★★★2003年9月6日★★★
☆☆☆砂漠の国へ☆☆☆

今日から10日間、日本を離れ、初めてのアフリカ大陸、エジプトに向かいます。

目覚ましを6時半にセットしておいたのだが、6時過ぎには目が覚めた。
目覚ましをセットして、鳴ってから起きたということが最近ではほとんどない。
不思議なことに、いつも15分くらい前に目が覚めるよ。

さっそく起きてシャワーを浴び、トーストで朝食。
パッキングは昨日のうちに済ませてあるので後は確認だけ。
一応必要な物はすべて詰めこんだはずだけど、
まあ最低パスポートと現金だけ持っていれば何とかなるからな。

7時半過ぎ、スーツケースとDパック、それにウェストポーチを持って車に積みこんだ。
そして8時ちょうど、家を後にした。帰ってくるのは10日後だ。

集合時間は14時、まだ6時間あるので余裕がある。大井松田までゆっくり下道で行こう。

R246の関東自動車北側の信号のところに来ると、なぜかベンツが止まっている。
そのすぐ近くで多分運転手だろうが携帯で何か話している。
なんで交差点の中に止まっているんだろう。事故なら相手の車がいるはずだけど。
歩道をよく見ると、倒れたバイクと動かない人。おいおい、大丈夫かな。

受信機を裾野消防の周波数に合わせた。でもなかなか出動の報告がない。
そして10分以上経過したころだろうか。やっと出動した。
多分あの場所は御殿場との境だから、御殿場消防側につながってしまったのかな。
あんなに時間がかかってしまって、軽症で済んでいればいいんだけど。
通信の内容は、だいぶ距離が離れてしまったのでほとんど聞き取れなかった。

さらにR246を北上し、御殿場を過ぎると山間部の快適な道。
交通量は若干多いが流れは順調。山北あたりでMY運送のFKとすれ違った。
懐かしいなあ。1便の帰りかな。

大井松田からは東名に乗った。
しばらく行くと電光掲示板に「東名川崎−東京 渋滞2Km」の表示。
まあ2キロくらいならたいしたことないな。おそらく料金所渋滞だろう。

と思ったのだが東京料金所は渋滞もなく通過。なんだなんだ、どこが渋滞してるんだ。
渋滞は解消されたのかな、と思ったのも束の間、ハザ−ドランプが見えてきた。
どうやら首都高の用賀料金所が先頭の渋滞ようだ。
それでもゆっくりとではあるが進んでいき、用賀料金所が近付いてきた。
ETCのブースはどこかと探すが、いつのまにか全てのブースがETC対応になっていた。

その後、箱崎で若干流れが悪くなったが7号に入ると快適。
箱崎も、両側のレーンから6号方面に行けるようになってから楽になったな。
そのまま京葉道路まで順調に進んでいった。湾岸線よりこっちの方が100円安い。

しかし、しばらく行くと事故渋滞12キロの表示。現在時刻は11時前か。
そのうちカーナビのVICSが反応、成田空港までは”2時間以上”となっている。
おいおい、冗談じゃないよ。2時間”以上”って、いったい何時間かかるんだよ。
画面ではずっと先まで赤の点滅。おまけに事故の場所はジャンクションらしい。ダメだこりゃ。

すぐ近くに並行して走っている東関道は何の表示もない。こりゃ乗り換えるしかないな。
仕方なくすぐ先の幕張で降り、東関道を目指す。
同じことを考える人が多いのか、信号のパターンが悪いのか、なかなか右折できない。
3回の信号待ちでようやく右折できた。その先はまあまあ流れていた。

そして東関道に乗ると障害は全くなく、あっというまに酒々井パーキングに到着。
そこでお昼を食べ、時間調整して12時半にパーキングエリアを出発。
空港近くの駐車場に車を預け、1時10分くらいには成田空港に到着。
まあまあ順調に来られたな。

団体受付の窓口に行くが、受付はまだ始まっていなかったのでしばらく待機。
2時前ようやく航空券を受け取ってチェックイン。
非常口座席を指定したけど、ツアーごとに座席の範囲が決められていて、
その中からしか選べないという。長帳場なので今回は通路側を指定した。

免税店でも特に買い物もないので手荷物検査と出国審査を終えると搭乗口に直行。
15時20分から搭乗が開始された。出発40分前からか、ずいぶん早いな。
機はB−777、エコノミーの座席配列は2‐4‐2。国内線に比べ座席ピッチは若干広いようだ。

座席に毛布と枕は置いてあったけど、噂のアイマスクとソックスがないな。
経費節減でやめてしまったのかな。それにヘッドホンもないよ。
ついでに喫煙席もなくなっていた。国際線でも最後まで残っていたんだけどな。

ボーディングブリッジを離れたのは定刻の16時。でも成田は滑走路までが遠い。
けっこう時間がかかり、離陸をしたのは30分も経った16時30分。

シートベルト着用サインが消えるとヘッドホンが配られてきた。
その中にアイマスクとソックスが入っていた。これって持って帰っていいのかな。
次いで機内食が配られた。メニューは3種類。その中から僕は天丼を頼んだ。
もちろん丼になんて入ってなくて、あの四角い保温トレーだけどね。

しばらくは映画を見て過ごす。日本語の吹き替えチャンネルもある。
出発から4時間20分。マニラ国際空港に着陸。
機内清掃のため乗客は全員降ろされ、空港のロビーで待つことになった。
機を降りるとボロボロのトランジットカードを受け取った。トランジットなんて初めてだ。
ロビーにあるお土産屋を見て回ったが、特に欲しい物もなかった。

20分ほどすると案内があったので搭乗口に向かった。
ボーディングブリッジで手荷物検査とボディーチェック。なんでここでもチェックが入るの?
そして機に乗りこむとまた機内食。
あまり食欲もなかったが、洋食にはケーキがついていたので洋食を頼んだ。
和食は稲荷寿司や巻き寿司だった。

その後眠くなりうとうとしていた。
マニラから3時間ほどでバンコクに到着。ここでもトランジット。
乗客は全員たたき起こされ機から引きずり降ろされる。そんなに極端じゃないけど。
ここでは降りた場所と搭乗口が違うのでちょっと面倒だ。
搭乗まで2時間ほど時間がある。

エスカレーターで上階の出発ロビーに上がるとすごい数の免税店。
歩いて見ているだけでもけっこう楽しい。どうやら24時間営業のようだ。
何かお土産を買いたくなるが、目的地はここじゃない。タイはまたいつか来ればいいし。
それに荷物になるしな。こんど象に乗りに来よう。

しばらく見て回って搭乗口へと向かった。
ここでもまた手荷物検査がある。けっこうシビアだな。

時計を見ると1時半を回っている。でもこれは日本時間だ。
タイは時差が2時間あるから11時半ころか。いったいいつまで今日かわからなくなってきたよ。
乗りこむとまたまた機内食。これで3食目だよ。でもちょうどお腹がすいたので半分ほど食べた。

とりあえず今日の日記はここまでにしよう。明日はいよいよアフリカだ。


★★★2003年9月7日★★★
☆☆☆ついにアフリカだ☆☆☆  カイロ ギザ

いつから日付が変わったのかよくわからないな。
時計を6時間戻し、エジプト時間に合わせた。
午前5時を過ぎても真っ暗。しばらくして4回目の機内食が配られてきた。
朝食を食べ終わるといよいよエジプトが近付いてきた。
僕にとって初めてのアフリカだ。でもエジプトって、何となく中東のような気がしてならない。

機はゆっくりと高度を下げていき、窓の外に街の灯りが見えてきた。ついに来たぞ。
かなり不安定な着陸でひやひやしたが、なんとか無事着陸。長いフライトがやっと終った。
しかしボーディングブリッジには着かず、バスでターミナルへ移動。なぜだろう。
現地時間午前5時45分。外はまだ真っ暗だ。

エジプトは現地で簡単にビザが取れる。
パスポートのチェックなんて無くて、15ドル分の収入印紙のような物を買ってパスポートに貼るだけ。
単なる入国料というか、外貨を稼ぎたいだけのようだ。

入国審査は難なくパス。さっきの印紙にスタンプを押すだけだった。
その次は機内預けのスーツケースを受け取るのだが、これがなかなか出てこない。
それに荷物の扱いがすごく粗く、斜めになったり2段に重なったりして出てくる。
最初のカーブでこぼれ落ちる荷物もあるほどだ。

出てくるまでかなり時間がかかりそうなので、添乗員から止められていたが両替することにした。
このあと今日泊るホテルに行き、そこの銀行で両替するという。
でも僕の予想ではホテルより空港の方がいいはずだ。とりあえず50ドルだけ両替した。
レートは1ドル=6.14エジプトポンド。$1=120円としても1LE=20円弱だ。
いつのまにか円高(エジプトポンド安?)になっていたようだ。
旅行者にとってはありがたい話だが。

エジプトのトイレには必ず番人がいて、チップを要求される。
まあ25から50ピアストル(5〜10円)ほどだけど。
そのかわりいつも掃除をしているようなので比較的きれいだ。
しかし空港のような公共機関でチップを取るなんておかしい。
僕は無視してトイレから出た。チップを払うのは日本人が多いようだ。

ようやく全員の荷物が出てきたので空港を出てバスに向かった。
重たいスーツケースはポーターが運んでくれるので楽ちんだ。

いつのまにか外は明るくなり、朝日が登り始めていた。
んんっ、意外に涼しいな。気温は21度。
空をを見上げると、これぞ雲一つ無いという青空。本当に雲のかけらすらないよ。

今回のツアーはかなりの申し込みがあったみたいで2つのグループに別れていた。
最初21人を2つのグループに分けたと思ったのだが、
実際は20人あまりのグループが2つできていた。45人ものツアーなんてすごいな。

バスに乗りこみギザのホテルに向かう。
バスの窓から見える風景は、インドや中国の、あのアジアの混沌さは感じられなかった。
なにか人も車も建物も整然と感じられた。インドの印象が強烈過ぎたのかも知れないけどね。

ホテルに到着したが、まだチェックインはできないので歯を磨き顔を洗った。
そしてホテルの銀行で両替。レートは$1=6.11ポンド。やはりレートが悪い。
僕はすでに列に並んでいたので20ドルだけ両替した。

再びバスに乗り込みいよいよあのピラミッドへ。
いつか小さいころ、写真で見たあのピラミッドが迫ってくる。

僕はピラミッドは砂漠の真中にあるものと予想していたが、
それが意外にも市街地のすぐそばだった。市街地といっても過言ではない。
ピラミッドはこんな所にあったのか。でも僕の目の前にピラミッドがあるよ。
下から見上げると思ったより高く、よくこんなに積み上げたかと思うよ。
エジプトの象徴ともいうべきピラミッドに、今僕は、ついにたどりついた。ここはエジプトなんだ。

バスを降りると定番の物売りだ。ワンダラーとかツーダラーとか。
そのうち聞き覚えのある言葉が…「ゼンブデセンエン」 思わずあっけに取られてしまった。
ここでも千円攻撃があるとは。やっぱりセンエンはグローバルスタンダードだったんだ。

そして1日300人限定のクフ王のピラミッドの内部に入った。
それにしても現地の旅行会社は40人以上ものツアーのチケットをよく確保したな。

内部は狭く急坂で、屈みながら急な坂を登らなければならない。
一瞬のうちに筋肉痛の様相。おまけに蒸し暑い。
石棺の部屋に到着したが、蒸し暑さでとてもゆっくりしていられない。

数分で来た道を戻っていった。外に出ると裏側にある博物館を見に行った。
発掘した巨大な木の船を再現してあった。なんでこんな大きな船を埋めたんだろう。

博物館の見学を終えるとピラミッドの石を少し削り持ち帰った。
ツーリストポリスには見つからなかったようだ。

それにしても警官が多いな。どこを見ても警官がいる。それも自動小銃を持っている。
もちろんツーリストに向けるわけは無いが、なんか威圧感がある。

展望台へ行って写真を撮った後はスフィンクスに向かった。
噂の通り、正面にはケンタッキーフライドチキンがあった。
といっても目の前じゃなくて、数百メートル離れているが、
そこまでの間、障害物が全くないので真ん前ともいえないことはない。

バスを降りてスフィンクスに向かって歩いていくと、またしても物売りの声。
でも今度はセンエンの他に「ヤマモトヤマー」・・・。なんなのこれ。
もちろん海苔を売っているわけではない。

一通りスフィンクスを見た後はラクダ乗り。
ラクダは見た目はおとなしそうだが近寄ってみるとそうでもない。
グワーっと大きな声を出したり歯を剥き出しにしたり。
それによだれをダラダラ流したりしていて意外に気持ち悪い。

そしていよいよラクダにまたがった。そして立ちあがる時振り落とされるかと思ったよ。
それに思ったよりに高く、1歩歩くたびに大きく揺れる。これは象よりも怖い。
今回は記念写真を撮って少し周りを歩いただけだったけど歩く度にお尻が擦れる。
こんなのとても1時間も乗っていられないな。

スフィンクスを後にし、パピルスの店に寄ってから昼食を食べにレストランへ。

午後からはエジプト考古学博物館の見学。
エジプトの博物館も、カメラを持ちこむとお金を取られる。
ここもカメラはE£10だ。さらに僕は三脚も持っていたので追加料金£20を取られてしまった。

この博物館は、遺跡から発掘されたものが雑然と置かれていて、
ガイドがいなければ、ただの倉庫とも思えるほどだ。
見学時間は2時間ほどあったが、とてもじゃないけど見きれないよ。

でも長いフライトで睡眠不足。それにちょっと疲れ気味。
モハメドアリモスクは最終日にまわすことになった。

5時半ころホテルに着いて一休みした後、6時から夕食。
大きなプールもある中庭を見ながらバイキング。

明日はアレキサンドリアへ、朝5時起きだ。今日はゆっくり休もう。

※カイロ、ギザ地区 ピラミッドパーク・インターコンチネンタルホテル泊


★★★2003年9月8日★★★
☆☆☆古代ローマの世界へ☆☆☆  アレキサンドリア

目覚ましを5時にセットしてあったのだが、アラームが鳴る10分前に目が覚めた。
さっそくバスタブにぬるめのお湯をため、目を覚ましてからシャワーを浴びた。

その真最中にモーニングコールが鳴った。
出ないとまずいかと思ってバスルームを出たが間に合わなかった。
再びシャワーを浴びているとまた電話が鳴った。
ほとんど濡れたまま電話に出たが、モーニングコールは自動応答の音声だった。
なんだ、出るまで何回もかかってくるようになっていたのか。

朝食は6時からバイキング。僕はこのスタイル方が好きだ。
レストランは日本人がいっぱいで、他のツアーの人もいたようだ。
パンを適当に選び、フルーツとヨーグルト、それにオレンジジュース。
食べ終わってから紅茶を飲んだ。

今晩もこのホテルに連泊なので荷造りは不要だ。
今日使わないものはスーツケースの中に詰めこんでカギをかけた。
そして7時にホテルを出発した。

朝のギザはなんとなく霞んだようで幻想的な朝を向かえていた。
この辺りはほとんど雨が降らないので砂埃が舞っているようだ。
バスは街中を抜け、カイロ中央駅には30分ほどで到着。

ここからアレキサンドリアまでは特急列車の旅だ。
”アレキサンドリア”、なんとなくいい響きだな。古代ローマを思い起こさせるよ。

カイロ駅には改札というものがなく、そのままホームに入りこめる。
日本人の感覚ではこんなんでいいのかなあ、という感じがする。
僕達が乗る列車は特急の1等。1等といってもそれほど豪華じゃない。
列車自体もけっこう古く、1等と呼ぶには少し名前負けする感じも否めない。
それでも座席の巾は広く、ピッチも新幹線並み。乗り心地はまあまあだ。
しばらくすると車掌が検札に来て、切符にボールペンで斜線を入れた。

窓は開かず二重になっていて、上のハンドルを回すとシェードが下りてくるようになっている。
適度な揺れとエアコンの効き具合、それに早起きしたのでいつのまにか夢の中へ。
気がつくと終点アレキサンドリアが近付いていた。
周囲を見渡すとヨーロッパ風の建物が多く、街並みはカイロとは全く様相を異にしている。

そしてアレキサンドリア駅に到着。ここも改札が無く、切符も記念に持ち帰れた。
駅前に待機していたバスに乗りローマ劇場へ。といってもそこは駅前。
わざわざバスに乗らなくても歩いていける距離だ。

円形の劇場はエジプトでもここだけらしいが、適当に見て写真を撮って後にした。

いつのまにか僕達のツアーにSPがついていた。
身長が2メートルはある大男。無線と拳銃をスーツの下に隠している。
いくら観光立国といってもここまでやるかな。
でもあのルクソールの事件を思いだすと、これでもオーバーとはいえないのかな。
基本的に日本とは考え方が全く違うんだよな。

次はカタコンベ。ここは地下のお墓で涼しくて快適。
たくさんの石棺室が、まるで迷路のように配置されていた。
奥に入りこみ電気が消えたら戻ってこられないんじゃないかな。
でもなんだか洞窟探検みたいで結構楽しい。
ここは撮影禁止だった。

次はポンペイの柱。
それにしてもポンペイってあちこちにあってよくわからない。
ここは火山で埋もれたあのポンペイ?
インドにも似た名前があったし、どこかの島もあったような気がするな。

一本だけ巨大な柱が青空に映えていた。
ここも少しだけど探検気分が味わえる。人が少なくてよかったかな。
ツーリストポリスがいなかったので、壊れた石造に乗って写真を撮ったりした。

もうお昼でお腹がすいてきたけどグレコローマン博物館に向かった。
途中バザールがあり、たくさんの地元の人達で賑わっていた。
いいなあ、こういうところ歩いてみたいよ。でも外国人はまったくいないようだった。

そして博物館に到着。この博物館もガイド無しじゃ何がなんだか全然わからない。
どれがアレキサンダー大王だかクレオパトラだか。何の説明も無く、まるで倉庫みたいだよ。
見学が終るとやっと昼食だ。バスに乗りこみレストランに向かった。

さっきのバザールはさらに賑わいを増していて、路面電車の軌道内にも出店。
電車が迫ってきたのを見て、慌てて店を片付けていた。
バスもそれらの店を蹴散らしながら、やっとのことで進んでいく。
そしてビルの谷間を抜けていくと、目の前がぱっと開けた。

地中海だ。ガイドブックで見たあの海岸だ。
緑色の海、砂浜はあの砂漠の色。でもあまりきれいには思えなかった。
あの沖縄の海をずっと見てきたからな。あれほどきれいな海なんて、あんまりないよね。

レストランではシーフード料理。
なんだかよくわからない食材もあったし、スパイス系はちょっと苦手だった。
食事の後、出発まで5分ほどあったので、車の切れ目を見計らって道路を渡った。
そして写真を撮って戻ろうとしたが、中央分離帯に取り残されてしまった。

車の流れは全然切れず、バスはついには僕を待つだけになってしまった。
うーん、中国人やインド人じゃないんだから、こんな道渡れないよお。
そのうちに出発時間になってしまい、痺れを切らしたSPが渡ってきた。
そして僕を先導して、平気な顔をしながら流れる車の中を渡った。
こういう時には頼りになるなあ。でもこれは僕が悪かったな。

そしてアレキサンドリア最後の観光は、カイトベイの要塞。これは復元された物。
海岸沿いの、さわやかな風が吹きぬけていた。
ここは中には入らず、写真を撮って後にした。
あとは220キロ先のカイロへ戻る。

単調な高速道路を走っていると、いつのまにか夢の中へ。
すっかりいい気分で寝入ってしまった。周りの人達もみんな寝ていたようだ。

途中ドライブインでトイレ休憩。ここで初めてトイレチップを払った。
そして6時半ころホテルに戻って来た。
その後、慌ただしく7時に夕食。ケーキをたっぷり食べてお腹いっぱい。

明日はモーニングコールが何と午前2時半。朝食は3時半だよ。
一気にアスワン、そしてアブジンベルへ。早めに寝ないとな。

カイロ、ギザ地区 ピラミッドパーク・インターコンチネンタルホテル連泊


★★★2003年9月9日★★★
☆☆☆幻のショー☆☆☆  アスワン・アブジンベル

今朝は、というより夜中かな。モーニングコールは2時45分。
僕はゆっくりシャワーを浴びたいので目覚ましを2時15分にセット。
さすがにこの時間ではアラームの助けを借りなければならなかった。

僕は寝起きはかなりいい方なので、それほど苦にはならなかった。
ゆっくりとシャワーを浴びていたら、早めに電話が鳴った。
まだ時間前じゃないか。フライングだから無効だ。出る必要は無い。
しばらくそのままにしておいたら静かになった。なんだか本末転倒のような気もするが。

しばらくしてまた電話が鳴ったので出ると、今度は自動じゃなかった。
5分くらいするとまたしつこく電話が鳴り、今度は自動再生。
いったい何なんだここのモーニングコールは。

着替えをして身支度を整え、今度は荷造り。
とりあえずいらないものをスーツケースに詰めこんだ。
まだ隙間がたくさんあるので均等に詰めないと荷物が中で暴れてしまう。

そして3時半、荷物を部屋の前に出し、朝食を食べにレストランに向かった。
外はまだ真っ暗で、ライトアップされた椰子の木が幻想的だ。
空にはたくさんの星が見え、明るく輝く月が印象的だった。まだ3時半なんだよな。

適当に食事を済ませ、一度部屋に戻り手荷物の整理。
そして4時30分にロービーに集合し、バスに乗りこみホテルを後にした。
道路は閑散としていて人々の姿は疎だ。それでも要所には銃を持った警官がいる。
多分、日本の10倍くらい警察官がいると思う。

ナトリウム灯が立ち並ぶ一直線の道路の両脇には、ナイトクラブが連なっていた。
その名の通り、ここでは夜通し営業しているという。

30分ほどでカイロ国際空港に到着。今日は国内線だ。
2回の手荷物検査を経て、無事搭乗口にたどり着く。
なんだなんだ、またバスか。まあいいや。

バスは走り始め、すぐに機に着くかと思ったらなかなか着かない。
10分くらい走ったんじゃないだろうか。ようやくバスは止まった。
なんでこんなに遠くに飛行機を止めるんだろう。
いったいどうなっているんだ、この空港。

カイロからアスワンまで1時間10分ほど。
通路側の席になってしまい、外が何も見えないので寝ることにした。
ほぼ定刻にアスワン空港に着陸。しばらくしてからドアが開いた。

そしてタラップに立つと、なんなんだ、ここは!ここって地球?
砂漠の真中に一直線の滑走路。まるで他の惑星に降り立ったようだった。
思わずスタートレックのエンタープラズ号が頭を過った。

空港を出てバスに乗りこみまずは「未完のオベリスク」。
日差しは強烈だが湿度が極端に低いので風がさわやかだ。
日陰に入ると本当に気持ちいい。

なんだか映画のセットみたいでおもしろい。僕は一番に登り始めた。
そして切りかけの柱の所まで登った。今は残念ながら上に乗ることは禁止されていた。
40メートルもの柱、いったい何に使う予定だったんだろう。

バスに戻ると物売りが来た。頭に被る白い綿の布、それに胡弓に似た楽器がそれぞれ£10。
安くておもしろそうなので両方買ってみた。
外では物売りが、誰が売るんだともめていて、そのうち喧嘩になったみたいだった。
その楽器を弾いてみたが、彼等のようにうまく演奏できない。
まあ仕方ないか。実用的な物じゃないからな。飾っておこう。

次は予定を繰り上げてヌビア博物館。ここでもカメラを持ちこむと£10取られる。
カメラに比べ、ビデオカメラは£100と桁違いに高い。それほどの付加価値はあるのだろうか。
エジプトでは外国製の電化製品は関税が200%とか。それに比例して高いのかな。

博物館にはカメラを持ちこもうか、いつも迷う。
たいした物は無いかもしれないし、貴重な物もあるかもしれない。
それは人によって違うけど、いずれにせよ入ってみなければわからない。

ここは中が暗く、撮影にはかなり苦労する。
そこはデジカメの本領発揮。その場で良し悪しがわかる。
ダメなら消して、うまく撮れるまでシャッターを押し続ければいいんだもんね。

次はアスワンハイダム。小学校のころ社会科で習ったあのダムだ。
そのころ、僕はエジプトと言えば、ピラミッドとこのアスワンハイダムくらいしか知らなかった。

以前からずっと来てみたいとは思っていたが、まさか実現できるとは。感動も一入だ。
ここまで来るには簡単な道のりではなかったからな。
ただおカネを出せば来られるというものでもなかった。
ずっとサラリーマンでいたら、きっと定年になるまで来られなかっただろうな。

ダムの堰堤の入口には検問所があり、観光客以外は簡単には通過できない。
ビデオの撮影は軍事上の問題で禁止という。
まあここがテロの標的になったら大変だもんな。そう簡単には壊せないだろうけど。

バスを降り、三脚を立てて写真を撮ろうとしたら、緑の服を来た軍人が来てダメだという。
どうやらカメラはいいが、三脚はダメらしい。まったくよくわからない国だよ。

適当に写真を撮り、バスに戻り空港へ向かった。
とりあえず一度アスワンを離れアブジンベルに向かう。
通常にツアーではまず宿泊しないアブジンベル。このツアーを選んだ一因がここにもある。

アスワンからアブジンベルまでは飛行機で約40分ほど。
この航路は予約が少ないと、すぐに欠航になってしまうらしい。
今日の乗客も、僕達ツアーの一行以外はエジプト人は3人しか見なかった。
僕達が乗らなければ欠航になっていただろう。
そのわりに警備が厳重で、飛行機に乗るまでに3回も手荷物検査があった。

そしてなぜかこの区間は自由席。さっそくガイドブックの通りに左側の席に座った。
離陸直後から左旋回し、今飛び立った空港が最高によく見える。
さらにずっと低空で飛び、ナセル湖が見渡せる。その大きさは琵琶湖の7倍とか。
入り組んだ無数の入り江は、まるで朱鞠内湖や奥只見湖の拡大版のようだった。
しかし砂漠の中の、こんな湖は見たことも無いし、筆舌に難いスケールだ。
なんとも言葉では言い表せないほど衝撃的な風景だ。これが地球とはとても思えない。
着陸寸前、あのアブジンベル神殿が左下に迫り、すぐ横を通りすぎていった。
あっというまの遊覧飛行でアブジンベルに到着。これで$50とは激安だ。

このあとはさっき空から見た神殿を見に行く予定だが、今からだと暑過ぎるので
今日宿泊のホテルで食事をし、しばらく休憩してから夕方でかけるという。
このアブジンベルに宿泊する観光客はあまりいないから、そのほうがいいかもしれない。

お昼はめいっぱい食べてお腹いっぱいだ。ちょっと食べすぎかもしれない。
食事の後、カギを受け取りにフロントに行くと、ウェルカムドリンクだという。
それなら食事の時に出してくれれば飲み物を頼まなくてもよかったのに。
とてもじゃないがもう飲めない。なんだか策略的だな。

カギを受け取って部屋に行ったがドアが開かない。
それに違う人の荷物も置いてある。まあその辺はエジプトだからな。
ノブを回してもビクともしないので、ドアを蹴ったら一発で開いた。まあこんなもんかな。

部屋はバルコニー付きのツインルーム。
バルコニーに出ると、咲き乱れるブーゲンビリヤやナセル湖さえも見渡せる。
ラタンの椅子に座り、しばし物思いいに耽る。時を忘れる一瞬だ。
木々おそよぐ音と、時折湖の上を走っていく船の音。それだけを聞きながら時が流れていく。
こんな贅沢な時間。今でも本当に夢を見ているようだよ。

仕事をしていた時は、本当に幸せだと、実感することなんてあっただろうか。
少なくとも、今の僕の記憶には残っていない。
今、僕は五感をフルに使って、今という時間を全身で感じている。
生きているという実感。これほど幸せだと思ったことが、今まであっただろうか。

五時半、アブシンベル大神殿を見にバスへ向かった。
ホテルから僅か五分ほどで到着。ここにも入口にはセキュリティーチェックがある。

X線検査の機械にDパックを通すと、三脚(ステッキと言っていた)が入っているだろうと言われた。
もちろん入っていたので出して見せると、別料金が必要という。
なんだよお、そんなこと聞いてなかったぞ。
40人あまりのツアーで三脚を持っているのは僕だけだったから、
ガイドもカメラやビデオのように、いちいち確かめないようだ。

でも暗い神殿の中では三脚が必須だ。料金£30を支払った。

中に入り、裏側から回りこむと、その迫力に圧倒された。
さっき飛行機から見た神殿なんて、比にならないよ。
なんというデカさだ。どうやってこんなもん作ったんだろう。
古代の人々の偉業に思わず言葉を失った。

大小両方の神殿の中を見学した後、8時からは音と光のショーだ。
まあたいしたこと無いだろうとあまり期待をしていなかったのだが、
その思いは一瞬のうちに覆された。

大小の神殿が超巨大スクリーンと化し、大迫力の音と映像が見事にに調和している。
そして空には星が輝き、月明かりが神秘的に辺りを照らす中、
僕は言葉にはとてもできない衝撃を受けた。
また夢の世界に迷いこんだよ。もうここから1歩も動きたくない。
約30分間、本当に幻想的なショーだった。これは外国語でも楽しめたと思う。

余韻に浸りながら、ゆっくりと丘を登り、バスに戻った。
ふとペットボトルを忘れてきたのに気が付いた。
あららっ、水はどうでもいいが、あのホルダーは惜しい気がする。
明日も神殿に日の出を見に来るけど、それまであるかな。

バスに乗りこみホテルに戻り夕食。
アブジンベルに宿泊できて、本当によかった。
アブジンベルがこんなに素晴らしいなんて、嬉しい誤算だったよ。

明日も4時起きだ。周りには何人も体調を崩している人がいる。
僕は今のところ快調、でも無理しないようにしよう。

アブジンベル セティホテル泊


★★★2003年9月10日★★★
☆☆☆バザールでゴザール☆☆☆  アスワン

昨日のホテルにはやられたなあ。
エアコンの調整が全く効かず、止めるか最強か、どちらかにしかならない。
おまけにフィンが固定されていて、風が顔を直撃する。
夜中に一度寒くて止めて、暑くて起き、またつける。
朝目が覚めると体がだるく、お腹か痛い。おまけに寒気もする。
お腹が痛いのは冷えたせいか、食当りかわからないが。

目が覚めたのはモーニングコールの15分前の4時25分だっけど、
セットしたはずの腕時計のアラームには気が付かなかった。
それとも作動しなかったのだろうか。そういえば昨日おかしな操作をしたような気がする。

慌ただしくシャワーを浴びて荷造りし、6時45分にレストランで朝食。
あまり食欲が無いのでパンを3つくらい食べて終りにした。

そして6時にホテルを後にしアブジンベルの空港に向かった。
帰りのこの便も自由席。右側を確保したが、調子が悪いのでほとんど寝ていた。

そしてアスワンに到着し、モーターボートでフィエラ島のイシス神殿を見学。
このころから熱っぽくなり、ガイドさんの話しも右から左、何も覚えていない。
一通り見学を終え、自由時間になったのでオープンカフェに行きコーラを飲んだ。

次はヌビア村の訪問。ファールーカに乗って遊覧。ここで自己紹介。
もう一組のツアーのファルーカでは歌ったり踊ったりしていた。
僕も調子が悪くなければ踊りたかったけど、今回は止めておいた。

そして上陸するためにファルーカを陸着けしようとしたが、
何といっても風任せのファルーカ。うまく着けず、流されてしまって上陸できず。
船頭さんは渡り板をオール代わりに漕ぐが、風には勝てず諦めて沖に船を戻した。
そしてようやく陸着できた。やれやれ。

それにしても日差しは強烈だ。これが砂漠の太陽か。今回初めて帽子を被ったよ。
でも相変わらず調子は好転せず、肺炎再発か、とも思わせる。やばいな。
だだ村の中を通り過ぎた、としか思えなかった。非常に残念。
写真を撮る気力も無くなってきた。

その後レストランで昼食。ここでもパンを数個。
幸い今日はこれで観光は終り。夕方バザールへ行くオプショナルツアーがある。
どうしようか迷ったが、とりあえず申し込んで調子が悪かったら辞退することにした。

そして部屋に行き、風邪薬を飲んで休むことにした。
次に目が覚めたのが4時50分。出発は5時半。
薬が効いたおかげで頭痛と寒気は収まった。
お腹はまだちょと変だけど、我慢できないほどじゃない。
それじゃ行こうかな。バザールって僕は大好きだ。

集合時間の5時半になってもまだ8人ほどが集まらない。
部屋に電話しても出ないようだ。どうしたんだろう。

しばらく待っていると、2つあるエレベーターのうち片方が止まっているという。
どうやら8人は閉じ込められているようだ。
おいおい、いくらエジプトだからって、これじゃしゃれにならないよ。
そういえばさっき僕が乗った時もドアがすぐ閉まってしまい、ボタンを押しても反応がなかったな。

10分ほど経ってから、みんなが階段から降りてきた。
どうやら上階でホテルの人がドアを開け、やっと開放されたようだった。
みんなもう一つのエレベーターに乗るのが怖くて階段で降りてきたという。

全員集まったので、バザールへ馬車で向かう。僕は馬車なんて初めてだ。
ホテルは丘の上、そこまでは馬車は上がってこられないようなので、坂の下まで歩く。
そして馬車に乗りこみバザールへは15分ほど。
意外に乗り心地はよかったが、馬は痩せていてなんだかかわいそうだった。

そしてバザールに到着し、説明を聞いてから自由行動となった。
見たところ地元の人が多いいが、欧米系の観光客もけっこう来ている。
通りを歩いていると、「ジャパーニーズ、コンニチハ」とか「バザールでゴザール」
などと日本語で話し掛けてくる。
女の子に対しては、「カワイイ」とか「アイシテル」とか。

僕はTシャツが欲しかったので、近くの店に入って値段交渉だ。
いろんな柄があり、みんな欲しくなる。値切って5枚で1200円ほどか。
日本の感覚ではかなり安いけど、後から考えるともっと安くできたかな。
調子がよくないので、値切る気力もなくなっていたようだ。
まあハン・ハリーリに行った時の参考にしよう。でも楽しかったよ。

そろそろ時間になったので、集合場所に行く途中、店で缶のコーラを買った。
2エジプトポンド、日本円で40円弱。ずいぶん安いんだな。
飲んでみるとあまり冷えてなくて、炭酸も日本の物と比べると弱かった。

そして帰りもホテルの近くまで馬車で帰ってきた。
バクシーシを要求されるが無視。馬車を降りてホテルのレストランで夕食。
相変わらず食欲は無い。でも何か食べないと体が持たないのでパンを3個。

部屋に戻り風邪薬を飲んだ。明日には治って欲しいな。
それじゃないと観光をキャンセルして、ずっとバスの中にいなければならなくなるな。
今日はゆっくり休みたいな。ツアーはやっぱりハードすぎるな。

アスワン バスマホテル泊


★★★2003年9月11日★★★
☆☆☆観光パス☆☆☆  アスワン・ルクソール

夜中にお腹が痛くて目が覚めた。でも熱は下がったようだ。

ゆっくりとお風呂に浸かった後シャワーを浴びた。
そしてレストランへ行き朝食。あまり食欲がないのでパンをいくつか食べた。

集合時間にロビーに降りるとエアコンが効き過ぎて寒い。すぐに外へ出た。
まだ完全には熱は下がっていないようだ。
もう1台のバスのグループでは不調者続出らしい。水が合わないのかな。
ミネラルウォーターの表示を見ると、硬度430。日本では考えられないほどの超硬水だ。

バスに乗りこみ昨日のバザール方面に走っていく。
途中広い路側帯に停車。他にも何台かバスが停車していて警察もいる。
検問かなにかかな、と思ったがどうやらそうじゃないらしい。
ここからルクソールまで、前後に護衛のパトカーを付けてコンヴォイで移動するという。
ええっ、そんなに治安が悪いの?
まあ念のためというか、旅行者を安心させるための手段らしい。
あのルクソールでの銃撃事件はまだ記憶に新しいからな。

8時ちょうどにバスは隊列を組んで走り始めた。
今日の観光は2箇所、ルクソールへ向かう途中の神殿だ。

1時間弱でコムオンボ神殿に到着。僕は観光をキャンセルしてバスで待つことにした。
極端に調子が悪いわけではないけど、あの北海道の前例があるからな。
今良くても後で響いてくるかもしれない。それに炎天下だし。
神殿もこのあたりはあまりメジャーでないので興味も少なかった。

30分ほどでみんな戻って来た。何人かは僕のことを気遣って声を掛けてくれた。
そして次のエドフのホルス神殿までも約1時間の道のり。
僕はほとんど寝ていた。そしてそこも観光をキャンセルした。

昼過ぎ、ルクソールのホテルに到着し昼食。今日は鳩料理という。
日本人にとって鳩はあまり馴染みのない料理だからな。
ほかのメニューに変更する人もいた。

僕はあまり食欲が無かったので特に変更はしなかった。
出てきた料理を小さな首のない鳩が焼かれて皿の上に乗っていた。
一口食べてみたけどあまり美味しくなかった。

昼食を食べ終わり、ジュエリーショップへ寄った後ホテルにチェックイン。
まだ3時半だったけど僕は部屋で休むことにした。

すっかり眠ってしまい起きたのが6時前。
6時半からは夕食なのでレストランに向かった。
なんとなく食欲が出てきたような気がするのでパン以外にも肉類を少し。
そしてオレンジジュース。

このオレンジジュースの一気飲みが悪かったかな。
またお腹の調子が悪くなってしまった。
明日のモーニングコールは7時だからゆっくり休めそうだ。
王家の谷には絶対に行きたいからな。早めに寝よう。

ルクソール メルキュールホテル泊


★★★2003年9月12日★★★
☆☆☆ナイルエキスプレス☆☆☆

今日はゆっくりの7時のモーニングコール。でも5時半過ぎに目が覚めてしまった。
あまり眠くないのでしばらくテレビでカンフー映画をやっていたので見ていた。

そして6時過ぎ、ゆっくりとお湯に浸かってシャワーを浴びた。
バスルームから出てくるとモーニングコールが鳴った。1時間近く入っていたようだ。

そして着替えと荷造りをして7時45分にレストランに向かった。
熱は無いようだけど、相変わらずお腹の調子は良くない。
でも昨日に比べたらだいぶ良くなってきたような気がする。

今日もパンとオレンジジュースを少し、それに食後の紅茶。
まあ水分とミネラルだけとっていれば、数日間は断食しても大丈夫だろう。

8時半、集合時間になったのでロビーに降りた。
そしてバスに乗りこみメムノンの巨像を見てから王家の谷に向かった。
この王家の谷は、僕がエジプトに来て最も見たかった所の一つだ。

以前、このナイル川西岸に行くにはフェリーでナイル川を渡り
別のバスで行かなければならなかったという。
でも最近、市街地から8キロ離れた所に橋ができ、観光客にとっては往来が便利になった。
でもわざと8キロも遠くに作ったのは、一般の人や車の移動を抑えるためという。
ホテルから対岸に見える王家の谷も、30分以上かけて行かなければならない。

王家の谷に行くには駐車場でバスを降り、
そこから排気ガスのクリーンなトロッコのような乗り物に乗っていく。
でもけっこううるさくて、黒い排気ガスをまき散らしている。こんなんでいいのだろうか。

わずか数分で入口に到着。谷というより周りを砂漠の山に囲まれたような感じだ。
まるで西部劇の舞台のようで、今にも馬に乗ったギャングが出てきそうな雰囲気だ。
灼熱の砂漠を歩いて墓を巡る。1枚の入場券で3つの墓が見学できるらしい。

まずすぐ近くの墓に入った。入口で門番のおじさんが券の片隅をちぎった。
中にはレリーフが刻まれているくらいで、ミイラなどはいっさい無かった。
二十数個ある墓のうち、盗掘を逃れたのはわずか1つ。それがツタンカーメン王の墓。

その前に坂を登り、他の墓に行ってみることにした。
最初にたどり着いたところはさっきとあまり変わらない。
ここはおもしろくなさそうなのでパス。
少し下って横道に入ったところに、何やらおそろしく急な階段を発見。
おおっ、こういう所に行きたかったんだよ。なんだか冒険心をかきたてられる。

階段は狭く急で、段差もけっこうある。ここに来ているのは同じツアーでは僕だけのようだ。
登り終わると今度はすぐに急な下り階段。
よくこんな所に墓を作ったな。それに盗賊もよく見つけたよ。

ここでも入口で門番が券の隅を少しちぎった。
これで入場した墓の数を積算しているようだ。

中に入るとムッとする熱気。湿度が高く空気が淀んでいる感じがする。
頭上に注意しながら急な階段を降りていくと、見事な色のレリーフが残っていた。
何千年も前の人が描いた絵が、こんなにきれいに残っているなんて。
石棺のあった部屋まで行くと汗びっしょり。
こんな所長いこといられないよ。すぐに退避。
外に出ると、こんなに空気が美味しかったんだって感じた。

しばらく日陰で涼んでいると、もう集合時間だ。とても3つなんて見ていられない。
そしてツタンカーメン王の墓を見学。入場料は£40(約800円)と特別に高い。

しかし中に入るとなんともあっけなく、何もない。
いくらツタンカーメンの墓だといってもこれじゃ£5で十分だ。
それに中にあったものはみんなエジプト考古学博物館にあるじゃないか。

墓を出て駐車場に戻り、途中石細工の店に寄ってからハトシェプスト女王葬祭殿に向かった。
ここは以前銃撃テロがあり、日本人も犠牲になっている。

バスを降り、セキュリティーチェックを受ける。
そしてガイドの説明を聞いた後解散し、自由行動になった。
僕はしばらく周囲を散策してから葬祭殿に歩いていった。

入口で門番に入場券を渡すと半券を切り取った。
しかし僕の持っていた三脚を見ると、入場を拒否されてしまった。
さっきバスの中で、僕は三脚を持ちこんでも大丈夫かと確認すると、
ガイドが交渉するから大丈夫だと言っていたのに。

ここに置いて行けば戻ってきた時には無いだろうし、といってバスに戻る時間も無い。
結局そこから先には進めなかった。うーん、ここまで来て見られないとは。
こういうことはガイドがはっきり説明すべきだ。カネ返せと言いたくなるよ。

その後東岸に戻り、レストランで食事をした後、カルナック神殿に。
たくさんの小型のスフィンクスと、象形文字の刻まれた柱、塔、そして壁。
茶色いモノトーンの世界に真っ青な空。まぶしい日差し。
アラビアを舞台とした映画の中に迷いこんだような気分だよ。
そしてなにかすごく新鮮な気分になるよ。
それにしても古代の人は、よくこんな大きな建物を作ったよな。それも人と動物の力だけで。

気温はピークに達し、45度。インド並みになってきた。
遺跡の日陰に入っても、その遺跡自体が温まっているので暑い。
途中ミネラルウォーターを買い、木陰で休んでいると、吹きぬける風がすごく気持ちよかった。

こういう遺跡は半日くらいかけてゆっくりと見ていたいな。やっぱりツアーじゃせわしないよ。

カルナック神殿を後にして、ホテルに行き2時間ほど休憩。
シャワーを浴びてリフレッシュ。体調も元に戻りつつある。
5時半、レストランで食事をするためホテルを出発。
食欲も出てきたけど腹七分目程度で止めておいた。

その後、ライトアップされたルクソール神殿を見学。
白熱灯のような黄色味がかった色の光線でライトアップされた神殿は、何とも幻想的。
僕はツアーを離れ、一人レリーフを見上げていた。
そして昔の人が成し遂げた偉業に心を打たれた。

空には明るい月と、いくつもの星が輝いていた。頬を過ぎる風が気持ちいい。
しばらく時を忘れて歩いていた。昼間の喧騒が嘘のようだった。

見学を終えるといよいよルクソールを離れカイロに戻る。
今夜はナイルエキスプレス。寝台列車に乗る。これも楽しみの一つだった。

すぐにルクソールの駅に付き、ホームへと向かった。
この駅も改札が無く、誰でも切符無しでホームに入れてしまう。
ホームには何人もの物売りの姿もあった。

ホームに行き、しばらくすると大量の警察官に囲まれて数人が歩いてきた。
ずいぶん厳重な警備だな。VIPだろう、と思ったらその反対、囚人だった。
ホームの反対側に止まっていた、汚くて真っ暗な列車は囚人列車だったんだ。
よく見ると窓は鉄格子になっていた。
僕達の乗る列車が入ってくると、彼等はその囚人列車に乗りこんでいった。

このナイルエキスプレスは日本のA寝台個室並みの快適さだ。
部屋も1人で使うには十分広く、洗面台も付いている。
こういう列車に乗ると、寝るのがもったいなく感じてしまう。
でも明日も早いから、適当に切り上げて寝るとするかな。

しばらくして夕食が配られてきたが、さっき食べたばかりなので「No thank you」
すぐにベッドメイクをしてもらった。これでゆっくり休めるな。

この適度な揺れと、線路の継ぎ目の音が旅情をかきたてる。明日は観光最後の日。
部屋の電気を消し、外を流れていく夜の景色を眺めていた。

いつのまにか夢の中へ。


★★★2003年9月13日★★★
☆☆☆最後の晩餐☆☆☆

ガッタンゴットンという音と、小刻みな揺れで目が覚めた。時刻は5時半。
外はまだ真っ暗。列車の中の目覚って、最高にいい気分だ。
そういえばこの列車、発進する時のショックがまるでない。
日本の列車と基本的に連結装置が違うようだ。これに限ってはエジプトの方が優れている。

ベッドから起き、洗面台のボタンを押すと、少しではあるがお湯が出た。
しかしタオルを絞って顔を拭いているとお湯が出なくなった。タンクが空になったかな。
おかげで歯磨きはミネラルウォーターを使う羽目になった。

しばらくして朝食が配られてきたが、「No thank you」 この後ホテルで朝食を食べる。
7時前、ギザの駅に到着。バスに乗りこみレストランへ向かった。
まだお腹の調子が良くないのでドーナツなどを4個とヨーグルト。
クレープのような物も美味しそうなのでチョコレートソースをかけて2枚食べた。
今日も一日僕達のグループにSPが同行するという。

食事を終えると次はメンフィス。なにか聞いたことのあるような響き。
博物館ではラムセス2世の巨像などを見て回った。日差しが強烈になってきた。

博物館を後にして、赤のピラミッドと呼ばれるクフ王の父のピラミッド。
ここは最近まで一般に開放されていなかったらしい。
すぐ隣に軍隊のキャンプがあるためだったが、テロ事件以降観光客が激減。
そのためここを一般に開放したという。しかし今でも個人では来られないらしい。

バスは砂漠の中の道を走り赤のピラミッドに近付いた。
遠くには途中から角度の変わっている屈折ピラミッドも見える。
ここはギザの3大ピラミッドと違って砂漠の真っ只中にあり、いかにもエジプトという感じ。
そして驚くべきことに登ることすらできるのだ。
僕は頂上の99メートルまで登りたかったが、時間の関係で5メートルほど登ってみた。
風化が激しく、下の方は崩れて砂に埋まっているように見えた。

反対側には世界最古のピラミッドも見えた。バスはそこへ向かって走り始めた。
15分ほどナツメヤシの林の中を走って階段ピラミッドに到着。
ここも風化が進んでいる。近くにはほとんど原型を残さないようなものもあった。

日本にこんな遺跡があったら、登ることはおろか近づくことすらできないだろうな。

僕はそこでロバに乗った。
ロバはラクダや馬と違っておとなしく、優しくて、なんとなく悲しそうな目をしている。
僕の体重くらい何でもないだろうけど、ちょっとかわいそうな気もした。

物売りが近付いてきて、パピルス(偽)2ドル、カレンダー5ドルと言っている。
僕はカレンダーが欲しかったが、物欲しそうな顔をするとつけこまれるので
しばらく歩きながら無視、するとパピルスとカレンダーで5ドルになった。
それでもまだ高そうだ。僕は「ワンダラー」と言ったら笑っていた。
ちょっとそれじゃ安すぎたかな。

次の僕の攻撃はカレンダーとパピルスで2ドルでどうだ?と言うが、4ドルだと言う。
じゃあ要らない、と言ってさらに歩いていくと3ドルになった。
なかなか折り合いがつかず、出口が近付いて来たので「グッバイ」と言ったら折れた。
結局2ドルで買うことができた。まあこれくらいが限界かな。

カイロへ戻る途中、カーペットスクールに立ち寄った。
でも僕はあまり興味が無いのと眠いので、早々にバスに戻った。
そしてカイロの市街に入るまですっかり寝てしまっていた。

気がつくとビルが立ち並び、クラクションの音が鳴り響いていた。
次はモハメドアリモスク。なんでこんな新しいところを観光するのか不思議に思っていた。
実は僕はボクシングのモハメドアリが建てたモスクだと思っていたのだ。
えらい勘違いだった。恥ずかしい。

そこは高い丘の上にあって、遠くが良く見渡せた。
遠くギザのピラミッドまで見えた。
モスクの中に入るとき、男性は半ズボンや半袖でも問題無いが、
肌を露出している女性は緑色の被り物を借りて着てから中に入らなければならない。

モスクを後にしてハンハリーリ市場に向かった。
駐車場でバスを降り、そこで解散して1時間自由時間になった。
僕は路地に入り散策。途中腕をつかまれ無理やりシャツの店に連れ込まれたが
要らないと言うとさらに奥の他に店に連れて行こうとするので
すきを見て走って逃げだした。店員も追って来たが逃げ足は僕の方が早い。
やれやれ。もう細い路地に入るのは止めよう。

露天街は特に買いたいものがなくても散策しているだけで楽しい。
日本語や中国語、スペイン語でも話し掛けてくる。
結局何も買わないまま1時間近くが経ってしまった。
喉が乾いたのでオープンカフェでスプライトを飲んでいるともう時間だ。

バスが来たので乗りこんでホテルに向かった。
今日のホテルはラムセスヒルトン、今までで最高級のホテルだ。
8日間ガイドしてくれたポッサムさんとはここでお別れ。
なんだがあっけない別れになってしまった。

部屋はやたらと広く、24階で眺めも最高だが何なんだこの部屋は。
ベッドはソファーベッドでバスタブも無い。
なぜか大きな冷蔵庫とキッチンが付いている。
どうやらこの部屋は宿泊用の部屋じゃないようだ。

ディナーまで時間があったので、向かいの別館のデパートに行ってみた。
お土産屋を見てみたが、金額の単位がわからない。
ドルなら妥当な金額かと思うがポンドじゃ安すぎるんじゃないかな。
店員に聞いてみるとやっぱりエジプトポンドだ。こりゃ安い。
とりあえず置物をいくつか買って、あとは明日にしよう。

部屋に戻ると西の空が真っ赤に染まっていた。
急いでテラスに出ると、美しい西陽が地平線に沈むところだった。
こんなきれいな日没を見たのは5月の米原以来だよ。
陽が完全に沈むまで、気持ちいい風を受けながら眺めていた。

しばらくすると、空が紺色に染まっていった。
そして街に灯りが燈り、まるで100万ドルの夜景を見ているようだった。
ナイル川のクルーズ船、そして車の流れ。
ずっと見ていても飽きない景色だった。

8時前、ディナークルーズに行くためにロビーに降りた。
そこで添乗員に部屋がこういう状況だと説明すると、ホテルに交渉してくれた。
しかし部屋を替わるとナイル川が見えなくなってしまうという。
それじゃ今のままのほうがましかな。バスタブはないけど。
お詫びにワインかフルーツバスケットを届けてくれることになった。
僕は部屋でワインを飲む気はなかったが、持って帰ればいいかな。
ヒルトンホテルのワインなら、まあまあじゃないのかな。

バスで15分ほどで船着場に到着。早速船に乗りこんだ。
食事をしながらベリーダンスを見ていたが、僕はバンドの目の前なのでうるさくてかなわない。
しばらく見てから屋上に上がり、最後になるカイロの夜景を眺めていた。

11時ころ、ホテルに戻るとバンド演奏の大きな音。人だかりもできている。
なんだなんだ、カメラマンもいるぞ。
階段の上をよくみると結婚式が行われていた。
こんなふうに生バンドの演奏や、みんなに祝福される結婚式なんていいなあ。
でももう11時だよ。こっちではこれが普通なのかな。

部屋で日記を書いているとワインが届いた。
その後すぐにフルーツバスケットも届いた。あれっ、どっちかじゃなかったの?
とても食べられないのでせっかく持ってきてくれたけど断った。

明日は13時チェックアウトでモーニングコールもない。
今回のツアーで、最初で最後のゆっくりの朝になるな。

カイロ ラムセスヒルトンホテル泊。


★★★2003年9月14日★★★
☆☆☆砂漠の足跡☆☆☆

今日はモーニングコールがないのでゆっくりの起床。
目が覚めたのが7時半過ぎ。外はすっかり明るくなっていた。
カーテンを開けると、カイロの街が朝焼けに染まっていた。
これがエジプト最後の朝だな。

ベッドから出てシャワーを浴び、しばらくはテレビを見ながらまったり。
そしてパッキングを開始。9時半過ぎ、朝食は10時までなので食べに行こうが迷ったが
やっぱりお腹がすいたのでカフェテラスに向かった。

パンをいくつかと果物を食べ、早めに食事を済ませて部屋に戻った。
そして向かいのデパートへ買い物に行くことにした。
エジプトポンドがまだ200ポンドほどある。使ってしまわないとタダの紙切れになってしまう。

10時を過ぎても開いている店は少なかったが、いくつかのお土産屋を見て回った。
適当にお土産を買い、荷物出しは11時なので、一度ホテルに戻ってスーツケースに詰めこんだ。

でもまだ90ポンド近く残っている。しばらくしてまた買い物に。
今度は計算しながら買っていく。20ポンドほどはお昼の飲み物代に残しておかなければ。

こお店は定価販売だけど、意外に安い。
市場でこの値段以下、もしくは同等に値切るのはかなり苦労するからな。
値切って買う楽しみもあるが、相場を知らないとかなり損するかもしれない。

適当に選んで残りは20ポンドほど。これくらいでいいかな。
ホテルに戻り、テレビを見ながらまったり。
しかしラクダの置物を買うのを忘れたことに気が付いた。
集合時間まではまだ30分ほどあるので、三度デパートのお土産やまで出掛けた。

無事買い物を終え部屋に戻り、残りのエジプトポンドをまとめると、小銭が残って18ポンド。
まあこれくらいいいだろう。記念にもって帰ろう。

荷物をまとめ、バルコニーからカイロの街並みを最後に見渡し部屋を出た。
集合時間になったので、エレベーターに乗りロビーに降りた。
そしてバスに乗りこんでエジプト最後の食事のレストランに向かった。

バスの窓から流れていく街並みを記憶に焼きつけていく。
今度来られるのはいつになるのかな。最終日はどうしても感傷的になってしまう。

15分ほどでレストランに到着。そこは河岸に係留された水上レストランだった。
エジプト最後の食事になるけど無理をせず軽い物を選んだ。
でもケーキはどうしても食べたくなり、小さな物を5個も食べてしまった。

食事が早めに終ったので、外にあったお土産屋に行ってみた。
小さな瓶にラクダやピラミッドの模様を描いた砂をいれたきれいなものだった。
瓶はみんな不揃いで、どこからか拾ってきたと思える物だ。
でもそれがエジプトらしくていいかもしれないな。

ここでも値段は店員と交渉。最初は高いことを言うが、だんだん値が下がってくる。
なかなか折り合いがつかなくなったころ、1個おまけさせて10ドルで買った。
しかしガラス瓶なのでけっこう重い。割れないように注意しなきゃ。

出発まで10分ほどあったけど先にバスに戻った。
でも運転手は食事をしているようで見当たらない。ドアも当然閉めたまま。
しばらく木陰に入っていた。吹き抜ける風がすごく気持ち良かった。
こんなに気持ちいいのは、たぶんこれが最後になるな。

出発時間ギリギリになって運転手が戻ってきて一言、「ドウゾ」。
おいおい、そりゃないだろう。でもまあこれもエジプトらしさかもしれない。

それから40分ほどでカイロ国際空港に到着。
出国審査の時、出国カードの間違いを審査官が書き直してくれた。
ずいぶん親切な国だな。普通だったら文句を行って突き返すのに。
やっぱり観光の国だからな。

出国審査のブースを通過し、免税店で少しお土産を買った。
ここの空港の免税店はあまり品揃えがなく、エジプトポンドは使えない。
そのわりに細かいお釣りはポンドで帰ってきたりする。
ドル単位でぴったり買い物するしかないな。

待合室にはかなり具合が悪そうな人もいて、ずっと横たわっていた。
トイレに行くために地下に降りると、お祈りを捧げるための部屋があった。
中には3・4人のイスラム教徒の人がいて、メッカの方を向いて祈りを捧げていた。

しばらくして搭乗待合室に入り、バスに乗り機に乗りこんだ。
これでエジプトともしばらくお別れだな。この飛行機を降りるときはもう成田だ。

定刻の現地時間18時に出発。機が動き出してすぐに離陸。
僅かに見えたカイロの街に、少しの寂しさを感じた。

それにしても救命胴衣の着用方法などのビデオが流れている最中に離陸。
通常はこれが終ってからじゃないの。それか離陸の時は止めるんじゃない。
日本の感覚ではわからないよ。

機内食が配られ、食べ終わるといつのまにか外は闇の世界。

エジプトか・・・。思ったより整然としている、そんな印象だった。
人々は口髭は生やしているが、顔の色は白い。
だからインドほど違和感がなかったのかもしれない。

以前ルクソールの銃撃テロがあり、治安の問題も心配していたけど、
あれだけの数の警察官がいて、それに護衛も付いてきて
エジプト政府も躍起になって治安の維持に努めているんだな。

しかし今回僕は、途中で体調を崩してしまい、残念な思いをしてしまった。
観光をできなかったところもあった。やはり体が一番だな。

それでもあの巨大なピラミッドを間近で見た時の感動は忘れることはできない。
初めて降り立ったアフリカの砂漠。僕はそこに足跡を残した。
僕の残した足跡は、一瞬にして吹き消されてしまうかもしれない。
でも、僕の記憶からは、一生消えないだろう。


★★★2003年9月15日★★★
☆☆☆懐かしい雲☆☆☆

機内ではあまりよく眠ることができず、起きたり寝たりの繰り返し。
昨日のうちに、パンと飲み物が来たようだがよく覚えていない。
リンゴジュースを頼んで一気飲みした記憶はあるが、パンは記憶にない。
でもパンはシートのポケットにしっかりと入っていた。そういえばそんな記憶も・・・。

午前1時ころか、目が覚めた。なぜか外が明るい。んんっ、なんでだ。
そうか、もうずっと東の方に来てるんだ。日本時間だと午前7時過ぎか。

時計を6時間進め、日本時間に合わせた。
午前9時半、朝食が配られてきた。これが最後の機内食だ。
無理をせず半分くらい食べた。

到着は予定より1時間ほど早めに着くという。

外は明るいのに眠くて仕方が無い。日本時間10時でも、エジプトでは午前4時だ。
その後もうとうとしているうちに11時ころ着陸。駐機場に到着しドアが開いた。
ボーディングブリッジに乗り移ると、んんっ、暑い、何だこの暑さは。
気温はそれほど高くないのだが、とにかく湿度が高く不快な暑さだった。

検疫では今回正直に申告。発熱、腹痛、下痢があったことを申告すると
空港では無料で菌の検査ができるという。でも原因は多分水だ。
そのほかにもいろいろ聞かれたが、地元の病院に行くと言って検疫を通過した。

入国審査は難なくパス。
荷物が出てくるのを待って、添乗員さんに挨拶して自然解散。

税関はちょっと緊張するが、表情に出さないのとツアーのタグを見えるようにするのがコツ。
少しでも受け答えがおかしいとスーツケースを開けさせられることになる。
そうなると面倒だし恥ずかしい。後ろの人も迷惑だ。
僕は本当に申告するものや、違法なものは持ってなったので荷物は見ずにパス。
税関の人に「擦れちゃってますね」と言われたのでスーツケースの反対側を見ると真っ白。

うわーっ、なんだよこれ。ベルトの金具も曲がってるじゃん。
まあベルトは100円だからいいけどこの白いモノは何だろう。
手で触ってみると簡単に取れた。多分エジプトで付けられたんだろうな。まあいいや。
金属製の扉をくぐり、僕は日本に戻ってきた。これで僕のエジプトの旅は終わりを告げた。



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エジプト 砂漠の国への旅
エジプトといえばクフ王のピラミッド
しかし、意外にもエジプトには100以上ものピラミッドがあった
エジプトは、中国やインドに比べると整然とした印象
でも、人々の明るさと活気は、暑い国ならではのものなのだろうか
僕は砂漠に足跡を残しに、エジプトに旅立った