インド アジアの果てへの旅
これは、2003年6月8日から15日まで
僕がアジアの果て、インドを旅した時の記録である
異文化、異人種の境地。僕は外国人になった
数えきれない感動を持ち帰った8日間の旅だった

☆☆☆2003年6月8日☆☆☆
★★★ついにインドだ★★★

一度5時半ころ目が覚めたが再び寝入る。
6時45分に目覚ましが鳴り起き上がった。
まずシャワーを浴びて着替え。そして昨日買っておいたパンを食べた。
外を見ると天気は曇り。でも雨が降ってなくてよかった。

ゆっくりと準備をして8時半、ロビーに降りてチェックアウト。
要らない荷物を車に置いてドアをロックした。次に乗るのは1週間後だ。
8時45分発のバスに乗り成田空港へ。途中検問所がありパスポートを確認される。
9時にはもう空港に着いてしまった。

さっそく受け付け窓口を探す。行ってみるとすでに受付を開始していた。
名簿を見ると僕が一番上。参加者は全部で10人くらいのようだ。
あまり大人数でなくてよかった。
とりあえず航空券を受けとってチェックインが開始されるまで待っていた。
辺りを見ていると、観光客がほとんどだがバックパッカーもいる。
格好を見れば一発でわかる。うーん、あんな旅をしてみたいなあ。

9時半ころ、カウンターが開いたので早速チェックイン。窓側の席が確保できた。
荷物を預け、地下のコンビニに行って食料を調達。
今夜は機内食だけでデリーでは食事がないのだ。

11時15分集合場所へ。やはり全部で10人くらい。
参加者はみんな若い人ばかり。中国の時のように定年後の人は誰もいなかった。
カップルが1組と、それに1人参加の女の子が3人。
男では友人の1組と僕を含む1人参加の2人。合計9人だった。意外に一人参加が多いんだな。
まあインドはかなりハードだからな。気候も厳しいし、年輩者にはちょと無理かな。
そういえばインドのツアーはJTBにはなかったな。

出発案内の電光掲示板を見るとAI301便は15分早発に変更になっていたが
添乗員によれば、あれは単なる急がせるための手段らしい。
なるほど、インドはこういうこともするんだ。

添乗員から一通り説明を聞いて一度解散。
僕は特に用事も無いのですぐに出国審査に向かった。
手荷物検査でも特に問題なく、金属探知機にも反応しなかった。
今日は混雑も無くスムースに通過。免税店にも寄らずに登場口へ歩いていった。

72番ゲートの登場口に行くと、エアインディァだけなぜが再び手荷物検査。
バックやポーチの中まで入念に調べた。
ここまでくるとインド人が多い。検査を通過し待合室に入るとまるで外国だ。
サリーをまとった女性がたくさんいる。

外を見るとエアインディァの飛行機が見えた。んんっ、B‐747のようだが意外にボロいな。
でも中国の国内線よりはいいかな。
貨物を積みこんでいるのが見えるがなぜか客室に積んでいるように見える。
普通は床下の貨物スペースに入れるのに。
どうやら機の後の部分は貨物スペースになっているようだ。貨客兼用機といったところか。

11時45分くらいになってようやく搭乗が開始された。
機に乗りこむとサリーを着たインド人の女性にに英語で話しかけられた。
どうやらチケットを見せろと言っているようだ。
中国語は全くわからなかったが英語なら何とか理解できる。
何で?と思っていたが、この人はスチュワーデスだった。
さすがインドの航空会社。スッチーもサリーを着ているんだ。

そして定刻?の12時にボーディングブリッジを離れた。
しかし滑走路は遠く、かなりの距離地上を走って行って滑走路の手前で停止。
結局離陸を開始したのは12時30分ころだった。今回は旧滑走路から。

それにしてもこの飛行機はよく揺れる。まるでジェットコースターのようだ。
ひっきりなしに揺れていて、パソコンを打っていてもミスタッチが多く疲れるよ。
この機は途中バンコクを経由するので、時計を2時間遅らせタイ時間に合わせた。

しばらくしてお菓子とジュース、たて続けに昼食が配られてきた。
ベジタリアンメニューとノン・ベジタリアンメニューがある。
さすがインド、という感じ。お菓子もスパイシー。よくわからない辛さ。
カレーのような食べ物にあっては、日本の辛口のようにただ辛いだけじゃない。
味わったことのない香辛料だ。これがインドのカレーなのか。

離陸してから頭が痛くなり、そのうち治るだろうと思っていたがよくならない。
しかたないので頭痛薬を飲んでしばらく休むことにした。

日本時間18時ころ、シェードを開けて外を見ると不思議な世界が広がっていた。
雲がにょきにょき伸びていて、まるで樹氷のよう。地表は全く見えない。
空は青、というより黒に近い。
少しづつ高度を下げているようだ。

JST(日本標準時)18時半(L.T.4時半)、タイのバンコク国際空港に到着。
地上が見えてきたが、本当に空港に着陸するのか?
確かに滑走路に着陸したが、すぐ横にはゴルフをしている人達が見える。なんで?
なんと2本ある滑走路の間がゴルフ場になっているのだ。
驚いたことに途中踏切や信号があり、人や車が飛行機が通過するのを待っている。
まあ土地の有効利用ではあるが、こんなんでいいのか?日本じゃ考えられないな。

降機が開始され、バンコクで1/3くらいの人が降りていった。
まもなく機内清掃のための人達が乗りこんできたが、みんなマスクを着用している。
なんとなく緊張するな。
乗客がいるのにもかかわらず、あちこちで掃除機を使っていて騒々しい。

この機は最終的にはムンバイまで行くが、残念ながら途中で降りられない。
お土産が買えるかなあと、ちょっと期待してたんだけどなあ。残念。

17時30分。JST19時30分、ブリッジを離れ滑走路へと向かって行った。
いつのまにか雲が無くなり陽が射してきた。空には熱帯特有の積乱雲が浮かんでいた。
離陸を開始し右に旋回するとバンコクの街並みが見えてきた。
やはり異文化の国だ。ここだったら比較的近いしね。いつか訪れて見たいな。

離陸後、時計を1時間半戻してインド時間に合わせた。
インド時間18時ころ機内食が配られた。宗教の関係で豚肉や牛肉は出てこない。
今回はマトンかチキン。僕はチキンを選んだ。昼とは違ったメニューだった。
相変わららずメインは辛いもの。でもケーキやヨーグルトもある。
生野菜は食べない方がいいと聞いていたのでパス。
隣のKMさんがマトンを少し分けてくれたので食べてみたが、
食べなれていないので「こんなもんかなあ」、という感じだ。よくわからない味だった。

食事を終え外を見ると雲がオレンジ色に染まっていた。
空の上から見る夕暮れは何ともいえず幻想的だった。
時折大きな雲の中に稲光が見えたりもした。
機長のサービスなのか、何度か機を左右に降って下が見えるようにしてくれた。
入国カードは配られていたが、記入する項目がやたら多くて面倒だ。
SARSの健康調査票のようなものもあった。

現地時間20時、上空を何回か旋回した後無事着陸。滑走路が長いので余裕の減速。
11時間30分ぶりに地上に降り立った。
機を降りボーディングブリッジに入ると何だか暑いような気がする。
入国審査は無事通過。苦労して書いた入国カードは全く見ないで回収された。

ターミナルに入り荷物が出てくるまでの間に両替。一万円で3830ルピー。
ということは1ルピーが約2.6円くらいだ。
インドでは札を束にしてホチキスで止めているようで、みんな穴が開いている。
レートを示したボードの写真を撮ったら何か文句を言われたが無視。
すると何か紙をくれたので見てみるとレートが印字されていた。

その後荷物を受けとって外に出ると…何だこの気温。もう9時なのに。
さっき機内の放送では37度と言っていた。これがインドなのか。

空港からは2台の日本名ランクルに分乗してクタブホテルに向かった。
暗くてよくわからなかったが、交通事情というかマナーは中国以下だな。
クラクションはひっきりなしに鳴っているよ。オートリキシャはテールランプも無い。
さて明るくなってからが楽しみだ。


☆☆☆2003年6月9日☆☆☆
★★★暑い、いや熱い!★★★

現地時間5時半ころ目が覚めて寝られなくなった。
まだ薄暗いのにおかしいな。んんっ、日本時間だともう9時か。寝られないわけだ。
仕方ないのでバスタブにお湯を溜めてゆっくりと浸かった。
しかしこのホテルはお湯をめいっぱい熱くしても40度ほどにしかならない。
インドではこれが当たり前なのかもしれない。

7時になったので1階(インドでは0階という)のカフェに行き朝食。
僕はいつもパンとコーヒーだったので、とりあえず固いパンを2枚食べた。
でも何となく寂しいのでフルーツと薄くて直径15センチくらいある煎餅のような物を食べた。
食事の最中に突然電気が消えて真っ暗になった。停電はインドでは日常茶飯事らしく
ホテルの人は全くたじろぐ様子も無い。1分ほどで復旧した。
荷造りがまだだったので食べ終わるとすぐに部屋に戻って室内を片付けた。

バッゲージアウトは時間ギリギリの7時半。
その後身支度を整えて、8時ちょっと前に部屋を出ようと思ったらカードキーが無い。
やばいな。どこに置いたんだろう。Dバッグの中には見当たらない。
あっ、そうだ。スーツケースの中だ。さっき広げた時に何気なく置いたんだ。
急いで部屋を出ると、ポーターが持っていく寸前だった。
「ジャスモーメン」と言って制止し、スーツケースを開けるとやっぱりあった。よかった。

0階のロビーに集まって出発準備。
僕はフロントに言って100ルピーを10ルピーに両替してもらおうと思ったが
10ルピーは無いと断られてしまったので全部50ルピーに両替してもらった。
そして2台の車に分乗してクトゥブミナールへと向かった。
しばらくして到着。車を降りるとむっとする熱さだ。
ここは靴を脱いで観光する。僕は靴下も脱いで裸足になった。
これが意外に気持ちいい。石の道や階段を上がると展望が開けた。

インドは日本とは全く違った分化の国だ。
昨日は圧倒されていたが今日はようやくインドの実態が見えてきた。

クトゥブミナールを後にして一路ジャいプールへ。温度計は35度を示していた。
高速道路?に乗ると単調な景色の流れになる。
適度な揺れと、クラクションドップラーの連続で意識レベルが低下。いつのまにか寝てしまった。
2時間ほど走って休憩。そこでホットチャイを飲んだ。
この飲みものは初めてだが香辛料がきいていてなかなかうまい。
ついでに1gのミネラルウォーターを買ったが40Rs(約104円)だった。ちょっと高かったな。
やはりこういうところで買うと高い。今度は街で買おう。

休憩を終えて再び走りだす。単調な景色に再び寝てしまった。
本当は全てを目に焼きつけておきたかったのだが、つい睡魔に負けてしまった。
他の人達もみんな寝ているようだった。

しばらくしてジャイプールの街に入ってきた。
街中には野良犬や野良猫はおろか、驚くべきことに野良豚や野良牛さえもいる。これには驚いた。
牛が堂々と車を気にすることも無く道路を歩いている。
こちらの人は牛や豚を食べないからな。牛はここでは神様のようだ。
ここが中国だったら一瞬にして食料になってしまうだろう。
中国では飼い犬には服を着せておかないと、本当に食べられてしまうらしい。

まずレストランで遅い昼食だ。すでに1時をまわっていた。
数種類のカレーがメインだ。パンのようなホットケーキのような食材が出てきた。
これはおかわり自由。食べ終わると次々に運ばれてくる。
カレーと言えば日本で食べなれたボンカレーを思いだすがインドのカレーは全く別物だ。
辛さというか、スパイスの使い方が日本とはまるで違う。
そんなに辛くはないのだが、何とも表現ができない味だ。
そこではインドの民族楽器を演奏している人がいた。

食事を終えると天文観測所、シティーパレスと観光をした。
ここではカメラを持ちこむと50Rs(約125円)払わなければならない。
その割りには撮影禁止の場所も多かったりする。
しかし40度を超える熱さで観光どころでは無くなってきた。
ガイドさんの説明もほとんど右から左へと流れてしまう。

売店で買ったマンゴージュースを一気飲み。
そして別の売店でも500mlのジュースを買って一気に飲み干した。
水分を取らないと脱水症状になってしまうよ。
ようやく車に戻り、温度計を見ると43度。熱いわけだ。

その後更紗の工房に行ってお土産屋を探索。
ハンカチ5枚20ドルのところ15ドルにまけさせたがまだ高いような気がする。
でも日本で買えば…と考えると安いのだが、でもここはインドだ。う〜ん、まあいいか。

そしてホテルに到着。食事の後はビジネスセンターでパソコンを借りてインターネット。
日本語を表示させることはできたが入力ができない。
一応ホームページの閲覧はできるのだが、日本語が入力できず歯がゆい思いをする。

10時過ぎ、部屋に戻って来た。
ここインドではスケジュールはそれほどハードではないが、熱さでまいってしまう。
思いの他水分と体力の消耗が激しいようだ。
しかしインド人は汗をかかないのだろうか。汗だくのインド人なんて見たことが無いよ。

8日デリーQUTAB HOTEL泊
MC(モーニングコール)AM6:30 
BF(朝食)AM7:00 
BO(バッゲージアウト)AM7:30 
DP(出発)AM8:00


☆☆☆2003年6月10日☆☆☆
★★★バザール散策★★★

今日でインドに来て3日目。ようやくインドにも慣れてきた。

今朝は5時に目が覚めて寝られなくなったので、バスタブにお湯を溜めるためバスルームに行った。
水のバルブを回すがなぜかお湯が出る。しばらく出したままだがずっとお湯だ。
お湯といってもだいたい40度くらい。夜の間にタンクの水が温まってしまったのかな。

そのかわりお湯のほうはかなり温度が上がっている。
昨日の夜にはお湯でも40度くらいしか上がっていなかったからな。
でも僕はぬるいお湯が好きだから別に問題はないけどね。

まだ早いので余裕で準備。7時にモーニングコールが鳴るのを待って1階のカフェに降りた。
カフェには添乗員さんを除くと僕が一番だ。次いでYSさんがやってきた。
同じテーブルに座り、朝食のバイキングを適当にピックアップし席に戻った。
今朝もパンがメインだ。他にピラフを少しとスイカジュース。これはスイカをすりおろしただけのようだ。
しばらくしてYSさんが薄いオムレツのような料理を持ってきて、僕に半分くれた。
これが何だかよくわからないがとにかくうまい。初めて食べる料理だった。

朝食を終え部屋に戻り出発の準備。今日もここに連泊なのでバッゲージアウトは無い。
8時半ちょうどにロビーに降りた。今日は車に乗る組み合わせを変えて出発。

まずはピンクシティー、風の宮殿。街全体がピンクに塗られている。
街中ははっきり行って汚い。路肩にはゴミがいっぱい。野良牛や野良豚が残飯をあさっている。

人や車、動物などの障害物をやりすごし、10分くらいで到着。
車から降りて道を渡り、適当に説明を聞くが暑くてたまらない。
それに物売りがたくさん集まってきてうっとうしい。
彼らも生活がかかっているので、気持ちはわかるがどうにかならないものかな。

ここは見るだけで中には入れないので写真を撮ったところで車に戻り、
次は今日のメイン”アンベール城観光”だ。

30分ほどで到着。いよいよ象に乗る。
車を降りると象がたくさんいる。象使いが首の所に乗り、その後が座席になっていて
背中合わせに4人乗れるようになっている。
そして地上2.5bくらいのプラットホームに登ってそこから乗るのだ。
僕は片側に一人で乗って、反対側にはGT夫妻が乗ることになった。
乗ったところまでは何でも無い。しかし反対側を向けるために動き出すと思いっきり揺れる。
降り落とされるんじゃないかと思うほどだ。なんとかしがみついて乗りきった。
そして反対側に2人を乗せて動き始めた。

象が1歩1歩歩く度に大きく揺れる。降り落とされないようにしがみつく。
なかなか写真を撮る余裕が無い。見た目は楽しそうだが意外に怖いよ。
象の足取りは重くゆっくりとしている。人が歩いた方がよっぽど早い。

象は時折鼻息を荒くし、乗っている僕達を焦らせる。何故かはわからないが怒っているようだ。
地上を歩いている象使いも何か怒鳴っては棒で容赦無く象をたたく。ちょっとかわいそうだ。
しばらくすると象が急に立ち止まった。と思ったら大きく動いた。
対向象を避けるためだと思ったが、突然”ジョバーーー”という音。それも長時間続いた。
みるみる流れができていった。いったい何リットルくらい出たのだろう。

ゆっさゆっさと揺られて坂を登っていくが、またしても物売りの攻勢だ。
ついには「千円、千円」とうい中国と同じ千円攻撃を仕掛けてきた。千円は世界標準なのか。
降り返し地点に来ると後から登ってくる象が見える。
すると2つ後にいた象が、突然狂ったように起こりだし、ついには下に向かって駆け出した。
おいおい、どうなっちゃうんだよ。乗っている人は大丈夫かな。
そのまま視界から消え去ってしまった。心配だな。どうなったかは知る由もないが。

そのうち僕達の乗ってる象も怒りはじめた。
地上の象使いがさかんに「バランス、バランス」と言っている。
左に1人、右に2人乗っているのでバランスが悪いようだ。
GTさん(妻)が中寄りに移動し、事無きを得た。
30分ほどでようやく頂上に到着し象を降りた。

アンベール城からの展望は、まるで砂漠の中の万里の長城のよう。
荒涼とした山々に城壁が続いている。
宮殿の中は外とはまるで別世界のように美しい大理石で敷き詰められていた。
日陰では昼寝をしている人の姿も見える。何だか沖縄のようなのどかさだ。
窓からは城の下の方を遥かに見下ろすことができる。
山の下の方は池だったらしいが、ここ数年の干ばつですっかり干上がっていた。

ひととおり中を見学して、帰りは象ではなくジープに乗って降りる。
ここでも物売りの大攻勢だ。来る時10個千円と言っていた物が最後には50個千円になった。
いったい原価はいくらなんだろう。

城を後にし、展望所に立ちより休憩。
あまりの暑さにコーラを一気飲み、それでは足りずにミネラルウォーターを500ミリリットル。
ようやく体に水分が行き渡った感じがした。温度計は42度を指していた。

その後宝石店に寄り、昨日と同じレストランで昼食。
一応中華料理と言うことだったが円卓も無く、何だかインド料理と中華料理の混合みたいだった。
昼食を終え骨董店に行き、そこを出ると行き先別に別れて分乗した。
僕とTDさん、KMさん、GT夫妻はOPツアーでバザールへ行くので1号車。
他の人達はここからはフリーだ。
僕もどうしようか考えたのだが送迎付きの方が楽なのでOPツアーを選んだ。

5分ほど走って車を止め、商店街のようなところを歩いていき、広場の所から自由行動になった。
でもだいたい5人一緒。ガイドさんだけ車に戻っていった。
どんなお店があるのだろうと横道に入ってみた。
おもちゃ屋とかタバコ屋、それにお菓子屋などいろいろなお店がある。
まず目に止まったのがタバコ屋。10本4Rsから15Rsくらいまで幅がある。
僕も他の人が買うのを見ていたが、ここでは日本人は珍しいらしく、どんどん人が集まってくる。
いつのまにかたくさん人が集まっていた。

僕はタバコを買わないので他の店を散策。アクセサリー店が目に入った。
腕飾りのようなものだが最初1箱100Rsと言っていたのだが、粘って2箱140Rsに値切った。
それを見て他の人達も次々に買っていた。
他にもお菓子屋さんに行って、よくわからない駄菓子を買った。
ツアーで行くお土産やと違ってケタ違いに安い。それに値引き交渉する楽しさもある。
店ではだいたい英語が通じるので何とか話しができて商談成立。
でもどこに行っても珍しがられているようだった。

もっとゆっくりしていたかったのだが時間になってしまったので車の方に向かって歩いていった。
いろいろな店の前を通りすぎていくと、あちこちで「ハロー」と声がかかる。いいなあこういうのって。
ここには観光客相手の店や物売りがいないので楽しくショッピングができた。

車に戻ってもう少し買い物がしたいとガイドさんに言うと、風の宮殿の近くの商店街に寄ってくれた。
そこで僕はTシャツを買おうと衣類のお店に入った。
しかしそこにはいろいろな、いかにもアジアって感じの長袖シャツがたくさんあった。
僕はそれが欲しくなり、値段を聞くと1枚525Rsという。ちょっと高いな。
値引き交渉をするが、なかなか負けてくれない。
手間がかかっている事や、品質がいいことをさかんに強調している。
15分くらい粘ったが埒があかないので帰るような素振りをすると、やっと妥協してきた。
結局長袖シャツ2枚とラクダの絵のTシャツ1枚を付けて600Rsににてもらった。

中国に行った時は面倒に感じられた交渉も、最近では楽しくも感じられるようになった。
言葉がある程度通じるということもあるかもしれないけどね。

車に戻ると目の前にあった人形のお店が目に止まった。
そこで1個25ルピーの人形を2セット、4個100Rsで買った。
100Rsといえば260円だ。1個70円足らず。メチャ安い。こんなんでいいのかと思うよ。
店のおじさんは階段でズッコケてかなり痛そうな顔をしていた。ちょっとかわいそうだった。

みんな車に戻ったかな、と思ったらKMさんだけ見当たらない。
どうやら一人で歩いていったようだ。慌ててガイドさんが探しに行った。
後から聞いたのだが、先日ここで日本人が2人行方不明になり、未だに発見されていないという。
やはり気をつけないとな。親近感を持っても油断してはいけない。

そこからは一度ホテルに戻ってしばし休憩。シャワーを浴びてさっき買った服に着替えた。
そして午後6時、再び集合してヒンズー教の寺院に行った。
大理石でできた美しい建物。中にはステンドグラスのような窓がはめこまれている。
入口の上には神様のシルエットが大理石を透かして見えていた。

7時からはお祈りがあるというのでしばらく外の階段に座って待っていた。気温は37度。
だいぶこの暑さにもなれてきた。
7時になり鐘が鳴る中、不思議な儀式が行われた。
そしてそこにいた人は祈りを捧げて周囲を一周し、
お坊さんからコンペイトウのようなお菓子をもらっていた。
僕も欲しくなったのでみんなの後に続いて一周しお菓子をもらった。
なんだかよくわからなかったが甘くて美味しかった。

外に出る時にインドの学生風の女の子たちが英語で話し掛けてきた。
最初はやはり、どこの国から?、日本からだよ。っていう感じ。もちろん英語で。
そして一緒に写真を撮ろうということになって、みんなで並んで写真に収まった。
やっぱり日本人は珍しいんだろうな。
彼女らは地元ジャイプールに住んでいるという。
こういうふうに地元の人と交流できるのって楽しいな。
ツアーじゃこんなことは無いと思っていただけに余計に嬉しくなった。

だんだんインドから帰りたくなくなってきたよ。車でホテルに帰る時にそう思うようになった。

ホテルに着くとすぐに食事。フリーの人達も無事戻ってきていた。

食時の後YSさんとビジネスセンターに行きインターネットを始めた。
PCの裏側を見ると、モデムは無くLANケーブルがつながってる。
これは…と思い自分のモバイルを持ってきて繋いだがネットにつながらない。
何度やってもダメだ。もしかするとこれはISDNのポートだったかな。
再びPCにつなぎ直し再起動させたが、ネットにつながらなくなりダイヤルアップの画面が出る。
やっぱりLANじゃなくて電話線だったのか。
やばいな。IDとパスワードがわからないのでそこで終わりにしてセンターを出て(逃げて)きた。

部屋に戻って来てシャワーを浴びようと思ったが、なぜかベッドメイクができていない。
フロントに電話するとすぐに行くという。英語が通じてよかった。
数分で人が来てテキパキとベッドメイクして帰っていった。

ああーっ、今日は楽しかったなあ〜。
インドに来て今日で3日目。みんなうちとけて、まるで米原キャンプ場にいるようだよ。
みんな若い人ばかりだが、僕が一番年上なのかもしれない。
明日はついにタージマハールへ。楽しみだな。

9日ジャイプールCLARKS AMER泊
MC AM7:00 BF AM7:00 DP AM8:30


☆☆☆2003年6月11日☆☆☆
★★★タージマハールだ★★★

今日で4日目。今回の旅は気候的にはかなりハードだが疲れは感じない。
毎日ミネラルウォーターを2リットル以上飲んでいる。
中国の時と違ってみんなで和気あいあいとやっているので楽しくてしかたがない。
こんなに楽しいツアーになるとは思わなかったよ。

今朝は目覚ましで5時45分起床。
まずはシャワーを浴びて、身支度を整えてから荷造り開始。
今日はバッゲージアウトは7時15分なので、その後朝食を食べに1階のカフェに降りた。
朝食を終え、8時に1階のロビーに降りてチェックアウト。
インターネットの使用料150Rsを支払った。

それから車に乗りこみ移動開始。今日も5時間以上の車の旅だ。
相変わらずのクラクションドップラーを聞きながらいつのまにか夢の中へ。
ふと目を覚ますと対向車が完全にこちらの車線に入って追い越しをかけていた。
うわーっ、ぶつかるうー、と思ったが、路肩の舗装の無いところまで除けて何とか交わした。
そんなことが何回かあった。速度が極端に違う車が行き交っているからな。
野良牛、ラクダ車、馬車、農耕用トラクター、オートリキシャなど遅い車も多い。

今日初めて気がついたのだが、故障などで停止している車の後には必ず石などが並べてあった。
これは停止しているという目印だったんだな。

途中ドライブインで休憩。気温は40度を超えているだろう。とにかく暑い。
そこにいたおじさんは日本のコインを欲しがっていたので、10円玉をあげた。

そして再び車に乗りこみ出発。1時ころかようやくレストランに到着。
巨大なステンレス製の皿に、たくさんの小皿が乗っていてそれぞれ違うカレーが入っている。
ターリー料理というらしい。そして小皿を空けるとつぎつぎにお替りをもってくる。
わんこそばのようだ。断らないと何回も来るよ。
ナンも4枚ほど食べお腹いっぱいだ。

そして食事を終えてアグラ市内に入り、まずはアグラ城観光。
車か降りると物売りがたくさん寄ってくる。
「いらない、欲しくない」と言っても聞く耳持たずに攻勢をかけてくる。
門の近くまで行くとやっと諦めて戻って行った。

ふと気がつくと大粒の雨が降ってきた。うわーっ、傘を持ってこなかったよ。
でも周りを見ると、誰一人雨具を使っている人はいなかった。
幸いしばらくすると雨は上がった。

城の中からは遠くタージマハールが見えた。
あれが、タージマハールか!ついにやってきたか。

写真を撮っていると、インドの中学生くらいの子供達が少し恥ずかしそうに手を振ってくる。
僕が手を振り返すと、楽しそうに笑って応えていた。
インドの人達は、特に子供達は写真に写るのが好きなんだなあ。

ひととおり城内を見学して、次にはタージマハールだ。
ここはセキュリティーチェックが厳しく、まるで空港のよう。
予備のフィルムや電池、カメラや時計以外の電池の入った物は持ちこみ禁止。
持っていると没収。それなのに物売りはフィルムを売っている。
没収したフィルムを還流させて売っているんじゃないかと思ってしまう。

列に並んでチェックの順番を待っていると、インド人が次々と割りこんでくる。
このあたりは日本人とは根本的に感覚が違っている。

まずは金属探知機のゲートをくぐる。
ブザーが鳴っても鳴らなくてもボディーチェックを受ける。
そして、バッグの中を見て、これは何か、ナイフを持っていないかなどの質問を受ける。
それを終えるとようやく中庭のようなところに出た。

タージマハールを見るにはさらにもう一度チェックを受けなければならない。
門の下に再びチェックゲートがあり同じような質問をされる。
そうしてようやくタージマハールを目前にすることができた。

おおっ、これがタージマハールか。写真で見るよりはるかに美しい。

ここで簡単に説明を受けた。
外側四方に建っている塔は、地震の時内側に倒れないように
全て僅かに外側に傾斜している。そう言われてみると、そう見える。
ここから1時間ほど自由行動になったので、気の向くままに歩き始めた。
水面に映る逆さタージマハールにも思わず見とれてしまう。

靴を脱いでタージマハールの中に入った。中を一周し、今度は外に出て周囲を回った。

向こう岸から川を渡ってくる人が絶えない。
左岸側には有刺鉄線が張り巡らされ、ライフル銃を持った警官が睨みをきかせていた。

階段を下り、モスクの前を通り、再び川を見に行くと、牛が死んで横たわっていた。
それに犬が気がついたようで、川を犬が牛のところまで泳いでいた。

そこでYSさんとTHさんと合流。一緒に集合場所まで戻った。

帰りは何かお祭りをやっているようで、賑やかな露店街を歩いていった。
本当はこういう所をゆっくり散策したいんだけどな。
途中からは電気駆動のバスに乗り駐車場まで行った。
このバスはボロボロで、ドアロックは壊れていて針金で止めている。
クラクションも壊れているようで、窓から手を出しボディーをバンバン叩く。思わず笑ってしまう。

そして車を乗り換え途中でミネラルウォーターを買い込み大理石の店に寄ってからホテルに到着。
食事のまで時間があまり無いので僕はスーツケースを自分で部屋まで持っていった。
部屋に入り、急いでシャワーを浴びてレストランへ。

夜にはふらふらとアグラの街を歩きたかったのだが、
ここは治安がよくないのでホテルから出ないようにと言われた。残念だ。

夕食はバイキング。やはりスパイスがきいた物が多い。
僕は甘い物は大好きなので、フルーツケーキのをたくさん食べた。

食事の後は話しをしながらまったり。
10時前に部屋に戻った。

10日ジャイプールCLARKS AMER連泊
MC AM6:30 BF AM7:00 BO AM7:15 DP AM8:00


☆☆☆2003年6月12日☆☆☆
★★★アグラからべレナス、列車の旅★★★

今日は移動の一日だ。
5時半に起床、バスタブにお湯を入れるがここもお湯の出が悪い。
適当な湯量になるまで20分ほどかかった。

7時ころカフェに行こうとしたら誰かが部屋のドアをノックした。
出てみるとホテルマンが何か言っているようだが聞き取れなかった。
繰り返して言っているのを聞いていると、それがモーニングコールだとわかった。
電話ではなく直接たたき起こされるということか。

1階に降り、カフェに行くと誰も来ていない。
中に入って英語で、「もう朝食は食べられるの?」と聞くと「YES」という答えが返ってきた。
パンをメインに適当に選び朝食を食べた。
しばらくすると何人かがやってきた。

YSさんはお腹の調子が悪いみたいでちょっとつらそう。ほとんど寝ていないみたいだ。
他にもお腹を壊している人もいた。それに比べて僕はなぜか調子がいい。
中国の時もそうだったが、食べ物が合わないんじゃないかと心配していたが取り越し苦労だった。
長期に渡るキャンプ生活でお腹が鍛えられたのだろうか。
でも今まで胃がもたれるなどの症状は経験したことが無い。

食事を終え荷造り開始。
今日、明日と長距離を鉄道で移動することになるのでスーツケースは持って行けない。
大きな荷物は直接デリーに送ってしまうことになる。
向こう2日間の荷物をDバックに詰めこんでいく。
しかしなかなか収まりきれない。僕の癖は必要と”思われる”物をみんな持ってしまうのだ。
荷物を厳選し、必要最低限、と思われる物だけにして、ようやくファスナーが閉まった。
2日分でこれじゃバックパッカーにはなれないな。

荷物をまとめ終わり、1階のロビーに降りた。
今回のツアーでは、各食事では飲み物が別料金なので意外とルピーを使ってしまう。
持っていたドルを30ドルほど両替した。
ここではレシートにドル札のシリアル番号まで記入している。
端数が出たので、僕に10Rs札をさし出し3Rsバックしろと言っているが
「僕は小銭を持っていない」、と言って札を押し戻す、と「OK」と言って行ってしまった。
何が「OK」なのかな…まあいいか、と思って集合場所に行った。
しかし後で気付いたのだが、これじゃ僕が7Rs損したんじゃないか。あがやぁ〜。

8時、車に乗りこみ一路アグラのトゥンデラ駅へ向かう。
細い路地や狭い橋を越え、低速移動体をかき分けながら進む。
レンタカーを借りたとしても、こんなんじゃとても僕は運転できないよ。

2時間弱の道のりでトゥンデラ駅へ到着。
まだ時間があるので車で待っていると、子供が近寄ってきて物欲しそうな目をしている。
ここの子供達を見ていると本当にかわいい。
みんなに何かあげたいけれど…それでいいのだろうか。

乗っていた一人が子供にボールペンをあげると、大人が来て奪い取ってしまった。
こうなることは何となく予想していたのだが、せつなくなるよ。
同じ一人の人間なのに…僕は、日本人として生まれた、というだけの事なんだよな。
こういう光景を見ると、複雑な気分になるよ。

10時半、車を降りて駅に向かった。
今まで僕達を運んでくれたドライバーさんともここでお別れ。一緒に記念写真を撮った。

少し歩いただけで汗が吹きだしてくる。気温は40度を超えている。
駅のホームに着き列車が来るのを待つ。まあ定刻に来ることはないだろう。
YSさんは相変わらず調子が悪そう。何もしてあげられないもどかしさを感じてしまう。

先着の列車が何本か来たが、どの列車も満員だ。しかも冷房は無い。
列車が止まる度に乗客が窓からペットボトルをさし出し、
それを駅員が受け取っては水道で水を入れていた。

駅で暮らしている人もいるようで、列車にはいつまでも乗りこまない。
子供が僕達の所へ寄ってきて、手を口のところに持っていき、そして手をさしだす。
つぶらな瞳で、ずっと僕の目をみている。いったい僕はどうしたらいいんだろう。
テレビでは何回も見たことがあるが、実際に経験すると、本当に打ちのめされる。
僕にできることって、いったい何があるんだろう。

定刻より20分ほど遅れて僕達の乗る列車が入線してきた。
3等のエアコン無し車両は満員。僕達は2等のエアコン付寝台車に乗る。
中に入ると涼しく快適だ。進行左側には縦、右側には横向きの2段ベッド。
僕は上段を割り当てられたが窓が無い。これから9時間の長旅、こうなると寝るしかない。

6時ころ、駅に止まった気配がしたので外に出てみた。
気温は相変わらず高く、この駅にも人々が溢れかえっている。子供達もたくさんいる。
列車が動き出しても、しばらくデッキから外を見ていた。
ドアは手動なので、ドアを開けて身を乗りだして前を見た。
右側には雲の切れ目に顔を出した太陽からは、天使のハシゴがのびていた。
インドに来て始めて見る夕陽だ。

しばらくして車内販売が来たのでアイスクリームを買った。10Rsという。
僕は50Rs札を渡したが、なかなかお釣を出そうとしない。
「50Rs渡したじゃないか、お釣をくれよ」というふうにジェスチャーで示すと
しぶしぶ10Rs札を数え始めた。そして僕に30Rs渡してきた。
「10Rs少ないじゃないか」、と指を1本立てると、ニヤニヤしながら10Rsをよこした。
まったく油断も隙もない。米原で会ったTSさんやWNさんに聞いた通りだ。

8時40分。定刻から40分遅れでムガールサライ駅に到着。
すっかり暗くなったホームからターミナルまで歩き、そして外に出た。
僕達を見つけた小さな子供達が、またしても走り寄ってきて手をさしだす。
こういうことが続くと気が滅入ってしまうよ。

ここからはバスでホテルに向かう。今までにない高級感あるバス。
なぜか客室と運転席はガラスで仕切られていた。インドではこういうもんかな。
駅前の繁華街を抜け、バスは広い道に出た。といっても未舗装のガタガタ道。
そこでもバスは容赦なくホーンを鳴らし、追い越しをかけまくる。
バスは良くても道が悪い。乗り心地は決してよくないが、ここはインドなんだ。

しばらくして高規格道路から狭い路地へと降りていった。
小さな露店や店は電気がついてなく、蝋燭や電池式のランタンを灯している。
よく見ると、道路脇のテーブルに寝ている人がたくさんいる。
歩いている人や自転車に乗っている人、露店で食事をしている人もいる。
うーん。ものすごくいい雰囲気だ。まさにインドだよ、ここは!と思わず叫びたくなる。
1分1秒も無駄にしたくない。窓からじっと外を見つめる。
全身でインドを味わっている。インドに来て、本当に、よかった。

そこから15分ほど走ったころか、突然街に明るさが戻った。どうやら停電していたようだ。
裸電球が燈った商店街は、まるで縁日の露店のよう。
見ているだけで、すごく嬉しくなってくる。

途中結婚式の行列に遭遇。爆竹の大きな音が新しいカップルを祝っているようだ。

10時前、ようやくホテルに到着。今夜は中華料理。
といっても焼きそば、ピラフ、チキンなど。みんなスパイシーだ。
食べ終わったころ、隣から変なおっさんが僕達のテーブルに来て何か話している。
そして勝手に水を飲もうとしてグラスに水を注ぎ始めた。
添乗員さんがグラスを取り上げると、今度はペットボトルから直接飲んでしまった。
かなり酔っ払っているようだ。水を飲むと自分の席に戻っていった。
ガイドさんによると、いわゆるヤバい人達らしい。

11時過ぎ、部屋に戻ったがカギがなかなか開かない。やはりインドだ。
明日は3時起き。でもガンガーが見られるよ。

11日アグラHOWARD PARK PLAZA 泊
MC AM7::00 BF AM7:00 BO AM8:15 DP AM9:00


☆☆☆2003年6月13日☆☆☆
★★★夢のガンガー★★★

朝3時、腕時計のアラームの音で目が覚めた。さすがにちょっとつらい。
昨日、というより今日寝たのが午前1時ころ。2時間しか寝ていない。
それでもガンガーが見られると思うと起きあがる気力が湧いてきた。

昨日のうちに入れておいたバスタブのぬるめのお湯に15分ほど浸かってリフレッシュ。
シャワールームから出て身支度を整える。外はまだ闇の世界。

4時30分、エレベーターで0階に下りた。が、ここはどこだ?見覚えのないところに出た。
どうやら1階下に下りてしまったようだ。ロビーは1階だったので階段を登った。
みんな集合したところでバスで出発。
静けさの中の街の中をバスは通りぬけていく。
牛も人も、まだ眠りについている。

バスを降り市街地を歩いていく。人は少ないが、でも活気があふれている。
途中、露店でチャイを飲んだ。レストランで飲んだ物とは全く違う素朴な味だった。

まもなく、あの、夢にまで見たガンガーが見えてきた。
小学校のころ、社会科の教科書で見た、あのガンガーが、今僕の目の前にある。
ついに来た。本物のガンガーに、今僕は到達した。
ここに来られるなんて、本当に夢を見ているようだ。
嬉しくて、言葉にできない。夢の世界に、僕は、いる。

物売りの声なんて、全く気にならない。僕の全神経は、ガンガーに向かっている。

ボートに乗り、ガンガーを遡る。
左岸側は沐浴をするための階段が並んでいる。
日の出前の静かなガンガーに、多くの人が沐浴している。
そして、久美子ハウスが見えてきた。ああっ、ここがあの久美子ハウスか。
もう、何もいらない。ここに僕が存在するだけでいい。
そんな気持ちにさせるのは、やはりガンガーの力なのだろうか。

真っ白い太陽が雲の中から顔を出し、ガンガーは賑やかになってきた。
船は折り返し、火葬場の横に着き、僕達は船を降り火葬を見た。
オレンジ色の布に包まれた遺体が、荼毘にふされるのを待っている。
ここに流されている音楽は、レクイエムだろうか。

ガンガーを後にし、細い路地を通りぬけ、黄金寺院を見学した。
ヒンズー教のお寺とイスラム教のモスクが隣り合っていて
ここに入るのに空港のようなセフティーチェックを受ける。カメラも持ちこみ厳禁。
その後ホテルに戻って来たのが午前6時半。
まだこんな時間か。早起きして、すごく得した気分になった。

部屋に戻りシャワーを浴びて、7時に1階のカフェに下りた。

朝食の後、再びバスに乗りこみ市内観光。
仏塔ダメーク・ストゥーパとムルガンダクティ寺院を訪れた。
気温は40度を超えていたが、もうこの暑さにもなれてしまった。
むしろ暑さが楽しくなり、もうインドから帰りたくなくなってきた。

途中シルク屋さんに寄って敷物を2枚買った。

一度部屋に戻り、1時に再びカフェでランチ。
食事が出てくるのに時間がかかり、1時出発まであまり時間がなくなってしまった。
急いで部屋に戻り、シャワーを浴びて荷物をDバッグに詰めこんだ。
来る時入っていたポシェットが入り切れない。仕方ないのゴムバンドにくくりつけた。
そしてロビーに下りフロントで30ドルを両替、1時にバスに乗った。

そこから15分程で駅に到着。しばらくバスで待機した後、駅に向かった。
バスを下りると恐ろしく暑い。温度計はうなぎ登り。43度になっている。汗が吹きだしてくる。

ホームに降り、しばらくして列車が入線してきたので乗りこんだ。
僕達の乗る車両はエアコン付きのはずなのだが乗りこんでみると暑いじゃないか。
まだエアコンをかけたばかりで冷えていないらしい。
これから19時間の列車の旅なのに、これじゃ死んじゃうよ。

しばらくして少しづつではあるが温度が下がってきた。
今度の席は下段なので外が見えて楽しいな。
流れていくインドの田園風景を楽しみながら列車は進んでいく。

時折列車は速度を落とし、駅でもない所に停車したりする。多分信号待ちだろう。

5時を過ぎて、ようやく快適に過ごせる温度に下がってきた。
車内販売でチャイを売りに来たので買ってみた。4Rs。
簡単なティーバッグだったが意外に美味しかった。

今夜は車内泊。明日はインド最後の日。思いっきりインドを味わって帰ろう。

12日べレナスHINDUSTAN INTERNATIONAL泊
MC AM7::00 BF AM7:00 BO AM8:15 DP AM9:00


☆☆☆2003年6月14日☆☆☆
★★★最後の一日★★★

ふと目が覚めると外が明るい。時計を見ると午前5時過ぎ。さて、起きようか。
夜は少し寒かったな。この車両はエアコンの温度調整ができないからな。

寝具を片付けベッドをたたんで顔を洗って歯を磨いた。
席に戻るとチャイを売りに来たので朝の一杯。モーニングチャイといったところか。
しばらく窓の外を流れる景色を眺めていた。

6時30分ころ、終点のデリーの駅が近付いてきてスピードが落ちた。
いくつかの駅を通過し、デリー駅に到着。Dバッグをかついで外に出た。
うわーっ、暑い。まだ7時前だよ。気温は30度をはるかに超えている。
階段を上がり、駅前の駐車場で2台の車に分乗。運転手さんは同じ人だった。

このままレストランで朝食か、と思ったら朝飯前の観光だ。
まずビルラ寺院。ここはカメラが持ちこめない。セキュリティーチェックもある。
靴も脱がなければならないので裸足になって一周まわった。

次はインド門だ。でもここは長時間車を止められないので写真を撮っただけだった。
そして朝食を食べるためにホテルに向かった。

そのホテルは街の中。レストランに入ったが、なんなんだここは。
照明が暗く、まるでバーかスナックのようだ。
食事は出てくるのが遅く、バイキングといっても4種類だけ。
それに最後に出てきた紅茶もなんだかカビ臭かった。

朝食を終えると再び観光に出発。
世界遺産のフマユーン廟。ここはタージマハールのモデルとなった所だ。
入場口の前ではヘビ使いが、名前はわからないがリードの笛のようなものを吹いていた。

中に入り芝生に囲まれた石畳を歩いていく。芝生ではリスや小鳥が戯れていた。
そして門をくぐるとフマユーン廟が見えてきた。
なるほど。タージマハールにように白くはないが、確かに似ている。
ここで自由時間になったので、気の向くままに歩いてみた。
こうやってのんびり歩くのっていいなあ。しばらく忘れていた安らいだ時間だった。

次に、ガンジーさんが火葬された場所というラージガードへ。
ここも靴を脱いで見学する。日向で靴を脱いだら熱い熱い。すぐに日陰に避難。
麻のような敷物があるが、それでも足の裏が焼けそうだ。止まっていられないよ。

見学を終え、汗ダクになりながら帰りの道を歩いていく。
この暑さも、聞こえる音も、目に映る景色も。今僕は、全ての感覚を全身で楽しんでいる。
本当に幸せだなあ。インドに来て本当によかった。

その後レッドフォードで下車。しかしここも車を止められないので数分の見学。
降りてすぐ、銃を持った警官が僕達の乗っていた車を追い払おうとしている。
仕方ないので適当に写真を撮って車に戻った。ちょっとせわしないなあ。

そして最後はチャンドニーチョーク。ここも残念ながら見るだけ。
ほとんどの人は車から降りずそのまま通過。
しかし僕とTHさんは車を降り、商店街を写真に写した。
うーん。ここで買い物をしたいよーっ。でも時間がない。
地下道をくぐり、反対車線に行って、車が戻って来るのを待った。

その間、周りを散策。通過ぎていく人、木陰で寝ている人、屋台で飲み物を売る人。
ここの人々の、普通の生活の一部を垣間見ることができた。
5分ほどしてから車が来たので乗りこんだ。これで観光は全て終了。
でも最後まで、僕はインドを楽しんでいたい。

ホテルに戻る途中お土産屋に寄った。
僕はここで余ったルピーを使いきるべく店内を物色。
観光地にいる物売りのように安くはないが、品質は信用できる。
腕飾りと小物入れ、菩提樹の象のキーホルダー、それにスカーフを買った。
これで1140Rs。40Rs負けてくれて1100Rs払った。

土産物屋を後にし、昼食を食べるためにホテルに到着。
でもまだ準備ができていなかったので、
一度部屋に行きシャワーを浴びて12時45分再びレストランへ行った。
今度も食事に時間がかかり、適当な所で切り上げて部屋に戻った。
部屋に行きYSさんに象の置物を分けてあげた。まあ一人で17個もいらないからね。

ここのホテルは休憩だけ。今までよりランクの低いホテル。
バスタブは無いがビジネスホテルよりいい。僕はこれでも十分なんだけど。

時間が無いので急いで荷造りと着替え。時間ギリギリにロビーに下りた。
猛烈な暑さの中、車に乗りこみお茶屋さんへ。
僕はお茶には興味が無かったが、その店にはお香がたくさんあった。
インドらしいパッケージのお香を適当に選んで700Rsを支払った。
ルピーの残りはあと250Rsほど。この額じゃ再両替もできないので余ってもいいや。

そしてそこから10分ほどで空港に到着。
ここでスルーガイドのカーンさんともお別れ。
明るくて、楽しくて、信頼できる素晴らしいガイドさんだったな。
僕達の旅を、何倍も楽しくしてくれた。7日間本当にありがとうございました。
最後に固く握手をし、僕達は空港の中に入った。

空港の中は涼しく、あの灼熱の下界ともお別れ。
まずは貨物室預けの荷物のチェック。
X線装置を通すが、この周囲で写真を撮っていたところ、現地係員に注意された。
撮影は禁止なのかな。別に書いてなかったけど。
そんな軽い気持ちでいたら、その人は警察に連れて行かれそうになった。
幸い注意だけで済んだようだが、ここは日本じゃないんだと、改めて思い知らされた。

チェックインまで少し時間があったので、売店でお土産を物色。
石のコースターと象の置物を残っていた200ルピーと5ドルで買った。
店を出てチェックインし出国審査。ここのおじさんはおもしろい人で、
前に並んでいた同じツアーの女の子に英語でいろいろ質問してくる。
最後に握手を求めてきた。日本人が好きなのかな。

僕に対しても同じようで、握手を求め、そしてピーナッツを何粒かくれた。

その後また1時間ほどあったので、またまたお土産屋を散策。
インド製の酒を探したが見つからず、店員に聞いてみると国産は無いらしい。
他の店でインドの皮製の小銭入れが気に入ったので、4個入りを10ドルで買った。

待合所の席に座ってしばらく過ごし、残っていたドルでジュースを買った。
30Rsでも50Rsでも1ドルなので、迷わず50Rsのジュースを選んだ。
しばらくしてから10Rsでコーヒーを飲み、これで残り10Rs、もういいだろう。

そろそろセキュリティーチェックを受けようかと思ったら
THさんが、銀色の渋いブレスレッドを買ってきた。2個で200Rsだったという。
200Rsだと約520円か。それを見た瞬間、僕も欲しくなってきた。
すぐに店に行き品定めをして値段交渉。
ドルが4ドル残っているのでこれでどうにかならないかな。4ドルで約480円。
早速交渉開始。負けてくれというと2個で5ドルという。
英語で「もうあと4ドルしかないよー」と言いながら品物を返そうとすると「OK」という。
うまくいったな。支払いの時、僕のポーチに入っていた電卓を見て欲しがっていた。

そしてセキュリティーチェックに向かった。
ここで手荷物にもタグを付けスタンプを押す。かなり厳重だ。
搭乗口に行くとここでもタグをチェック。
さっきの事があったので、係員に写真を撮ってもいいかと英語で聞くと
「ノーノーノーノーノー!」とノーをすごい剣幕で5回も続けて言った。
仕方なく写真をあきらめ機に乗りこんだ。

これでインドともしばらくお別れ。楽しかったなー。
参加者も同じくらいの年齢層で、みんな仲良く楽しくできたしなあ。
本当に米原キャンプ場みたいだった。
もう、嬉しくて嬉しくて、言葉にできないよ。

そして今回の旅では、インドを、いや旅自体を、僕自身最高に満喫できたと思う。
メンバーに恵まれ、天候にも恵まれ、体調もよく、食べ物もよかった。
そして、僕の英語がこんなにまで通じるなんて、本当に驚いた。
相手が英語かヒンディー語しか話せないのだから英語で話すしかない。
相手にはおかしな事を言っていると思われたかもしれないが、
カーンさんが言っていた通り、とにかく話してみなければ絶対にコミュニケーションはできない。
何か言えば、たとえ少し間違っていてもだいたいなんとかなる。
間違えを指摘されれば、それで覚えて自分のものとなる。
僕は大きな自信を得ることができた。

思い起こしてみれば、これは米原にいたWNさんやTSさん、そしてガエルのおかげかもしれないな。

午後7時20分。機はボーディングブリッジを離れ滑走路へと向かっていった。
なぜか滑走路の手前で長時間停止。7時50分くらいにようやく離陸した。

エアコンの効き具合は僕にはちょうどよく快適。
でもインド人はみんな寒そう。みんな近くの冷気の吹き出し口を確認している。
そして毛布を被っている。やっぱり僕達日本人とは感じ方が違うんだな。

横に座っていたインド人のおじさんは時折英語で話し掛けてくる。
僕の持っているシグマリオンなどが気になるらしい。
そのうち横の2つの席を使って寝てしまった。
現地時間10時半、そろそろ休もうかな。
明るくなるころは、もう、日本かな。


☆☆☆2003年6月15日☆☆☆
★★★エピローグ★★★

気が付くと着陸態勢に入っていた。
窓から外を見ると雲の中で稲光が見える。
そしてはるか下に、街の明かりが見えてきた。バンコクか。
現地時間に合わせるため、時計を1時間半進めると、日付が変わっていた。
数分後、滑走路に着陸。半数ほどの乗客が降りていった。
この時間でもさかんに離着陸が行われている。

バンコクでTDさんに佐野三治著”たった一人の生還”の文庫本をあげた。
僕もこの本は石垣の米原キャンプ場でT君からもらったものだ。
いったいこの本は、日本中、いや世界中どこを旅して回ったのだろう。

しばらくして機内清掃のため、係員が乗りこんできた。やはりマスクを着用している。
12時半ころ、搭乗が開始され乗客が乗りこんできた。
座席はほぼ埋まり、満席状態になった。
横にいたおじさんが降りたので横になれるかと期待したのだが残念だ。
夜中に出発して東京に午前9時過ぎに着く便は人気があるんだろうな。

機内が騒がしくなってきたので目が覚めた。しかし熟睡できなかったのでまだ眠い。
時計を見るとまだ4時半じゃないか。朝食はこんなに早いのかよ。
でもおかしいな。外は異常に明るい。
んんっ。時計を合わせ間違えたかな。あっ、そうだ。もう日本時間なんだ。
結局バンコクでは30分しか進めていなかったようで、日本時間ではもう7時半か。
でもインド時間ではまだ午前4時。眠いわけだ。

しばらくすと機内食が配られてきた。でもまだ起きたばかり。
いつもは少し活動というか目を完全に覚ましてから食べることにしている。
内臓もまだ寝ているだろうからね。
食べようかどうしようか迷ったのだが、パンとメインディッシュだけは食べてしまった。
これがいけなかったかな。いきなりスパイシーな食べ物は。

食べ終わると入国に必要なSARSなどに関するアンケートとツアーのアンケートを記入。
まもなく着陸態勢に入り、テーブルを格納しシートバックを元の位置に戻した。
そして定刻より20分ほど送れて着陸。ついに帰ってきてしまったか。

貨物室預けのバッグを受け取り、入国審査を終えたところでみんな集まって挨拶。
しかしもうこの時点で一人はいなくなっていた。
そして税関を通過すると、みんなそれぞれの帰路についた。
自然解散とはなんとも寂しい別れ方だ。
ついさっきまでみんな一緒だったのに…。
僕はもう少しこの旅の余韻を味わっていたい。
ホテル行きのバスまでまだ時間があったので、椅子に座って空港の喧騒を楽しんでいた。

ふと気付くと後ろの方でYSさんとTDさんが話をしていた。あれっ、まだいたんだ。
やはり彼女たちも、この肩透かしをくらったような解散の仕方に少し戸惑っている様子だった。
そしてバスの時間が近付いてきたので、僕はロビーを後にした。

みなさんに出会えて本当によかった。みなさんのおかげで最高に楽しい旅になりました。
ほんとうにありがとう。
旅人との別れには「さよなら」は言わない。
世界のどこかで、再会を期待して「またどこかで」と。
もしこの日記を見ていてくれたなら、この気持ちを伝えたい。
もしできるなら、もう一度会いたい。

長い間旅をしていると、いろいろな人に
「こうして旅先で仲良くなって、別れるのって寂しくない?」とよく聞かれる。
寂しいよ、涙が出るよ。
表情には出さなくても、心の中は泣きじゃくっている。
時間が経てば、それも楽しい思い出になる。そして新しい出会いもある。
わかっているんだけど、別れはやっぱり寂しい。それが素直な気持ちかな。

11時25分、バスに乗り込み走り出すと、外のベンチにTDさんとKMさんの姿が見えた。
窓を開け手を振ったが2人は僕には気づかなかった。心の中で「また、どこかで」と叫んだ。

ホテルに到着し、1週間ぶりに愛車に乗り込み高速に乗った。
久しぶりに聞くサブウーファーからの体を揺るがすような重低音が気持ちいい。

今日は日曜日。首都高も全く渋滞がなくスムーズに通過。
2時間あまりで御殿場インターを出て14時01分自宅の下に到着。
したがそのまま通過し缶コーヒーを買って飲みながら近くを流して走った。

そして14時40分、久しぶり、という感じで自宅に帰った。
これで僕のインド旅行も終わりを告げた。






























この子供たちが、幸せになれますように
2003年6月16日 一部修正 誤字・脱字訂正