やじさんの日記帳  2002年12月
カウントダウン 2002,12,31
いよいよ大晦日、2002年も今日で終わり。今年はいろいろなことがあったなあ、来年はよりよい年になりますように。

今日もゆっくりとした起床。トーストを食べ、9時ごろテントを出ると雲が多いながらも雨は降っていない。時折青空すらのぞかせる。キャンプ場全体が喜びに包まれているようだ。日が射すとあちこちで歓声が上がる。ここ10日ぐらいずっと雨続きだったからな。待ちかねていた晴天だ。みんなシュラフを干したり洗濯をしたりしている。少しだけ年もおし迫った感じだ。僕もテントの中を片付け、床を雑巾がけした。こうなるとテントの中は熱くてたまらない。Tシャツ1枚になってちょうどいい感じだ。テントの周囲も一通り片付けた後簡単に昼食、まったりしているとT君がやってきた。この天気でウダウダしているのはもったいない。一緒に自転車で出掛けることにした。竹富は次回にしよう。Tシャツと半ズボンで走りだす。快適だ。まずはアジアン雑貨のRAMAYANAに寄りゲコゲコ太鼓を買った。小さな太鼓に糸電話のようにテグスがついていて、溝を切った棒の先に繋がれている。棒の方の結びは輪になっていている。最初使い方がわからなかったが、棒を持ち太鼓を垂らして動かすと音が出る。なるほど。ぐるぐる回すとまるで蛙が鳴いているような音だ。これはおもしろい。店を出て100均に行き、サングラスと自転車のミラー、パンク修理セットを買った。そのまま東へ向かい白保の海岸まで行くことにした。途中のコンビニで飲み物とシュークリームを買う。道は緩いながらもアップダウンがあって意外に疲れる。バイクで何度も通ったけど気にもしなかったな。バイクじゃちょっと手首をひねるだけだから。途中三輪方面の分岐の表示に白保5kmの表示。えっ、まだそんなにあるの。バイクじゃ5分だけど。下りは楽だが帰りは登りだ。マウンテンバイクのT君はどんどん先に行ってしまう。最後は追いつくのが面倒になり、脇道に入り海岸の防波堤の上に出た。しばらく走ると海岸の降りる道があったので、T君もここに来るだろうと待っていたが一向に来ない。携帯に電話するといつのまにか追い越していた。少し防波堤の上を戻ると海岸にT君の姿が見えた。彼はジャンべーを持ってきていた。ここなら誰にも苦情を言われず思いっきり音を出せる。日差しがあり暖かい。波の音を聞きながらまったり。こんな感じは久しぶりだな。ジャンべーをたたいたり貝を拾ったりと、ゆったりとした時間が流れていった。5時ごろ少し涼しくなり街に戻ることにした。新栄公園で大型スクリーンで紅白の放送をすると聞いていたのだ。おそらくカウントダウンもやるだろう。その前に100均でレジャーシートと折りたたみ椅子と焼き網。サンエーで明日のお餅と海苔と醤油を買った。そしてやっぱり年越しそばだ。といっても沖縄では年越しそばも沖縄そばだ。アーケードの中の店でそばを食べ終わるとすっかり暗くなっていた。新栄公園へ行ってみるが人っこ一人いない。あれっ、変だな。市役所でイベントがあると誰か言っていたのでそちらに行って見る。やっぱりこっちだったか。白いスクリーンが張られイベント用テントが並んでいる。場所を確認し、コンビニに行きポップコーンとポッキーをGET。酒はどうしようか迷ったがとりあえず買わずに店を出た。市役所の駐車場にシートを敷き座っていると7時半になり紅白の中継が始まった。ずっと中継するのかと思ったら、石垣出身のアーチストの時だけらしい。それ以外は地元のバンド演奏をやるらしい。まっ、そのほうがいいな。バンドが中断し、まずは宮良しのぶだ。でもこの歌はよく知らない。歌が終わると再音楽演奏、BEGINの出身校でもある石垣二中の吹奏楽は素晴らしいの一言だ。指導者の力量なんだろうな。埼玉栄高校の吹奏楽も聞いたことがあるがどちらもプロ級だ。これほどの統制をとるのは並の努力じゃできないだろうな。一日6〜7時間の練習と聞いて驚いた。拍手を贈る。次はBEGINだ。スクリーンに映し出されるとみんなすごい盛りあがりだ。拍手と指笛が飛び交い、みんなで歌った。時折小雨が降るがすぐに止む、そんな繰り返し。BEGINが終わったところで未成年は帰宅するように放送があった。その後夏川りみの涙そうそうもみんなで合唱、続けて島唄。やっぱり沖縄はいいな。しばらくすると雨だ。さっきより強い。みんなテントの下に避難。にわか雨だったが僕とT君はテントの下、椅子が空いていたので座ってステージのバンドを聞いていた。このテントは来賓席で2〜3席左には石垣市長も座っていた。風もあり寒いなあ、と思っていたら泡盛をいただいた。さすが来賓席。11時30分、泡盛のストレートで温まり、ほろ酔い気分になったところで僕はステージ前に向かった。川門○○(忘れた)バンドの三線の早弾きに圧倒され、寒さも忘れて踊った。踊っていると熱くなってきた。そして2002年12月31日午後11時59分。スクリーンに時計が映し出され、いよいよカウントダウン。10からひとつづづ数字が減っていく。3・2・1・そしてゼロになった瞬間、クラッカーが鳴り歓声がわき2003年の幕開けだ。花火も打ちあがった。A HAPPY NEW YEAR!

ここは一部の地域? 2002,12,30
ついに2002年もあと2日、あさっては元旦か。今日も雨、せめて雨だけでも上がってくれれば・・・。

あさ目が覚めると雨音が聞こえる。天気予報で予想はしていたが実際にこの音を聞くと正直がっかりする。もう10日もこんな天気だ、と文句を言っても天気は変わらない。テントの中でゆっくり本でも読もう。8時過ぎコーヒーを沸かしていると、昨日パンを買ってくるのを忘れたことに気付いた。あさからラーメンは嫌なのでビスケットを食べることにした。元は小麦粉と卵だ。パンと同じような物だな。テントから出て傘をさし、炊事場に行き昨日から水に浸けてあったハンゴウを洗った。雨は止みそうも無いな。テントに戻って本を読みながらまったり。雨が上がった一瞬を見計らってテントの点検。抜けかかったぺグを打ち直し、緩んだロープを締める。時々突風が吹くからな。テントから出たり入ったり。時間だけは確実に流れて行く。昼、ラーメンを作って食べる。あまり動かないのであ腹が空かない。再び本を読み始める。感動のあまり、涙が止まらなくなった。こんなに感動したのは久しぶりだ。しばらくするとT君が来た。街へ行きたいようだが雨が降り続いている。僕は合羽を着てまで自転車に乗りたくない。3時まで雨が上がらなかったら行かないことにした。予報では午後から曇り、でも降水確率は50%。なんとも言えない天気だ。2時過ぎ、雨が小降りになり霧雨になった。この程度の雨ならOKだ。準備をして出掛けることにする。自転車のサドルを拭いているとT君も一緒に行くという。彼はゴアテックスの合羽を着ていた。僕は下だけバイク用の合羽を着て上は溌水のウィンドブレーカー、1回の雨ではじかなくなったが。走りだしてしばらくは霧雨状態、15分ほど走ってアジアン雑貨の店に到着。T君は店が開いているか心配していたが、おみやげ物屋は書き入れ時だ。休むわけがないだろう。予想通り大晦日まで営業している。さらにオープンセールで全品30〜50%引きだ。早速僕はジャンべーの品定め、模様の彫られた小型の物を見つけた。音もいい。1500円×0,7で1050円、安い。さらに店の中を見ているといろいろ欲しくなる。インドやタイなどの民芸品、オリエンタルな物ばかり。あまり見慣れない異文化の物は興味深い。ジャンべーの他にマラカスを2つ買って全部で1995円也。荷物が増えた。T君はシガレットケースを買おうかずーっと迷っていた。結局買ってしまったようだ。また来てしまいそうな店だ。僕の地元にはこういう店が無いからな。店を出て100円ショップに向かった。食器ケースの下に敷くトレーを買うつもりだったがいろいろと買い込んでしまった。次にマックスバリューで食材を買い、近くの本屋へ行ったが25日発売の雑誌はまだ売っていなかった。先月号の次号の発売日の所に小さく”一部地域を除く”と書いてあった。おそらくこの辺りが一部地域なのだろう。あきらめて帰ることにした。時計を見るともうすぐ5時だ、少し疲れて食事を作る気が失せてしまったのでホカ弁で親子丼の大盛りを買った。15分程でキャンプ場に到着、Dバックを背負っていたので背中が汗びっしょりだ。早速弁当を食べる。大盛りだけあって量がかなりある。なんとか食べ終わったがしばらく寝ていないと動けないほどだ。あちこちでジャンべーやリジュリジュの音がする。流行っているのだろうか。僕も仲間に入ってしまったが。暗くなったころT君がジャンべーを持ってやってきた。僕のジャンべーより音が低いようだ。MDを聞きながら音楽に合わせてジャンべーやマラカスを鳴らす。いつのまにか10時を過ぎ、シャワーを浴びシュラフにもぐりこんだ。ラジオを聞きながら夢の中へ・・・。

チャリダーに昇格 2002,12,29
また雨だ。最後に青空を見たのはいつだっただろう。もう太陽は見られないのか、そんな気分になる。

目が覚め外を見るとまた曇り空。時折霧雨も降っている。風が無いのがせめてもの救いか。静岡の冬といえばピーカンの青空だ。大陸の高気圧が張りだせば太平洋側は晴れ。沖縄は高気圧の縁になってしまう。これが沖縄の冬なのだろうが、たまには晴天を拝みたい。なにもできない日が続いている。コーヒーを沸かしトーストにと思ったらスライスチーズが在庫ゼロ。仕方なく食パンを2枚かじる。物足りないのでバナナを1本。コーヒーを飲みながらまったりと過ごす。外に出て見ると隣にいたYさんのテントがない。コミュニティードームに充電に行くとYさんがいて、今日飛行機で帰るという。スキンヘッドなので年齢を察するのが難しい。かなり旅慣れているようだった。他にも何張りかテントを撤収している人がいる。多分年越しを離島で迎えるため出発していくのだろう。僕も今迷っている。天気がよければ竹富に渡りたいが、新栄公園で紅白も見たい。今年は石垣出身の歌手が多数出演するので、巨大スクリーンで紅白をみんなで見られるようにするという。きっとたくさんの人達が集まり盛り上がるだろう。まあもう少し時間があるんでよく考えよう。洗濯をしようと思ったが洗濯機は2台とも使用中、何度か行き来している間に2台とも空いた。全自動の洗濯機に洗濯物と洗剤を放り込んで後はスイッチを押すだけ。手洗いに比べすごく楽だ。一度テントに戻り15分後に行ってみたがまだ動いている。中を見てみたくなり蓋オープンのボタンを押したら動かなくなった。なぜだ。蓋を閉めてボタンを押したが反応がない。壊れたか。困ったな、このままにして隣の2槽式の洗濯機に入れ替えようか。と思ったら洗濯物を持った人が来て使用中になってしまった。試しにその人に、動かなくなったがどうしたらいいか、と聞いてみたら、蓋を思いきり押しこんでスイッチを押したら動きだした。思わず拍手をしたくなった。蓋の閉まりが悪く、センサーが反応していなかったのだ。安全装置が作動して再起動しなかったわけだ。ようやく洗濯が終わったが、時間をロスしてしまった。テントに戻ったがバスの時間に間に合いそうもない。あきらめて、着替えをしてもう一度洗濯をすることにした。また全自動式にしたが、しばらくして見に来ると、ウンでもスンでもない。蓋を開けるとまた調子が悪くなった。時間的に洗いは終わっているはずなので、洗濯物を隣の2槽式に移し濯ぎをした。どうも全自動式は中が見えないので不安だ。クリヤーの蓋か覗き窓があればいいのに。実用新案が取れるかもしれない。洗濯も終わり、木にハンガーを直接掛けて乾かす。と、すぐに雨が降ってきた。まったく・・・。急いでテントの中やブルーシートの下に移した。簡単に昼食を済ましてまったり。バスの時間が迫ったのでサンシャインホテルまで歩いていく。ほぼ定刻にバスが来たがほぼ満席だ。さすがリゾート線、それでも3席ほど空席があったので何とか座れた。街まで200円。早速BIG1に向かった。20分ほど歩いて到着したが自転車は売っていなかった。K-MAXまで戻る。折りたたみも9800円だったがキャリヤが無い。ママチャリにしよう。ブルーとシルバー、2色あったがシルバーにした。税別8800円、安いな。店の人に頼んで値札などを外してもらい、そのまま乗って帰った。これは快適、小雨が降る中、傘をさしながらでも15分程でキャンプ場に戻った。しばらくすると雨が強くなってきた、いい時に帰ってきたな。夕食を作っているとT君がびしょぬれになって帰ってきて、何を買ってきたと思います?といいながらリュックから紙袋を取りだした。小さなジャンベーだ。今3割引で売っているという。僕も欲しくなった。明日買いに行こう。しばらく僕のテントでダベリング。T君は夕食の準備をしようとしていたが、キャンガスが残り少ないというので、カセットコンロが1台余っていたのであげることにした。ガスは2本130円で売った。荷物が少し減った。夕食は久しぶりにご飯を炊いてレトルトカレーだ。テントの中でコンロを使うと洗濯物が乾いて一石二鳥だ。暗くなったころT君がジャンベーを持ってやってきた。こういう物はつい音を出してみたくなる。しかしなかなか難しい。うまく響かせるにはコツが必要だ。10時過ぎ、シャワーを浴びてテントに戻った。いつになったら太陽を拝めるかな。

バスが来ない 2002,12,28
相変わらず雲が厚く、時折雨が落ちてくる。そんな天気が続いています。

昨夜は熱いシャワーを浴び温まったのでよく寝られた。風もおさまったせいもあるだろう。しかし今日は朝寝坊だ。8時半ごろ目が覚めた。やっぱり体調がよくなかったようだ。でもすっきりした。テントの中でコーヒーを沸かしトーストを作った。その後歯を磨きに炊事場まで行くが、地面がぬかるんでいてサンダル履きだとすぐに足が泥だらけになってしまう。靴を履くと靴が泥だらけになってしまう。困ったもんだ。テントに戻ってきても暇だ。ラジオを聞いたり文庫本を読んだりして過ごす。こんな天気だと何もできない。昼過ぎまでそんな調子で過ごしたが、天気が少しよくなり雨は上がったようだ。そうだ気分転換に街に行ってみよう。図書館もマルチメディアセンターも休みだけど、何か買い物をしよう。早速離島情報でバスの時刻を調べるとサンシャインホテルで13時7分、30分後だ。ちょうどいい、適当に昼食を済ませ、身支度を整えバス停に向かった。キャンプ場の入り口では餅つきをしていた。どうも気温が高いせいか年末という感覚に乏しい。5分ほど歩いてサンシャインホテルについたがバス停が無い。まだ時間があるので次の舟蔵の里まで歩いたが、バス停に時刻の表示が何も無い。予想到着時刻を5分過ぎても来ないので、あきらめて街まで歩くことにした。まあ1時間あれば行けるだろう。と思うと雨が降ってくるんだよな。タクシーに乗ろうかとも思ったが、やっぱり自分の足で行こう。傘をさして歩き始めた。商店街を通り、お飾りや鏡餅を見るとなんとなくではあるが年末という気がしてきた。でもずっと内地にいたので、ふるえるような寒さでないと本当に年末だという気がしないな。約50分でK−MAXに到着、ペグと長靴を買った。ママチャリが8800円で売っていた。ギプスが取れてもあと1ヶ月はバイクに乗れないからな。ギプスが取れたらこれを買って足にしよう。帰るときは置いて帰ればいいや。欲しい人にあげよう。さらに離島桟橋まで行くと観光客がたくさんいる。今日から年末の休みの人が多いからな。でも天気がよくないのは残念だ。その後バスターミナルまで行くが、到着する直前に白保線のバスが出てしまった。サンエーまで歩いて行こうかとも思ったが断念。ホカ弁を買ってターミナルに戻った。時刻表を見ると、離島情報と全然違う。時刻が大幅に改正されていた。待っていても来ないわけだ。うーん、次のバスまで1時間40分もある。あきらめて歩いて帰ることにした。途中東亜でおしぼり12枚120円で買う。100均より安い。他にも店の中を見てみたが異常に安い。なんなんだこの店は。荷物になるのでこれだけにし、先に進む。途中T君が自転車に乗って後ろから話し掛けてきた。しばらく街をうろついているという。しばらくすると、隣のYさんが道の向こうにいたので手を振ったが気がつかなかったようだ。さらに進む。マックスバリューの前は素通りできず、店の中に吸いこまれる。目に止まるのは99円の値札。これもAさんの影響だ。もうDバッグに入りきれず袋のまま手に持って歩く。小雨が降ったり止んだり、結局キャンプ場まで歩いて帰ってきた。徒歩約三時間、疲れたな。テントで休んでいるとT君が来た。市役所のかんむり鷲の写真を自転車に乗ったまま撮ろうとしてカメラを落とし、かなり落ちこんでいる。シャッターを切るとフィルムを送るので正常に動作しているようだが、ズームを使うとレンズが元に戻らず、電源を切って戻すしかない。本当に撮れているか心配で仕方ないようだ。その後夕食の準備でテントに戻ったが、7時ころ再び訪ねてきてダべリング、あちこちでジャンベーやらリジュリジュの音がやかましい。10時過ぎシャワーを浴びシュラフにもぐりこんだ。

アメリカンペンチって? 2002,12,27
どうも体調が悪い、昨日よく眠れなかったからかな。今日も一日雨か。

昨日はブルーシート適当に張ったので、風が吹くたびバタバタとはためいてうるさくて、何度も目が覚めてしまった。朝起きると頭が痛い。夜寒かったせいもあるかな。Tシャツで寝たのが悪かったか。昨日は寒い中の引越しで、130キロ程走って疲れたかな。もしかして栄養失調か、いろいろな原因が頭に浮かぶ。何とか起き上がり、テントを出て炊事場まで行った。このキャンプ場じゃ米原と違って炊事場を私物化できない。荷物をすべてテントに持ちこんでしまったので手狭になった。散らかったテントの中を片付け、ようやくすっきりした。テント内で調理もできるようになったのでコーヒーとトーストを作った。外は相変わらずの風と雨、おまけに寒い。時折大雨になる。トイレに行く以外みんなほとんどテントから出てこない。張りっぱなしで不在の人もいるようだ。10月に櫻島ユースで一緒になったおじさんと再会したが、バイクを置いて一時帰省すると言って帰ってしまった。僕も年末は島に渡りたい。竹富が近くていいんだけど今から宿がとれるかな。ダメならゲストハウスでもいいな。ここで年越しだけは避けたいな。ずっとテントでラジオを聞きながら時間を過ごす。突然Iさんから電話があり、精糖で一人欠員が出たので、周りにできそうな人はいないかということだった。怪我をしていなければ僕が行ったかもしれない。でも怪我がなければ静岡に帰っていたかも。うまくいかないものだ。とりあえず管理人室に話しをして希望者に連絡を取るよう依頼した。テントに戻ると雨漏れ発覚。2つある出入り口のうち、使っていない風上側に雨が直接吹きつけ、垂れてきた水滴が縫い目からしみ出していた。この天気に体調不良、対策する気力がなく、浸入した水を拭う対症療法しかできなかった。昼を過ぎても頭痛はおさまらない。カップ麺とバナナで簡単な昼食。ラジオを聞きながら休む。2時過ぎ、身支度を整え外出の準備。今日は通院の日、外に出ているピンを1本抜くのだ。ギプスも取れるかもしれない。期待をしながらタクシーを呼んだ。いつもの運転手に電話したら子供が出て、休みだと言う。病院に着き受付を済まし、まずはレントゲンだ。依頼書を見ると”右母指”と書いてあり、今度は大丈夫か、と思ったがレントゲン技師から「足?」と聞かれた。よく見ると”足”の個所に丸がついていた。初回からの連続ミス継続中だ。フィルムを受け取り僕が見る限り骨はズレていないようだ。しばらく待って診察室に入った。いよいよピンを抜く。先生に、痛いですか?と聞いたら「頑張ってください」と言われた。痛いということか?最初ハサミのような器具で引っ張るが全然抜けない。痛いだけだ。先生は「これじゃ力が入らないよー、アメリカンペンチを」と看護婦に言った。アメリカンペンチって何だ?すごくゴツイ名前だ。看護婦が持ってきた工具は正にペンチだ。25センチくらいあるクロム鍍金された工業用のペンチと同じ物だった。それでピンの先を挟んでグリグリ回しながら力任せに引っ張った。思わず顔をしかめ、目をそらしてしまった。手の中で骨が動くのがわかった。そのうちスーっと抜けていく感触があり、痛みがおさまった。思わず大きなため息をつくと、先生も真似して「ふーっ」と声を出した。ピンの長さは6センチくらいあっただろう。もらって帰ろうかと思ったが、寸前に先生はポリタンクのようなゴミ箱に入れてしまった。今度手術したときにもらってこよう。ギプスを取る気配が無いのでいつ取れますかと聞くと、4週間と言われ、先生はカレンダーを見ながら「1日夜に来れる?その後は5日」と聞いた。少し考えてから、ギプスから一日でも早く開放されたいので1日の元旦でOKした。記念すべき2003年の年明けになりそうだ。あと一週間の辛抱だ。支払いを済ませ、タクシーに乗り途中コンビニに寄り弁当とサラダを買って4時過ぎキャンプ場に戻った。食欲が回復してきた。弁当、野菜サラダ、バナナ2本では足りず、麦チョコ(小)を三袋食べた。さらに野菜ジュース1本。風邪薬を飲んで早めに休むことにした。7時過ぎ頭痛は完全に無くなり、体調もよくなった気がする。昨日買った文庫本を読んでいると、今日も暇を持て余したT君がやってきた。ビギンのし島唄を聞きながら10時過ぎまでまったり。僕は熱いシャワーを浴びテントに戻った。雨は振ったり止んだり。もう1週間こんな天気だ。

引越しだ 2002,12,26
今日は2ヶ月滞在した米原から南夢楽園キャンプ場に引越し。三人一度に引っ越すので寂しさは1/3だ。

朝7時半テントを出た。相変わらずの北風と小雨、残念だが予報ではしばらく晴れは望めない。炊事棟に行きコーヒーを沸かし、バタークッキーで朝食だ。これが米原最後の食事だ。しかしなぜか寂しさはあまりない。すでに多くの人達が去ってしまったし、まあ十分米原を満喫したからかな。惜しむらくは怪我をしてこの1ヶ月間泳げなかったことかな。8時半になってもT君は起きてこない。携帯に電話すると眠そうな声で受け答えした。しばらくするとテントから出てきて、いつものようにマイペースだ。万一僕の怪我で借りられなかった時のために、T君も一緒に行くことにしたのだ。9時過ぎレンタカー会社から迎えが来た。有料だがここまで迎えに来てくれる会社は多分ここだけだ。車に乗り込み走りだすと、石垣の人達の運転の特徴を聞かされる。そのことはタクシーの運転手からも聞かされていた。事務所につき手続きをする。僕が怪我をしているのはわからなかったようで、何も言われなかったので僕が運転して米原に向かった。1ヵ月半ぶりの車の運転、さらに1ヶ月ぶりの自分での道路の走行、おまけに初めての車種だ。でもまあ大した問題はない。4トンロングクラスまでなら大抵の車は運転できる。米原に着き、テントを撤収し三人分の荷物を全て炊事棟に集めた。ものすごい荷物だ。とても1度では済まないな、三往復は必要だ。まずは僕とT君のテントを積み、あとは積めるだけの荷物を積む。後ろの車高が妙に低い11時過ぎ1回戦開始、20キロ程の道のり、楽園に着くとすごい数のテント、50人くらいはいるだろうか。知りあいも何人かいたが、こんな密集地帯はイヤだな。でも伊野田は遠いし。みんなここで年越しするのかな。まず空いている場所を探す。最初一番上にしようと思ったがトイレもシャワーも遠い。一番下に行くとかなり空きスペースがある。ここだと思いテントを張ろうとすると、近くの人が「そこは水没して川になりますよ」と声をかけてくれた。それでこんな近いところが空いていたのか。仕方ないのでさっきの一番上に張ることにした。やや斜めの所だがここしか空いていない。テントを張り終わるとペグを忘れたのに気付く。荷物を入れておけばいいな、と思い車に荷物を取りに行って戻ってくるとテントが無い!なんとひっくり返って風に流され、少し下にテントを張っていた人が押さえたいた。あちゃー。それを見てT君が助けに来てくれた。と思ったらT君のテントも風に流された。ありゃー。風が収まるのを待って、すぐに荷物を四隅に置いた。楽園も意外に風が強いな、米原ほどではないけど。荷物を全てテントに入れ米原に向かった。1時近くなったが昼食がまだだったので、知花食堂で慌ただしく食事をし米原に戻った。こんどはパッカーのYさんだ。彼は荷物が少ないので1回で済む。僕の残りの荷物を全て積みこんだ。2回戦に行っている間T君が炊事棟に張ったブルーシートを撤去することにした。楽園でYさんを降ろし、僕も荷物を運び終わるとすぐに米原に向かった。炊事棟に着くと、まるで別の所に来たかのようだ。僕達が暮らしていた面影が一切なくなってしまった。ブルーシートを外された炊事棟は、明るくはなったが北風が通り抜け、とてもじゃないが居られない。さすがにこれには寂しさを感じた。T君はシートを剥がしている再中、米原20年以上のキャリヤを持つTさん、通称妖精さんと初めて話したという。T君は読み終わった文庫本を10冊くらい炊事棟に出しておいたが、よかったら持っていって下さい、と言うと全て持っていってしまったという。これから3回戦だ。これで最後になる。僕は自分のテン場に張ってあった風除けのブルーシートを外し周りを片付けた。テントのあった四角い跡を見ると、少しの寂しさを感じた。T君は自転車を積みこみ終わりいよいよ米原ともさよならだ。見送りに来てくれたBさんに手を振って米原を後にした。今度はいつ来れるかな。途中ペグと竹の棒を買って楽園に到着。テントに入ると雨盛れしている。ああ、やっぱり。明日にしようと思っていたが、ブルーシートのタープを張ることにした。途中ペグが足りなくなり、食材の買いだしついでにペグも買うことにした。結局戻ってきたのは7時過ぎ、適当に4隅を押さえ後は明日。しばらくすると暇を持て余したT君が僕のテントに来た。5人用なので2人でも楽勝だ。10時過ぎまで話していて、久しぶりの温水シャワーを浴びた。

兵どもが夢の跡 2002,12,25
今日はIさんとSさんが旅立つ日。また寂しくなるな。兵(つわもの)どもが夢の跡。今日はクリスマスか。

昨日、いや今日寝たのは2時ごろだった。7時20分、まだ眠いがテントを出て炊事棟に向かった。空は雲でいっぱい、小雨が降り続いている。Sさんは撤収を終え、荷物を自転車に積み終わっていた。Sさんはこれから与那国に向かう。僕とIさんで米原を後にするSさんの後ろ姿を見えなくなるまで見守った。炊事棟に戻り、僕はコーヒーを沸かしクッキーを少し食べてまったり、Iさんと話しをしていた。しばらくするとIさんもレインスーツを着こみ始めた。荷物は既に積み終わっている。T君はまだ出てきていない。Iさんはふざけて「俺は見送るに値しないのか、Aさんは見送ったのに」などと言っていた。Iさんがレイドのエンジンをかけると音に気付いたのか、いつもは昼ごろ起きてくるT君が眠そうな顔をし、トレードマークの寝癖を残したまま歩いてきた。「おはよう、随分早いね。何?」と声をかける。「見送りっす」。僕とT君で走り去っていくレイドを見守った。Iさんはこれから西表に行き、年明けから精糖の仕事をする。またどこかで会えるだろうか。T君はまた寝ると言ってテントに戻ってしまった。すっかり寂しくなった炊事棟で、昨日のパーティーで汚れた食器を洗い、キャンドルを片付け、荷物をどかし掃き掃除をした。兵どもが夢の跡、寂しさがつのる。さて、僕もいつ引っ越そうか、Iモードで週間天気を確認したら年内は晴れマークがなくなっている。いったいいつ撤収すればいいんだ。もうここにいても仕方ないな。明日あたり撤収しよう。しばらくすると風が吹き始めた。やがて恐れていた強烈な北風に変わった。ついに来たか。ここのところ10日あまり風がなく快適だったのに、平和な一時が終わった。炊事棟の原状復帰を始める。吊るしてあったオブジェを取り外し、物干しのロープを最低限残して切断した。そして流しの下にあったいらない物や、古いコンロなどを捨てる。あとは今夜の蝋燭と持っていく荷物だけにする。流しの周辺をタワシ掛けし水を流した。風除けに貼ったブルーシートの撤去は明日にしよう。簡単に昼食を食べテントに戻った。T君はあれからテントから出てこない。T君も一度楽園に引っ越すと言っていたので、テントに押し掛けいつ行くのか聞いてみた。「決めてないっす」。思った通りの答え。でも閉鎖までずっと雨模様だ。僕がレンタカーを借りるから一緒に引っ越さないかと持ち掛けた。僕のこの右手じゃ貸してもらえないかもしれない。T君はおカネの心配をしていたが、費用は僕が出すから運転だけしてくれればいい。自転車も車輪を外して乗せればいい。そう言うと明日一緒に引っ越すことに合意した。さっそくレンタカーを手配した。引越しが決まれば後はパッキングだ。一旦はほとんど終わっていたのだが、延期したためまた散らかってしまったのだ。次いで仮に張ってあった小さいテントを撤収した。濡れてしまったので炊事棟で乾かした。夕食の準備で炊事棟に行くとT君とBさんも出てきた。T君は自転車を炊事棟に移動してきた。しばらくすると一昨日来たパッカーの人も来た。あしたタクシーに同乗して割り勘で楽園に行かないかと言われた。ちょうどいい、レンタカーを借りて明日引越しすることを説明すると一緒に行くと言う。閉鎖が迫るこの時期、この天気じゃ何もできない。彼もずっとこんな天気で痺れを切らしたようだ。炊事棟も片付けてしまったうえ、残っている人も少なくなったので寂しくなった。おまけにこの強風と雨、6時半にはみんなテントに戻ってしまった。さっきT君からもらった佐野三治の本でも読むか。

最後の晩餐 2002,12,24
今日はクリスマス・イブ。米原6号炊事棟ではクリスマス・パーティーだ。

朝、風はほとんどなかったが小雨が降っている。8時過ぎテントを出て炊事棟に向かうとIさんが食事の準備をしていた。僕はもう食パンがないので、昨日作った茹で卵2個とビスケットとコーヒーで朝食だ。AさんとTさんがいなくなったので何となく寂しく感じる。そういえばAさんもTさんも同じ船で名古屋に向かっている。Aさんは本島に5月までいる予定だったが、どうもいい場所が見つからなかったらしい。仕方なく帯広まで帰るという。朝食の後はパッキングだ。テントに戻り今晩の最低限の荷物を残してバックや段ボールの箱に詰めこんだ。来るときにはバック三つに収まっていたのだが、こっちに来て荷物がえらく増えてしまった。バック4個と段ボールのみかん箱5個だ。さらに食器のカゴとテント2個。そうだ、ブルーシートもあった。どうしよう。引越しはタクシーだからいいが、テントを張るとき恥ずかしいな。まるで家を追いだされて身の回りの物全部持って出たような感じだ。できるだけいらない物は捨てて荷物を少なくしよう。午前中いっぱいかかってパッキング完了。しかし雨が降っている。明日も雨模様だったら引越しを延期しよう。昼、炊事棟でカップ焼きそばを作る。あとはビスケット。テントに戻ってうとうとしていると、T君がヘルメットを借りに来た。雨が上がったのでIさんと街にケーキを買いに行くという。その後、炊事棟に行き、僕はパーティーの準備。キャンドルを大量に準備し、ペットボトルをナイフで切って風防を作る。今日のためにとっておいた巨大なキャンドルとガラスのコップに入ったパウダーキャンドルも出した。拾ってきた浮きをノコギリで半分に切って内側にアルミホイルを貼り、中にキャンドルを灯す。全部で10個以上のキャンドルの準備ができた。準備が終った後ラーメンを作り、天気がよくないのでテントでまったり。薄暗くなってきたころにバイクの音がしたので炊事棟に向かった。クリスマスケーキは行列ができていて、買うのに時間がかかったらしい。その他に大きな鳥の足を買ってきてみんなに1本づづ分けた。僕とIさん、T君、Bさん、そして今日きた日本一周中の17歳のチャリダーS君が集まった。S君は4月に旅に出て1年間の期限で日本一周をしている。彼は確たる意思をもって旅している。素晴らしいな。僕が17歳のころは・・・ただ流されていただけのような気がするな。彼は旅を終えたら家業を継ぐという。もうこんな旅はできないかもしれない。今を大切に生きていくことが大事だと、再認識した。みんな適当に食事をした後、それぞれの調理器具で一斉にチキンを焼き始めた。炊事棟全体がいい匂いに包まれる。チキンを食べ終わったらいよいよケーキカットだ。なぜか蝋燭が付属していなかったので、急遽僕が持っていた小さい蝋燭にアルミ箔を巻いてケーキに刺し点火。みんなで記念写真を取った。ゆったりと、楽しい時間が流れていく。クリスマスパーティーなんて何年ぶりだろう。こんなことは、久しくなかったような気がするな。僕はBさんから八重仙の古酒をもらって飲んだ。約1ヶ月ぶりのアルコールだ。気がつくと日付が変わっている。燃焼時間5時間のキャンドルが次々に燃え尽き交換する。明日の、いや今日の朝にはIさんとS君が米原を後にする。二人には最後の晩餐だ。沖縄の人なら朝まで、というところだが僕らは少しでも休むことにした。午前1時40分解散しテントに戻った。久しぶりの午前様だ。

住めば都 2002,12,23
ラジオでは、今年もあと○○日と、カウントダウンが始まっている。こちらでは寒くないのであまり実感が湧きません。

昨日寝るのが遅くなってしまったので、テントを出たのが8時15分。朝寝坊になってしまった。風がなく湿度も気温も高い。今日もTシャツで過ごせる。炊事棟に行くとすでにIさんがいて、食事を作っていた。僕もコーヒーを沸かしトーストを作った。炊事棟もかなり濃くしてしまったからな。最後には全て原状に戻さなければ。少しづつ片付けようか。朝食を終えると一昨日買った卵が4つあったので、茹で卵を作ることにした。いたんでいないか試しに一つコップに割ってみたが問題なそうだ。残りの三つをハンゴウで14分茹でることにした。割ってしまった卵はどうしたものかと悩んだが、鍋でお湯沸かし、その中に卵を入れたコップを入れれば目玉焼きならぬ目玉茹でができるだろう。しばらく茹でると、なるほどうまくできた。昼に食べよう。その後、撤収の準備に取りかかった。まずテントの後面に取りつけたブルーシートを外し、フライシートについた砂を雑巾で拭き取った。そしてテント内外のいらないものを捨てる。しかしなかなかはかどらない。家の大掃除と同じで、ここに来るまで旅先でもらったパンフレットやレシートを見つけると、つい思いだして見入ってしまう。昼前、昼食にしようと炊事棟に行くとIさんはシャワーから上がってきた。ラーメンを作りさっきの目玉茹でをいれた。取りだすのに若干苦労し、きれいには取り出せなかった。塩をかけた方がよかったか。それより問題になったのはカップにこびりついた卵の白身が取れないのだ。スポンジや割り箸を使ってかなり時間をかけて削り取るが、それでも完全に取れない。ダメだ、時間の無駄だ。100円ショップで買ったほうが安い。アイデアはよかったのだが・・・。食後シャワーを、と思っていたが急に風がでてきた。うーん、タイミングが悪い。Iさんはいいときに浴びたな。米原のシャワーは露天の水シャワーだ。風があると寒い。風が強くなる前に浴びてしまおう。幸い水はあまり冷たくなくさっぱりした。シャワーの後はテントでまったり。撤収が一向に進まない。三時過ぎ、テントを出るとT君が鐘乳洞へ行こうと僕やIさんを誘うが、天気が悪く危険なので断固拒否。再びテントに入り、4時過ぎ夕食を作るため炊事棟に向かった。Iさんがいて、昨日のなぞなぞの答えを教えてくれた。僕はご飯を炊きレトルトカレーだ。T君は結局洞窟の入り口を見つけられなかった。暗くなり、さっき来たパッカーも加わりダべリング。僕は9時半過ぎテントに戻った。

今日は天皇誕生日で国民の祝日か。ここに居られるのもあと三日になったな。25日には天気がよければ引っ越そうと思う。閉鎖が迫り、どんどん人は減っていくのかと思ったが、この時期になっても来る人もいる。不思議だ。僕がこのキャンプ場に来てもうすぐ2ヶ月になるが、本当にあっという間に過ぎてしまった。その間、いろいろな人が来ては去っていった。気が合って一緒に楽しく過ごした人もいたし、名前も聞かず別れた人もいる。住めば都という言葉があるが、僕は今まで故郷を離れたことがなく、その意味がわからなかった。しかし今、2ヶ月もここにいたら、やはりここを離れたくない。そう思うようになった。どこの地でも生きていけるような気がする。

冬至? 2002,12,22
そろそろ引越しの準備をしないとな。すこしづつ荷物を整理していこう。そういえば今日は冬至か。でもあまり実感がないな。こっちでは6時半ころまで明るいから。

夜中に恐ろしいほどの雨が降った。ラジオが聞こえなくなったので、イヤホンで聞かなければならないほどだった。しかし、ここのところ冷えこみがなく楽だ。Tシャツと半ズボンの楽な服装で過ごせるよ。7時40分テントを出て炊事棟に向かう。未明の雨で米原湖ができていた。早起きのAさんとTさんがいないので僕だけだ。コーヒーを沸かしていると、Tさんからメールが来た。僕はTさんのアドレスを知らなかったが、昨日渡した名刺を見て送ってきたらしい。トーストを食べた後で返信。Iさんにも転送した。するとIさんも炊事棟にやってきた。Iさんは25日に西表に渡るので、天気がいいうちに、すぐに撤収できるようにテントを管理棟の脇に移動するという。僕も古いテントを管理棟の裏に張り、少しづつ荷物をまとめようと思う。今日は北寄りの風がやや強いが気温が高いので寒さを感じない。僕のテントは北風対策はかなりしてあるが、南風が吹くとテントに直接風が当たって揺れてしまう。壊れるんじゃないかと心配になる。適度な風があるので洗濯をすることにした。膝や肘、肋骨、手首の痛みはほとんど回復したが、右手はまだ痛みが残っている。ピンが3本も刺さっているので仕方ないか。でも来週にはギプスが取れるだろう。左手で洗濯したり食事をすることはだいぶ慣れてきたが、右手にはかなわない。やはり不便だ。洗濯物を干し終わり、テントの中の荷物をまとめ始める。やけに蟻が多いな。シュラフやマットを干し、さらに荷物を移動させながら原因を探る。いったいどこから入ってくるのだろう。靴を置いておいた段ボールやバッグをどかすと蟻がうじうじゃいる。蟻の行列の末尾を探すとテントのコーナー部分のようだ。底のシートとサイドのシートの継ぎ目の部分を見ると、なんと食いちぎられていて4世曚匹侶蠅開いていて蟻が自在に出入りしている。テント内にいた蟻を全て外に出し、穴にビニールテープを張り、外にアリアースを吹きつけた。これでしばらく大丈夫だろう。気がつくともう昼だ。炊事棟に行くとIさんは荷物を炊事棟に移動していたが、テントは面倒になり後にするという。昼は何にしようか、最近ラーメンやレトルトは飽きてきた。バイクに乗れないので気軽に外食ができなくなってしまったのだ。パスタが半分残っていたので茹でることにした。鮭ソースも2袋あったからちょうどいい。塩がないけどまあいいだろう。9分茹で、鮭ソースをかけた。うーん、あまりうまくない。100円だからな。ソースが薄いところはまあまあだ。もったいないので全部食べた。お腹いっぱいになったがパスタは腹持ちがよくない。3じころにはお腹がすいてきたので、20グラムのビスコを3袋食べた。おいしくてつよくなる。シャワーを浴び、再びテントに戻りしばらくまったり。しばらくして外に出るとT君がハンモックに揺れられていた。おっ、うまくできたな。あんな麻紐で本当にできるとは思わなかったよ。僕も欲しくなった。夕食の後、僕とIさん、T君で炊事棟に集まってダべリング。Iさんの出すクイズやなぞなぞがすごく難しくおもしろい。11時ころテントに戻ったが、外が何やら騒がしい。テントから出てみるとT君が動き回っている。「どうしたの?」、「蟻の大群が入ってきてもう限界っす。テント移動します」と泣きそうな声で話していた。IさんがT君のテントをタープの下から引きずり出し、地面に蟻撃退用の粉を撒き、地面をならした。これで何とか寝られるだろう。12時過ぎ眠りについた。

別れ、そして出あい 2002,12,21
今日はAさんとTさんが米原を後にする。Aさんは本島に、Tさんは旅を終え名古屋に帰る。寂しくなるな。

目が覚めるとテントをたたきつける大粒の雨音。幸い風はない。テントから出て傘を探すが見つからない。よく考えると昨日炊事棟まで傘をさしていったな。帰るときは雨が降っていなかったので忘れてきたのだ。仕方なく走って炊事棟まで行った。すでにTさんが朝食の準備をしていた。僕もコーヒーを沸かしてトーストを作った。今日からは雪印のスライスチーズにしたが、このチーズはなかなかとろけない。スライスチーズに限ってはトップバリューブランドの方がいいな、安いし。食事を終えるとAさんも出てきた。パッキングはもうできているらしい。早めに朝食を済ませテントの中で準備をしていたのだ。しばらく炊事棟でまったりしていたが、雨が上がったのでTさんは撤収を開始した。僕とIさんも手伝った。まずはブルーシートの撤去だ。片っ端からロープを解いていく。3人がかりなので10分ほどで外し終わった。外したシートは置いて行くというのでIさんがもらって西表に持っていくことにした。Aさんは荷物をスクーター(50cc)に積みこむ、というより積み重ねていく。バイク本体より荷物のほうが重いよ。センタースタンドを立てているが、フロントが浮いている。*後日美術館にアップします*明らかな過積載だ。これでもかというくらいの荷物だ。最後にテントをリヤのキャリヤにくくりつけ完成だ。と思ったらフライシートがハンドルに掛かっていた。再び詰め直し、今度こそ準備完了。Aさんは雨が上がったのを見計らって、みんなに挨拶をしゆっくりとキャンプ場を後にした。Aさんは米原に約3ヶ月滞在していた。僕が怪我をしたので出発を延期してくれたんだよな。去っていく背中を見ていると、やっぱり寂しいよ。見送りをした後、Tさんはパッキングを開始、炊事棟で荷物をまとめていた。来るときには収まっていた荷物がコンテナに入らない、と試行錯誤を繰り返す。1時半過ぎ、Tさんのパッキングが一段落したので、僕とIさん、Tさん、T君の4人でトンカツを食べに「力」まで歩いていった。Tさんにとっては米原最後の食事だ。ここでもお腹いっぱい食べて、サイトに戻った。Tさんはてきぱきと積みこみを開始、XLRにはたくさんの荷物が積みこまれ、見るからにロングツアラーだ。僕は近くに行き最後の積みこみを見守っていた。TさんがキックでエンジンをかけるとIさん、T君も見送りに出てきた。今日来たばかりのBさんも一緒に、見送る。ヘルメットを被るときのTさんは、心なしか寂しそうだ。AさんもTさんも、もう少し資金に余裕があればもっといられたのにな。でも、旅にはいつか終わりが来る。Tさんはここに来て3週間、楽しかったな。バイクにまたがったTさんはみんなに挨拶をして米原を後にした。またどこかで会えればいいな。旅人とわかれる時はいつもそう思う。Aさんが残していったブルーシートはT君が撤去して、メインロープをハンモックのロープにするという。AさんTさんは並んでテントを張っていたので、更地になった跡地には物悲しさが漂っている。旅人は、出あいと別れの繰り返し。出合ったら、必ずいつかは別れが来る。一緒にいた時間が長いほど、別れはやっぱり寂しいけれど、それまでに、たくさんの楽しい時間を過ごすことができたよね。本当に楽しかった、ありがとう。Tさんの家に帰るまでの旅の安全を祈った。その後、炊事棟には新しいメンバーが加わった。Iさんの知りあいのBさん。かなり旅慣れた青年で、Iさんと同じ精糖工場で仕事をするという。T君は相変わらずハンモック作りに夢中だ。ひたすら麻紐を編み続けている。夕方、そろそろ実験してみようと、僕とIさんがハンモックの片方づつを持ち、T君が乗ってみた。ギシギシと麻紐が軋む音がするが、特に問題もなくT君の体重を支えた。OKだ、後は少しの補強と、網目の修正だ。明日には両側にロープを取り付けて木に吊るせるようになるかな。

抜糸だ! 2002,12,20
今日は抜糸の日だ。なんか痛そう、いやだなあ。

朝7時45分、テントを出ると空一面の雲、でも雨は降ってないし蒸し暑い。Tシャツで十分だ。今日はお昼にみんなで焼肉を食べに行くので朝食は軽く袋ラーメンにした。朝食のあとは炊事棟にみんな集まってダべリング。あっという間に時間が過ぎてしまう。11時前薄日が射してきたので速攻でシャワーを浴びた。今日の水はあまり冷たくなく快適だった。11時20分にいつものタクシーに電話、待っていたがなかなか来ない。30分くらいしてようやく到着。僕とIさん、Tさん、T君と4人乗りこんで焼肉レストラン「ガストロ」へ向かった。於茂登トンネルをぬけるとタクシーが遅かった原因が解った。ワイパーを高速で動かしても前が見えないほどの大雨、全日空ホテルの前の道は冠水で通行止めで迂回したため遅れたという。米原では全く雨は降っていなかったのに、いつもと逆だ。恐ろしいほどの雨はしばらく進むとおさまったが、あの雨雲が米原に行くと、と考えると心配になった。12時過ぎ、ガストロに到着。1050円を払って席に案内された。さっそく食べ放題のバイキング。僕は肉は牛のロースだけ。あとはピラフとアンニン豆腐、キャベツを適当に集めて席に戻り焼き始めた。みんな話しもせず黙々と食べ続ける。一通り食べ終わり、まだ行けるので2回戦だ。再びロースとピラフ、アンニン豆腐、シュウマイ、ソーセージを持ちかえった。これを食べ終わると、もう肉はいい、って感じだ。でもまだ別腹に入りそうなので、ナタデココとフルーツ、アンニン豆腐を持ってきた。ふうーっ、もういっぱいだ。Iさんもここでオーダーストップ。しかしT君は再び席を立ち、普通の定食分くらいの食材を持ってきた。Tさんもまだ行けるようだ。よくそんなに食べられるな、胃が4つあるんじゃないかと思えるほどだ。僕はもう飲み物も入らないほどいっぱいだ。しばらく休んでいないと歩けそうもない。もし落ちたものを拾おうとすれば・・・想像に難くない。15分ほどまったりして店を出てタクシーを呼んだ。タクシーに乗り近くのマックスバリューで県産品と食材を買った。再びタクシーに乗り込み僕は郵便局前で降り、他の人達は図書館まで行った。郵便局前からアーケードの特産品センターまで歩いて行き、地元の人に送るお土産を物色した。当初は年内に帰って渡す予定だったが、ここで年越しになってしまったので送ることにした。クリスマスくらいに届けばちょうどいいな。レジで包装を依頼し、近くの郵便局へと向かった。郵便局で郵パックのダンボールを2つ買い、さっき買ってきた物を詰めこんだ。右手はギプスでうまく文字が書けないので、昨日Tさんに依頼して送り状に書きこんでもらっておいたのだ。今日が20日だから速達でなくてもいいだろう。ふと時計を見ると3時15分だ。急いで通りに出ると、ちょうど空車のタクシーが来たので捕まえた。10分ほどで病院に到着、領収書を下さいと言うと白紙でくれたので、日付と金額を書いてくれるよう頼んだ。しかし渡された領収書は鉛筆書きだ。もういいや、自分で書こう。黙って受け取り病院の受付を済ませた。10分ほどで呼ばれ、まずレントゲン。渡された紙はまた間違っている。今度は右手に×印をして左手に訂正してある。右手だってば!今まで一度も正しかったことがないよ。その後、意外に早く呼ばれ診察室に入ると、今日は担当の先生はすでに出掛けてしまっていて、代わりに手術を担当した先生だった。レントゲン写真を見て、骨は全くズレていないと言われたが、先週はズレてしまったと言われた。どっちが正しいの?それともズレが治ったのかな。次にベッドに寝かされ抜糸だ。ピンセットでつままれると痛い。ハサミが悪いようでなかなか切れない。痛いよー、思わず動いたら看護婦に手を押さえられ、結局ハサミを交換してやっと切れた。痛かった。来週はピンを1本抜くと言われた。先生はすぐに抜けると言うが、2本の骨に刺さっているからな。かなり痛そうだ。診察が終わるとタクシーを呼び、図書館でIさん、Tさん、T君を拾って米原に帰った。暗くなり炊事棟に集結。誰一人食事の準備をしない。みんな昼に思いっきり食べたので、お腹が空かないようだ。T君はひたすらハンモック作りを続けている。9時47分、みんなにいつになったらできるのか、などとからかわれたあげく「あと1時間で完成する」などと言いだした。みたところ到底できるわけがない。1時間たってもまだ終わるわけもなく、結局12時をまわってようやく一次完成だ。僕はそれを見届けてテントに戻った。

嵐の後の静けさ 2002,12,19
朝起きると異常に蒸し暑い。気温25度、熱帯夜だったのかな。

先月テントをくれたNさんから昨日メールがきていて、13日の金曜日にバイクに衝突されて左足と左手を骨折して入院しているという。僕は手だけだったので日常生活にそれほど困ることはないが、足と手を同時に骨折してしまうと松葉杖も使えない。大変だ。交通事故は対岸の火事じゃないよね。本当に怖いよ。
6時半目が覚めた。しかし外はまだ暗い。今日も南風が吹いているようだ。再び寝入って次に起きたのが7時半。テントから外に出た。炊事棟に行きコーヒーを沸かし、トーストを作ろうとフライパンに食パンを乗せるとなぜか蟻がいる。もしかして、と思い袋を見ると蟻だらけだ。またやられたー。このあたりの蟻は強欲だ。なんで僕のパンなんか食べるんだ。文句を言っても注意書きをしても蟻には通用しないので諦めるしかない。仕方なくカップ麺だ。なんとなく寂しい朝食になってしまった。しばらくすると風が止んだなーと思ったらだんだん暗くなってきた。時間が経つにつれますます暗くなり、ついには夜間自動点灯式のトイレの照明が点灯した。それとほぼ時を同じくして強烈な雨と共に雷が鳴りだした。稲光から4秒ほどで雷鳴が聞こえるのでかなり近い。炊事の周囲にはみるみるうちに水が溜まり米原湖が形成された。それでも雨は降りやまず、僕がここに来てからの最高水位を記録した。自分のテントが浸水しないか心配になり傘をさして見に行ったが雷が落ちないかひやひやした。幸い浸水する恐れはなかったがびしょびしょになってしまった。炊事棟も雨洩れで落ちついていられないので、雨の中テントまで強行突破。しばらくまったり。雨音でラジオも聞こえない。イヤホン使っても雷のノイズがうるさくてかなわない。暗くて本も読めないので、コンパクトフラッシュにメモリーしてきたポパイさんの日記をシグマリオンで読んでいた。昼前、少し雨が子降りになったころを見計らって炊事棟に行き昼食を作る。今日もラーメンライス。たまにはまともな食事をしないとやばいな。気休めに野菜ジュースを飲む。食事の後はテントに戻って日記の続きを読むことにした。1年以上の日記なのでなかなか読み終わらない。でも僕も行ったことがある場所や宿がたくさん出てきておもしろい。旅に出る前に全部読んでくればよかったかな、と思うこともあったが、今までの道のりが再び思い起こされた。この次のためにとっておこう。うとうとしながら時間が過ぎ4時過ぎようやく雨が上がった。炊事棟に行くとT君が丸太を切っていた。鍋敷きにするといっているが直径25センチくらいのものすごく重たい木で、密度が高くなかなか切れない。数分切っては休むの繰り返し、3人がかりで交替で切るが30分以上かかってやっと切り終わった。少し暗くなってきたので夕食の準備、今夜はパスタ、ミートソースだ。この料理?は初めてなのでTさんやIさんから作り方を教わった。茹でるとき塩が必要だとは知らなかった。化学だったら得意なのにこういうのはよく知らないのだ。茹で時間9分、ハンゴウにパスタを入れストップウォッチで測る。ミートソースはどうやって温めよう、同時進行でなければならないがコンロは1つしかない。その時いいことを思いついた。ハンゴウの蓋をあけ、その上に鍋を乗せればいいのだ。我ながらいいアイデアだと感心しながらいたが、鍋を持ち上げて見ると底にかなりの油汚れが付着している。すぐに外したが、もしかしたら落ちてしまったかもしれない。念のため茹であがった麺を一度水洗いした。(効果の程は不明、その後体調の不調は無かった)ミートソースはそのあと温めた。パスタは150グラムだったので少し少なかったかな。残っていたこつぶっこを1袋食べた。一度テントへ戻り日記の作成をしているとバイク屋さんから電話があり、書類を持って今から来るという。次いでまた病院から電話があり明日の4時の予約だったが3時に来て欲しいとのこと。早まってよかった。明日はみんなで食事に行く予定なんだ。無風、満月で懐中電灯無しで歩ける。朝の嵐が嘘のようだ。10時ごろまで炊事棟でダべっていた。

暑い! 2002,12,18
今日は暑かったよ。なにかの間違いじゃないかと思うほど季節が逆戻り。予想最高気温27度、夏だよ。

朝目が覚めるとテントを揺さぶる強風、ブルーシートもはためいていた。うわー!また北風かー、いやだなあ。でも何か変だ。はためく音がいつもと違うし外が明るい。テントから出てみると妙に温かい。青空も見え、風は南風だった。昨日買ってきたウィンドブレーカーを着て炊事棟まで行ったが暑くて着ていられない。すぐに脱ぎ捨てTシャツと半ズボンになった。気温は既に23度。早速朝食を作りトーストを食べた。こんないい天気で風もある。溜まっていた洗濯を一気に片付けよう。今日は上着もいらないだろうからフリースも洗うことにした。しかし暖かい、12月も後半になろうとしているのにこの暖かさ、いや暑さだ。日向に出ると強烈なひざしで日焼けしてしまう。この時期にここまで暖かいとは予想していなかった。嬉しい誤算だ。洗濯をしていると汗ばむほどだ。洗濯物を干し終えるとシュラフも干すことにした。その後は炊事棟に行きダべリング。昼はご飯を炊いてラーメンライス、野菜ジュースとリンゴ1個。食後はパイプ椅子を浜に持ちだし海を眺める。しばらくするとIさんが海パン姿で3点セットを持って浜に出てきた。気温は25度を超え泳ぐには最適だ。双眼鏡で水平線方向を見ると結構船が見える。すごい水しぶきを上げ、高速で航行している小型船が見えた。船名までは確認できないが、あの色からすると海上保安庁だろう。一旦川平湾方向に向かったが、だんだんこちらに向かってくる。途中進路を北に変えたので真横から見えるようになった。やはり海保だった。かなりの高速を維持しながら米原の沖合を通過すると再び石垣港方面に向かっていった。いったい何だったんだろう。もしかして今日は天気がいいし暖かいのでクルージングに来たのかな。なわけないか。30分ほどしてIさんは海から上がってきた。いいなあ、僕も怪我してなかったら泳いだのになあ。入れ替わりにこんどはT君が出てきた。Iさんから3点セットを借りたようだ。今日はトランクスではなく、長めの緑色の半ズボン、左前の上部には○○(苗字)と刺繍してある。高校の時の体育着だという。まあこのほうが海パンらしく見えるが・・・。気温も高くなったので僕はシャワーを浴びに行き戻ってくるとT君はまだ海の中だ。サンゴで怪我した足は痛がっていたのに大丈夫なのだろうか。1時間ほどして上がってきたが、またしても寒いを連発していた。僕は再び浜に出た。何組かのカップルや地元の人も来ていた。4時半ころまでまったりとした時間を過ごした。サイトに戻ってみるとT君が、蚊に刺されまくりながらハンモックを作ろうと悪戦苦闘していた。とりあえず縦の紐は通したが、どうやって網目を作ったらいいか解らないという。試行錯誤していたが結局わからず、縦横別の紐で正方形に網目を作るようだ。はたしてできるのだろうか。夜になっても気温は24度、蒸し暑い。少し雲が広がってきた。明日は雨かなあ。

トホダーで復活! 2002,12,17
今日は久しぶりに離島観光だ。天気もまあまあだし船に乗れる。僕は旅人なんだと実感できる一日だ。

今朝は早起き、6時半ごろ目が覚めテント内で準備。7時過ぎテントを出ようとしたらAさんが起こしに来てくれた。挨拶をして炊事棟に行き、早速コーヒーを沸かしトーストを作った。でも今日はまったりしていられない。さっと朝食を済ませ身支度を整えた。今日も気温が上がりそうなので半ズボンに着替え、Tシャツの上に薄い長袖のシャツを着て腕をまくった。あとはウェストバックとDバック、トレッキングシューズで旅人スタイルだ。バイクや自転車に乗れなくても、幸い僕には2本の足があった。膝の傷もかさぶたになり、残る面積は5平方センチくらいだ。痛みもほとんどなくなり普通に歩けるようになった。4〜5時間くらいなら問題なく歩けるだろう。Tさんはバイクで波照間へ、T君は自転車で竹富に行くということで出掛けていった。僕は8時33分のバスに乗り街に向かった。今日も乗客は少なく、僕を会わせて3人だった。まずは1時間弱のバス観光だ。ちょっと雲が多いが日も射している。歩くのにはちょうどいいかな。登野小前のバス停の少し前でボタンを押したが反応がない。バス停を通過してしまったので、信号で止まったところで降ろしてくれと言ったが、すぐ先にバス停があるのでそこで降りてくれと言われた。まあいいか。桟橋通りのバス停で降り逆方向に少し戻る。まずは八重山ホンダに向かう。バイクの修理状況を確認するためだ。ホッパーの信号を右折ししばらくすると対向車線でクラクションが鳴った。よく見るとこの前のタクシーだ。今日は通院じゃないのでタクシーは使えない。そのまま歩いていくとタクシーがUターンしてきて乗っていけと言う。事情を説明すると「いいよ」と言う。本当にいいのかなあ。僅か2〜300辰世乗せてくれた。早速バイクを見ると、タイヤ交換の際中だった。あと左側のフロントカウルがまだ部品がきていないという。かかった金額を確認し後にした。30万円強だ。そこから歩いて20分くらいで、メイクマンに到着。昨日切れてしまったランタンの電球を買った。次はサンエーに向かう。2階に上がり、上着を物色する。上着はツーリングジャケット以外フリース1枚しかないからな。ウィンドブレーカーの類が欲しいのだ。ここは安い衣料品がたくさんあるので迷ってしまう。1000円の迷彩の長ズボンも欲しかったがTさんに先を越されてしまったからな。同じものは嫌なので、裏フリースのウインドブレーカーのスーツを買った。1900円。ほかに500円のトレーナーもつい衝動買いしてしまった。その次はマックスバリューで食パンとスライスチーズをGET、あとは離島桟橋に向かうのみだ。途中ホッパーでおにぎりなどを確保し、30分ぐらいで離島桟橋に到着。合計徒歩2時間強、まだまだ平気だ。早速安栄観光で竹富往復のチケットを買い、不要な荷物をコインロッカーに入れて乗り場の桟橋に向かった。ハンバーガーとパンを食べながら待っていた。久しぶりの高速船だ。これに乗ると離島に来たなあって感じになる。僅か10分だが港から出てエンジン全開になる加速感がたまらない。後部のデッキに出て離れていく桟橋を見つめる。久しぶりに竹富島に上陸、集落に向かって歩き始めるが暑くて汗が出てきた。さらに袖をまくり上げた。30分ほどで、なごみの塔に到着、先の人が降りるのを待ってよじ登った。階段は60度ほどの急傾斜、さらに上部の手すりは低く、かなり恐怖感がある。周りを見まわすと、あっT君だ。なぜか徒歩だ、自転車はどうしたんだ?。聞くと船に乗せると片道470円かかるので港に置いて来たという。さらに先日夜海に入ったときに怪我した親指が痛くてたまらないといい、消毒していた。かわいそうだ。ここまで迷いながら歩いてきたけどもう歩きたくないらしい。近くのパーラーで食事をするというので僕も一緒に行き、シークァーサーのアイスクリームを食べた。平日なのに結構観光客がいるな。一人旅の女の子が多いようだ。T君は八重山そばを食べ、このあと水牛車に乗るというので僕は歩いて反対側の海岸まで歩いていった。ガイドブックを忘れたので位置関係がわからないなと思っていたら、都合よくレンタサイクルのチラシが落ちていたので、それを頼りにカイジ浜に向かった。渡辺美里パンフレットの撮影場所じゃないかと思っていたが、やっぱりここだった。そこから浜伝いにコンドイ浜まで歩いた。はるか向こうまで遠浅の美しいビーチだ。といっても浅すぎて泳げないが・・・。海を見つめたたずんでいる人がいた。僕もしばらく海を見つめていた。雲が少し多くなってきたので港に向かうことにした。すれ違う自転車の人が「こんにちは」と挨拶をする。僕も少しおくれて挨拶を返した。へえ、いい傾向だな。山みたいだ。みんな誰とも挨拶が交わせるような島になるといいな。これからは僕もみんなに声をかけてみようと思った。コンドイ浜から徒歩約45分で到着、14時15分の船に乗った。今日はもう4時間以上歩いたから夕食を作るのは面倒だな。石垣に着き弁当を買って15時のバスに乗った。16時米原着、弁当を食べているとT君も帰ってきた。夜になっても温かい。9時過ぎまで炊事棟で話しをしていた。

夏日 2002,12,16
今日は温かかったなあ。朝からTシャツと半ズボン、最高気温の予想は26度。夏日だよ。

朝7時半テントを出た。昨日ほどじゃないけど空は明るかった。薄曇りって感じかな。風は全く吹いてない、ちょっと湿度が高いかな。南から温かい空気が入りこんだようだ。
今日もキャンプ場でまったり。食材は数日分あるので問題ない。右手のギプスが取れないとどうにもならない。これじゃバイクどころか自転車にも乗れないんだよ。そういえばバイクの修理はほぼ終わったみたい。でもこれじゃ内地へも帰れないんだよな。まあ焦らず気長に考えるしかないな。でも2月22日の代々木のライブには絶対に行きたい。それまでには何とかなると思うけどね。年末が近付きここにいるキャンパーも帰郷や移動の計画を始めている。僕も今週中には決めなくてはならない。本当は年内に帰りたかった。故郷のみんなにも会いたかったなあ・・・。
朝食の後は久しぶりにテントの周りを掃除だ。落ち葉があちらこちらに溜まっていると、なんとなく汚らしいので熊手で全てかき出して木の根元に集めた。その後はホウキで地面をならす。自分のテントの周りだけすごくきれいになった。ちょっと動いただけでも汗ばんでくる。内地の寒さが信じられないくらいだ。炊事棟に行きラジオを聞きながらゆっくりとした時間が流れていく。それに水をさすかのように蚊が現れる。シマシマのヤツだ。蚊取り線香をたいてもあまり効果はない。虫除けスプレーも塗ったところは多少効果はあるようだが服の上から刺されてしまう。もう12月中旬だというのに。そんなうちにもう昼だ。T君が起きてきたようだ。僕は適当に昼食を食べ終わるとT君は泳ぐといい、Iさんから3点セットを借りていた。僕は浜にパイプ椅子を持ちだし双眼鏡で彼の行方を追っていた。ひたすら沖合を目指しているようで、肉眼では見えないくらいの所まで行ってしまった。波の砕ける外側だからリーフの外縁あたりだろう。30分くらいは経っただろうか。日差しが出てきたので僕はシャワーを浴びることにし、監視役をIさんと交替した。僕がシャワーから戻ってきてもまだ海の中にいる。炊事棟に行き足を洗っているとようやくT君がガタガタ震えながら上がってきた。メチャ寒いっす、と言っている。長く泳ぎすぎだよ、少し寒くなったら上がらなきゃ。と声をかけながらよく見ると、海パンではなくトランクスだ。早くシャワーを浴びて着替えなよ。と言うとトボトボと歩いていったが、悪いことにあの格好のまま観光客の女の子3人とはち合わせになっていた。あー恥ずかしい。米原キャンパーのイメージダウンだ。その後僕は再び浜に出て夕方まで海を眺めていた。沖合をタグボートに曳航されたサルベージ台船がゆっくり南に向かっている。海上保安庁の巡視船も見える。こちらはかなりの速力だ。そんな贅沢な時間を一人占めしていた。今度ここに来られるのはいつになるだろう、誰かと一緒にきたいなあ。こんな素敵な時間を誰かと共有できたらなんて素晴らしいだろう。そんなことが頭を過った。希望を持ち続ける限り、それは実現する可能性がある。いつかそんなことを聞いたな。
テントに戻ってまったりしていると、バイクの音が近付いてきた。Tさんが与那国から戻ってきた。それほどの揺れは感じなかったと言う。9時過ぎまで炊事棟でダべリング。月明かりがきれいだった。

穏やかな一日 2002,12,15
こんな穏やかな日は本当に久しぶりだ。ゆったりとした一日でした。

朝8時、テントを出ると青空が広がっている。胸がすーっとする。思わず深呼吸。今日は日曜日、なんとなくゆったりとした気分になる。朝食の後は洗濯、シュラフを全て干し、テント内を掃除し雑巾掛けした。今月28日でこのキャンプ場は閉鎖になってしまうので、もう使わない荷物はまとめて実家に送ってしまおう。いらない物をより分けた。テントの中にいると汗が出てくるよ。今日の予想最高気温は24度、Tシャツと半ズボンに着替えた。その後、午前中は炊事棟でまったり。11時半、IさんとT君と3人で近くの知花食堂まで行くことにした。外は涼しいだろうと長袖のシャツを着たが、歩いていると暑くて腕をまくった。Tシャツのままでよかった。10分ほどいい汗をかき、米原Wリーフを見ながらそばを食べた。今日の予報は午前中は曇り、午後から雨だったのにな。この青空、雨など全く降る様子はないよ。サイトに帰ってきてシャワーを浴びた。水は冷たいけど上がった後は爽快だ。IさんとT君は街へ行きたいというのでT君にヘルメットを貸してあげた。みんな出掛けてしまったので、浜にパイプ椅子を出しMDを聞きながら海を眺めた。無風、日差しが強く日向にはいられない。穏やかな海を眺めていると、いろいろなことが頭の中をかけ巡る。春ここに来た時のことや今まで旅してきた道のり。こんな時間の過ごし方、夢だったなあ。今・・・この手の中に・・・ある。

デ・ジャ・ヴー
初めての場所なのに、いつか訪れたことがあったような。今したことと全く同じことを以前したような。そんなことを感じることってあるよね。疲れたときの脳が生み出す偽りの体験。人間の脳は、今という瞬間を感じ、それが過去の記憶として蓄積されたいく。しかし時として、今の感覚が、突如古い過去の記憶に移ってしまうことがあるという。それで今の感覚が過去にも同じことをしたように感じるらしい。

浜を何かを探しながら歩く人、犬を連れている人、釣をしている人。たくさんの人が僕の前を通りすぎていく。いったい今まで何人の人とすれ違って、何人の人と話しをしただろう。何人のことを覚えているだろう。そして僕のことを、何人の人が覚えているだろう。でも100年も経てば、僕は人々の記憶の中から消えてしまうだろう。だから、今が大切なんだよな。今にしか生きられない。過去は変えることができない。自分の考え方や行動しだいで、未来への選択肢は無限に広がる。思ったことが実現しなくても、思いが伝わらなくても、すればよかった、言えばよかったと後悔するより、少しだけ勇気をもって行動してみたい。同じ傷つくなら後者の方がいいな。

夕方、浜を歩いてみた。漂着した浮きを拾ってきてノコギリで半分に切り、赤く熱した釘で穴を開けヘルメットを作った。なかなかいいできだ。夕食の後、川平方面を見ると空が赤く染まっていた。でも八重山の天気は気まぐれで、予報はほとんどあてにならない。9時半ころまで炊事棟で話しをしていた。
夜、いわし雲が広がっていた。星は少ししか見えない。でも月は明るく、影もはっきりと写る。遠く聞こえる波の音の中で眠りについた。

流れ星が見えない 2002,12,14
昨日の夜半から今日にかけて、ふたご座流星群のピークだったが曇っていて見えなかった。

今朝はゆっくり7時半ころまで寝ていた。8時にテントを出ると青空だ。やっぱりこれでなきゃ!炊事棟に行くとTさんが何やら忙しそうにパッキングをしている。撤収するような勢いだがそんなことは聞いてないぞ。よく聞くと急に与那国に行くことにしたそうだ。今日の船で行き、月曜に帰って来るという極めて一般的な行き方だ。向こうでは安宿に泊るといい食材やガスなども持っていった。キャンプ料金は閉鎖までの分を払ってあるので張りっぱなしだ。僕は、さて朝食にしいようかと思いお湯を沸かしパンの袋を取りだすと、ぎえーっ!蟻がいっぱい入っていて動き回っている。袋の口の結び方が弱かったようだ。残念だがゴミ箱行きだ。仕方ないのでバタークッキーが一箱あったのでそれを食べた。9時ころTさんは出発して行った。手を振って見送る。ひと段落したところで洗濯をすることにした。今日はいい天気で少し風があるのですぐ乾くだろう。沖合を見ると飛龍が航行している。今日は誰かくるかなあ。そのうちチャリダ―のT君も出掛けていった。その後しばらく炊事棟でAさん、Iさんとダべリング。11時半ころ気温が20度を超えたようなのでシャワーを浴びた。今日は午後のバスで街に行くのだ。シャワーから出てきて昼は何にしようか迷っていた。不良在庫になっていたランチョンミートと味付けさば缶をAさんにあげたらミートソースを作ってくれた。旅人には定番のスパゲティーだが僕は初めてだ。皿いっぱいのスパゲティーを食べ終わり、身支度を整えて時間まで炊事棟でまったり。10分前になったのでバス停に向かった。定刻の13時03分になったのでバス停の前に立っているとIさんがバイクで通過、手を振る。数分遅れでバスが来た。よく見ると空車だ。誰も乗っていない。土曜日で病院が休みだからか家族が休みだからかわからないが、おじいもおばあもいない。米原からは僕と旅人風の女の子だけだ。乗客は次のバス停でバックパッカーが一人乗ってきて合計3人だけ。今日も向かい合わせの座席のバスのうえ、向かい側に誰もいないので景色が最高によく見える。天気も快晴、海がきれいだ。木々の緑も青々としている。クーラーも効いていて、ここは冬とは無縁の世界のような気がする。バスではFMが流れている。クッションは悪いが楽しい快適な一時だ。川平で女の子が降り、乗客はパッカーと僕の二人だけになった。結局途中誰も乗ってこなかった。僕は登野小前で降り、マックスバリューに向かった。買い物を済ませ、今度はアウトレットの海人のTシャツを買いに手作り館に向かう。昨日タクシーで前を通過したら”300円”というPOPが目に止まったのだ。15分ほど歩いて店に着くと何人かが来ていた。早速物色を開始する。しかし300円のカゴは海人には関係ないトライアスロンやイリオモテヤマネコなどの物ばかりだった。よく見ると別に500円のカゴもあった。そこには海人関係のTシャツがいっぱいあったが、サイズが合わなかったりして気に入ったものは2枚。白地に水色ののグラデーションで”海遊人と”描かれたものと、黒で”遊”の一文字のものの2枚を1000円(税別)でGET。この前まで一枚800円で売っていたのに・・・。しかしTシャツだらけになってしまった。石垣に来てもうこれで4枚目だ。まだ一枚しか着ていない。また街中を歩いてバスターミナルに向かう。歩いていると汗が出てくる。ちょうどいい気温だ。15分くらいかけてターミナルに到着。待っている乗客は少ない。西回り線に乗ったのは僕とおじいの二人だけ。途中でおじいが降りたので僕だけになった。ちょうどいい揺れと温かさでうとうとし居眠りしてしまった。川平で目が覚めた。4〜5人が乗りこんでこようとしたが、運転手にターミナル行きじゃない(一周路線なので行けないこともないが)ことを聞くと諦めた様子だった。貸し切り状態が続きしばらくすると、迷彩のジャンバーを着た女の人がバスの直前を横断した。危ないなあと思ったが、バスはブレーキをかけて止まるとそこはバス停で、その人が乗りこんできた。運転手の知りあいのようだ。僕は米原で降りたがバスは時間調整かエンジンを止め停車したままだった。炊事棟に行くとAさんとIさんがいた。まだ4時だが昼がスパゲティーだけだったのでお腹がすいた。ご飯を炊くまで待っていられないので買ってきたバナナとドーナツ3つ、そしてかっぱえびせんを一袋食べてしまった。夕飯が食べられそうもない。夜中にお腹がすくだろうな。6時過ぎ、薄暗くなったころ浜に出てみた。川平方面は空がオレンジ色に染まり、おそろしくきれいな夕焼けだ。こんなのは初めて見たよ。しばらく立ち尽くしてしまった。その後9時ころまで炊事棟でダべリング。風がなく気温も20度前後で温かかった。夜中に一度起き、空を見上げたら雲ばかり。時折月が顔を見せるが、流れ星は見えなかった。

タクシーP2 2002,12,13
風が少し収まった。予報は晴れ時々曇り、所により一時雨。はっきりしない天気だ。

朝起きると明るい。ブルーシートのはためく音も少し静かになった。7時半、テントから僅かながら青空が見えた。青空を見ると本当に嬉しくなる。早速炊事棟に行き朝食だ。食後まったりしていると、管理人さんが来て集めてあった落ち葉に火をつけた。白い煙と共に少し炎が上がった。すぐにみんな集まって火にあたった。やや強い北風が吹いているのですぐに燃え広がった。あったかいなあ。しかし、しばらくすると火の勢いが衰えてしまった。そこで僕は浜に出て燃えそうな物を探した。目に止まったのは直径40センチ、長さ60センチくらいの円柱状の発泡スチロールだ。多分イケスか網の浮きが流れついたのだろう。それを脇に抱えて持ちかえり火にくべた。するとじわじわと燃え始め、やがて黒い煙を上げながら燃え上がった。熱い!5メートルくらい離れていても顔を向けられない。白い発泡スチロールは周りから黒く変色し溶けている。まるで廃気ガスに汚れた路肩に溜まった雪のようだ。しかしこれも5分ほどで燃え尽きてしまった。すると今度はTさんが浜に出ていき数分後、巨大な発泡スチロールを持ってきた。長さは1丹幣紂直径60センチはある。周りにいたひとは笑いながら「それはデカ過ぎるんじゃないかい」というが、Tさんは有無を言わせず焚き火の上に落とした。みるみるうちに燃え上がり、黒い煙がもうもうと上がった。ヤバいんじゃないかと思うほどだ。しかし煙はジャングルに滞り上方へは上がっていかない。風向きはテントサイトの逆方向なのでキャンパーに被害は出ないが民家の方へ流れていた。そのうちに11時半になり、とんかつ力の開店時間だ。IさんTさんの3人で歩いて向かった。中央の通路から通りに出たらプラスチックの燃えた臭いがした。気にせず店に入り、僕はメンチカツ定食を頼んだ。食事が出てくる間ダイビングの本を見ていたら、特集は大瀬崎だ。メジャーなダイビングスポットであることは知っていたが、あんな近くにこんなきれいな海があったとは知らなかった。来春は絶対にライセンスを取ろうと決めた。サイトに戻り身支度を整える。今日は通院の日だ。早速一昨日のタクシーに電話すると20分ほどでくるという。みんな出掛けてしまって暇なので、公民館まで歩いて行った。2〜3分でタクシーは到着したが、助手席に誰か乗っている。なっ、何だあ?なんで人が乗ってるの?運転手いわく、友達だという。友達を乗せて魚を取りに行こうとしたところに僕が電話したらしい。まあ誰が乗っていようと目的地まで連れていってくれればそれでいいんだけどね。運転手とその友達との会話にはついて行けない。さっぱり何を言っているのかわからない。これから魚を取りに行き、帰りに僕にも分けてくれるという。途中自販機の前に止まり220円を渡された。僕の好きな飲み物とお茶を買ってくれと言う。お茶?と聞くと、さんぴん茶だと言う。こっちでは、”お茶”といえば”さんぴん茶”のことらしい。再び乗りこみカーブを抜けると対向車のランクルが追い越しをかけていた。急ブレーキをかけ何とかやり過ごした。もう少しスピードが出ていたら衝突していたな。第一の目的地の市街のマルチメディアセンターで降り、帰りは病院から電話して呼ぶことにした。早速中に入ろうとしたら今日と明日は貸し切りだった。なんてこった。それじゃ図書館に行こう。その前にK−MAXに行き、一流メーカー製のボディーソープと洗顔フォームを買った。やっぱり100円物はダメだ。図書館に行くとパソコンは2台とも使用中だった。どうしようかと迷ったが写真をアップしたかったので待つことにした。天文年鑑を見ていたら30分ほどで空いたので早速写真をアップ。しかし気がつくと予約時間の3時になってしまった。すぐに図書館を出てタクシーで病院に行ったが15分ほどの遅刻だ。すぐに受付をしたが待っている人はたくさんいた。30分くらいで呼ばれたがレントゲンを撮るという。12番の窓口に行き11番で呼ばれた。医師から渡された紙には左手と書かれていたが実際は右手だ。来るたびに必ず何かトラブルがあるなあ。写真はすぐにできたのでフィルムを持って診察を受けた。写真を見て先生は「うわーっ」と声を上げた。素人の僕でも判るほど骨がずれて(裂けて)いた。先生が初めに言った通りになった。でもピンを刺してあるのでこれ以上ずれることはなく、隙間に骨ができれば問題ないという。なんか長引きそうだなあ。で今の状態では手術はかなり難しくなったという。ずれる前に手術してよかったようだ。来週の金曜日に抜糸することになった。ガーゼをもらい支払いを済ませてタクシーを呼んだ。数分で来たが、病院を出るとすぐに止まり、降りろと言う、何かと思ったらトランクを開け、捕った魚を見せてくれた。何だかよくわからない目の大きな10センチ程の魚だが、唐揚にして食べるらしい。でも魚をおろしたことはないと言うと、来週食べられる状態にしておいてくれるという。車に乗りこむとまた誰か助手席に乗ってきた。まあどうでもいいや。途中一昨日のトロピカルに寄りフライドチキンとお結びを買ってくれた。こんなんでいいのかな。米原に着き運転手は「また来週ねえ」と言って帰っていった。夕食はこれとラーメンにする。食べた後はテントに戻り着替えてしばらくまったり、7時過ぎ炊事棟に向かった。8時ころにはチャリダ―のT君も帰ってきて加わった。9時ころにはなぜかTさんが酔っ払ってダウン。僕も10時過ぎテントに戻った。

また風か 2002,12,12
今日は朝方は穏やかだったが、また風の一日になってしまったな。

7時半、テントを出た。空一面の雲だったけど、風はそれほどなく穏やかだった。朝食を作り、のんびりしていると雲行きが怪しくなってきた。於茂登岳が霞んできた。とたんに風が吹きだし、大粒の雨。15分程で米原湖が形成された。枯れ木を伐採しようと来ていたシルバー人材センターの人達も車から降りられない状態だ。雨は降ったり止んだりだが北よりの風はだんだん強くなり、再び冬の様相だ。こうなってしまうと何もできない。しかし昨日張ったブルーシートが功を奏し雨や風がが吹きこまなくなり、ガスコンロの火も安定するようになった。画鋲70本ほど使って止めたのだが、耐えられるかどうか昨日は不安だったが、強風に十分耐えている。しばらくは炊事棟でダべったりしていたが、みんなテントに戻ってしまった。雨は上がったので、シートのバタつきを何とかしようとテントの後側に小さいシートを張って、風が抜けないように塞いでみたが、ほとんど効果なし。外すのも面倒なのでそのままにした。11時過ぎまでテントでラジオを聞きながらまったり。テントは大きいので風が吹くとかなり揺らめくが倒壊するほどではない。ブルーシートの音がうるさいが、まあ安心していられる。昼前炊事棟に行くと、みんな昼食の準備をしていた。僕はご飯を炊いてラーメンライスにしたがTさんの持っている醤油ラーメンがおいしいとのことなので交換してもらった。シルバーのおじさんの一人もキャンプ道具を持ってきていて、炊事棟に来ててきぱきと食事を作っていた。かなり慣れた手つきで僕達とはレベルの違うハイグレードな食事をしていた。Tさんはパスタ200グラムとミートソース3人分を大きめのコッヘルに入れて食べていたが、ほぼ満タンで泥寧状態だ。食べ終わる頃にはかなりきつそうだった。食事を終えるとテントに戻り昼寝、しようと思ったのだが風の音や波の音がうるさい。ほとんど寝られなかった。少しお腹が空いたので、ピーナッツチョコレートを一袋食べた。今日は気温が低く風も強いのでシャワーを浴びられないな。3時過ぎシャンプーするために炊事棟に行った。昨日一流メーカーのシャンプーを買ってきたのだ。今まで100円ショップのシャンプーとコンディショナーを使っていたのだが、やっぱり安物はダメだ。染めたのでダメージを受けていたのかもしれないが、髪の毛がパサパサになってしまう。しかし今日は違った。さすがは一流メーカー製だ。香りも泡立ちも洗いあがりも全然違う。サラサラになっていい感じだ。さっきチョコレートを食べたのだが、まだ何か物足りないので中舛売店にお菓子を買いに行った。最近あまりお菓子を食べていなかったのだが復活してしまたな。しばらくすると隣の名古屋のSさんがブルーシートを拾ってきて張り始めた。やはり寒いようだ。彼のテントはオールメッシュの夏用なのでフライの下から風が通り抜けてしまう。テントの周りを段ボールで囲っていたのはそのせいだ。しかし風が直撃してブルーシートはバタバタはためいて防ぎきれないようだ。IさんとTさんも手伝って、拾ってきた3.6×5.4辰離掘璽箸鷲除けにするため木に渡して張りつけた。さらにタ―プのブルーシートをベタに張りなおし風が抜けにくくした。これでだいぶ静かになった。その後炊事棟に集まりダべっていると珍しくSさんもやってきて話しに加わった。月給三万円の仕事(住みこみ食事つき)は10月の中旬で辞め、今は遊んでいるという。しかし最近はいつも朝帰りだ。さっきチョコを食べたので、あまりお腹が空いていない。カップ焼きそばで簡単に済ます。相変わらずの北風で、寒くなりテントに戻った。しばらくうとうとしていたら寝てしまった。9時過ぎ起きて外に出ると異常に明るい。懐中電灯無しで歩ける。見上げると、雲の切れ目からきれいな月が顔を覗かせていた。木々の影が地面に映り幻想的な世界を作りだした。炊事棟を見ると蝋燭が燈っていたので早速向かった。Iさん、Tさん、T君の3人がいた。11時ころまでダべリング。テントに戻る途中、空には星が見えていた。明日は晴れるかなあ。

タクシー! 2002,12,11
今日も風がなく、いい天気だ。海も凪いできて、波の音も静かになった。この天気ずっと続かないかなあ。

今朝は冷えこみ14度ほど、寒いって感じだ。でも日差しがあり、さわやかな朝だ。8時ちょっと前、テントを出て炊事棟に。朝食後は洗濯だ。スウェットのズボンの膝が汚れてしまったのでついでに洗うことにした。膝はもうかさぶたになったのでガーゼを当てていなかったのが失敗だった。左手だけの洗濯はちょっと疲れる、洗ったり濯いだりするのはさほど問題ないが、絞れないのだ。タオルくらいならロープに引っ掛けて左手だけでも捻って絞れるが、シャツやズボンではそうはいかない。簡単に左手で絞って、あとはハンガーに掛けて自然乾燥を待つ。ある程度風がある日ならば半日くらいで乾くが、無風、雨天だと2日くらいかかるな。最近ではテントが大きいので中に干せるようになったが。雨も降りそうにないのでシュラフも干す。そんなうちに11時を過ぎてしまった。午後からは曇りの予報だ。今は風もなく天気もいいので、ちょっと早いがシャワーを浴びることにした。同じことを考えている人もいて、近くのシャワーは使用中だった。少し離れたシャワーまで歩いていく。最近涼しくなったので、シャンプーは比較的暖かい水道水でする、シャワーの簡易水道は自然水なので冷たい。できるだけ浴びる時間を短縮したいのだ。でも今日は冷たくても浴びた後はすっきりだ。今日は1時に八重山警察署に行くことになっているので急がなければ。簡単に昼食を済ませ、タクシーを呼ぶ。15分程で来るというのでテントに戻り、速攻で身支度を整える。炊事棟に行きAさんがもらってきた特売のチラシを見て、どこのスーパーに行くか決めた。しばらくするとタクシーが来た。運転手は急いで来たらしく、入り口のダートの凸凹で小銭の箱をぶちまけて、足元が小銭だらけになっているという。途中工事の信号で止まるとドアを開け小銭をかき集めていた。しかし今日のタクシーはよく飛ばす。90キロ以上だ。途中、自分の子供がいたずらし、携帯電話の呼びだし音が鳴らなくて困っているというので、設定をし直してあげた。3分ほどの遅刻で八重山警察署に到着、帰りも自分を呼んでくれと携帯電話の番号が書かれたカードを渡された。往復6千円の運賃は魅力かな。でも走行中の携帯はやめてもらいたい。警察署に入り交通課に行った。この前の調書を取るということだ。中に入り机をはさんで向かい合わせに座る。まるで取調べを受けているようだ。実際そうなのだが・・・。調書は2枚組みで僕は被害者の用紙だ。日時や、私は・・・から・・・へ、のような決まり文句は印刷されていて、所々に警察官が記入していく。事故の場所や状況、原因などを記入していく。相手方は書類送検され起訴(おそらく簡易裁判)され間違いなく業務上過失障害、行政処分や刑事処分が課せられるだろう。僕は被害者という立場なのだが、相手のことを思うと事故の重さを感じてしまう。いまさらながら安全運転の重要さを思い知らされた。調書の最後に、相手への処罰を(以下空白)という欄があったが、そこは”望まない”と記入してもらった。最後に警察官が一通り読み上げ、間違いないとサインした。1時間弱だった。警察署を出て、さっきのタクシーに電話した。6分ほど待ってくれと言われたが、いったい6分の根拠は何なんだろう。測ってはいなかったが、だいたいそのくらいの時間で来た。100円ショップとサンエーに寄ってもらったが、メ―タ―はそのままで、待ち時間は無しにしてくれた。帰りは前にも増して飛ばす。最高時速110キロだ。そして遅い車をバンバン追い越す。追い越すときに必ずクラクションを鳴らす。運転手曰く「おじいは合図出さずに急に曲がるからこわいさぁー」。あなたの運転もかなり怖いと言いたかった。途中の赤信号で信号を避けて商店の方へ入った。おいおい今度はショートカットかよ、と思ったら停車して車から降りた。「何飲む?」「えっ」「僕のおごりだよ」「じゃコーヒーを」といって自販機でコーヒーを買ってくれた。さらに店の中に入っていきフライドチキンを持って出てきた。その内の一つを僕にくれ、「おいしいけど冷たいさぁー」と言いながら車を出した。走りだすと、缶コーヒー開け、フライドチキンを食べ始めた。ふらふらしながら走る。「タクシーやってると太るさぁー、今月は3舛癲ΑΑΑ廚覆匹反兇蠍きながら話す。手は油だらけ、食べ終わると窓を開け、「カラスのエサ」と言って投げ捨てた。あげくのはてはティッシュ取ってと、振り向いてリヤのボードを指差した。前向いてよ、って言いたかった。 米原に着き、「今度も呼んでよ」って言われた。運転は怖かったがなかなか楽しいおっちゃんだった。その後は炊事棟でまったり。一瞬パラっと雨が降ったので急いで洗濯物を取りこんだ。4時半過ぎ夕食の準備、急いでいたので米の水の量を間違え焦げてしまい、2/3くらいしか食べられなかった。ちょっと足りないのでバナナを2本食べた。一度テントに戻り、7時ごろ炊事棟に行くとIさんとTさんがいた。9じころまで話しをしていたが、浜でT君が焚き火をしているというので行ってみた。昼間枯れ木を伐採たものが山積みになっていたのでそれを薪にしていた。無風の海岸、わずかに聞こえる波の音。時折顔を見せる上弦の月。神秘的な海を見つめ焚き火を囲んだ。夢の中のような、時間を忘れる一時だった。10時半過ぎテントに戻った。

風が止んだ 2002,12,10
最近、ラジオからは冷えこみのニュースが盛んに流れてくる。ここ石垣でも今年夏日になる日はあと数日だろう。

今日はぐっすり寝られたな。なぜだろう。そういえば昨日T君から、「シュラフで寝るときはフリースなんて着ちゃダメだよ。Tシャツで寝なきゃ。」って言われたんだ。寒けりゃまた着ればいいやと思い、Tシャツで寝たんだ。なるほど寒くなかったな、暖かかった。そのせいでぐっすり寝られたのかもしれないな。
目が覚めると静かなのに気付いた。風が止んだ。テントを出ると久しぶりに思える太陽と青空。思わず「会いたかったよーっ」て叫びたくなった。心の中のモヤモヤがふっ飛んで行く。しかしもう12月10日、気温も下がって18度くらい。半袖じゃいられない。フリースを着て炊事棟に行き朝食の準備、いつもと同じトーストとコーヒー。そこへAさんが戻ってきてサータ―アンダギ―を持ってきてくれた。近くの商店で買い物をしようとしたが、一万円札を拒否されたので管理人さんのところへ両替してもらいにいったらしい。そこで管理人さんの奥さんからもらったと言う。2〜3個いただいて食べた。おいしい。昨日乗ったタクシーの運転手はサータ―アンダギ―のことを”砂糖天ぷら”なんて言っていたな。ナイチャ―の僕達にわかりやすいように言ったのだろうが、そうとも言うのか。初めて知ったよ。食事も早めに切り上げ、風の収まっているうちにブルーシートを張ろう。Iさんが来て手伝ってくれた。メインロープに横長にシートを掛け、風上側は地面までぴったりと張り、反対側は途中まで。メインロープは風下側にシフトさせてあるので、こちらは急傾斜になる。北海道の建物の屋根のようだ。後は周囲をバランスよくロープで固定、風上側は石や角材を拾ってきて重しにした。これで大雨が降っても安心だ。あとは強風に耐えられるかだ。日差しも出てきたのでシュラフを干し、昨日仕掛けたゴキブリホイホいを見ると見事に掛かっている。数日前明かりに寄ってきてテントの中に入ってきてしまい、困っていたのだ。蟻もかなり掛かっている。もう一つを見るとヤモリが掛かっていた。コイツも中にいたのか。でもこれですっきりした。銀マットも干し、テント内の荷物を動かしながら床面のシートを全て雑巾掛けした。しかし右手が使えないのは不自由だな。無理をするとピリっとした痛みが走る。時計を見ると11時半を回っていた。昼食を作るのが面倒になったのでIさんを誘って知花食堂に行くことにした。歩いて10分ほどか、すぐに着いた。まだ12時前なので空いている。早速そばの(大)を頼んだ。この食堂のローケーションは最高だ。米原のWリーフを見ながら食事ができる。天気のいい日は外の東屋で食べることもできる。12時を回ると次々にお客さんが来てほぼ満席になった。ほとんどが工事関係の人かな。やや苦労して左手で食べ終わり、クレヨンしんちゃんを見ながらまったり。そばの大盛りで350円だ。歩いてサイトに戻った。風は少し吹いているがシャワーを浴びることにした。気温は19度くらいか、冷水シャワーはきついな。風が吹くと気化熱を奪われ寒い。テントに戻りシュラフを被っていたが、テント内を風が通りぬける。シートを張ったのにな。どうやらテントの内側のメッシュのところから風が入るようだ。仕方ないのでこれを塞ぐことにしよう。フライシートを緩め、隙間に入りこみ外側からビニールを貼った。これでどうだ。しかし風が止んだ。うまくいかないものだ。しばらく体が暖まるまでテント内でコンロに火を着け暖をとった。4時半ころ夕食の準備をしに炊事棟へ、Aさんは寒いのでほとんどテントから出てこない。夕食後、IさんTさんT君と4人でダべリング。8じころテントに戻った。

ジャケットが着れない 2002,12,9
相変わらず強い北風は北風は吹き止みません。テントが揺れています。

北風は止むことはなく、時折強く吹く。そのたびテントが揺れ、上に張ったタ―プがバタバタとはためく。今日は波が4〜5辰搬膸化だ。今朝は寒かった。内地に比べればまだ暖かいのだが気温は18度、なにしろ北風が強く体感温度はかなり低い。ラジオからは、箱根スカイライン、芦ノ湖スカイライン、湯河原パークウェイなど懐かしい道路名が流れてくる。積雪で通行止めということだ。冷えこんでいるな。手が治ったら内地へ帰り、今度は車で北方面に行ってみようか。そう考えると明日への希望が湧いてきた。バイクに乗れず毎日同じように過ごしていると、ブルーな気分になってしまう。おまけにこの天気だ。しかしこの日記を読んでくれている人や、掲示板に書き込んでくれる人の応援にに後押しされて頑張って行けると思います。
午前4時頃、あまりにもタ―プの音がうるさいので外に出てみると、コーナーのロープが1本外れていた。先端がL型のペグに結んであったのだが引っ張られてペグが回転してしまったようだ。仕方ないのでテントのコーナー部の金具に結びつけた。その後朝一度起きたのだがまた寝てしまい、再び起きたのは8時少し前。朝食のキットを持って炊事棟に行く。炊事棟にはAさんがすでにいて、次いでTさんも出てきた。それにしても風が強い。朝食の後はテントに戻りしばらくまったり。Iさんも寒くてテントに戻ったらしく、メールで用件を送ってきた。テントの中でラジオを聞きながら過ごしているともうすぐ昼だ。炊事棟に行くとTさんとIさんが風除けのシートを張り直していた。隙間風を防ごうとしているようだ。しかし強い風だ。どこからか吹きこんできて寒い。適当に袋ラーメンを作り、それだけでは足りないのでスナック菓子を食べた。今日は通院の日なので1時過ぎタクシーを呼んだ。電話をするとおばちゃんが無線で車を探しているようで、号車の応答が遅いと「早く言えよ」と怒鳴っているが、こっちにも聞こえているよ。タクシーは20分程度で来るという。僕はついでに街に買い物にいくのでIさんとTさんも一緒に行くことにした。タクシーが遅いので公民館の所まで出ていったが車は見えない。公民館の周囲を散策しているとタクシーが来た。そのとき携帯が鳴った、Aさんからだ。なんだろう。聞くとチャリダ―のT君も一緒に行きたいと言う。まあ何人乗っても運賃は同じだし、少し窮屈だけどいいか。まずK−MAXに行きブルーシートをGET、次に郵便局へ行き、IさんとT君が現金を引き出してきた。今度はマックスバリューに行き食材などを買い、そして八重山病院に到着。まだ2時半、予約時間まで30分ある。他のみんなは喫煙所に行ったようだ。ずーっと待っていたがなかなか呼ばれない。みんな痺れを切らしやってきたが、結局呼ばれたのは4時だ。手術の途中で方法を変えた事、消毒の仕方を説明された。わずが2〜3分程度だ。ふと気付くと診察券が2枚ある。名前もID番号も全て同じ。なぜだろう。その後支払いを済ませ、キャンプ場に戻ったのは4時半だった。夕食の準備は面倒なのでカップ麺になってしまった。ちょっとさみしい夕食だ。相変わらずの強風のためテントに避難、8時過ぎ一度炊事棟へ行ったが寒いので15分ほど話してからテントに戻った。上着を着たくても手にギプスをしているので袖を通せず着れないのだ。

強風の一日 2002,12,8
昨日からの北風は吹きやまず、風の音、波の砕ける音が夜通し途切れることなく続いた。この状態、しばらく続きそうだ。

夜中に何度か目が覚めた。防風シートが強風でパタパタとなびいてうるさい。最初我慢していたが、何度も目が覚めいいかげん我慢できなくなり、暗闇の中、懐中電灯を手にテントを出た。シートを見ると上部の隅のほうが、ロープが緩みはためいている。引っ張る角度が悪かったようだ。木に結んであったロープをほどき、いろいろな角度から引っ張って見たが、下の方から引っ張ると音がしなくなったので、木の根元に結び直した。その瞬間からぱたぱたは止まった。代わりに近くの人のシートがはためいている音が気になるようになった。どうしようもないので諦めて寝ることにした。
朝明るくなり起きたが、相変わらずの北風と波の音、そしてブルーシートのはためく音。外に出てみると、チャリダ―の人のテントの上に張ってあるブルーシートの風下側のロープが効いておらず、完全にフリーになっていた、これではまるで旗だ。うるさいわけだ。フリースを着込み、炊事棟に行き朝食の準備、風が強くブルーシートを張った炊事棟の中まで吹きこんでくるので、コンロの炎が安定せずお湯を沸かすのに時間がかかる。パンもなかなか焦げない。
朝食の後は寒いのでみんなテントに戻った。ラジオを聞きながら過ごすが、退屈なので外に出てみるとチャリダ―のA君はブルーシートを張り直している。あの場所は風の直撃を受けるので別の場所に移ることを勧めたが、面倒なのか風が収まるまで今の場所で凌ぐという。確かに強風の中の移動は危険だしテントを壊してしまう可能性もあるからね。昼ごろ炊事棟に行くと何人か集まっていた。簡単にカップ麺だけにしたが、お腹が空きそうなのでAさんと近くの商店に歩いていき適当にお菓子を買いこんでテントで食べた。こぼさないように慎重に食べる。こぼすとすぐに蟻が集まってきてしまうのだ。ゴミ袋を外に出しておけば蟻からは逃れられるが、代わりにカラスを寄せ集めてしまう。困ったもんだ。こういう天気の日はどこにも出掛けられず、海を見ても波ばかりでつまらないな。4時過ぎ夕食を作るため炊事棟に行くとTさんがバイクのメンテナンスをしているようだ。チェーンに油を塗って、リムを磨いていた。今日は寒い。気温19度、なにしろ風が強い。海岸線が波にどんどん侵食されて防風林が薄くなってしまったせいだ。その原因は珊瑚礁の減少にあるという。ここに20年以上来ているおじさんに聞くと、昔は枝サンゴもたくさんあり、リーフまで歩いていくと傷だらけになったそうだ。この米原の海は赤土の流れこみが少なく、石垣でも一番きれいな水質なのにな。昔のように戻ることはあるのだろうか。夕食後、一度テントに戻りラジオを聞いていたが、8時ごろ外に出ると炊事棟に蝋燭が燈っていた。早速炊事棟に行き話しに加わった。しかし寒いので9時過ぎにはテントに戻った。

ついに冬か? 2002,12,7
キャンプ場で迎えた朝、今日も晴天。でも午後から天気が崩れる予報。それでも予想最高気温28度。夏日だ。

朝7時起床。右手は多少痛みが残っているが気にはならない程度になった。それよりも左手首のほうが痛い。胸も相変わらずだ。今度病院に行った時もう一度診てもらおう。しかし右手は思ったより痛みが無くて助かったよ。
7時半ごろテントを出て炊事棟へ。お湯を沸かしコーヒーを入れた。トーストのチーズは3日間放置していたが多分大丈夫だろう。後で腹の調子が悪くなったような気がするが、気のせいだろう。
いい天気なのでシュラフを干し洗濯をした。その後炊事棟でまったり。しかし、しばらくすると雲行きが怪しくなってきたのでシュラフを取りこみ洗濯物を炊事棟に移した。これじゃ乾かないかな。11時半とんかつ力がオープンするのでIさんと歩いて向かった。しかし店は準備中になっている。もう開店時間は過ぎているのになあ。仕方ないので店の前のベンチで待つことにした。しばらくするとマスターが出てきて笑いながら「オープンするの忘れてた」と言って準備中の看板を裏返した。早速中に入り今日はロースのシングルを頼んだ。シングルといっても皿いっぱいのトンカツだ。ご飯のおかわりもOKだ。でも僕はこれだけで十分だ。サラダと味噌汁も付いている。ふと外を見ると大粒の雨、すぐに強烈になってきた。たたきつけるような雨だ。とてもこの状態じゃ帰れないのでしばらく雨宿り、八重山新聞をみながら過ごす。ようやく小降りになり店も込んできたので帰ることにした。買い物に行ったAさんは大丈夫だったかな。この前は、ぽたっ、ぽたっ、だあーーーっと、合羽を着る間もなく降られてびしょ濡れになったという。サイトに戻ってもAさんは戻っていなかった。雨が止むと戻ってきて、どうやら途中で雨が止むのを待っていたという。その後テントに戻ってみると、なんと雨漏りしている。フライシートのどこかからしみこんできた雨がメッシュの部分から垂れている。応急処置としてテントの上にレジャーシートを被せた。取りあえずこれで雨漏りは防げるだろう。念のため、この前テントの上に張ったロープに大きめのレジャーシートを張っておいた。やっぱりブルーシートを張らなきゃダメだ。今度街に行った時買ってこよう。
右手は一日一度自分で消毒してガーゼを交換しなければならないので、包帯を外しく傷口を見てみた。黒い糸で数針縫ってあり、別の個所に先を曲げたステンレスの針金が刺さっている。痛くは無いのだが痛々しい。この針金が5センチぐらい刺さっているのか。見ていても仕方ないので消毒しガーゼを交換し包帯を巻きなおした。その後テントで少し休んだ。雨も上がり、少し風が出てきたので洗濯物をテントの側に移し、夕食の準備に取りかかった。Iさんはガンダムを見るためにちゃーがんじゅーさーに向かったようだ。夕食の後テントに戻って日記を作成、暗くなったので炊事棟に向かった。蝋燭に火を付けダべリング、間もなく雨が落ちてきた。なんだよー、さっき洗濯物を移したばかりなのに。速攻で取りこみ炊事棟に移した。炊事棟ではパソコン用のスピーカーにMDを接続し音楽を聞いて過ごした。先日きたチャリダ―も加わって話しをしていたが、9時頃になって風と雨が強くなってきた。すぐに止むだろうと思ったが、30分経っても止みそうにない。みるみるうちに炊事棟の周りは水浸しとなり、米原湖が形成された。だんだん寒くなり、このままここにいても埒(らち)があかないのでテントに戻った。雨漏りはしておらず、防風シートのおかげで強風時でも快適だ。しばらく北風が続きそうだな。冬の到来か。

退院だ! 2002,12,6
入院3日目、天気は快晴。

夜中に何回か検温したようような気がする。でもゆっくり寝られたな。朝6時半ごろ目が覚めたがまた寝てしまった。
ふと気付くと手や指の感覚は完全に戻っていたが、予想通り鈍痛がある。まあ皮膚を切り開いてピンを3本も刺したのだから仕方ないが、我慢できないほどでもない。動かしたりするとピリっとした痛みが走る。しばらくは右手があまり使えないな。左手首にも輸液用の針が刺さっているので曲げると痛い。
病院の寝巻きは膝までめくれないし、なにより恰好わるい。早々にTシャツと半ズボンに着替えてしまった。これですっきりだ。朝食はご飯、ふりかけ、味噌汁、卵のあえもの?そして牛乳。ちょうどいい量だ。しばらくしてギプスに窓を開けるため処置室に行く、例のリュ―タ―で四角くくり貫いた。消毒をし傷口を見るとT字型に縫ってあり、針金の先端が1本出ている。最初の説明と違うな。手術前の説明は、2本ピンを打ちピンの頭は出さないはずだったのに。先生は3〜4週間後に外来で抜くと説明したが、この方法は週3回通院する必要があると言っていたな。いったいどうなんだ。病室に戻りベッドでまったりしていると、IさんとTさんがお見舞いに来てくれた。この病院の面会時間は午後3時から8時と夜型だ。さすが沖縄。しかし面会時間はあまりうるさくないようだ。もうすぐに帰れると思って荷物をまとめ、輸液の針を抜いてもらおうと思ったが、抗生剤の点滴が午後1時にあるという。なんだ、帰れるのはこれじゃ夕方だな。クーラーが効いて寒いので毛布を被ってしばらくMDを聞きながら休んだ。気が付くと昼食の時間、病院の食事はちょうどいい量だ。食べ終わり、まったりしていると抗生剤の点滴を開始、1時間ほどかかるようだがまた寝入ってしまい残り僅かなところで目が覚めた。その後看護婦が来て針を抜いたが、太い針ということで抜いた後強く押さえるので痛い。まるで拷問を受けているようだ。左手首の関節は痛いんだよー。とも言えずに我慢。でもほとんど出血しなかった。一応これで全て終わったが、入院費の計算にはまだ時間がかかるというので、その間に温水シャワーを浴びてすっきりした。戻ってくると会計窓口に行くように言われ支払いを済ませ荷物をまとめ看護婦に挨拶して3時過ぎ病院を後にした。病院前に待機していたタクシーに乗りこみ買い物に行くことにした。まず100円ショップに行き蝋燭と乾電池、次にマックスバリューで食材を、次いでサンエーでミニロト&ロト6を買い3日ぶりにキャンプ場に戻った。昨日大雨でも砂を盛ったことが功を奏し水没せずに済んだようだ。テントの中を整理し夕食の準備。今日は手が痛いので早めにテントに戻った。しかし蚊が1匹入りこんで足を3箇所くらい刺された。結局捕まえることができず、あきらめてシュラフを被って寝ることにした。

運命の日 2002,12,5
久しぶりにベッドで起床、6時半じゃまだ暗いな。夜中に検温に来た気がするがよく覚えていない。

8時朝食、自分で作らない朝食も久しぶりだ。看護婦が来て手術用の輸液の針を付けるという。普通のものより太く痛い。僕の血管が細いのかわからないが、かなり痛い思いをしたのに失敗。後で再試行するという。勘弁してもらいたい。8時半ごろ主治医の先生が来て処置室に行きギプスをカットする。例の不思議なリュ―タ―というかグラインダーというか、振動する歯車みたいなヤツだ。ギプスに当てるとしびれるしびれる。硬い物しか切れないが熱い。完全にはカットせず手術の時簡単に外せるようにした。9時になるとレントゲン室に行くように言われた。やっぱり撮り直しか。レントゲン技師は手のひらを上にして撮りたいようで、手をひねるがちょっと無理がある。まるで関節技だ、護身術じゃないんだから。その後別の看護婦さんが来て輸液用の針を装着しようとするがまた失敗、血管が蛇行していたり、静脈の弁に引っかかりうまく入らないという。あちこち刺されてそのたびに顔を歪めるほど痛い。結局うまく入ったのは手首の血管で5回目だった。まいったよ。すぐに輸液を開始、最初のは栄養分だろう。しばらくすると手術の時間が早まったと言われ、もう1パックの輸液を追加、これは抗生物質だ。11時過ぎ輸液が終わらないうちにお呼びがかかった。手術着に着替え手術室に歩いて向かう。いくつかの扉を通過し手術室へ、二重の自動扉は足でスイッチを操作するようになっている。例のライトがたくさん付いている照明の下のベッドに寝かされる。T字型になっていて右手を乗せるようになっている。そのうち深緑色の布を被され視界を遮られた。心電図のとSPO2のセンサーを取り付けられる。プルスの音が出始め緊張感が高まる。いよいよ麻酔だ。わきの下の動脈を探しているようで黒いマジックで印を付けたようだ。「ちくっとしまーす、しびれたらどの指かおしえてください」といわれたが、いったい何をするのか。注射程度の痛みはあるが、我慢できないほどでもない。さっきの輸液の針のほうがよっぽど痛かった。そのうち強烈な電気が腕を駆け抜けた。肘の内側を強打したようなアノ感覚だ。「来ました!中指です」「麻酔はゆっくり効いてきます」だんだん感覚が鈍ってくる間、腕全体を消毒している。そのうち指を動かすことができなくなった。しかしまだ感覚が残っている。追加の麻酔をしたら親指付近は全く感覚がなくなった。そのうちX線透過装置(だと思う)が作動し、頭の後方に置かれたモニターを無理やり覗きこむと、リアルタイムで骨格がみえる。おもしろい。次にエアードリルのような音がして針が刺さっていく。骨の表面で一旦止まりしばらくすると貫通した。鉄板をドリルで貫通させるときと同じ感覚だ。1本目がうまく行かないようで一度引き出して、途中から方向を変えて刺し直した。もし麻酔が効いていなかったら・・・などと考えるとぞっとする。手の奥の骨に刺さるとき鈍い痛みを若干感じたが、おおむね痛みはない。でも今自分の手を見たらショックを受けるだろうな。結局ワイヤー3本が刺さった。ワイヤーの先端を曲げ、カットしたようだ。そのうち傷口を縫合しギプスを巻いて終了、1時間半くらいだったかな。時計は午後1時だった。輸液をするとトイレに行きたくなるのはわかっていたが、手術中じゃトイレにも行けない。後半は手のことよりそっちの方が気になって仕方なかった。ベッドから自力で立ちあがり、そのまま歩いて病室に帰ったが、変な感じだ。肘から下は全く感覚が無く、いくら頑張っても動かせない。寝たまま右手を上げると関節が曲がってギプスが顔を直撃、いてっ!本当に自分の手か?ずっとしびれた状態で少し動かせるようになったのは麻酔から6時間くらいしてからだった。なんとなく頭が痛いので薬をもらってベッドで休んだ。夕食の頃には頭痛はおさまっていたが、なんとなくだるく、なにもやる気がしない。ベッドで休む。10時過ぎまでテレビを見ていたが、寝ることにした。

入院1日目 2002,12,4
今日もいい天気、海はベタ凪。無風だ。予想最高気温27度、12月なのに連日の夏日。信じられないよ。

ここのところ晴天続き、北風も永らく吹いていない。快適そのものだ。今日は早め、7時15分ごろテントを出た。そういえば昨日チャリダ―が一人来たな。一言挨拶しただけだったがこの時期に来るなんて珍しいよ。浜でまったりしているようだ。炊事棟にはまだ誰もいなかった。しばらくするとAさんも出てきた。お湯を沸かし、トーストとコーヒー。ワンパターンだがこれが手軽でおいしく飽きないよ。栄養価もある。と思う。Aさんは水曜市だといって早々に出掛けていった。今日は入院する日なので食事を終え落ち着いたところでテントに戻り荷物を整理する。テントが大きくなったので中はごちゃごちゃになってしまった。それに荷物もかなり増えている。とてもバイクには積みきれないので帰るときは別便で送るしかないな。日が射してきたのでシュラフ3枚を干す。一人で3枚も使っているキャンパーは他にはいないだろう。シュラフのファスナーを全開しフラットにし、銀マットを横に2枚並べてその上に敷き、敷き布団にする。そして掛け布団は2枚用意し気温で調整する。拘束されなくなったのでかなり楽になった。このテントと干してあるシュラフを見たら、誰もがファミリーキャンパーと思うだろうな。それにしても暑い、テントの中はまるでサウナだ。日中はちょうど直射日光を受けてしまう。東側に木が無いのだ。あまりの暑さに一度作業を中断、海のほうを見てみた。昨日にも増して海はベタ凪、ウサギは全く跳んでいない。さらに大潮の満潮でリーフで波も砕けない。なぜか水平線は青く霞んで空と区別できない。こんな神秘的な海は初めて見た。しばらく立ち尽くしていた。炊事棟に戻り昼食は何にしようか悩む。ラーメンだけにしようとも思ったがそれだけじゃ寂しいな。検討の結果、米を1合炊いてラーメンライス、さらに1枚余っていた食パンでトーストにすることにした。安売りで買った5袋198円の旭川ラーメンはうまい。Tさんは同じ値段のトップバリューのラーメンを持っていたが、まずい、二度と買わないを連発していた。
Aさんが帰ってきてまず一言「曇っているのはここだけだ」、見まわすと確かに平久保や川平方面に雲は全く無い。於茂登岳で上昇気流が起き、それで雲ができるようだ。ラーメンを食べたら余計暑くなり汗が出てきた。手元の寒暖計は25度を超えた。街ではいったい何度になっていたんだろう。時折日が射してくるのでシャワーを浴びることにした。今までこのキャンプ場では僕が命名したのだが冷たい水シャワーを浴びることを”修行”と称していた。しかし昨日、楽園から泳ぎに来ていたキャンパーの前で、4人で口を揃えて嫌そうに「それじゃー修行するかあー」と言ってしまったが、後から考えると彼はどう思っただろうか。米原に変な教団が合宿しているなどと思っただろうか。やばいやばい、一般人の前で安易に”修行”などという言葉は使わないようにしようと申し合わせた。
シャワーを浴びた後、再びテントに戻り荷造り開始、取りあえずパッキングし全ての荷物の下に段ボールや発泡の箱を置いて浸水に備えた。外に置いていた荷物をテントの中に入れファスナーを閉めた。2時を過ぎたのでタクシーを呼んだが意外に近くにいた。10分ほどで来るという。少し早いがまあいいか。持っていく荷物をまとめ炊事棟で待っていると、間もなくタクシーが来た。Aさんに留守中をよろしくお願いし、乗車、病院に向かった。信号が無いので20分ほどで到着、受付を済ませ待合室で待っていた。しばらくし病室に案内され問診を受けていると、Iさんが缶コーヒーを持って来てくれた。看護婦はナースコールでたびたび席を外す。体温を測ると37.2度。あれっ、微熱があるな。けがの影響だろうか。入院が長引くと困るな。看護婦は爪を切りましょうね、と言っていたが行ってしまった。僕は爪切りを持っていたので面会場で切っていると看護婦が気付き、「ごめんなさい、すっかり忘れてましたね」。暇なのでベッドで日記作成していたが、間けつ的に看護婦が来てそのたび中断する。「脇の下から麻酔するので・・・」ということで右側だけすっかり剃られてしまった。変な気分だ。6時過ぎ夕食だ。あさひ食堂並にボリュームがある。焼肉、ブロッコリー、金ピラゴボウ、酢のもの、そうめん、リンゴ2きれ、ご飯220g。コップは持ってきたのだが箸を忘れたので割り箸をもらいに行った。全部食べるとお腹いっぱいだ。暇なのでテレビカードを買って久しぶりにゆっくりとテレビを見た。7時ごろ主治医の先生が手術とその後の経過を説明してくれたが、初めて来たときに撮ったレントゲン写真がなくなってしまったという。明日まで探して見つからなければ撮りなおしと言っていた。不安になってきたなあ。バイクには2ヶ月は乗れず、週一度の通院という。いったいいつ帰れるのか。ついでに胸が痛いことを言うと、おそらく肋骨にひびが入っているという。これはレントゲンには写らないらしい。8時になったので久しぶりに”温水”シャワーを浴びた。シャワーのことでも沖縄では”お風呂”って言うんですね。9時には消灯だ、テレビも10時には電源がカットされる。寝るとするか。

パラダイス 2002,12,3
今日もいい天気、この時期こんなに晴天が続くなんて信じられない。晴男復活か?

7時20分、テントを出ると快晴、朝方は少し涼しかった。昨日食料は調達出来たので、朝はトーストとコーヒーだ。落ち着いたところでテントの出入り口の所にタ―プを張ることにした。テントだけでは雨のとき出入りが大変だ。しかしタ―プを張ることを考えずにテントを設営したのでロープを縛る木がちょうどいいところに無い。仕方ないので試行錯誤のうえ長く張ったロープを横から引っ張ってテントの上を通るようにした。さらに垂れて来ないように高い木の枝から垂直方向に引っ張る。ロープの先に石を結んで投げるのだが右手が痛くて投げられなかった。そこに昨日来たXLRのライダーが来て投げたら目標の枝に一発で掛かった。「うまいね!ピッチャーやってたの?」「本当はもう一本上の枝を狙ったんだけど」、しかしこれで十分。ロープに洗濯物を掛けても弛まなくなった。今度は1.8×1.8辰離掘璽箸余っていたので片方をロープに固定。もう片方を低くし近くの木に縛りつけた。空中には幾何学的にロープが張り巡らされた。高校のころのベクトルの合成を思いだした。早速シュラフを2枚干したが全然弛まない。OKだ。昼はカップ焼きそばと昨日もらったみかん、それとトーストを1枚。テントに戻ると異常に蟻が多い。原因を探すが見当たらず、発泡スチロールの箱を持ち上げると、なんとテントの底が食い破られて蟻が自在に出入りしている。やられたー!蟻アースを持ちだしその穴にスプレーし、ガムテープを貼った。これで大丈夫か、蟻の巣の上にテントを張ってしまったようだ。しかしテントの中は暑い、充電器を探していたら汗がぽたぽた垂れる。今日の予想最高気温は27度だ。愛知のXLR乗りのTさんはなぜかテントの上にブルーシートを張っている。かなり複雑にロープを張ってしまったので出入りが大変だ。気を付けないと首を引っ掛けてしまう。2〜3日滞在と言っていたのに定住モードに入ったようだ。Aさんがそそのかしたのかな。年越しは・・・などと言っている。
久しぶりに浜にパイプ椅子を持ちだし偏光グラスをかけMDを聞く。真っ青な空に真っ白な雲、エメラルドグリーンとコバルトブルーの海、ここはパラダイスだ。ゆっくりと時間が流れていく。ずっとこのままでいたい。海には泳いでいる人がいる。くやしいな、僕も怪我をしていなかったら連日泳いでいたのに。ふと見ると水平線に船だ。かなり大きくこちらに向かってくる。双眼鏡で確認するが船名までは確認できない。しばらくすると転回を始め近付いてきた。さらに転回し真横を向いた。船首をみると飛鳥だ。まだいたのか、航海の帰りかわからないが、米原Wリーフのすぐ脇を通過。船尾のデッキにはたくさんの乗客が出ている。こんな凪の快晴の日のクルーズは最高だな。うらやましい気がする。沿岸を航海しながら船尾をこちらに向け平久保先方面に向かった。やがて水平線の彼方に姿を消していった。
暑くてたまらないのでシャワーを浴び炊事棟に集結、置いてあった荷物を隅に寄せ、薪用の釜をコンクリートで固めた部分に銀マットを敷くとぴったりだ。愛知のTさんが持ってきた銀マットを加え、長さ3.6辰離戰奪匹完成した。適当なクッション、コンクリートの涼しさと通りぬける風で最高に快適だ。そこに寝てまったり。しかしまだ蚊がいる。最後の蚊取り線香に点火した。やがて夕食の時間、ご飯を炊きカレーライス、フルーツミックスの缶詰を開けデザートだ。暗くなってきたので短くなった蝋燭に一斉に点火。遠くから見ると、何かの儀式のようでかなり不気味だ。初めて来た人がこれを見たら、見て見ぬふりをして逃げ去って行くだろう。怖いと思うかもしれない。今日は早めに寝ることにし、9時ごろテントに戻った。

久しぶりの街 2002,12,2
今日もおそろしくいい天気だ。この時期にこんなにいい天気が続くなんて奇跡だ。

7時過ぎ目が覚めたがどうも調子が悪い。なんとなく気持ちが悪く頭も痛い。8時前テントから出て炊事棟に向かった。
食パンは無いのでバームク―ヘントお菓子で朝食にした。コーヒーを飲めばすっきりするかと思ったが、まだなんとなく調子が悪い。しばらく炊事棟にいたが、みんな出掛けてしまったのでテントでまったり。11ごろまでテントの中や周囲を片付けているうちに調子が回復してきた。今日はバスで買いだしに行く予定だ。炊事棟に戻ってみるとゴミが散乱している。熊手や金槌も散乱している。カラスの仕業だ。カラスは頭がいいので、匂いではなく目で判断する。いづれもコンビニの袋に入っていたので引っ張り出したのだろう。油断も隙もない。昼はどうしようかと思ったがカップ麺にした。準備をしようとテントに戻ると今度はこっちが荒らされている。ロープをまとめて入れてあった袋が無くなり、ロープだけが残されていた。憎き黒い悪魔、何とかならないものか。その後身支度を整えDバッグを取り出し準備完了。Aさんも買い物から帰ってきたのでバス停に向かった。今日も夏日だ、日陰にいないと汗が吹き出てくる。定刻より少し遅れてバスがきた。手を上げて合図する。ドアが開き乗りこむと乗客は二人。運転士に八重山農林高校に一番近いバス停は?と聞くと登小前と教えてくれた。運賃720円を運賃箱に入れて中を見渡した。席は左の一番前だけ前向きのシングルシート、他は進行方向に並行のロングシートだ。一番後ろは5人掛けのシート。まるで都心の電車のようだ。一番前に座ろうと思ったが、最後部に座っているおばあが荷物置きとして占領しているので、そのすぐ後ろに座った。乗客が少ないのでなるほどこれはパノラマシートだ。海の方向が広角度で見通せる。天気がいいしリーフがきれいに見渡せる。最高だ。自分で運転しているときの風景とはまるで違う。バスはゆっくりと進んでいく。一人で貸し切りのようだ。途中川平公園で中年の女性が3人乗りこんできた。3人ともアイスクリームを手に持っている。運転士がクーラーのスイッチを入れ発進。1時間弱で到着、少し逆方向に戻る。すぐ近くに労金のキャッシュコーナーがあり、反対方向に歩いていくとマックスバリューだ。早速食材や歯磨き、乾電池などを買いこむ。ついでに蟻アースも買う。会計を済ませDバックに詰めこむ。意外に重いな。まだ時間があるのでターミナルまで歩くことにした。まだ左膝が腫れていて痛い。我慢できないほどでは無いが、傷口を乾かしてしまわなかったほうがよかったのだろうか。20分ほどでターミナルに到着、ちょっと汗ばむくらいで快適だ。Tシャツ半ズボンでちょうどいい。15分くらい前に到着、ちょうどいい時間だ。自販機で野菜&果汁MIXジュースを買い一気に飲み干した。あまりおいしくなかったか、一日分の野菜が摂取できるという。うーん、ヘルシーだ。バスが横付けされ乗りこむと今度は盛況だ。乗客が8人もいる。街を抜け、八重山病院前で4人ほど乗りこんできた。ほとんどは、おじい、おばあだ。だんだん乗客は減っていき、途中バス停でもないところにおじいが指示して停車させた。家の前か?・・・これが八重山か。でも行きのとき八重山農林で止めてくれなかった。荒川バス停を通過したところでボタンを押す。今日は明るいのですぐわかった。ぼくともう一人降りた。さっそくサイトに戻り、シャワーを浴びた。気温は23度近くあるのでそれほど寒くない。その後夕食の準備、米を買ってきたのでキャンパー定番のラーメンライスだ。その後はいつものように炊事棟でダべリング。Nさんからメールが来た。今那覇で、明日帰るという。返信しようと思ったら間違えて削除してしまったので電話してもう一度送信してもらった。暗くなり沖合を見ると、かなり大きな船の明かりが見えた。飛鳥か?天を仰ぐと満天の星空。付も出ていないので、天の川も見える。久しぶりにみたきれいな星だった。10時前テントに戻った。

まったり 2002,12,1
今日から12月、いよいよ師走だ。いつかは来ると思っていたが意外に早く感じられた。

僕が旅に出てからもう2ヶ月だ。1ヶ月は放浪、その後は米原に定着、これから離島の旅を続けようと思っていましたが、思わぬ事故で断念せざるを得ないことになってしまいました。しかし、この程度の怪我で済んだのは運がよかったのかもしれないね。いつかはまたバイクに乗れるようになるだろうが、これを教訓にしなければな。

外傷の方はだいぶよくなってきた。しかし骨折している右親指は内出血で紫色になってしまっている。以前かかとを骨折したときもこんな感じだったな。レントゲンでは写っていなかったが、よく骨折とわかったな。自分ではわかったが、触診で判断できるとはさすが医師だ。侮れない。右脇の痛みは相変わらず好転しない。むしろ悪化しているような気もする。大笑いしたり咳やくしゃみもできない。ちょっとつらいな。
ビーチャ―のおかげで寝不足ぎみだ。しかし明るくなると目が覚める。トーストを作ろうと思ったが、スライスチーズがないので食パンをそのまま食べた。後から気づいたのだが賞味期限は昨日だった。まあ大丈夫だろう。
バイク乗れないので、ずっとキャンプ場でまったり。天気がいいのでちょっと残念な気もする。気温が25度にもなるので今日泳げたな。蝉も鳴いているし、蚊も勢いを取り戻した。いったいどこに隠れていたのだろう。日曜とあって地元の人も遊びに来る。なんとものどかな感じがするひとときだ。
テントが大きいので中での移動は楽だ。すこし屈めば立ったまま動ける。でも広すぎて全ての荷物に寝たまま手が届かない。前のテントは1.8短擁で僕の身長だと斜めに寝ないとシートに頭が接触してしまう。そのため底面に対角方向にマットを敷き寝ていたので左右に荷物が分散されて手の届く範囲に置くことができた、というよりそのようにしか置けなかった。今度はデカいので横でも縦でも余裕だが、荷物が分散しすぎて探すのに苦労するようになった。
昼、4人でとんかつ力(りき)に行くことにした。Iさんによるとカツカレーがうまいとのことだった。そういえばまだ力でカツカレーを食べたことなかったな。歩いて出発、通りに出ると車がたくさん止まっている。そうだ、もう12時だし今日は日曜日か。店に着くとやはり満席だ。外のベンチで待つことにする。店の前には赤いタンクのSRXが置かれているが見たところ永らく走っていないようだ。この状態じゃかなり整備しないと乗れないな。まだ6000キロくらいしか走っていないのにもったいない気もする。しばらくすると席が空き中に入った。みんなカツカレーをオーダーした。大きなトンカツでカレーはやや辛口、これくらいなら問題ない。噂の通りおいしくボリュームもたっぷりだ。お腹がいっぱいになりサイトに戻った。日差しがあるので傷口をコンビニ袋でカバーしてシャワーを浴びた。それほど寒くはない。そそ後は炊事棟でダべリング。結局今日はみんな出掛けなかった。夕方チャリダ―夫婦が僕のテントの隣に来た。テントが3つ並んだので少しだけにぎやかになった。8時半過ぎテントに戻った。