい、直で来たら高山病になるだろうな。

30分ほどの自由時間ができたので、先の馬乗り場まで行ってみることにした。
木の階段を一度谷に下り、また登る道だ。
ガイドは30分くらいかかるというが、見たところそんなにかからないだろう。
早速木道をかなりの早足で歩き始めた。僕は歩くのは早いのだ。
階段を下って一番低いところまで来た。所要時間約5分。
なんだ、なんてことないじゃないか。それじゃ上まで言ってみよう。

しかし階段を登り始めると様相が一変した。
足は何ともなく軽く上がるのだが息が付いてこない。
普通ならこんな階段走ってでも登れるのにな。心臓がパンクしそうだ。
SPO2が低下し意識を失うと困るので、加減して登る。
今までこんな苦しかったことはなかったよ。
それでも何とか登りきった。2分ほどは息が荒く話しもできなかった。

所要時間は11分だった。しかしそこでは馬に乗らないかと客引きがうるさい。
中国語で何を言っているのかわからないが、多分馬を勧めているのだろう。
あまりにしつこいので下山開始。まだ登りもあるから早めに下りよう。
途中同じグループの何人かとすれ違ったが上まで行ったのは僕だけだった。

しばらく雪山の景色を堪能したあとリフトで下山開始。
帰りは行きにも増して寒い。下がよく見えるので余計に怖かった。
何とか無事下山。ホッとしてバスに乗りこんだ。

しかしホッとするのはまだ早かった。
来た道を戻らなければ帰れないのだ。しかも下り坂。
麓に下りるまでおちおち寝てもいられなかった。
やっとカーブの連続が終ったころ眠ってしまった。

気がつくと市街地、お土産物屋に寄ってホテルに戻った。

しばらく休憩したあとは東巴古楽を見に再びバスに乗りこんだ。
納西族の民族音楽や踊りを見られるのだ。

昨日と同じ麗江古城の前でバスを降り、メインストリートを歩いて劇場に向かった。
開演は8時なのでまだ20分弱時間があったので自由時間になった。
僕は近くのスーパーに駆けこみ店内を散策した。
見なれない物が信じられない値段で売っている。
ここは全て値札が付いているので価格交渉をしなくてもいい。
お菓子ばかりカゴいっぱいの買い物をして全部で65元1角。約980円、信じられない。
後ろでレジを待っていた人は、なぜこんなに買いこむのか不思議そうな顔をしていた。
本当はもっと買いたかったんだけど時間がなくなってしまった。

劇場に入ると欧米の人達も見かけられた。
解説は中国語なのでわからないが、音楽や踊りは国境はないからね。
やっぱり異文化の音楽や踊りはすごく新鮮で興味深い。中国にハマってしまったかな。
あっという間に1時間半が過ぎてしまい劇場をあとにした。楽しかったなあ。

周囲は真っ暗になり、星空を見ながらバスに乗り9時半過ぎホテルに戻った。
明日朝麗江を離れるけど、ここも必ず再び訪れたい所になったよ。
こんどはフリーで来たいな。

明日は7時10分出発だ。
10時半過ぎ、そろそろ荷物を整理して休むことにしよう。

麗江1日目 快晴の一日 2003,3,10
ここ麗江は標高が2400メートルもある。富士山の5合目と同じだ。
ビールや炭酸飲料はコップに入れると泡だらけだ。
少し動くと息が切れる。やっぱり空気が薄いのか。高山病が心配だ。

今日も目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
地元の人は寒いのが当たり前だと思っているらしく、
ホテルの暖房の効きが悪い。というより効いていないんじゃないか。
温度を最高にしても暖かい風が出てこない。服を着て何とか我慢できる程度だ。
日本のように浴衣1枚というわけにはいかなが、中国ってこんなもんかな。

寒いのでバスタブにお湯を溜めゆっくりと温まった。
でもバスタブは浅く、身長181センチの僕は、肩まで浸かると膝が出しまう。
足を伸ばすと半身浴だ。最後に熱いシャワーを浴びるしかないな。

7時過ぎ、迷路のような通路を歩いてエレベーターに向かったが今日も迷ってしまった。
やはり4階にはエレベーターが無く、一度3階まで降りなければならなかった。
食事を済ませると空がだいぶ明るくなってきた。
4階のバルコニーに出て東の山を眺めると、稜線は次第に明るさを増していき
7時45分太陽が顔を出した。中国に来て初めて見る日の出だ。

中国の人は朝が早いな。
近くの工事現場では7時半ころからどこからともなくたくさんの人が集まってきて作業を開始した。
女性の姿も多く見える。時折大きな声を上げたり歌を歌ったりしてしている。
スラックスにジャケット姿で軍手を着用して作業にあたる人もいる。
ヘルメットはだれも被っていない。日本では考えられないな。

8時半、全員ロビーに集合しバスに乗り出発。今日は虎跳峡だ。
虎跳峡まではバスで2時間半。しかし寒いな。でも今日は雲一つ無い快晴だ。
今まですぐに乗ったり降りたりだったので、今回はゆっくりと観光気分を味わえるな。

市街地を抜け郊外に出ると道も細くなり路面も悪くなった。
そのうえこのバスは中国製で、サスペンションはリーフスプリング。
さらに車軸懸架でバイアスタイヤ、運転席だけサスペンション付きのシート。
これじゃまるでトラックだ。

中国の運転手は道がせまかろうが対向車がいようがおかまいなしにスピードを出す。
これでもか、というくらい出せるだけのスピードだ。
これでエアサスだったら全員グロッキーだよ。

とてもまともにカメラを構えたりゆったりと座ったりしていられない。
気を抜くとガラスに頭をぶつけてしまう。しばらくすると腰が痛くなってきたよ。
これがあと2時間続くのか。僕は楽しいと思うけど他の人はどうかな。

このあたりに住んでいるのはほとんどが納西(ナシ)族の人達だ。
納西族は母系社会。外で仕事をするのは女性。男性は昼間遊んでいるという。本当かな。

土やレンガで造った2階建ての建物が続く。
なるほど重い荷物を背負って歩いているのは全て女性だ。
男性はというと…タバコを吸いながらブラブラ歩いていたり麻雀をしていたり
ビリヤードをしている人達もいる。起きるのも9時とか10時とか。
その横で女性達はしっかり仕事をしている。
なんかうらやましい気もするが・・・。

途中燃料補給、給油中もエンジンを止めない。軽油は中国語では”柴油”と書く。

狭い急なワインディングが続く。前後左右に加え上下にも揺れる。
峠を越えると景色が一変、段々畑が続いている。
段々どころではないな、段々×10くらいだ。よくこんなに開墾したな。
所々菜の花が咲いていて、まるでパッチワークのようだ。
下に流れている川は揚子江の上流。狩野川くらいの広さだ。
そして川向こうはチベット自治区だ。橋を渡るとお金を取られるらしい。

途中お土産物やでトイレ休憩。
ここのトイレは日本の物とは全然違う。知らずに来たら驚くだろう。
小の方はタイル張りで横幅の長い流しのようになっている。
大の方(女性用も)は左右に1メートル程の仕切りがあるだけで
天井もドアも無い。座っていれば横からは見えないが後ろからはまる見えだ。
そして床の中央部分が幅30センチくらいテーパーになっていて奥に滑るようになっている。
でもここのトイレはかなり上等な方だという。通称ニーハオトイレというらしい。

休憩を終え再びバスに乗りこみ虎跳峡へと向かう。
相変わらずのスピードと振動。上の棚に乗せた荷物はすぐに落ちてくる。
車や人がいるとすぐにクラクションを鳴らす。それもヤンキーホーンのようにうるさい。

のどかな川沿いの田園風景の中をバスは走り続けた。
時折農耕用トラクターを改造したようなトラックを追い越す。
エンジンはクランクハンドルで始動、フライホイールと3連のVベルトが露出している。
これに砂利を満載すればスピードが出るわけがない。
トラックの荷台に人を乗せて走っているが、これは沖縄の離島でよく見た光景だ。

道沿いにはきれいな菜の花やスモモの花が満開だ。思わず見とれてしまう。

約2時間、バスはようやく駐車場に到着。ここから虎跳峡まで徒歩約45分。
嬉しいなあ。ずっとこういう所を歩いてみたいと思っていたんだよ。
バスを降り歩き始めた。石畳の歩きやすい歩道。
途中から絶壁をへつった歩道になった。カタカナのコの字のようだ。
水面からは2・30メートルか。手すりはあるが腐りかけた木の物や3段の鎖だけ。
怖くてあまり崖際を歩けない。

川の向こう側には水面から100メートル以上はあるだろう崖っ縁の道が見える。
うわーっ、すごいなー。大雨でしょっちゅう崖崩れがあるらしいが車が行き来している。
落ちたら100%助からないな。でも行ってみたいよ。

30分ほど歩くとトンネルがあり、その先に虎の像があった。
トンネルを抜け、展望台に上がるとものすごい激流が見えた。
さっきまであんなに穏やかで広かった川が、ここで一気に狭まっている。

昔ここを虎が飛び越えたことが名前の由来だと言うがこれじゃ無理だよ。
渇水期にかなり勢いをつけ、相当高い位置から飛べば、
飛び越えられないこともないかもしれないけど着地したら命はないだろう。

V字型の谷、深いと言われる黒部峡谷ともスケールが違う。
山のピークから水面まで3900メートル。富士山より高いんだよ。
見上げても、頂上が見えないくらいに険しい。

本当は川の向こう側の展望台に行きたかったんだけどな。

帰りも30分くらいかけて駐車場に戻ってきた。少し汗ばむくらいに気温が上がっていた。
朝は氷点下、昼は20度くらいまで上がり、気温差が大きい。

同じ道を戻り川沿いのレストランで昼食。中華料理は意外に飽きないもんだな。
またしても味見係になってしまった。しかし食べられない物は出さないだろう。
親切に勧められていろいろ食べたらお腹いっぱいになった。

出発まで少し時間があったので周囲を散策。
標高が高く空気も澄んでいるので紫外線が強く日射しは強烈に感じる。少し日焼けしたかな。
近くに真っ赤な大きな看板があった。何て書いてあるのかわからなかったが毛沢東だけは読めた。
やはりこっちは気温差が大きいな。フリースを脱ぎトレーナーだけでちょうどいい。

再びバスに乗り川沿いを走る。今度は席が右側なのでよく見える。
途中3つの川が合流する所が見える展望所に寄った。
ここにも屋台のおみやげ物屋があったがみんな鍋を囲んで食事中だった。
おいしそうだな。たまにはレストランの食事よりこんな素朴な理食も食べてみたいな。

しばらく停車してバスは走りだした。
心地よい疲労感と食後ということもあっていつのまにか眠ってしまった。
気がつくと麗江の市街地に入るところだった。

予定では今日の観光はここまでだったが、まだ時間があるし
明日のスケジュールがハードになりすぎるので、
麗江古城と木府を今日に前倒しすることになった。

麗江古城は世界遺産に登録された。
古い街並み、狭い石畳の道を進んでいく。
観光客はたくさんいるが、これが閑散としていたらかなりいい雰囲気だな。
しかし1階はほとんど土産物屋か喫茶店に改装されてしまっていた。

途中の広場で自由時間があったので、狭い裏路地に入ってみた。
観光客は誰もいない、地元の人だけが通る道だ。
しばらく進むと石畳を全て剥がし、工事をしていた。
配管を埋めこむ工事のようだが歩きにくい。
まだ固まっていないセメントを踏んづけてしまったが誰も見ていなかった。よかった。

集合場所に戻り、今度は木府に向かった。
ここは観光客も少なく閑散としていていい雰囲気だ。
階段を登りきると古城の何百という家々の屋根が見渡せる。
何百年も前から変わらない街並みだ。
しばらくこの街並みと周囲の山々を眺めた後階段を降り古城を出た。

ここからは納西族の人達が住む閑静な住宅街だ。
さっきのような喧騒とお土産物屋も無い。
湧水の出ているところで野菜を洗ったり洗濯をしている人がいた。
ちょっとだけ人々の暮らしの一端を見ることができたかな。


でも、考えてしまうな。僕はこうやって人々の住む街を観光で歩いて回って、
少しだけだけど本当の中国の路地裏を見ることもできた。
僕達の生活水準とはまるでかけ離れた世界だった。
今まで、テレビで見る程度で、こんなに身近に感じることはできなかった。
僕は毎日フルコースの料理を食べたいだけ食べ、四つ星以上の高級ホテルに泊って。
こんなに豪華な旅をしたのは初めてだったけど、これでいいのかなって。

僕一人の力ではどうにもならないけど、世界の人々が
貧困から脱することができないだろうか。
中国では売っている品物がケタ違いに安いけど、値切ればもっと安くなる。
生きるために一生懸命な人々の姿を見ると、僕は値切る気になれないよ。
僕に何かできることはないだろうか。みんな同じ人間なんだよな。
僕が生まれたのが偶然、最低限の生活には困らない日本だっただけなんだ。


レストランまで歩いて行く途中ユースホステルを発見。
わーっ、いいなあ。ここに泊ってみたいよ。
日本ではユースを利用するけど、海外なんて考えもしなかったな。
今度この街に来た時は必ずここに来ようと思った。

レストランに着き食事をして、後7時過ぎホテルに戻った。
今日もよく歩いたな。心地よい疲労感だ。今夜は出歩かずゆっくりと休もうか。

7時半になってもまだ明るい。8時ころようやく暗くなった。

ホテルに戻り暖房が効かないと苦情を言ったら、暖房が故障しているという。
まあ我慢できないほどじゃないんだけどね。でもやっぱり少し寒い。
しばらくすると呼鈴が鳴り、ドアを開けるとホテルの人が布団を2枚持ってきてくれた。
暖房が効かない代わりに持ってきてくれたんだろう。

僕の部屋はNHKの行っている海外向け放送も映らない。
他の人に聞いてみると映る部屋もあるという。
これはBSじゃなくてCSを使った放送だと思うが、ここで受信するには
相当高性能のパラボラアンテナとブロックダウンコンバーターが必要だろう。
BSは内陸の麗江までは届かないはずだ。昔は見られたのかも知れないが
韓国から文化侵害になるといわれて指向性を高めてしまったんだよな。

9時半ころ、風呂に入り洗濯をした。荷物を減らすため着替えを最小限にしたからね。
ここ麗江に3連泊だから洗濯物が乾かないという心配は無い。

テレビはあきらめてラジオをつけてみても聞こえるのは中国語とロシア語だけ。
短波放送が聞けるラジオを持ってくるべきだったな。
中国語のテレビでも見ながら寝ようかな。

桂林2日目→麗江へ 2003,3,9
今朝はゆっくりの起床、目覚ましは6時半にセットしたが6時に目が覚めた。
セットを解除し、しばらくするとまた寝てしまい、次に目が覚めたのが7時だ。
急いでシャワーを浴びて身支度を整え、7時半ころ一階のレストランに下りた。

レストランのカウンターで食券を渡すと2番のテーブルを指定された。
しかしまだ早かったのか、他の人達もまだあまり下りてきてなくて
2番のテーブルは僕だけだった。

さっそくパンをいくつか選び、レタスとバナナ、ミニトマトを持ってきた。
飲み物はとりあえずオレンジジュース、席に戻り一口飲むと、何だこりゃー。
ホットジュースなんて聞いたことがない。生ぬるいなんてレベルじゃない。
まあ飲めないわけじゃないけどなあ。

部屋に戻り荒れ果てた荷物を整理、連泊するとどうも散らかってしまう。
8時半ギリギリにスーツケースの荷物をまとめ部屋から出した。

しばらくすると部屋の呼鈴がなった。出てみると誰もいない。
左右を見ると、左側の部屋の前に小さな女の子が立っていた。
なんだ、隣の呼鈴だったのか。よく響いてくるので勘違いしてしまった。

出発までまだ少し時間があるので中国語のテレビショッピングを見ていた。
何を言っているのかまるでわからないが、見ているだけでおもしろい。
これを日本でやったら公正取引委員会から警告を受けるだろう。
その前に放送なんてできないと思うほど怪しい物を売っている。
出演者のわざとらしさには笑いが止まらないよ。

9時10分ころロビーに下りた。
今日はゆっくりの出発。9時半にバスに乗りこみ象鼻山へ向かった。
ここは確か昨日寄ったお土産やのすぐそばだな。
日曜日とあってすごい人だ。

バスから降り公園に入り川原に降りると右岸側に
まるで象が水を飲んでいるような巨大な岩がある。
辺りには有料で写真のモデルとなる孔雀や鵜飼の人達がいる。
中国の民族衣装を着た女の子はモデル料は日本円で100円だ。
しばらく滞在してバスに戻ったが、あの岩の上に登りたかった。
それに筏も乗って見たかったし。また今度、いつ来れるかな。

バスは七星公園に到着。またしても千円攻撃が始まった。
確かに安いような気もするが、飾りを20個も買ってもどうしようというのだ。
公園に入りしばらく歩くと虎のオリがあり門が開いていて人が出入りしている。
えっ大丈夫なの?虎は時々うなり声を上げているがおとなしそうだ。
20元で虎に乗って写真が撮れる。何人かが恐る恐る虎にまたがっていた。
日本では絶対にこんなことできないだろうな。

その先は有名なラクダ岩。本当にラクダが座っているように見えるよ。

今日の観光は本当はここで終りだがフライトまでにかなり時間がある。
急遽芦笛岩に行くことになった。やった、思わぬ展開だ。
桂岩といえば芦笛岩だ。鍾乳洞好きの僕にとっては
なぜ日程表にここが無いのを残念に思っていたのだ。

すぐにバスに戻り芦笛岩に向かった。公園からは意外に近いのだ。
バスを降りると今度は千円に加えて子供達の百円攻撃だ。
音色の変わる竹の笛を100円で売っている。ちょっと高い気がするな。
道路沿いに屋台がたくさんありどこでも変わらないような物を売っている。

階段を10分ほど歩いていくと入口があった。
入口は日本の鍾乳洞と変わらないな。中はどんなもんだろう。
少し進んだところで思わず言葉を失った。

こんな巨大な石柱なんて見たことないよ。
僕は日本中の鍾乳洞を回り、秋芳洞はすごいと思ったがそんなの比べ物にならないよ。
さらに進むと巨大なホール。日本の物とはけた違いに大きい。スケールがまるで違う。
赤や緑、紫色にライトアップされた、幻想的な夢の中の世界に引き込まれたようだ。
本当に、この世の物とは思えない神秘の世界だ。

地震の多い日本ではここまで成長する前に崩落してしまうだろうな。

30分ほどかけて中を見て回った。
本当は鍾乳石そのままの色を見てみたいのだが仕方ないな。
白色の光を常時点灯していると植物が生えてしまうからな。

外に出てバスへと向かう途中焼き芋を買ったがこれもケタ違いに安い。
大きめの芋1個2元、約30円。日本じゃ500円近くするだろうな。
味も最高にうまい。最初は高いことを言うが、値切ると極端に安くなる。
高いと言っても日本円で100円くらい。ふっかけているのだろうがそれでも安い。
ほかに興味を引くものも無いのでバスに戻った。

バスに乗り、ホテルで食事をした後、桂林の博物館に寄って見学。
2階に上ると少数民族の衣装などを展示してあって、説明をしてくれる。
次に1回に降りると大きな屏風が5・6個置いてあった。
これは少数民族が長い時間かけて作ったようだが売り物でもあるという。
売上金は少数民族の補助金になるようだが4万元じゃおいそれとは買えないな。
手間を考えると確かにすごく安いが日本円で約60万円。
その奥には金属で作られた彫刻のような置物がたくさん展示されていたが
全て値札が付いている。国立博物館といっても結局これなんだよな。

外に出てバスに向かうと思わず目を塞ぎたくなった。
体の不自由な男の子が物乞いをしている。
それがどのようなことかはここには書けないよ。
他にも片腕の父親が3才位の子供を連れていて
子供は大きな声で「ありがと、ありがと」と何回も言っている。
これも中国の現実なんだよな。見ていられないよ。
彼らにはこれしか生きていく術が無いのだろうか。同じ人間なんだよな。

そこからは裏道というか、未舗装のような狭い道を進んだ。
路地裏という感じで、人々の暮らしを垣間見れる瞬間だ。

しばらく進むと急にバスが止まった。前にトラックが止まっていて動き出す様子が無い。
なんだなんだ、しばらくたっても動き出さない。おいおい飛行機に間に合うのかよ。
痺れを切らした運転手が降りていったので、僕も後を追った。
その先には砂利を満載したトラックがタイヤを変形させて止まっていた。
よく見るとアクスルが折れている。車格でいうと日本では5t車くらいか。
砂利は軽く見積もっても10tは積んでるな。これじゃ20人いても動かせない。
小型の車なら左側を通れるが、このバスじゃ無理だ。まいったな。
後ろにも何台もつながってしまってバックもできない。
でも右側に止まっているサンタナを動かせば通れるんじゃないか。
みるみるうちに人達が集まってきた。子供も何人か寄ってきて大騒ぎだ。
そのうち釣をしていたサンタナのオーナーが来て車を移動し事なきをを得たが
あのまま閉じこめられたら大変なことになるところだった。

そこから5分ほどで高規格道路に出てみんなほっとした様子だった。
しばらくすると高速道路になったが運転手は遅れを取り戻すべく飛ばす飛ばす。
僕は全然平気でかえって楽しかったが他の人は不安そうだった。
添乗員さんがそんなに飛ばさなくていいと言ったが運転手は
制限速度は120キロだから大丈夫と言う。
たしかにそうだがここは日本みたいに道路がよくない。
時々段差があり通るたびに飛びあがりそうななる。

それでも出発時間の30分前には到着。やれやれ。
搭乗券を受け取って搭乗口に行ったがなぜかバスに乗る。
ボーディングブリッジはいくらでも空いているのになぜだろう。
それに機は駐機場の一番隅の方だよ。おまけにバスは1台しかなく2往復。

機材はB−737だ。タラップを上がり中に入るとスーパーシートが8席あった。
国内には737の上等級座席は無い。これは珍しい。
席はちょうど非常口座席でここだけ座席ピッチが広い。
それに万一の時一番最初に避難できる。
でも航空機事故じゃ避難する事態になる前に終りだな。

離陸してしばらくするといつのまにか寝てしまっていた。
ふと目を覚ますと機内食が配られていた。機内食と言ってもパンなどの軽食だが
国内線ではスーパーシートにでも乗らない限りお目にかかれなくなってしまったからな。

1時間40分程で無事昆明に到着。ここで乗り換えだ。
中国では乗り継ぎでもいちいち荷物を受け取って再び搭乗手続きをしなければならない。
でも空港税は4時間以内の乗り継ぎの場合は不要らしい。
定刻を過ぎてから乗客が降りてきたので少し遅れるな。

今度はボーディングブリッジからの搭乗だ。
機材はまたB−737だったがスーパーシートは無かった。
機に乗りこんだ瞬間、何か懐かしいにおいがする。
ふと見るとスチュワーデスがカップ焼きそばを作っている。
到着が遅れて折り返しの時間がないとはいえ日本では見ることのできない光景だ。

乗客は定員の1/3くらいで空席が目立った。
機の中心付近に集中して座席を割り当てていたのはバランスを取るためだろう。
地上ではすでに陽は沈んでいたが、離陸して雲の上に出ると再び太陽が顔を見せた。
その太陽は地上では見られない、幻想的なな日没を見せてくれた。
周りの雲を真っ赤に染め、その雲の中に姿を消していった。
太陽が姿を消したあと、濃さを増していくコバルトブルーの空と白い雲、
そして空と雲の境のオレンジ色が、美しい自然のショーを演じてくれた。

まもなく麗江空港に到着。外は真っ暗だ。
機からタラップで降り、空港ターミナルまで歩いていく。
荷物を受けとって外に出た。ここの標高は2400叩意外なほどに星の数が少ない。
まだ高層の雲があるのだろうか。

今度のバスは中型バスだ。荷物専用のトラックもいない。
床下のラッゲージに荷物が入りきれず、一番前の席にまで置いた。
しばらくは曲がりくねった山岳路を進み、20分ほどで平坦な道になった。
だんだん明るい街が近付いてきて、急に近代的な都市になった。
何年か前の大地震で、古い建物はほとんど倒壊してしまい
それから建てかえられた建物なのでみんな新しい。道路の幅も40辰△襦
偏見かも知れないが、中国とは思えない光景だった。

8時半過ぎ、ホテルに到着しすぐに食事だ。
今日から雲南航空麗江観光酒店☆☆☆☆に3連泊だ。
9時半、食事を終えカードキーを受け取り明日の朝食の場所を聞き
エレベーターに乗り、指定された4階で降りるたが真っ暗だ。なんだ、省エネか?
スイッチを探し電気をつけたが会議室ばかりで客室が無い。
なんなんだ、確か4階って言ってたよな。おかしいな。
仕方なく階段を降りていくとホテルマンがいたのでカードを見せ「スーロー?」と聞くと
中国語で答えて何を言っているかわからないが身振りでだいたいわかった。
渡り廊下のような所を歩いて行き、階段を上ると客室があった。
エレベーターは他にもあったのだろう。

明日は待望の麗江観光だ。

桂林 漓江下り、ネズミを食った! 2003,3,8
今日も桂林賓館に連泊です。最上階からの眺めは最高です。
6時半にセットした目覚ましより30分早く目が覚めた。
すぐにシャワーを浴び身支度を整える。まだ少し薄暗い。
朝食は7時からだが5分くらい早めに1階のレストランに行ったら
もう食事を終えて出てくる人もいた。なんだ、もっと早く来ればよかったな。
今日はパンと紅茶。朝はあまりご飯は食べたくないんだ。

適当に食事を済ませて部屋に戻り、
荷物を整理して貴重品を金庫に入れて、7時55分にロビーに下りた。

バスは8時に出発する。外に出ると寒い。気温は5度くらいだ。
天気は薄曇り、雨は降りそうにも無い。まあまあだ。
バスの中は暖房が効いていないのでウィンドブレーカーを着こんだ。
3人ほど遅れてきたので8時5分ホテルを出発した。
今日は僕の一番楽しみにしていた璃江下りだ。

郊外に出ると道が悪くなりカーブも多い。
しかし交通ルールなんて無いに等しい。
人々は平気でバスの直前を渡ってくるし、
随分流れが悪いと思ったら、水牛の親子が道の真中を歩いているなんてこともあった。
クラクションには耳を貸さず、ただひたすらマイペースで歩いていた。

バスといえども平気で追い越しをかける。
見通しが悪くても関係無い。危ない、と思っても対向車が避ける。
日本の常識なんて一切通用しない。
僕でも怖くてなかなか運転できないんじゃないかと思うよ。
しかしそれが元でトラブルになることなんて無いし、それが当たり前のようだ。

しばらくいかにも中国の農村という風景の中を進んでいく。
テレビで見たあの世界に自分がいるなんて、まだ信じられない。

少し見通しが良くなると、遥か先までバスのコンボイだ。
これが全部璃江の川下りに行くという。
でも途中で道が別れ、中国の人は左、外国人は右に進んだ。
まもなく船乗り場に到着、たくさんの船が待機していた。
どうやら出発は1日2回、9時と9時半に一斉に出発するらしい。
それであんなにたくさんのバスがいたんだな。

船に乗りこみ席に座るが座席数いっぱいに乗せているようだ。
ほとんどは日本人、他の外国人は英語を話す人が2人くらいだった。
船内アナウンスは日本語なので少し気の毒な気がした。

座ってから10分ほどで船が動きだした。
この辺りは普通の川、って感じで何の変哲もない。
しばらくすると川原が広くなり、建物もまばらになった。
僕は展望デッキに出てみた。

風が冷たいが、この景色の感動には代え難い。
正に山水画の世界だ。このような奇妙な形の山は見たことが無い。
仙台の太白山は単独ではこんな形をしていたが、それが無数に広がっている。
夢の中にいるようだ。これが事実だと、まだ信じられない。

川には観光船のほか、竹をつなぎ合せた筏も航行している。
ほとんどは渡し舟か漁をしているようだが、ここでも交通ルールなんてない。
警笛を鳴らしながら進む。
狭いところでは片側交互通行で、上りの船が待っていた。
ときどき川が浅くなり底着きすることもある。

少しづつ形を変えながらも山水画の世界が続く。
時折集落が見え、そこに住む人々は観光船に興味も無さそうに仕事を続けていた。
河川敷きや中洲は緑の草で敷き詰められている。これも日本には無い。
畑の中や崖っぷちに、未舗装の細い道があり、
ボンネットのトラックが荷物を左右に大きく揺らしながらゆっくりと走っている。
こういう光景はもう日本では見られない。

その先、右岸側に荷物を背負った人達がたくさん歩いている。
地元の人では無さそうだ。ガイドに聞くと歩くツアーらしい。
あーっ、いいなあ。こんなところ歩いてみたいよー。
あんなところ歩けるなんて、いくら出しても惜しくないよ。
本当に田園風景という言葉がぴったりだ。
思わず川に飛びこんで、僕もウォーキングの仲間に入りたくなったよ。
こんど来る時は絶対に歩いてみよう。
次の機会の楽しみができたよ。

10時半過ぎ、なぜかやけに早い昼食だ。
みんな一斉に食事が出るので自分だけ後というわけにはいかないらしい。
なるほど船の中でも中華料理だ。
次から次へと料理が出てくる。
後から来たら料理は全部残り物になってしまうところだった。
中国には定食とか無いのかな。
最近何でも食べてみるので、わけのわからない物が出てくると
みんなに勧められて、僕が最初に味見をして感想を聞かれるようになってしまった。

食事を終えて再び展望デッキに出たが
しばらくするとあの夢の世界から脱してしまった。
あの山々が、遠く霞んで小さくなって行き、やがて陽咲に到着。
現実に連れ戻された感じだ。

しかし船を下りるとすぐに中国に戻った。
たくさんの物売りの人が集まってきて、口々に「千円、千円」という。
筆の10本セットが3個で千円、無視していると4個で千円になった。
Tシャツも3枚千円というが値切れば4枚千円になるだろう。
胡弓も千円だった。今度見つけたら買ってみよう。
10分ほど千円攻撃を受け、電動カートに乗り陽咲の街を見てバス乗り場まで行った。

次に世外桃源というテーマパークみたいなところに寄った。
小さな船に乗り、少数民族の村を訪ねて回る。
途中鍾乳洞のトンネルを通った。
一番先頭が眺めがいいだろうと思って乗ったが、
シールドが無いので風をもろに受け寒い。ちょっと後ろがよかったか。

耳を引っ張ったり足を踏むのが好意を示すことだという民族もあった。
僕も耳を引っ張られ、足を踏まれた。
でもここを通る人全員に同じようなことをしていた。
最初にこのことを聞かされていなかったらびっくりするだろうな。

見終ってバスに乗り走りだすと、適当な揺れが心地よく寝入ってしまった。
気が付くともう桂林の市街地だった。
今日も国営のお土産やに寄ったが、これはどうにかならないものか。
現地の請け負った旅行会社が組み入れているのだろうができればキャンセルしたい。
品質はともかく街中の屋台で買った方が断然安い。
僕は隙を見て店を出て、象山公園の周囲を散歩して歩いた。
車の流れが切れるのを見計らって渡るのもなかなか楽しいよ。
集合時間になったのでバスに戻ると、また物売りに取り囲まれて千円攻撃を受けた。

一度ホテルに戻ったが、夕食までに2時間近くあるので一人で街中をふらついていた。
片側3車線の道路を車の流れを縫って渡る。
おもしろくなって何度も往復してしまった。でも轢かれたらシャレにならないな。
いろいろな屋台が出ていて食べものはすごく安い。
見たところ観光客はほとんどいない。土曜日の午後とあって賑わっている。
中国の男の人で髪を染めている人は全然いないので目立ってしまう。
女の人でも若い人の一部が少し茶髪にする程度で金髪は一人もいない。

本当は狭い路地裏に入ってみたいのが一人ではちょっと危険かな。
ガイドさんにも止められたしな。
1時間半くらい歩き回ってしばらく湖のほとりで休んでからホテルに戻った。

ロビーに入るとみんな集まってきて夕食に出発だ。
今日はスッポン料理だという。亀なんて食べたこと無いけどどういうものだろうか。
バスで15分ほどでレストランに到着。
さすがに夕方とあって自転車が多い。バイクも多数走っているが
ほぼみんな125佞如⊃Г呂覆爾ほとんど赤色だ。なぜだろう。

席に座るとさっそくスッポンのスープが出てきた。
ここ桂林はゲテモノ料理が出るというがこのことか。
でもあまり癖が無くまあまあ美味しかった。
他にも何かわけのわからない料理が出てきた。
わけのわからない物が出ると僕の出番になってしまう。またして先陣を切って試食した。
「まあ、初めて食べる味ですけど…何というか…まずくはないですね」
と答えにならないようなことを言うと、隣の夫婦連れの奥さんが食べ始め、
「これは…豚肉のようですね、美味しいですよ」と言った。
しかしかなり細い骨が入っていた。
鶏肉でもなければ豚肉なんかじゃない。いったいなんだろう。

1時間半くらいで食事を終え席を立つと、ガイドさんが
「あれはネズミです」
「・・・」
思わず絶句してしまった。
うえっ、ネズミを食ってしまったのか。そういえばあの骨・・・足の骨か。
このあとお腹がおかしくならなければいいけど。

そのネズミは家にいるヤツではなく山ネズミだという。
普段筍を食べている野生のネズミなのでビタミンが豊富だと言うが。
ネズミなんて食べたのは初めてだよ。

7時半ころホテルに戻ってきて再び街に出掛けた。
一人でふらふらと歩くのは気軽でいいな。
屋台街をずっと先まで歩いてみた。
そいうえば昼間は屋台は全く無い。夜7時ごろからどこからともなく現れるらしい。
お祭りの露店みたいで楽しいよ。土曜の夜ということもあるがそれにしても人が多い。
ここでは押し売り的な売り方はしない。
街頭に苦情ボックスのようなものが設置されていて、苦情が多いと許可を取消されてしまうらしい。

街中いろいろな光でライトアップされていてすごく幻想的だ。
湖では音楽に合わせて噴水が上がり、
ひときわ高く水が吹きあがると見ている人たちから歓声があがった。
僕も階段に座って幻想的な世界に見とれていた。
湖面には観光船が何隻も行き来している。僕も乗ってみたいな。
外国人は乗らないと聞いていたので余計乗りたくなったが結局乗り場がわからなかった。
ガイドさんに聞いておけばよかったな。またの機会にとっておこう。

9時過ぎ、雨がポツポツと落ちてきた。そろそろホテルに戻ろうかな。
湖を後にしホテルに向かって歩き始めた。
ホテルに向かう交差点の辺りまで来ると雨が強くなってきた。まいったな。
でもこの辺りは建物の2階がオーバーハングになっていてアーケードのようになっている。
しばらくはそれが続いたが、そのうちなくなってしまった。
ここからはあと10分もかからないから少しぐらい濡れてもいいや。
9時半ころホテルに戻ってきた。もっと歩いていたかったけどな。

まだあと4日あるからまだ機会はあるだろう。

厦門2日目→桂林へ 2003,3,7
一年中暖かいといわれる厦門でも夜はやっぱり少し冷えるな。
現地時間朝6時半起床、NHK-BSを見ていると
1時間遅れの時刻が表示されていてびっくりする。
よく考えると時差があるんだよな。中国で日本の放送は合わないな。

7時半、1階のカフェに降りバイキングの朝食だ。
僕はいつも朝食はパンなので、サラダを少しとパンをいくつか選び
飲みものはオレンジジュースにした。
コーヒーも飲みたかったがどこにあるかよくわからなかった。

朝食を終えると部屋に戻りしばらくテレビを見て過ごしていた。
外に出て散歩をしようとも思ったが荷物の整理に時間がかかってしまい
8時半ギリギリにスーツケースをポーターに渡した。
部屋の中の日本語表示をあちこち見て回ったがほとんどが間違っている。
シャンプーとかボディーソープなど見なれないものを適当に集めてみた。
9時15分、集合時間になったので1階のロビーまで降りていった。

チェックアウトに結構時間がかかったな。
ここは昔から時間がかかるので有名らしい。
外にバスが待っていたので乗りこんだ。

それにしてもこっちの交通マナーは全然なってない。それ以前の問題だ。
割り込みや幅寄せは当たり前。横断歩道に人がいても減速しない。
人は車の間を縫うように渡ってくるし、中央線に取り残されている人も珍しくない。
これでよく事故が起こらないか不思議だよ。
僕の目から見てもこっちの人の運転は怖い。

しかし厦門の街はクラクション禁止でその面ではすごく静かだ。
それにここは中国特有の自転車の大群がいない。
サイドカー付きの自転車はよく見かける。
というのも取締りが厳しく、違反をすると罰金を取られその上罰として旗を持って街に立ち、
次の違反者が捕まるまで自由になれないらしい。
罰金よりその罰の方が恥ずかしいのでみんな路線バスに乗るという。

ここ厦門は経済特区で今建設ラッシュだ。
古い建物を取り壊し高層マンションを建てている。
僕はどっちかといえば古い伝統的な中国が好きなんだけどな。

まもなくコロンス島のフェリー乗り場に到着。
バスが止まるとたくさんの人が集まってきた。なんなんだ、いったい。
ドアが開くと同時にその人達が「あげます、あげます」といって地図のようなものを差し出してくる。
ガイドは無視しろというがあまりにもしつこい。中には5歳くらいの子供もいる。
「あげます」というのは「売ってあげます」のことらしい。1部10元と言っていたな。
要らないと言っているのに聞く耳もたずに追いかけてくる。
フェリー乗り場に入るとあきらめたようで戻っていた。

フェリーに乗っているのは10分足らず。海は汚れていて汚い。
この船は2階建てになっていて、2階は上等級で1元の追加料金だ。
でも椅子はステンレスのプレス品で座りごこちは全然よくない。
まるで流し台のようだ。立っていた方がましだ。
空は曇ってはいるが雨は降りそうも無い。よかった。でも風が冷たいな。
ウィンドブレーカーを持ってきてよかった。

コロンス島に上陸すると、電動カートに乗車して島内観光。
この島には自動車は3台しかないという。救急車、消防車、それにパトカー。
自転車も郵便配達の2台だけらしい。
通りに面している建物はどれもきれいだが、ちょっと奥に入るとまるで別世界だ。
狭い路地に密集した建物、それにたくさんの洗濯物。
ここでも多くの人々が暮らしているようだ。
本当はこういう路地に入ってみたいんだけどな。

緯度的には沖縄と変わらないはずなんだけど植生が違う。
亜熱帯特有の大きな羊歯類や蘇鉄の類がない。
しっかり花粉も飛んでいて目がしょぼしょぼするよ。

途中ピアノ博物館に寄り中を見学したがどれも弾くことはできなかった。
ふと見上げると高い岩の上にたくさんの人達が登ってひしめきあっている。
地上から100メートルくらいある尖がった岩だ。登ったらいい景色だろうな。
こんどはツアーじゃなくてフリーで来たいな。
一日かけてゆっくりと歩いてみたい島だ。

その後海底世界という水族館を見学したが、海底というより海中だよな。
そこには珍しい魚がたくさんいた。巨大な淡水魚や鯰(なまず)など。
ちゅら海水族館にはいなかったグロテスクなヤツらだ。でも僕はこの方が好きだ。
海中のトンネルもあったが、ちゅら海を見た後だからな。ちょっと物足りない感じだ。

一通り島を巡ってフェリー乗り場に戻ってきた。
ちょうどフェリーは接岸していて、ツアーの何人かが乗りこんだところでドアが閉じてしまった。
添乗員もガイドも乗れなかった。こっちは融通がきかないようだ。
僕達は次のフェリーで厦門に戻ったが、先発隊は乗り場で待っていた。
帰りも地図売りの人達に囲まれて、振り払いながらバスに逃げこんだ。
服をかなりひっぱられ、つねられる人もいたよ。

バスに乗りレストランで昼食。
当たり前のようだが毎日中華料理だ。
なんだかわからない物もあったが、思いきって食べてみると意外に美味しいものあった。

昼食を終え、土産物屋に寄ってから空港に到着。日が射してきた。
中国では国内線でもパスポートなどの身分証明が必要だ。
金属探知機のゲートでは、ポケットのキーや腕時計、ベルトのバックルにも反応したようで
全身ボディーチェックを受けた。かなり感度を上げているようだ。

搭乗口の待合室で待っていたが、定刻間近になってなぜか人が降りてきた。
なんだ?この便が折り返しだとすると定刻には出られないな。
それにこんなに待っている人全員乗れるのかな。
前から見たところB737のようだ。

定刻の3時25分くらいになってようやく搭乗開始。機材はB757だった。
これは日本には無い機材だな。3−3の座席で、B737が長くなったような感じだ。
座席に座ってシートベルトを締めたと思っていたがバックルが外れていてスッチ−に指摘された。
結局定刻から20分遅れで飛行機が動きだした。
厦門空港の滑走路は長いようで、ゆったりとした加速感で離陸した。
今回は通路側なので外が見えない。
ドアが閉まったら移動しようかと思っていたが、残念ながら満席だった。
機内では飲み物やグミのようなお菓子が出た。
ちょっと疲れたので寝てしまった。

着陸態勢に入ったころ目が覚めた。
しばらくして着陸。強烈な衝撃を感じ機内が騒然となったが何とか無事到着。
ボーディングブリッジを歩いていると少し寒く感じた。
通路を歩いていくと滑走路の向こうに、あの山水画の世界が広がっている。
おおーっ、あれが見たかったんだよ。明日は船から見られるな。
空港からバスまで歩いていく。大きな荷物は別便でホテルに運ぶ。
バスに乗り高速道路を走っていると奇妙な形の山々が広がってきた。
日本には無い世界だ。いいなあ、言葉には表せない感激だ。

30分ほどで市街地に入ってきた。テレビで見たあの中国が目の前にある。
たくさんの自転車とバイク、それに自由市場に集まる人達。僕は中国に来た。
まもなくホテルに到着。荷物はまだ30分ぐらいかかるという。
とりあえず部屋に入りバルコニーに出たら眺めが素晴らしい。
今日からここ桂林賓館☆☆☆☆に2連泊。
夕焼けの空の向こうに奇妙な形をした山々。本当に筆舌に難い。

夕食は今日も中華だ。でも厦門とはだいぶ違うな。
こっちはかなり油っこいよ。それに何だかわからない物が多い。
食べる前にそれが聞かない方がいいようだ。この辺りでは犬を食べる習慣があるんだ。
そういえば街なかで犬を見かけないな。

夕食の後、街に出てふらふらと屋台を覗いて歩いた。
どこでも値段は表示してなくて店員と交渉して決める。
お土産など民芸品が極端に安い。それに値切ると半額くらいになる。
途中干し柿の7個入った真空パックを4元で買って歩きながら食べた。

僕はこのように街をふらふらと歩くのが好きだ。でも今までは国内だった。
中国でも田舎の方は治安もすごくいい。東京や大阪より安全だ。
さすがに夜は路地裏には入る気はしないけどね。
1時間半くらい歩いてからホテルに戻った。
明日は璃江下り、楽しみだな。

中国だ。厦門1日目 2003,3,6
夜中に何度も目が覚めてしまったな。なかなか寝つなかったよ。
おまけに変な夢を見るし。

夢の中で目が覚め、起きたらもう朝でとても間に合わない。
やばい!と思いあたふたするがどうにもならない。そのうちに目が覚める。
また寝入るが別のシチュエーションで同じような夢を見る。
そんなことを2・3回繰り返した。なぜだろう。

目ざましは5時半にセットしたのだが5時15分に目が覚めた。
すぐにバスタブにお湯をため、シャワーを浴びた。
ゆっくりとお湯に浸かっていたら6時になってしまった。
急いで上がって着替えをした。

機内持ち込みと貨物室預けの荷物を分けて整理する。
一応準備が完了したので6時35分、部屋を出てカウンターに行きチェックアウト。
車のロックと忘れ物が無いかを確認し、ロビーでバスを待った。
6時45分、空港行きのシャトルバスが到着した。
無料バスだからマイクロバスかと思ったら、大型の観光バスだ。
よく見ると成田ビューホテルとの共同運行だった。飛行機みたいだな。

途中ビューホテルから8人くらい乗りこんできて検問所に停車。
検問所では2人乗りこんできて荷物とパスポートなどを確認した。
この人達は警察官じゃ無さそうだけど、一人は茨城なまりだった。
ホテルから20分くらいで空港に到着。
指定のカウンターで航空券を受け取った。
窓口にいた人は添乗員さんで、この前電話をしてきてくれた人だ。

チェックインカウンターで荷物を預け搭乗手続きをし、チェックイン。窓側の席だった。
搭乗券を受け取ったがこれは国内線の方が高級感がある。
国際線はなんかチャチだな。
マイル受付機でマイルの登録。
ここまでは国内線とほとんど変わらない。

その後ツアー参加者が全員集合した。
全部で21人、一人での参加は僕ともう一人いた。
ほとんどは仕事をリタイヤした夫婦、それに3人家族が1組だった。

手荷物検査を通過すると、その先は税関だ。これは国内線には無いな。
搭乗券とパスポートを提示、係員は事務的に処理し一言も発しなかった。
今日の搭乗口はいちばん隅っこの方の86番、シャトルに乗り搭乗口へと向かう。
まるで羽田の石垣行きのバス乗り場のように遠い。

9時20分搭乗開始、機材はB767で座席は47K。
2−3−2の座席配列で、座席ピッチが国内線に比べ広いような気がした。
定刻に出発、新滑走路からの離陸だ。
離陸してしばらくすると雲の上に出て、それっきり見えるのは雲ばかり。
最初飲み物が配られ、10時半ころ機内食が出た。随分早い昼食だな。
食べ終わった後、少し頭が痛くなったのでうとうとして寝てしまった。
しかしエコノミークラスじゃよく寝られない。寝たり起きたりの繰り返し。

約4時間経過し、やっと着陸態勢に入った。しかし何も見えない。
車輪も固定されたしかなり高度は下がっているはずだけどな。
すると突然滑走路が見えた。地上近くまで霧が立ちこめていたんだ。
何事もなく厦門(アモイ)空港に着陸、しかしなかなかドアが開かない。
外を見ると作業員は誰もヘルメットを被っていない。
それに猛スピードで走る誘導車もいるし、自転車も走っている。日本では考えられない。

そのうち機長からのアナウンスで、ボーディングブリッジが付くのに時間がかかるらしい。
いったいどういうことだ?そんなに時間がかかるわけないのにな。
しばらくするとまたアナウンスがあり、タラップが全然動かないという。
今度は他のピットに移るため、空港当局と交渉中というアナウンスだ。
おいおい、いったいどうなっているんだ。

右隣の飛行機を動かしているところを見るとあそこに移動するんだろう。
でもこんなんじゃまだだいぶ時間がかかるな。
隣の飛行機が見えなくなり、ようやくこの飛行機を動かし始めた。
結局到着してから40分も缶詰にされてしまった。
30分遅発のANAが着陸してきて僕達より先に降機し始めたよ。

何とか機を降り歩いていくと、入国審査が大混雑している。
入国審査が厳しくなって、かなり入念にチェックしているようだ。
写真を撮ろうと思ったが、よく見ると撮影禁止の看板。もし撮ったらどうなるのだろう。
30分ぐらいでやっと自分の番になった。それにしても蒸し暑い。
中国語で何か聞かれるんじゃないかと一瞬焦ったが、何事も無く通過した。
荷物はすでに出ていてターンテーブルをグルグル回っていた。
ここは二階から荷物が滑り落ちてきて、
周回するターンテーブルの上に滑りこむようになっている。
一度出てくると壁の向こうに行ってしまうことはない。

荷物を回収しバスに向かうが、貨物室預けの荷物がノーチェックだ。
半券と照合することも無くそのまま到着ロビーに出た。こんなんでいいの?
現地ガイドに続いてバスに乗りこむと、レストランに向かうという。
えっ、機内食が昼食じゃ無かったなんだ。

天気は曇り、泣きだしそうな空。
でも、窓から見える風景は正に中国だ。外国に来たことを実感。感動だ。
日本と時差があるので腕時計の時間を1時間戻す。
大きな交差点の信号には赤になるまでの時間が表示されている。
黄色になる前に青が数回点滅する。これは日本にはないな。
それに歩行者用の信号は青になると人が歩く物もある。アニメーションのようでおもしろい。
日本と違って信号の種類が統一されてない。

15分程でレストランに到着、すでに現地時間で3時近い。
昼食は例の回るテーブルの中華料理。お茶を飲みながら食べる、飲茶。
初めての料理もあったが、福建省の料理はあまり油も辛さも無く日本人の口に合うな。
横浜の中華街で食べたものとあまり変わらないような気がした。
いろいろ食べてお腹いっぱいになった。

再びバスに乗りこみ最初の観光地はアヘン戦争当時の砲台が残る胡里山砲台だ。
10分程で到着。ここはメジャーな観光地で次から次へとバスが乗りつけてくる。
しかしあんな狭い所をよくバスが通るな。信じられないよ。

中に入りしばらく歩くと大きな大砲が見えた。
ここの大砲はドイツ製で世界最大というがたしかにデカい。ナバロンの要塞を思いだすな。
陸上自衛隊の最大火力は203世蠅紊γ橡い世ら、それよりはるかに大きい。

そこに併設されている奇石博物館のような所にも寄った。
いろいろな珍しい形や色の石があったが
数が多すぎて、かえって珍しさが薄れてしまう。
ここには中国の人もたくさん観光に来ている。
やっぱり異文化を肌で感じると嬉しくなるよ。

その後厦門でも一番の歴史があるという南普陀寺に寄った。
線香のいいにおいがする。中ではお坊さんのお経が響いている。
同じ仏教のようだが日本のお経とは全然違う。まるで歌のようだ。
熱心な信者が線香をたくさんもってお寺の中を巡っていた。こういうことも日本にはないな。
異文化がすごく新鮮に感じてあちこちに目を奪われガイドの説明はあまり耳に入らない。

お寺を出ると階段の下の方で女の人が二人で大声で言い争っている。
何を言っているのかわからないが、すごい剣幕だ。
今にも手が出そうな雰囲気だが、これも中国の文化かな。
やっぱり中国に来てよかった。

南普陀寺を後にし、お茶の工場の見学。
中国茶の作法などを見学しながら5種類のお茶を飲んだ。みんなウーロン茶だ。
沖縄でよく飲んだジャスミン茶もあった。沖縄ではさんぴん茶と言ってたヤツだ。
僕は妹に頼まれたジャスミン茶を買った。
ガイドの説明によると毎年サントリーがお茶を買いつけに来るが、それは一番安いお茶だという。

だいぶ暗くなり、一度ホテルに戻ってから夕食になる。
今日のホテルは厦門金雁酒店☆☆☆☆。酒店といっても酒屋ではない。
中国では”酒店”とか”飯店”はホテルのことなんだ。

スーツケースは既に届いていて、ポーターに頼むと10元チップを渡さなければならないし
いつ部屋に届くのかもわからない。
僕はフロントのキャリヤ付きコンテナーに積んであった自分のスーツケースを降ろした。
部屋まで自分で荷物を持っていったのは僕だけだったようだが
あとで集合したときみんな荷物が来るのが遅いと文句を言っていた。

夕食は海鮮料理だ。エビ、カニ、ホタテ、魚料理とかたくさん出てきた。
出てきた料理を片っ端から少しづづ食べる。中にはすごく辛い物もあったが
食べてみると意外においしかった。
昼食からあまり時間が経っていないのですぐにお腹いっぱいになってしまった。
それでも一通り食べられたな。

9時前ホテルに戻ってきたが雨が強くなってきた。
明日ももう一日厦門だけど天気が悪いのかな。
テレビはNHKのBSがノイズ混じりながら映る。
せっかく中国に来たのだからしばらくは中国語のローカル放送を見てみよう

いよいよ明日 2003,3,5
今日は成田エアポートワシントンホテルに来ています。

今朝は朝6時に目が覚めた。昨日は12時前に寝たからかな。
それにしても寒かったな。この辺りじゃめったに氷点下にはならないんだけどね。

朝食を食べてから最終準備、HPを更新して部屋の電源を切った。
しばらく間があいてしまうので病院へ向かった。しかし到着するも診察券を忘れ出もどり。
昨日財布の中身を整理していたとき、明日必要だからと別にしておいたんだ。
結局再び病院に着いたのが11時近くなってしまった。
でもこの時間なら病院は空いていて、5分くらいの待ち時間でマイクロ波治療が始まった。
治療が終ると家に戻り昼食を食べた後、車に荷物を積みこんだ。

12時20分出発。R246を北上する。御殿場まで片側2車線なので快適だ。
御殿場警察署前からは1車線になるが、小山町は久しぶりだな。
途中丹沢湖方面に逸れ道の駅で休憩、再び246に乗るがしばらくすると渋滞だ。
なんだなんだこんな所で、動いたり止まったりするが流れは極めて悪い。
いったいどこが先頭なんだろう。15分くらいすると左に工事中の看板が見えた。
この先・・・2000メートル?ひえーっ、2キロもこんな渋滞してるのかよー。
片側1車線だし脇道も無さそう。結局この渋滞を抜けるのに45分もかかってしまった。

大井松田インター付近を通過すると流れがよくなった。しかししばらくするとまた渋滞だ。
全区間一般道で行こうかと思ったがこの辺りで疲れてしまい、秦野中井インターに向かった。

高速道路は快適だ。東京インター、用賀料金所もETCで難なく通過。
3号線の渋谷辺りで若干渋滞したが谷町まで30分くらいしかかからなかった。
環状線内回りに乗りレインボーブリッジを渡り、湾岸線を東進。渋滞は無い。
東関道を成田の1つ手前で降りてコンビニで買い物。
5時過ぎワシントンホテルに到着。駐車場に車を止めフロントでカードキーを受け取った。

宿泊料金は旅の窓口を通したので5250円。一般の駐車場の料金より安い。
前日から余裕をもって行けるし、旅行気分も高まるし一石三鳥だな。

明日はホテルを6時50分出発のバスに乗るので早めに寝よう。

にわか雪 2003,3,4
1日おきに雨と晴れの繰り返しのようです。春の天気は不安定なんだよね。

今日はいい天気、でも花粉がたくさん飛んでる。
家の庭には樹齢約20年の杉の木がある。
僕が引っ越してきた記念に植えたのが、いま巨木になりつつある。
実をたくさん付け、花粉をいっぱい飛ばしている。
植えた時はこんなことになるなんて知る由もなかったけどね。

他にも梅の木や桜の木もある。
梅は小学校の卒業記念にもらったもの。桜の木は種から育ったものだ。
毎日何気なく見ていたが、それぞれの木にはそんな歴史もあったんだ。

朝起きると賑やかだ。甥っ子が走り回っている。
朝食を食べ、母と妹と甥っ子を車に乗せ児童会館まで送って行った。

僕は一度家に帰り、サブバッテリーの充電系統がおかしいので点検した。
原因を究明するにはリヤボードを全て外さないとダメだな。
それにはサブウーファーやパワーアンプ、サブバッテリーも外さなければならない。
でもそんなことをしたら半日がかりになってしまう。
仕方ないのでバイパス回路を作り、シガーライターから直結で充電させることにした。

昼頃迎えに行って家に戻ってきた。

午後からは職安に行って失業の認定だ。
今日行かなければ失業給付がもらえなくなってしまう。
ちょっと早めに駐車場に停め、書類を提出して座って待っていた。
名前を呼ばれたので、何か説明とか尋問があるのかと思ったが
次回の認定日の指定と、書類を渡されただけで終わってしまった。何か呆気ないな。

しかし次回5月の認定日までに求職活動の実績がないと失業保険が給付されない。
制度が改正されて、新聞広告や求人雑誌などを見ただけでは実績が認定されなくなった。
面接や、応募を3回以上しなければならないことになっているのだが
実際には1度でも職安に行って情報検索をすれば、それだけでOKなのだ。
僕は帰りにパソコンで検索しスタンプをもらって帰ってきた。
これだけで求職活動実績ができたことになる。改正もあまり意味が無いような気もする。
しかしあまりシビアにすると、高齢者は年齢条件だけではねられてしまい、応募すらできない。
そのためにこのような制度になっているんだろう。

帰ってきてからは出発の準備にとりかかる。
着替えや必要なものをチェックしてスーツケースに詰め込む。
できるだけ荷物を少なくしたいので着替えも最小限にする。途中で洗濯すればいいや。
そして持っていく物全てを入れてみた。リュックやサブバックも全て詰め込む。
これで収まれば、お土産を買ってもリュックを背負ってくればいいからね。
一応準備はOKだ。明日出発前にもう一度チェックしよう。

7時過ぎ、外を見ると雪が舞っている。
積もる様子はないが、静岡で雪なんて珍しいな。雪が降ると嬉しくなるよ。
もっとたくさん降れば車を出して見に行くんだけど、すぐに止んでしまった。
にわか雪のようだ。

今夜は冷えそうだな。予想最低気温は−4度だ。

また嵐だ 2003,3,3
昨日の日記に書き忘れたことちょっと追記。

3月2日、天気が良かったので久しぶりに洗車をすることにした。
北海道で雪に埋もれ、東北では融雪剤まみれになり汚れ放題だった。
帰ってきて一度だけ水洗いしたが、とてもきれいといえる状態じゃなかった。
車庫に降り、エンジンをかけると無線機が何やら騒がしい。
車から降り、車庫の無線機のスイッチを入れ149.75MHz(沼津市消防本部)に合わせた。
”現場本部”が開局しているということは大火事か。
でも交信には火事の時のような緊迫感が無い。いったい何だろう。
現場は沼津の西の方なので、愛鷹山が邪魔して携帯局の入感が悪い。
しばらく聞いていたが”水利”とか”放水”などの用語が出てこないので火事じゃないな。
そうか。今日は火災予防週間で訓練でもやっているのだろう。
あまり気にもかけずにいたら、昼のラジオで松原の遊歩道で猪に襲われ6人怪我したという。
そうか、6人も怪我人が出れば現場本部も開局するだろうな。
結局猪は現場から10舛曚瀕イ譴辛抻了圓波見され猟友会の人に射殺された。
このように街中に大型の獣が出たりると、必ず猟友会が出動するのだが
警察官が拳銃を使うのは問題があるのだろうか。
もっとも拳銃なんかじゃ射程が短くて当たらないかな。


3月3日ひなまつり。僕にはほとんど関係ないけど。
夜中にアフリカの蹄を放送してたんでちょっと眠い。
昨日から一転して朝から天気が悪い。風も強い。
起きてからホームページ作成の続きをしていたが、今日は通院の日だ。
しばらく甥っ子の遊び相手をしていたが、準備をして病院に向かった。

待合室に入るといつもに比べて込んでるな。でも八重山病院とは比べ物にならない。
診察券を出して5分くらいで呼ばれた。
膝の傷も北海道から帰ってくるまでに完全にふさがった。温泉療法の効果かな?
帰ってきてからは週に3回リハビリに通っている。
いつものように右手に2450MHzのマイクロ波を6分照射、その後マッサージ。
これが痛いんだよ。少し痛いくらい曲げたり伸ばしたりしないと治らないという。
まいったな。治療を終わり病院を出た。

途中コンビニで弁当を買って、買い物をしたり車を流したりして夕方帰ってきた。
風と雨がますます強くなり、まるで嵐だ。傘を飛ばされそうになっている人もいる。

あさって出発なのでパッキングを開始。必要なものをスーツケースに詰め込んでいく。
問題は着替えだ。8日間なので全日数分持っていくととても収まりきれない。
やっぱり途中で自分で洗濯するしかないな。
中国じゃコインランドリーなんて無いだろうからな。
小さなプラスチックのビンに洗剤を詰め込んだ。
そして電池類を充電、あとは明日にしよう。

嵐のあと 2003,3,2
昨日の夜は雨風共にすごかったな。まるで台風だったよ。

今朝は雨は収まったがまだ風が強い。この時期静岡ではよくある。
しかしいい天気だ。日曜日ということもあるが
風が淀んだ空気を全部吹き飛ばしてくれたようだ。富士山がきれいに見える。

そうだ、富士山に行ってみよう。
給油してR246を北上、千福のランプで降りて須山街道を上る。
須山の工業団地を抜けR469を西進し、演習場内の畑岡道に入る。
土日は演習場といえども民有地なので自由に入れる。
総合火力演習の行われる会場にはスタンドが撤去されていたが。
今までは設置したままだったような気がしたけどな。

ここからは富士山が正面に見えるので、何台かの車が止まっていて写真を撮っていた。
この先はダートになる。四輪駆動なのでそれほど苦にはならないが
跳ね石が車の下に当たるとイヤな音がする。
しばらくして海兵隊のキャンプ富士に出て、そこからは富士山を正面に登る。
路肩にはまだ雪が残っているが今日は暖かい。窓を少し開けて走る。

もうだいぶ前になるが、富士山の乱気流に巻き込まれて飛行機が墜落した
太郎坊に上がる道は閉鎖されていた。
以前にはこの先にスキー場があってよく行ったんだけどな。
何年か前に雪崩でリフトが破壊されてて営業休止、そのまま廃止になっちゃったんだな。
国立公園なんでもう建造物は建てられないらしい。

水ヶ塚公園まで行くと、家族連れがいっぱいだ。
雪遊び広場にも雪があまりなく、アイスバーンのようになっていた。

ここで折り返したが、帰りはアクセルを踏まなくても走る。

途中車を止めて、テレビで琵琶湖毎日マラソンを見ていた。
しばらく車を流して夕方帰ってきた。
甥っ子が来ているのですごく賑やかだ。

今日もホームページの作成の続き。意外に時間がかかるもんだな。
まだ1週間はかかるだろう。

システムダウン 2003,3,1
今日から3月、年度末ですね。今HPの引越し準備中です。

天気予報では今日一日雨。昨日下田に行ったのは正解だったようだ。
そういえば航空管制のシステムがダウンしてパニックになっているな。
きょうは友達がANAの1日乗り放題で日本中を周遊するはずなんだが大丈夫かな。

午前中買い物に行き、午後からは林道に車を止めてまったり。
帰ってきてからはホームページビルダーを使ってHPの作成を始めた。

今までの無料のHPでは1ページの容量が2000文字に限定されていて
THMLタグを使うとすぐにいっぱいになってしまう。
まあ無料だから仕方ないけどね。
それにこのHPは旅に出る直前、暫定的に作ったものだ。
僕の契約しているプロバイダーでも登録料のみでHPを持てる。
でも出かける直前にHP作ろうと思いついたのでIDをもらうまで待っていられなかった。
旅先から書き込むんじゃ掲示板や日記帳などのCGIがあれば十分だ。

しかし帰ってきて本格的にやろうと思ったら全然使いものにならない。
プロバイダーに申し込んでサーバーを借りることにした。
そうすれば5メガ使えるので十分だろう。

それにしてもHPを作ってよかったな。
僕が今どこにいるのかもわかったし、
旅先で出会った人にHP上でまた再会することもできた。

まず素材をスキャナーで読み取ったり、ダウンロードしたり。
そして画像編集ソフトで処理してページに貼り付けていく。
ホームページビルダーを使うと簡単にページができていく。
北海道から九州までようやく画像を張り終わり、
途中までテキストを入れていると急にPCの動きが悪くなってきた。
メモリーを解放してやればいいだろうと思って実行、あまり変わらない。
するとホームページビルダーが邪魔して全て動かなくなった。
警告が出たので仕方なくクリックすると突然編集中の画面が消えた。

あちゃー、またかい。もうやめてよー。僕のシステムもダウンかよー。
声を上げて叫びたくなったよ。
途中で上書きしようと思ったんだよな。

再起動させたがやはりデータは全て焼失していた。2時間以上かけて作ったのに。
また最初からやり直しだ。でも編集した画像はすべて残っていた。

10時半ごろまで続けていたが、肩が痛くなったので終了。また明日にしよう。

夜になると雨も風も強くなってきた。これから100整幣綛澆襪里な。