リベンジ米原 失われた時間を求めて…

☆☆☆2003年4月5日☆☆☆
★★★強硬突破★★★

やっと大阪南港に到着しました。

朝起きると雨と風の音。強風が吹き荒れている。
まいったな。まるで台風だよ。どうしようかな。
明日に延期して東京からフェリーに乗ろうかとも考えたがやっぱりダメだ。
とりあえず部屋を片付けて荷物をまとめた。

9時過ぎ、荷物を全てビニール袋に入れて防水対策。バイクに積みこんだ。
大阪出港は22時30分だからまだ余裕がある。様子を見ることにする。
しかしお昼近くになっても雨と風は収まらない。
日本気象協会のHPにアクセスしてアメダスをチェック。
こんなに風が強いのはこの辺りだけだ。雨は大阪の方は上がっているようだ。
出発を決意。12時12分家を後にした。こうなれば得意の強硬突破だ。

走りだすと強風に煽られてフラフラする。大丈夫かな。
一般道で行こうと思っていたが、天候の様子見をしていたので出発が遅くなってしまった。
仕方ないので全線高速だ。まあこういう天気の時は高速の方が安全だし。

沼津から高速に乗った。風が強い。雨も強く膝が痛い。
時折強風に煽られて、車線を維持するにも苦労するほどだ。
富士川橋を渡っている時は生きた心地がしなかったよ。
ガードロープに接触しそうになったり倒れそうになったり。もういやだ。
おまけに寒くなってきた。本当に大阪まで行けるのか心配になってきた。

しかし清水辺りから風が弱くなってきた。これなら何とかなりそうだ。
と思ったのも束の間。所々強風地帯を通る。
というよりも、前後からの風は何の問題もない。問題は横風だ。
それでも何とか持ちこたえ、三方原のPAでトイレ休憩。
数分休んだだけですぐに走りだす。

多賀SAで給油。このあたりでようやく雨も小降りになった。

気が遠くなりながらもひたすら走り続けるしかなかった。
何とか吹田SAまでたどり着いた。ここまで来れば大丈夫だ。
バイクを止めると隣に沼津ナンバーのバイクが止まっていた。
彼もやはり沼津から走ってきて、大阪の友達の所に行くと行っていた。

雨も上がり、雲の切れ間から日差しも感じられた。
しかし寒さは変わらなかったので、合羽を着たまま走ることにした。
豊中から阪神高速へ入るのだが、空港の案内標識に惑わされる。
"空港"だけじゃなくて"伊丹"か"関空"かはっきり表示して欲しい。

環状線を抜け湾岸線に出て南港中で降りた。
このランプはツーリングマップルには出てなかったな。新しくできたのかな。
ランプを下ると横にフェリーが並んでいた。久しぶりの南港だ。ここから乗るのは初めてだ。

有村はかもめ埠頭なのでもっと先だ。かもめ大橋を渡りターミナルを探す。
マリンエキスプレスはすぐにわかったが有村が見つからない。
港の人に聞いたらもっと先だという。行ってみたがターミナルは閉鎖されていた。
困っていると、トラクターの運転手がこの先だと教えてくれた。6時半到着。
どうやらターミナルは共用のようだ。中に入って納得。なるほど。

暖房が効いていて快適だが人がたくさん待っていて座れない。
宮崎行きが出れば空くだろう。その前に買い物に行こう。

着た道を戻りしばらく行くとローソンがあったので、おむすびとパンを買って戻ってきた。
僕の他にもう1台バイクの人がいた。60くらいのおじさんだ。
話しをすると、その人も名古屋から予約したが、船会社から連絡があって大阪まで来たという。
さかんに寒いを連発していた。僕と一緒で石垣まで行き離島を回るという。
なにはともあれ無事到着できてよかったよ。

8時過ぎ、乗船手続きが開始された。早速手続きをする。
窓口で聞くと、那覇到着後先島の方まで行くという。
やったー。ここまで無理して来た甲斐があったよ。
手続きを終え、外に出るとバイクが増えていた。
9時過ぎその人達と一緒に乗船した。10時前に出港したようだ。乗客は30人。
一度部屋に入り、その後みんなでカフェに行き12時過ぎまで話しをしていた。


☆☆☆2003年4月6日☆☆☆
★★★船の一日★★★

朝7時に目が覚めた。揺れはほとんどなく快適だ。
エントランスホールから展望通路に行くと同室の2人はすでに起きていた。
僕はコーヒーを買い、昨日買っておいたおにぎりとパンで朝食にした。
昨日とはうって変わって雲一つ無い快晴。朝日がまぶしいよ

MNさんは札幌出身大阪在住の予備自衛官、現在就職の採否の連絡待ちだ。
就職が決まれば千葉に引っ越すと言っていた。
採否の連絡があるまで暇なので、沖縄に行ってみようと思いこの船に乗りこんだという。
バイクを持ってこなかったのを惜しんでいた。
持っている荷物の半分は食料だった。食べきれないというので3人で食べた。

YKさんは僕と同じフリーのキャンパーで、宮古島に寄ってから石垣に行くという。
彼も全国を回っている旅人だ。また米原で再会できるだろう。

それから3人で後部の木甲板に出て記念写真を撮った。
しばらく話しをして、甲板に寝転がって空を見上げた。
雲一つも無い。時折白い尾を引いて飛んで行く飛行機が見える。
風が心地よく通りすぎていく。

ふと右舷側を見ると陸が見えた。聞くと都井岬だという。
少し眠くなったので部屋に戻り1時間ほど休んだ。

5時半ころ、屋久島の沖合を航行していた。見えるのは西部林道かな。
懐かしいなあ。屋久島に寄ったのは10月19日だったな。あれからもう半年か。
そういえば屋久島で出会ったHさんから写真が届いていた。

少し雲がかかり、太陽は西に傾いていた。再び船内の展望通路に移動した。

6時、レストラン営業開始の放送があったので、早速向かった。
1回くらいはレストランで食事をしよう。それにむしょうにカレーが食べたかった。
ビーフカレー、サラダ、シークァーサーのゼリーが付いて700円。

部屋に戻って日記を書いているとMNさんが呼びに来た。
みんなで夕食を食べようとのことで、カップ焼きそばとシーチキンを頂いた。

明日の朝8時半には那覇に着く。みんなそれぞれの目的地に向かっていく。
丸一日だけだったけど楽しかったな。
MNさんは昼間サウナで過ごし、夜は麻雀荘で稼ぐと行っていた。大丈夫かな。
9時過ぎ眠くなりみんな部屋に戻った。
部屋ではテレビでK−1を見ていた。


☆☆☆2003年4月7日☆☆☆
★★★懐かしい風景★★★

朝4時、何かの物音で目が覚めた。コンビニの袋のカサカサという音。
上に寝ていたMNさんが荷物を整理しているようだ。
何もこんなに朝早くでなくてもいいのに。そのうち部屋の外に出ていったようだ。
再び寝入り7時ころ起きた。

レセプションホールには那覇到着予定時刻が表示されていて、
昨日までは11時になっていたが、いつのまにか8時30分になっていた。
展望通路にはすでにMNさんが来ていて、ぼくもコーヒーを飲みながらパンを食べた。

8時半過ぎ、那覇の街が見えてきた。
到着予定は8時50分と放送があった。
結局9時ちょっとまえに到着。車両甲板に降りてバイクのエンジンをかけた。
やっぱり沖縄だ。Tシャツの上にジャケットを着ただけでちょうどいい。
一度ターミナルに行き、3人で記念写真を撮って別れた。いい旅を。
要らない荷物を全てコインロッカーに詰めこんだ。これで快適に走れる。

僕は早速R58を北上、一気に瀬底まで突っ走った。
2ヶ月ぶりだけど、なぜかすごく懐かしい気がした。
あの時より季節は進み、Tシャツでも過ごせるようになった。

雲が切れ、日差しがまぶしい。岩の陰にシートを敷いて空を仰いだ。
静かな砂浜に響く波の音、頬を通りすぎる風、遠く見える伊江島のタッチュー。
そんな時間を一人占め。一時間ほど夢の中へ誘いこまれた。

一時過ぎ、目が覚め那覇に戻ることにした。
防風林の中にはテントは無かった。

途中道の駅許田に寄ると見覚えのあるSL、YMさんのだ。
僕はブルーシールのアイスクリームを食べていると、突然背後から現れた。
ひめゆりの塔から北上してきたという。

今度は一路波之上ビーチまでノンストップ。
ビーチにはクラゲ除けのネットが張られていて、ライフセーバーもいた。
子供達が何人か、服のまま泳いでいた。帰るときどうするんだろう。

5時を回ったので食事をして港に向かった。
YMさんは既に着いていて、バイクに荷物を積みこんでいた。
僕もコインロッカーから荷物を取り出しバイクに積んだ。

船に乗りこむ前に、チューハイを買いに行った。
7時、バイクを船に載せ受付を済ませた。
宮古に寄るYMさんとは別の部屋を割り当てられた。
着替えをしてから展望通路に行き、YMさんと一緒に飲んでいた。
おもしろかったMNさんのことが話題になり、笑いが止まらなくなった。

8時、部屋に戻りテレビをつけた。でもちゅらさん2は9時15分からだった。
しばらくうとうとしていたが、ちゅらさん2が始まると目が冴えた。
途中やっぱり泣いてしまった。いいなあ沖縄って。

明日は石垣島だ。


☆☆☆2003年4月8日☆☆☆
★★★たくさんの再会★★★

朝5時過ぎ、宮古寄港のアナウンスで目が覚めた。
でもまだ1時間近くあるのでまた寝ることにした。揺れもなく快適だった。
しかし外は雨。午前中は雨だ。石垣に着くころ止んでくれればいいけどな。

8時半ころ外を見たが相変わらずの雨。
テレビでは屋久島を舞台とした映画が流れていた。
思わず見入ってしまう。家出した中学生が屋久島でおじいさんと出会うストーリー。
僕も行ったことがある。感動して涙が出てしまう。

11時過ぎ、石垣港入港のアナウンスが入った。ついに戻って来た。
なんとか順調に?ここまで来られた。
弱い雨が降り続いていた。荷物をまとめ、車両甲板に降りた。

うわっ、蒸し暑い。荷物を積みこみ合羽を着た。
今までそんなような気がしていたが、隣の人は楽園にいた人だった。
ランプウェイが開き始めたのでエンジンをかけた。

久しぶりに走る石垣の道。相変わらずのスローペース。
まずK−MAXに行きブルーシートを買った。その後米原直行。米原は雨が上がっていた。
しかしテントは5張りしかないよ。寂しいなあ。
おまけに東側のジャングルが伐採されて道路が見えるようになってしまったよ。
何でこんな所に宅地を造成したんだろう。米原ももう長くないかもしれないな。
僕は6号炊事棟のすぐ横にテントを張った。

テントを張り終わると「おーい」という声が聞こえた。
よく見るとヒガさんだ。元気そうでよかったよ。

テントに荷物を入れ、郵便局に荷物を取りに行った。
一度米原に戻り荷物を置いて、街に買い物に出掛けた。
まずカネヒデで洗剤とラーメン、100円ショップでカサと鍋類とホウキ。
マックスバリューでガスと食材を少し買ってきた。
マックスバリューには見たことのあるバラデロが止まっていた。
ベンチには桜島ユースで会ったおじさんが座っていた。挨拶をして店を後にした。

サイトに戻りブルーシートを張ろうと思ったが、風が強すぎるので諦めた。
しばらくすると「やじさーん」という声が聞こえた。振り向くと思わず目を疑った。
楽園で出会ったHDさんだ。まだ石垣にいたんだー。びっくりしたよ。
帰る前に一度米原に来たいと思っていたという。
楽園で出会った3人で車で来ていた。もう一人知っている人がいた。
明後日飛行機で帰るらしい。荷物が60キロもあるけど大丈夫か心配していた。

買ってきたホウキとスポンジ、それと洗剤で炊事棟を掃除した。
これでまともに使えるようになった。
しばらくすると目の前をタジマさんが通った。わー、元気そうだ。
こんにちは、と声をかけると「まだいたの」と返事が返ってきた。でもそれは僕のセリフだ。

今年はさとうきびが豊作で、製糖の仕事は5月20まであるという。
しばらくは米原も寂しい状態が続きそうだ。

10時ころ、HDさんが再びやってきた。
一度街に帰って自転車に乗ってきた。よくこの真っ暗の中来たな。
その後テントを設営し、炊事棟に集まった。
今回先に郵便で送っておいたバッテリーパックが活躍した。
ウィンカーを壊して作ったランタンも持って来たのだ。
さらにMDにスピーカーを接続して音楽を聞けるようにした。

結局1時半ころまで話しをしていた。


☆☆☆2003年4月9日☆☆☆
★★★米原国際キャンプ場?★★★

朝7時目が覚めた。昨晩寝たのが遅かったので少し眠い。
HDさんも一度起きてきたが、またテントに戻ってしまった。
僕も朝食を食べ、歯を磨いてからまたテントに戻って少し休んだ。
空は曇っていて風も強い。でも寒さは感じない。

1時間ほど休んでからテントを出た。
そういえば昨日からすぐ近くにレンタカーが止まっていたな。いったい何なんだろう。
ゆっくりと忍び足で近付き、車の中を覗いてみた。
ありゃーっ、性別まではわからないが人間が2人、シュラフにくるまっているのが見えた。

炊事場を掃除していると車のドアが開いて一人降りてきた。
あーっ、女の子だったんだ。またもう一人、今度は金髪。ヤンキーか?
いや本物の外国人だ。もう一人英語を話す外国人が降りてきた。3人も乗ってたんだ。
そのうちの一人と話すと日本人だった。ガイド役なのかな。
3人とも顔を洗ったり歯を磨いたりしていたが、
ヒガさんが来て、僕がキャンプ料金を払ってるとどこかへ行ってしまった。
しかしなんでこんな所で寝ていたんだろう。
そういえば昨日も英語を話す人が3人で来ていたな。

10時ころHDさんが調理を始めた。
こんな広い炊事場を一人占めできて、大きな音で音楽を聞いても誰も迷惑しない。
もっと早くここにくればよかった、とHDさんは言っていた。
すでにバースデー割引で航空券を買ってしまったので変更もできない。
船だったらなあ…と惜しんでいた。

時折雲が薄くなり、薄日が射すこともあった。
僕は浜にパイプ椅子を持ちだして海を眺めていた。

しばらくするとHDさんは撤収を始めた。今晩は街のゲストハウスに泊るという。
一泊だけだったけど楽しかったよ。
やじさん、こんな所にずーっといられていいなあ。と本当に残念がっていた。
でも今までずっと沖縄にいたんでしょ?と聞くと、
「そうだけど、ほとんど毎日パチスロやってたから…」
彼は沖縄に来てからパチスロで32万稼いだそうだ。
ここに来る前、3年ほどパチプロをしていたらしい。
でもそれじゃダメだと思って旅に出たという。

2時前、自転車に荷物を全て積み終えた。
飛行機には持ちこめないガスボンベを3本もらった。
HDさんは、ゆっくりと自転車を漕ぎ始め米原を後にした。
一度自宅に戻り、再び鹿児島にフェリーで行き北上するという。良い旅を。

僕は街に買い物に行くことにした。
バイクで走りだし、HDさんを追い越した。

まずサンエーに行き、100円のフライパンを探そう。
バイクを止めると見たことのあるタクシー。あっ、ヨナハさんだ。
挨拶をすると、少し驚いた様子だった。
2階に上がり、100円コーナーを探したがフラーパンはなかった。
まあトーストを作るだけだから何でもいいな。
ステンレスの大きめの角型の皿があったので、これで試してみることにした。

次に100円ショップに行き、洗い桶と食器置き、コーキングガンを買った。
メイクマンではシリコンシーラント、
あとマックスバリューでシャンプーとボディーソープや食材を調達した。
その後キャンプ場に戻って来た。

持ってきた散水用のシャワーとホースを蛇口につないでシャンプー用のシャワーを作った。
近くにいた女の子がそれを見て笑っていた。

シャンプーとソープを小瓶に詰め替えて、水道でシャンプーしてからシャワーを浴びた。
気温はそれほど低くはないが、日差しが無く風が強いので寒く感じた。
でも上がってくるとさっぱりした。

その後、買ってきたシール材で流しを修理していると、カップルがやってきた。
修理のため2つの蛇口を残して元栓を閉めてしまったので、使える個所を教えた。
その事を彼氏に英語で説明していた。えっ、また外国の人。
米原はずいぶんインターナショナルになったな。
1.5リットルのペットボトルに水をいっぱいに詰めて帰っていった。

修理を終え、手洗いで洗濯をした。

5時過ぎ、ハンゴウでご飯を炊きレトルトカレーを温めた。

テントの中で日記を書いているとA君から電話があった。
あれから家に帰ってずうーっとボーっとしていたという。今就職活動中らしい。

相変わらずの曇り空と強い風。あのティダを見たいよー。


☆☆☆2003年4月10日☆☆☆
★★★別れ、そして再会★★★

朝6時過ぎ目が覚めた。んっ、風が止んだな。波も静かだ。ということは…。
すぐに外に出てみた。天気予報が見事に外れ青空が広がっていた。
やったー。思わず叫びたくなったよ。やっぱり沖縄はこれでなきゃ。

さっそくコーヒーとトーストでアメリカンブレックファストだ。
よく見るとまた昨日と同じレンタカーが止まっている。
しばらくすると昨日と同じメンバーが降りてきた。なんでテント張らないんだろう。

僕は浜にパイプ椅子を持ち出し、朝の海を眺めていた。
少し浜を歩き、9号炊事棟を通過すると、なんと水字貝が落ちていた。
わーっ、ラッキー。ずっと欲しかったんだよ。買うと2000円くらいするんだ。

10時過ぎ、出掛ける準備を始めた。今日石垣を後にするHDさんを見送りに行く。
11時少し前に空港に着いた。HDさんの姿はまだ見えなかった。
しばらくすると軽のワンボックスにからHDさんが降りてきた。
キャンプ場の人に送ってもらったようだ。

しかしHDさんは随分身軽だ。輪行した自転車の他にバッグ2つ。
聞くと他の荷物は郵パックで送ってしまったそうだ。
飛行機の荷物の超過料金は高いから、その方が賢明だ。
それでも自転車は18キロ。他にも5キロほどの荷物。まあこれくらいなら大丈夫だろう。

僕は自転車を持ってみたが結構重い。ターミナルまでお手伝いした。
無事超過料金を徴収されず搭乗手続きを完了した。

他にも後から見送りのキャンパーが3人来た。
まだ少し時間があったので、みんなで送迎デッキにいってお別れパーティー?
キャンパーの一人が買ってきたビールとおつまみでにわか宴会だ。
わずか15分ほどだったが忘れられない思い出になった。

出発15分前になったので、HDさんは搭乗口へと向かっていった。
手荷物検査の入口で握手をして別れた。「じゃ、またどこかで」
他人のたちは送れてやってきて、別れの挨拶もできなかった。
その後みんな再び送迎デッキに上がった。

しばらくして機に向かうバスが出た。
左の一番前の席に座ったHDさんが窓を開け手を降っていた。
それに応えてみんなで手を降って見送った。
そして、すぐに見えなくなってしまった。

HDさんの乗った飛行機が滑走路を加速し始めた。
進行右側の席のHDさんは確認できなかったがみんなで手を降った。
他の人達とはそこで別れて僕は空港を後にした。

お昼なので久しぶりにあさひ食堂に行くことにした。
空港から10分程で到着。幸いそれほど混んでいなかった。
早速あさひ定食を注文。こんなに早く再びここに来られるとは思わなかったよ。
相変わらずのボリューム。お腹いっぱいになり店を出て米原に向かった。

途中100円ショップで買い物。2時前に米原に到着した。

こんなにいい天気じゃ泳ぐしかないだろう。
すぐにテントで水着に着替えた。浜に出ると他にも何人か泳いでいた。

最初はすごく冷たく感じたが、完全に浸かってしまうとそれほどの寒さは感じなかった。
5ヶ月ぶりの海だ。このきれいな海は変わっていなかった。
でも熱帯魚の数はまだ少なかった。

その代わり、珍しい貝を見つけることができた。
8センチほどもある宝貝だ。こんなに大きいの初めて見つけたよ。
20分程で海から上がりシャワーを浴びて、早速貝を磨き始めた。
ブラシとスポンジで入念に磨くと結構艶が出てきた。

その後しばらく海を見て過ごしていた。

5時過ぎ、少しお腹が空いてきたので夕食を作ることにした。
といってもラーメンライスだ。

食べ終わってからは、コーヒーを飲みながらまったりしていた。

しばらくするとバイクの音が聞こえてきた。
今日は入港日だから誰か来たかな。

5台ほどのバイク。サイドカーも1台いた。
なんか見覚えのあるバイクも混じっていたが気のせいだろうな。
バイクは僕のテントから20メートルほど先に止まり荷物を降ろし始めた。

炊事棟で作業を見守っていると、みんなこっちに向かってきた。
最初来た人に挨拶すると、同じ沼津ナンバーの人だった。
その後に来た人にいきなり「やじさんですよね」と言われた。えっ、何で知ってるの?
顔をよく見合わせると、思い出した。山口のMDさん夫婦だ。うわー懐かしい。
また会えるなんて思ってもいなかった。嬉しいなあ。
去年のGWと6月末にもここで会ったんだよな。
これだから旅はやめられないんだよ。

7時半、外はだいぶ薄暗くなってきた。テントに戻ることにするか。


☆☆☆2003年4月11日☆☆☆
★★★楽しいキャンパー達★★★

今日も6時半ころ目が覚めた。風は少しあるが波音は静かだ。
テントから出て朝食の準備。今日もいい天気のようだ。

昨日まで天気予報では曇り、所により一時雨だったのに
今朝になったらいきなり晴れになっていた。
気象庁の人が朝空を見て、急遽予報を変更したように思えてならない。

隣にテントを張った人達は、空気充填式のカヌーを持っていた。
テントを撤収し荷物をまとめてからカヌーに空気を入れているのでおかしいなと思ったら
荷物を背負いカヌーに乗ってどこかへ行ってしまった。なるほど、海上の移動手段とは…。

アメリカンブレックファストで朝食を済ませて昨日来た人達の所へ行ってみた。

ハーレーのサイドカーの人は札幌からだった。すごいなあ。
ヒッチで来た青年OSさんは西表で1年間稲作を体験するという。
ここに来るキャンパーってみんなすぐに仲良くなれる。
小学生のころ、どこに行ってもすぐに友達ができたようにね。
でもほとんどの人は、数日でまたどこかへ旅立ってしまう。

お昼ころまでみんなで話しをしていた。

お腹が空いたので僕は久しぶりに知花食堂に行くことにした。
バイクで数分で到着。早速そばの(大)を頼んだ。
1時少し前だったので店は空いていた。
そばを食べ終ってキャンプ場に戻って来た。

しばらくするとみんなの待人のIS会長が来て、一緒に食事に行ってしまった。明石食堂に行くらしい。
わーっ、もうちょっと待ってればよかったなあ。

今日も気温が高く、波も無い。泳ぐにはまあまあだ。
少し休んでから水着に着替えて海に入った。
日差しがあるので比較的温かく感じる。魚も昨日に比べて格段に多い。
少し潜ると宝貝やクモ貝もいくつか捕れた。
今日は泳いでいる人がたくさんいる。クモ貝を専門に捕まえている人もいた。

しかし少し曇ってきて寒くなってきた。
30分ほどで海から上がり、シャワーを浴びた。

捕ってきた貝を高圧噴射で中身を出してきれいに磨いた。

その後、パイプ椅子を浜に出しまったり。
4時ころみんな戻って来た。明石食堂は改装中で当分の間休業だったという。
何人かは着替えて海に入った。
波もほとんど無く凪いでいる。ゆったりとした時間が流れて行く。
ずっとこんな瞬間が続けばいいのになあ。

7時前、音楽を聞きながら食事をしていると、10号にテントを張っているおじさんが来た。
一緒に飲もうということになり、椅子を持って10号炊事棟に向かった。
その人は来る時那覇から同じ船だった。
素潜り漁をする目的で、情報も無くやってきたが、ここじゃ潜れる所が無いという。
あと1週間ほど滞在して、宮古に行くと言っていた。

時折雨が落ちてくるがすぐに止む。その繰り返し。通り雨だ。

8時ころ、おじさんは寝るということでお開きになった。

その後、5号炊事棟近くの一昨日来た人達の所へ行ってみると、宴会の準備中だった。
早速椅子とコップ、蚊取り線香を持って参加した。
ISグループの会長が来ていて、腕にはすごい腕時計、がっちりとした体型。風格が漂っていた。
そしてみんなで乾杯をした。
僕はお酒を持っていなかったので、会長差入れの泡盛をいただいた。
別の所に泊っている会長は途中で帰ってしまったが、僕達は11時半ころまで話していた。
しばらくこんなことが続きそうだ。

☆☆☆2003年4月12日☆☆☆
★★★別れと出会い★★★

6時半過ぎ目が覚めた。風も穏やかで青空が広がっていた。
テントから出て炊事棟を掃除し、コーヒーを沸かしトーストを作って食べた。

9時ころ少し眠くなり、テントに戻って1時間ほど休んだ。
10時過ぎにはIS会長が来るというので着替えをして準備をした。
しばらくしても来ないので迎えに行くことにした。

札幌のKTさんと宮城のSTさんの3人で近くのキャンプ場に行った。
今日は暑いな。Tシャツ1枚でバイクに乗って走りだしてもまだ暑い。
5分ほどでcoco’sビレッジに到着。会長のエリミネーターを加え4台で街に向かった。

まずメイクマンに行き、テントに油をこぼして穴を開けてしまったKTさんの補修材を調達。
会長はなぜかシュノーケルセットとゴザと枕のセットを買っていた。今日帰るはずなのに。
ゴザをKTさんのサイドカーに入れ、会長は水着を買いに行くというのでサンエーに向かった。
僕達はカネヒデに行き、酒と食料を調達。川平まわりでキャンプ場に向かった。
STさんは水中カメラが壊れたというのでベスト電気に寄っていった。

1時前、米原に戻り買ってきた弁当で昼食にした。
OSさんは西表で稲作体験に行くために旅立って行った。少し寂しくなるな。

お腹がいっぱいになったので、すこし落ちついてから水着に着替えて海に入った。
水はまだ冷たかったが澄んでいてきれいだ。気温は27度、時折日も射す。
30分ほど泳いでいたが、クモガイばかりで宝貝は発見できなかった。
海から上がりシャワーを浴びた。

その後コーヒーを飲みながらまったり。
会長とNMさんも海に入って泳いでいた。
僕は浜を歩いて貝殻を探した。タジマさんとすれ違い話しをした。

しばらくするとみんな海から上がってきて、STさんの入れたレギュラーコーヒーを頂いた。
やっぱりインスタントとは香りが違うな。
会長はさっき買ってきたゴザを敷いて寝転がっていた。

4時過ぎ、寝ていた会長も着替えて話しの輪に加わった。
会長の腕時計はいくらするのかと聞いてみたら
奥さんのとペアで400万くらいだと、いとも簡単に言ってのけた。
買ってきたゴザも2時間くらいしか使わなかった。

そろそろ帰るというので、僕はレンタバイクの店の場所を説明した。
会長は、最後に一人一人と握手をして別れを告げた。
だんだん小さくなっていく会長の後ろ姿に、手を振って見送った。
いろいろな人がいるんだなあ。

5時半ころ、みんな食事の準備を始めたので、僕も簡単に夕食を済ませた。

今日は夕陽が見られそう。太陽は西に傾きオレンジ色に輝いていた。
浜で陽が沈むのを待っていたが、川平の僅か上で雲に隠れてしまった。残念。

8時過ぎ、そろそろみんな集まったかな、と思って5号周辺に行ってみたが
風が強くなってしまい、これじゃ宴会どころじゃないな。
ということで、6号炊事棟に集結して防風対策をして焼肉を始めた。
炊事棟では他のグループも炊事をしていた。

僕達のグループには、STさん達が途中船の中で知り合ったという女の子も参加した。
しばらくは2つのグループに別れていたが、今まであまり交流の無かった人達とも話しができた。
そのうちみんなで楽しく食べたり飲んだりしながら同じ時間を過ごすことができた。
みんなだいたい同じ年代の人達だ。
シーナイーストンやYMOなど80年代の音楽を懐かしく聞いていた。

11時を過ぎると何人かはテントに戻っていった。
僕とMDさん、それにSTさんは最後まで残っていて
バッテリー切れになった午前2時まで話しをしていた。

僕も適当に後片付けをしてテントに戻ったが、すーっと意識が引いて行って夢の中へ。


☆☆☆2003年4月13日☆☆☆
★★★一生懸命★★★

朝6時半前、目が覚めた。うーん、まだ眠い。でも明るくなると目が覚めるようだ。
昨日は2時まで飲んでたからな。もう一度寝ようかと迷う。
でも昨日は散らかしっぱなしだったから炊事棟を片付けないと…。

眠い目をこすりながらテントを出た。今日もいい天気だ。
昨日までの天気予報は晴れ、それが朝になると曇りの予報に変わっていた。
でも実際は晴れ。なんなんだろう。この天気、それとも予報?

炊事棟に行き、まず顔を洗った。それからゴミを集め分別。
汚れたマットや食器類を洗い、床を掃いた。これで元にもどったな。
それからコーヒーを沸かしてトーストを作った。
食べ終わったころに、昨夜は車に泊った女の子が起きてきて、
後片付けをしなかったことを謝っていた。別に気にしなくてもいいんだけどね。
そんな事をしているうちに8時を過ぎてしまった。

今日はトライアスロンの日だ。スタートは9時だったかな。
すぐに準備をしてバイクを出した。しかし途中でサングラスを忘れたのに気付き引き返した。
結局キャンプ場を出たのはちょうど8時半になってしまった。
バイクを飛ばし登野城漁港へ。今日は気温が高く半袖でも暑いくらいだ。

20分程で到着、しかしスイムは既に始まっていた。
急いでゴール地点に行き、上陸してくる選手を見守った。
時計の表示を見ると、スタートから50分が過ぎていた。
次々と選手が上がってくる。その中に見覚えのある顔があった。向こうは気付いたかな。
とりあえず最後の選手が来るのを待って、そこから引き上げた。

次は自転車だ。トップの選手はすでにゴールに近付いているようだ。
こういうときはコースと反対に走ればいい。
相対速度が上がり、止まっているより短時間でたくさんの選手が見られる。
国道を白保方面に北上していく。
農協のスタンドの辺りでトップの選手とすれ違った。先導する白バイが異様に早い。
マラソンの先導を見なれているだけに、あの早さは少し笑えたな。

しばらくすると続々と自転車が走ってくる。いったい何台走っているのだろう。
途中道が狭くなったので、道端にバイクを止め応援した。
近くにいた大会役員の人に聞くと、全部で600台くらいという。
そして今、300台目の自転車が通過していった。

しばらくそこで観戦してから一度キャンプ場に戻った。
するとみんな泳ぐ準備をしている。気温も25度を超えていた。
午後からはトライアスロンのワールドカップを見に行くから泳ぐなら今しかない。
すぐに水着に着替えて海に入った。今日も水は澄んでいて、水温も高かった。
40分程でクモ貝を7個捕まえた。そのうち中身の入っているのはリリースした。
空のものだけ持ちかえり磨くことにした。

シャワーを浴びて出てくると、もう12時だった。
ご飯を炊くと時間がかかってしまうので、今日も知花食堂だ。

行ってみると日曜日なので空いていた。今日はそばの(小)とライスを頼んだ。
ご飯は大盛りなので、お腹いっぱいになった。

戻ってくるとすぐにバイクで再び漁港に向かった。今度はスタートを見たい。
5分前に到着、早歩きで桟橋に向かった。ちょうどスタートするところだった。先に女子だ。

やっぱりアスリートは違うな。すごく早い。あっという間に次の自転車だ。
午後からは午前中と違って市街地の周回コース。
これが本来のやり方なのかな。でも600台も走ったら収拾がつかなくなるな。

気温は27度を超え、湿度も73%。何もしなくても汗が吹き出てくる。
選手たちの暑さは想像を絶するな。
僕は道路沿いの街路樹の木陰に座って応援を続けた。選手が通る度に拍手をする。
そして6周目にはゴール地点に移動した。次はランだ。

自転車もそうだったが、サザンゲートブリッジの往復は大変だろうな。
遠く、橋を登っていく選手たちが見えた。

そしてラスト一周になり、再びゴール手前10メートルの地点に陣取った。
トップの選手は少しの余裕を見せ、両手を上げてゴールのテープを切った。
そして続いてゴールした2位の選手と抱き合った。

次々と選手が入ってきて、みんなで拍手をして迎えた。
ゴール直後、倒れこんでしまう選手が何人もいた。

僕はちょっと考えさせられたよ。
いいなあ、一生懸命って。選手たちの姿を見ていると、思わず目頭が熱くなった。
スポーツを見てこんなに感動するなんて、初めてだよ。
最後の選手まで見送ってから会場を後にした。

しかし場内の放送では全ての選手がゴールしたような雰囲気だったが
帰り際、最後の選手がまだ走っていた。何か悪いことをしたような気になってしまった。

男子のスタートは3時45分なので残念だけど帰ることにした。

キャンプ場に戻り、まず今日2度目のシャワーを浴びた。水は冷たいけどすっきりした。
その後、浜に出て他のキャンパーの釣を見守っていた。
僕はエサにするヤドカリを捕まえた。たくさんいる場所を知っているんだ。
しかしなかなか釣れない。6時ころまで粘っても結局2人とも坊主だった。

KTさんは昼間捕まえた、真っ黒でトゲのあるナマコを調理して食べていた。
本人はおいしいと言っているが本当かな。
明日までKTさんの調子が悪くならないようだったら食べてみようかな。

6時半、夕食を食べた。その後少し浜を散歩した。
昨日は遅かったからな。今日は早めに寝よう。
9時前、シュラフに潜りこんだ。


☆☆☆2003年4月14日☆☆☆
★★★立ちゴケ★★★

今日で米原に来て一週間が経とうとしている。
ここ数日は気温が上がり連日の夏日だ。やっぱり石垣だな。

朝6時過ぎ、波の音で目が覚めた。随分近くで聞こえるな。風向きが変わったな。
テントから出て空を見上げた。薄い雲が広がっていた。
天気予報では昼前から雨、前線の通過で雷を伴うとも言っていた。
今日は早めに買い物に行こう。

まずはコーヒーだ。トーストを焼いてスライスチーズを乗せて食べる。
パンが小さいので半分に切って乗せる。4枚食べて厚切り2枚分くらいか。

洗い物をしてから出掛ける準備だ。
雨が降ってくるとイヤだから午前中に行ってこよう。
でも気象用語で"昼前"とは午前9時から12時までのことだ。昼直前ではない。

9時半ころバイクを出した。まず郵便局に行き局留めの郵便物を受け取った。
それから荒川のマックスバリューの2階で半ズボンを699円で買った。
膝上で分割できるヤツだ。随分安いな。
膝上の半ズボンは399円だ。安さにつられて買おうか迷ったが2枚持っているので止める事にした。

次にやいま店の方に行きガスと食材を調達。
駐車場にはKTさんの側車付のハーレーが止まっていた。
近くの100円ショップではブルーシートと画鋲と野菜ジュース
サンエーの2階に行きクッションとウレタン製の袋を買ってきた。
この袋に合羽を入れれば枕ができる。

その後給油してキャンプ場に向かった。

途中のホッパーで弁当を買おうとしたら売りきれ?だった。
11時半でまだ入荷していないのかもしれない。
消費期限の近付いた弁当を店員が箱に詰めていた。
仕方ないのでパンとポップコーンを買うことにした。

さて帰ろうかとエンジンをかけターンしようとクラッチを繋いだらいきなりエンスト。
うわーっ、ヤバー。左足では支えきれず立ちゴケしてしまった。
こんな所で恥ずかしい。すぐに荷物を降ろし起こそうとしたが、
ハンドルが左を下にして倒れてしまったので力が入らない。
どうしたものかと考えていたら、さっき満タンにしたガソリンが漏れている。
力任せにやってみるがダメだ。ハンドルが右向きだったら簡単に起こせるのに。
困っていると、買い物に来たおじさんがきて手伝ってくれてようやく起こせた。
お礼を言うと笑いながら店に入っていった。立ちゴケなんて初めてだよ。
再びエンジンをかけて発進しようとしたらギヤは3速だった。これじゃエンストするわな。

たいした傷は無かったので、気を取り直してキャンプ場に向かった。
オ茂登岳の方は雲がかかり暗い。急がなければ。
トンネルを越えたがまだ雨は降っていなかった。
キャンプ場に着くとポツポツと雨が落ちてきた。助かった。
しばらくするとNMさんが帰ってきたが、膝下が濡れたくらいだった。
その後MNさん夫妻が帰ってきたがほとんどぬれなかったという。

弁当を買い損なったのでパンを食べた。
その後炊事棟に銀マットを敷きまったり昼寝。1時間ほどしてから起き上がった。
天気予報じゃ雨って入ってたのにほとんど降らないじゃないか。
1_以上降らないと降ったことにならないよ。降らないに越したことはないんだけどね。

そろそろシャワーを浴びようかと歩いていくと
みんなサマーベッドやハンモックに揺られて気持ちよさそうだ。ハンモックが欲しくなった。

シャワーを浴びた後、みんなで集まって話しをしていた。
しばらくすると沼津ナンバーのカタナが来た。
昨日までトンネルの出口の公園でキャンプしていたら
今日土木課の人が来て追い出されたという。そいえばテントがあったな。

5時半ころ、食事の準備を始めた。
しばらく音楽を聞きながら準備をし、食事をしようとしたら
いつもは暗くなってから来る女の子達が来てしまった。
スピーカーやコンロ、コンテナなどをを分散させて置いてあったので
すぐに片付けて場所をあけた。

渡辺美里の曲を聞いていると、女の子の一人が「懐かしい曲聞いてますね」と言った。
すごく若く見えたので、知っているとは思わなかった。それにこのアルバムを持っているという。
ペットボトルで作った蝋燭ランタンに感心していた。

食事を終え、コーヒーを飲みながらポップコーンを食べて海を眺めていた。
水平線が見えないほど霞んでいる。今夜は大雨が降るのかな。
しばらくすると小雨が降ってきた。洗濯物をタープの下に移動。
今日洗濯したのは間違いだったかな。
7時半ころテントに戻った。

9時前、テレビを付けて驚いた。おそろしくよく映る。
今回、ちゅらさん2を見るために液晶テレビを持ってきたのだ。
米原では映るとは聞いていたが予想以上に映る。近くにアンテナがあるようだ。

11時ころ眠りについた。雨はそれほど強くない。

☆☆☆2003年4月15日☆☆☆
★★★見送り★★★

なぜか5時半過ぎに目が覚めた。テントを出てトイレに言って戻って来た。
眠れなくなってしまったので、日記をアップしたりメールしたりしていた。

7時過ぎ、朝食を作るため再びテントを出たが空は曇り空。
すぐにでも泣きだしそうな空だ。それに北風が吹いてTシャツだけでは寒い。
みんな出てこないので、朝食を終えるとテントに戻った。
こういう時はゆっくりしよう。

8時半ころ、みんな集まっていたので行ってみるとKTさんとSTさんが出掛けるところだ
った。
KTさんは波照間、STさんは竹富へ行くという。
二人ともバイクを置いて、8時33分のバスで港へと向かった。

11時過ぎ、またライダーが一人やってきた。今日は飛龍はほぼ定刻に到着したという。
その後僕は買い物に出掛けるため準備をした。
充電式のシェーバーを持ってきたのだが、充電器を忘れてしまった。
100円のは使い物にならなかったので、メーカー品を買いに行こう。
まあ刃も損傷していたのでちょうどいいや。替え刃を買うより安いだろう。

知花食堂でそばの(大)をチャージした後、街に向かった。
今日はジャケットを着ていないと少し寒いな。

メイクマンに行くと一流メーカー製のものが安く売っていたのでそれを買った。
よく見るとMADE IN HUNGARYと表示してあったが、SEIKO社製なので大丈夫だろう。
ところでハンガリーという国はまだ存在しているのだろうか。
次に100円ショップで時計と温度計、
マックスバリューで米と食パンとガスを買ってキャンプ場に向かった。
米原より街の方がずっと温かかった。

走っていると先に見える於茂登岳の方が真っ暗だ。ヤバいかな。
しばらく進むと対向車がワイパーを作動させている。あちゃーっ、雨かな。
しかし小雨程度でほとんど濡れずに帰って来られた。

さっき来たライダーは僕のテントの近くに設営してどこかに出掛けていった。

浜に出るとMDさん夫妻が何か探している。行ってみると砂ハマグリという貝を捕っていた。
波打ち際の砂を少し掘ると、1.5センチくらいの白い2枚貝が時々出てくる。
これを味噌汁の出汁にするという。
おもしろそうなので僕も砂を掘り返し、7個ほど発掘して献上した。

今日は寒いのでシャワーは無理だな。水道でシャンプーしてテントでまったり。

5時ころ、再び街に向かった。
郵便局に寄ってから空港に5時40分到着。
2階の送迎デッキに上った。
今日、新たな人生を歩むため石垣を後にするたえさんを見送りたかった。

駐機場には2機のB‐737が止まっていた。宮古行きと那覇行きは同じ6時発。
50分ころから搭乗が開始された。
そして最後にたえさんが歩いてきた。
手を振ったけど気付いてくれたかな。空港に行くって言ってなかったから。
2人でバスに乗りこんで、こちらに向かって手を振っているのが見えた。
お幸せに。

一方宮古行きの機はすぐ近くに止まっていて歩いての搭乗だった。
一番最後にアイスクリームを食べながら歩いている50代のおじさんがいた。
タラップを上がろうとすると係員に制止されアイスクリームを没収されてしまった。
しかし、出発ギリギリになってなんでアイスクリームを買ってしまったんだろう。
ほとんど食べてないみたいでもったいないな。
没収したアイスクリームをどうするのかな、と思って見ていると
出発間際で持ち場を離れられず、しばらく迷った末、他の係員に渡していた。
その後はどうしたのだろう。食べてしまったのかな。

離陸していく機に向かって手を振り空港を後にした。

帰り道、ホカ弁でお弁当を買ってキャンプ場に戻った。
とりあえず慌ただしく夕食にして、10号に行ってみた。
同じ船で来たおじさんとしばらく話しをしていた。
明後日の船で宮古に行き、その後伊豆諸島に行くと言っていた。
そのおじさんは8時には寝てしまうので、8時少し前挨拶をしてテントに戻った。

戻ってくると、ライトをハイビームにしたまま止まっている車がいた。
しばらくしても移動する様子がない。
見に行ってみるとヒガさんで、みんなで話しをしていた。
そして名古屋コーチンの卵を大量に頂いた。

よく見ると、今日波照間に行ったKTさんの姿が見えた。
手に持っているのはあの"泡波"じゃないか。
わーっ、いいなあ。僕は6回行っているけど未だに買えないよ。
ということで今日はみんなで泡波を飲めることになった。

KTさんのテントの周りに集まって、泡波を飲んだ。
明日から仕事の始まるMDさんは先にテントに戻った。
僕達は11時半ころまで飲んでいた。
KTさんが蝋燭の火で、葉っぱに火をつけているのを見て焚き火がしたくなってきた。
2・3日前に集めた落ち葉に火をつけるがなかなか燃えない。
KTさんがティッシュを持ってきてようやく焚き付いた。
炊き木をいくつか拾ってきてくべると、あのパチパチ音で雰囲気が盛りあがった。
芋があればなあ〜、明日は芋を買ってきて焼き芋にしようか。

1時前、NMさんが水をかけ消火。そこでお開きになった。
明日からは天気が良くなりそう。テントに戻り夢の中へ…。


☆☆☆2003年4月16日☆☆☆
★★★やや不調★★★

6時半、目が覚めた。でもなんか調子が悪い。昨日遅かったからかな。
7時過ぎ、テントを出てコーヒーを沸かしトーストを作った。
天気は予報通り最高の晴天だ。みんな出掛ける準備をしていた。
MDさんは今日から仕事なので出掛けていった。

そのうち調子がよくなるだろうと思ったがなんとなくおかしい。
テントに戻って横になっていると寝てしまった。
その時、変な夢を見たな。

波照間に僕がいて、バイクがパンク。なぜかもう1台あってそれもパンク。
どうにもならず困っていると今度は車が登場、それに乗って帰ってきた。
わけのわからない夢だった。

目が覚めると11時前だ。なんとなく調子が回復してきたような気がする。
パンを少し食べてバイクで出掛けることにした。

まずキャンプ場を出て北上する。
栽培漁業センターの北側のでバイクを止め浜に降りた。
前に来た時にモダマを発見したところだ。
少し歩くとすぐにモダマを1つ見つけた。再先いいスタートだ。
しかしその後は割れていたり腐敗したりしていて、まともなモダマは見つからなかった。
でもきれいな貝をいくつか見つけることができた。それにしても暑い。
今日はすごく潮が退いているのでずっと向こうまで歩いて行けた。
湧き水も発見できたし、小さな巻貝も無数に棲息していたのを確認した。

浜を後にしてさらに北上、平久保崎に向かう。
Tシャツだけで、風を切って走る。快適だ。
平久保崎は風も弱く、きれいなリーフを望むことができた。
レンタカーが来ては、しばらくすると去っていく。

少し先の浜に降りてみたが、冬に来たときにあれだけあった漂着物がほとんどない。
風向きが変わったのかな。すっかりきれいになっていた。
釣り道具箱のようなものが落ちていたのでよく見てみると
中には注射器やらアンプルのようなものが詰まっていた。
医療廃棄物か?開けてみようとも思ったが、危険なのでやめておいた。
しばらく浜を歩いて貝殻をいくつか拾ってバイクに戻った。

今日は水曜日だな。マックスバリューに行ってみよう。
東側の道をひたすら南下。
途中伊野田キャンプ場に寄ってみると6張りのテントがあった。
その後マックスバリューに直行、NMさんとMDさん(妻)のバイクがあった。
買い物の後、あまりの暑さに僕はアイスクリームを買ってしまった。
外のベンチで食べているとNMさんとMDさんも集まってきた。
NMさんは発泡スチロールの箱を2個も持っていた。
サンエーでもらったと言っていたので今度僕ももらってこよう。

マックスバリューを出てキャンプ場に直行。
海を見ると完全に退いていて、リーフまで歩いて行ける。
こんなんじゃとても泳げない。諦めてシャワーを浴びた。冷たくて気持ちよかった。

その後は海を眺めながらまったり。30センチ近くあるトカゲを目撃。
逃げこんだところを探したが発見できなかった。

今日は夕陽が見られそうだ。浜に出てMDさん(夫)の釣りを見ていたが今日も坊主。
結局夕陽もあと僅かなところで雲に隠れて見えなかった。

7時を過ぎ夕食の準備、といってもご飯を温めレトルトカレー。簡単だ。
そういえば炊事棟に来る女の子は毎日お好み焼きを作って食べている。
その子達のうちの一人BLさんは同じ静岡県の東部地方だった。すぐ近くだ。
今日はジムニーで横須賀から来たサーファーのMTさんもやってきて賑やかになった。

食事の後、4人でトランプをしようということになり、
7並べや大貧民など11時半ころまで楽しく遊んでいたが
KJさんは明日の船で帰るというのでお開きになった。
時折通り雨が過ぎて行った。
その後MTさんはタコを捕りに行くと言って夜のリーフに出ていった。


☆☆☆2003年4月17日☆☆☆
★★★60度の酒★★★

7時前、目が覚めた。風もなく静かな朝だ。
昨日よりは調子がよくなったようだ。起き上がりテントから出た。
雲は薄く、青空も見える。炊事棟に行き朝食の準備をした。

今日はみんなでマーペ登山に行こうと計画していたのだが
浜に出てマーペを見ると、雲に隠れて山頂は見えなかった。残念だが延期だ。

朝食を終え、アスレチックに登り海を眺めていた。
暖かく、頬をそよ風が通りすぎていく。

沖合には飛龍が見えた。そうだ、今日は木曜日か。
10号に行ってみたらすでにテントも無く、閑散としていた。
最後に挨拶をしたかったけどな。またどこかで会えるだろうか。

10号炊事棟には、あのおじさんが残していったと思われる文庫本が1冊置いてあった。
曽野綾子著"切り取られた時間"。初版は昭和46年だった。
再びアスレチックの上に登り読み始めた。どうやら沖縄を舞台とした物語のようだ。
しかし難しい漢字が読めない。普通の小説なら読めない字なんてまず無いんだけどな。
でもだいたいの意味は何とか推測できる。
そしてところどころに線が引かれているが、それが何を意味するのかは、まだわからない。

時々横になったりして、ゆったりとした時間が流れていく。
周りを見渡すとハンモックに揺られている人の姿も見えた。
潮は退き始め、リーフも見え始めた。

昼過ぎになって、今日帰る)KJさんがザックを担いでやってきた。
一緒に過ごしたのはほとんど昨日トランプをした時だけだったけど
見送るのはやっぱり寂しいな。
本名も、いつここに来て、そしてこれからどこに行くのかも知らない。
それでも楽しい時間と空間を共有した。都会では絶対にありえない。
そんな出会いと別れが、当たり前のように繰り返されている。

MTさんのジムニーに乗って米原を後にするKJさんを、笑顔で手を振って見送った。
別れる時にいつも思う。また、どこかで会えるだろうか。

その後知花食堂に行き、そばとご飯を食べた。
食べ終わって~マルチメディアセンターに直行。

デジカメで撮った画像をアップしようかとメディアリーダーのドライバーをインストール。
そこまではよかったのだがUSBを挿し、ハードを認識するとエラーになる。例の青い、イヤな画面だ。
何度やってもダメだ。なぜだろう。仕方ないので今日は諦めよう。
帰る前にNTのパソコンで試したが、当然今度は門前払い。

センターを後にし、郵便局に寄った。局留めの郵便が来ているはずだ。
しかしまだ届いていない。発送元の旅行代理店に問い合わせると昨日発想したという。
それだったら連絡が欲しかった。2度も無駄足を踏んでしまった。

郵便局を出てキャンプ場に戻って来た。
みんなが5号に集まっているので行ってみるとSTさんが波照間から帰ってきた。
自慢げに泡波を見せたが、Tシャツと黒糖を抱き合わせで5000円だったという。
噂には聞いていたが、こういう足元を見たような売り方はどうかと思う。
STさんとNMさんは明日西表へと旅立って行くというのでみんなで記念写真を撮った。
ちょうどいいタイミングでヒガさんも来ていてポーズを決めた。

6時半を過ぎて浜に出てみた。ここに来てから一度も川平に沈む夕陽を見られない。
夕方になるとなぜか雲が出てくる。それとも昼間見えないだけなのだろうか。
今日も最後は雲に隠れてしまった。
去年撮れたあの写真はやはり奇跡だったのだろうか。

夕食を食べた後、KTさんのテントの前に集まって
STさんの持ってきた泡波と"どなん"でお別れパーティーだ。
それにしてもどなんは強烈だ。アルコール度数60度。
口に含むとかーっと燃えるような感触。
喉から食道、そして胃に入っていくのがわかる。
皿に入れてライターを近付けると青い炎を上げて燃えた。
60度の酒は分類場原料用アルコールに区分されると表示されていた。

昔の笑い話で盛りあがり、僕は12時前にテントに戻った。


☆☆☆2003年4月18日☆☆☆
★★★キャンプファイヤー★★★

午前2時半ころ、何かの物音に目が覚めた。
テントから出ると、6号炊事棟の脇に軽のワンボックス車が止まっていて
灯篭のような物を灯して水浴びをしている人がいた。びっくりした。

トイレに行って戻ってきて再び眠りについた。
6時半過ぎ、目が覚めた。調子は戻ったようだ。
テントから出て朝食を食べた。

今日STさんとNMさんは西表に行くので撤収の準備を始めていた。
10時過ぎには完全に撤収し、バイクに荷物を積みこみ終った。
2人が張っていたテントの跡地に少しの寂しさを感じた。
でも2人とも米原に戻ってくるからな。また会える。

しばらくするとSTさんのninjaが出掛けて行った。
次いでNMさんも米原を後にした。
なにか急に力が抜けてしまった感じだ。空虚感が残った。

気を取り直して街に出掛けることにした。
KTさんもサマーベッドを買いに行くと言っていた。

まずマックスバリューに行き食材を調達、ジュースのミニ缶20本で980円が目に止まった。
トートバックもついている。野菜ジュースもあり、100均よりも安い。
少し迷ったがバッグに20本詰めこみ買い物カゴに入れた。
そこにNMさんが現れ「何そんなに買いこんでるの?」
NMさんも西表に渡る前に食材を買っているようだった。
11時半にあさひ食堂で待ち合わせしてその場を別れた。

僕はそのままあさひ食堂に向かった。11時25分に到着したがシャッターはまだ閉まっていた。
30分過ぎに2人とも到着するとシャッターは開いていて店に入った。
3人ともあさひ定食を注文。新聞を見ているとメイクマンの広告があった。
サマーベッド1280円、これは買うしかないだろう。帰りに寄っていこう。

みんな食べ終わったようだ。僕は全部食べた。
NMさんは食べきれないと言ってご飯を残していて、
STさんは嫌いだと言ってピーマンと大根を残していた。
僕は少し偉くなったような気がした。
2人ともまだ時間があるのでまったりしていたが、
僕は早めに帰りたいので挨拶をして先に店を出た。

早速メイクマンに向かった。でもサマーベッドは見つからなかった。
あの広告は何だったんだろう。もしかして那覇店かな。でも八重山新聞だったし。
諦めてK-MAXに行ってみた。店の前には見ことのあるハンターカブ。
サマーベッドを探しているとキャンプ用品コーナーでそこにいた人と目が合った。
やっぱりシャーマンさんだった。「こんにちは」というと向こうも気付いたようだ。

サマーベッドは布製の物しかなく2980円と高いのでパスすることにしキャンプ場に戻った。

KTさんはすでに戻って来ていて、気持ちよさそうにサマーベッドに寝て本を読んでいた。
「どこで買ったんですか?」と聞くと「メイクマンだよ」と意外な答えが返ってきた。
おかしいなあ。あれだけ探したのになあ。
よく聞くとキャンプ用品とは全然関係ないところに置いてあったという。
うーん、そうだったのか。明日買ってこよう。

2時半m干潮の時刻だ。今日は大潮、潮位−11センチ。こんなに退くのは今日だけだ。
膝下の水位ではるかリーフの先まで行ける。
ビーチサンダルを履いて先端まで行ってみた。
うわーっ、すごいなー。急に深くなっていて底が見えないよ。
でもその崖っプチにはサンゴがいっぱいできれいだな。
入江になったところには大きな魚が取り残されていた。
所々クレバスのようになっていて底が見えない。
こんなによく見たのは初めてだよ。30分ほどしてから戻ってきた。

その後シャワーを浴び、アスレチックに登って本を読んだり空を見上げたりしてまったり。

5時過ぎ、少しお腹がすいたので夕食の準備。今日はミートソースだ。
パスタ150グラム、ミートソース2〜3人前でお腹いっぱいになった。

しばらくすると車が何台か来てみんな海に向かっていった。
そのうちの一人は花束を持っていた。誰かの命日だろうか。

今夜は焚き火をしようかな。そうだ、薪を集めよう。
10号におじさんの残していった薪がないかと行ってみたが、すっかり無くなっていた。
仕方ないので落ちている枝を拾い集め、伐採されて放置されている木を持ってきて
適当な長さに折って薪にした。

6時半過ぎ、太陽がだいぶ傾いてきたので浜に出てみた。
川平の方向には雲は無く、今日は日没を見られそうだ。
しかし僅かに薄い雲がかかっていて、何とか見られたがあまりきれいではなかった。

8時ころ、KTさんのテントの前に行くと、薪がうず高く積まれていた。
でもこれに火を付けるとすごい火力になってしまう。
小分けにしてすこしづづ燃やして行った。

メンバーは減ってしまったけど、やっぱり焚き火を囲んで飲む泡盛はうまいな。
薪が燃え尽きた12時前まで宴会?は続いた。


☆☆☆2003年4月19日☆☆☆
★★★八重山の温かさ★★★

夜中に何度かトイレに起きたので、何となく眠い。7時前にテントに出た。
いつものように朝食を準備した。

沖合を見ると飛龍21が石垣港に向かっていた。
8時半か、少し遅れているのかな。あれっ。

今日もアスレチックの塔に登って小説の続きを読んだ。
ここのところ比較的安定した天候が続いているので助かるな。

11時過ぎ、街に向かって走り始めた。
1週間くらい前に気が付いたのだがチェーンがだいぶ伸びてしまっている。
エンジンブレーキをかけるとチェーンが弛んでスイングアームに干渉しているようだ。
もう30000キロも走ったからそろそろ交換時期かな。
そうだ、久しぶりに八重山ホンダに行ってみよう。

街に着くと異常に暑い。米原より2度は高いだろう。
早速バイク屋へ行ってみるが、なんと解体中で店は姿を消していた。
あれーっ、どうなってるんだ?と途方に暮れていると見たような顔が。
社長?の乗った軽トラックとすれ違った。
あっ、すれ違いざまに手を振ると気が付いたようで、路肩に止まった。
僕はすぐにUターンして軽トラのところに行った。
「こんにちは、お店は営業してないんですか?」と聞くと
「大川店でやってる」という答え。ああよかった。僕を覚えていてくれた。
まあ、アフリカツインは石垣じゃ滅多にいないからな。忘れないだろう。

軽トラのあとに付いて大川店まで行った。
だいぶ伸びてしまったので交換したい、というと「在庫は無い」とのこと。
それは予想していた。「まだ1ヶ月くらいいますから」というと
「まだ調整できるよ」と言われたので調整をお願いした。

10分ほどで調整終了。「いいよ」と社長が言うので「おいくらですか」と聞くと
また「いいよ」という答え。えっ、本当にいいのかなあ。
「そうですか、それじゃまた何かあったときお願いします」と言ってエンジンをかけた。
帰る時社長も同じようなことを言っていたようだが、方言で完全には聞き取れなかった。
店を出る時上り坂になっていたので社長が前から押してくれた。
いいなあ、こういうのって。単に無料だったからじゃなくて
最初話した時は何とも無愛想な感じだったけど、八重山の人の温かさを感じた。

お昼になったので今日もあさひ食堂に行った。すぐ近くだし。
昨日はあさひ定食だったので今日はカツカレーを頼んだ。
久しぶりだな。相変わらずすごい量だ。
八重山毎日新聞を読みながら食べた。お腹いっぱいだ。

昼食の後はきのう買い損なったサマーベッドを買いにメイクマンに向かった。
その前に100円ショップに行き自転車用のゴムとノコギリ、ポップコーンを買って
マックスバリューではスライスチーズとチューブ入りのマーガリンを調達。
そしてメイクマンに到着。きのうKTさんに聞いた場所を探す。
最初よくわからなかったが本来のキャンプ用品売り場の一番下の段にあった。
色はグリーンしかなかったので迷わずにそれを購入。問題はそのあとだ。

ベッドを持って店を出てバイクのところまで行った。
何とかなりそうだ。後部座席から荷台にかけてベッドを乗せネットで固定。
前に滑って来ないようにゴムで押さえた。
それほど違和感も無い。そのままキャンプ場に戻って来た。

さっそく日陰にベッドを持ちだし海を眺めた。
少し南側にはKTさんの姿も見えた。海は退いていて泳げない。
そうだ、薪を集めなければ。
この近くは取り尽くしてしまったので少し遠くまで探しに行った。
10号の方には伐採した木が放置されていたので何往復かして引きずってきた。
それをKTさんがノコギリで切った。
中には極端に重く密度の高い木があって、切るのにかなり苦労していた。

疲れたのでベッドに戻って休んでいた。するといつのまにか眠ってしまった。
そよ風に吹かれてラジオを聞きながら至福の時だ。

KTさんはいつのまにか浜に焚き火の櫓(やぐら)を完成させていた。夜が楽しみだ。
しばらくすると何人かのキャンパーが来た。朝の船で来たようだ。
米原もだんだん賑やかになってきた。

4時前、シャワーを浴びた。
KTさんはシュノーケルを付けて海から上がってきたので
「こんなに浅いのに泳いでたんですか?」と聞くと、リーフのプールで泳いでいたという。
なるほど、そのテがあったか。たしかにプールはきれいだったな。
それにトンネルもあって魚もたくさんいたという。明日行ってみよう。

8時ころ暗くなったので薪に火をつけた。
切るのに苦労したあの重い木は火がつくとなかなか消えない。
すごい火力で近付くと熱い。おきになっても真っ赤になって熱を発し続けた。

焚き火を囲んで全国を渡り歩いた話しをした。
みんな日本中を旅しているんだな。
今日来たジェベル125のWNさんはパッカーで世界を歩いたことがあるという。

11時過ぎ、火が衰えないので仕方なく水をかけた。
バケツ4杯の水でようやく蒸気が出なくなった。
火が消えたところで、そこでお開きになった。
かなり薪が余ったので、明日は薪拾いをしなくてもよさそうだ。


☆☆☆2003年4月20日☆☆☆
★★★流れ星★★★

夜の間は涼しくて快適なのだが、陽が出るとカラスがうるさくて寝ていられない。
7時前テントから出てコーヒーを沸かし朝食を作った。

陽が出てくると暑くなってきた。とてもテントの中にはいられない。
木陰にサマーベッドを持ち出して、ラジオで日曜討論を聞いていた。
今日は大潮の最終日、干潮は午後4時ころ。

10時過ぎ、水着に着替えて久しぶりに海に入った。
しかし波打ち際は濁っていて視界不良。
沖合に出るとまあまあだがやはり少し濁っている。なぜだろう。
おまけに流れが早くてまっすぐ泳いでいるつもりなのに流されてしまう。
それでもクマノミやスズメダイなどの色鮮やかな熱帯魚が群れをなしていた。
40分程で海から上がった。

シャワーを浴びてサマーベッドでまったりしているとIMさんからメールが入った。
すでに"ちゃーがんじゅうさーに"到着したらしい。
昨日12時半にということで待ち合わせしていたので随分早いな。
すぐに準備をしてバイクで向かった。

11時半過ぎ、ちゃーに到着。おばちゃんに会うのは2ヶ月半ぶりくらいかな。
定番のラフテー丼を頼んだ。大きな丼に大きなラフテー4枚。
やっとのことで食べ終わり、汁を、と思って蓋を開けると八重山そばだ。
食べ終わると汗びっしょりだ。
今日はIMさんは夜勤で、8時から仕事なのであまりゆっくりしていられない。
アイスコーヒーを飲み終わると店を出て米原に向かった。

IMさんは4ヶ月ぶりの米原。宅地の造成には唖然としていた。
その後炊事棟でまったり。今日は風も無く、特に穏やかな日だ。
潮の退いたリーフには、たくさんの人が出て釣りや貝取りをしている。
と突然緑のKDXがやってきた。MDさんだ。
普段は暗くなるまで仕事なのに今日に限って早かった。
そのおかげでMDさんとIMさんも再会を果たした。お土産に黒糖を頂いた。

3時半過ぎ、IMさんは西表に戻るため米原をあとにした。
製糖が早めに終ればまた米原で再会できるだろう。

その後僕は街に買い物に出掛けた。
途中開南へ向かう交差点でIMさんと別れた。
マックスバリューへ行きパスタとソース、100円ショップで蝋燭を調達。
帰りにスタンドでガソリンを入れた。いつのまにかオドメーターが30000キロを越えていた。

米原に戻り今夜の薪探し。近くは取り尽くしてしまったので10号の奥まで行ってみた。
そこで太い木を2本見つけた。KTさんと本づつ海岸を引きずって来た。
汗だくになったので今日2回目のシャワーを浴びた。冷たくてさっぱりした。

夕方、今日こそは日没が見られるかと期待したが、結局雲に隠れて見えなかった。
お昼にラフテー丼を食べたので全然お腹がすかないよ。

少し薄暗くなったころ、薪に火を付けた。
KTさんは買ってきたジャガイモとサツマイモにアルミ箔を巻いて焼きイモだ。
しばらくしておきの中からイモを探し出した。
しかし最後の1個がなかなか見つからない。熱さで顔を真っ赤にして探す。
ようやく下のほうから最後のジャガイモを取りだした。
少しづづ頂いたが、本当に美味しかった。

その後、何人か集まってきた。今日来たばかりの人もいた。
そろそろ消そうかな、と思ったら隣の人達も集まってきてみんなで空を見上げた。
時々雲が出るが、空にはたくさんの星が輝いていた。
すると突然、空を高速で移動する光の線を発見。流れ星だ。
その後もよく見ていると、5分に1個くらいの流れ星を見ることができた。
僕は全部で5個の流れ星を見たが、一つも願い事ができなかった。
でも、ここにいると、望む物なんて、何も無い。

11時半、みんなテントに戻った。


☆☆☆2003年4月21日☆☆☆
★★★台風接近★★★

今日も6時半前に目が覚めた。
最近は寝る時間に関係なくだいたいこの時間に目が覚める。
どうやら明るくなると目が覚めるようだ。

テントから出て朝食の準備をした。
コーヒーとトーストを食べ、その後洗濯をした。
落ちついたところでサマーベッドを木陰に出してラジオを聞いていた。
Tシャツと半ズボンで風が心地いい。遠く波の音を聞く。

しばらくしてアスレチックの塔に移動して小説の続きを読んだ。
今日は台風の影響だろうか、波が高いな。ちょっと泳ぐのは無理そうだ。

10時を過ぎたので街に出掛けることにした。
於茂登トンネルの中は滑るので慎重に運転する。
トンネルを出ると少し雨が落ちてきた。でも明るいから大丈夫だろう。

まず郵便局に行き局留めの郵便物を受け取った。やっとパスポートが届いたよ。
その後にサンエーの2階で蝋燭と接着剤、
マックスバリューで食パンが30円引きになっていたので迷わず買ったが
賞味期限があさってだった。トーストにすれば問題なんじゃないかな。
天気予報では昼過ぎから台風の外側の雲がかかりそうだ。
早めに帰らなければ。
最後にメイクマンに行きスクリュー釘を買って
途中ホッパーで弁当を買ってキャンプ場に戻って来た。

戻ってきてから数分後に雨が降り始めた。助かったよ。
僕は炊事棟で弁当を食べた。

そのあとに帰って来た人は全身びしょ濡れになっていた。
しかし3時前に与那国から帰ってきた人は無傷だった。

雨が降ったり止んだりしているのでみんな炊事棟に集まっていた。
僕はペットボトルで蝋燭ランタンなどを作っていた。
それからずーっと炊事棟にいた。

夕方、ご飯を炊いてハヤシライスにした。
しばらくしてみんな集まってきて缶カラ三線の練習をしていた。
旅人は楽器を持っている人が多い。

今日は数日前から来ているフランス人も炊事棟に来て小さな太鼓をたたいていた。
キャンパーの一人TSさんはフランス語が話せたので彼と話していた。
パリに3年、インドには2年いたという。インドでは100万円あれば一生生きていけるらしい。
僕も6月にインドに行く予定なのでいろいろアドバイスをいただいた。
他にも外国にパッカーで行った事がある人が何人もいる。女の子もだ。

その後もみんなで話しをしながら時間が流れていった。
9時15分からは液晶テレビでちゅらさん2を見た。
9時半ころだったろうか、YKさんたちが買い物から帰ってきた。
白いナンバーのカブに二人乗りで。
なにかすごい豪華な食事でステーキを焼いてた。

11時過ぎ、大きなチーズケーキを切って僕にも分けてくれた。
他にもフルーツを頂いた。おいしかったなあ。
ケーキにはチョコレートの文字で"やどかり牧場云々"と書かれていて
ヤドカリの絵も描かれていた。
こうして食べる物は、味なんか関係無いよ。何でもおいしい。そして楽しい。

そういえばYKさんたちのテントの方に、夜になると大きなヤドカリがたくさん出没する。
エサを置いて餌付け?しているらしい。昼は30センチ級のトカゲも現れる。

楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
ゆんたくは午前1時前まで続いた。

ここではそんな日が延々と繰り返されている。
もうここから抜け出せないんじゃないかという気がしてくる。

明日は台風の影響が出てきそうだ。大丈夫かな。


☆☆☆2003年4月22日☆☆☆
★★★キャンプ場での一日★★★

今日もいつもと同じように6時半に目が覚めた。
風はあるが、思ったより強くない。雨もあまり降っていない。
炊事棟に出て朝食を作った。

10時過ぎ、炊事棟でまったりしていると、一台のトラックが来て止まった。
おじさんが降りてきて、アルバイトをしないかと聞いてきた。
どうやらキビ刈りらしいが希望者はいなかったので帰るのかと思ったが
台風が近付いているので今日の作業は中止、ここで飲むことにしたという。

しばらくするとその人のニーニーもやってきて加わった。
三線はすごく上手で、酒がはいると益々テンションが上がった。
酒がなくなったのでそこで終るかと思ったが、KTさんが一升瓶を買ってきた。
昼間からだいぶ飲んでしまったが、今日は出掛けないのでいいだろう。
でもあとに方では少しつらくなってきた。
結局2時過ぎまでゆんたくは続いた。

さらに場所を変えて飲む雰囲気だったので僕は飲みすぎたので遠慮することにした。
トラックには荷台に5人も乗ってどこかに出掛けていった。

僕は炊事棟を片付け、遅い昼食を食べた。
その後は炊事棟でまったり。MTさんやBLさんと話しをしていた。
そういえば今日も何人か来たな。ちょっと偵察してこよう。
するとセローに乗った人や、車椅子で来ている人もいた。長期滞在するらしい。

炊事棟に戻り、ふと浜を見るとタジマさんが3人の女の子と話しをしている。
噂は本当だったんだ。しばらくすると早足で離れていき再び戻って来た。
女の子達にクモ貝を持ってきてあげたようだ。

6時半ころから夕食の準備を始めた。
7時前、何か不気味に明るく変な雰囲気だ。いったいなんだろう。
ちょっと海の方を見てみたら、水平線の僅か上だけ雲が切れていて太陽が見えている。
急いでカメラを持って浜に出た。なんと幻想的な風景だろう。
雲の切れている僅かな隙間にオレンジ色の太陽がゆっくりと沈んでいった。

炊事棟に戻ってきてみんなは夕食を準備していた。
8時ころ、僕とBLさんともう一人でおばあの店まで歩いていった。
まだ開いているかわからなかったがとりあえず行ってみた。
店の前まで行くと明かりが付いていて扉も開いていた。
店にはフランスから来たガエルさんもいた。
ガエルさんは植物の研究をしている学者で種子を集めているという。
みんなビールを買って炊事棟に戻った。
トラック乗って行った人達はまだ戻ってこなかった。

9時過ぎ、遠くからライトの光が近付いてきた。しかし声はない。
そして炊事棟の前に止まった。荷台には5人が乗っていって次々に降りてきた。
暗くて表情は見えないが、話し声がないところをみると、かなり疲れているようだ。
話しを聞いていると、修羅場と化した様子が容易に想像できた。
ずっと兄弟喧嘩をしていて色々な物が飛んできたという。
僕は炊事棟で飲んでいた様子で、危ない、と思い行かなかったのだ。
帰ってきたみんなは「もう二度と島人にはついていかない」と口を揃えていた。
まあ島人全員がそうではないのだけど。でもこうなってしまうと気持ちはわかる。
お昼も食べていなくて早速食事の準備をしていた。
YMさん以外は食事を終えるとテントに戻っていった。疲れたんだろうな。

炊事棟に残ったのはほとんどが付いて行かなかった人達だった。
"やどかり牧場"とやらに行ってみたがたくさんのヤドカリが集まっていて
木に登っているものもいた。ほとんどが大きなヤドカリだった。

炊事棟ではBLさんの持ってきたお経のような音楽を聞いていた。
彼女はこれを聞いて瞑想しているというが、いつもそのまま寝てしまうらしい。

その後今度はYMさんのお気に入りの音楽を聞いた。
彼女は初めてのキャンプであまり装備を持っていない。
シュラフや懐中電灯さえもってなく、僕の作ったペットボトルランタンをあげたら喜んでいた。

その音楽は何かレゲエ調の不思議な感じのする曲で、レコードから録音したものだ。
ヘッドホンステレオで踊りながら鼻歌を歌っていたのはこの音楽だったのか。
ここは変わった人が多い。

11時半ころお開きになってテントに戻っていった。
僕は少し寝不足気味なので、日付が変わったところで夢の中へ。


☆☆☆2003年4月23日☆☆☆
★★★言葉はいらない★★★

6時半ころ目が覚めたが風はあまり強くない。台風はどうなっているのだろう。
昨日の日記の残りを書いてテントから出て炊事棟に行った。
風は温かく雨は降っていない。コーヒーを沸かしトーストを食べた。

朝食のあと少しテントで休んだ。
みんなとヒガさんの話し声につられて再びテントから出た。
その後炊事棟でYMさんと話していた。

しばらくするとKTさんとWNさんが食事を終えて帰ってきた。
いつのまにか歩いて知花食堂に行っていたようだ。

もうすぐお昼なので僕もどうしようか迷ったが出掛けることにした。
しかし知花食堂は混んでいたのでそのまま通過し街に向かった。
気温は高く走っていても暑いくらいだ。湿度もすごく高い。
もうすぐ嵐が来そうな感じがする。

街に着き、まずあさひ食堂であさひ定食を食べた。
あまりお腹がすいてなかったのでちょっと大変だった。
いつもは少しゆっくりしているのだが、天気が不安定なので食べ終わるとすぐに店を出た。

店を出てマルチメディアセンターに行きHPのチェックと台風情報を確認。
その後マックスバリューに行った。今日は水曜日。
バナナと食パンなどを調達し、足早にキャンプ場に戻った。

しばらくアスレチックの塔に登って小説を読んだり昼寝をしたりしていた。
下に降りると何人かが集まっていて誰かの荷物がまとめてあった。
誰のかと聞くとBLさんのだった。よくみるとテントはすでに撤収されていた。
そうか、BLさんは明日宮古に行ってしまうんだったな。
みんなで記念写真を撮ったりした。
最後に握手をして別れを告げた。実家は沼津なのでまた会うことがあるかもしれない。
4時半ころ、BLさんはMTさんのジムニーで米原をあとにした。
MTさんも明日の船で北上するようだ。奄美に行くという。
小さくなって行くジムニーの後姿をみんなで手を振って見送った。

KTさんは明日の船で那覇に行きそのまま鹿児島に向かう。
すでに撤収の準備をして荷物をサイドカーに積みこんでいた。
一気に寂しくなってきた。

僕は再びアスレチックの塔に登り小説を読み終えた。
押しつぶされそうな寂しさに襲われた。どうにもならない空虚さを感じてしまう。
米原は僕が来た時よりもずっと賑やかになっている。
でもなぜだろう。しばらくすれば、この虚しさも癒えるだろうが、
でも、本当に、すごく寂しい。時々やりきれなくなる。

再び炊事棟に戻り夕食の準備をした。
他の人たちも来て少し元気を取り戻した。

夕食を食べ終わって浜に出てみた。西の空はほのかにオレンジ色を帯びている。
僅かな雲の切れ間から、天使のハシゴが下りている幻想的な風景だ。
水平線の雲は厚く今日も夕陽を見ることはできなかった。

KTさんとWNさんと一緒に炊事棟に行くとガイルさんも来ていた。
KTさんのボディーランゲージにみんな爆笑。
これなら世界中どこにいってもコミュニケーションができるよ。言葉なんていらいないな。

その後TSさんUKさんYKさんMDさん夫妻もやってきて賑やかになった。
KTさんは、さかんに「寂しい」と口にしていた。
でも「最後の夜がこんなに楽しくなって…」とも言っていた。

わかるなあ。約2週間、米原でみんなで和気あいあいと過ごしてきたんだもんな。
旅には必ず終りがある。だから今が楽しい。そしてそれは思い出になる。
辛かったことも、時間ととともに楽しかった記憶になり、決して忘れない。
僕も、ここで過ごした時間は、忘れることがないだろう。

YMさんは浜で一人で焚き火をしていた。

MTさんはやはり戻ってこなかった。忘れていった真っ赤なタオルが風に揺れていた。
MTさんが以前手伝っていた食堂のことが話題になった。
TSさんとUKさんが今日行ったら、カレーが300円、チャーハンが200円など激安だ。
それにご飯は自分で好きなだけ盛れる。
店のおばちゃんの調子が悪いというのでMTさんが手伝っていたという。
明日出発するかはわからないらしい。
僕も明日行ってみよう。

楽しい時間は過ぎるのがすごく早い。KTさんがよく口にしていた言葉だ。
いつのまにか日付が変わっていた。

幸い僕には、まだ少し時間がある。


☆☆☆2003年4月24日☆☆☆
★★★嵐★★★

台風はいったいどうなったのか。ここにいると情報が少ない。
7時ころテントから出て朝食を作った。

KTさんはすでに撤収を開始していた。
僕が食事を終えたころ、KTさんが炊事棟にやってきた。
もうすべて撤収を終え、積みこみも完了したという。
出港は午後6時の予定。まだ時間がある。
みんなで楽しく話しをしていた。でもKTさんはどこかしら寂しそうだった。

雨は時折ポツポツと落ちてくる程度。
11時過ぎ、きのう聞いたタカシマ食堂に行ってみることにした。
僕の他にも4人、合計5台のバイクとサイドカーで出発した。
於茂登トンネルを出たところでKTさんのバイクからサンダルが落ちた。
KTさんのサイドカーはすぐに脇道に入ったので気が付いたと思ったら
道がわからず止まっただけだという。運がよかったな。

再び走りだし開南方面に右折。八重山農林高校を右折、食堂を探した。
しかしそれらしいものは発見できず、脇道に入って止まった。
そこでMTさんに電話してみると、農林高校ではなく八重山高校の前だという。
間違えだったうえに今日は休みらしい。

仕方ないのであさひ食堂に行くことにした。幸い僕の他はみんな初めてだった。
駐車場にバイクを止め店に入った。僕は初めて唐揚げ定食、
WNさん達は3人であさひ定食、KTさんは1000円定食を頼んだ。
1000円定食は噂には聞いているが実際に見たことはなかった。
早速配膳されて来たが怒涛のごとく出てくるよ。こんなに食べられるのだろうか。
しかしKTさんは次々とたいらげていった。どうやら朝食は食べていないらしい。

他の人達もみんな満足したようだった。
帰ろうとしたらKTさんのサイドカーの前に車が止まっていて出られない。
その車のオーナーに言って移動してもらった。そしてそこで解散となった。
少し雨が降ってきたようだ。でも合羽を着るほどでもない。
メイクマンの前で止まり、WNさんにメイクマンと100円ショップの場所を説明し、
僕はサンエーに行きロト6を買ってキャンプ場に戻って来た。

ほとんど濡れずに帰ってこられた。
しばらくしてKTさんも帰ってきた。それから30分ほどでみんな帰ってきた。

炊事棟に集まってみんなで話しをしていると、どこかで見たようなトラックが進入してきた。
このまえの3兄弟だ。とっさに流しに身を隠した。
他の人達も気付いたようで退避態勢をとっていた。
幸い10号方面に行ってしまった。と思ったのも束の間。戻ってきたよ。
みんな浜に出て様子を見ていると、
近くに来ていた湘南ナンバーの車に乗った若者達のところで止まった。
ひと安心だ。みんな炊事棟に戻ってきた。

しかししばらくすると雨が強くなってきた。
若者達はここぞとばかりに帰ってしまい、3兄弟はこちらの炊事棟に向かってきた。
やばい、万事休すか。結局炊事棟を占領されてしまった。
仕方なく自分のテントのタープの下で身を潜めていた。

その後MDさんのテントの前でKTさんMDさん今日来たKPさんと話しをしていると
3兄弟の一人がやってきた。誘われるのかなと思ったが
「街は降ってないよ、行くなら今だよ」とのことだ。
KTさんは合羽を着て出発の準備をした。
そして黄色い蛍光色の合羽を着てみんなに挨拶をした。
ハーレーのエンジンが轟き、荷物を満載したKTさんは元気に米原を後にしていった。
みんなで手を振って見送り、KTさんもそれに応え振り向かずに手を上げた。
KTさんはあと一年以上旅を続ける予定。またどこかで会えるかもしれないな。

後姿が見えなくなると、みんなで「ああ、行っちゃったなあ」とため息をついた。
KTさんは明るく楽しいキャラでみんなを楽しませてくれた。

雨が上がったのでシャワーを浴びて戻ってくると3人はいなくなっていた。
そういえばKPさんは沼津ナンバーのバハに乗っていた。
聞いてみると沼津市内に住んでいるという。
今年は随分近所の人に出会うな。

YMさんに、「キャンプ場で仲良くなって、さよならするのって寂しくない?」って聞かれた。
「寂しいよ」本当に涙が出そうになる。
そう思っているのは、僕だけじゃなかったんだ。
5時過ぎ、パスタを茹でてミートソースで夕食を食べた。

様相が急変したのは7時ころだった。
YMさんと話していると、突然恐怖を感じるほどの風と雨。
まもなく炊事棟にいても雨を避けられなくなった。
ヒガさんが来て避難用に管理棟を開け、緊張感が高まった。
MDさんのタープはブッ飛んで調理中の鍋も倒れてしまった。
どうにもならず、MDさんは外にあった荷物をまとめ管理棟に避難。
群馬から来たライダーOGさんのテントはひっくり返ってつぶれていた。

僕はこういうときは黙っていられない。
合羽を来てすぐに周囲を巡視、出掛けていて無人の潰れたテントを流しの下に移動。
他に異常がないか点検した。
僕は電灯の類を7個も持って来ているので、持っていない人に貸してあげた。

幸いなことに自分のテントは木に囲まれていて直接風を受けないでいる。
しかし風が強くなるとテントがゆがみ、恐怖感を覚える。
外では轟音が轟いている。これが沖縄の台風か(当時実際は熱帯低気圧)。
ただテントの中で台風が通り過ぎるのをじっと待つしかない。

しばらくテントの中で待機。どうやら耐えられそうなので、管理棟に避難した。
中には10人ほどが避難していた。

9時過ぎには中心部に入ったのか雨も止み風も収まった。
しかししばらくすると風が吹き返してきた。でも雨は小降りになった。
眠くなってきたので10時半ころテントに戻った。


☆☆☆2003年4月25日☆☆☆
★★★台風の爪跡★★★

夜中にイヤな夢を見て飛び起きた。
テントが潰され、体は動かず声も出ない。夢の中でもがいている。
そのうち「うわっ」という声と共に目が覚めた。夢でよかった。

6時過ぎ、再び目が覚めると雨も風も収まっていた。
昨夜の嵐がまるで嘘のようだ。テントから出ると青空さえ見える。
しかし台風の爪跡はあちこちに見られた。
太い枝は折れ道路側に垂れ下がっていた。
東側のジャングルが伐採されたため、風が通るようになってしまった。
今まで気がつかなかったがジャングルは防風林の役目を果たしていたのだ。
管理棟からも昨夜避難した人達が出てきていた。

そういえば一度熱帯低気圧になったが再び勢力を増し台風になっていたな。

炊事棟は葉っぱだらけ。さっそく掃除にとりかかった。
掃除を終えるとコーヒーを沸かし朝食を食べた。

昨日テントを潰された群馬から来たライダーは荷物をまとめバイクに積みこんでいた。
しばらくして積みこみを完了。みんなで手を振って見送った。
こんなふうに、みんなに見送られて出発できるキャンプ場なんてあまりないんじゃないかな。

朝食を食べ終ると被害の調査を始めた。
僕のテントのタープは後の方のロープが外れ弛んでいた。
他にも1箇所ハトメが外れかかっていた。
幸い被害はそんなもんだった。今度は災害復旧工事だ。
外れたロープを縛り、緩んだ個所を締め直した。
よくあの嵐を耐えたな。周りが木に囲まれていたのがよかったようだ。

少し遠くまで歩いてみたが大きな被害はなかったようだ。
大きなブルーシートを張っていた人はほとんどのペグが飛んでいた。

作業を完了すると暑くなってきた。
台風一過、南から温かく湿った空気が流れこみ気温もすでに26度を超えていた。
その後洗濯をし、汗をかいてしまったのでシャワーを浴びることにした。
昨日大雨が降ったので、シャワーの水は濁っているかもしれない。
シャワーの水は川から引いているのだ。

最初濁っていたので水を出しっぱなしにして濁りが収まるのを待ってシャワーを浴びた。
水はそれほど冷たくなくさっぱりした。

いつのまにか昼近くなりお腹がすいたので昼食を作った。
炊事棟でYMさんと話しをしていて午後から一緒に街に行くことになった。
その前にYMさんは泳ぐと行って海に行った。

僕も食事を終えると水着に着替えて海に入った。
意外なほど水は温かかった。これなら一時間でも入っていられそうだ。
とりあえずYMさんのところまで泳いでいった。
一緒にリーフの向こうまで行こうと誘われたが今日は台風の余波で波が高い。
リーフではかなり波が高く砕けているし風も強く流れも早い。
今回は止めようということにしてサンゴのきれいなところに案内した。

しばらく周囲を散策。潮が満ちてきて波が高くなってきた。
時々シュノーケルの中にも海水が入ってきてしまい、少し飲んでしまった。
危険を感じたので岸に戻ることにした。

海から上がりシャワーを浴びて出掛ける準備をした。

今回は探検用にバイク用の半キャップのヘルメットを持ってきていたのだ。
YMさんを呼びに行くと、昨日買ってきたハンモックに揺られていたが体が"く"の字になっている。
縛る木の間隔が狭すぎるのだ。これじゃ何だか苦しそうだ。

そしてバイクに二人乗りで走りだした。
女の子を後に乗せていると結構緊張する。
いつもは100キロくらいで走るところを70キロに速度を抑えて走った。
今日はTシャツでも暑いくらいの気温だ。

まず僕がマックスバリューで食材を調達している間、
YMさんはドラッグイレブンで化粧品を選んでいた。
買い物を終え外のベンチでしばらく休んでいた。
今日は南風なので飛行機が頭の上を高度を上げながら飛んでいく。
騒音で話しもできなくなるほどだ。

次に近くの100円ショップに行きYMさんがレジャーシートを探したが見つからず
サンエーに行ったが売りきれ、再びドラッグイレブンに行ったら全然別の場所に一つだけあった。

何とかシートをGETできたので次にマルチメディアセンターに行くことにした。
途中図書館の前でウニさんに遭遇、今日はなぜか図書館は休館だった。
まもなくセンターに到着したがあいにく満席。
しばらく外で話しをして、やいまワールドに向かった。
幸いパソコンは一台空いていて確保することができた。ここは1時間100円だ。
YMさんがメールをしている間、僕はやいまを読んでいた。
最後少し時間が余ったので僕に譲ってくれた。

近くに本屋があったので立ち読み、思わず星空ガイドを買ってしまった。

あやぱにを後にしてカネヒデに寄って見切り品の弁当を買ってキャンプ場に戻って来た。
するとどこかで見た顔が、MTさんとBLさんだ。
BLさんは確か昨日宮古にいったはずなのに、どうして?
聞くと朝寝坊して乗り遅れたという。ありゃーっ。

今日こそは夕陽が見られると思ったが、水平線の僅か上で雲に隠れてしまった。
そして今日3回目のシャワーを浴びた。
恐ろしく蚊が多いので再び浜に出てKPさんやYMさんと話してから炊事棟に戻り弁当を食べた。

暗くなり浜に出ると久しぶりに満天の星空を見ることができた。

炊事棟に戻ってくるとロータリーにKPさんとMDさん夫妻がいた。
11時前まで話しをしていてテントに戻った。
今日は早めに寝よう。


☆☆☆2003年4月26日☆☆☆
★★★川口浩探検隊★★★

6時半過ぎ目が覚めてテントを出た。空は曇り空。
風は北風、少し肌寒く感じたが気温は22度あった。

炊事棟で朝食の準備をしているとUKさんが通りかかり、鍾乳洞探検の話しになった。
天気が悪くならなければ行こうということになり様子見となった。

朝食を食べ終るとMDさんやKPサンたちと話しをして過ごしていた。

昼前、隣のWNさんがおいしそうなパンをかじっていた。
僕もパンが食べたくなりトミーのパンまで歩いていき、カレーパンとチーズパン。
両方ともフランスパンの中にそれぞれカレーやチーズが入っている。
少し固くて食べ応えがある。カレーは辛口だ。
チーズも美味しく味は噂の通りだった。わざわざ街から買いに来る理由がわかったよ。

パンを食べ終わるといよいよ探検の準備だ。近くの人を誘ったら全部で9人になった。
僕の他WNさんUKさんTSさんYMさんKPさんMDさん、OKさんとNSさん。
経験者が僕の他に一人加わったので心強くなった。
僕は軍手をたくさん持っていたので持っていない人に配った。
いつのまにか僕は"隊長"と呼ばれていた。川口浩探検隊の気分だ。
12時半ころ出発。いかにも探検という格好でゾロゾロと観光客の前を歩いて行った。
観光客はいったい何なんだ、というような感じで僕達のパーティーを見ていた。

浜の隅にたどり着き、ここからはクライミングだ。
急なサンゴの岩をよじ登りジャングルの中を藪をかき分けて進む。
僕は何回か来たことがあるのでルートを開きながら進む。
9人の中に女の子が2人いたが特に問題なく付いて来られた。
この崖を登れればまあ大丈夫だろう。

2つほどのピークを超えて谷底に下り海岸線まで出た。
そして石の上を渡って鍾乳洞の入口まで来た。
洞に入っていくと、ほとんどの人が初めてなので思わず歓声が上がる。
僕もルートを知っているので余裕で先導やガイドができる。
狭い所や急な上り坂をぬけると大広間に出る。
みんな探検気分を満喫しているようだ。

途中平らな広いところがあるのでそこで休憩、記念写真を撮った。
ここからは下りだ。狭い門を抜けると滑る下り。一番危険なところだ。
僕は一番最初に下りて待機していた。後からもう一人下って来たので少し進むと
ずずずっ、どん。という音が聞こえた。
降りかえるとTSさんが滑落して落ちてしまった。
仰向けに倒れて痛がっている。まずいな。
後続の人達に止まるように指示してかけ寄った。
しばらくして顔を歪めながらもなんとか立ちあがった。ああよかった。
連れてきた手前、責任を感じてしまう。

そこから先はルートが2つに別れているので他の人達に待つように言って左側を探索。
そっちは行き止まりだったのでしばらく待機し、TSさんが落ちつくのを待って右側に進んだ。
ピークを越えるとぼんやりと明るさを感じた。出口だ。
なんとかみんな出口にたどりつき再び歓声が上がった。

でもこの先にも難関がある。海を行くか崖を登るかだ。
ここで海を行くグループと崖を登るグループとに別れた。
僕が崖をよじ登りルートを切り開いた。ピークまで上がると海を行く人たちが見えた。
僕は崖を登り終わりジャングルの中で後続の人を待っていると
「戻ってくる」という声が聞こえた。海ルートはダメだったのか。
どうやら海が深すぎて進むのを断念したようだ。

しばらくしてTSさんが崖を登ってきた。
続いて次々と登ってきた。女の子も平気で登ってきた。
全員登り終わったのを確認してジャングルの中をぬけてようやく道路に出た。

そこから歩いてキャンプ場に戻って来た。
みんな汗だくになり泥だらけになったけど楽しそうだった。

その後シャワーを浴びてしばらく休んでいた。
5時過ぎ、お腹がすいてきたのでご飯を炊いた。
炊いている間、日記を作成していたが、ふと気付くと25分も経っていた。
やばっ、黒焦げか。コンロに走っていくとなぜか火が消えていた。
どうやらガス欠で火が消えたようだ。
ハンゴウのフタを開けるときれいに炊きあがっていた。なんという強運だ。

しならくすると炊事棟にYMさんもやってきて夕食を作り始めた。
薄暗くなりしばらく蝋燭の灯りの下で音楽を聞きながら過ごした。
その後YMさんと遠くのサイトの人達の所へ行ってみようということになった。
数日前に来た人達でほとんどが初対面だった。
挨拶をして話しの輪に加わった。
最初はちょっと勇気がいるけど溶け込んでしまえばみんないい人達だ。
そのうちの一人が作ったグラタンを頂いた。
それも本格的で、最後にバーナーであぶって焦げめをつけた。

泡盛りを飲みながら話しをしているうちに、
あっという間に時間が過ぎ11時半ころテントに戻った。


☆☆☆2003年4月27日☆☆☆
★★★GWに突入★★★

最近は何時に寝ても6時半に起きるようになってしまった。
7時前テントから出てトーストを食べた。

仕事をしている人以外はみんなだいたい9時ころ起きているようだ。
空は曇り空。でもかなり明るいのでそのうちに晴れてくるかもしれない。
しばらくはサマーベッドを木陰に出して日曜討論を聞いていた。
今日は日曜なので観光客が多いな。"わ"ナンバーの車がいっぱいだ。
他にも地元の人もたくさんやってきて賑やかになりそうだ。

そのうちに日差しが出てきて暑くなってきた。
WNさんとKPさんが茶色い紙袋を持って歩いてきた。なんだろう。
近くに行ってみるとトミーのパンを買ってきたようだ。
それを見ると僕も食べたくなり歩いてキャンプ場を出た。
歩いていると暑くて汗が出てくるよ。中舛売店の前で急に気が変わった。
売店にかけこみ思わずアイスクリームを買ってしまった。
そして食べながら帰ってきた。

それから再びサマーベッドでWNさんに借りた本を読んでいた。

昼食を食べた後街に出掛けた。
今日で食パンが終わってしまったので買いに行かなければ。
その他にもチーズとお菓子、カネヒデに行き泡盛を買った。
600ミリリットルで398円。破格だ。でもよく見ると台湾製泡盛。
悩んだ末結局安さに負けて買ってしまった。
そのまま帰ろうとも思ったが、急に古本屋に行きたくなりUターン。
曽野綾子と村上春樹の文庫本を3冊買った。これでしばらく楽しめるな。

その後キャンプ場に戻って来た。暑い、それに潮が入ってきて泳ぐのは最適だ。
早速水着に着替えて海に入った。でもさっきに比べて泳いでいる人が少ないな。
泳ぎ始めると水が冷たい。風も出てきた。
リーフの縁まで泳いで行ったが波が高くかなり上下する。
しかし久しぶりに強い日差しのもとで泳ぐことができた。
こういうときのサンゴや熱帯魚の鮮やかさは格別だ。
40分程で海から上がりシャワーを浴びた。今日は寒かった。

海から上がってまったりしているとMTさんが呼びに来た。
さっき水中銃で捕った魚があるという。
行ってみると見たことのない魚だったがここでは珍しくないらしい。
刺身にしたというので2・3切れ頂いた。
あまり癖のない味で僕にでも食べられた。

その後しばらくアスレチックの塔に登ってさっき買ってきた小説を読んでいた。
するとYMさんも登ってきた。ここはハエが来ないので快適なのだ。
しばらく話しをしてから食事の準備をするため炊事棟に向かった。

食事を終えると通り雨があった。降水確率は0%なのに。
通り雨といっても確実に1ミリ以上は降ったな。

MTさんとBLさんは野菜炒めと味噌汁を作っていた。僕も分けてもらった。
味噌汁は野菜が数種類入っていて久しぶりに食べた気がした。

暗くなるとTSさんたち4人もやってきた。途中からはKPさんも来た。
TSさんは長い木の枝の杖をついていて痛々しかった。
久しぶりに炊事棟には9人も集まって
僕が買ってきた台湾製の泡盛りでビギンを聞きながら宴会だ。
TSさんとMTさんは三線を弾いたりしていた。

YKさんとMTさん、BLさんが寝たあとは80年代のロックを聞いた。
僕が中学生だった懐かしい時代だ。
あの時は何をしていたのか、思いだしていた。

11時前、TSさんたちが星を見に行ってしまったので炊事棟には僕とYMさんだけにな
った。
音楽をYMさんの持っていたテープに切り替えレゲエタイムだ。
リズムに合わせて踊っていた。
11時過ぎ消灯しテントに戻った。

明日はYMさんは波照間に旅立つ。見送りに行こうと思う。


☆☆☆2003年4月28日☆☆☆
★★★新しい場所へ★★★

今日は早め、6時に起きた。
いつものようにコーヒーを沸かしトーストを食べた。
朝食の後、蚊が多いので浜に避難しコーヒーを飲んでいた。

7時ころYMさんも起きて撤収を始めた。
エアーロールマットがなかなか収納できなかったので手伝った。
圧縮しながら丸めないと袋に入らなくなってしまう。
8時ころには完全に撤収が終りパッキングも終った。
僕も出発の準備をした。

意外に荷物が多いな。全部積みきれるだろうか。
YMさんはテントとマットをリュックに取り付けて、他の物はバイクのキャリヤに積みこんだ。
でも後部座席に乗れるかな。乗ってみたら余裕だ。
起きていたWNさんやKPさんが見送りに来て米原を後にした。

背中にYMさんの温かさを感じて走る。
歌っている"島人ぬ宝"は歌詞が間違っているがすごく楽しそうだ。
こんなふうに2人乗りできるのも今日が最後かな。

途中トロピカルハウスに寄ってYMさんはフライドチキンを買って僕に1つくれた。
次にマックスバリューでカメラの電池とミートソースを買って港に向かった。

8時45分フェリー桟橋に到着。他に乗客はいないようだ。
窓口で聞くと、何と今日は運航がない日だった。
あちゃーっ、曜日を確認しなかったんだ。曜日感覚は完全に麻痺していた。
いまさら戻るのも大変なのでYMさんは高速船で行くことにした。
高速船の出港までまだ2時間ある。
YMさんは近くの釣具屋にタバコを買いに行くというので
さっき買ったフライドチキンを2人で食べながら歩いていった。

戻って来てから離島桟橋に行きYMさんは荷物を預けて余った時間観光だ。
バイクに2人乗りで出掛けた。
知念商会に行きYMさんはタバコと惣菜と飲み物を買って外のベンチで食べた。
その後、近くのバンナ岳展望台に登った。竹富と小浜島は見ることができた。

10時になったので100円ショップに行き買い物。
ドラッグイレブンでも買い物をしてしばらく外のベンチで休憩。
そろそろ時間になるので離島桟橋に向かった。

桟橋に着き荷物をまとめて乗り場に向かったが
乗り場まで僕が荷物を少し持って行ったが、向こうでは大丈夫だろうか。少し心配になる。
船に乗りこみYMさんは外の椅子に座っていた。
最後に「いろいろありがとね」と言って別れを告げた。
定刻に桟橋を離れ、お互い手を振った。
一度離れた船がなぜか戻って来た。2人積み残しを乗せて再び桟橋を離れた。
小さくなって行く船に手を振った。そして防波堤を回りこみ見えなくなった。

僕は桟橋を後にした。
何か力が抜けてしまった。
出会いあれば別れがある。わかってはいるんだけどやっぱり寂しい。
一緒に過ごした1週間あまり、すごく楽しかった。
明るくて楽しくて、誰とでも仲良くなれる人だった。
いつだったか、「キャンプ場で仲良くなって、別れるのって寂しくない?」って聞かれたことがあった。
やっぱりみんな同じこと、感じているのかな。
いつかまた会えるだろうか。

離島桟橋を後にし、カネヒデで台湾製の泡盛を2本買って
途中とろぴかるで弁当を調達してキャンプ場に戻って来た。
炊事棟で弁当を食べてから水着に着替え海に入った。

干潮を少し過ぎたので潮が退いていてリーフまでは泳いで行くことができない。
サンダルを履いたまま3点セットをもって歩いていった。
リーフの縁まで来ると海の色が変わった。
サンダルを脱ぎ紐で石に縛ってフィンに履き替えた。

リーフの外側は別世界だ。
底が見えなくなりコバルトブルーの海がどこまでも続いている。
下を見ると何か出てきそうで怖くなる。
しかし壁面のサンゴは見事としか言い様がない。
そしてたくさんのカラフルな魚が群れていた。
突然下の方から海蛇が急上昇してきた。一目散に逃げてきた。
40分ほどしてから歩いて戻って来た。

その後しばらくアスレチックの棟に登って小説を読んだり昼寝したりしていた。
3時半過ぎ、潮が入ってきてリーフが見えなくなった。
YKさんやKPさんも水着に着替えていたので再び僕も泳ぐことにした。
沖にはMTさんとBLさんの姿も見えた。

今度は波打ち際から泳いでいけるがリーフまでは遥か彼方だ。
15分ほどかけてようやくリーフに到着。KPさんとリーフの外まで出てみた。
さっきとは違った美しさだ。日差しがカーテンのように水中で輝いてきた。
底まではいったい何メートルくらいあるのだろうか。
1時間ほど泳いでから海から上がりシャワーを浴びた。

再びアスレチックに登り海を眺めていた。
すると右の方から何か大きな物が流れていた。
まだ近くで泳いでいたKPさんに指笛で知らせると取りに行ったようだ。
戻ってくると大きな発泡スチロールだった。
人が2人乗っても沈まないくらい大きかった。
遊ぶために陸上げしてとっておこう。

6時過ぎ、夕食を作って食べようとしたが蚊が大量発生している。
たまらず浜に出て食べていた。

暗くなり炊事棟に何人か集まってきた。
KPさんの捕ってきたサザエを焼いて食べた。味付け無しでも意外においしかった。
11時過ぎ、みんなテントに戻っていった。

明日天気がよかったら波照間に行ってこようかな。


☆☆☆2003年4月29日☆☆☆
★★★波照間へ★★★

きのうあたりから急にテントの数が増え始めた。
一般的にはゴールデンウィークと呼ばれている連休が始まった。
僕が長期の旅に出たのはちょうど1年前だった。あれからもう1年か、早いなあ。

今日は波照間に日帰りで出掛けるので早めの6時起床。
空は晴天、風もなくいい天気になりそうだ。
KPさんの友人のSUさんも今日波照間に行く。
明日から天気が悪くなりそうなので今日行くしかないだろう。

蚊の集中攻撃を避けながら朝食を作った。
攻撃は炊事棟だけではない。無防備になるトイレにまで待ち伏せ攻撃をかけてくる。
蚊取り線香を3箇所点火して攻撃を防御しなければならない。

8時10分、準備を完了しバイクで出発した。
途中トロピカルに寄って弁当を買った。
8時45分フェリー桟橋に到着し、乗船手続きをした。往復で7020円。
しばらくするとSUさんのKSR80もやってきた。
SUさんは毎年年越しを宗谷岬で迎える。
驚くべきことにバイクで、それもテントで。信じられない。

運賃と支払ってすぐに船に乗りこんだ。
バイクは僕のアフリカツインとSUさんのKSR80の2台だ。
かなり車格の違う2台だが、おかしなことに同じ料金だ。
定刻2分前、船は桟橋を離れた。乗客は4人だ。

しばらくは遊歩甲板でSUさんと話しをしていたが、眠くなったので座席で休むことにした。
気がつくと船は大きく揺れていた。外に出ると波照間が見えた。
約4ヶ月ぶりだ。バイクで来るのは1年ぶり。何度来てもいい島だな。
30分近く遅れて波照間に到着。すぐに走り始めた。

まずは最南端の碑に行く。暑い。今日はいったい何度まで上がるのだろう。
さすがGWだ。あちこちで自転車に乗った観光客を見かける。
ここは何回も来たことがあるのですぐにバイクに戻り島内を一周、ニシ浜に向かった。

坂を下り左に曲がると海が見えてきた。
うぉーっ、なんだこの色は。まるで色補正をした写真を見ているようだ。
ここはこんなに美しかったのか。僕は7回目の波照間だがこんなに美しいのは初めてだ。
バイクを止めてしばらく東屋の下で海を見つめていた
さわやかな風が吹きぬけていき、時間の流れが加速して通りすぎていく。

朝買ったお弁当を食べてから水着に着替え、さっそく海に入った。
今は干潮で潮は退ききっている。でもなんとか泳いでリーフの縁まで泳いで行けた。
ここはリーフが何重にもなっているので外に出ても安全だ。
リーフの縁はこの世のものとは思えないほどの美しさだった。
そういえばここニシ浜で泳いだの初めてだったな。
しばらく竜宮城気分を満喫した。浜に戻ると1年、否1時間が過ぎていた。

シャワーを浴びて着替えて富嘉部落に向かった。
何回か巡回したけどYMさんの言っていた宿を見つけることができなかった。
携帯も通じないのでメールして港に向かった。

出港まで20分位以上あったので、ターミナルの前にバイクを止めるとすぐに積めという。
どうやら僕のバイクが最後で、早く荷役を終えたいようだった。
指示に従ってバイクを止めターミナルで待っていた。
そろそろ乗ろうかな、と外に出ると「やじさーん」という声がきこえた。
YMさんが見送りに来てくれた。
黄色いナンバーのスクーターに乗っていたが免許持っているのだろうか。

だんだん離れていくYMさんに手を振った。
ほぼ定刻に船は桟橋を離れた。
少しづつ小さくなっていく波照間を見ながら波に揺られていた。
大きなピッチングに加えローリングも大きい。
船内の座席で休むことにした。

客室とブリッジのドアは開け放たれていた。
除いてみると舵の前には誰もいない。自動航行なのだろうか。
しばらくすると舵の前側から誰かが手を伸ばし、ツマミのような物を操作していた。
船員の何人かは座席に寝ていた。こんなんでいいのだろうか。

八重山の島々を横に見ながら石垣の街が見えてきた。
定刻から少し遅れて石垣に到着。SUさんに別れを告げ走りだした。

BIG1でライオンタイガーの蚊取り線香、カネヒデで見切り品の弁当を買って戻って来た。
すぐにシャワーを浴びたが蚊の攻撃がすごいので浜に避難。
PTさんがリジュリジュを吹いていた。TSさんは全然音が出なかったが
YKさんはいい音が出た。なんか難しそうだ。

今日は米原も強烈に暑かったという。
川平の方向には雲がなく、きょうこそはサンセットが見られるだろう。
いつもは隠れてしまう太陽も、今日は遮るものなく地平線に沈んだ。
ここにきて初めて見たサンセットだった。

サンセットから10分くらいしてSUさんがKPさんを訪ねてきた。
しかしKPさんはさっき街に向かっていた。完全な入れ違いだ。
それにSUさんは途中燃料が少なくなり給油に戻ったためサンセットに間に合わなかった。
その後炊事棟に戻り煙で蚊を防御しながら弁当を食べた。

しばらくして西表に行っていたジェベルのライダーが帰ってきた。
彼らの所に行き今夜も宴会。11時ころ浜に出た。
無数の星が輝いていた。時折流れ星も見られた。

12時近くなって隣でTSさんたちが焚き火を始めた。
僕はそこへ移動、12時半ころ焚き火が燃え尽きお開きになった。


☆☆☆2003年4月30日☆☆☆
★★★嵐の予感★★★

今日で4月も終りか。早いなあ。
昨日はちょっと飲みすぎたかな。6時ころ目が覚めたがまた寝てしまった。
7時前、再び目が覚めたが頭が痛い。

炊事棟に出てコーヒーを沸かした。コーヒーを飲むと少しよくなった。
海はベタ凪ぎ、雲も海面に写っていた。
しかし水平線は霞んでいて見えず幻想的な風景だ。
この光景は天気が崩れる前兆だ。

しばらくすると海の向こうが真っ暗な雲に変わった。
やがて風が吹き始めた。前線が近付いているようだ。
緊張感が走り、みんな雨対策を始めた。
僕も洗濯物をタープの下に移した。

そして雨が降り始めた。でも少し降っただけで大雨にはならなかった。
街の方は大雨だったようだ。

昼近くなり雨も上がったのでみんなで知花食堂に行くことにした。
僕とMDさん(夫)KPさん、SUさん、OGさん、WNさんの6人だ。
他にも米原から3人のキャンパーが一気に店に入った。
同時に車が2台到着し、店内の席は空いていなかったので外の席に座った。
今日はそばの(小)とライスを食べた。

食べ終わってキャンプ場に戻って来たが風が強く寒い。
しばらく話しをしていたがテントに戻りシュラフにくるまった。

どこからか三線の音が聞こえてきた。
外に出ると管理棟の前でニトロさんが三線を弾いていた。
ニトロさんはミナコさんのHPにも登場する人で、
僕が時々ミナコさんの掲示板に書き込んでいたのも知っていた。
世間は意外に狭いんだなあ。

今日も女の子が2人来てテントを張り始めたの行ってみると英語を話していた。
見たところは日本人と区別ができない。日系人のようだがカナダから来たという。
何か外国人向けのガイドブックに出ているのかな。
最近外国の人がたくさん来る。

海には海上保安庁の人がゴムボートを出して何か撮影していた。
いったい何を調べていたのだろう。沖合にも海保の巡視船が見えた。
それに最近毎日ヘリコプターも飛んでくる。

夕方炊事棟に行きミートソースを作って食べた。
その後MDさん夫妻とTSさん、WNさん、KPさんもやってきて話しをしていた。
11時ころ、今日は寒かったので早めにお開きになった。


☆☆☆2003年5月1日☆☆☆
★★★みんなで合奏★★★

今日から5月。でもここにいると月日の感覚がなくなっています。

朝目が覚めると6時前、KPさんの見送りには間に合わなかった。
でも清水町なんですぐ近く、NMさんも沼津だ。みんなで集まれるだろう。

日記をアップしてからテントを出た。
昨日買い物に行けなかったので菓子パンとコーヒーで朝食。
今日は曇り空だが雨の心配は無さそう。でもちょっと風が冷たく感じられる。

食事の後は久しぶりにサマーベッドを浜に出して蚊の攻撃をかわす。
ラジオを聞きながらゆったりとした時間が流れていく。
去年のような喧騒は、まだ無い。

昨日来た日系のカナダ人はテントを撤収していた。
街までヒッチで行くというのでTSさんが"まち"と書かれた段ボールを渡した。
裏には"米原"と書かれていて、ヒッチハイクに使ったらしい。

炊事棟にいると、おじさんがやってきて「アルバイトしないか」と聞かれた。
タバコの葉の収穫の仕事だ。最近は毎日のようにバイト募集が来る。
製糖が長引いていて、人手不足のようだ。
僕はバイトをするつもりはないので断った。

浜に出てみるとこの前使わなかった長い薪が放置されていた。
僕はノコギリで適当な長さに切って櫓を組んだ。

昼近くなったのでこの前休みだったタカシマ食堂に行くことにした。
僕とWNさん、それと今日帰るOGさんも一緒に行くことになった。
125ccのWNさんを先頭に走る。こうして何台かで走るのも楽しいな。
街が近付いたので僕に先頭を代わった。

MTさんに聞いた通りに行ったのだがなぜか見つけることができなかった。
一方通行の出口まで来てしまったのでMTさんに電話すると
その食堂は通りには直接面してなく、駐車場の奥にあるという。それで見逃したのか。
このあたりは一方通行なので1つ先の路地を逆方向に戻り、再び今来た路地を進んだ。
しばらく進むと駐車場の奥に"高縞"と書かれた建物を発見。ここだったのか。

バイクを止め中に入るとほとんどは高校生だ。ここは八重山高校の正門前。
レストランと書いてあったがこれはレストランというよりむしろ学生食堂だ。
僕はこの店で一番高い"カツカレー"を頼んだ。
ご飯とルーはセルフサービス。自分で好きなだけ盛れる。
ルーはお替り自由だがご飯は最初の1回だけ。ちょっと多いかな、くらい盛った。
これでなんと350円。他にはカレーが300円、チャーハンは200円だ。
食べ始めると、授業が終ったのか、高校生が大挙して押し寄せてきた。
みんなおばちゃんに注文しているが、よくあれだけの数をさばけるな。感心してしまう。
本当に学食のようにごったがえしている。
そんなに食えるのかよ、と思うほど盛っている高校生もいた。

僕達もお腹いっぱいになり混んでいるので早めに店を出た。
僕とWNさんはマルチメディアセンターへ、OGさんは米原へ向かった。
マルチメディアセンターでは1時間ほどネットをしてマックスバリューに向かった。

マックスバリューでは食パンとお菓子、100円ショップでは釘と針金、熊手を買ってきた。
明日は潮干狩りに行く予定だ。

キャンプ場に帰ってきてシャワーを浴びた。
その後アスレチックの塔に登って小説を読んでいた。
すると与那国に1泊で行っていたNSさんが帰ってきた。
おみやげに"どなん"(60度の泡盛)をいただいた。

夕方、浜からジャンべーの音が聞こえてきた。
行ってみるとTSさんたちが集まって何か合奏をしていた。
楽器はみんな持ち寄ったもの。鉄筋をたたいたり鐘をならしたりさまざまだ。
僕も参加することになり、近くにあったサンゴを紐で吊るしてたたくときれいな澄んだ音
がした。
リジュリジュを借りて吹いてみると意外に簡単に音が出た。
アフリカの原住民のお祭りのようだった。
しばらくみんなで遊んでいた。

6時ころ、僕は夕食を作るために炊事棟に戻った。
夜になって島人が農業用のトレーラーを引いてきた。
すごい装備だ。発電機にガーデンチェア一式、トレーラーはシートを掛けテントに。
NSさんはテントが明るいと言っていた。
かなり遅くまで発電機の音が響いていた。

今日は早め、11時半ころ眠りについた。


☆☆☆2003年5月2日☆☆☆
★★★潮干狩り★★★

毎日ラジオからは新型肺炎のニュースが流れてくる。
いったいどうなってしまうのだろう。もう一度中国へは行きたかったんだけどな。

6時過ぎに起きて日記のアップをして7時ころテントを出た。
天気はまあまあ。天気予報では高気圧の縁にあたり曇りの予報。
コーヒーを沸かしトーストを食べた。

朝食の後は蚊の攻撃を避けるため浜にサマーベッドを持ちだし避難。
だんだん天気が回復してきたので洗濯をした。

そして昼から出掛ける潮干狩りのために熊手を作り始めた。
ゴミ捨て場に行くとパイプ椅子の残骸があったので適当な所で折って
ハンマーを使って先端を潰し、7センチほどの所を石垣を使って曲げた。
それを2個作って針金でまとめ、ビニールテープを巻いて完成だ。

NSさんは最初ファイバーのポールを使って作ろうとしたが固定できないので諦めて
落ち葉を集める熊手を改造して作っていた。
他にも何か太い針金を曲げて作ったようだ。

11時過ぎ、トミーのパンに行ってツナとチーズのフランスパンを買って昼食にした。

11時55分、米子焼きの駐車場に集合。潮干狩りの参加者は全部で8人。
僕とWNさん、NSさん、ガエル、TSさん、UKさん、そして米子焼きの2人。
3人はバイクで、5人は軽のワンボックス車で出発。定員オーバーじゃないか。
川平線を南進し、唐人墓の手前で浜に向かった。

先頭に案内役のおじさん。ハブの季節なので棒で藪をかき分けながら進む。
その後ろを靴を履いている人が行き、最後にサンダルの人が進んだ。
藪を抜けるとすっかり潮が退いた海岸が見えてきた。
砂浜の先の小石がぎっしりと敷き詰められたような所に出た。
このあたりにいるらしい。

僕は昨日熊手を買ってあったので、作ったものをWNさんにあげた。
早速適当な所を掘り始めるが要領を得ない。
するとおじさんが「あった」と声をあげたので、その付近を掘ると貝が出てきた。
意外に捕れるもんだな。でも出なくなると全然出てこない。
どうやら鉱脈のようなものがあり、集中的に棲息しているようだ。
他の人は散りじりになったので僕は同じ所を集中的に掘った。

大きな貝が見つかると嬉しくなる。みんな黙々と掘っている。まるでゴールドラッシュだ。
1時間ほどで、プラスチックの熊手の真中の骨が折れてしまった。
これでは効率が悪い。他の人の様子を見に行くと僕が一番たくさん捕っていた。
WNさんにあげた熊手もかなり使えているようだった。
NSさんが作ってガエルにあげた物は柔らかすぎてあまり深く掘れないようだった。

陽が出てくると暑い。強烈な日差しだ。背中がヒリヒリするよ。
そのうちもう一本の骨も折れてしまったので戦意喪失。
3時ころまで掘っていて約40個の貝をGETした。この貝どうしよう。

その後僕は楽園を偵察に行った。
テントは30張り以上はあっただろうが、やはり昼間の楽園は4人しかいなかった。
日陰が無いので暑くてとてもいられない。
僕も去年、1泊で撤収した記憶がある。
楽園を出て街に行き預金を降ろしてキャンプ場に向かった。
於茂登トンネルを抜けると路面が濡れている。この辺りだけ雨が降ったようだ。

キャンプ場に戻ってきて荷物を降ろしてシャワーを浴びた。
しばらくアスレチックの塔に登って小説を読んでいた。
村上春樹の小説を読むと学生時代だったあのころを思いだす。

あのころのみんな、今は何してるんだろう。
いつも電車で隣に座っていた人とも、一度も話すことはなかった。
僕のことを覚えている人は、いったい何人いるんだろう。
誰もが、喧騒の中、無関心で足早に通りすぎていく。
でも、その中に、僕は確実に存在していて、そしてその時代を生きていた。
こことは対称的な世界だったな。ここのことなんて知る由もなかった。
もうこの世界から、抜け出せなくなるような気がする。
そんな生き方も、有りかなって思う。

夕方、ご飯を炊いて夕食を食べた。
その後昼間捕ってきた貝を食べることにした。
どうやって調理するか3人で考えた末、まず酒蒸しにしてみた。
酒はどなん。フライパンに注いだ瞬間、激しく炎が上がった。まるでフランス料理だ。
しかし中まで焼けず失敗。直火で焼いた方がよさそうだ。

網を取り出しゴトクにアルミホイルを敷いてコンロで焼き始めた。
いいにおいが広がって貝が開いた。
焼きあがったようなのでWNさんが試食した。うまいらしい。
でも腸(はらわた)が気になるのでそれ以外の所を食べることにした。
僕も1つ食べてみたが普通の貝と味は変わらなかった。

腸は集めておいてTSさんたちのヤドカリ牧場に持っていった。
しばらくして行ってみると、大量のヤドカリが集まってひしめきあっていた。
ヤドカリの引越しの瞬間も見ることができた。
小さい貝はTSさんに譲った。
11時過前テントに戻って休んだ。

明日からは連休本番。僕も観光気分を味わうために離島にい行ってみようかな。


☆☆☆2003年5月3日☆☆☆
★★★まあちゃんライブ★★★

昨日は急遽西表島に行ってしまったので後日アップしました。

朝6時ころ、何かの物音に目が覚めた。
WNさんがテントの撤収を始めたようだ。それにつられてNSさんも起きてきた。
2人とも今日米原を後にする。WNさんは西表に、NSさんは宮古に旅立つ。
2人がいなくなると僕のテントの周囲には誰もいなくなってしまう。

2人ともテントの撤収を終え、8時過ぎ、WNさんは荷物を積み終え米原を後にした。
WNさんは1週間後には再び米原に戻ってくる予定だ。

しばらくすると地元の人か、僕のテントの周囲を探索している。
いよいよ来たか。今日から連休後半の3連休だ。どうなるんだろう。
早速荷物を降ろし始め、5人用の巨大なテントを設営した。
その後も次々と車がやってきてテントを張り始めた。
あっというまに5張りのテント村ができ、空白のスペースが埋まってしまった。
さらにテントの間にテーブルや椅子などの大量の資材を置いていった。
まるでテントの展示場になったようだ。

10時ころ、NSさんが出発していった。

これじゃ夜が思いやられるな。なんとかここを抜け出せないかな。
TSさんのところに偵察に行くと、PTさんが今夜西表にライブに行くという。
聞くと"まあちゃんバンド"が浜でライブをやるらしく入場無料だ。

これは行くしかないだろう。急遽島抜けが決定した。
今日は鳩間島の音楽祭もある。何とか両方行けないだろうか。
鳩間島には臨時の高速船が出るようだが時間が合わない。
鳩間に行ってしまうと西表に行けなくなってしまう。
それに今からでは間に合わない。よって西表行きに決定。
ライブの後、浜で野宿するらしい。僕もそうしよう。

5時ころの上原行きの船で行くことに決まったのでしばらくまったり。
シャワーを浴びたあと、サマーベッドで小説を読んだりしていた。

3時ころ、みんな街に向けて出発。
以前からいたキャンパーの半数が西表に向かったようだ。
途中100円ショップでシートとバッグ、マックスバリューでお菓子を買った。
ちょっと物足りないのでホッパーでおむすびを2個調達した。
離島桟橋にバイクを乗りつけガードレールにバイクを繋いだ。
一晩くらい大丈夫だろう。ヘルメットは念のためコインロッカーに入れた。

少し早く着いたので、僕は4時10分の上原行きに乗った。
見たところ米原キャンパーは僕を含めて5人乗っていたが
他の人達は5時の最終便で向かうようだ。

上原に着くと送迎バスが来て、会場まで無料で送ってくれた。
5時過ぎ、星立の浜に到着、リハーサルの真っ最中だった。
開演は7時、とりあえず一番いい場所を確保した。
防波堤に座って待っていると、「おじいの船を出すので手伝ってください」と言われた。
近くにいた4人で浜に行き、浜に乗り上げていた船を海へ押しこんだ。

6時を過ぎると続々と人が集まってきた。
送迎バスは超満員で到着。降りてくる人を見ていると見たことのある人が。
先頭を歩いてきたのはYMさんだ。今朝出発したWNさんもバイクでやってきた。
ガエルも来た。この島のキャンパーのほとんどが来ているんじゃないかな。
TSさんたちもこのバスでやってきた。

7時過ぎ開演、僕は泡盛りを飲みながら見ていた。
前半は民謡やスローな曲。途中休憩が入った。

9時過ぎ、テンションが上がってきてみんな立ちあがってステージの周りに集結した。
僕も座っていられずステージに駆けよって踊りに加わった。
とたんに暑くなり汗ばんできた。下が砂なので結構疲れる。
10時過ぎまで歌って踊って大満足なライブだった。
終演後、一緒に記念写真を撮ってもらった。

ライブの後はすぐに後片付けが始まって、あっというまに撤収されて照明が消された。
しばらく誰かがジャンべーを叩いていたが、ホテルから苦情が出たらしく鎮圧された。

みんなこのまま浜に野宿しようということになった。
そのためにシートとシュラフを持ってきた。
MTさんたちは既に浜でシュラフにくるまって寝ていた。

しかし11時過ぎ、急にキャンプ場に行こうということになった。
僕はテントは持ってきていなかったが、他の人達も持っていなかった。
キャンプ場で寝るのもまあいいかな。
というわけで最終のバスに乗ろうとしたがとても乗りきれない。
再び浜で野宿しようという声も上がったが、バスがもう1便来ることになった。
僕達はそのバスに乗って某キャンプ場まで向かった。
キャンプ場に着いたがもう受け付けは終了、適当に寝ることにした。
管理人が来たら受付をしようということになった。
僕は眠くなり12時ころ寝てしまった。


☆☆☆2003年5月4日☆☆☆
★★★テントラッシュ★★★

6時過ぎ目が覚めた。外はだいぶ明るくなっていた。
久しぶりに平らな所で寝たような気がした。
6時半ころまで寝ていようとしたが、目が冴えて眠れないので、
起きてトイレに行き歯を磨いた。

僕とYKさんは7時半の船で石垣に戻る予定。YKさんは今日も仕事がある。
6時55分になっても起きてこないので起こすことにした。
すると一度6時に起きたけどまた寝てしまったらしい。
すぐに準備をして港に向かった。

歩いてキャンプ場を出た。僕達二人は結局手続きをしなかった。
後の人達にまかせよう。
10分ほどで港に到着。切符売り場は遠いので現金で乗ることにした。
YKさんは他社の帰りの切符まで買ってしまってったので石垣で払い戻すことにした。
同じような人が他にも2人ほどいた。

YKさんがトイレに行くというので待っていたら、なぜか切符を買ってきた。
地元の人に乗せてもらって売り場まで行ったらしい。

定刻に船が入ってきて西表を後にした。こんなに短い滞在は初めてだ。
本当は探検もしたかったんだけど準備不足だった。またの機会にしよう。
海は凪いでいて揺れはほとんど無かった。
石垣にも定刻に到着。バイクは無事だった。
窓口に行きYKさんは払い戻しをしたが、手数料はかからなかった。
僕はコインロッカーからヘルメットを取り出し港を出た。

途中マックスバリューでパンを買ってキャンプ場に戻った。

キャンプ場に着くと思わず目を疑いたくなった。
もうこれ以上テントを張るスペースがないというくらいテントがぎっしりだ。
場内に張りきれず、浜にまでテントを張っている人が入る。
車もぎっしりと止まっていた。想像以上の混雑ぶりだ。

テントは無事だったがサマーベッドが無いな。
きのう出しっぱなしだったかな。しまったような気もするけど。
周りを見まわすとすぐ近くにあって荷物がたくさん乗せてあった。
僕は近くにいた人に「この荷物は誰のかねえ」と言うと
おばちゃんが慌てふためいて曰く「ああ、すみません。すぐに片付けましょうね」と。
まあ見つかってよかった。

MDさんも昨日は米原を抜け出していたようだ。
一緒にキャンプ場の隅まで行ってテントの数を数えると、なんと82もあった。
そのほとんどは5人用の大型テントだ。張り綱で歩くのにも苦労する。
ヒガさんも大いそがしだった。

僕はテントに戻って荷物を整理していたが、そのうち眠くなって寝てしまった。
気が着くと12時だった。

周りは騒がしくてここじゃとてもゆっくりしていられない。
僕はバイクで出掛けることにした。
気温は30度近くまで上がっているようで、Tシャツでも暑いくらいだ。
名倉ダムの手前から林道に入り、於茂登登山口入口付近まで行って山道を戻った。
ダムの堰堤に登ると上流左岸方向に何か新しい建物が見える。
いったいあれは何だろう。トーチカのようにも見える。さっそく行ってみることにした。

さっきの林道を進むとまだ工事中の所があり、歩道をバイクで強引に進むとそれはあった。
木で壁が作ってあって、所々長方形にくり貫いてある。
そしてダム湖方向の木が伐採されていて湖面が見とおせる。
ロケーションは抜群だ。バードウォッチング用の施設だろうか。
そこのベンチにすわってしばらく休憩。喧騒を忘れられる貴重な時間だ。

その後バンナ岳から街に出て買い物をしてキャンプ場に戻った。
少しテントの数は減ったようだが相変わらずだ。
考えてみればこんなに賑やかになるのは1年でもほんの数日。
逆に楽しんでしまえばいいんだよな。賑やかなキャンプ場も楽しいかも。

みんなそれぞれ調理器具を持っているので炊事棟は閑散としている。
コーヒーを沸かしてサマーベッドを木陰に出した。
しかしそこらじゅうにテントがあるのでスペースを探すのにも苦労したよ。
しばらく海を見ながらコーヒーを飲んでいた。

6時過ぎ、炊事棟に戻り買ってきた弁当を食べた。
浜に出るとYKさんたちがいた。蚊の攻撃を避けているようだ。
今日はターゲットがたくさんいるのであまり蚊に刺されなかったな。

聞いてみるとまだTSさんたちは帰ってきていなかった。
YKさんは「あの人達は先のこと考えないから…」と言っていた。
なるほど、僕はまだその域にまでは達していない。

しばらくするとUKさんから電話があり今日もキャンプ場に泊るらしい。
今日はお昼からピナイサーラの滝に行ったという。
いいなあ。僕ももう少し装備があれば行ったのにな。
でも彼らは僕よりも身軽だった。
僕はキャンパーとしてはまだまだだな。

暗くなってからは隣のテント村が賑やかになってきた。さかんに長渕剛の曲を流している。
とても落ちついていられないでYKさんのテントの方に避難。
僕とYKさん、OKさん。NAさんの4人で島酒を飲んでいた。

10時過ぎ、風が強くなり寒くなったのでテントに戻ったがとても寝られない。
ラジオ深夜便のテーマが聞こえてきたが、子供達のはしゃぐ声が聞こえ
深夜とは思えないほどの賑やかさだ。

結局2時過ぎくらいに静寂を取り戻した。


☆☆☆2003年5月5日☆☆☆
★★★嵐のあと★★★

午前6時、物音と人の声で目が覚めた。
隣のファミリーキャンパーがもう起きたようだ。子供の声が聞こえる。
日記をアップしてから6時半過ぎテントを出た。

炊事棟はファミキャンはほとんど使わないので特に問題無く使える。
朝食の後はサマーベッドを浜に出してラジオを聞いていた。

今日で連休も終り。ファミキャンは次々とテントを撤収している。
でもまだかなりの数が残っている。相変わらず賑やかだ。

トイレに行った帰り、YKさんから「OKさんのバイクのエンジンがかからない」ことを聞いた。
これは僕の出番じゃないか。早速行ってみて状況を確認。
バッテリーが弱っていてセルが1回転くらいしかしない。
他の電装品は正常に作動する。
キックも付いているのだが固着して使い物にならない。
スクーターだから押し掛けも不可能だ。ケーブルを使うしかないな。

しかしこのスクーター。バッテリーがどこにあるのかわからない。
あちこち開けてみるが見当たらない。
こうなったら最後の(本当は最初の?)手段、"取扱説明書"だ。
幸いシートの下に入っていたのでページをめくって確認。
どうやらメンテナンスフリーなのでフロントカウルの中らしい。
まずフロントバスケットを外さなければならない。工具が必要だ。

一度炊事棟に戻り案を練る。
バッテリーは完全にあがっていないので、ケーブルは100V用で足りるだろう。
余っていた電源コードを切り詰めて2メートルほどを確保した。
これでどうにかなるだろう。
バイクに乗ってOKさんのバイクのところまで行った。

フロントバスケットは意外に簡単に外れたが、
カウルを固定している埋めこみナットの1箇所が空回りしてしまっている。
引っ張りながら回すとナットごと取れてカウルが外れた。
ナットは叩きこんでおけばいいだろう。
ケーブルの片側の途中をカットして安全を確保し、バッテリー同士を繋ぎ、カット部分も繋いだ。
アフリカツインのエンジンをかけ、次いでスクーターのセルボタンを押した。
セルは勢いよく回り、2秒ほどでエンジンがかかった。
YKさんは思わず「やじさん、かっこいいー」と言った。
こんなのは僕にとっては朝飯前なんだけどな。少し恥ずかしくなった。

しばらくしてOKさんが戻ってきて、街にバッテリー交換にでかけるという。

隣のファミキャンはテントは撤収したけれどテーブル類はそのままで宴会を続けている。
僕は喧騒を避け、でかけることにした。それにちょうどお昼だ。
知花食堂に寄ってそばとご飯を食べて川平線で街に向かった。
しかし途中で雲行きが怪しくなってきた。
僕はUターンしてウガン崎方面に行ってみた。
以前から気になっていた"電信屋"という所に行ってみたが、こんなもんかなあという感じだった。

一度キャンプ場に戻り、今度は於茂登トンネルから開南方面から街に向かった。
こちらはいい天気で雨の心配は無さそうだが路面が少し湿っていた。

まずK-MAXにいってみたら今日は休み。
メイクマンでカンカラ三線を探したが売ってなかった。
サンエーでロトを買おうとしたら2時まで昼休み。うまくいかないので帰ることにした。

キャンプ場に戻るとテントの数はかなり減り、30余り。
代わりに大量のゴミが山積みになっていた。
ヒガさんに聞くと3日間で15万くらいの売上?だそうだ。
今年はファミキャンのマナーが例年に比べよかったという。

5時過ぎ、ファミキャンの全てが撤収して静寂が戻った。
しかし僅か数時間でこうなってしまうと寂しさを隠しきれない。
哀愁をも感じてしまう。兵どもが夢のあと、という感じだ。

炊事棟を掃除していると隣にMTさんの友達の家族がテントを張った。
なぜか少しの安堵感を感じた。
僕は炊事棟でスパゲティーを作って食べた。

薄暗くなってきてから浜にでた。こんなに静かだったのか。
心地よい風に吹かれながら夕焼けに染まる雲を見ていた。
しばらくしてMDさんも出てきた。
沖合には豪華客船が航行していた。
僕の残りの人生に、あんな船に乗る機会はあるのだろうか。

周りがすっかり暗闇に包まれたころ、炊事棟に戻り僕は泡盛りを飲んでいた。
11時過ぎ、誰もいなくなった炊事棟で、一人波の音を聞き風に吹かれていた。

ちょっと飲みすぎたかな。
蝋燭を吹き消しテントに戻った。


☆☆☆2003年5月6日☆☆☆
★★★静かな朝★★★

昨日は少し飲みすぎたかな。
6時ころ目が覚めたがなかなか起きられなかった。
7時ころまでうとうとしていたが、思いきって起き上がりテントを出ると、
久しぶりにすがすがしい青空を見ることができた。静かな朝だ。
ここのところずっと曇り空だったからな。
今までのもやもやがすっ飛んで行った感じがした。

炊事棟に行き、昨日MDさんからもらった食パンを焼いてトーストを作った。
といっても食パンの両端の部分なので、片側はいわゆる"耳"だ。
片側だけ焼いてバターを塗ると意外とおいしかった。
コーヒーを飲んですっきりした。

蚊の攻撃は日に日に激しさを増してきた。蚊取り線香は焼け石に水だ。
シャツやズボンの上からも刺されてしまう。
たまらず浜にサマーベッドを出して避難した。

蚊もいなくなったので、アスレチックの塔に移動し小説を読んでいた。
村上春樹の小説を読むと、僕は学生時代にタイムトリップする。

一度何かがうまくいかなくなる。
するとそのうまくいかないことが別のうまくいかないことを生み出す。
そしてその状況はどこまでも悪くなり続ける。
どうあがいても、そこから抜け出すことができなくなってしまうのだ。
誰かがやってきて、そこからひっぱりだしてくれるまで。


久しぶりに晴れた空を見たせいもあり泳ぎたくなってきた。
11時前、水着に着替えて海に入った。
気温に比べ、今日は水温は低く少し寒く感じられた。
それでもいつのまにか熱帯魚の数も増え、30分ほど自然の水族館を堪能した。

海から上がり簡単に昼食を作って食べた。
そしてバイクで街に向かった。
マルチメディアセンターに行き、2時間ほどネットをしてから
サンエーの宝くじ売り場に行きロトを買ってキャンプ場に戻って来た。

しばらくするとTSさんたちがヒッチで戻って来た。
僕はTSさんから、透かして見るとステンドグラスのような貝をもらった。

再びアスレチックの塔に登り、仰向けに寝て空を見上げた。
真上には大きく欠けた真っ白の月が見えた。
高い雲が時折その姿を隠していた。
その下を低い雲が別の方向に流れている。
いつのまにか僕は夢の世界へ行っていた。

5時過ぎ、WNさんが戻って来た。
どうやら"星の砂"と"星砂亭"キャンプ場を間違えたらしい。
間違えて"星の砂"に泊ってしまい、居心地が悪いので帰ってきたようだ。

その後ご飯を炊いて夕食にしたが、蚊が大量発生してとても炊事棟にいられない。
すぐに浜に避難して食べた。

食事のあと、再び浜に出るとTSさん、OKさん、YKさん、NOさんもいた。
少しづつ傾いていく太陽を見ていたが、突然同心円上に虹が現れた。
虹は海面にも映ってなんとも幻想的な風景だ。
それが30分以上も続いた。
やがて空はオレンジ色に染まり、太陽は一度雲に隠れたが
地平線近くで再びその姿を見せ、川平に沈んでいった。
こんな夕陽は滅多に見られないな。

太陽が沈んだ後、UKさんが海に入り、TSさんは波打ち際にいた。
僕も行ってみると、TSさんが不思議な物を発見。なんだろう。
水の中に、やや褐色をした6〜7センチくらいの物体だ。
UKさんがサンゴのかけらでつついてみると色が白く変わり移動した。
よく見ると小さなイカだった。

観察を続けると瞬時に白くなったり茶色になったり、縞になったりもした。
薄暗くなり、UKさんも海から上がり食事の準備に戻っていった。

僕は炊事棟に戻り、WNさんと泡盛りを飲みながら
WMさんのパッカーで世界を旅した時の話しを聞いていた。
気が付くともう11時を回っていた。
テントに戻りラジオ深夜便を聞きながら夢の中へ…。


☆☆☆2003年5月7日☆☆☆
★★★サメかっ?★★★

一度6時に目が覚めたけどまた寝てしまった。
再び目が覚めたらもう7時だった。
すぐに起き上がり日記をアップしてテントを出た。
今日もいい天気で暑くなりそうだ。

炊事棟にはすでにWNさんがいて朝食の準備をしていた。
僕はコーヒーを沸かしてトーストを作った。
僕もワンパターンだがWNさんは朝も夜もパスタだ。

その後しばらく小説の続きを読んでいた。
そのうち暑くなってきたのでシャワーを浴びた。水シャワーが気持ちいい。
髪が乾くのを待って僕は街に出掛けた。

まず郵便局に行って局留めの郵便を受け取ろうとしたがまだ来てないという。
1日に発送しているのにおかしいな。他の局に送ったのかな。

一度外に出てIMさんからのメールを確認すると、やはり1日に発送している。
文章をよく読んでいくとMDの他に、ヒガさんのために黒糖も送ったことになっている。
ということは小包かも。今まで何度も窓口で「普通の郵便です」と言ってしまっていた。
だから見つからなかったんだ。
再び窓口に行き「小包かもしれません」と言うと、局員が奥の方に行って荷物を持ってきた。
やはり。消印は5月1日になっていた。

局を出てすぐ近くの写真屋に行った。
DELLコンピューターと僕の持ってきたメディアリーダーの相性が悪く
マルチメディアセンターのパソコンにインストールできなかった。
そこで写真屋にメディアを持っていってCDRに焼いてもらうことにした。
少し時間がかかりそうなので、あさひ食堂に行ってあさひ定食を食べた。

昼食を食べ終わってしばらく街を流してからさっきの写真屋へ行った。
CDRは焼き終わったようだがインデックスがまだプリント中だった。
店の人は富士山に登ってみたいようで、その話題になった。
数分後プリントが終りCDを2枚受け取った。

それからマルチメディアセンターへ直行。
早速CDを見たが画像が大きすぎる。画面に入りきれないくらい大きい。
オリジナルサイズは640×480だったはずだ。
どうやら写真屋の機材はプリントを前提に設定されているらしい。
これじゃ400kB以上あるので掲示板に載せられない。
画像編集ソフトで落とせばいいんだがそんなこと200枚もやってられない。
あきらめて他のPCで試してみるが、やはりエラーが出てしまう。

仕方ないのでセンターを出てPCショップを探した。
するとすぐに見つかったので行ってみたが
スマートメディア対応のリーダーは置いてなかった。やっぱりダメか。
あやぱにモールのやいまワールドはどうだろうか。
行ってみるとなんと夜逃げでもしたように内装がすっかりなくなっていた。
どこかへ移転してしまったのだろうか。でも案内もなかった。
もうあきらめるしかなさそうだ。買えってからアップしよう。

キャンプ場に戻って来たが暑い。
潮は退き加減だが泳ぐことにした。
見たところリーフはまだ出ていない。リーフまで泳いで行けるだろう。
水着に着替えて海に入ったのだが意外に浅い。
途中泳げるほどの水深もなくなりフィンを付けたまま苦労して歩いた。
リーフの縁の入江に到着し泳ぎ始めた。
すると小さな魚を追って大きな魚がやってきた。1メートルはある。
うわっ、サメだ。一目散に岸を目指したが、振りかえるとロウニンアジだった。
助かった。

しばらくはその入江で美しいサンゴと熱帯魚を鑑賞していた。

30分ほどしてから戻ろうとしたが、さらに潮が退いてしまいとても泳げない。
あきらめてペタペタとゆっくりと歩きながら帰ってきた。

シャワーを浴びてからアスレチックの塔に登ろうとしたら子供がネットをよじ登っていた。
MTさんの友達の人の子供だった。
危ないのでしばらく様子を見て一緒に遊んだ。
そして小説の続きを読み始め、やっと最後まで読み終わった。

村上春樹の小説はハッピーエンドにならないことが多い。
この国境の南、太陽の西もそうだった。
そしていろいろなことを考えさせ、自分の記憶と照合する。
あんな生き方もあるんだなって。

しばらくしてMTさんの友達の家族が帰っていった。
入れ違いのように去年米原で会って僕が帰るまで楽園で一緒だったNMさんに再会。
そしてニトロさんも現れた。

旅人が訪れては去っていくこの米原。
出あいと別れの繰り返し。
決して同じ一日、同じメンバーなんてありえない。
でも、この日記に、そして僕の記憶に、今まで出あった人全員が残っている。

夕方、スパゲティーを作ったが、炊事棟は蚊が大量発生してきた。
とてもいられないので浜にサマーベッドを出して食べた。
今日もきれいな夕陽を見ることができた。
僕は暗くなるまで西の空を眺めていた。

その後炊事棟に移動しIMさんからもらったMDを聞いていた。
しばらく一人で泡盛りを飲んでいたが、そのうち何人か集まってきた。
TSさんは60度のどなんを平気な顔をして飲んでしまった。

夜遅くなってOKさんとNOさんもやってきた。
いろいろな話しをしているうちにいつのまにか日付が変わっていた。
1時半ころみんなテントに戻った。


☆☆☆2003年5月8日☆☆☆
★★★暑い…★★★

目が覚めたら7時を過ぎていた。昨日はちょと遅かったからな。
テントを出ると異常に暑い。気温は28度。熱帯夜だったんだ。

炊事棟にはすでにWNさんが来ていて朝食の準備をしていた。
僕もコーヒーを飲みながらトーストを食べた。

しばらくするとUKさんがやってきた。
今日はSG基地の探検に行く予定になっていた。
SGさんが外に出てきた時に行こうということになったので
持ってきたトランシーバーを1つTSさんたちに渡して連絡をとることにした。
しかしこういう時に限って姿を現わさない。
あまりの暑さに耐えきれず水シャワーを浴びた。
11時過ぎ、UKさんは友人を見送りに行くというので作戦は延期になった。

それじゃ泳ごうか。気温も30度。さっそく水着に着替えて海に入った。
今日の海水は温かく、ずっと泳いでいても寒さを感じなかった。
しかし流れが早い。フィンを外してみたら流れに逆らって進めなかった。

この前海上保安庁の人が来て調査していたのはどうやらリーフカレントらしい。
ここは通常でも1ノット。最大4ノットの流れがあるという。
4ノットもあったらフィン無しじゃ完全に流されてしまう。
まあ冷静になって流れから外れればいいんだけど、パニックになっちゃうんだよね。

30分ほど泳いで海から上がりシャワーを浴びた。

そろそろお昼なので、僕がここに来た時には改装中だった、
とんかつ「りき」にWNさんと行くことにした。
歩いて「りき」に向かった。

5分ほどで到着、席はまだ空いていた。
今日はミックスフライにした。
しばらくして運ばれて来るとWNさんは思わず声をあげた。
「うわーっ、すげーっ」 その量に驚いていた。ご飯もおかわりできる。

フライの量のわりにご飯は相対的に少ない。(といっても絶対量は普通だが)
フライを半分くらい食べるとご飯が終わってしまった。
WNさんはおかわりを頼んだが、出てくると最初と同じ量だ。
僕もご飯を食べ終わってしまったので、半分だけおかわりした。
しかし食べきれるかだんだん不安になってきた。
でもおかわりしたからには残すわけにはいかない。
半分意地になって胃袋に詰めこんだ。もう食えない、という感じだ。

店が混んできて外で待っている人もいたので、食べ終わるとすぐに店を出た。
食べ終わったら街に出掛けようと思っていたがしばらく休んでからにしよう。
30分ほど炊事棟で休むとやっとお腹が落ちついた。

WNさんも出掛けていったので、次いで僕も街に向かった。
最初にマルチメディアセンターに行ったが、ここはエアコンが効き過ぎている。
1時間ほどで寒くなりセンターを出てカネヒデで買い物。
100円ショップでポップコーンを買った後、マックスバリューで食材を調達した。

店を出て於茂登方面を見ると雲行きがかなりヤバそうなので急いで帰ることにした。
しばらく走ると途中大浜あたりでポツポツと雨が落ちてきた。
こういう時に限って遅い軽トラの後についてしまい、対向車も途切れない。
ホッパーのY時路でやっと軽トラを交わし、帰りを急いだ。
雨はそれほど降ってはいないのだが粒が大きく腕や胸に当たるとかなり痛い。
トンネルの先はどうなっているのか心配したが、幸い雨は降っていなかった。

キャンプ場に戻ってくると急に風が強くなってきた。
アスレチックの塔に登りしばらく昼寝。風が心地よかった。
1時間ほどしてから炊事棟に戻り夕食の準備をした。

この風で蚊が出てこなくて快適だ。
蚊がいないとこのキャンプ場はこんなに快適だったのかと思うほどだ。

薄暗くなってきたころトラックが入ってきて、フェンスの所に何か取り付けた。
去っていったあと見に行くと、またタバコの収穫要員募集だった。
10と11日の2日間のみだ。相変わらず給与はいくらか書いてない。
それにAM8からPM18時と書いてある。PM18時っていったい何時だ。
12から6時間過ぎているということは、午前6時までか?まあそんなことはないだろうけ
どね。
製糖が長引いているので人手不足のようだ。

7時半ころMDさん夫妻が帰ってきた。
以前炊事棟に来たYM三兄弟のことが話題になった。
MDさんが職場でその話しをしたら、あれは石垣でも有名なビーチャーらしい。
知っている人はほとんど相手にしないという。それでここに来たのか。

今日は風も強いので10時ころテントに戻ってテレビを見ていた。
11時ころには寝てしまった。


☆☆☆2003年5月9日☆☆☆
★★★シャレコウベ★★★

今日は6時過ぎに目が覚めた。
昨日は泡盛も飲まなかったし早く寝たのですっきりだ。

テントを出て朝食の準備をしていたが、いつもは起きているWNさんはまだいなかった。
朝食を食べ終わり炊事棟を掃除していると、何台かのトラックが荷物を積んで入ってきた。
荷台の荷物を見ると大きなテントの袋に"石垣2中"と書いてあった。
そういえば去年も中学生が大挙して来た記憶があるな。
それほどの時を経ずして中学生が列をつくってやってきた。

荷物を降ろし、どうやらバーベキューをやるようだ。
ちょっと荷物が心配なのでコンテナボックスと集めた貝をテントに入れた。

11時ころWNさんと平久保の牧場ダートを走りに行くことにした。
キャンプ場を出て30分ほどで平久保崎灯台に到着。曇っていたので海の色がいまいちだっ
た。

そして平野からは牧場ダートだ。
最初のゲートから次のゲートまでは牛がいないので安心して走れる。
道は以前に比べ少し荒れていたのでスタンディングで走った。

途中一部だけ木が茂り洞窟のような場所があり、そこに人骨があるとの噂を聞いていた。
それと思われる場所にさしかかったので、バイクを止めて周囲を散策。
するとオーバーハング状の岩陰に何か白い物が…。
近寄ってよく見ると頭蓋骨だ。それもたくさん転がっている。
何かで磨いたようなピカピカの白骨ではない。人骨ってこれのことだったのか。
他にもありそうだったが気持ち悪いのですぐに立ち去った。
でもあんなもの放置したままでいいのだろうか。
そういえばこの牧場はあのYM三兄弟の牧場だったな。

次のゲートを通過したが路上には牛は見当たらず、周囲に散在しているだけだった。
今日は順調に通過できそうだ。と思ったのも束の間。
いきなり子牛が2頭現れて逃げていった。
すぐその先には大きな親牛がこちらに睨みをきかせていた。
バイクの温度計はかなり上がっていたので止まらずに強硬突破。
一瞬牛が向かってきそうな雰囲気だったがすぐに反転して逃げていった。
しかし僕の心臓はプルス150以上に上がっていたと思う。

なんとか牛をやりすごし最後のゲートを通過した。

その後伊野田のちゃーがんじゅーさーに行った。
ここんきたらやっぱりラフテー丼。
僕がおばちゃんに頼むとWNさんはメニューを眺めて不思議そうな顔をしていた。
これはメニューには無いんだよ。

相変わらずの超大盛り。食べ終わるとしばらく動けなくなった。
そのうち店に来ていた客とおばちゃんが口喧嘩になった。
お客の方は少し酔っているようだったが、おばちゃんはひるむことなく言い返した。
その人は「ナイチャーはダメだ。」などどさかんに言っていた。
お腹も落ちついたので僕達は店を出た。

僕は伊野田キャンプ場を偵察するためそこで別れた。
行ってみるとテントは4張り。それらは全て長期キャンパーのようだった。

僕もそこからキャンプ場に直行した。
中学生は全員浜に出ているようだったので炊事場を確認すると
僕のスポンジが食器洗いには使えそうもないほど汚れていて
洗剤も半分くらい無くなっていた。まあ流しに放置しておいた僕が悪かったかな。

しばらくしてWNさんと島内観光をしながら街に向かった。
WNさんは今まで観光らしい観光をぜんぜんしていないという。
いままでどこを走っていたのだろう。
於茂登登山口から名倉ダムに抜ける林道からバンナ公園を経由して
市民の森の展望台に上がり、そのまま林道を抜けて街に入った。
僕達はマルチメディアセンターに行ったが
僕は特に調べる物もなかったので20分程度でセンターを出てキャンプ場に戻った。

北側の入口から戻ったが、管理棟の前に中学生が全員座っていて通れない。
僕のバイクが近付くと立ち上がってキャンプ場を出ていった。
外に待機していたバスに乗って帰るようだ。

シャワーを浴びてテントに戻ると以前来ていた仙人のような爺さんがまた来ていた。
今度は片手にテント、そしてシュラフを持っている。それも今買ったばかりのような新品。
1時間以上行ったり来たりしてようやく場所を決めたようだ。WNさんの隣だ。

しばらくしてTSさんたちが帰ってきて、プラカップに入れた不気味な物を持ってきた。
葉っぱに長さ三_位の小さな繭がいっぱい付いていた。いったい何だ。
TSさんたちはそれが羽化するまで観察するという。

その後炊事棟で夕食を作った。風があるので蚊がいなくて今日も快適だ。
暗くなってきてからは風が冷たく感じるようになった。
しばらくは泡盛を飲みながら話しをしていたが、
寒くなってきたので9時半ころテントに避難。
いつのまにか夢の中へ…。


☆☆☆2003年5月10日☆☆☆
★★★モー娘に遭遇★★★

朝2時ころ目が覚めた。なぜかなかなか眠れなかった。
再び寝入ったが、6時には目が冴えて眠れないのでテントを出た。

朝食は昨日買っておいたトミーのパン。パンを焼く手間が省けた。
食べ終わってからコーヒーを沸かした。
いつもと違うパターンでコーヒーを沸かし忘れていた。

8時半ころ僕はバイクで街に向かった。
昨日YMさんが石垣に戻っていて、友達の友達の家に泊っていて
今日与那国に行こうとしたら、13日に親が来るというので急遽延期したというので
街まで迎えに行くことになった。
また会えると思わなかったな。

早く着きすぎたのでマンタ公園で時間調整して待ち合わせ場所に向かった。

数分遅れてYMさんが来た。久しぶりにあったYMさんは日焼けしていた。
YMさんは与那国に行こうか迷っているという。でもやっぱり延期。
ガエルもYMさんと一緒に今日与那国に行くといっていたので
とりあえず埠頭に行ってそのことを伝えることにした。
でも出航時間になってもガエルは現れなかった。

YMさんは朝食がまだだったので、ホカ弁で安売り期間中ののり弁を買った。
そして新栄公園に行って二人で食べた。
食べ終わってから隣の図書館に行ってまったり。
僕はニュートンと日経サイエンスをゆっくりと読んでいた。

1時ころ図書館を出てYMさんが泊っていた家に行って荷物を引き揚げた。
その荷物は前にも増して増えていた。こんなにバイクに積めるかな。
持ってきたロープとネットで無理やりくくりつけた。
それにリュックを背負ったYMさんが乗ると、ミラーで後が見えなくなるほどサスが沈んだ。
でもアフリカツインだから特に問題なく走った。

*追記*
於茂登トンネルの手前でMTさんのジムニーとすれ違った。
MTさんとBLさんは今日の船で波照間に渡り、戻ってきたら北上して奄美に向かう。
多分二人で奄美に住むことになるだろう。もう会うことはないのかもしれない。
この旅で、僕は住む所までは決めることができない。
そこまで考えて旅に出てこなかった。そういう生き方もいいのかなあ。

20分程で米原に到着し、YMさんはテントを設営した。

僕はしばらくアスレチックの塔に登り曾根綾子の小説を読んでいた。
しばらくして眠くなったので空を仰いで目を閉じた。
気が着くと1時間近くが過ぎていた。
僕は塔を下りてシャワーを浴びた。
気温が23度と低かったので少し水が冷たく感じた。

その後浜に出ているとWNさんが呼びに来た。
近くで何か撮影をやっているようだ。
聞くとモーニング娘らしい。急いでテントに戻りカメラと双眼鏡を持って現場までダッシュ。
行ってみると米子焼きで撮影の真っ最中だった。
デジカメで写真を撮ろうとしらスタッフに制止された。しかし既にシャッターは切っていた。
僕のデジカメは古いのでシャッターを切っても大きな音がしない。
残念そうな顔をしてカメラをしまうとスタッフは撮ったことに気付いていないようだった。
でも僕はモー娘を知らないので誰が誰だか全然わからなかった。
あとで他の人に聞いたら新人を含む三人だった。
天使のようなコスチュームだったけど、いったい何の撮影だったんだろう。

夕方、ご飯を炊きWNさんが買ってきた肉を焼いて焼肉だ。
焼肉なんて久しぶりのような気がした。

その後蚊が出てきたので浜に避難。薪を集めて焚き火をした。
近くでは花火をやったりしていて賑やかだ。

11時前、UKさんは街に行くというのでTSさんが何か話に行ったら
UKさんとTSさんが喧嘩になってしまった。あんなに仲がよかったのに。
でもしばらくして落ちついたようだった。

11時半ころ炊事棟を片付けテントに戻った。


☆☆☆2003年5月11日☆☆☆
★★★世捨て人の浜?★★★

今日も烏の鳴き声で目が覚めた。うるさくて寝ていられない。
テントから出て近くの烏を追い払った。
朝食を食べて炊事棟を掃除した。
今日はおそろしく天気がいい。雲量ゼロ。本当の快晴だ。
石垣に来て初めて見た雲一つ無い青空だ。

MDさん夫妻は今日は二人とも休み。八重山では母の日は休みになるという。
しばらく話しをしていると、TSさんとUKさんがバイクで戻って来た。
よかった。仲直りしたんだ。
昨日は朝まで飲んでいて、朝マーペに登ったという。
TSさんは昨夜のことを"犬も食わない…"などと少し恥ずかしそうに言っていた。

その後僕は焚き火に使う薪を集めて回った。

11時半ころ、昼食を食べようと街に向かった。
でも高縞もあさひ食堂も休み。
仕方なく買い物をして、途中とろぴかるで揚げ物を買ってキャンプ場に戻った。
そして茹で卵を4つ作り、そのうちの1つを食べた。そしてバナナ2本。
ちょっと食べすぎでお腹がいっぱいだ。

しばらく休んでから水着に着替えて海に入った。
もうすこしで満潮なのでリーフまで泳いで行ける。
でも流れが早くて逆らって泳ぐのは疲れる。泳ぐのを止めるとすぐに押し戻される。
20分くらいかかってようやくリーフの縁までやってきた。
入江のようになっているところは恐ろしく深く底が見えない。
でもドロップアウトのところはサンゴが見事だ。
今日は日差しもあって鮮やかさが違う。
サザエを探すのも忘れて縁をずっと泳いでいた。
時折大きな波が来るので、波に乗って遊んだ。

40分ほどして少し寒さを感じたので浜に戻っていった。
途中で立ちあがるとすぐ横にYMさんがいた。
リーフの縁まで行きたいようだが一人では不安そうだったので、
僕はひき返してYMさんと一緒にリーフの縁まで泳いでいった。
YMさんもそこを見て「きれいだね」って言っていた。
結局1時間以上泳いでいた。

シャワーを浴びてからアスレチックに登って小説を読んだり昼寝したり。
浜の日陰にサマーベッドを出して小説を読んでいると、
地元の人が壊れたシャワーを見ながら「ここは世捨て人の浜だな」などと言っていた。
僕はまだ捨てたわけじゃないけど…。
地元の人からは、そう見られているのかな。

浜に出るとMDさんが釣りをしていたが、成果は相変わらずだった。

7時前、夕食の準備をしていたが、日没が見られそうなので中断。
浜に出て西の空を眺めていた。
太陽は一度雲の中に隠れたが、水平線近くで再びその姿を現わし
空を溶けそうなオレンジ色に染めながらゆっくりと沈んでいった。

一度炊事棟に戻り夕食を作って浜で食べた。

その後昼間集めた薪に点火。みんな次々に集まってきた。
YMさんはヤギ汁を食べに行っていたが、味の方は×だったらしい。
近いうちにみんなでマーペ登山に行こうということになった。
YKさんが持ってきた蓬(よもぎ)を燃やすと、周囲がいい香りに包まれた。

8人で焚き火を囲んで話しをしていた。
TSさんたちが住んでいる東京の市営住宅が話題になった。
収入が無ければ家賃は月4000円。
「みんな一緒に住めたら楽しいよね」とYKさんがつぶやいた。
僕もそう思った。

晴れた空に月がおそろしく明るく輝いていて、影が鮮明に写っていた。
サイトの中は木の影が地面に写り、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

焚き火がおきになると、すなの中に足を入れて"砂湯"を楽しんだ。
いつのまにか日付が変わり12時半ころみんなテントに戻った。


☆☆☆2003年5月12日☆☆☆
★★★言葉にできない★★★

7時前、テントから出ると今日も快晴。風も無い。
青空を見るといやなことを全て忘れられる。

炊事棟に行き朝食を食べ、薪集めに出掛けた。
ここ数日で近くの薪になりそうな枯れ木は取りつくしてしまった。
しかし近くのブッシュを探していると、枯れて倒れた大きな木を発見。
引っ張り出そうとしたが他の木に枝が引っかかっていてとても一人じゃ動かせない。
仕方ないので太い枝や根っこを折って引きちぎった。
それでもけっこう集めることができた。

浜に出ると昨日僕が海底(といっても1メートルくらい)から引き上げた木が打ち上げられていた。
引っ張って来ようとしたがすごく重たい。そすいえば海の底に沈んでいたんだな。
ということはすっかり水を吸ってしまっている。よく見ると藻もくっついていた。
これは乾かさないと燃えないな。
とりあえず60センチくらいの長さに切りそろえた。
しかしこれが意外に大変だ。もともと固い木らしくなかなか切れない。
そのうち汗びっしょりになってしまった。
たまらずシャワーを浴びてすっきりした。

その後は炊事棟でまったり。
さっきまで釣りをしていたMDさんが来て久しぶりに魚をつりあげたようだ。
刺身のお裾分けを頂いた。

11時半ころWNさんと街に向かった。
昨日休みだった高縞にタコライスを食べに行く。

20分程で到着、12時前なので高校生はいない。と思ったらすでに数人が来ていた。なぜだ?
中に入りさっそくタコライスの(大)を頼んだ。300円。
テレビを見ながら待つこと数分、タコライスが運ばれてきた。
単にタコスだけかと思ったら、チーズとケチャップ、それに野菜も乗っていた。
これで300円は安い。それに多すぎず少なすぎず、ちょうどいい量でもあった。
しばらくして高校生が来て、おばちゃんに「タコライス特大」などと冗談を言うと
おばちゃんもすかさず「特大1000円」と言い返した。
1000円ならどれだけの量なんだろう。
混んできそうな時間なので僕達は食べ終わると店を出た。

そしてメイクマンに行きフィンを物色。WNさんが買った。
そこでWNさんと別れ、とろぴかるでフライドチキンを2個買ってキャンプ場に戻った。
先日食べ終わった骨を置いておいたらトカゲが来て食べたという。

僕はチキンを持ってTSさんたちのゆんたく場に行って食べた。
2個はとても食べきれないので1つYMさんにあげた。

そのころちょうどいい具合に潮が満ちてきた。
早速水着に着替えて海に入ったが、今日は平日なので泳いでいる人はほとんどいない。
ちょっと不安だがリーフに縁まで泳いでいった。
ここ何日かウミヘビを見ないので安心して泳いでいられる。
でも底が見えないところまで行くと少し不安だ。
40分ほど泳いで海から上がりシャワーを浴びた。

その後アスレチックの塔に登り小説を読んだり昼寝をしたり。
他の人達もみんなまったりしている。

そういえば朝この塔を修理していたが再上段は床が抜けたままだ。
よくみると釘を追加して打っただけだった。
しかも下の木が腐っているので釘が全然効いていないところもあった。
そのうちに直しにくるのかな。

キャンプ場内を散策しているとガエルが戻ってきていた。ずっと西表にいたようだった。
少し話しをしてさらに先に進んだ。
すると元競輪選手のOTさんのテントが見当たらない。
本人がいたので聞いてみると明日石垣を出るという。
これから北上して北海道に向かうようだ。
ほとんど他のキャンパーとは話しをしていないようだった。

陽がだいぶ傾いて日差しが暑く感じなくなったので浜に出た。
今日も美しい夕陽を見ることができた。
毎日違う幻想的な風景。
陽が沈んでからの美しさは言葉では言い表せないほどだ。


浜ではMDさんが釣りをしていた。
僕もここにいられるのは10日あまりになってしまった。
MDさんに「帰るのは寂しくない?俺は寂しくてたまんないよ」と聞かれた。
やっぱりみんな同じことを思っているんだな。
せっかくなかよくなった人達と別れるのは本当にさみしい。
次にいつ会えるか、もう二度と会えないかもしれない。
そう考えると涙が出てくるよ。

楽しかった。本当に楽しかった。つまらない日なんて、一日もなかった。
いろいろな人に出あい、そして別れた。
なんでこんなにせつなくなってしまうんだろう。
きのうYKさんが言った言葉を思いだした。
「みんな一緒に暮らせたら、楽しいだろうね」

この半年余りの僕の旅。
いったい何人の人に出あっただろう。いくつの発見をしただろう。そして、いくつの感動を得ただろう。
時と共に薄らいでいく記憶。
でも、僕には、忘れられない記憶が残った。毎日欠かさず記した日記が残った。
この日記は、何年か先、ここで過ごした日々を、鮮明に思い起こさせてくれるだろう。
おカネでは買えない、素晴らしい感動を、再び体感させてくれるだろう。
絶対に忘れない。なんの後悔も無い。
かけがえの無い、僕の人生の一コマ。
旅に出たのは10月2日。
僕は、1年でこの旅を、終えようと思う。
また、新しい明日が待っている。今日より素晴らしい明日が。

すっかり暗くなって、炊事棟にもどって夕食を食べた。
YMさんも夕食に来て、WNさんも戻って来た。ガエルも来た。
遠くでジャンべーの音が聞こえると、YMさんとガエルが行ってしまった。

10時過ぎ、WNさんはテントに戻った。
僕はこの時間と空間をまだ味わっていたかったので、一人炊事棟で泡盛を飲んでいた。

11時、僕もテントに戻った。


☆☆☆2003年5月13日☆☆☆
★★★最後の焚き火★★★

今朝は烏の鳴き声も無く静かな朝を迎えた。
今日も風が無く青空だ。すがすがしい気分になる。

テントから出てトーストを作った。
コーヒーに使うシュガーは無くなってしまった。
来た時に50個入りを買ったのだが、それだけ日数を過ごしたということだな。
なので今日は砂糖無しだ。
残りの日数も少なくなったので買い足すのはやめておこう。
少し寂しくなった気もする。

朝食を食べ終わるとしばらくまったり。
浜にサマーベッドを持ちだし海を眺めていた。
そのうち関西の人と思われる60歳以上の団体が来た。
水着に着替えたので泳ぐのかと思ったら、リーフの方まで歩いて行った。
これから干潮、どうやら潮干狩かな。
他に地元の人と思われるひとも二人来てリーフまで歩いていって泳いでいた。
地元の人は必ずシャツを来て泳ぐ。水着だけなのは内地の人ばかりだ。

11時ころWNさんが街に出掛けるというので僕も後から行くことにした。
開南を抜けシード線の交差点で追いついて、マルチメディアセンターに向かった。
40分程でセンターを出て僕はホカ弁で特のりタル弁当を買ってキャンプ場に戻った。
今キャンペーン中で50円安くなっていた。

炊事棟で弁当を食べているとWNさんも戻って来た。
だいぶ潮も入ってきて泳げるようになってきた。
WNさんとリーフまで行こうと話していると水中カメラを買うのを忘れていた。
WNさんがイナフクまで行って買ってきたので
僕とWNさんとYMさんと三人でリーフの縁まで泳いでいった。
晴れた日の海の美しさは格別だ。
そこで記念写真を撮った。
YMさんは今日でキャンプ生活も終り。思いっきり楽しんでいるようだ。
僕は深いところで5メートルほど潜ってみた。
1時間ほどで海から上がってシャワーを浴びた。

その後はアスレチックの塔に登ってまったり。
しばらくするとNMさんが西表から戻って来た。前と同じ所へテントを張ったようだ。

夕方、ご飯を炊いて夕食を食べた。
炊事棟にはガエルもやってきた。彼は15日に帰国する。
明後日の朝は早いので、夜更かしできるのは今日が最後。泡盛を飲んでいた。
彼も「帰りたくない」とつぶやいていた。
YMさんも明日家族が来るのでキャンプ生活も今日で終り。
ガスや残った食材をもらった。

みんな夕食を終えた9時ころ浜に出て薪に火をつけた。
バッテリーとスピーカーを持ってきて、YMさんのお気に入りの曲を聞いていた。
ふと空を見上げると、月に幻想的なリングがかかっていた。
こんなのは初めて見たよ。天気が下り坂かな。

焚き火がおきになったころ、アルミホイルで包んだジャガイモを焼いた。
4人で焚き火を囲んで食べた。

いつのまにか時刻は11時を過ぎていた。
退ききった海では魚を捕っている人のライトが輝いてる。
12時前、僕とYMさん、WNさんは浜を後にした。
しかしガエルはもう少しこの雰囲気を味わっていたかったのか、浜に残った。

炊事棟を少し片付けて、12時過ぎ眠りについた。


☆☆☆2003年5月15日☆☆☆
★★★ついに梅雨入りか★★★

今日も烏の鳴き声に起こされず、すっきりとした目覚め。
テントから出て温度計を確認するとすでに気温は27度を超えていた。
やっぱり熱帯夜だったか。昨夜は本当に寝苦しかったな。

コーヒーを沸かしたが、ミルクも今日で最後。次からはブラックだ。
トーストを2枚、1枚はバター、もう1枚はスライスチーズ。
朝食を食べ終わると昨日の焚き火ですっかり煙のにおいがついてしまったのでシャワーを
浴びた。
気温が高いので全然寒くなくすっきりした。

9時になってもYMさんは起きてこない。一緒に街まで行く予定だったのにな。
メールを送信したらしばらくして起きてきた。なんか起こしたみたいで悪かったかな。
準備をして10時過ぎ、街に向かった。

Tシャツ半ズボンでも暑い。日射しはまるで刺すようで、強烈な紫外線だ。
20分程でオリックスレンタカーに到着。
YMさんはレンタカーのシステムを知らなかったので、僕が聞いてわかりやすく説明した。
料金と保険関係の説明を受け、車をチェックした。
車に乗りこんだがコラムシフトがわからないようだったので助手席に乗って説明した。

そこで別れて途中とろぴかるに寄ってフライドチキンとおむすびを買ってキャンプ場に戻った。
まだ少し早かったが買ってきたおむすびを食べて昼食にした。

しばらくしてYMさんたちがマーペの道を僕に聞いてきたので僕も一緒に行くことにした。
どうやらYMさんのお父さんが飛行機に乗り遅れて到着が遅れるらしい。
他にもガエルと2人乗るので僕はバイクで先導することにした。

マーペに行く前に街に1人迎えに行くというので伊野田のキャンプ場で待ち合わせすることにした。
戻ってくるまでには1時間近くかかるだろうから僕はサマーベッドで休んでいた。

うとうとしていると「やじさん、いますか」という声が聞こえて置きあがると
OKさんとNKさんだった。他のキャンパーが木に刺さっていた釘で怪我をしたので
消毒液を持っていないか聞きに来た。当然持っているので一緒に行ってみた。
かなり深く切ったようで腕の根元の方を縛ってあったが、
静脈が損傷したのならこれじゃ逆効果だ。
動脈だったらあんな縛り方じゃ止血できないだろう。
とりあえず出血は止まっているようだった。
彼は健康保険にも加入していなかったので心配したが大丈夫のようだった。

しばらくしてYMさんから連絡があったので僕も出発した。
この時間に出れば少し余裕がある。伊野田キャンプ場を偵察するとテントは5張り。
まだ来ないので少し戻ると対向車にYMさんの運転するムーブが来た。
すぐにUターンしてマーペ登山口まで先導、さっそく登り始めた。

僕以外はみんなサンダルだ。
僕が道案内をして登ったが、最近では"隊長"と呼ばれるのがが定着してしまった。
多少苦労していたが10分ほどで頂上に到着。
突然360度の展望が開け、みんな歓声を上げていた。
少し雲ってはいるがまあまあの展望だ。
米原から平久保まで見通すことができた。
写真を撮ったりして1時間ほど頂上の風景を堪能した。
下山してキャンプ場に戻った。

その後しばらくしてからYMさんはお父さんを迎えに行くのでキャンプ場を後にした。

5時半過ぎ、お腹がすいたので夕食にした。
夕食を食べ終わり浜に出て蚊の攻撃を回避。今日は雲が厚く夕陽は見られなかった。
ラジオでは沖縄本島は梅雨入りしたようだ。
ここ八重山も時間の問題だ。

WNさんは友人が来て出掛けてしまったので僕は一人炊事棟で泡盛を飲んでいた。
浜に出て薪に火をつけ1時間ほど眺めていた。

9時半ころテントに戻り寝ようとしたが暑くてとても寝られない。
浜にサマーベッドを出して波の音を聞いていた。
僅かに吹いている風が最高に心地いい。
いつのまにか寝てしまった。
12時前、目が覚めてテントに戻った。


☆☆☆2003年5月15日☆☆☆
★★★久しぶりの雨★★★

昨夜は寝苦しい夜だった。
6時半前に目が覚めて、7時ころテントを出た。
WNさんはすでにでかけているようだった。

僕は炊事棟で朝食を食べた。
コーヒーを飲んだら暑くてたまらないのでシャワーを浴びた。
少し陽射しはあるのだが全体的に雲に覆われている。
水平線は霞んでよく見えない。天気は下り坂かな。
風は南風。湿った温かい、というより暑い風だ。

しばらくするとガエルがやってきて、食材の残りと蝋燭、蚊取り線香をくれた。
それにストーブの燃料のガソリンをもらってバイクに入れた。
8時半のバスで街に向かい、12時の飛行機で石垣を後にし京都に向かうという。
この前も言っていたけどやっぱり帰りたくないんだろうな。
8時10分ころ、ガエルは大きなザックを背負って米原を後にした。

僕は8時20分ころバス停に歩いていった。
ガエルは歩道の段差に座っていた。
そこで僕のホームページとEメールの書いてある名刺を渡した。
ガエルは紙にメールアドレスを書いてくれて僕にくれた。
定刻にバスは来て、ガエルは乗りこみお互いに手を振って別れを告げた。
見送りに来たのは僕だけだった。
少し寂しくなったな。僕も世界を歩いてみたい。

10分ほどしてからWNさんが戻って来た。見送りできなくて残念そうだった。

天気予報では昼前から雨の予報。
9時過ぎ、バイクを出してマックスバリューに直行。
買い物をして途中とろぴかるに寄って弁当とチキンを買ってキャンプ場に戻った。

チキンを食べMDさんとNMさんと話しをしているとYMさんが来た。
とんかつりきにお昼を食べに来たが、まだ早すぎて開店していなかったらしい。
お父さんも降りてきて海を見ていた。
遠くてよくわからなかったが感じはわかった。

そのうち雲行きが怪しくなりだんだん暗くなってきた。
炊事棟の荷物を流しの下に移していると、WNさんたちが戻って来た。
これから泳ぐというが、この感じだともうすぐ雨が降るよ。
そう言ったがどうしても泳ぎたいらしい。

みんなが着替えていると案の定大粒の雨が降り始めた。
それでもかまわずみんな海に向かったが、強烈な雷がなったと思ったらみんな戻って来た。
しばらく様子を見て小ぶりになったところで海にむかったが、すぐに大雨になった。
今度は戻ってこないでリーフまで歩いていって泳いでいた。

大粒の雨は降り止まず、久しぶりに米原湖が形成された。
あちこちに川ができ、MDさんが水除けに作った堤防は見事に決壊しタープの下が川にな
った。
他にも水たまりがたくさんできたが、みんな心得ているのか水没するテントは無かった。
でも今朝撤収した2張りのテントがあったら完全に水没していただろう。

1時間ほどしてみんな無事海から上がって戻って来た。
あのリーフの壁には感動したようだ。
でも、あの美しい光のカーテンを見せてあげたかった。

2日ぶりに2張り隣のおじいさんがズブ濡れで戻って来て、奇妙な形にロープを張った。
何をするのかと思ったら、その上にグリーンの作業シートを張った。
でもあれじゃあんまり意味がないんじゃないかな。
終始傘もささず合羽も着ないで黙々と作業を続けていた。
しばらくしていつのまにかまた姿を消していた。

5時過ぎ雨が上がったので、すぐに準備をしてシャワーを浴びた。
シャワーを浴びてからご飯を炊いて夕食を食べた。
雨が再び降り始め、降ったり止んだり。
少し泡盛を飲んでから9時前テントに戻った。
今夜は涼しくてよく眠れそうだ。


☆☆☆2003年5月16日☆☆☆
★★★梅雨の一日★★★

6時半過ぎテントを出た。
空に太陽は見えなかった。すっかり梅雨入りしてしまったようだ。
雲が厚く今にも雨が降りそうだ。

午前中は海を見たりしてまったり。
MDさんは釣りをしていたが、根がかりして糸が切れ浮きが流されてしまった。
MDさんはすぐに水着に着替え、腰まで水に浸かって浮きを回収した。

10時過ぎ、WNさんの友人達三人が来て海に入った。
今日で3日連続で米原の海に来ている。
あのリーフの縁の美しさにはまってしまったようだな。

昼ちょっと前、知花食堂まで行き初めてやきそばを食べた。
焼きそばといっても内地の焼きそばとは違って麺も沖縄そばだ。
それにピーマンや肉などが入ってソース味。
でもなぜがケチャップとマヨネーズが乗っている。
不思議なことにお吸い物と梅干が2個付いてくる。これで550円。

帰ってきてもWNさんたちはまだ泳いでいた。
潮がかなり退いたのでリーフの縁まで歩いていって写真を撮った。
万一のことを考えて、密封できるビニール袋にデジカメを入れていった。
これなら濡れないし、もし落としても水に浮く。
結局2時間近く泳いでいたようだが、やはりあの美しさに感動していた。

しばらくして雨が降りだした。時折強くなったりする。
降っては止み、の繰り返し。でも内地の梅雨とはちょっと違った感じだ。
気温は25度あるが少し肌寒く感じたのでテントに入り過去の日記を読み返していた。
忘れかけていた記憶が、再び鮮明によみがえってきた。


僕が旅に出てからいったい何人の人達と出あって、そして言葉を交わしただろう。
日常生活では絶対に味わえない出会いと感動の毎日。
故郷を長く離れていると、住めば都という意味がわかってきた。
世界中どこでもというわけにはまだいかないが、
日本ならどこでも生きていけるような気がする。
最低限の生活なら、なんとかやっていけそうだ。
これからの人生、どこで過ごそうか。
ここで暮らしていると、帰る家があるってことは、幸せなことなんだって実感する。


4時半ころ雨が上がった。
涼しいような気がしたが温度計を見ると25度ある。
雨が降りだす前にシャワーを浴びることにした。
水はそれほど冷たくなくさっぱりした。
他のキャンパーは寒がってシャワー浴びるのを見合わせているようだった。
そういえば冬の米原を経験しているのは、今僕だけのようだ。
あのころに比べれば今日の水シャワーなんて苦にもならない。

夕方、スパゲティーを食べた。
浜に出るとMDさんが釣りをしていた。成果は相変わらずのようだ。

炊事棟に戻ると羽蟻のような虫が大発生してしていて光に群れている。
人にも寄ってきて気持ち悪い。
しばらくすると羽が落ち、地面を歩き回っていた。
すると大量の蟻が出てきてその羽の落ちた虫を捕獲していた。
ヤモリも何匹か来て、上手に捕まえて食べていた。

うっとうしいのでテントのタープの下に避難して泡盛を少し飲んでいた。
WNさんは帰ってきたが疲れたのだろう、すぐに寝てしまったようだ。
僕も早めに寝ることにして、9時過ぎテントに戻った。


☆☆☆2003年5月17日☆☆☆
★★★今日は大潮だ★★★

夜明け前、大粒の雨の音で目が覚めた。
再び目が覚めたのは6時半過ぎ。7時ころテントを出た。
空は雲がぎっしり。本格的な沖縄の梅雨は初体験だ。

炊事棟でトーストを作って食べ、MDさんのハンモックを借りて乗ってみた。
ただ乗っているだけではおもしろくないので近くの木に紐を結びつけた。
ハンモックに乗った状態で紐を引っ張ると、反作用で揺れる。
ゆりかごのようで楽しい。思いっきり引っ張るとブランコのように揺れる。
しばらく揺られていると気持ち悪くなってきた。ハンモック酔いのようだ。

洗濯をした後、11時前、まだ雨は降りそうもないので街に向かった。
マルチメディアセンターに行ってみたが、前には自転車がたくさんとまっている。
そうか、今日は土曜日だったんだ。
これだけいるとなると、おそらく空いてないな。
たとえ空いていたとしても遅くて使い物にならないだろう。

あきらめてセンターを後にし、港に向かった。
天気のいいうちに帰りの船のチケットを買ってしまおう。
窓口でチケットを買い手続きをしてしまうと、なんだか寂しくなったよ。
もう、帰る日が迫っているんだなって。

その後マックスバリューに向かった。
マックスバリューでの買い物も、これが最後になるかもしれない。
食パンとお菓子を少し買った。

帰りにとろぴかるでお結びと定番のフライドチキンを買ってキャンプ場に向かった。
於茂登トンネルの少し手前で雨が落ちてきた。洗濯物が干しっぱなしだ、急がなければ。
しかしこういう時に限って遅い車の後に付く。
トンネルを出ても雨は降っていたが、それほど濡れずにキャンプ場に到着。
洗濯ものはWNさんがタープの下に入れておいてくれてあった。助かった。

炊事棟で買ってきたお結びを食べた。
その後再びハンモックでまったり。

2時ころ、海に向かった。
今日は1年中で一番潮の退く大潮の日。干潮は2時過ぎ。
すっかりリーフが顔を出してしまっている。
たくさんの人がリーフを歩いていた。
石垣では大潮の日は仕事が休みになることもあるらしい。

くるぶし辺りまでの水深でリーフの先端まで歩いていける。
よく見ると、小さな水たまりに取り残された熱帯魚がたくさんいた。
先端まで行くと、きれいな枝サンゴも顔を見せていた。
少し雲行きが怪しくなってきたので浜に戻り、シャワーを浴びた。
シャワーを浴び終わる寸前に雨が降り始めた。
急いで服を来てシャワーを出た。

しばらくするとWNさんも帰ってきた。友達は内地に帰ったようだ。
食べ物の量と安さにはかなり驚いていたようだった。

4時半ころ、WNさんと知花食堂に向かった。
夕方行くのは久しぶりだな。僕は豆腐チャンプルーを頼んだ。
初めて頼んだメニューだが、ゴーヤーは意外においしかった。

帰ってきてからは蚊の攻撃が激化してきたので浜に避難。
子犬を4匹連れて散歩をしている人がいたので行ってみた。

そういえばこの前から米原に住みついている犬が来たが少し様子が違う。
毛が短くなってすっきりしている。どうやらTSさんがハサミでカットしたようだ。
他の犬たちは海で遊んでいるので
TSさんがその犬を海に入れたらすぐに陸に上がり逃げてしまった。でも少し泳いでいた。

その後シャワーを浴びようと行ってみたが混雑している。
TSさんたちのゆんたく場で話しをしながら待っていたが、何箇所も蚊に刺されてしまった。
でも最近は最初来た時のようにひどくかゆくなることはなくなった。
免疫ができたのだろうか。
YKさんもTSさんたちも出掛ける準備をしている。
OKさんやPTさんもいないもで、この辺りは無人になってしまうな。

20分ほどしてからシャワーを浴びて炊事棟に戻った。

その後WNさんとしばらくダべリング。10時ころテントにもぐりこんだ。


☆☆☆2003年5月18日☆☆☆
★★★第二次探検隊発足★★★

7時過ぎ、テントから出ると今日も梅雨空。
でも雨の確率は低く、とりあえず小康状態。
炊事棟に行き朝食を食べた。

WNさんは波照間に行くといって7時半ころ出掛けていった。
できれば天気のいい日に訪れたい島だけど残りの日程が少なく仕方ないか。
天気が安定していれば僕も竹富へ行こうと思っていた。

10時ころ、大阪からフェリーで一緒だったYWさんと洞窟探検の打ち合わせをした。
今日午後2時出発することになった。天気が持てばいいが。

その後しばらくMDさんのハンモックでまったり。
お昼にはレトルトのタコライスを食べてみた。これがうまい!たくさん買って帰ろう。

1時半ころから霧雨が降りだした。
霧雨は2時になっても降り止まなかったが、今後晴れる保証はない。
僕もYWさんも22日の船で石垣を離れるのでもう延期できない。
こうなれば得意のびしょ濡れ覚悟の強硬突破だ。

YWさんのほかにもパッカーの人も行くことになっていた。
彼はヘッドランプを持っていなかったので僕の予備を貸してあげた。
他にも参加者を募ったが、この天気と危険なことを知るとみんな後ずさり。
とりあえず3人は確定。他の人は行けるところまで行ってみるという。
2時ちょっと過ぎ出発。5人で浜を歩いて行き浜の際の崖に到着。
ここでビーチサンダルの一人が脱落。
岩をよじ登りジャングルを抜け洞窟の入口に到着。
ライトを持っていない一人が入口を確認して引き返した。

さあここからは暗黒の世界だ。
最初のカーブを曲がったところで前方の岩に何かが動いている。
ライトを当てるとなんとヤシガ二だ。20センチはある。
食べるとうまいらしいが、あのハサミに挟まれると指なんか簡単に切断されるらしい。
捕まえたかったがまだ入口だ。持ったまま洞窟を探検するわけにはいかないので諦めた。

ぼくはもうこの鍾乳洞は4回目だ。出口へと抜けるルートはまず迷うことはない。
30分ほどで出口に出た。雨はさっきより多少強くなったようだ。
潮は退いているものの腰くらいまで浸からないと帰れない。
同じ濡れるのならジャングルを抜けよう。
ということで崖を登った。僕はもう3回目だが他の人は初めてだ。
かなり怖がっていたが何とかクリヤー。

ジャングルの中は葉っぱが濡れていて通って行くと全身びっしょり。
もう開き直って進む。そのうちルートを見失った。
でもここは横か縦に進んでいけば必ず道路か浜に出る。
強引に進んでいくと来た時の道に出た。

同じ道を戻るのもおもしろくないので波打ち際の崖を進むことにした。
この辺りは珊瑚礁の岩なので滑ることはないが先端が鋭利だ。
慎重にルートを選び進んでいく。
かなりのスリルを味わってようやく浜に降りた。
同行した人達は「おもしろかった。本当に久しぶりに探検したよ」
と言っていて、探検気分を満喫したようだ。
予定通り1時間半程で戻って来た。無事帰還できてよかった。

すっかりびしょ濡れになってしまったので傘を持ってシャワーを浴びた。
その後一時雨が上がったが5時過ぎ再び降り始めた。
6時ころ、炊事棟で夕食を作って食べた。

風も強くなり炊事棟にも雨が吹きこんできたのでテントに避難。
過去の日記を読み返していたが、そのうちうとうとして10時過ぎに寝てしまった。


☆☆☆2003年5月19日☆☆☆
★★★虫の知らせ★★★

午前2時前、目が覚めてしまい眠れなくなった。なぜだろう。こんなことは初めてだ。
2時半ころか、バイクが帰ってきた音を聞いた。
しばらくして明かりが近付いてくる気配を感じ、それは僕のテントを照らした。
ほぼ同時に声が聞こえた。「やじさん、お休みのところごめんなさい…」UKさんだった。
僕はすぐに起き上がり返事をした。
どうやらTSさんが帰ってくる途中転倒して怪我をしたらしい。
「消毒液をもってませんか?」 
僕は手元にあった救急セットを手渡した。

しばらくして再び気配を感じた。
UKさんは事故の怪我を見るのが初めてらしく、僕に見て欲しいとのことだった。
一緒にTSさんのところに歩いていくと、TSさんはサマーベッドに横になっていた。
手は腫れて血がにじんでいた。顔も擦り傷があり、左の頬は形が変わるほどどった。
刺し歯がほとんど折れてしまったという。
こんな状態でよく帰ってきたな。
TSさんは「大丈夫、大丈夫」を繰り返している。
指も全て動かせるし、しびれているところもないらしい。
転倒したのは開南の手前というので、ここまで来られたのだから頭は大丈夫のようだ。
出血も止まっていた。

しばらく様子を見たが重篤なようではなかった。
僕はUKさんに出きるだけ見ていてあげるように言って
何か様子がおかしくなったらためらわずに救急車を呼ぶように言った。

その後5時前まで起きていたが、そのうちに寝てしまったようだ。
目が覚めると7時。夜中に目が覚めたのは虫の知らせだったのだろうか。

日記をアップした後、テントを出てトーストを作って食べた。
雲が多いものの雨は降っていない。この時期にしてはまあまあというところか。

米原にいるのもあと3日になったので、いらない荷物の整理を始めた。
段ボールに先に送り返す物を選別して詰めこんだ。
寂しさを感じながらの作業になった。
WNさんも同じ日に帰るので同様の作業をしていた。
"リサイクルボックス"なるものを作り、後からくるキャンパーの為にまだ使える物を残すこ
とにした。

10時過ぎ、TSさんのところにいってみるとすでに起きていた。
骨には異常が無いようで、これから病院に行くという。
僕はとりあえずバスの時間とタクシーの手配先をUKさんに伝えた。

11時20分ころ、WNさんが街に出掛けようとしているので僕も行くことにした。
高縞食堂に行こうということになり、MDさんも同行することになった。
安さと量に目を奪われたようだ。
しかし高校の午前の授業が終わるまでに到着しなければ店に入れなくなってしまう。

3台で連ねて街に向かった。
こうして一緒に走るのはもう最後になるかもしれないな。
石垣を走る喜びをかみしめて走った。
街に入ると天気がよくなりすごく暑くなってきた。
高縞に到着するとWNさんとMDさんはすぐに上着を脱いだ。
店に入り僕はタコライスの大、MDさんはカレー、WNさんはタコライスの特大を頼んだ。
特大というのはメニューに無いので、逆にいくら分?と聞かれていた。
WNさんは500円玉を示し、おばちゃんに頼んだ。

MDさんは皿にこれでもか、というくらいにご飯を盛った。
本当に食べられるのかな、という感じだ。
しばらくしてタコライスが配膳されてきた。
僕は以前食べたことのある量だがWNさんのは超大盛り。
WNさんは半分ほど食べ終わってため息をついている。
MDさんも同様の反応。しかし二人ともなんとか腹に詰めこんだ。
味も言うことなく、量にいたっては大満足のようだった。

食べ終わって店を出てそれぞれの目的地に向かうため解散した。
僕は郵便局に行き、送り状を何枚かもらってから100円ショップに向かった。
100円ショップではポップコーンと野菜ジュース、スーツケースのベルトなどを買った。
病院に行ってみたがまだTSさんは来ていなかった。
その後キャンプ場に戻って来た。
TSさんはすでに病院に向かったようだ。

僕は炊事棟に行き、途中まで詰めこんだ荷物を段ボール箱いっぱいにした。
そしてガムテープで箱を補強して川平の郵便局に持って行った。
あと箱2つくらい送ることになるだろう。

一度キャンプ場に戻って来たが、TSさんのことが心配になり再び街に向かった。
八重山病院は僕が以前に何回も通ったので、中はほとんど把握している。

病院にに入り、1階を一周回ってみたが見当たらないのでもう一周回ると、
外科の前で「やじさん」という声が聞こえた。TSさんだ。
一時半ころ来て手続きをしたが、まだ呼ばれないという。すでに3時だ。
僕は一度病院を出て街に向かった。
街のコインランドリーの前にはYWさんたちがいた。

再び病院に行ってみるとTSさんはまだ待っていた。
それからしばらくしてようやく呼ばれた。3時半だ。
しかし何の変化も無く診察室から出てきた。これで終わり?という感じだ。
3時間待ちで3分診療。まるで東京の大学病院のようだ。
ただ問診と触診だけで処置はなにもしなかった。
歯の方は内地に帰ってから治療するという。

その後薬局で薬を処方されてPTさんのバイクでキャンプ場に戻って来た。
でも骨や頭にに異常は無くてよかった。

TSさんのテントのそばに集まって話しをしているとUKさんが
「比嘉さんがみんなにということで小銭を置いていってジュースを」、
ということなのでみんなで自販機に行き僕はコーヒーを頂いた。

6時過ぎ、ご飯を炊いてヤハシライスを食べた。

ふと見るとしばらく留守にしていた仙人が帰ってきていた。
身なりは数日前に見た時と同じ。着替えを持っていないのだろうか。
見たところ小さなリュックしか持っていなかったが、
アレには何が入っているのだろうか。
キャンパーは誰一人話しをしたことは無いが、よくわからない人だ。

暗くなってきてから僕は一人炊事棟でネーネーズを聞きながら泡盛りを飲んでいた。
今夜は一人でも、沖縄を味わいながら飲もうと思っていた。
しばらくするとTSさんとPTさんがやってきて一緒に飲み始めた。
二人とも、初めて見た時は変な人だなあと思ったが、
でも、本当はすごくいい人達だ。
ここにいる人達は、みんな個性的な人ばかりだ。
ここのことは、いろいろなことが言われているけれど、
僕がここに溶けこめて、ここの人達に信頼されるようになったことは、最大の喜びでもあ
る。
何人かの記憶に、僕が残ることは、僕の存在を裏付けることになる。

12時50分、それぞれのテントに戻った。
空には、久しぶりに星空が広がっていた。


☆☆☆2003年5月20日☆☆☆
★★★ラストスパート★★★

今朝は6時20分に目が覚めた。
テントから出ると青空が広がっている。降水確率は10%。
とりあえずコーヒーを沸かしトーストを焼いた。
コーヒーはブラック。トーストも2枚焼いて一枚はそのまま食べた。
食材を余らせないためにチーズやミルクなどを買っていなかったので
ここ数日は質素な朝食となっている。

こんなに天気がいいのなら出掛けるしかないだろう。
ゆっくりと準備をして10時過ぎ、キャンプ場を出発。目的地は竹富島だ。
本当は日曜日に行く予定だったが天気が悪く中止したのだった。
梅雨の晴れ間は期待していなかっただけにすごく嬉しい。
最後にこんな天気をもたらしてくれるなんて、神様も粋な計らいをしてくれるな。

Tシャツと半ズボンで出発。最高に気持ちいい。
数えきれないくらい通ったこの道だけど、何度通っても新鮮だ。
もうすこし居たいな、とも思うけど、そう思うときが帰り時かな。

途中とろぴかるに寄ってサーターアンダギーとお弁当を買った。
離島桟橋にバイクを止め、八重山観光で往復のチケットを買い
浮き桟橋の前のベンチに座ってサーターアンダギーを3つ食べた。
竹富は4ヶ月ぶりかな。僕は10時半の船に乗り竹富に渡った。
何人か出航寸前にやってきて、他の連れの人を待っていたので5分ほど遅れて出発。
平日ということもあって、船はそれほど混雑はしていない。乗客は15人ほど。
10分ほどで竹富に到着した。

竹富では自転車を借りようか迷ったが、とりあえず集落まで歩いてみることにした。
日差しは強烈。でも僕はこの沖縄のティダが大好きだ。
さわやかな風が吹きぬけ、日陰に入ると涼しさをも感じる。
咲き乱れる原色の花々、真っ青な空、そして白い雲にエメラルドグリーンの海。
そしてここにはコーラルサンドの道と、赤瓦の家並みもある。
本当の沖縄が、ここに集結しているみたいに感じられる。
僕は歩いてこの島を巡ることにした。

ゆっくりとした足並みの水牛車を横目に見ながらなごみの塔に向かった。
塔に登ると美しい家並みと美しい真っ白い道が見渡せた。

塔を降り、狭いコーラルサンドの道を通りカイジ浜に行き、浜伝いにコンドイビーチまで歩いた。
ビーチにはたくさんの人が海水浴や日光浴をしていた。
僕はベンチに座ってサンピン茶を飲みながらサーターアンダギーを食べた。
30分ほど海を眺めてから集落を通り、港に向かった。

この竹富島の存在を知ったのは、たしか僕が小学生のころだっただろうか。
ガイドブックを見て、星の砂がある島だと知った。
でも、当時僕はこの島に来ることができるなんて思いもしなかった。
あのころは、遥か遠くの別世界だったなあ。

13時45分の船で僕は石垣に戻った。
それからキャンプ場に直行。
海を見るとかなり潮は退いているが泳げない程じゃない。
すぐに水着に着替えて久しぶりに海に入った。
残り少なくなった八重山で過ごす時間、ラストスパートだ。

これでしばらくこの美しい海底庭園ともおわかれになるかもしれない。
まるで夢の世界のような、色とりどりのサンゴと熱帯魚を記憶に焼きつけた。
40分ほどシュノーケリングを楽しんで海から上がりシャワーを浴びた。

しばらくして潮が完全に退ききったとき、MDさんが釣り竿をもってリーフに向かった。
僕もすぐに偏光グラスを持って後を追った。

仕掛けを作りエサを付け、糸を垂らすとみるみるうちに魚が集まってきた。
ほとんど入れ食い状態でイラブチャーが釣れた。
今まで浜で釣っていたのは何だったんだ、と思わせるほど簡単に釣れた。
その後も次々に魚が釣れ、15分ほどの間に4匹も釣れた。
いくらでも釣れそうだったがさすがにこれ以上釣っても食べきれないのでそこで終了。
坊主の日々は終わりを告げ、今日は大漁だ。
MDさんは早速釣った魚をさばいていた。
僕は暑くなったのでシャワーを浴びた。

しばらくすると比嘉さんが集金にやってきた。
僕はあさっての船で帰ることを告げると
「また、必ず来なさいよ」と言ってくれた。
いつか、かならず戻ってきますよ。このキャンプ場が存在する限り。

TSさんのところに行ってみるとUKさんが顕微鏡を持ちだしていた。
プラスチック製であまり高級感はないが400倍でもよく見えた。
説明書には"プレパラート"や"カバーグラス"など、懐かしい語句が書いてあった。

今日は珍しく仙人が浜にシートを広げて海を眺めていた。
比嘉さんが集金に行くと、8月いっぱいまでいるという。
どういう事情があるかはわからないが、相変わらず言葉の少ない人だ。

7時近くなり蚊が発生し始めた。
僕はサマーベッドを浜に持ちだし夕陽を眺めていた。
西の空に雲は無く、真っ赤になった太陽がゆっくりと傾いていった。
水平線のわずか上で消えてしまったが、久しぶりに美しい夕陽を見ることができた。

陽が沈んだ後、炊事棟に行き夕食を食べた。
その後浜に出て最後の焚き火をした。
最初僕一人だったけど、WNさん、TSさん、UKさんも集まってきた。
今日は薪を用意していなかったので一時間ほどで火がなくなり終了。
炊事棟に戻るとTSさんたちが食事を作っていた。

残った蝋燭に火をつけ、沖縄の音楽を聞きながら最後のキャンプ生活をかみしめていた。
WNさんはテントに戻ってしまったが、3人で話しをしているうちに
いつのまにか日付が変わっていた。

1時前、最後のテントに潜りこんだ。


☆☆☆2003年5月21日☆☆☆
★★★米原最後の日★★★

7時前、目が覚めた。これが最後の朝だ。
天気は晴れ、最後の日にこんなにいい天気になるなんて嬉しいな。

いつもの通り炊事棟に行き、コーヒーを沸かしトーストを焼いて食べた。
複雑な思いになった。

しばらくしてテントの撤収を始めた。
とりあえず周囲のロープを切り、タープとして使っていたブルーシートを外した。
久しぶりにテントがむき出しになった。
そして引き綱を外していると、あちこちに何かのサナギが付着している。
それを剥がすと小さな穴がたくさん開いているじゃないか。
最初位置を固定する時に食いついたんじゃないだろうか。
これじゃタープ無しじゃ使えなくなってなってしまったよ。
でも3980円で2ヶ月近く使ったからまあいいかな。
そして外側を雑巾がけし、フライシートを外した。

今度は荷物の整理だ。
別便で送り返す物をより分けてコンテナーに詰めこんだ。
しかしこれだけでは収まりきれない。しかたなくもう一つ段ボールを用意した。

しばらくするとOKさんが街から帰ってきて最重要機密情報を得た。
SGが街にいたという。
所在不明になった宝貝や、搬入した資材の使用目的を調査する絶好のチャンスだ。
直ちにチームを編成し調査に出動。この調査は僕は3回目になる。
浜を歩き現場に到着。そこには恐るべき世界が広がっていた。
これぞまさに地上の楽園、あの永遠のシャングリラがそこにあった。
それに前回の調査時より相当なグレードアップがなされていた。
しばらく周辺施設を調査した後、重要な記録集を発見。これは意外だった。
30分ほどで調査を終了、大発見をしてジャングルを後にし、全員無事帰還した。

11時すぎころ、おじさんが軽トラで乗りつけ、カマドのところを何か見始めた。
どうやらこのカマドを使うようだ。そして大きな鍋を持ってきて乗せた。
昔給食室で見たあの大きなバケツのような鍋だ。
材木を持ってきて火を付けると辺りはすっかり煙に包まれた。

そのうちにお昼になってしまった。
僕はWNさんと知花食堂に歩いて行き、最後に残ったメニュー"みそ汁"を頼んだ。
これで知花食堂のメニュー全て制覇だ。
予想道りどんぶりに入った汁に野菜や肉、豆腐や卵などいろいろな具が入っている。
でも味噌味はしないような気がしたが…。
ご飯と漬物も付いてきて500円。かなり安い。

汗をかきながらキャンプ場に戻ってきて海を見た。
まだ十分に泳げるな。すぐに着替えて海に入った。
これで本当に最後の米原の海だ。少し寒い気もしたが、今日もサンゴも熱帯魚も美しい。
全てを記憶に焼きつけながら30分ほどの海中散歩を楽しんだ。
そして海から上がりシャワーを浴びた。

シュノーケリングセットを乾かし、段ボールに詰めこんだ。
まだ少し隙間があったので、いらない衣類で隙間を塞いだ。
そしてガムテープで封をした。これで送り返す荷物の梱包が終わった。
コンテナーと段ボールの箱をバイクに積みこみ、近くの川平郵便局に持って行った。
2個で送料が3000円弱。この前出したのと合わせて約4500円。結構かかったな。
なぜこんなに荷物が増えてしまうんだろう。
昨日作ったリサイクルボックスは3個に増えているのに。

郵便局から戻ってきて今度はテント本体の撤収を始めた。
まだ中に荷物がかなりあるので、とりあえず全て炊事棟に移した。
ペグを外し、ポールを抜くと、1ヶ月半暮らしたテントはぺちゃんこになった。
テントとフライをたたんで袋に詰めこみ撤収完了。
下に敷いてあったブルーシートを外すと、すっかりと更地になってしまった。
これを見ると、さすがに寂しくなった。

夕方、潮がかなり退いたのでMDさんは釣りに行く準備を始めた。
昨日あれだけ釣れたので、味をしめたようだ。
それじゃ僕も釣りをしよう。でも竿も糸も持っていない。
そこで僕は1メートルほどの塩ビのパイプを拾ってきてMDさんから糸をもらい先端に縛
りつけた。
重りはその辺に落ちているサンゴのかけらだ。
そして針も1本もらって結びつけた。でもこんなんで本当に釣れるんだろうか。

リーフの先端まで行き釣りを始めた。
でもエサを触るのが嫌なので、それはWNさんに頼んだ。
糸を垂らして数秒後、魚が集まってきた。そして手に懐かしい感触を感じた。
釣りなんてしたのは20年ぶりくたいかな。
すぐに引き上げると12センチほどのカラフルな魚だった。
魚を針から外すのもWNさんの役目だ。
しかし針を外し網に入れようとしたら魚を落としてしまい逃げられてしまった。
でもこんな仕掛けでも魚が釣れることがわかった。
MDさんの釣り竿よりも早く釣れた。

その後何回も大きな魚がかかったが、すぐに糸を切られてしまった。
結局パイプ竿で吊り上げたのは4匹で、2匹逃げられた。
そして3回も糸を切られてしまった。
MDさんは吊り上げたのは2匹、そのうち1匹は小さすぎるのでリリースした。
潮止まりになり、針も無くなったので今日はこれで終了。合計3匹を持ちかえった。
MDさんは唐あげにして今夜のおかずにするという。

炊事棟に戻ってきて足を洗った後、僕とWNさんは街に食事に行くことにした。
バイクを連ねて出発。複数台で走るのも、これで本当に最後だな。
於茂登岳の上に見える夕陽がとてもきれいだった。

20分程で市街に到着。労金のキャッシュコーナーに寄ってあさひ食堂に向かった。
これで石垣最後の食事だ。僕はゴーヤー炒めを頼んだ。
ゴーヤーチャンプルーと何が違うのかはよくわからなかったが
ゴーヤーは意外に美味しく、やみつきになりそうだ。
そしてなによりここは量が多い。
やっとのことで腹に詰めこんだが、汁までは飲めなかった。

帰り、マックスバリューで明日の朝のパンを買い、給油をしてキャンプ場に戻って来た。

すかっかり暗くなったキャンプ場で、僕は荷物をまとめた。
水着は半乾きだったが袋に入れてバッグに詰めこみ、バイクに乗せた。

しばらくしてWNさんはテントに戻っていった。
「おかげで石垣島を満喫できました」という言葉には心を打たれた。
ここに来る回数を重ねるうち、いつのまにか他の人を案内できるようになっていたんだなあ。

日記を途中まで書き終え、真っ暗になったサイトを歩いてTSさんたちのゆんたく場に行っ
た。
TSさんの他にUKさん、YKさんもいた。
「やじさんがいなくなると、すごく寂しくなるね」
そういわれると僕もせつなくなった。でも反面、すごく嬉しかった。
しばらくしてOKさんが戻って来た。
蝋燭の灯りの下、話しをしているうちに、いつのまにか日付が変わり、1時近くなってPTさんも戻ってきた。
僕にとっての最後の夜は、最高に楽しい夜になった。そして、忘れられない夜になった。

僕も、今回の旅で、石垣を満喫できた。

午前1時半過ぎ、僕は今日だけの寝床に就いた。


☆☆☆2003年5月22日☆☆☆
★★★さようなら石垣★★★

4時過ぎ、バイクの音で目が覚めた。こんな時間にどこへ行くんだろう。
4時50分、再び目覚まし時計で目が覚め出発の準備を始めた。
外に出るとまだ真っ暗だ。懐中電灯を持って炊事棟に行き顔を洗った。
すると誰かこちらに歩いてきて自販機で飲み物を買った。
こんな時間になんだろう。
よく見るとMDさんだ。
そしてまた2人連れがこちらに向かってきた。TSさんとUKさんだ。
3人もこんな朝早く見送りに来てくれたんだ。

僕は残った荷造りをしてバイクに積みこんだ。
そしてバイクにまたがりエンジンをかけて米原を後にした。
3人は笑顔で手を振って見送ってくれた。
こんなに朝が早いんで、僕は一人で出発すると思っていた。
本当に嬉しかった。ここに来てよかったと思った。

ライトが前方を照らしだし、景色が後方へ流れていく。
なぜかエンジンの音は聞こえず、風の音だけが聞こえる。
トンネルを抜けると、於茂登の山々の稜線が、僅かに空との区切りを現わしていた。
そして朝霧がたちこめ、なんともいえない幻想的な世界を作りだしていた。
僕は霧の中をバイクで駆けぬけ、米原の日々を思った。

20分程で、少し明るさを取り戻した市街地に入った。
当然営業している店は無い。信号と、自販機の明かりだけが輝いている。
730の交差点まで来て、港が近付いてきた。いよいよだ。
僕はよく通った図書館の周りを一周回ってから港に向かった。
いつか必ず戻って来るよ。

港に着くと、すでにNMさんのバイクが停まっていた。
あのバイクの音のドカティーも停まっていた。
2階のデッキに上がるとNMさんがいて、出航が1時間ほど遅れるという。
まあ1時間くらいの遅れはよくあることだが最初からわかっていればな。
もうすこしゆっくり出発できたのにな。

空はすっかり明るくなり、市街地の方向にはオレンジ色の太陽が雲の上に顔を出した。
遠く靄がかかっていて、まるで夢の中のような光景だった。

しばらくして船が入港してきたので僕達は下に降りバイクを移動した。
しかし荷役作業がなかなか終わらず、乗りこんだのは定刻より1時間遅れ、7時45分ころだ。
これじゃ1時間遅れじゃすまないな。結局1時間20分遅れの8時5分、岸壁を離れた。
46日間の八重山の旅が終わった。

しばらくデッキに立って、だんだん小さくなっていく石垣の街を眺めていた。
相変わらずの靄で視程はよくない。
今朝は2時間半くらいしか寝ていなかったので、眠くなって船室のベッドに戻った。
出航から1時間ほど経ったので外に出てみたが、靄でもう島は見えなかった。
視界がよければ船からも米原が見えるんだけどな。諦めて再び船室に戻り休んだ。

お昼ころ、宮古寄港のアナウンスで目が覚めた。
さっそく外に出てみた。船はすでに港内に入っていて転回しているところだった。

接岸が近付き、ふと埠頭を見渡すと見たことのあるような人が立っている。
記憶を遡ると、米原の10号にいたMDさんじゃないかな。
1週間ほど米原に滞在して宮古に向かったんだったよな。
銛を持っていて、スクーターに大量の荷物。さらにクーラーボックスも持っている。
これだけ条件がそろえば間違い無いだろう。
指笛を吹いて手を振ると、サングラスを外してこっちを見た。
でも遠すぎて僕だとはわからなようだった。

スクーターが乗船したのを確認して船内に戻った。
しばらくしてMDさんと思われる人が乗船してきたが、手続きをしてすぐに船室に入ってしまった。
声をかけるタイミングを逸してしまった。多分間違いないと思う。
こんど見掛けたら声を掛けてみよう。

1時間以上の遅れで宮古を出航した。
それからしばらく木甲板に出て離れていく宮古島を眺めていた。
気温も高く、日差しも強烈。海の色もコバルトブルー。ここはまだ沖縄だ。

明日の今ごろはすでに沖縄を出ている。
もう少しこの暑さを味わっていたい。
缶コーヒーを飲みながら日陰に座り風を感じていた。

一度船室に戻り、サングラスとウェストポーチを持って木甲板に出た。
そして通路の下の日陰に横になって空を仰いだ。
いつのまにか夢の中に誘いこまれていて、気がつくと1時間以上経過していた。

6時ころ、レストランに行き食事をした。
パンやカップ麺は持っていたが、どうしてもカレーが食べたくなった。

席に着いて待っていると、同じテーブルに数人が座った。
話しを聞いていると米原が話題になっていて、今までキャンプしていたと言っている。
ふと顔を上げるとあのカップルだ。
去年から習志野の軽ワンボックスで来ていた人だ。
つい数日前まで米原にいたな。
話しをするのは初めてだったけど、僕のことを覚えているようだった。
世間は意外に狭いんだなあ。

その後展望通路で休んでいると、宮古から乗ったMDさんが歩いてきた。
僕は立ちあがって歩いて行き、目が合うとMDさんも気がついた。
席に座り泡盛をいただいて話しをしていると、あれからずっと宮古にいたという。
そして名古屋で降りて、これから神津島へ行くらしい。
8時過ぎ、MDさんは少し休むといって船室に戻っていった。
僕も船室に戻り少し休んだ。

9時半ころ、那覇港入港のアナウンスが入った。
僕は一時上陸するため下船券を上陸用のパスに切り替えた。
船が接岸し、下船が開始されたので僕はタラップを降りてバスに乗りターミナルまで行った。
そして近くのコンビニエンスストアーまで10分ほど歩き、お土産用の古酒と
自分のチューハイとお菓子を少し買った。
そして再びターミナルまで歩き、バスに乗り船まで行って乗船した。
これでしばらく沖縄ともお別れだ。
でも、来ようと思えばいつでも来れるじゃん。

パスを再び下船券に切り替え、展望通路に行き
チューハイを飲んでいると(多分)OMさんから電話があった。
PDC式の携帯のため音声の忠実度が今いちだ。
内容は、今度の日曜に会社に遊びに来たら?ということだった。
もう少し早かったらお土産を買って帰れたのにな。
まさか電話があるとは思わなかったよ。とっくに忘れられていたと思っていた。
でも、すごく嬉しかった。

一度船室に戻りデジカメを持ってデッキに出て写真を撮った。
ストロボをオフにして手擦りを利用してカメラを固定し、
スローシャッターを切ると見たままが忠実に再現できる。
これが最後の沖縄だな。

再び展望通路の椅子に座りチューハイを飲んでいた。
11時半ころ、船室に戻った。


☆☆☆2003年5月23日☆☆☆
★★★船での一日、最後の夜★★★

今日で旅に出てから50日目。明日には家に帰ります。
7時過ぎ、誰かがつけたテレビの音で目が覚めた。
とりあえず顔を洗い歯を磨いて外に出てみた。
天気は曇り、でも青空も少し見える。
あの強烈な日差しは無く、風も少し違う感じがした。
幸い海は穏やかで、ローリングはほとんど感じられない。
長い周期のピッチングはあるが気になるほどでもない。
今日一日ノンストップの航海だ。

展望通路にはMDさんも来ていて、僕は話しをしながら缶コーヒーを飲みパンを食べた。
僕はしばらく過去の日記を読み返していた。

10時過ぎ、外の木甲板に出てジャグジーの上で横になった。
来た時にもMNさん、YWさんと3人でここに来て写真を撮ったな。そんなことを思いだした。

船はもうだいぶ北上してきただろう。それでも日差しはまだ強く、風も温かい。
しかし太陽が雲に隠れると、少し涼しく感じるようになった。
一度船室に戻りお菓子を持って来た。

その後ベッドでしばらく休憩。
同室のおじさんは、この船は最低だと言っていた。
今までこんな船には乗ったことが無いという。
たしかに他の豪華客船に比べれば設備は格段に劣る。
でもこの船はカーフェリーだ。比較対象が間違っている。
他社のフェリーと比べても、同じ運賃で大部屋じゃなくてベッドで、部屋にシャワーも付いている。
僕はこの船は最高だと感じている。
同じ船で、同じ時間を過ごすのに、最低と思うか、それとも最高と思うか。
少なくとも僕の方が幸せだと思った。

それに昨日から昼夜を問わず大きな声で話しをする。
豪華客船に乗ったことがあるわりには公共スペースでのマナーがなってない。
まあ豪華客船には相部屋なんてないからね。仕方ないのかな。

再び外のデッキに出て、通路の下の日陰で横になった。

1時半ころ、カップ麺を食べに展望通路に行った。
その後再び外のデッキに出た。
ウェストポーチを枕にして天を仰いだ。

途切れることなく続くエンジンの音。波の砕ける音。
ゆっくりとしたピッチングで、上下に揺れる水平線。
暖かい日差しを受けて、眠ってしまった。
4時半ころまでデッキにいた。
携帯はずっと圏外のままだった。

その後展望通路に移るとMDさんが1冊の本をくれた。
宮古島でもらった本らしいが、平良市立図書館のスタンプがある。
中島渉著、熱帯夜の安息。多分リサイクル本だろう。

6時過ぎ、レストラン営業開始のアナウンスがあった。
これで今回の旅の最後の夕食になる。
僕はレストランに行き、とんかつ定食を頼んだ。
とんかつとマカロニとキャベツのサラダ、汁と漬物にモズク、それにシークァーサーのゼリー。
これで900円。今回の旅に出てから最も高価な食事だ。
八重山の食堂のように極端な量はないが、船内の食事としてはまあまあだ。

夕食を終え外を見ると雲がオレンジ色に染まっていた。
急いでカメラを持っデッキに出たが、水平線上は暑い雲。
水平線に沈むサンセットは見られなかった。
それでもオレンジ色の雲の中の夕陽は美しかった。
そして、最後の夕陽が雲の中に沈んでいった。

それからはずーっと展望通路にいた。
時々外のデッキに出て天気と気温を確かめた。
やはり少しづつ風が冷たくなってきた。
8時過ぎ、オリオンビールを買ってきて飲んでいた。
いつのまにか揺れが大きくなっていた。
10時を過ぎると通路の椅子には3人ほど残るだけになった。
明日の朝の到着に備えてみんな早めに休んでいるのだろう。

僕も11時前にはベッドに戻った。

さあ、明日はついに51日間の旅を終え家に帰る日だ。天気がいいといいな。


☆☆☆2003年5月24日☆☆☆
★★★無事帰還★★★

同室のおじさんたちの話し声で目が覚めた。
時計を見ると、まだ5時半前じゃないか。
この部屋は貸し切りでもないし
全員があなたたちのように早起きなのじゃないんだから。
もう少し考えてもらいたい。

どうにもならず、しばらくして部屋を出て展望通路に行き日記のアップ。
やっと携帯が通じるようになったよ。
そして朝食を食べているとNMさんがオレンジを丸ごと1個くれた。

レセプションホールには到着予想時刻が表示されていて
それによると名古屋到着は定刻の2時間遅れの午前9時になっていた。

外を見ると、そこはすでに別世界になっていた。
鉛色の海、たくさんの貨物船。外に出ると冷たい風。
あのコバルトブルーの海はどこに行ったんだ。
この海を見ると、帰ってきたことを実感する。

ふと思った。この海は、米原ともつながっているんだ。
みんな、今ごろ何しているのかな。あの、テント村が目にうかぶ。
時間だけは、今も変わらずに流れ続けている。

今回の石垣滞在は、多くの人と出会い、いろいろなことを得た。
そして何よりも、天気に恵まれたことは、旅をさらに楽しいものにしてくれた。
出発した時の嵐も、今となっては楽しい思い出だ。

米原では、何人もの人が僕を頼ってきた。
今までは、そんなことはなかった。
僕は今まで、多くの人に助けられ、その結果今の僕がある。
僕を助けてくれた人達も、その先輩から助けられたのだと思う。
今度は僕が、誰かを助ける番だ。
そしてその輪が、大きく広がっていったらいいなと思う。
訪れる人は変わっても、いつまでも、変わらぬ米原であってほしい。

8時半頃、車両甲板へ降り、久しぶりにバイクに再会し荷物を載せた。
8時50分、ランプウェイが開き僕はエンジンをかけ港に降り立った。ついに帰ってきた。

NMさんと2台で、R23、R1と乗り継いで我らが故郷沼津に向かった。
やはり風は冷たく、ジャケットを着て走る。
本当に久しぶりに走るR1。単調な景色と渋滞を避けるためいつも敬遠していたが
たまに通るといいもんだな。 10時を過ぎると暑くなってきた。
NMさんがドラッグストアに寄ったついでにジャケットを脱いだ。
駐車場で止まっていると老夫婦に話し掛けられる。

途中吉野家の牛丼で昼食。
道の駅富士で寒くなり再びジャケットを着込んだ。
西沢田の交差点でNMさんと別れ、16時20分、僕は51日間の旅を終え、家に到着した。
ここで今回の旅は終わり。でも僕の旅はまだ続きます。

その後部屋に入り、大量にたまっていた郵便物を分類。
国保の督促状や自動車税の納付書が大量に送られてきていた。

夕方美術館をアップ。結局10時近くまでかかてしまった。

12時過ぎ、僕は52日ぶりに湯船に浸かった。そして布団で眠った。


☆☆☆☆☆☆
★★★★★★

出発したのが4月5日。あれから50日間留守にしている間に随分季節が進んだ感じがする。
いつのまにか緑があふれ、花も咲いている。満開だった桜も、今は葉っぱがいっぱいだ。

それでは今回の旅費の集計をしてみよう。
まず往復のフェリー代、コムレイドクラブ割引を使って往復 63,392円
行きの高速道路料金、沼津から吹田までと阪神高速で 7,850円
石垣での交通費、波照間、西表、竹富に行ったので 12,120円
キャンプ料金は少しまけてもらって 13,600円
ガソリン代は 15,724円
食費は 47,433円(1日あたり930円、贅沢しすぎたか?)
その他の雑貨で 29,405円
自動販売機で買った清涼飲料水などで 2,330円
〆て191,854円也。1日平均約3,762円でした。





















この記録は僕が4月5日から5月24日までの51日間
去年の事故で失われた時間を取り戻すべく
石垣の米原キャンプ場を旅したときの記録である。
たくさんの感動と出会いのあった旅だった。