やじさんの日記帳 2002年11月

引越し 2002,11,30
今日で11月も終わりだ。なんか押し迫ったような気になります。
いつものように7時半起床、トーストとコーヒーで朝食の後、炊事棟でまったり。双眼鏡を取り出し水平線を眺める。今日入港の飛龍21の姿が見えた。しばらくすると北海道から来たNさんが来て、今日の船で帰るので、直してくれたお礼にテントをくれるという。他にも持って帰れないコンロなども置いていくという。えっ、まだ一週間も使っていないのに、ほぼ新品だ。本当にいいのかなあ。その後洗濯をし浜に出るとNさんがいた。一人で星の砂を探していた。沖合に琉球海運のわかなつおきなわが見えたので、あれが今日帰る船だよ、と教えてあげた。そこで少し話しをした。苫小牧から石垣まで出てきてこんな結末、僕もせつなくなった。ここに来るまで一ヶ月くらい放浪してきたとか、静岡では御前崎や白浜に波乗りに来たとか話していた。少ししか話しをする機会はなかったけど寂しくなるなあ。もう少しゆっくりしていけばいいのに。再び沖合を眺めると見るからに豪華客船が航行している。初め台湾の客船かと思いカメラと双眼鏡を取りに炊事棟へ行った。倍率を上げ船首部分をよく見ると郵船の飛鳥だ!飛鳥が来ていたんだ、しかし随分近くを航行している。おそらく米原のWリーフを見せているのだろうが、見る限りバルコニーに出ている人は少ないようだ。その後川平湾方向にむかっていたが向きを変え、岬を回りこんで視界から消えていった。あの船に一度誰かと乗ってみたいなあ・・・。
昼食の後、Nさんは室蘭のTさんの車で米原を後にした。旅人は別れの挨拶に、「さよなら」は言わない。「またどこかで」と再会を期待して別れる。でもやっぱり心にぽっかり穴があいた感じだ。
4時半、テントの移動を開始。テントのほかシュラフや銀マット、ヘッドランプ、食材も残してあった。ありがたく頂戴することにする。しかしテントはデカい。キャプテンスタッグの2.7×2.7辰嚢發1.7辰5人用だ。これなら膝に怪我をしていても楽に出入りが出来る。4人で4隅を持ち10号から5号まで移動。さっき砂盛をして作った土俵の上に乗せた。うーむ、デカい。このキャンプ場で一番デカい。4方にペグを打って固定するが、風が吹くと面積が大きいので危険だ。前にタ―プとして使っていた3.6×5.4辰離屮襦璽掘璽箸魍阿掘近くの木の間に張り風除けとした。なるほどこれなら大丈夫だ。薄暗くなってしまったので必要な荷物だけ移動し、あとは明日にすることにした。夕食の後、炊事棟ではビーチャ―が大声を上げているので近寄らず、Iさんと僕の新テントの前でダべリング。9時過ぎそれぞれのテントに戻ったが、ビーチャ―は午前1時を回ってもあちこちで騒ぎ散らしていた。

遠くの親戚より・・・ 2002,11,29
昨日に比べると、だいぶ楽になった。しかしテントの出入りは相変わらず苦労する。

7時半過ぎテントから出た。今日も比較的いい天気だ。天気予報は全く当てにならない。右手がギプスで固定されているのでフォークは何とか持てるが箸は使えない。トーストとコーヒーで朝食にする。片手が使えないとこんなに不便だなんだと気づいた。でもその代わりに左手でも何とか出来るようになってきた。できるだけ他の人の手を借りないようにしているが、親切なAさんはいろいろと手伝ってくれる。ありがたい。シャワーが浴びられないので炊事場でシャンプーし、ぬるま湯で体を洗い、テントで着替えた。そんなうちにバスの時間は過ぎてしまったので、タクシーを呼んだ。こちらでは迎えの料金は取られないし、初乗り運賃は390円で極端に安い。25分ほどで来るという。公民館まで歩いていき乗車、八重山病院まで頼んだ。運転手は消毒やガーゼ交換くらいで毎日米原から通うなら、内地へ帰ったほうが安いというが、僕は毎日は通院する必要はない。入院の日までの薬はもらってあるので今日は特別だ。また、八重山病院はかなり待たされると言う。さらに運転手はこっちの方の人の運転は怖い、昨日も2度怒鳴り付けたといっていた。病院までの道のりは信号がないのですぐに到着する。2790円、内地の比べると異常に安い。受付に行き、診察券を出す。今回は健康保険を使うことにした。この病院は交通事故でも損害保険会社請求はしてくれない。都度患者が払わらなければならない。最初は知らずに自費扱いにしたら全額請求された。毎回自費ではたまらないので健康保険を使うことにした。ちなみに支払い窓口の横に銀行系のキャッシュディスペンサーが設置されている。呼ばれるまでかなり時間がかかることが予想されたので、シグマリオンで日記を作成、文庫本を読んだり居眠りをしたりして過ごす。一時間以上過ぎ、ようやく呼ばれたので行ってみると看護婦さんが前回の病状を確認するだけだった。しかしどうしても会話がかみあわない。おととい救急外来で来たのに、昨日皮膚科にかかっているようなことをいう。おかしいなあ、カルテをみても全然違う科のスタンプが押されている。よくみると表紙の伝票は僕の名前だが中身が他人のカルテだ。おいおい、だいじょうぶかよ、前回は左右を間違えてたし。しばらくして先生に呼ばれた、ガーゼが取れないと説明すると、「腫れてきたからかなあ」と言うが、テープが貼ってあるから取れないんだと説明すると「じゃ、切りましょうね」といってガーゼを切り取った。そして引っ張って取ってしまった。いて―!その後左手のレントゲンを取ったが骨には異常はない。軟骨が衝撃で損傷したらしい。先生は、軟骨は血液があまり流れないので痛みが長引くかも知れない、と脅す。でも何とか関節は動くので良しとしよう。湿布を処方され、近くの薬局に処方箋を持っていき薬をもらった。院内の薬局では手が回らないらしい。まあ待たされるよりはいいな、薬局も隣だし。何だかパチンコの景品交換所のようだ。帰りもタクシーで行きと同額だ。こっちのタクシーは客を乗せるとスピードをかなり出すな。車両はかなり古い。
サイトに戻り昼食を作った。隣のAさんは明日撤収し本島へ行く予定で、昨日からパッキングを始めていた。でも僕のことを気遣ってくれて最後まで米原にいることにしたという。本当にうれしくなる。あちこちの知りあいに明日帰ると挨拶して回っていたのに・・・。
夕方までまったり。夜、Iさんも加わりダべリング。しばらくアルコールは控えようと思う。

ついにトホダーか? 2002,11,28
夜中に何度か起きた。寝返りを打つのも起きあがるのも大変だ。

朝7時半過ぎ起床、昨日買ってあった菓子パンとコーヒーで朝食、風もなく薄日の射すいい天気だ。海も凪いでいる。
一晩経つとあちこち痛みだした。左手首と両肘、右肩、首も痛くなった。でもこれらは普段は気にならない程度だが、右胸の痛みは別だ。笑ったり咳をすると痛い。笑うと痛いのはさすがに困った。
バイクは事故現場に置き去りだったのでIさんに頼んでキャンプ場まで引き上げてもらうことにした。現場まで行き損傷程度を確認、エンジンがかかることは昨日確認している。オイルが洩れているが何のオイルだろう。ブレーキはリザーブタンクいっぱいに入っているし、レバーに手応えがある。色や量から察するとエンジンオイルでもなさそうだ。ガソリンでもクーラントでもないし、残るはホークくらいだ。よく見ると右ホークのフェンダーの取付部が裂けていてオイルが出ている。ハンドルを押しつけるとオイルが出てきた。少なくともこれなら低速で短距離の走行は問題ない。まあよかった。キャンプ場に戻り細部も確認、フレームやタンクは大丈夫のようだがカウル関係は傷だらけで割れている。このまま放置しても仕方がないので保険会社に連絡し、バイク屋さんに引き取りに来てもらうことにした。電話するとすぐに来てくれるという。20分ほどで到着、意外に早いな。でも乗ってきたおじさんはバイクを見て途方に暮れているように見える。丁寧に乗っていたので見た目は新車だが、実際は7年以上経過している。ほとんどの人は信じられないと言う。さらにこのバイクは200台の限定生産。モデルチェンジ後最初のモデルなので部品があるか心配だ。おじさんはしばらく見まわした後「時間かかるよ」とつぶやいた。さらに「こんな大きいバイクはウチに入らない」とも言っていた。1ヶ月以上バイクは乗れないし時間はいくらかかってもいいのだが、どうやって持って帰ろうか考えてしまう。一通り損傷個所を確認後、Iさんに手伝ってもらい軽トラックに積みこんだ。斜めに積んでギリギリで後アオリが閉まった。バイクがなくなると、「ついにやじさんもトホダーになったね」、などど冷やかされた。通院することはないのでここにいてもいいのだがすることがない。膝が回復するまでは浜も長くは歩けない。まあしばらくはまったりするか。
落ち着いたので病院でもらったガーゼを交換することにした。しかし膝の傷の面積は広く、ガーゼが癒着してなかなかとれない。0.5世らいづつ引きはがしてはため息をつく。そんな繰り返し、ストレスがたまる。時折かなり痛い時がある。30分以上かかってやっと剥がし終わった。ガーゼの交換は断固自分ですることにした。病院でやられたら一気に剥がされてしまうだろう。考えると背中がぞっとする。今度はギプスの中だ。ガーゼ交換用に四角くくり貫かれていて、そこから交換するようだ。しかしガーゼは見えるのだが取れない。よく考えると最初ガーゼを当てて、その後テープで固定していたな。30分以上悪戦苦闘するが取れない。諦めて病院に電話するが整形外科は今日は休診だという。明日にしてくれと言われた。一日くらい平気だろう。
その後6号炊事棟でダべリング、3時過ぎIさんは「お腹すいた」を連発し、とんかつを食べに行こうという。でも僕はさっきドーナツとりんごをまるごと1個食べたばかりだ。しばらく引き伸ばし、4時前”とんかつ力”に歩いて向かった。春に来て以来、久しぶりだ。さっそくロースのシングルを頼んだ。それでも皿いっぱいの大きさだ。パン粉もトミーのパンのパン粉をこだわって使用していると言う。
薄暗くなってきたのテントで寝ていると、しばらくするとバイクが来たような音がした。辺りは真っ暗になり何も見えない。何やらゴソゴソと物音はする、誰だ?テントから出て懐中電灯を向けると人だ。バイクの荷物を物色している。こんな闇の中で何をしているのだろうと思ったら、荷物の中から手さぐりで懐中電灯を探していたと言う。鹿児島から来たライダーで、これからテントを設営し、明日には波照間に行くという。今までも1日2つの島を回ったり1泊で与那国に行ったりと、かなりのハードスケジュールだ。サラリーマン時代の僕でもそこまではしなかったな。彼がテントを張り終わると炊事棟に来た。やはりこの人の少なさに驚いていた。結局9時半頃までダべリング。風がないので助かるな。

終わったか 2002,11,27
長らく続けた旅ですが、ここで終わりにしなければならないことになってしまいました。非常に残念です。しかし今までの僕の旅は、一生忘れられない思い出になるでしょう。

いつものように朝7時半ごろ起床、トーストとコーヒーで朝食だ。その後はAさんが帰ってくるまで洗濯をしてまったり。11時過ぎ食事と買い物をしに街に向かった。きょうはいい天気だけど寒気の影響で気温が低い。ジャケットを着こむ。まずキャンパーご用達のあさひ食堂に行く。今日は開店していた。早速カツカレーをオーダーし、お腹いっぱいになったところでスーパーに行き、りんごやパンなど食材を買いこむ。一旦サイトに戻り荷物を降ろし、天気がいいので平久保崎方面へ向かった。平日の昼間とあって交通量はきわめて少ない。快調に飛ばし30分ほどで到着。灯台の下に降りる道があると聞いていたがどこかわからなかった。少し戻り集落の中を抜けると海に出た。おそろしくきれいな小さなプライベートビーチのようだったが、目的にしていた漂着物は見つからなかった。諦めて戻ることにした。天気がいいうちにシャワーを浴びたいと思っていた。
伊野田から峠を越え海岸沿いに南下、もう少しで米原だ。於茂登トンネルに向かうT字路にさしかかった。カーブを立ちあがるといきなり交差点内に軽自動車発見、フルブレ―キング。しかしとっさに、「もう間に合わない」と感じた。同時に、「これで終わったか」とも思った。強い衝撃を感じ、周囲の景色が回転した。路面を滑走するバイクの音を覚えている。数秒後、呼吸が苦しい、立ちあがれない。「大丈夫ですか?携帯持ってますか?」と聞かれたが応答出来なかった。うなりながら路面を転げ回るのが精いっぱいだった。どれほど経ってからだろうか、「トンネルの所にパトカーがいるので呼んできてください、救急車を呼んでください」と言う声がきこえた。通りかかった車の人に言った言葉だったであろう。ふと我に帰った。意識がある、息ができることを認識した。しばらくしてあちこちに痛みが走った。やっとのことで上半身を起こし、続いてヘルメットとグローブを外したと思う。Gパンの膝は破け出血している。周囲の静止を振りきって何とか立ち上がりガードレールに座った。僕はなぜか朦朧とする意識の中でウェストバッグに入っていたデジカメを取り出し現場を撮影していた。左足を引きずりながらもなんとか歩けた。足の骨は大丈夫のようだった。しばらくしパトカーが到着、状況を説明した。意識は完全に回復したが、しかしどこで気づいたとか、スピードはなどと聞かれても正確には覚えていない。いやそんなこと気にする余裕なんてなかった。少しして右親指の付け根に鈍痛があるのに気づく。自分でもこれはヤバイかも、という気がした。他は擦り傷や打ちみで済んだだろう。
Aさんには2時ころ帰ると伝えてあったので携帯で連絡。折り返しIさんからも電話があった。そのうちに救急車が到着、ストレッチャ―に寝かされた。名前や住所など聞かれるが地元でないので漢字説明が面倒なので名刺を渡した。走りだすとすぐにSpO2(動脈血酸素飽和度)を測った。モニターを覗くと98〜99、正常だ。次いで血圧120−80、これも正常、バイタル安定。「あと15分くらいかかります」といわれた。その後、安心したのか病院到着まではよく覚えていない。到着後自らベッドに移った、「痛たっ」、まず外傷の処置、そして腹部エコー、レントゲン、ギプス固定、破傷風予防摂取、採血、心電図、採尿、止血検査、の順だったと記憶している。整形外科の医師にレントゲン写真を見せられここの骨が折れていると説明を受ける。しかしその写真、右手なのに”L”と写しこまれている。大丈夫かと疑いたくなった。その後手術の方法と日時を聞き、待合所で待っているとIさんが来てくれた。単独で2000キロの彼方まできて、事故なんて、彼も経験があったので、僕の気持ちを察し来てくれたのだろう。本当にうれしかった。--中略--支払いを済ませ薬を受け取りサイトに戻った。これで旅を終えなくてはならないと思った。

ちゃーがんじゅーさー 2002,11,26
今日の天気予報は曇りだったが、テントを出てみると予報が外れていい天気だ。さっそくシュラフを干す。

最近少し太ったような気がする。1袋1755キロカロリーある落花生のせいか、2日で1袋食べている。おいしくて、癖がないのでなかなかやめられない。これではまずいと思いダンベルを買ってきて筋トレと浜を早歩きで数往復する、ついでに漂着物を探す。最近涼しくなり泳げないからな。何かでカロリーを消費しないとやばいな。
朝7時過ぎ起き、いつものようにトーストとコーヒー、今日は寒気のせいか久しぶりに涼しい朝だった。Tシャツだけでは寒いのでフリースを着こんだ。相変わらず止まない北風の影響もあるだろう。
Aさんは早々に出掛けてしまったので僕が留守番だ。最近人が少ないので誰かがサイトにいないと不安だ。浜を歩いたり、落ち葉を掃除したりして過ごす。バイクを見るとかなり汚くなっている。屋根のない炊事棟にバイクを乗り入れ洗車することにした。この近くに人は少ないからまあいいだろう。ブラシとスポンジで念入りに洗う。ここにいると錆が早い。ほとんど海岸だからな、潮風を直接受けてしまう。
昼前、Iさんと久しぶりに伊野田のちゃーがんじゅーさーに向かった。きょうはやっぱり涼しい。天気はいいが上着を着ていないと寒い。峠を越え20分くらいで到着、営業中の看板が出ていた。12時前なので僕達が一番乗りだった。「こんにちはー」と店に入った。おばちゃんは僕の顔を覚えていてくれて「あら、いつ来たの」と言って迎えてくれた。迷わずラフテー丼を頼んだが、これはメニューにはないいわゆる知る人ぞ知る”裏メニュー”だ。(※美術館にアップしてあります)相変わらずボリュームがある。12時を過ぎると島人がたくさん来てほぼ満席だ。他の人は僕達が食べているのは何かとおばちゃんに聞いていて、メニューを見ながら、書いてないなーなどと言っていた。何人かはこのラフテー丼を頼んだようだ。ここも例に洩れず漫画や本がたくさん置いてある。春に来たときはいつも2〜3時間は長居していた。最後に来たときは6月末に1泊で来たときだが、そのときもワールドカップの試合を最初から最後まで見ていたなー。あのときは伊野田のキャンパーも一緒だった。でも今日はこのあと街に行く予定があったので1時間あまりで店を出た。青空の下バイクを飛ばす。流れる景色を楽しみながら。マルチメディアセンターに到着すると中学生が多いがそれでもパソコンは半分以下しか埋まっていない。さっそくノートに記入しいつものパソコンに陣取る。そのパソコンにはデジカメのドラ―バーと画像編集ソフトがインストールしてあるのだ。それに一番隅なのでタワー型パソコンの裏側のUSBポートに差し込みやすいのである。横には中学生がいたが、空いているパソコンはたくさんあるのになぜわざわざ隣に来たのだろうと思ったであろう。画像掲示板をアップするが、いつのまにか満席になっていて、みんなネットに接続しているのでスピードが極端に遅い。まるで携帯の9,6キロ並だ。スピードにストレスを感じながら友人のHPをチェック。待っている人もいるようになったので1時間ちょっとで後にした。サイトに戻ったが昼にめいっぱい食べたのでお腹が減らない。軽く鍋焼きうどんにしようと作っていたら、Aさんが卵と乾燥ワカメとネギを持ってきてくれた。すこしゴージャスになった。食べ終わり暗くなってIさんも加わってチュ―ハイを飲みながらビギンを聞き盛り上がっていたが、今日は寒いので早めに切り上げてテントに戻ってしまった。そういえば紅白の出場者の発表があったけど、ビギンは初出場だったんですね。

修理なら任せて 2002,11,25
北よりの強い風は相変わらず止まない。少しづつ気温が下がってきたようだ。それでも23度、上着はまだ必要ないかな。

朝起きると空一面の雲、この時期は高気圧の縁にあたって雲が多いんだよな。時々小雨が降る。朝食の後浜を歩いた。今日も集魚灯1個と四角いコーヒーの瓶を拾った。炊事棟に持ちかえりきれいに磨くと透明度を取り戻した。紐で縛ってオブジェを作っているとIさんがやってきて「おっ、器用な、沖縄チックなことしてるね」。炊事棟の梁に並べて吊るしてみると、我ながらなかなかいい出来だ。持って帰ろうと思った。(※美術館にアップします)
しばらくすると管理人さんが来て、この前壊した炊事棟の残骸を燃やすため大きな発泡スチロールの塊に火を付けていた。あっという間に燃え上がり熱いくらいだ。立ち木にも燃え移っていたが「この木は簡単には枯れないよ」などと言っている。しかし生きている木に廃材を立て掛けたまま火をつけるのはどうかと思う。
洗濯をしたあとテントでまったりしていると、やけに蟻が多い。なぜだろう。いろいろとテントの中を探してみるが原因がわからない。もしやと思い、下に置いてあった袋ラーメンを持ち上げると底の面に直径3世曚匹侶蠅開いていて、蟻が出入りしている。これが原因だったんだ。まさか袋を食い破るとは。Aさんはテントの底を食い破られたと言っていたが、これで納得できた。せっかくのラーメンが一つ無駄になってしまった。
昼近くなったが昼食を作るのが面倒になったので、知花食堂に行くことにした。12時前だったので空席があった。今日はそばの(小)とライスを頼んだが、出てきたそばの麺の量が多い気がした。こんなもんかと思って食べていたがやっぱり大盛りじゃないか。ライスを食べ終わってもまだ麺がかなり残っている。うーっ、もうお腹いっぱいだ。無理やり胃袋に詰めこんだのでしばらく漫画を読んで、落ち着くまで待っていた。会計は450円やっぱり大盛りの値段じゃないか。でも50円しか変わらないし、僕がいつも大盛りばかり頼んでいるので勘違いしたのかもしれない。その後はかねひでに行き洗剤とチューハイを買っていると、以前米原にいたライダーに遭遇、僕が帰郷している間に楽園に引っ越していたようだ。街の方も雲行きが怪しくなってきたので帰ることにした。案の定途中で雨が降ってきた。合羽を着るのは面倒なので今日も強行突破だ。合羽は袋に入れて、夜の間は枕にしている。だから合羽が濡れてしまうと枕がなくなってしまうので、できるだけ濡らしたくないのだ。於茂登トンネルを抜けると雨は上がっていた。シャワーを浴びると寒くなってしまったのでテントで国会中継をききながらまったり。4時過ぎテントから出た。すると10号にテントを張っていた苫小牧から人を探しに来ていた女性がバスで街から帰ってきた。テントのポールを折ってしまったので他のテントを買いに行ったが売りきれだったと言う。Aさんは一度折れたものは直らないと一点張りで、別のテントを買いに行った方がいいと助言したらしい。Aさんは炊事棟の下で寝ろ、などと冗談でも無情なことを言っているので僕は損傷の状況を見に行った。テントを張ったまま移動しようとしたためにジョイント部分のパイプが折れてしまっていた。この部分はアーチになるのでこのまま何かで補強しても持たないだろう。そこで、その部分を切り離し、端末部分のパイプを利用し繋ぐことにした。端末部分はパイプが無くなると下部の四隅が固定できないので、折れたパイプを針金で縛りつけガムテープで補強、これで何とかなるだろう。ポールは数センチ短くなったが特に問題なく張ることが出来た。彼女はお礼に、私は北海道から来たので、北海道に来たときは・・・などと言っていたがそう簡単には行けないからね。こういうDIY的なものは僕に任せてくれ、最も得意とする分野だ。炊事棟に戻りAさんは買ってきた牛肉で焼肉だ。僕も分けてもらった。途中からIさんも加わってダべリング。Aさんは酔っ払って足元がおぼつかなくなり8時頃テントにもどった。

拾い物 2002,11,24
朝起きると外が明るい。テントから出ると青空が見える、山の上から太陽も出てきたよ。思わずやっほー!と叫びたくなる。

早速シュラフを干す。トーストを食べた後海岸を歩いてみた。今日はきれいなクモ貝を1つ拾った。昨日来たIさんはテントを張った場所が強風をもろに受けるので、ブルーシートを張り直そうとしていたら風に煽られ、シートのハトメが飛んでしまった。厚めのシートにしたのが却って裏目に出たようだ。シート自体にかなりの重量があるからハトメに負荷がかかりすぎたのだ。僕のシートは一番薄いヤツだからパタパタするけどほとんどのハトメは未だ健在だ。ただ強い雨が降ると雨が少し貫通してきてしまうが、テントの中までは入ってこないからまあいいだろう。結局Iさんはトイレの南側の風のこない場所に移動していった。Iさんは冬は沖縄で精糖、夏は北海道で農協関係の仕事を繰り返す、渡り鳥的な生活を続け今年で13年目だ。
ここ米原は防風林が波に侵食され、だんだん後退している。9月の台風で炊事棟やシャワーが倒壊したのもその影響だ。昔はテン場から海は見えなかったそうだ。そういえば古い案内板を見ると炊事棟やシャワーは林の中にある。炊事棟の外側にもテントが張れたそうだし遊歩道もあったことになっている。今ではほとんど海岸だ。何か対策をしないと防風林がどんどん後退しシャワーが全て倒壊するのも時間の問題だろう。
Aさんは8時過ぎ買い物に出掛けていった。僕は朝食の後洗濯をしてまったり。出掛けてしまうと付近に誰もいなくなってしまうのでAさんが帰ってくるまでまっていた。11時頃Aさんが買い物から帰ってきたので、安売りしていたものを聞いて今度は僕が買い物に出掛けた。かねひでとマックスバリューを回り、最近運動カロリーオーバーなので100円ショップでダンベルを買ってヘルメットをかぶり帰ろうとすると、車からこっちに手を上げている人がいた。誰かなあとよく見ると、たえさんだ。こんなところでばったり会うとは思わなかったよ。びっくりだ。でもなんとなく嬉しくなった。
サイトに戻る途中無人販売を見て回るがドラゴンフルーツは無い。一旦サイトに戻り北部方面に行ってみた。栽培漁業センターの北側の海岸を歩いてみた。やはり蝋は見つからなかったが、懐かしいファンタの1班咾粒孤佞を発見。すごくきれいだ、持って帰ることにする。さらに北上、横風を受けるとかなり振られるが、しかしいい天気だ。嬉しくなってくる。伊原間まで行ったがやはりドラゴンフルーツは見当たらない。もう時期が遅かったか。諦めてサイトに戻りシャワーを浴びた後、海岸を散策。何か光るものが見えたので行ってみると、どうやら集魚灯のようだ。炊事棟に持ち帰り、タワシで磨くと電球は完全に透明になった。ソケット部分も輝きを取り戻した。紐で縛り炊事棟の梁に吊るした。芸術的なオブジェができた。
4時半過ぎ、夕食の準備にとりかかる。今日はカニチャーハンだ。卵とご飯を炒め、説明書通りに作るがカニなんて入ってないような気がするぞ。パッケージをよく見ると「カニ」の後に小さく「味」と書いてある。カニ入りではなくカニ味だったんだ。「パラッとできる」とも書いてあったがうまくできないぞ。裏には、こげつかない、べとつかないとも書いてある、誇大表現じゃないか。それとも僕の作り方が悪いのか?まあ3袋100円だからな。
相変わらず風は止まない。寒いので7時過ぎにはテントに避難。この風では炊事棟ではつらいな。

久しぶりの太陽 2002,11,23
朝起きると、またしても曇り。いいかげんいやになってきた。でも天気予報は曇り時々晴れ。そのうち晴れるかな。

今日は風が強いな、海も時化ているので波の音も強烈だ、絶え間なく砕ける音が聞こえる。海岸を歩いてみる。いろいろな漂着物があり、漢字ばかりのものやハングルなどもある。懐かしいスプライトの250性箸離好繊璽覺未筌灰・コーラのホームサイズの瓶も流れついている。いったいいつどこからやってきたのだろう。しかし探していた蝋は見つからなかった。小雨が降り始めたのでテントに戻る。
ここに来て3週間以上が経過した。そろそろ定住は止めて旅を再開しようかな。といっても内地に戻るわけではなく離島に行ってみようと思う。同じ所にずっといると、新しい発見や感動が少なくなってしまう。街の近くのキャンプ場に引越しし離島に行ってみよう。僕はキャンパー、旅人なんだと忘れかけていた。ただ時間を過ごすだけならここに居る必要なんてない。せっかく手に入れた自由な時間なんだ、有効に使わなきゃ。

昼過ぎ、ようやく、本当に久しぶりに雲の切れ目から太陽が顔をのぞかせた。一瞬にして雲に隠れてしまったが雲が薄くなってきたような気がする。早速街に出掛けることにする。於茂登トンネルを抜けると青空が見える。日もさしている鬱積していたモヤモヤが、この青空と太陽によって蹴散らされた。これじゃなきゃ沖縄じゃないな、相変わらずシャツの腕をまくって走れる。街に着きまずドラゴンフルーツを探す。アーケードの入り口に売っていたが1個1000円くらいする。こんなに高いもんだったかな、奥に進み公設市場のおばちゃんの店にもおいてあったので、これがドラゴンフルーツですかと聞くと「これはあんまり物が良くないさー」と言われた。もう取れないんですか、と聞くと収穫時期は過ぎたという。「また来年取れるさー」なんてスパンの長いことを言うがそんなに待っていられない。1個150円くらいだ。スーパーなどを探してみたが、パパイヤはあるがドラゴンフルーツはない、週に1回くらい入荷するがすぐに売りきれてしまうらしい。こんどこまめにチェックしてみよう。
街中を走っていると荷物満載の岐阜ナンバーのオフ車や宮城ナンバーのSRを目撃、米原に行くのかな。僕は道を間違えて路地に入り込んで見失ってしまった。キャンプ場に戻ると誰かテントを張っている人がいた。近付いてみると見たことのある人だ、春に会ったIさんだった。夏に北海道でも会ったが今年も精糖に来たという。仕事は1月からなので年内いっぱい米原にいて年末西表に渡るらしい。SRの人もしばらくすると来たがどこかへいってしまった。夕食を作り炊事棟でダべリング、Iさんも加わってきた。隣のAさんは来週の木曜日に本島へ渡るというので、それに合わせて僕も撤収しようと思う。

太陽が見たい! 2002,11,22
今日も曇り、時々雨。もう何日こんな状態なんだろう。いつ雨が降り始めるかわからないのでなかなか出掛けられない。しばらく太陽を見ていない。絶え間なく聞こえる波の音、寂しさがつのってしまう。もうこのキャンプ場には6人しかいない。そろそろ限界か。明日だれも来なかったら25日に撤収しようと思う。あと1回くらいは泳げるかもしれない。
朝起きると管理棟横にテントを張っていた元競輪選手Oさんの姿がが見えない。午前6時、薄暗いうちに西表に行くため出発したという。また一人へってしまった。
昼過ぎ、雨が止んだので街に向かった。於茂登トンネルまで行くと通行止めになっている。どうやら中で事故があったらしい。仕方なくUターンし川平線から行くことにした。時折小雨が降るがそのまま走り続け、マルチメディアセンターに行ったが今日も講習会で貸し切りだった。うーん、うまくいかないなあ。また小雨が降り始めた。図書館にも行く気がしないので、とりあえずカネヒロに向かった。駐車場には習志野ナンバーのバラデロが止まっている。店に入ると向こうも気づき挨拶を交わす。お菓子を適当に選び、38円の果実酒と39円のレモンティーのペットボトルを試しに買ってみた。外に出ると雨が強くなってきた。合羽を着て走りだすが、少し走ったところで強くなってきた。木の下にバイクを止めブーツカバーを装、開南方面から帰ることにした。いくらなんでももう開通しているだろう。そのまま進行するがどの交差点にも迂回を促す看板も警備員もいない。カーブを抜けてトンネルが見えると、なんとまだ通行止めだ。トンネルの直前まできたら相当の距離を戻らなければならない。せめて迂回できる交差点で通行止めを告知してほしい。米原はトンネルの先2〜3キロなのに。関係者か家族か、人が集まっていた。警備員に聞くと事故処理にまだかなりかかるらしい。警察の現場検証が今終わったばかり、新聞社の車も今引き上げるところだった。バイクなら通れるんじゃないかと聞いたが、釘が散乱しているという。そう言われると諦めざるをえないが本当だろうか。なんとなく信じられない。警備員は川平線に迂回しろと言うがここからだと20キロ以上遠回りじゃないか。通れないんじゃ仕方ない、Uターン、川平には向かわず伊野田から山越えすることにした。普段はこの道は高通量は少ないのだが於茂登トンネルが通れないので迂回してくる車が多い。平田観光の観光バスもこんな所を通っていた。かなり遠回りをしてようやくトンネルの反対側に出た。やはりまだ通行止め、ここを通れず地図を見つめるレンタカーが数台止まっていた。サイトに戻りシャワーを浴びた後、夕食の準備。キャベツが1/3残っていたのでこれで野菜炒めを作ることにした。塩とコショウで味付けし、ライトツナフレークを加えて炒めた。これがなかなかいける、うまい。ご飯もうまく炊けるようになった。これなら一人暮らしもできるなあ、と思ったが電気炊飯器なら火加減や水加減も必要ないしな・・・。キャンプや非常時には役立つかもしれない。
暗くなってきたのでさっき買ってきた38円の果実酒を飲んでみた。アルコール度4%、200ミリリットル。バッタ品か何かわからないが妙に安い、捨て値だ。飲んでみるといちご味でめちゃくちゃ甘い。これじゃ3本以上は飲まないと飲んだ気がしないな。500ミリリットル7%のチュ―ハイが78円で売ってるし、これじゃこの値段でも売れないだろう。ほとんどの人は安さに釣られて1本くらい買ってみるがリピーターにはならないだろう。甘すぎて後味が悪いので、焼酎のCCレモン割りを付くって飲みなおす。300グラム100円の落花生をつまみにするが、昨日も1袋食べてしまった。1袋で1500キロカロリーくらいある。カロリーオーバーだ。

きまぐれな天気 2002,11,21
今日も天気ははっきりしない。雨はいつ降り始めてもおかしくない。
昨日買い物に行けなかったので、朝食はまたカップ麺になってしまった。高気圧の縁にあたっているのか、前線の影響か雲が切れない。雨は降ったり止んだり。しかし10時過ぎ、雲が薄くなり雨が止んだ。今しかないと準備をしバイクを出した。もはや少しぐらいの雨では引き返すわけにはいかない、強行突破だ。於茂登トンネルを抜けても小雨、でも街のほうは明るい。途中でAさんとすれ違い、聞くと街は晴れていて雨はこのあたりだけらしい。バイクを飛ばし街に向かうが運悪く雨と共に街に向かっているようだ。でも合羽を着るほどでもない。サンエーに着く頃には雨は止んでいた。早速宝くじコーナーに行きロト6を買う。キャリーオーバーが3億円以上あるからね。もし当たったら一生キャンパー生活していられるかな。次にマックスバリューに行き食材を購入、頼まれたアイスクリームを発送するためにブルーシールのコーナーへ行った。その後商店街に行きドラゴンフルーツを物色、収穫期は11月ごろまでなのでしばらく売り切れはないだろう。地方発送できる店を確認しておく。天気が不安定なので晴れた日に手続きをしようと思う。そろそろ昼なのであさひ食堂に行く。12時過ぎると混むので早めの到着。トンカツ定食を頼んだ。コミックを読みながら待っていると今日はお刺身が無いのであさひ定食になるという。まあ何でもいいや。どうやらトンカツ定食の刺身レスだけのようだがそれでもかなりのボリュームがある。ご飯大盛り、大きいトンカツにサラダ、酢のもの、煮物(丼)、そばも付いている。お腹いっぱいになり575円。次にマルチメディアセンターに行くが今日は講習のため貸し切り、仕方なく図書館に行くが待っている人は無く、すぐにネットにありつけた。早速BBSのレスをしたり、友人のHPをチェック。待っている人が増えてきたので早めに切り上げることにした。明日は市民会館で郷土芸能の夕べがある、行きたいが天気次第だ。図書館を出て、帰りのフェリーの日時を確認しようと港へ向かうと、桜島ユースで会ったおじさんとすれ違う。挨拶をしそのまま走るが図書館に行ったようだ。港でスケジュール表をもらって米原に戻る。街はずれまで来るとパラパラと雨が落ちてきた。途中からたまらず合羽を着こむ。米原が近付くと本降りだ。やっぱりこの辺りだけ天気が悪いようだ。サイトに着くとずっとこんな天気だったという。荷物を降ろし炊事棟で食材をより分けていると突然大粒の雨、炊事棟はあちこちから雨洩れする。すぐ止むだろうと思っていたがますます強くなってきた。時間雨量40ミリくらいはあるだろう。まもなく炊事棟周辺は池と化した。そんな大雨が1時間以上続いただろうか。そういえば未明、与那国では時間雨量60个魑録した。
今日はキャベツを買ってきたので昨日できなかった「もんじゃ焼き」を作ることにした。しかし説明書を読みながら作るがどうもよく感覚がつかめない。試行錯誤で作ってみるが、こんなもんかという感じ。全部食べると腹がいっぱいになってしまった。米を水に浸しておいたがそれは明日の分にしよう。5時過ぎようやく雨もあがり水も引き始めた。薄暗くなってきたが、まだ気温も高いのでシャワーを浴びるには今しかない。他の人達は風邪をひくから止めろと言うが、僕は1日1度はシャワーを浴びないと気分が悪い。結局僕がシャワーに行っている15分くらいの間だけ雨が上がっていて、炊事棟に戻るとまたしても大粒の雨、再び周辺は水没。運がよかったかな。暗くなって来たころレンタカーが管理棟の前で止まった。こんな時間に観光客ではないだろうがいったい何だ。しばらくすると車から降りてきた。休暇を取って飛行機で石垣に来て、バイクを借りようと思ったが雨なので車にして、今日はここで車中泊するという。早速仲間に入って飲み始めた。やっぱりここの人の少なさに驚いたようだ。隣のAさんも25日には本島に行くというので、僕もその日に会わせて引越しすることにしよう。もうこの時期には誰も来ないだろうから。ここで一人の寂しさにはとても耐えられそうにない。9時半、北風が強くなってきたので僕とAさんははテントに戻ったが、彼はしばらく炊事棟で物思いに耽っていた。

見送り 2002,11,20
今日は朝から雨だ、雨が降ると街に出掛けられない。

雨は降ったり止んだり。7時過ぎに起きたがパンを買っておけなかったのでカップ麺しかない。朝からカップ麺はあまりよくないんだけど。気温も湿度もかなり高い。朝食を済ませ炊事棟にいると工事のおじさんが缶入り清涼飲料水を3本持ってきてくれた。「これからうるさくなるから」と言って置いていった。よく周りを散策すると炊事棟2棟、シャワー3基がすっかり無くなってユンボで整地していた。僕のテントからシャワーが遠くなってしまった。1月からの閉鎖期間中に温水シャワーを作る計画があると言うがおそらく有料になるだろう。水シャワーを残しておいてくれないと、このキャンプ場に来る人がますます減ってしまうだろう。今日現在テント7張り8人しかいない。そのうち1張りは明日撤収してしまう。
しばらくすると熊谷のSさんが撤収を始めた。きょうからクラブメットの仕事が決まって寮に入るそうだ。また一人少なくなってしまう。本当に寂しくなってきた。外に出られないストレスが寂しさを加速する。楽園キャンプ場には30張り近くあると言うし、知りあいもいるんだよなあ。迷ってしまう。でももう少しここにいよう。キャンプ場の一番隅っこにテントを張っていた元競輪選手のチャリダ―Oさんも西表に行くと言い、荷物をまとめて自転車に積みこんであり、あとは出発するだけの状態になっている。僕も今月いっぱいで引っ越そうかと思う。Sさんも積みこみを終え炊事棟でダべリング。羽田で買ったもんじゃ焼きを作ろうと思ったがキャベツが無いとできないことが判明し諦める。相変わらず雨は降ったり止んだり。1時半、Sさんはクラブマンで出発していった。手を降って見送った。結婚式に出席するため一時帰郷した時を除けば、もう2年以上旅を続けていると言う。一時的に雨が上がったのでシャワーを浴びた。気温が高いので水シャワーでもそれほど寒さは感じない。結局夕方まで雨は降り続き、今日は出掛けられなかった。

帰還 2002,11,19
4日ぶりに石垣に戻ります。

朝6時半起床、すぐに準備にとりかかり朝食と着替えを済まし、荷物を確認する。リュックが重すぎるので厚めの文庫本2冊を取り出した。駅までは徒歩約15分、東京までの乗車券と三島からの自由席特急券を買った。この駅は自動改札が無いが発券時に入場記録を入れているのだろう。ちょうどこの時間は通学ラッシュだ。高校生がいっぱいいる。懐かしいな、僕もこの時間帯の電車で通学していたからな。そのときは今ほど便数も多くなく平均1時間に1本程度だった。車両も115系の8両編成だったな。それが今新型の車両も投入され新駅もできた。風景はそれほど変わっていなくて少し安心した。電車は途中駅でなぜか停車時間が長い。単線のため対向列車を待っているようだが遅れると東海道線に接続できなくなる。そこまでは計算に入れなかったな。しかし沼津駅では東海道線が御殿場線の到着を待っていて、何とか乗りこむことができた。しかし今度は三島駅での乗り継ぎが忙しくなる。三島駅の通路には修学旅行の高校生か団体が待機していて通路が狭く流れが悪い。多くの人が新幹線の改札に向かっているようだった。しかしなんとか間に合い、ホームへ上がるのと同時に入線してきた。乗車率は90パーセント以上、座席は確保できたが眠いので新横浜くらいまで寝てしまった。外を見るとビルの群れ、久しぶりの都会はいいなあ。新鮮さを感じる。毎日いると息が詰まりそうだけどたまにはいいかな。東京で降りると外は涼しかった。でもジャケットなんて着てくると石垣に着いたとき荷物になってしまうから、まあ我慢できないほど寒くはないし、建物の外にいるじかんはそんなにないしね。東京から京浜東北で浜松町まで来てモノレールに乗り換え、車両故障で遅れていると言っていたけど、列車は頻繁に来るから来た列車に乗ればいいだけだから、全く影響はないんだよ。全て順調に羽田まで到着、発券カウンターで石垣までのチケットを購入、しかしなぜか那覇から先の区間がチェックインできない、自動チェックイン機も拒否されるので他のカウンターで試みるがやっぱりおかしい、何か操作をしたらやっと通った。搭乗口にはたくさんの高校生が待っていた。この時期に沖縄なんて最高だな、気温差に驚くだろう。那覇までは約2時間半のフライト、途中雲の上に出ている富士山を発見、上部だけ雪をかぶった美しい姿、空から見たのは初めてだ。那覇で乗り継ぎ久しぶりに石垣に戻ってきた気分。機から降りるとやっぱり暑い。空港からはバスだが発車までに20分以上ある、別に急がないので乗車して待つ。乗客は僕だけだと思ったら、バスガイドと添乗員が乗ってきた。三線やガイドや添乗員の内部事情を聞けてラッキーだった。ターミナルに着いてもまだ若干時間があったが食事をしているまでは無い。近くの海人の手作り館に行き海人Tシャツのアウトレット品を2枚購入、色間違いの物だが逆に稀少価値があるかも?ほっかほっか亭で弁当を買いバスに乗りこむ。しかしこのバス、停留所の案内のアナウンスが無い、自分で見極めてボタンを押さなければならない。暗くなってきて必死に前を見ながら確認、何とか乗り越さずに済んだが不親切だ。でも良く考えると地元の乗りなれた人には却ってうっとおしいのかもしれない。6時半ぎようやく米原キャンプ場に到着、真っ暗だが月明かりを頼りに自分のテントまで歩いた。また人が減っている。寂しくなってきた。どうしようか、帰ろうか、それとも他のキャンプ場に引っ越そうか、迷ってしまう。弁当を食べた後は残っている人達が炊事棟に集まって、僕が持ってきたスピーカーをMDにつないで懐かしい音楽を聞いて過ごした。11過ぎそろそろ寝ることに、また明日。

針路を決めた! 2002,11,18
一時帰郷も今日まで、明日は石垣に帰り?ます。

ふと気がつくと、今年は紅葉が非常にきれいですよね。家の前の桜の木もきれいなオレンジ色になっています。今日の風で舞う黄色や赤色の落ち葉が、秋のささやきを感じます。そして、たわわに実った柿の実が、風情をさらに醸し出しています。すべてのものが、夕陽にオレンジ色に染まる姿は、筆舌に難いほど美しかった。富士山が白い雪の帽子をかぶり、葉がすべて落ちるころ、あたりは凍てつく世界になりますね。毎日見ているとあまり感じることのない季節の移り変わり、わずか1ヵ月半でこんなに進んでいるとは…。

午前中は市役所に行き保険と年金の手続き、保険料(税)は意外に高いんだな。午後からはハローワークに行ってみました。意外なほどに若い人が多かった。訓練受講の案内のパンフレットを見ていると、ある資格が目にとまった。今の僕にとって、もはやこれしかないじゃないか!残りの人生、これにかけてみよう。決して楽な道のりじゃないと思う。でも、僕の理想としていた仕事、来年開講したら応募しよう。

キャンパー生活に戻れば、何とか雨を凌げる程度の棲家、地位も名誉も何もない。でもこれ以上失うものは何もないんだ。しかし時間だけはある。この時間で今の僕に何ができるだろう。少なくともこの旅で、自分を見つめなおし再発見をすることができた。そして今、目標ができた。ひたすらそれに向かって進んでみよう。それまでの間、精一杯生きてみよう。できることはすべて挑戦してみよう。そしてそれがだれかのためになることなら、言うことないじゃないか。僕は今までいろいろなところから生きる力をもらってきました。それは旅先で見るものだったり、近くの人だったり、忘れられない人であったり…。美里のライブに行くと、車椅子で参加している人を必ず見かけます。必死に生きようとする姿、美しいです。パワーが漲っています。命の大切さ、再認識します。

夢・・・故郷は 2002,11,17
今朝すごく幸せな夢を見ました\(^o^)/
ビルの廊下で突然渡辺美里さんとはちあわせ!話をしながら仲良く一緒に歩きました。でも20メートルほど歩いたところで嬉しくて目が覚めてしまいました。夢って潜在意識だったり、何かの象徴だったりするんだけど、この夢は何を象徴してるのか、だいだい僕には想像できる。
・・・二人で生きる夢破れても 二人立ち尽くしても 明日を迎える・・・
悲しみや苦しみは、時間とともに薄らいでいくでしょう。

約1ヶ月半、未知の場所を旅していたんですが、こんなに長い間生まれ故郷を離れたことはありませんでした。久しぶりに帰りあちこち車で走ると、故郷の温かさを感じます。そしてなぜか新鮮さをも感じるのです。よく言われていることですが、離れてみて初めて故郷のよさを感じるって、実感しました。やっぱり生まれ故郷はいいもんですね。帰る場所があるってことは、幸せなことなんだよね。室生犀星を思い出しました。

             ふるさとは遠きにありて思ふもの
             そして悲しくうたふもの
             よしや
             うらぶれて異土の乞食となるとても
             帰るところにあるまじや
             ひとり都のゆふぐれに
             ふるさとおもひ涙ぐむ
             そのこころもて
             遠きみやこにかへらばや
             遠きみやこにかへらばや


またしばらく故郷を離れますが、僕は帰ってきます。
今の気分です。

ありふれた日々が輝いてゆく ありふれた今が思い出に変わる
愛という言葉を初めて語ってから このまま流されては生きて行けないと誓った
こうしてこの時が続けばと願ってから 人生はやがて確かに終わると感じた
誰のものでも誰の為でもない かけがえのないこの僕の人生
本当に大切なものに気が付いてそれを忘れてはいけないと
決してそれを忘れてはいけないと・・・

風の坂道から

この日記、読んでもらいたい人がいる、だからこうして続けられるのだと思う。

お世話になりました 2002,11,16
昨日は僕のために送別会を開催していただきまして、この場を借りて皆様に御礼申し上げます。
本日午前2時40分、タクシーにて無事帰宅しました。本当に楽しかったです、未知の世界の体験もできました。少し酔っていましたが、すべての出来事は記憶に残っております。この先会う機会は少なくなるかもしれませんが、ぜひこのHPを見守ってくださるよう心からお願い申し上げます。

今日は午前様、寝たのは3時過ぎでした。でも7時過ぎには起床、東京の某大学病院に入院している伯父さんのお見舞いに行きました。一時帰郷したもうひとつの目的でもありました。8時過ぎ父の車に同乗して出発、東名川崎インターで出た。ここを通るのは何年ぶりだろうか、最後の記憶は小学生だったか。道路や周囲の景色はすっかり僕の記憶のそれとは違っている。唯一一致したのは専修大学のグラウンドくらいだった。二十数年の時の隔たりを感じた。伯父さんに会ったのも二十数年ぶりだ。従姉妹とは初対面だった。乳児のころ見た記憶はあるが。--中略--
午後二時帰宅、久しぶりに自分の車と対面、早速洗車した。とりあえず沼津方面に用事があったので出発。1ヶ月半ぶりのハンドルだが全く違和感がなくスムースに運転できた。その後散髪に行き、終わると久しぶりに箱根方面に流しに行った。

クールに生きたいと思う時代があった。僕は、思ったことの半分しか口に出すまいと決め、それを実行していたら、いつしか思ったことの半分しか口にできない人間になってしまった…。心に壁を作ってしまっていたのかもしれない。

自分が傷つくことが怖くて、たった一言がずっと言えなかった。いつの頃からだっただろうか、そして昨日まで…。しかし一歩目を踏み出さなければ、前へ進めない。結果はゼロだ。見ているだけでは、欲しいと言わなければ、手に入ることはない。そんなことはとっくの昔にわかっていた。でも前向きになれなかった。逃げていたんだ。見返りを求めていたのだと思う。
僕はこの旅で、たくさんの人の"無償の"温かさに触れ、自分のこと、少しはわかった気がする。教えてもらったのだと思う。そのままの自分を認めること、愛すること。心に壁を作って自分を守ろうとしていたことが、意味のないことだったと。
心の底から思っていたこと、言葉にして、伝えられたら、なんてすばらしいだろう。今の僕の生き方、決して後悔していないよ。僕の人生最高の未来を拓くきっかけになるかもしれない。たくさんの人に助けられた、気付かせてもらった。これからは僕が誰かを助ける番だ。

一時帰郷 2002,11,15
結局昨日の最高気温は29度だった。暗くなると酔っ払ってしまうので最近はいつも翌日のアップになってしまいます。

午前1時ごろ、テントを貫通するかのような大粒の雨と、ブルーシートを吹き飛ばす程の強風にたたき起こされた。テントから体を乗り出しメインロープを手で支える。風は僅かな時間で止んだが雨は振り続いた。しばらくすると明かりと人の気配がする。何だこんな時間に。テントから出て見ると上着を着こんだ昨日のカップルだ。テントと炊事棟を往復している。テントが古い上にブルーシート無し、大雨で浸水し、たまらず荷物を全て出し炊事棟に避難したようだ。

今日は一時内地に帰る日、朝6時半に起床したがまだ薄暗い。炊事棟に行くと奥の方に大量の荷物が置いてある。鍋やコップが取りだせない。こんなにたくさん荷物持ってたのかと思いライトを向けると、なんと二人が寝ていた。あまりの雨にテントを放棄し炊事棟で寝ていたらしい。もう何も言えないよ。僕は朝食をとり、荷物の整理を始めた。貴重品はコインロッカーに入れ、テント内に残す荷物は全て高床式にし浸水に備えた。未明の雨のせいか湿度が異常に高く、何もしていなくても汗が吹き出てくる、暑い。8時すぎSさんに挨拶しバス停に向かった。Aさんが買い物ついでに見送りに来てくれていた。8時33分ほぼ定刻にバスは到着、Aさんに挨拶しバスに乗りこんだ。乗客は自分を含め3人だった。このバスは行き先を運転士に告げ運賃は先払い、両替機は無いので運転士に1000円札を渡した。運賃箱の前にある箱の中には小さな財布のような物がたくさん入っていて、それぞれに1000円分の硬貨が詰め合わせになって入っている。そこから運賃分を差し引いておつりをもらった。相変わらずゆっくりとしたスピードだ。規制速度は40キロ程度、これを完全に守っている。しかし誰も追い越さない。一旦川平方面に向かい川平公園前で停車するが定刻を過ぎても発車しない、観光バスとすれ違うためかと思ったが、その兆候は現れない。ターミナルでの空港線の乗り換え時間は5分しかない、いくらうちなータイムといってもおそらく待っていてはくれないだろう。どうやら時間調整のようでしばらく停車した後発車した。街に入り信号で停車すると前に巨大なフォークリフトがいる。緩和車両で高さ4メートル、スピードが出ないのでいらいらするが結局定刻より2分ほど早く到着、乗り換えには十分だった。離陸までちょうど1時間、空港では35分ほどの時間があったので、送迎デッキに出て他の機の離陸を見ようと思ったが、与那国行きの離陸を見ていると搭乗に間に合わない。仕方なく下に降り売店でドラゴンフルーツを探すが売っていない。那覇に行けばあるかな。石垣は滑走路が短いので離陸のときの加速感がいい。45分ほどで那覇に着陸したがタラップには付かずバスだ。乗り換えに余裕があったはずだが搭乗口に来ると既に搭乗開始、サンドイッチと沖縄限定のお菓子を適当に買いこんで乗りこんだ。修学旅行生が多く乗っていた。内地から飛行機で沖縄に旅行なんていいなあ、僕の高校には修学旅行は無くスキー教室だったなあ。そんなことを思っているうちに滑走路へ移動を開始した。今度はトリプルセブン、那覇の滑走路は長いからな、余裕を持って離陸。かなり揺れるが恐怖感までは感じなかった。シートベルトのサインが消え昨日の日記を作成し始めた。あっという間に千葉上空、隣の人がアクアラインの海ほたると風の塔を不思議がっていたので説明してあげた。那覇から羽田で乗り継ぎ札幌まで行くというが、夏日の南国から一気に北海道か、かなり寒く感じるだろうな。羽田からは荷物を預けていないのでモノレールに直行、東京発15時13分のこだまに搭乗、意外と時間がかかってしまったな。三島着は16時10分、一度家まで帰ろうかと思ったが在来線を乗り継いでいると間に合わないので駅から歩いて会社に向かった。1ヶ月半ぶりの景色は、なぜか懐かしい気がした。

ゆんたく 2002,11,14
今日は暑くなるという予報、夜中に雨が降ったかな。

7時半過ぎ起床。いつものようにトーストとコーヒー、Aさんは早々にでかけていってしまった。今日も炊事棟の取り壊し工事のようで、大きなユンボが導入された。しばらくすると北見ナンバーのゼファーがやってきた。周囲を偵察していたので話しをすると、10年ぐらい前キャンプした人から、ここに来ればたくさん人がいるしバイトもあると聞いてきたという。しかし今の時期は…、あまりの人の少なさに途方に暮れていた。とりあえずテントだけ設営し荷物を置き、楽園の偵察に行くという。やはりここにはハードキャンパーしか残らないのか。9時過ぎだんだん暑くなってきた。予想最高気温は28度、夏だ。快晴で天気も最高。後片付けを終えると暇になった。どうしようかと考えながら3号炊事棟に歩いていった。定年を機に滋賀からXL250パリダカバージョンで来ていたライダーを誘って島内観光に出掛けることにした。その人はこの米原が気に入ってしまい当初1泊の予定が延びている。早速準備をして出掛けることにしたが滋賀のSさんは重装備だジャケットを着こんでニーパットも装着している。聞くと知りあいで膝を砕いて今でも障害が残っている人がいるという。ペースを見ながら走る、XLは20年以上前のバイクだから加減をしないと。最高速度を60キロ程度に抑える。峠を越え伊野田から農道に入る、まずは野底マ―ペだ。僕も今回まだ登っていない。タイトコーナーの農道を走り標高を稼ぐ、所々視界が広がりリーフを望む。登山口の退避所にバイクを止め早速登り始める。かなりの急坂でロープが張られている。少し息を切らせながら登り、10分ほどで頂上に到着、岩をよじ登ると360度の展望が広がる。「おーっ、絶景やな!」、Sさんが歓声をあげた。いいところに連れてきてもらったと喜んでいた。普通の観光ガイドブックには出ていないからな。石垣には結構穴場があるのです。しばらく絶景を満喫しスズメバチが増えてきたので下山開始、僅か10分でこんな素晴らしいところに来られるなんて、と絶賛。次に玉取崎、ここは観光の定番だがやはり初めて見ると美しさに言葉を失ってしまう。15キロほど北上し平久保崎灯台だ。ここにはたくさんのレンタカーが来ていた。ツアーは嫌だといって来ている人が多い、観光バスはここには来ないからね。そこにいた人から牧場のことを聞かれたがレンタカーでは無理だと説明した。僕達は牧場の中のダートを通ることにした。僕がゲートを開けSさんが閉める。今日も晴天で素晴らしい景色だ、ダートを走ると汗ばんでくる。2つ目のゲートを閉めていると10メートル程先、真っ黒い牛がこちらを睨みながら道路を横断している。うわっ!びっくりした。とりあえず刺激しないようやり過ごすが、ハラハラドキドキだ。Sさんは思わずホーンを鳴らし追い払おうとしていたが逆効果じゃないか、驚いて突進してきたらかなわない。僕は振り返らずにひたすら前進した。ここはアフリカツインでも結構楽しめる。ましてや250のオフ車じゃ最高だ。ダートを走り終えるとちょうど昼時なので明石食堂へ行くことにした。ヘルメットを脱いだ瞬間Sさんは「あー楽しかった、最高やな、しかしあんたはうまいな」、「えっ、そうでもないんですけど。コイツはデカイですけど結構走破性は高いんです」、「いやー最高や、あのぐらいのダートは僕にはちょうどいい、ここは僕にご馳走させてくれ」、オリオンとカツ丼をごちそうになってしまった。その後マングローブ林を見てサイトに戻った。暑くて汗が吹き出てくる、しばらく酔いを覚まして早速海に入った。今日も波が低くリーフの縁まで泳いでいった。ここまでくるとさすがに流れがありフィン無しでは危ないなと感じる。他にもウェットを着てシュノーケリングしている人が何人かいたが、僕は1時間弱で上がった。しばらくたたずんでいると、徒歩でカップルのキャンパーが来た。テントも借り物で10年ほど前のもので張り方もわからず、ポールも折れていて修理が必要、修理や設営を手伝ってあげるが、食材も何も持っていない。来る場所を間違えたんじゃ無いかと思った。近くの店に食料を買いに行ったが閉まっていて、夕食はジュースなどと言って缶ジュースを飲んでいるる。あまりにもかわいそうなので、不良在庫になっていた袋ラーメンをあげることにした。明日から僕がいない間、鍋やコンロなど使わせてあげることにした。海岸ではジャンベーの音、さっきのカップルの女の子がたたいていた。楽器は持ってきてるのに…。
暗くなり始めると車がたくさん集まってきて10号に集結している。島ナイチャ―のようだがどういう関係か、どうやら16日に帰る10号のHさんの送別会らしい。10号では焚き火をし大きな歓声が聞こえてくる。僕はしばらく月夜の明るい海岸に出てMDを聞いていた。その後炊事棟で熊谷のSさんと話しこんでいた。Hさんとは今まで一言も話する機会が無かったので、10時ごろゆんたくが終わり見送りに来たHさんに一言挨拶をした。

2002,11,13
ここのところ一日が経過するのが非常に早く感じられる。陽が短くなってきたせいもあるだろうが…。

7時過ぎに起き、いつものようにトーストとコーヒーで朝食だ。見上げると空一面に雲、でもかなり薄い雲で少し日差しもある。今日も暖かい。水曜ということで8時過ぎAさんは楽園の偵察を兼ね街に買い物に出掛けていった。僕は炊事棟の掃除をし、隣のSさんと、少し離れた場所にテントを張っている名古屋のライダーと3人で昼前までダべリング。12時になるので僕は近くの知花食堂でそばを食べ街に向かった。街までの約23キロ、いつも通る道だが何度通っても楽しい道だ。適度な高低差に直線と緩いカーブ、道端に咲くハイビスカスやさとうきび畑、目に止まるもの、そして感じる全てが美しく感じられる。今日はバンナ森林公園に行ってみた、裏側からスカイラインに入る。こちらはコンクリート舗装のワインディング、所々狭くなる、ジャングルの中のアップダウンの激しい道だ。展望台に出たが今日は霞んでいて視程が短く竹富島くらいしか見えない。そのまま通過し市民の森に入ったが、こっちは前にも増してワイルドだ。深いジャングルの中、アスファルトの上に積もった葉で滑りそうだ。10分ほどで展望台に出たがこちらも視界はあまりよくなかった。ここはガイドブックなどにもあまり出ていないので比較的観光客は少なく、地元の人が来る程度だ。晴れた日は八重山の島々が見渡せる穴場である。街中に入るとさすがに暑い、信号で停車するたびにエンジンを止める。マックスバリューとサンエーに行き、パンと米、それと今晩のおかずを買いこんでサイトに戻った。今日から9月の台風で壊れかけた炊事棟やシャワーをを撤去する工事が始まり、このキャンプ場からもキャンパーが2人借りだされた。日給5000円という。1週間から10日くらいの工事らしい。工事を請け負った会社もこのキャンプ場から人を確保すれば短期の雇用のため手間もかからず、キャンパーも通勤の必要も無いし日銭も稼げる。一石二鳥というわけだ。
午後2時、最高気温を記録する時間帯、今日も27度、ほぼ無風、小潮で凪いでいる、時折陽も射すようになった。これだけ条件が揃っていれば泳ぐしかないだろう。早速着替え3点セットを持って海に入った。ベタ凪ぎなのでかなり沖合いまで行っても波が無い。初めてリーフの縁まで行ってみると、いつもと違った美しいサンゴの群生が見られた。魚もたくさんいる。芸術的なオブジェのように美しい。まるで庭のようだ。竜宮城とはこのような場所なのか。が、ふと目の前にシマシマの不気味な嫌なヤツが現れた。ウミヘビだ!襲って来ないとはいわれているが猛毒を持っている。一目散に逃げる。岸辺に戻り、浅瀬でしばらく遊んでいた。今日は1時間近く泳いでいたが寒さを感じることもなかった。海から上がりシャワーを浴び、浜にパイプ椅子を出してMDを聞いていた。
今日見た夢を思いだした。「夢」、意識と無意識が入り混じり混沌とした世界。忘れかけた人や景色が現れることがある。人は何のために夢を見るのだろう。ほとんどは朝起きると忘れてしまっているが、何かをきっかけに思いだすこともある。自分の意思で制御できない無意識が、少しだけ顔をみせる僅かな時間…夢。記憶の断片をデフラグしているのだろうか。

記憶 2002,11,12
夜中、大粒の雨がテントをたたく音が聞こえた。ラジオから流れるNHKのラジオ深夜便がうち消されてしまう。

朝起きると雨は上がり、薄曇り。湿度が高く蒸し暑い。今日は早起きだ。隣のKさんは今日ホテルのバイトの面接ということで8時過ぎ出掛けていった。今日は午後から天気が良くなる予報なので午前中はまったり。先日作った蝋燭を再生することにした。蚊取線香の缶に蝋を溶かして蝋燭を作ったが、缶が大きすぎて周囲まで溶けず、ドーナツ状に蝋が残ってしまった。それじゃシーチキンや鯖缶の空き缶を拾ってきてこれに分けて作ろう。芯はトイレットペーパーを捻り、縄状に編んで作る。最初に缶の底に芯を固定、割り箸で芯の上部を缶に橋渡しするようにし固定、溶かした蝋を流しこむ。合計6個の缶蝋燭ができた。テストで点火してみたがおおむね良好のようだ。これらの蝋は札幌のSさんがペットボトルで作った蝋燭のものだが、この蝋はSさんが海岸で拾い集めたものだ。しかし蝋が海岸に流れ着くなんて全く知らなかった。僕も今度探してみよう。その後は自然に冷却し固形化するのを待つ。小分けするとき赤色の蝋を床にこぼしてしまったが、後で見るとまるで血液のようで一瞬焦ってしまった。あらぬ誤解を招きそうだ。
11時過ぎ街へ出かけた。今日も最高気温は27度、上着などいらない。途中の農道では対向車の軽トラがゆっくりと走って来る、案の定後続車が2台つっかえているがなぜか追い越さない。近付くとびっくり!荷台に乗った人が手綱を持ち馬を引いている。バイクで犬を散歩させている人はたまに見るが、馬は初めてだ。思わず笑ってしまう。街に入りまず港周辺を見て廻った。その後あさひ食堂でカツカレーを頼んだ。これもかなり大盛りのうえ、カツもでかい。おまけに味噌汁も付いてきた。八重山に来たらぜひ寄ってみてください。食後、図書館へ行ったがネット待ちが一人、時間がかかりそうなのでマルチメディアセンターに向かった。こちらは20台くらいパソコンがあるので、研修会の日以外は満員ということはまずない。誰でも無料で使えるし一人2時間までだ。しかしここに来ている人はほとんどキャンパーのようだ。隣でパソコンの操作をしている人はキャンパー風なのにCDロムを使用しているところをみるとかなりのパソ通だ、と思ってモニターを覗きこむとゲームじゃないか。おそらく100円ショップで買ったものだろう。ここのOSはWin98なのでデジカメで撮った写真を縦にできないので、持ってきたフォトデラックスをインストールした。このパソコンあまりメンテナンスされていないようで、子供が遊びで作ったビデオクリップが残っていたりする。容量なんと270メガ、動きが緩慢なわけだな。まあ気にせず画像掲示板をアップしたが1時間半ほどかかってしまった。サイトに戻り今日も泳ぐことにした。日差しは時折射すが今日は小潮か、あまり潮が引かなかったので、波が海岸まで打ち寄せてきて泳ぎにくい。でも内地では雪とか霜なんていっているのにこっちではまだ泳げる、なぜか嬉しくなるな。40分程で上がった。

今日も砂浜にパイプ椅子を出し、MDを聞いて過ごす。音楽って聞いていたときの状況が、その曲と共に記憶に留められていることがある。この曲を聞くと、あのときのことを思い出すってことよくあるよね。全く忘れていたと思った記憶が音楽と共に、そのときの状況が手に取るようによみがえってくる。そして今、この夢のような時間が、この曲と共に記憶に焼きついていく。いつか再びこの曲を聞くとき、この記憶もよみがえってくるんだろうな。
いつしか時間の経過と共に薄らいでいく記憶。でも、忘れたくない人・景色・感覚。いつまでも変わらない心でいたい。

最高の晴天 2002,11,11
朝起きると三線の音が聞こえる。10号からかな、いい音だなあ、大きな古時計か。今日も晴天、暑くなりそう。

7時半過ぎに起きると横浜のKさんはテントをたたみ撤収中だった。作業を見守りながら朝食を済ませた。バスが来るまでにはまだ時間があるので離島情報を見ながら話しをした。石垣島を徒歩じゃ広すぎるな、せめて自転車じゃないとね。今度来る時の参考になっただろう。8時過ぎ、大きな荷物を持ってサイトを後にしていった。僕は5分くらいしてからバス停に向かった。縁石に座り離島情報を見ているKさんが見えた。まだ定刻まで10分くらいある。田舎のバスなんで時間にアバウトで、定刻より早く来ることもあるんじゃないかと思ったがまだ来ていないようだ。何しろ一日2便しかない、乗り遅れると次は5時間後なのだ。話しをしていて気が付くと定刻の8時33分を過ぎていた。車の音が聞こえるたび道に出て見るがなかなか来ない。8時40分バスが来た。乗客は予想通り数人だ、2便でさえ廃止したいバス会社の意向もわからないわけではないが…。左側に座ったKさんは車窓から手を振り、僕もKさんに手を振ってバスは発進していった。しかし今日はいい天気だ。蝉も鳴いている。ここに来て最高の晴天だ。サイトに戻ると早速出掛ける準備をした。北部方面に向かい、峠を越え伊野田に出て北上、玉取崎展望台に上がった。おーっ、やっぱり晴れている日の海は鮮やかさが全然違うな、リーフの外側で砕ける波のラインが遥か向こうまで続いて見える。そこを境に沿岸のエメラルドグリーンと沖合いのコバルトブルーのコントラストが最高にきれいだ。咲き乱れるハイビスカスにアゲハ蝶が飛び交っている。いつまでも見ていたい気分だ。観光バスの団体が来たのでさらに北上することにした。経済速度80キロでスタンディングで走る、風を切って最高にいい気分だ。雲もほとんど無い。平久保崎灯台に到着、トイレの工事車両で駐車スペースが無い。バイクを隅に止め灯台への坂道を登っていった。坂を登りきるとぱっと広がる視界、きれいなリーフ、真っ青な空、11月とはとても思えない暖かい風、南国気分最高だ。近くの高い丘によじ登り、しばらく風を感じ景色にみとれていた。今日はさらに北上し、牧場の中のダートを走る。地図や観光マップには載っていないルートで、平野から明石へ太平洋側を抜けるルートだ。テキサスゲートを通過し牧場の中を少し走るとパイプ製のゲートがあった。今日は牛が全くいないのでスムースに通過できた。春に来た時は牛がたくさんいてここまで来られなかった記憶がある。けっこう荒れたダートで所々ガレている。高低差や川渡りもありかなり楽しめるが、しかしこのアフリカツインは重い上にオンタイプのタイヤなのでルートをうまく選ばないと、溝にはまったりコースアウトする可能性もある。慎重にルートを選ぶ。初めて通るこの道、人や車は全くいない。貸し切りのコースを走っているようだ。慣れてくると結構楽しめる。途中のゲートを開閉すると再び牧場の中だ。糞があちこちに落ちているので踏まないように神経を使う。轍はほとんど無く、広い芝生の中を走っているようで最高の気分だ。こんな所、他には無いな。3つ目のゲートを通過すると一般道路に出た。途中稲垣食堂も知花食堂も休業、仕方なくサイトで昼食を作った。今日も気温は27度、すぐに水着に着替えて海に入る。潮加減もちょうどよく、歩かずに沖合いに出られた。色鮮やかな魚がたくさん見られた。ある程度水深もあるので潜っても楽しい。40分ほどで海から上がりシャワーを浴びようとしたら水が出ない!断水だ。シャワーは沢の水だから水道とは別、多分タンクの掃除だろうが、こういうことは予告して欲しい。仕方なく水道の蛇口にホースを繋いでシャワー代わりだ。体を拭き終わるとシャワーから水が出ていた。なんというタイミングの悪さだ。その後Sさんが置いていった大型のパイプ椅子を浜に出し、MDを聞きながら日暮れまで過ごした。本当に夢の中にいるような気分だ。時間を忘れる一時だった。

石垣島の思いで 2002,11,10
今日は日曜日か…、曜日の感覚がまるでなくなってきた。もっとも今の生活には時計もカレンダーも必要ないんだな。

毎日晴天続き、気温は少し低めで夜中はフリースが必要だ。それでも日差しがあるとTシャツで十分です。
8時過ぎ起床、朝食の後はシュラフを干し洗濯をする。9時前にAさんは日曜市の先遣隊として偵察に出かけた。横浜のKさんは片っ端からダイビングショップに電話をかけ、ライセンスの取得費用を問い合わせている。どこが一番安いのか、表示の金額以外に必要な費用、ライセンスの種類など、いろいろ参考にさせてもらった。僕も来シーズンはPADIのライセンスを取る予定、沖縄では費用は安く基本料金が19800円、他に教材費や申請料など10000円くらいだ。シュノーケリングでも十分楽しめるが、マンタやハンマーヘッド、海底遺跡なども見てみたいなあ。バイクを点検するとチェーンのオイルが切れているようだ、早速チェーンオイルを塗り少し走ってみたが、塗りすぎたようで後輪のホイールは油だらけになってしまった。仕方ないのでついでに洗車することにした。11時を過ぎたので街に出掛けることにした。かねひでとマックスバリューで買い物を済ませ、港へ向かってみたが日曜だけあって離島桟橋は賑わっていた。ここに来ると石垣に来たんだなっって感じるんだよな。<始めてきたのは98年のGWだったかな。確か始めてのロングツーリング、何もわからずに手さぐり状態、荷物も必要かもしれない物を何でも持ってきていた。その時も出会った人達にいろいろと教えてもらったことを思いだした。あのとき八重山にハマってしまったんだな。3日間の滞在で天気が悪く、晴れたのは3日目の帰る直前だけ。それでも楽しかったし未だに忘れられない思い出がたくさんある。>桟橋を抜け、あさひ食堂へ行ってみるがシャッターが閉まっている、もう12時を過ぎたのに…うちなータイムか?電気はついているのに。諦めてほか弁にいったがこっちでは30分以上かかるという。うまくいかないな。仕方ないからスーパーで何か買おうかと思い途中で右折すると偶然ほかべ弁を発見、のり弁がキャンペーン中で安い。迷わずオーダーした。戻る途中パラっと雨が降ったが降水は記録されない程度の雨、そのまま走り続けた。サイトに戻り弁当を食べシャワーを浴びた。日差しがないので少し寒く感じるが、体に付いた水滴を拭き取ってしまうと快適、さっぱりした。その直後雲が切れ暑くなってきた。なんというタイミングの悪さ、20分待っていれば泳げたのに…。また来週は暖かくなる予報だからいいか。浜にパイプ椅子を持ちだし海を見ていた。日曜なので島人がたくさん来ていて賑やかだ。MDを聞きながらいろいろと考えた。こんな生活、ついこの前までは夢だった。でも実現できないから夢なんであって、手にしてしまうとそれは現実になってしまう。でもやっと手に入れたこの瞬間、決して無駄にしないようにしようと思う。もう二度とできないかもしれない。今日は夕日がきれいだった。春に来た時とは日が沈む方向はかなり変わっていた。明日横浜のKさんは西表に旅立って行く。僕も明日はどこか走りにいってみよう!


見送り 2002,11,9
この時期、毎日いい天気が続いています。今日も晴れ、雨の心配はありません。

ゆっくり8時過ぎの起床、6時半じゃまだ薄暗いからね。明るくなったら起きる。昨日に比べ少し涼しい感じだ、フリースを着こんで外に出た。日差しがある分それほどの寒さは感じない。朝食のトーストを食べコーヒーを飲みながらまったり。沖を見ると飛龍が見えた、もうすぐ石垣入港だろう。だれか来るかな。
しかし札幌のSさんは今日の夕方の船で帰るため、あわただしく撤収の準備をしている。ちょっと寂しい風景だ、いらない物をみんなに分けたり処分したりしていた。よくこんなに荷物をバイクに積んだな、1年以上の生活の跡がそのまま荷台に乗っている感じだ。これから北海道か、気温差は相当あるな。撤収作業を見守っているともう昼だ、昼食後テントも撤収し身の回りの物もバイクに積みこんだ。エンジンをかけ、周りの人に笑顔で挨拶をして米原を後にしていった。みんなでSさんを見送った。こんなふうにキャンパーを見送るなんて始めてだな。複雑な気分になった。僕は街に買い物があるので後を追い、途中まで同行することにした。天気がよく快調に飛ばす、高通量は少ないがすぐに遅い車に追いついてしまう。追い越しを繰り返し街に近付いていくと、突然前方をユニック付の大型車が進路を塞いだ。カーブの先の交差点から横断してきたのだ。うぉーっ!危ない。Sさんは荷物を満載している上にリヤブレーキが無い。後ろから見ていて、かなりやばいと思ったが対向車線に出てなんとか交わした。信号で並ぶと「死ぬかと思った」と言っていた。最後の最後に…、でも無事でよかった。730交差点付近でそれぞれの目的地に向かい別れた。またどこかで会えたらいいな。街には週末とあって観光客も多かった。
図書館へ向かったがネット待ちは5人もいて約2時間待ち、とてもじゃないが待っていられないので買い物に向かうことにした。今日は土曜で学校が休みなのとマルチメディアセンターも休みなのか。マックスバリューで先日出しておいたフィルムのプリントを引き取り行くと、ブルーシールがあったので早速配送を依頼、送料は意外に高い。写真は現像とプリントで650円均一で安いのだがアルバムが付いていない、仕方ないので100円ショップではがきホルダーを買ってきた。その後サンエーとかねひでで買い物を済まし、港を通過し図書館前を通るとSさんの荷物満載のセローが止まっていた。サイドスタンドを立てているのだが、サスが沈みきっているのでほぼ垂直だ。出港を見送ろうとも思ったがまだ2時間近くあるのでそのまま通過し、川平方面から帰ることにした。街はずれに出ると途中で寒くなりジャケットを着こむ、街とは温度差がかなりあるようだ。サイトに戻ると夕食の準備、ハンゴウでご飯を炊いて缶詰をおかずにし横浜のKさんからステーキを分けてもらった。かねひでで買った58円のゴリチュウは意外にいけた。落花生をつまみに続けて2本飲んでしまった。明日たくさん買ってこよう。Sさんの置いていった大量の蝋燭に火を付け9時頃までダべリング、やっぱり一人減るとさみいしいな。新しい人は結局来なかったようだ。僕も一度静岡に帰ったら楽園に引っ越そうかな、それとも本島に行くか。しばらく考えよう。

最後の夜 2002,11,8
ここのところ毎日天気のいい日が続いています。乾燥注意報も発令されるほど、内地の寒さが信じられないほど暖かいです。

今日は午前中はサイトでまったり。2日ほど夜にはゆんたくになったので日記は翌朝作成しています。でもここまでよく毎日続いたものだと自分でも感心しています。昼前Aさんが買い物から戻ってきたので安いものを聞いてチェック、焼酎が1.8箸398円だ。昼食を済ませてから熊谷のSさんとネットをしにマルチメディアセンターに向かった。相変わらず上着はいらない、長袖のシャツの袖をまくって走る、快適だ。平日のセンターはキャンパーばかりだ。他県ナンバーのバイクが5台も止まっていた。いったいここの回線は何なんだろう、10台以上のパソコンがあるのでLANになっているのだがやたらとスピードが遅い、とてもブロードバンドではないようだ。もしかするとISDNをルーターで分けているだけなのかもしれない。図書館も同じく遅かった。とりあえず自分のページや友人のページを巡回、BBSのレスをしたり更新のチェック。JALのページに行き空席をチェックすると窓側が空いていたのですかさず予約、昨日の分をキャンセルし、行き帰りとも全便窓側を確保した。ひと安心だ、2時間以上通路側じゃ退屈だからな、それに離着陸時外が見えないとおもしろくないんだよね。2時間近くネットを楽しんだ後買い物に、カネヒロで落花生と焼酎をゲットしブルーシールアイスを探すが見当たらない。特産品センターや空港近くのショッピングセンターにもない。本島じゃないとないのかな。諦めてサイトに戻った。風は強いが日差しはある、早速シャワーを浴びた。水は冷たいがさっぱりした。横浜のTさんは泳ぐといって海にいった。しばらくして戻ってきたがかなり寒そうだ、おまけにシャワーが使用中で待たされたようだ。今日は海に入らなくて正解だったようだ。来週また暖かくなりそうなのでそれまで無理をしないようにしよう。風邪をひいてしまうと大変だからね。キャンパーは体力勝負だなどと言っている人もいたな。
暗くなりみんな食事の準備、札幌のSさんは明日帰るんで最後の夜だ、僕が買ってきた牛カルビで焼肉パーティー?だ。みんな焼肉なんて久しぶりのようでうまいうまいと言っていた。それぞれが持ち寄った酒を飲みながら話しをした。みんないろいろな生きかたをしてきたんだな、僕には想像もつかないような世界で…。風が強いんで9時頃お開きになりそれぞれのテントに戻っていった。Sさんは荷造りのためか炊事棟に残っていた。寂しくなるな。本人はどうなんだろう、八重山に14ヶ月もいて北海道に帰るなんて、想像がつかないな。しかし毎日いろいろなことが起こるな、同じ日なんて絶対にない。ずっとこのままであったらいいのに…と思うこともある。でも必ず朝がきて新しい一日が始まる。明日は何が待っているのかな。

今日も夏日 2002,11,7
今日も朝起きると強烈な日差しだ。シュラフを干し朝食の準備をした。今日はどこかへでかけよう。

午前10時前、北方面に出発。上着なんていらないな、シャツの袖をまくって走りだす。こっちに来るのは半年ぶりだ、気温は少し下がったけど、緑の鮮やかさは変わらない。内地ではだいぶ寒くなったって盛んにラジオで放送してるけど、こっちではまだまだ暖かく、風をきって走ってるって感じだよ。北部方面は信号もなく交通量も少ない、軽トラックかあとはほとんどレンタカーだ。峠を越え伊野田方面へ出る。路面が濡れているので少し前は雨だったのか。懐かしいちゃーがんじゅーさーの前を通過、閉鎖中の伊野田キャンプ場を偵察。再び北上、途中スプリンクラーに遭遇、水をかぶってしまった。まもなく石垣島最北端の平久保崎灯台に到着、やはりほとんどが夫婦かカップルの乗ったレンタカーだ。高台に登る。遠くリーフが見渡せる、風はやさしく吹きぬけていく。ずっとたたずんでいたい気分だ。しばらく景色を楽しんだ後、明石食堂へ向かった。11時半前、まだ準備中だった。しばらく待つと営業中になりカツ丼を頼んだ。できるのを待つ間、手塚治虫のブッダを見ていた。噂の通りボリュームもあり味もいい。記念にライターをもらって店を出た。雨は降りそうもないがこの島のことだ、合羽を取りにサイトに戻った。そのまま街に向かう、図書館でネットをしようとしたが2台とも使用中だ。とりあえず申しこみをし20分ほどで1台空いた。さっそく友人のHPを巡回し、一応JALのHPをチェックすると15日の乗り継ぎ便が1席だけ空席が出ていた。さっそく予約、直行便をキャンセルした。航空券は当日までに買えばいいようだ。この便なら羽田着14:10分、少し余裕ができた。ネットをやってると時間を忘れてすぐに1時間経過してしまう。2時過ぎ図書館を後にし、マックスバリューで食パンを買い3時前サイトに戻った。今日はちょうどいい具合に潮が満ち始めている。日差しも少しあり泳ぐにはいい感じだ。もうこれで泳げるのは今シーズン最後になるかもしれないな。すぐに水着に着替え海に入った。ウェットを着ないで泳いでいるのは僕だけのようだ。でも、昨日に比べ暖かい。水の濁りはまだ収まらないな。なぜだろう。それでも30分ほど自然の水族館を鑑賞し海から上がった。シャワーを浴び日光浴、あたたまったところで炊事棟にもどると、場外でキャンプしていた札幌のSさんが来ていた。土曜日の船で帰るので、荷物をまとめて撤収しやすいように移動してきたのだ。彼は去年の9月にきてから1年以上だ。そういえば僕が春に来た時見たような気もしたし、共通の知人もたくさんいた。この1年いろいろな所に行って冒険した話しを聞き、貴重な話しもたくさん聞けた。帰ってしまうのは残念だ。ただでさえ人の少ないキャンプ場で、帰って行く人を見送るのは寂しい気がするな。この時期このキャンプ場に来る人は多分もういないだろう。炊事棟で10時頃まで飲んでいてそれぞれのテントに戻った。

最高気温27度 2002,11,6
夜中2時ころ目が覚め、外に出て空を仰いだ。満天の星空とはこのことをいうんだろうな。このキャンプ場はロケーションでは最高だ。海は綺麗ですぐ近く、テントで着替えてそのまま海に入れるから。街には約23キロ、ちょっと遠いけど、バイクに乗るのは楽しいので苦にはならないな、飛ばして20分くらいだから。

今日も起きるとすごく明るい、いい天気だ。予報では最高気温27度、夏日だ。内地ではこの冬?一番の寒さだとか。ニュースでは広島戸河内町のスキー場は今日オープンしたと報じていた。そういえば戸河内には野宿したなあ…あの時も寒かったけど。にわかには信じられないよ。

今日は水曜日、特売の日だ。10時前、街に向け出発。上着を着ていると暑いくらいだ、まず図書館に行くとパソコンは誰も使っていない、ラッキーだ。早速申し込みしパソコンを確保。デジカメを繋いで確認したが石垣島祭りの写真は暗すぎてほとんど判別不可能だったのでHPにはアップ不能。続いてBBSのレス、そして15日に一時帰宅するための航空券の確保だ。残念ながらディスカウント航空券は確保できなかったので、自力で確保するしかない。ネットで予約すれば窓口で買うよりかなり安くなるからね。15日は最初、経由便で帰ろうとしたが那覇から羽田までが満席になっている。仕方なく直行便に変更、でもこの直行便は宮古に一度着陸するんだよね。石垣の滑走路が短く、羽田までの燃料を積んで離陸できないので宮古で給油するから時間がかかってしまう。羽田着15時10分、なんとかなるか。
帰りは直行便は安いが羽田発6時30分で早過ぎて乗れないので経由便にした。このキャンプ場からのバスは1日2便しかないから予定を立てるのが大変だ。帰りの便も平日なので確保は楽だった。行きの経由便が確保できなくなり手間取っているとあっという間に1時間が過ぎてしまった。一応予約できたし後に待っている人がいるので早めに譲ることにした。その後マックスバリューにより水曜市で安いものを探すがこれといって必要なものは見つからなかった。屋バナナ4本、味噌汁、焼き鳥とソーセージの缶詰、お茶付け海苔を買ってきた。あとたまっていた未現像のフィルムを出してきたがこっちでは現像料1本あたり650円均一で前払いだ。今度は40枚撮りのフィルムにしようかな。
帰りに知花食堂に寄るがちょうど昼時なんで満員だ。諦めてサイトに戻り在庫過多になっているカップ麺を消費、バナナ3本でいっぱいだ。天気がいいし気温も高いが潮が完全に潮が引いていしまっている。とりあえず水着に着替えて浜で日に当たっていた。2時半、もう我慢できなくなり海に入る。やはり浅くて沖まで行かないと腹が着いてしまって泳げない。深いところを探しながら沖に向かった。水もやや冷たいが我慢できないほどじゃない、ある程度沖に出るとサンゴが多くなる。今日は水が濁っていて10メートル以下の視界だ。それでもサンゴに群れている色とりどりの、特に水色の熱帯魚はすごくきれいだ。他にも黄色や黒のちょうちょうおなど色鮮やかな熱帯魚がいっぱいで、近付いても逃げない。しばらくそのサンゴの回りで鑑賞していた。40分ほどで寒くなってきたので上がることにした。夕食は米を炊いて食べ、その後は炊事棟で泡盛を飲みながらダべリング。2人のキャンパーにパソコンを教えてくれと頼まれた。
ここ4日くらい雨が降らないいんでたすかるよ。もうすこし暖かい沖縄を味わっていたいな。

久しぶりの海 2002,11,5
今朝は朝からいい天気だ、早速シュラフを干して天を仰ぐと真っ青な空。久しぶりな気がする。この前からの北風も止んで暖かくなりそうだ。10時前街へ出掛ける。内地では売っていたポリタンクに取りつけるシャワーを探したがどこにも売っていない。こっちでは暖かいのでそんなモノは売れないのだろうか、しかしいまだに水中メガネやビーチパラソルなどは売っている。もちろん蚊取線香も現役だ。そろそろ昼なのであさひ食堂へ向かうと信号待ちで偶然隣のキャンパーKさんと並んだ。これから職安に行くという、あさひ食堂は昨日も休みだったからな、今日こそは。到着すると向かいのコンビニで手を振っている人がいる、昨日会ったチャリダ―だ。挨拶をし僕は先に店に入りカレーライスを頼んだ、後から店に入ってきたチャリダ―Fさんはあさひ定食を頼んだ。やはりカレーも大盛り、なかなかボリュームがある。あさひ定食はというと、ご飯大盛り、おわんに沖縄そば、酢のもの、煮物。こんなもんか、普通の定食だなと思っていたらまだ出てきた、大きなトンカツ、キャベツ大盛り。やっぱり。帰りにハンゴウと無洗米を買いサイトに戻った。海岸に出ると晴れていて潮は引き加減だがなんとかなりそう、早速水着に着替えて海に入った。水の中は暖かいな、水は澄んでいて日差しが入りすごく綺麗だ、サンゴも熱帯魚も一層鮮やかに見える。11月で泳げるなんてな、沖縄だな、蝉も鳴いてるし。30分ほどで上がりシャワーを浴び、しばらく日向で暖まっていた。すると今日到着した船で新しいキャンパーがやってきた。ライダーとトホダ―の二人。よく楽園に行かなかったなと思ったが、一人は米原にこだわりがあり、もう一人はマンタの見られる海に近いキャンプ場ということでここに来たといい、テントを設営する場所を決めていた。
夕食の準備、ハンゴウに米を入れ15分ほどカセットコンロで加熱、15ほど蒸してから開けるとまあまあいいできだ。ポークとさばをおかずにして夕食にした。その後今日来た二人と炊事棟で10時頃まで話しをしお開きとなった。

今日は新月で雲がなく星が恐ろしくよく見える。それに蛍も見たよ。しばらく天気は良さそう。

伝統文化 2002,11,4
風は相変わらず吹きつづけている。1ヶ月先の気候という。でも数日中に寒気が抜ければまた暖かくなるだろう。

朝起きると衝撃的事実が発覚した。今朝食べようと昨日買っておいた焼きそばにアリが大量に入りこんでいるうぉーっ!なんてこった。せっかく楽しみにしていたのにー。ますますアリが憎くなる。アリ対策のために一番高いところに置いておいたのに。やっぱり吊り下げておかなければダメだったか、残念。仕方なくまたトーストを焼いた。
今日もまたチャリダ―が一人撤収していった。明日の船で帰るようだがもう一人札幌のライダーも帰るという。寂しくなるな、だれか来ないかな。この季節じゃあまり期待できないかな。
今日は図書館も休みだし、夕方までサイトでまったり。ラジオやMDを聞いて過ごす。曇ってはいるものの雨は降りそうにない。今日は7時から市民会館で八重山民謡のコンクールの発表会があるので見に行くのだ。Tさんも出るというので行くことにしたが古典の民謡や芸能は始めてだ。ましてやライブで見られるなんて。
4時過ぎ街へ出掛けた。まずはガスや蝋燭を補充しパンなど食料を買う。まだ時間があるので与那国行きフェリーの桟橋に行きバイクを止めしばしたたずむ。遠くの空をオレンジ色に染める夕焼け、時間と共に流れる雲と、濃さを増していく空の色。静かな桟橋に、時折釣人の降る竿の音と着水する音、そしてリールの音。やがて景色もモノ―トンに変わっていき暗闇に包まれる。再びバイクにまたがり市民会館へ向かう。5分ほどの距離だが今日は風が冷たい、着くと道路の両側は車であふれている。えっ、こんなに人が集まっているの?開演15分前なのに。こういう時は時間に正確なのか。中に入ると暖かい、ホールに入るとこんなに見に来る人がいるのかと思うほど入っている。ここでは横の繋がりがかなり密だから、友人や親戚なとかなりくるんだろうな。7時過ぎ開演、90パーセント以上の入りだ、すごいな。
幕が上がり合格者全員の演奏が始まった。三線のいい音色が響く、やっぱり生で聞くのは違うな。内地では聞く機会なんてまずないしな。舞踊には思わず見入ってしまう。綺麗な赤と黒の衣装と金銀の扇、神秘的な動きの舞踊、うちなーぐちは全く理解できないが、異文化に触れることは新鮮で刺激的、つい入りこんでしまうな。今まで、ただ単純に八重山が好きだからと、ここに住みたいなんて思ってたけど、このような芸能を継承していくことは大切なんだと改めて感じたな。そしてこれらに携わる多くの人が大変な苦労をしているんだなって。そういえば自分の周りにはこのような伝統的文化があっただろうか、気にすることなく過ごしてきた気がする。あっという間の2時間だった。最後、出演者全員が舞台に立ち手を振って幕となった。
外に出るとさすがに涼しい。でも星が見える。明日は晴れかな。

石垣島祭り2日目 2002,11,3
朝起きると異常に明るい。7時半、テントを出ると青空に太陽、久しぶりに見る強い日差しだ。一瞬にして目が覚めた。
早速いつものようにトーストとコーヒーで朝食を済ませ、シュラフやマットを外に出しロープに干した。
朝9時前、何やら多くの若者が集まり始めた。女の子が多い。花束を持っているところをみると誰かの命日か。比嘉さんに聞くと、5年前なくなった人の命日らしい。海岸へ出ると花が流れ着いていた。やはり海で亡くなったのか。黙祷。
Aさんは「今日は日曜朝市だよ」といって買い物に出掛けていった。
海岸を一番南側まで歩いてみた。この前の洪水ですっかり変わってしまった河口、荒涼とした風景でまるでグランドキャニオンだ。川の流れに削られて1メートルほどの崖となった浜は、吹かれる風に時折崩落し、サンゴのかけらが当たる澄んだ高い音と砂のさらさらという音が、遠く聞こえる波の音に混ざってすごく神秘的だ。しばらくその場に立ちすくんでしまった。洗濯物を干しているとAさんが戻ってきた。「まだ行かないの?1時までだよ」、そうだ!どの店で何を安売りしているかをいろいろと教えてもらい、早速バイクで出掛けた。今までこのように安売りする日時や店を選んで買い物をすることなんてなかったな。ほとんど1つか2つの店で済ませてしまったし、食品や缶詰など買うこともなかった気がする。毎日新しい体験ができる。今まで知らなさすぎたのかもしれない。店に着くとなるほど混雑している。他の人が買っているものをリサーチしてみるとやはり広告に出ている品が必ず含まれている。客寄せ効果はかなりのものだ。今度は駐車場をリサーチ、軽自動車が多い。ほとんどは主婦と思われる。一通り買い物を済ませサイトに戻った。まだ天気がいいが潮は引ききっていて泳げない、残念だな。かわりにシャワーを浴びることにした。最近曇りや雨の日のシャワーは修行の域に達してきている。般若心経を唱えながらシャワーなどど冗談も言っていた。暖かい水道水でシャンプーをしてシャワーで体を洗う、しかし今日は暖かいので最初だけ冷たいがなれてしまうと気持ちよかった。さっぱりして髪を乾かしているとチャリダ―がやってきた。話しをすると富士川町からきたと言う。奥さんを残してきているので機嫌が悪くなるので長くはいられない、などと言っていたがもう1ヶ月、帰るのは月末近くというが大丈夫なのだろうか。しばらく話したが、他に出掛けてしまった。その後小学生が大挙してやってきた、だいぶ遠いサイトなので僕らには問題ないがその隣にいたおじさんはかなりうるさいといっていた。ラジオのニュースで聞いたところ、石垣市と大阪阪南市との小学生の交流行事ということでのキャンプらしく、島の小学生の父母達と追いこみ漁などを体験したという。
夕方6時過ぎ再び街へ、今日は石垣島祭り2日目。到着するとものすごく混んでいる。ステージのずっと後ろ、露店の前までぎっしりで、周囲を歩くのさえままならない。石垣にこんなに人がいたのかと思うくらいだ。おがさわら丸の出港を思いだした。郷土芸能が終わると、おじい・おばあが帰り始め、ステージのすぐ近くは空席ができた。早速ビールとポップコーンを青年会の屋台に買いに行き、スピーカーの直前に陣取った。強烈な音がするが大きな音はだいすきさ、だからここに人があまりいなかったんだ。でもステージはよく見えるしすごい迫力だ。三線とロックとは意外に合うもんだなと思った。最後はステージの前に集まって踊っていたビーチャ―?がたくさんいた。(※ビーチャ―=酔っ払い)そしてコンサートが終わるといよいよこの石垣島祭りのフィナーレ、打ち上げ花火だ。会場が静まりかえり、人々がいっせいに後方に向き直った。カウントダウンが始まり、ゼロと同時に綺麗な花火が夜空を飾った。こんな時期にしかも石垣で花火を見られるとは思わなかった、終盤になると10号(※1号=1寸、10号=1尺玉)の連発だ。少し離れているがこんな感動的な花火は久しぶり、遠くで見る花火もいいなと感じる。沖縄で見る花火は格別だ。最後は会場から一斉に歓声と指笛が鳴り響きフィナーレを飾った。楽しかったなー、やっぱり沖縄はいいなあ。帰り際焼きそばが100円で売られていたので買って帰る。9時50分サイト着。

石垣島祭り1日目 2002,11,2
今日は石垣島まつり1日目です。

昨日からの強い北東の風は止まず、なかなか太陽を拝めません。朝はテントが変形するほど強く吹き、風向きの影響で波の音もすぐ近くで聞こえる気がします。
いつものように7時半起床、トーストを作りコーヒーを飲んだ。今日は船が入港する日、また誰か来るかと期待したが結局スクーターが1台来たがそのまま通過して出ていってしまったそうだ。やはりここをよく知っている人以外はちょっと敬遠するかな。みんな楽園(石垣市街に近い去年できた南夢楽園キャンプ場)に行ってしまったようだ。僕も泳げなくなるくらい寒くなったら引っ越そうと思っています。先日楽園の中をのぞいて来たら、桜島ユースで会ったキャンパーもいて、30張りくらいはあっただろうか、かなり賑わっていました。温水シャワーや洗濯機、電源もあるので言うことないが、僕としてはどうしても米原に想いがある。
11時過ぎ街に出た。今日も朝日食堂へと思ったが前を通るとシャッターが閉まっている。なぜだかよくわからなかったが、石垣まつり会場に行ってようやく理由がわかった。祭りに出店していたのだ。土曜日で学校も休みでかなりの人出だ。図書館の駐輪場はいっぱいだ。一通り歩いてみて、マルチメディアセンターで無料でインターネットが出きるので向かった。子供達がたくさんいたが、ほとんどはゲームをやっている。なんのためのネットなんだといいたくなる。14日に一時帰宅するための航空料金を検索したが、やはりディスカウント航空券のほうが安い。石垣から羽田まで片道三万円、多少乗り継ぎが悪いがまあいいだろう。月曜日に予約することにする。その後また100円ショップへ行ったが18センチの鍋の蓋はなかった。仕方なく昨日買った蓋に合う鍋を買った。鍋が2つになってしまった。
5時過ぎ再び街へ、しばらくストリートダンスを見ていたが、石垣島の青年会でネットで知りあった人がいるので行ってみたが合うのは始めてだ。店を出すとHPの掲示板に書きこんであったので探せばわかるだろうと思ったが、すぐにわかった。ビールとポップコーンを頼んだが気づかないので(僕の顔を知らないので当然だが)「Tさんですか?」とたずねると、しばらくしてから反応があった。なんとなくわかったようだ。名刺を渡して「また今度ゆっくり」と言って店を後にしステージ前に向かった。やっぱりこっちのビーチャ―?は内地の酔っ払いとは違うな。みんな楽しそうだよ。子供を肩車して踊っているお父さんも、子供も楽しくノリノリだが実は親の方が楽しんでいるようだ。そんな組み合わせが何人もいる。結局予定を30分近くオーバーし終了10時サイトに戻った。結局雨は降らなかったが、予報では曇り一時雨だった。こういう時に限って降らないものだ。まつりはもう一日。またあした。

ついに11月 2002,11,1
今日からついに11月です、旅立ちから約1ヶ月。内地ではだいぶ寒くなったようですが、こちらでは相変わらず半袖半ズボンで過ごせます。しかし水シャワーはそろそろ日中に限られるようになってきました。

昨日の夕方、怪しげなおっさんが炊事棟に来てなにやら不審な行動。どうみても役所の人やキャンパーではない、といって地元の人でもなさそうだ。すぐに去っていったので行ってみると別に何もなくなっておらず、物を移動した形跡もない。よく見ると張り紙が・・・やきいもや、2・3日1時から9時、アルバイト募集。石垣祭りの露店かなにかの人集めか、ぼくはもともとする気はないので気にもしなかったが、隣のキャンパーKさんは仕事を探していたので教えてあげようかと思ったが携帯の番号も知らない、こういう時に限っていないのだ。どうも運が悪いな。
今朝も7時半のゆっくりとした起床、夜中に何度かトイレに起きたが、寝る前に飲んだ泡盛のウーロン茶割りは組み合わせがよくないようだ。アルコールとカフェインで利尿効果が倍増されたかな。でもそのとき久しぶりに、恐ろしいほど綺麗な星空を見ることができたし、流れ星も見られた。願いがかなうかな・・・。夜通し吹きつづけた強風と波の音、これはさほど気にならないが、Kさんが昨日張ったブルーシートはしっかりと張られていないため、バタバタとうるさくてしかたがない。自然の音より人工的な音のほうが余計に気になるな。
今日もフライパンでトーストを作り朝食にした、コーヒーはビンのものを買ってきたが加減がよくわからない。適当に入れたら渋い!入れすぎたか。まあ我慢できないほどでもないので飲んでしまったが、明日は失敗しなようにしよう。日差しが出てきたので洗濯をし周囲を散歩すると暑い、汗が出てくる。しかし今日は波が高すぎて泳げない、残念。
今日の降水確立は20%以下だが念のため合羽を持って街に行く。図書館ではインターネットがタダで使えるのだ。行ってみると誰もパソコンを使っていない、申し込みをすると1時間だけと言われた。OSは98だがデジカメのドライバーはXP用でも使えるので早速ダウンロードしインストール、しかしここはカウンターの目の前、勝手にインストールしていいのかわからないがダメとも書いてない。本体をボール紙で作った箱でカバーしてあったがUSBポートを使うなとも書いてないので、デジカメを接続し掲示板にアップした。アップに時間がかかり、肝心なディスカウント航空券を調べる時間がなくなり、結局携帯電話で問い合わせすることになってしまった。後で聞いたが近くのマルチメディアセンターでも1時間ネットがタダで使えるという。今日も朝日食堂で昼食だ。カレーは製作中で時間がかかるというのでトンカツ定食にしたが、出てきてびっくり。トンカツ、サラダ、おでん、酢のもの、刺身、ご飯大盛りだ。噂には聞いていたがやはり・・・。沖縄の食堂にはほとんどコミックが置いてある。食事の後みんなまったりしている。僕も食事を終えしばらく漫画を読んでから店を出た。100円ショップに行き家具?や食料を揃え、昨日買った鍋の蓋も買ってきた、が蓋が小さく会わない。これでは落としブタだ。Aさんは返品して来いと冷やかすが、100円のものに往復3箸發稜確舛鮖箸Δ里睫蟻未世掘その後札幌から来たキャンパーとAさんとでダべリング。共通の知人がたくさん出てきて驚きだ。明日は石垣祭り。天気がいいと最高なのにな。あしたは遅くなるんでアップできないかも。それじゃ。


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