中国。4000年の歴史を持ち56の民族、13億人の人々が暮らす広大な国土。
世界中で一番多くの人達が使用している言語が中国語だ。
日本とは違う政治体制のもと、独自の文化を継承し発展を続けている。
過去においては敵対する時期もあった。
しかし今、両国は切っても切れない関係になった。そしてこれからも。

改革、開放政策により、都市は近代化が進み建設ラッシュ。
外国人が立ち入ることのできない地域も少なくなった。
古い建物は撮り壊され、高層ビルが立ち並び、夜はネオンに彩られる。
ドイツ製高級車に乗り、五つ星のホテルに泊る人も多くなった。

でも、ちょっと裏通りに入ると、伝統的な中国の姿が残っている。
そして、多くの問題をも抱えている。
しかし、人々の顔には活気が満ち溢れている。
日本人が忘れてしまった、活力がみなぎっていた。

言葉も、文化も違うけど、なぜか懐かしい感じがした国だった。

2003年3月6日から13日まで、僕が旅した中国の記録である。


☆☆☆2003年3月5日☆☆☆
★★★いよいよ明日 静岡→成田★★★

今朝は朝6時に目が覚めた。昨日は12時前に寝たからかな。
それにしても寒かったな。この辺りじゃめったに氷点下にはならないんだけどね。

朝食を食べてから最終準備、HPを更新して部屋の電源を切った。
しばらく間があいてしまうので病院へ向かった。
しかし到着するも診察券を忘れたのに気付き出戻り。
昨日財布の中身を整理していたとき、明日必要だからと別にしておいたんだ。
一度家に戻り、結局再び病院に着いたのが11時近くなってしまった。
でもこの時間なら病院は空いていて、5分くらいの待ち時間でマイクロ波治療が始まった。
治療が終ると家に戻り昼食を食べた後、車に荷物を積みこんだ。

12時20分出発。R246を北上する。御殿場まで片側2車線なので快適だ。
御殿場警察署前からは1車線になるが、小山町は久しぶりだな。
途中丹沢湖方面に逸れ道の駅で休憩、再び246に乗るがしばらくすると渋滞だ。
なんだなんだこんな所で、動いたり止まったりするが流れは極めて悪い。
いったいどこが先頭なんだろう。
15分くらいすると左に工事中の看板が見えた。
この先・・・2000メートル?ひえーっ、2キロもこんな渋滞してるのかよー。
片側1車線だし脇道も無さそう。あきらめて渋滞にハマっていた。
結局この渋滞を抜けるのに45分もかかってしまった。

大井松田インター付近を通過すると流れがよくなった。
しかししばらくするとまた渋滞だ。これは自然渋滞かな。
全区間一般道で行こうかと思ったがこの辺りで疲れてしまい、
案内標識に従って秦野中井インターに向かった。

高速道路は快適だ。東京インター、用賀料金所もETCで難なく通過。
3号線の渋谷辺りで若干渋滞したが谷町まで30分くらいしかかからなかった。
環状線内回りに乗りレインボーブリッジを渡り、湾岸線を東進。渋滞は無い。
東関道を成田の1つ手前で降りてコンビニで買い物。
5時過ぎワシントンホテルに到着。駐車場に車を止めフロントでカードキーを受け取った。

宿泊料金は旅の窓口を通したので5250円。
一般の駐車場の駐車料金より安い。
前日から余裕をもって行けるし、旅行気分も高まるし一石三鳥だな。

明日はホテルを6時50分出発のバスに乗るので早めに寝よう


☆☆☆1日目 2003年3月6日☆☆☆
★★★中国だ 成田→厦門★★★

夜中に何度も目が覚めてしまったな。なかなか寝つなかったよ。
おまけに変な夢を見るし。

夢の中で目が覚め、起きたらもう朝でとても間に合わない。
やばい!と思いあたふたするがどうにもならない。そのうちに目が覚める。
また寝入るが別のシチュエーションで同じような夢を見る。
そんなことを2・3回繰り返した。なぜだろう。

目ざましは5時半にセットしたのだが5時15分に目が覚めた。
すぐにバスタブにお湯をため、シャワーを浴びた。
ゆっくりとお湯に浸かっていたら6時になってしまった。
急いで上がって着替えをした。

機内持ち込みと貨物室預けの荷物を分けて整理する。
一応準備が完了したので6時35分、部屋を出てカウンターに行きチェックアウト。
車のロックと忘れ物が無いかを確認し、ロビーでバスを待った。
6時45分、空港行きのシャトルバスが到着した。
無料バスだからマイクロバスかと思ったら、大型の観光バスだ。
よく見ると成田ビューホテルとの共同運行だった。飛行機みたいだな。

途中ビューホテルから8人くらい乗りこんできて検問所に停車。
検問所では2人乗りこんできて荷物とパスポートなどを確認した。
この人達は警察官じゃ無さそうだけど、一人は茨城なまりだった。
ホテルから20分くらいで空港に到着。
指定のカウンターで航空券を受け取った。
窓口にいた人は添乗員さんで、この前電話をしてきてくれた人だ。

チェックインカウンターで荷物を預け搭乗手続きをし、チェックイン。窓側の席だった。
搭乗券を受け取ったがこれは国内線の方が高級感がある。
国際線はなんかチャチだな。
マイル受付機でマイルの登録。
ここまでは国内線とほとんど変わらない。

その後ツアー参加者が全員集合した。
全部で21人、一人での参加は僕ともう一人いた。
ほとんどは仕事をリタイヤした夫婦、それに3人家族が1組だった。

手荷物検査を通過すると、その先は税関だ。これは国内線には無いな。
搭乗券とパスポートを提示、係員は事務的に処理し一言も発しなかった。
今日の搭乗口はいちばん隅っこの方の86番、シャトルに乗り搭乗口へと向かう。
まるで羽田の石垣行きのバス乗り場のように遠い。

9時20分搭乗開始、機材はB767で座席は47K。
2−3−2の座席配列で、座席ピッチが国内線に比べ広いような気がした。
定刻に出発、新滑走路からの離陸だ。
離陸してしばらくすると雲の上に出て、それっきり見えるのは雲ばかり。
最初飲み物が配られ、10時半ころ機内食が出た。随分早い昼食だな。
食べ終わった後、少し頭が痛くなったのでうとうとして寝てしまった。
しかしエコノミークラスじゃよく寝られない。寝たり起きたりの繰り返し。

約4時間経過し、やっと着陸態勢に入った。しかし何も見えない。
車輪も固定されたしかなり高度は下がっているはずだけどな。
すると突然滑走路が見えた。地上近くまで霧が立ちこめていたんだ。
何事もなく厦門(アモイ)空港に着陸、しかしなかなかドアが開かない。
外を見ると作業員は誰もヘルメットを被っていない。
それに猛スピードで走る誘導車もいるし、自転車も走っている。日本では考えられない。

そのうち機長からのアナウンスで、ボーディングブリッジが付くのに時間がかかるらしい。
いったいどういうことだ?そんなに時間がかかるわけないのにな。
しばらくするとまたアナウンスがあり、タラップが全然動かないという。
今度は他のピットに移るため、空港当局と交渉中というアナウンスだ。
おいおい、いったいどうなっているんだ。

右隣の飛行機を動かしているところを見るとあそこに移動するんだろう。
でもこんなんじゃまだだいぶ時間がかかるな。
隣の飛行機が見えなくなり、ようやくこの飛行機を動かし始めた。
結局到着してから40分も缶詰にされてしまった。
30分遅発のANAが着陸してきて僕達より先に降機し始めたよ。

何とか機を降り歩いていくと、入国審査が大混雑している。
入国審査が厳しくなって、かなり入念にチェックしているようだ。
写真を撮ろうと思ったが、よく見ると撮影禁止の看板。もし撮ったらどうなるのだろう。
30分ぐらいでやっと自分の番になった。それにしても蒸し暑い。
中国語で何か聞かれるんじゃないかと一瞬焦ったが、何事も無く通過した。
荷物はすでに出ていてターンテーブルをグルグル回っていた。
ここは二階から荷物が滑り落ちてきて、
周回するターンテーブルの上に滑りこむようになっている。
一度出てくると壁の向こうに行ってしまうことはない。

荷物を回収しバスに向かうが、貨物室預けの荷物がノーチェックだ。
半券と照合することも無くそのまま到着ロビーに出た。こんなんでいいの?
現地ガイドに続いてバスに乗りこむと、レストランに向かうという。
えっ、機内食が昼食じゃ無かったなんだ。

天気は曇り、泣きだしそうな空。
でも、窓から見える風景は正に中国だ。外国に来たことを実感。感動だ。
日本と時差があるので腕時計の時間を1時間戻す。
大きな交差点の信号には赤になるまでの時間が表示されている。
黄色になる前に青が数回点滅する。これは日本にはないな。
それに歩行者用の信号は青になると人が歩く物もある。アニメーションのようでおもしろい。
日本と違って信号の種類が統一されてない。

15分程でレストランに到着、すでに現地時間で3時近い。
昼食は例の回るテーブルの中華料理。お茶を飲みながら食べる、飲茶。
初めての料理もあったが、福建省の料理はあまり油も辛さも無く日本人の口に合うな。
横浜の中華街で食べたものとあまり変わらないような気がした。
いろいろ食べてお腹いっぱいになった。

再びバスに乗りこみ最初の観光地はアヘン戦争当時の砲台が残る胡里山砲台だ。
10分程で到着。ここはメジャーな観光地で次から次へとバスが乗りつけてくる。
しかしあんな狭い所をよくバスが通るな。信じられないよ。

中に入りしばらく歩くと大きな大砲が見えた。
ここの大砲はドイツ製で世界最大というがたしかにデカい。ナバロンの要塞を思いだすな。
陸上自衛隊の最大火力は203_りゅう弾砲だから、それよりはるかに大きい。

そこに併設されている奇石博物館のような所にも寄った。
いろいろな珍しい形や色の石があったが
数が多すぎて、かえって珍しさが薄れてしまう。
ここには中国の人もたくさん観光に来ている。
やっぱり異文化を肌で感じると嬉しくなるよ。

その後厦門でも一番の歴史があるという南普陀寺に寄った。
線香のいいにおいがする。中ではお坊さんのお経が響いている。
同じ仏教のようだが日本のお経とは全然違う。まるで歌のようだ。
熱心な信者が線香をたくさんもってお寺の中を巡っていた。こういうことも日本にはないな。
異文化がすごく新鮮に感じてあちこちに目を奪われガイドの説明はあまり耳に入らない。

お寺を出ると階段の下の方で女の人が二人で大声で言い争っている。
何を言っているのかわからないが、すごい剣幕だ。
今にも手が出そうな雰囲気だが、これも中国の文化かな。
やっぱり中国に来てよかった。

南普陀寺を後にし、お茶の工場の見学。
中国茶の作法などを見学しながら5種類のお茶を飲んだ。みんなウーロン茶だ。
沖縄でよく飲んだジャスミン茶もあった。沖縄ではさんぴん茶と言ってたヤツだ。
僕は妹に頼まれたジャスミン茶を買った。
ガイドの説明によると毎年サントリーがお茶を買いつけに来るが、それは一番安いお茶だという。

だいぶ暗くなり、一度ホテルに戻ってから夕食になる。
今日のホテルは厦門金雁酒店。酒店といっても酒屋ではない。
中国では”酒店”とか”飯店”はホテルのことなんだ。

スーツケースは既に届いていて、ポーターに頼むと10元チップを渡さなければならないし
いつ部屋に届くのかもわからない。
僕はフロントのキャリヤ付きコンテナーに積んであった自分のスーツケースを降ろした。
部屋まで自分で荷物を持っていったのは僕だけだったようだが
あとで集合したときみんな荷物が来るのが遅いと文句を言っていた。

夕食は海鮮料理だ。エビ、カニ、ホタテ、魚料理とかたくさん出てきた。
出てきた料理を片っ端から少しづづ食べる。中にはすごく辛い物もあったが
食べてみると意外においしかった。
昼食からあまり時間が経っていないのですぐにお腹いっぱいになってしまった。
それでも一通り食べられたな。

9時前ホテルに戻ってきたが雨が強くなってきた。
明日ももう一日厦門だけど天気が悪いのかな。
テレビはNHKのBSがノイズ混じりながら映る。
せっかく中国に来たのだからしばらくは中国語のローカル放送を見てみよう。


☆☆☆2日目 2003年3月7日☆☆☆
★★★厦門2日目→桂林へ★★★

一年中暖かいといわれる厦門でも夜はやっぱり少し冷えるな。
現地時間朝6時半起床、NHK-BSを見ていると
1時間遅れの時刻が表示されていてびっくりする。
よく考えると時差があるんだよな。中国で日本の放送は合わないな。

7時半、1階のカフェに降りバイキングの朝食だ。
僕はいつも朝食はパンなので、サラダを少しとパンをいくつか選び
飲みものはオレンジジュースにした。
コーヒーも飲みたかったがどこにあるかよくわからなかった。

朝食を終えると部屋に戻りしばらくテレビを見て過ごしていた。
外に出て散歩をしようとも思ったが荷物の整理に時間がかかってしまい
8時半ギリギリにスーツケースをポーターに渡した。
部屋の中の日本語表示をあちこち見て回ったがほとんどが間違っている。
シャンプーとかボディーソープなど見なれないものを適当に集めてみた。
9時15分、集合時間になったので1階のロビーまで降りていった。

チェックアウトに結構時間がかかったな。
ここは昔から時間がかかるので有名らしい。
外にバスが待っていたので乗りこんだ。

それにしてもこっちの交通マナーは全然なってない。それ以前の問題だ。
割り込みや幅寄せは当たり前。横断歩道に人がいても減速しない。
人は車の間を縫うように渡ってくるし、中央線に取り残されている人も珍しくない。
これでよく事故が起こらないか不思議だよ。
僕の目から見てもこっちの人の運転は怖い。

しかし厦門の街はクラクション禁止でその面ではすごく静かだ。
それにここは中国特有の自転車の大群がいない。
サイドカー付きの自転車はよく見かける。
というのも取締りが厳しく、違反をすると罰金を取られその上罰として旗を持って街に立ち、
次の違反者が捕まるまで自由になれないらしい。
罰金よりその罰の方が恥ずかしいのでみんな路線バスに乗るという。

ここ厦門は経済特区で今建設ラッシュだ。
古い建物を取り壊し高層マンションを建てている。
僕はどっちかといえば古い伝統的な中国が好きなんだけどな。

まもなくコロンス島のフェリー乗り場に到着。
バスが止まるとたくさんの人が集まってきた。なんなんだ、いったい。
ドアが開くと同時にその人達が「あげます、あげます」といって地図のようなものを差し出してくる。
ガイドは無視しろというがあまりにもしつこい。中には5歳くらいの子供もいる。
「あげます」というのは「売ってあげます」のことらしい。1部10元と言っていたな。
要らないと言っているのに聞く耳もたずに追いかけてくる。
フェリー乗り場に入るとあきらめたようで戻っていた。

フェリーに乗っているのは10分足らず。海は汚れていて汚い。
この船は2階建てになっていて、2階は上等級で1元の追加料金だ。
でも椅子はステンレスのプレス品で座りごこちは全然よくない。
まるで流し台のようだ。立っていた方がましだ。
空は曇ってはいるが雨は降りそうも無い。よかった。でも風が冷たいな。
ウィンドブレーカーを持ってきてよかった。

コロンス島に上陸すると、電動カートに乗車して島内観光。
この島には自動車は3台しかないという。救急車、消防車、それにパトカー。
自転車も郵便配達の2台だけらしい。
通りに面している建物はどれもきれいだが、ちょっと奥に入るとまるで別世界だ。
狭い路地に密集した建物、それにたくさんの洗濯物。
ここでも多くの人々が暮らしているようだ。
本当はこういう路地に入ってみたいんだけどな。

緯度的には沖縄と変わらないはずなんだけど植生が違う。
亜熱帯特有の大きな羊歯類や蘇鉄の類がない。
しっかり花粉も飛んでいて目がしょぼしょぼするよ。

途中ピアノ博物館に寄り中を見学したがどれも弾くことはできなかった。
ふと見上げると高い岩の上にたくさんの人達が登ってひしめきあっている。
地上から100メートルくらいある尖がった岩だ。登ったらいい景色だろうな。
こんどはツアーじゃなくてフリーで来たいな。
一日かけてゆっくりと歩いてみたい島だ。

その後海底世界という水族館を見学したが、海底というより海中だよな。
そこには珍しい魚がたくさんいた。巨大な淡水魚や鯰(なまず)など。
ちゅら海水族館にはいなかったグロテスクなヤツらだ。でも僕はこの方が好きだ。
海中のトンネルもあったが、ちゅら海を見た後だからな。ちょっと物足りない感じだ。

一通り島を巡ってフェリー乗り場に戻ってきた。
ちょうどフェリーは接岸していて、ツアーの何人かが乗りこんだところでドアが閉じてしまった。
添乗員もガイドも乗れなかった。こっちは融通がきかないようだ。
僕達は次のフェリーで厦門に戻ったが、先発隊は乗り場で待っていた。
帰りも地図売りの人達に囲まれて、振り払いながらバスに逃げこんだ。
服をかなりひっぱられ、つねられる人もいたよ。

バスに乗りレストランで昼食。
当たり前のようだが毎日中華料理だ。
なんだかわからない物もあったが、思いきって食べてみると意外に美味しいものあった。

昼食を終え、土産物屋に寄ってから空港に到着。日が射してきた。
中国では国内線でもパスポートなどの身分証明が必要だ。
金属探知機のゲートでは、ポケットのキーや腕時計、ベルトのバックルにも反応したようで
全身ボディーチェックを受けた。かなり感度を上げているようだ。

搭乗口の待合室で待っていたが、定刻間近になってなぜか人が降りてきた。
なんだ?この便が折り返しだとすると定刻には出られないな。
それにこんなに待っている人全員乗れるのかな。
前から見たところB737のようだ。

定刻の3時25分くらいになってようやく搭乗開始。機材はB757だった。
これは日本には無い機材だな。3−3の座席で、B737が長くなったような感じだ。
座席に座ってシートベルトを締めたと思っていたがバックルが外れていてスッチ−に指摘された。
結局定刻から20分遅れで飛行機が動きだした。
厦門空港の滑走路は長いようで、ゆったりとした加速感で離陸した。
今回は通路側なので外が見えない。
ドアが閉まったら移動しようかと思っていたが、残念ながら満席だった。
機内では飲み物やグミのようなお菓子が出た。
ちょっと疲れたので寝てしまった。

着陸態勢に入ったころ目が覚めた。
しばらくして着陸。強烈な衝撃を感じ機内が騒然となったが何とか無事到着。
ボーディングブリッジを歩いていると少し寒く感じた。
通路を歩いていくと滑走路の向こうに、あの山水画の世界が広がっている。
おおーっ、あれが見たかったんだよ。明日は船から見られるな。
空港からバスまで歩いていく。大きな荷物は別便でホテルに運ぶ。
バスに乗り高速道路を走っていると奇妙な形の山々が広がってきた。
日本には無い世界だ。いいなあ、言葉には表せない感激だ。

30分ほどで市街地に入ってきた。テレビで見たあの中国が目の前にある。
たくさんの自転車とバイク、それに自由市場に集まる人達。僕は中国に来た。
まもなくホテルに到着。荷物はまだ30分ぐらいかかるという。
とりあえず部屋に入りバルコニーに出たら眺めが素晴らしい。
今日からここ桂林賓館☆☆☆☆に2連泊。
夕焼けの空の向こうに奇妙な形をした山々。本当に筆舌に難い。

夕食は今日も中華だ。でも厦門とはだいぶ違うな。
こっちはかなり油っこいよ。それに何だかわからない物が多い。
食べる前にそれが聞かない方がいいようだ。この辺りでは犬を食べる習慣があるんだ。
そういえば街なかで犬を見かけないな。

夕食の後、街に出てふらふらと屋台を覗いて歩いた。
どこでも値段は表示してなくて店員と交渉して決める。
お土産など民芸品が極端に安い。それに値切ると半額くらいになる。
途中干し柿の7個入った真空パックを4元で買って歩きながら食べた。

僕はこのように街をふらふらと歩くのが好きだ。でも今までは国内だった。
中国でも田舎の方は治安もすごくいい。東京や大阪より安全だ。
さすがに夜は路地裏には入る気はしないけどね。
1時間半くらい歩いてからホテルに戻った。
明日は璃江下り、楽しみだな。


☆☆☆3日目 2003年3月8日☆☆☆
★★★桂林 漓江下り、ネズミを食った!★★★

6時半にセットした目覚ましより30分早く目が覚めた。
すぐにシャワーを浴び身支度を整える。まだ少し薄暗い。
朝食は7時からだが5分くらい早めに1階のレストランに行ったら
もう食事を終えて出てくる人もいた。なんだ、もっと早く来ればよかったな。
今日はパンと紅茶。朝はあまりご飯は食べたくないんだ。

適当に食事を済ませて部屋に戻り、
荷物を整理して貴重品を金庫に入れて、7時55分にロビーに下りた。

バスは8時に出発する。外に出ると寒い。気温は5度くらいだ。
天気は薄曇り、雨は降りそうにも無い。まあまあだ。
バスの中は暖房が効いていないのでウィンドブレーカーを着こんだ。
3人ほど遅れてきたので8時5分ホテルを出発した。
今日は僕の一番楽しみにしていた璃江下りだ。

郊外に出ると道が悪くなりカーブも多い。
しかし交通ルールなんて無いに等しい。
人々は平気でバスの直前を渡ってくるし、
随分流れが悪いと思ったら、水牛の親子が道の真中を歩いているなんてこともあった。
クラクションには耳を貸さず、ただひたすらマイペースで歩いていた。

バスといえども平気で追い越しをかける。
見通しが悪くても関係無い。危ない、と思っても対向車が避ける。
日本の常識なんて一切通用しない。
僕でも怖くてなかなか運転できないんじゃないかと思うよ。
しかしそれが元でトラブルになることなんて無いし、それが当たり前のようだ。

しばらくいかにも中国の農村という風景の中を進んでいく。
テレビで見たあの世界に自分がいるなんて、まだ信じられない。

少し見通しが良くなると、遥か先までバスのコンボイだ。
これが全部璃江の川下りに行くという。
でも途中で道が別れ、中国の人は左、外国人は右に進んだ。
まもなく船乗り場に到着、たくさんの船が待機していた。
どうやら出発は1日2回、9時と9時半に一斉に出発するらしい。
それであんなにたくさんのバスがいたんだな。

船に乗りこみ席に座るが座席数いっぱいに乗せているようだ。
ほとんどは日本人、他の外国人は英語を話す人が2人くらいだった。
船内アナウンスは日本語なので少し気の毒な気がした。

座ってから10分ほどで船が動きだした。
この辺りは普通の川、って感じで何の変哲もない。
しばらくすると川原が広くなり、建物もまばらになった。
僕は展望デッキに出てみた。

風が冷たいが、この景色の感動には代え難い。
正に山水画の世界だ。このような奇妙な形の山は見たことが無い。
仙台の太白山は単独ではこんな形をしていたが、それが無数に広がっている。
夢の中にいるようだ。これが事実だと、まだ信じられない。

川には観光船のほか、竹をつなぎ合せた筏も航行している。
ほとんどは渡し舟か漁をしているようだが、ここでも交通ルールなんてない。
警笛を鳴らしながら進む。
狭いところでは片側交互通行で、上りの船が待っていた。
ときどき川が浅くなり底着きすることもある。

少しづつ形を変えながらも山水画の世界が続く。
時折集落が見え、そこに住む人々は観光船に興味も無さそうに仕事を続けていた。
河川敷きや中洲は緑の草で敷き詰められている。これも日本には無い。
畑の中や崖っぷちに、未舗装の細い道があり、
ボンネットのトラックが荷物を左右に大きく揺らしながらゆっくりと走っている。
こういう光景はもう日本では見られない。

その先、右岸側に荷物を背負った人達がたくさん歩いている。
地元の人では無さそうだ。ガイドに聞くと歩くツアーらしい。
あーっ、いいなあ。こんなところ歩いてみたいよー。
あんなところ歩けるなんて、いくら出しても惜しくないよ。
本当に田園風景という言葉がぴったりだ。
思わず川に飛びこんで、僕もウォーキングの仲間に入りたくなったよ。
こんど来る時は絶対に歩いてみよう。
次の機会の楽しみができたよ。

10時半過ぎ、なぜかやけに早い昼食だ。
みんな一斉に食事が出るので自分だけ後というわけにはいかないらしい。
なるほど船の中でも中華料理だ。
次から次へと料理が出てくる。
後から来たら料理は全部残り物になってしまうところだった。
中国には定食とか無いのかな。
最近何でも食べてみるので、わけのわからない物が出てくると
みんなに勧められて、僕が最初に味見をして感想を聞かれるようになってしまった。

食事を終えて再び展望デッキに出たが
しばらくするとあの夢の世界から脱してしまった。
あの山々が、遠く霞んで小さくなって行き、やがて陽咲に到着。
現実に連れ戻された感じだ。

しかし船を下りるとすぐに中国に戻った。
たくさんの物売りの人が集まってきて、口々に「千円、千円」という。
筆の10本セットが3個で千円、無視していると4個で千円になった。
Tシャツも3枚千円というが値切れば4枚千円になるだろう。
胡弓も千円だった。今度見つけたら買ってみよう。
10分ほど千円攻撃を受け、電動カートに乗り陽咲の街を見てバス乗り場まで行った。

次に世外桃源というテーマパークみたいなところに寄った。
小さな船に乗り、少数民族の村を訪ねて回る。
途中鍾乳洞のトンネルを通った。
一番先頭が眺めがいいだろうと思って乗ったが、
シールドが無いので風をもろに受け寒い。ちょっと後ろがよかったか。

耳を引っ張ったり足を踏むのが好意を示すことだという民族もあった。
僕も耳を引っ張られ、足を踏まれた。
でもここを通る人全員に同じようなことをしていた。
最初にこのことを聞かされていなかったらびっくりするだろうな。

見終ってバスに乗り走りだすと、適当な揺れが心地よく寝入ってしまった。
気が付くともう桂林の市街地だった。
今日も国営のお土産やに寄ったが、これはどうにかならないものか。
現地の請け負った旅行会社が組み入れているのだろうができればキャンセルしたい。
品質はともかく街中の屋台で買った方が断然安い。
僕は隙を見て店を出て、象山公園の周囲を散歩して歩いた。
車の流れが切れるのを見計らって渡るのもなかなか楽しいよ。
集合時間になったのでバスに戻ると、また物売りに取り囲まれて千円攻撃を受けた。

一度ホテルに戻ったが、夕食までに2時間近くあるので一人で街中をふらついていた。
片側3車線の道路を車の流れを縫って渡る。
おもしろくなって何度も往復してしまった。でも轢かれたらシャレにならないな。
いろいろな屋台が出ていて食べものはすごく安い。
見たところ観光客はほとんどいない。土曜日の午後とあって賑わっている。
中国の男の人で髪を染めている人は全然いないので目立ってしまう。
女の人でも若い人の一部が少し茶髪にする程度で金髪は一人もいない。

本当は狭い路地裏に入ってみたいのが一人ではちょっと危険かな。
ガイドさんにも止められたしな。
1時間半くらい歩き回ってしばらく湖のほとりで休んでからホテルに戻った。

ロビーに入るとみんな集まってきて夕食に出発だ。
今日はスッポン料理だという。亀なんて食べたこと無いけどどういうものだろうか。
バスで15分ほどでレストランに到着。
さすがに夕方とあって自転車が多い。バイクも多数走っているが
ほぼみんな125tで、色はなぜかほとんど赤色だ。なぜだろう。

席に座るとさっそくスッポンのスープが出てきた。
ここ桂林はゲテモノ料理が出るというがこのことか。
でもあまり癖が無くまあまあ美味しかった。
他にも何かわけのわからない料理が出てきた。
わけのわからない物が出ると僕の出番になってしまう。またして先陣を切って試食した。
「まあ、初めて食べる味ですけど…何というか…まずくはないですね」
と答えにならないようなことを言うと、隣の夫婦連れの奥さんが食べ始め、
「これは…豚肉のようですね、美味しいですよ」と言った。
しかしかなり細い骨が入っていた。
鶏肉でもなければ豚肉なんかじゃない。いったいなんだろう。

1時間半くらいで食事を終え席を立つと、ガイドさんが
「あれはネズミです」
「・・・」
思わず絶句してしまった。
うえっ、ネズミを食ってしまったのか。そういえばあの骨・・・足の骨か。
このあとお腹がおかしくならなければいいけど。

そのネズミは家にいるヤツではなく山ネズミだという。
普段筍を食べている野生のネズミなのでビタミンが豊富だと言うが。
ネズミなんて食べたのは初めてだよ。

7時半ころホテルに戻ってきて再び街に出掛けた。
一人でふらふらと歩くのは気軽でいいな。
屋台街をずっと先まで歩いてみた。
そいうえば昼間は屋台は全く無い。夜7時ごろからどこからともなく現れるらしい。
お祭りの露店みたいで楽しいよ。土曜の夜ということもあるがそれにしても人が多い。
ここでは押し売り的な売り方はしない。
街頭に苦情ボックスのようなものが設置されていて、苦情が多いと許可を取消されてしまうらしい。

街中いろいろな光でライトアップされていてすごく幻想的だ。
湖では音楽に合わせて噴水が上がり、
ひときわ高く水が吹きあがると見ている人たちから歓声があがった。
僕も階段に座って幻想的な世界に見とれていた。
湖面には観光船が何隻も行き来している。僕も乗ってみたいな。
外国人は乗らないと聞いていたので余計乗りたくなったが結局乗り場がわからなかった。
ガイドさんに聞いておけばよかったな。またの機会にとっておこう。

9時過ぎ、雨がポツポツと落ちてきた。そろそろホテルに戻ろうかな。
湖を後にしホテルに向かって歩き始めた。
ホテルに向かう交差点の辺りまで来ると雨が強くなってきた。まいったな。
でもこの辺りは建物の2階がオーバーハングになっていてアーケードのようになっている。
しばらくはそれが続いたが、そのうちなくなってしまった。
ここからはあと10分もかからないから少しぐらい濡れてもいいや。
9時半ころホテルに戻ってきた。もっと歩いていたかったけどな。

まだあと4日あるからまだ機会はあるだろう。


☆☆☆4日目 2003年3月9日☆☆☆
★★★桂林2日目→麗江へ★★★

今朝はゆっくりの起床、目覚ましは6時半にセットしたが6時に目が覚めた。
セットを解除し、しばらくするとまた寝てしまい、次に目が覚めたのが7時だ。
急いでシャワーを浴びて身支度を整え、7時半ころ一階のレストランに下りた。

レストランのカウンターで食券を渡すと2番のテーブルを指定された。
しかしまだ早かったのか、他の人達もまだあまり下りてきてなくて
2番のテーブルは僕だけだった。

さっそくパンをいくつか選び、レタスとバナナ、ミニトマトを持ってきた。
飲み物はとりあえずオレンジジュース、席に戻り一口飲むと、何だこりゃー。
ホットジュースなんて聞いたことがない。生ぬるいなんてレベルじゃない。
まあ飲めないわけじゃないけどなあ。

部屋に戻り荒れ果てた荷物を整理、連泊するとどうも散らかってしまう。
8時半ギリギリにスーツケースの荷物をまとめ部屋から出した。

しばらくすると部屋の呼鈴がなった。出てみると誰もいない。
左右を見ると、左側の部屋の前に小さな女の子が立っていた。
なんだ、隣の呼鈴だったのか。よく響いてくるので勘違いしてしまった。

出発までまだ少し時間があるので中国語のテレビショッピングを見ていた。
何を言っているのかまるでわからないが、見ているだけでおもしろい。
これを日本でやったら公正取引委員会から警告を受けるだろう。
その前に放送なんてできないと思うほど怪しい物を売っている。
出演者のわざとらしさには笑いが止まらないよ。

9時10分ころロビーに下りた。
今日はゆっくりの出発。9時半にバスに乗りこみ象鼻山へ向かった。
ここは確か昨日寄ったお土産やのすぐそばだな。
日曜日とあってすごい人だ。

バスから降り公園に入り川原に降りると右岸側に
まるで象が水を飲んでいるような巨大な岩がある。
辺りには有料で写真のモデルとなる孔雀や鵜飼の人達がいる。
中国の民族衣装を着た女の子はモデル料は日本円で100円だ。
しばらく滞在してバスに戻ったが、あの岩の上に登りたかった。
それに筏も乗って見たかったし。また今度、いつ来れるかな。

バスは七星公園に到着。またしても千円攻撃が始まった。
確かに安いような気もするが、飾りを20個も買ってもどうしようというのだ。
公園に入りしばらく歩くと虎のオリがあり門が開いていて人が出入りしている。
えっ大丈夫なの?虎は時々うなり声を上げているがおとなしそうだ。
20元で虎に乗って写真が撮れる。何人かが恐る恐る虎にまたがっていた。
日本では絶対にこんなことできないだろうな。

その先は有名なラクダ岩。本当にラクダが座っているように見えるよ。

今日の観光は本当はここで終りだがフライトまでにかなり時間がある。
急遽芦笛岩に行くことになった。やった、思わぬ展開だ。
桂岩といえば芦笛岩だ。鍾乳洞好きの僕にとっては
なぜ日程表にここが無いのを残念に思っていたのだ。

すぐにバスに戻り芦笛岩に向かった。公園からは意外に近いのだ。
バスを降りると今度は千円に加えて子供達の百円攻撃だ。
音色の変わる竹の笛を100円で売っている。ちょっと高い気がするな。
道路沿いに屋台がたくさんありどこでも変わらないような物を売っている。

階段を10分ほど歩いていくと入口があった。
入口は日本の鍾乳洞と変わらないな。中はどんなもんだろう。
少し進んだところで思わず言葉を失った。

こんな巨大な石柱なんて見たことないよ。
僕は日本中の鍾乳洞を回り、秋芳洞はすごいと思ったがそんなの比べ物にならないよ。
さらに進むと巨大なホール。日本の物とはけた違いに大きい。スケールがまるで違う。
赤や緑、紫色にライトアップされた、幻想的な夢の中の世界に引き込まれたようだ。
本当に、この世の物とは思えない神秘の世界だ。

地震の多い日本ではここまで成長する前に崩落してしまうだろうな。

30分ほどかけて中を見て回った。
本当は鍾乳石そのままの色を見てみたいのだが仕方ないな。
白色の光を常時点灯していると植物が生えてしまうからな。

外に出てバスへと向かう途中焼き芋を買ったがこれもケタ違いに安い。
大きめの芋1個2元、約30円。日本じゃ500円近くするだろうな。
味も最高にうまい。最初は高いことを言うが、値切ると極端に安くなる。
高いと言っても日本円で100円くらい。ふっかけているのだろうがそれでも安い。
ほかに興味を引くものも無いのでバスに戻った。

バスに乗り、ホテルで食事をした後、桂林の博物館に寄って見学。
2階に上ると少数民族の衣装などを展示してあって、説明をしてくれる。
次に1回に降りると大きな屏風が5・6個置いてあった。
これは少数民族が長い時間かけて作ったようだが売り物でもあるという。
売上金は少数民族の補助金になるようだが4万元じゃおいそれとは買えないな。
手間を考えると確かにすごく安いが日本円で約60万円。
その奥には金属で作られた彫刻のような置物がたくさん展示されていたが
全て値札が付いている。国立博物館といっても結局これなんだよな。

外に出てバスに向かうと思わず目を塞ぎたくなった。
体の不自由な男の子が物乞いをしている。
それがどのようなことかはここには書けないよ。
他にも片腕の父親が3才位の子供を連れていて
子供は大きな声で「ありがと、ありがと」と何回も言っている。
これも中国の現実なんだよな。見ていられないよ。
彼らにはこれしか生きていく術が無いのだろうか。同じ人間なんだよな。

そこからは裏道というか、未舗装のような狭い道を進んだ。
路地裏という感じで、人々の暮らしを垣間見れる瞬間だ。

しばらく進むと急にバスが止まった。前にトラックが止まっていて動き出す様子が無い。
なんだなんだ、しばらくたっても動き出さない。おいおい飛行機に間に合うのかよ。
痺れを切らした運転手が降りていったので、僕も後を追った。
その先には砂利を満載したトラックがタイヤを変形させて止まっていた。
よく見るとアクスルが折れている。車格でいうと日本では5t車くらいか。
砂利は軽く見積もっても10tは積んでるな。これじゃ20人いても動かせない。
小型の車なら左側を通れるが、このバスじゃ無理だ。まいったな。
後ろにも何台もつながってしまってバックもできない。
でも右側に止まっているサンタナを動かせば通れるんじゃないか。
みるみるうちに人達が集まってきた。子供も何人か寄ってきて大騒ぎだ。
そのうち釣をしていたサンタナのオーナーが来て車を移動し事なきをを得たが
あのまま閉じこめられたら大変なことになるところだった。

そこから5分ほどで高規格道路に出てみんなほっとした様子だった。
しばらくすると高速道路になったが運転手は遅れを取り戻すべく飛ばす飛ばす。
僕は全然平気でかえって楽しかったが他の人は不安そうだった。
添乗員さんがそんなに飛ばさなくていいと言ったが運転手は
制限速度は120キロだから大丈夫と言う。
たしかにそうだがここは日本みたいに道路がよくない。
時々段差があり通るたびに飛びあがりそうななる。

それでも出発時間の30分前には到着。やれやれ。
搭乗券を受け取って搭乗口に行ったがなぜかバスに乗る。
ボーディングブリッジはいくらでも空いているのになぜだろう。
それに機は駐機場の一番隅の方だよ。おまけにバスは1台しかなく2往復。

機材はB−737だ。タラップを上がり中に入るとスーパーシートが8席あった。
国内には737の上等級座席は無い。これは珍しい。
席はちょうど非常口座席でここだけ座席ピッチが広い。
それに万一の時一番最初に避難できる。
でも航空機事故じゃ避難する事態になる前に終りだな。

離陸してしばらくするといつのまにか寝てしまっていた。
ふと目を覚ますと機内食が配られていた。機内食と言ってもパンなどの軽食だが
国内線ではスーパーシートにでも乗らない限りお目にかかれなくなってしまったからな。

1時間40分程で無事昆明に到着。ここで乗り換えだ。
中国では乗り継ぎでもいちいち荷物を受け取って再び搭乗手続きをしなければならない。
でも空港税は4時間以内の乗り継ぎの場合は不要らしい。
定刻を過ぎてから乗客が降りてきたので少し遅れるな。

今度はボーディングブリッジからの搭乗だ。
機材はまたB−737だったがスーパーシートは無かった。
機に乗りこんだ瞬間、何か懐かしいにおいがする。
ふと見るとスチュワーデスがカップ焼きそばを作っている。
到着が遅れて折り返しの時間がないとはいえ日本では見ることのできない光景だ。

乗客は定員の1/3くらいで空席が目立った。
機の中心付近に集中して座席を割り当てていたのはバランスを取るためだろう。
地上ではすでに陽は沈んでいたが、離陸して雲の上に出ると再び太陽が顔を見せた。
その太陽は地上では見られない、幻想的なな日没を見せてくれた。
周りの雲を真っ赤に染め、その雲の中に姿を消していった。
太陽が姿を消したあと、濃さを増していくコバルトブルーの空と白い雲、
そして空と雲の境のオレンジ色が、美しい自然のショーを演じてくれた。

まもなく麗江空港に到着。外は真っ暗だ。
機からタラップで降り、空港ターミナルまで歩いていく。
荷物を受けとって外に出た。ここの標高は2400b、意外なほどに星の数が少ない。
まだ高層の雲があるのだろうか。

今度のバスは中型バスだ。荷物専用のトラックもいない。
床下のラッゲージに荷物が入りきれず、一番前の席にまで置いた。
しばらくは曲がりくねった山岳路を進み、20分ほどで平坦な道になった。
だんだん明るい街が近付いてきて、急に近代的な都市になった。
何年か前の大地震で、古い建物はほとんど倒壊してしまい
それから建てかえられた建物なのでみんな新しい。道路の幅も40bある。
偏見かも知れないが、中国とは思えない光景だった。

8時半過ぎ、ホテルに到着しすぐに食事だ。
今日から雲南航空麗江観光酒店☆☆☆☆に3連泊だ。
9時半、食事を終えカードキーを受け取り明日の朝食の場所を聞き
エレベーターに乗り、指定された4階で降りるたが真っ暗だ。なんだ、省エネか?
スイッチを探し電気をつけたが会議室ばかりで客室が無い。
なんなんだ、確か4階って言ってたよな。おかしいな。
仕方なく階段を降りていくとホテルマンがいたのでカードを見せ「スーロー?」と聞くと
中国語で答えて何を言っているかわからないが身振りでだいたいわかった。
渡り廊下のような所を歩いて行き、階段を上ると客室があった。
エレベーターは他にもあったのだろう。

明日は待望の麗江観光だ。


☆☆☆5日目 2003年3月10日☆☆☆
★★★麗江1日目 快晴の一日★★★

ここ麗江は標高が2400メートルもある。富士山の5合目と同じだ。
ビールや炭酸飲料はコップに入れると泡だらけだ。
少し動くと息が切れる。やっぱり空気が薄いのか。高山病が心配だ。

今日も目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
地元の人は寒いのが当たり前だと思っているらしく、
ホテルの暖房の効きが悪い。というより効いていないんじゃないか。
温度を最高にしても暖かい風が出てこない。服を着て何とか我慢できる程度だ。
日本のように浴衣1枚というわけにはいかなが、中国ってこんなもんかな。

寒いのでバスタブにお湯を溜めゆっくりと温まった。
でもバスタブは浅く、身長181センチの僕は、肩まで浸かると膝が出しまう。
足を伸ばすと半身浴だ。最後に熱いシャワーを浴びるしかないな。

7時過ぎ、迷路のような通路を歩いてエレベーターに向かったが今日も迷ってしまった。
やはり4階にはエレベーターが無く、一度3階まで降りなければならなかった。
食事を済ませると空がだいぶ明るくなってきた。
4階のバルコニーに出て東の山を眺めると、稜線は次第に明るさを増していき
7時45分太陽が顔を出した。中国に来て初めて見る日の出だ。

中国の人は朝が早いな。
近くの工事現場では7時半ころからどこからともなくたくさんの人が集まってきて作業を開始した。
女性の姿も多く見える。時折大きな声を上げたり歌を歌ったりしてしている。
スラックスにジャケット姿で軍手を着用して作業にあたる人もいる。
ヘルメットはだれも被っていない。日本では考えられないな。

8時半、全員ロビーに集合しバスに乗り出発。今日は虎跳峡だ。
虎跳峡まではバスで2時間半。しかし寒いな。でも今日は雲一つ無い快晴だ。
今まですぐに乗ったり降りたりだったので、今回はゆっくりと観光気分を味わえるな。

市街地を抜け郊外に出ると道も細くなり路面も悪くなった。
そのうえこのバスは中国製で、サスペンションはリーフスプリング。
さらに車軸懸架でバイアスタイヤ、運転席だけサスペンション付きのシート。
これじゃまるでトラックだ。

中国の運転手は道がせまかろうが対向車がいようがおかまいなしにスピードを出す。
これでもか、というくらい出せるだけのスピードだ。
これでエアサスだったら全員グロッキーだよ。

とてもまともにカメラを構えたりゆったりと座ったりしていられない。
気を抜くとガラスに頭をぶつけてしまう。しばらくすると腰が痛くなってきたよ。
これがあと2時間続くのか。僕は楽しいと思うけど他の人はどうかな。

このあたりに住んでいるのはほとんどが納西(ナシ)族の人達だ。
納西族は母系社会。外で仕事をするのは女性。男性は昼間遊んでいるという。本当かな。

土やレンガで造った2階建ての建物が続く。
なるほど重い荷物を背負って歩いているのは全て女性だ。
男性はというと…タバコを吸いながらブラブラ歩いていたり麻雀をしていたり
ビリヤードをしている人達もいる。起きるのも9時とか10時とか。
その横で女性達はしっかり仕事をしている。
なんかうらやましい気もするが・・・。

途中燃料補給、給油中もエンジンを止めない。軽油は中国語では”柴油”と書く。

狭い急なワインディングが続く。前後左右に加え上下にも揺れる。
峠を越えると景色が一変、段々畑が続いている。
段々どころではないな、段々×10くらいだ。よくこんなに開墾したな。
所々菜の花が咲いていて、まるでパッチワークのようだ。
下に流れている川は揚子江の上流。狩野川くらいの広さだ。
そして川向こうはチベット自治区だ。橋を渡るとお金を取られるらしい。

途中お土産物やでトイレ休憩。
ここのトイレは日本の物とは全然違う。知らずに来たら驚くだろう。
小の方はタイル張りで横幅の長い流しのようになっている。
大の方(女性用も)は左右に1メートル程の仕切りがあるだけで
天井もドアも無い。座っていれば横からは見えないが後ろからはまる見えだ。
そして床の中央部分が幅30センチくらいテーパーになっていて奥に滑るようになっている。
でもここのトイレはかなり上等な方だという。通称ニーハオトイレというらしい。

休憩を終え再びバスに乗りこみ虎跳峡へと向かう。
相変わらずのスピードと振動。上の棚に乗せた荷物はすぐに落ちてくる。
車や人がいるとすぐにクラクションを鳴らす。それもヤンキーホーンのようにうるさい。

のどかな川沿いの田園風景の中をバスは走り続けた。
時折農耕用トラクターを改造したようなトラックを追い越す。
エンジンはクランクハンドルで始動、フライホイールと3連のVベルトが露出している。
これに砂利を満載すればスピードが出るわけがない。
トラックの荷台に人を乗せて走っているが、これは沖縄の離島でよく見た光景だ。

道沿いにはきれいな菜の花やスモモの花が満開だ。思わず見とれてしまう。

約2時間、バスはようやく駐車場に到着。ここから虎跳峡まで徒歩約45分。
嬉しいなあ。ずっとこういう所を歩いてみたいと思っていたんだよ。
バスを降り歩き始めた。石畳の歩きやすい歩道。
途中から絶壁をへつった歩道になった。カタカナのコの字のようだ。
水面からは2・30メートルか。手すりはあるが腐りかけた木の物や3段の鎖だけ。
怖くてあまり崖際を歩けない。

川の向こう側には水面から100メートル以上はあるだろう崖っ縁の道が見える。
うわーっ、すごいなー。大雨でしょっちゅう崖崩れがあるらしいが車が行き来している。
落ちたら100%助からないな。でも行ってみたいよ。

30分ほど歩くとトンネルがあり、その先に虎の像があった。
トンネルを抜け、展望台に上がるとものすごい激流が見えた。
さっきまであんなに穏やかで広かった川が、ここで一気に狭まっている。

昔ここを虎が飛び越えたことが名前の由来だと言うがこれじゃ無理だよ。
渇水期にかなり勢いをつけ、相当高い位置から飛べば、
飛び越えられないこともないかもしれないけど着地したら命はないだろう。

V字型の谷、深いと言われる黒部峡谷ともスケールが違う。
山のピークから水面まで3900メートル。富士山より高いんだよ。
見上げても、頂上が見えないくらいに険しい。

本当は川の向こう側の展望台に行きたかったんだけどな。

帰りも30分くらいかけて駐車場に戻ってきた。少し汗ばむくらいに気温が上がっていた。
朝は氷点下、昼は20度くらいまで上がり、気温差が大きい。

同じ道を戻り川沿いのレストランで昼食。中華料理は意外に飽きないもんだな。
またしても味見係になってしまった。しかし食べられない物は出さないだろう。
親切に勧められていろいろ食べたらお腹いっぱいになった。

出発まで少し時間があったので周囲を散策。
標高が高く空気も澄んでいるので紫外線が強く日射しは強烈に感じる。少し日焼けしたかな。
近くに真っ赤な大きな看板があった。何て書いてあるのかわからなかったが毛沢東だけは読めた。
やはりこっちは気温差が大きいな。フリースを脱ぎトレーナーだけでちょうどいい。

再びバスに乗り川沿いを走る。今度は席が右側なのでよく見える。
途中3つの川が合流する所が見える展望所に寄った。
ここにも屋台のおみやげ物屋があったがみんな鍋を囲んで食事中だった。
おいしそうだな。たまにはレストランの食事よりこんな素朴な理食も食べてみたいな。

しばらく停車してバスは走りだした。
心地よい疲労感と食後ということもあっていつのまにか眠ってしまった。
気がつくと麗江の市街地に入るところだった。

予定では今日の観光はここまでだったが、まだ時間があるし
明日のスケジュールがハードになりすぎるので、
麗江古城と木府を今日に前倒しすることになった。

麗江古城は世界遺産に登録された。
古い街並み、狭い石畳の道を進んでいく。
観光客はたくさんいるが、これが閑散としていたらかなりいい雰囲気だな。
しかし1階はほとんど土産物屋か喫茶店に改装されてしまっていた。

途中の広場で自由時間があったので、狭い裏路地に入ってみた。
観光客は誰もいない、地元の人だけが通る道だ。
しばらく進むと石畳を全て剥がし、工事をしていた。
配管を埋めこむ工事のようだが歩きにくい。
まだ固まっていないセメントを踏んづけてしまったが誰も見ていなかった。よかった。

集合場所に戻り、今度は木府に向かった。
ここは観光客も少なく閑散としていていい雰囲気だ。
階段を登りきると古城の何百という家々の屋根が見渡せる。
何百年も前から変わらない街並みだ。
しばらくこの街並みと周囲の山々を眺めた後階段を降り古城を出た。

ここからは納西族の人達が住む閑静な住宅街だ。
さっきのような喧騒とお土産物屋も無い。
湧水の出ているところで野菜を洗ったり洗濯をしている人がいた。
ちょっとだけ人々の暮らしの一端を見ることができたかな。


でも、考えてしまうな。僕はこうやって人々の住む街を観光で歩いて回って、
少しだけだけど本当の中国の路地裏を見ることもできた。
僕達の生活水準とはまるでかけ離れた世界だった。
今まで、テレビで見る程度で、こんなに身近に感じることはできなかった。
僕は毎日フルコースの料理を食べたいだけ食べ、四つ星以上の高級ホテルに泊って。
こんなに豪華な旅をしたのは初めてだったけど、これでいいのかなって。

僕一人の力ではどうにもならないけど、世界の人々が
貧困から脱することができないだろうか。
中国では売っている品物がケタ違いに安いけど、値切ればもっと安くなる。
生きるために一生懸命な人々の姿を見ると、僕は値切る気になれないよ。
僕に何かできることはないだろうか。みんな同じ人間なんだよな。
僕が生まれたのが偶然、最低限の生活には困らない日本だっただけなんだ。


レストランまで歩いて行く途中ユースホステルを発見。
わーっ、いいなあ。ここに泊ってみたいよ。
日本ではユースを利用するけど、海外なんて考えもしなかったな。
今度この街に来た時は必ずここに来ようと思った。

レストランに着き食事をして、後7時過ぎホテルに戻った。
今日もよく歩いたな。心地よい疲労感だ。今夜は出歩かずゆっくりと休もうか。

7時半になってもまだ明るい。8時ころようやく暗くなった。

ホテルに戻り暖房が効かないと苦情を言ったら、暖房が故障しているという。
まあ我慢できないほどじゃないんだけどね。でもやっぱり少し寒い。
しばらくすると呼鈴が鳴り、ドアを開けるとホテルの人が布団を2枚持ってきてくれた。
暖房が効かない代わりに持ってきてくれたんだろう。

僕の部屋はNHKの行っている海外向け放送も映らない。
他の人に聞いてみると映る部屋もあるという。
これはBSじゃなくてCSを使った放送だと思うが、ここで受信するには
相当高性能のパラボラアンテナとブロックダウンコンバーターが必要だろう。
BSは内陸の麗江までは届かないはずだ。昔は見られたのかも知れないが
韓国から文化侵害になるといわれて指向性を高めてしまったんだよな。

9時半ころ、風呂に入り洗濯をした。荷物を減らすため着替えを最小限にしたからね。
ここ麗江に3連泊だから洗濯物が乾かないという心配は無い。

テレビはあきらめてラジオをつけてみても聞こえるのは中国語とロシア語だけ。
短波放送が聞けるラジオを持ってくるべきだったな。
中国語のテレビでも見ながら寝ようかな。


☆☆☆6日目 2003年3月11日☆☆☆
★★★麗江2日目 3600メートルへ★★★

今朝は2枚の布団のおかげで寒い思いをしないで済んだよ。
ちょうど6時、目覚ましが鳴る直前に目が覚めた。外はまだ真っ暗。
毎日結構歩いて疲れるけど、こういうストレスの無い疲れって
風呂に入って一晩寝るとほとんど抜けてしまう。寝起きもいい。

起きあがって早速シャワーを浴び身支度を整え、6時40分1階のカフェに降りた。
まだオープンしたばかりで人影は疎だ。
適当にパンとフルーツを選んで席に戻り食べた。

部屋に戻り出発の準備をして8時20分ロビーに降りた。
人民元があと100元しかなくなってしまったので5000円分だけ両替した。
今日のレートはすごく良く、100円が6.99元。昨日別のホテルは6.59元だった。
僕が中国に着いた日は6.95元だったので今までで最高のレートだった。

8時30分出発。曇っていて寒いが青空も見える。
最初に行ったのは黒龍潭(たん)公園。
湖の水は湧き水で澄んでいるが黒色をしている。

公園を抜け、出口の所にある東巴(トンパ)博物館を見学した。
東巴文字を書ける人はもう二十数人しかいないらしい。
その内のひとりの先生が、注文に応じて文字を書いてくれる。
僕も自分の苗字をトンバ文字で印鑑を彫ってもらったが
象形文字で、言われてみればそうかなあと思うくらいで解読は不可能だ。

出口の所でトイレに寄った。
中国の公衆トイレは有料の所が多く、ここも2角(約3円)徴収された。
有料なのにニーハオトイレだった。そんなもんなのかなあ。

次は納西族の束河村という所を訪ねた。
まだあまり観光化されていないので観光客より地元の人のほうがずっと多い。
女性は畑やお店で働いていて、やっぱり男はブラブラしている人が多い。
幼稚園?では3歳くらいの子供達が声を合わせて歌を歌っていた。
かわいいなあ。みんな楽しそうに歌っているよ。

ここでは人々の暮らしを生で見ることができた。
こういう所に来たかったんだよ。

でもやっぱりお土産屋さんがあるけどね。
僕は東巴文字の刺繍入りのコースターを2個10元で買った。
この時値切れば多少安くなっただろうが値切ることはしなかった。
店の女の子はどことなく誠実そうで、5元じゃそんなに高くなく良心的な値段だ。
別の店で同じ物を売っていたので聞いてみたら10元だった。

広場ではなにやら見慣れない食べ物を焼いて売っていた。
納西族の人達は食べ慣れているだろうが僕が食べたらどうなるだろう。
ちょっと不安なのでパス。

村を一通り歩いたあと、農家のお宅を訪問させていただいた。
なんて言ったか忘れてしまったが、門をくぐると中庭?があり、
3方が倉庫や台所、居住空間になっている造りの屋敷だ。
少し奥の方には鶏や豚が飼育されていた。
軒には唐辛子やトウモロコシがいっぱい干してあった。
そこで頂いた手作りのクッキーはおいしかったな。

途中でパッカーらしい女の子がたくさんのカメラを持って写真を撮っていた。
どこかで見かけたことがあるような気がするが・・・。
パッカーは世界中を回っているからな。
日本のどこかで見かけたという可能性も無いこともないかもしれない。

僕は有名な観光地よりこういう素朴な風景が好きだな。
璃江下りのときに見た歩くツアーは日本からは無いらしい。
普通は観光地を高率良く回るからな。
危険も伴い体力でも差が大きく出るようなツアーは日本じゃ企画されないかな。
空港やホテルで現地の旅行社に手配してもらうしかないのか。
ここは今まで観光した中で最高だったよ。

バスに戻り途中食事をしてから云杉坪(うんさんへい)へ向かった。
市街地から少しだけいい道路だったがすぐに悪路に変わった。
運転手のシートはサスペンションが付いているからいいが乗客は直に衝撃が来る。
山に向かう狭い直線路を快走する。
石造りのような建物のレストランで昼食をとった。

そこから15分程で云杉坪の駐車場に到着。
リフトの待ち時間は1〜2時間と聞いていたが、行列は予想をはるかに越えていた。
これじゃ3時間か4時間待ちになるという。ダメだこりゃっ。

そこから少し離れた耗牛坪(耗は本来は牛辺、もうぎゅうへい)という所は
云杉坪より空いていてリフトにはすぐに乗れるという。
40分ほどかかり、40元の追加になるが全会一致で行き先を変更。
僕としては耗牛坪の方が高いところまで登れるのでよかったのだ。

恐ろしいほどの断崖絶壁を猛スピードで駆け上がっていく。
まるでラリーのSSのように飛ばす。
この道はカーブがきつく高低差も激しい。
カーブミラーはおろかガードレールさえ無い。
おまけに運転手はまた途中で携帯で電話している。
路面は石を敷き詰めたガタガタ道。
コースアウトしたら数百メートルの谷底に転落だ。生きた心地がしないよ。

ようやく耗牛坪が近付いてきた。
少数民族の集落があり、ヤギや馬が放牧されていた。観光登山用の馬もたくさんいる。
ここでも男達はビリヤードなどで遊んでいた。

駐車場に付くとバスは数えるほどしか止まっていない。
リフトは待ち時間ゼロだった。ゴンドラに乗りこみ登り始める。
このリフトはゴンドラがワイヤーから外れない低速リフトだ。
一応屋根はあるがシールドは無い。
一番下でも標高が3000メートル以上あり寒い。雪も舞ってきた。
日本のリフトなら中から開けられないし、
普通のリフトにしても高い所には保護ネットが張ってある。

しかしここは中国だ。手を伸ばせばドアを開けられるし保護ネットなんて無い。
下は100メートルはあろうかと思える谷底だ。
中国製のリフトはどうも信用ならない。
ワイヤーが切れるなんてことは無いと思うが早く着かないか焦ってしまうよ。

20分程で標高3600メートルの耗牛坪に到着。
空気が薄いので少し動いただけで息が切れる。
2日間2400b辺りにいたのでまだいいが、直で来たら高山病になるだろうな。

30分ほどの自由時間ができたので、先の馬乗り場まで行ってみることにした。
木の階段を一度谷に下り、また登る道だ。
ガイドは30分くらいかかるというが、見たところそんなにかからないだろう。
早速木道をかなりの早足で歩き始めた。僕は歩くのは早いのだ。
階段を下って一番低いところまで来た。所要時間約5分。
なんだ、なんてことないじゃないか。それじゃ上まで言ってみよう。

しかし階段を登り始めると様相が一変した。
足は何ともなく軽く上がるのだが息が付いてこない。
普通ならこんな階段走ってでも登れるのにな。心臓がパンクしそうだ。
SPO2が低下し意識を失うと困るので、加減して登る。
今までこんな苦しかったことはなかったよ。
それでも何とか登りきった。2分ほどは息が荒く話しもできなかった。

所要時間は11分だった。しかしそこでは馬に乗らないかと客引きがうるさい。
中国語で何を言っているのかわからないが、多分馬を勧めているのだろう。
あまりにしつこいので下山開始。まだ登りもあるから早めに下りよう。
途中同じグループの何人かとすれ違ったが上まで行ったのは僕だけだった。

しばらく雪山の景色を堪能したあとリフトで下山開始。
帰りは行きにも増して寒い。下がよく見えるので余計に怖かった。
何とか無事下山。ホッとしてバスに乗りこんだ。

しかしホッとするのはまだ早かった。
来た道を戻らなければ帰れないのだ。しかも下り坂。
麓に下りるまでおちおち寝てもいられなかった。
やっとカーブの連続が終ったころ眠ってしまった。

気がつくと市街地、お土産物屋に寄ってホテルに戻った。

しばらく休憩したあとは東巴古楽を見に再びバスに乗りこんだ。
納西族の民族音楽や踊りを見られるのだ。

昨日と同じ麗江古城の前でバスを降り、メインストリートを歩いて劇場に向かった。
開演は8時なのでまだ20分弱時間があったので自由時間になった。
僕は近くのスーパーに駆けこみ店内を散策した。
見なれない物が信じられない値段で売っている。
ここは全て値札が付いているので価格交渉をしなくてもいい。
お菓子ばかりカゴいっぱいの買い物をして全部で65元1角。約980円、信じられない。
後ろでレジを待っていた人は、なぜこんなに買いこむのか不思議そうな顔をしていた。
本当はもっと買いたかったんだけど時間がなくなってしまった。

劇場に入ると欧米の人達も見かけられた。
解説は中国語なのでわからないが、音楽や踊りは国境はないからね。
やっぱり異文化の音楽や踊りはすごく新鮮で興味深い。中国にハマってしまったかな。
あっという間に1時間半が過ぎてしまい劇場をあとにした。楽しかったなあ。

周囲は真っ暗になり、星空を見ながらバスに乗り9時半過ぎホテルに戻った。
明日朝麗江を離れるけど、ここも必ず再び訪れたい所になったよ。
こんどはフリーで来たいな。

明日は7時10分出発だ。
10時半過ぎ、そろそろ荷物を整理して休むことにしよう。


☆☆☆7日目 2003年3月12日☆☆☆
★★★昆明 中国最後の夜★★★

今日も目覚ましが鳴る数十秒前に目が覚めた。5時ぴったりだ。
ゆっくりとシャワーを浴びているとモーニングコールがあった。
アモイと桂林のコールはテープだったんで、ここもそうかと思っていきなり切っていたが
昨日はどうも肉声のように聞こえた。
こっちが受話器をとったタイミングで「グッモーニン」と言うのでそうかもしれない。
今日は英語で答えてみたら向こうも応答した。2日間イヤな思いをさせてしまったかな。

シャワーから上がり急いで荷物をまとめる。荷物の回収は6時半だ。
でも3連泊だから楽だったな。毎日荷造りしなくて済んだもんね。
中国でのことは僕の記憶中枢が正常に機能している限り忘れないだろう。

6時半スーツケースを部屋の外に出し、1階のカフェに降り慌ただしく朝食を食べた。

部屋に戻り手元に残った荷物をまとめ、7時、荷物を持ってロビーに降りた。
チェックアウトを済ませバスに乗りこんだ。外はまだ暗い。
7時15分バスはホテルを後しにした。これで麗江ともしばらくお別れだな。

薄暗い市街地を通りぬけ、郊外に出た。
右手に段々畑を見ながら空港に近付いてきた。
30分ほどで麗江空港に到着。3日前到着した場所だ。
早いなあ、さっきここに降り立ったような気がしたのにな。

外はだいぶ明るくなってきた。

空港に入り売店でお菓子を2つほど購入。
チケットを配った時、一人だけ見つからないというトラブルもあったが
結局他の人のチケットに挟まっていたのがわかって事無きを得た。

チェックインを済ませセーフティーチェックを待っている列で
4日間ガイドをしてくれた任さんと一人一人握手をして別れを告げた。
任さんのガイドは明るく楽しく、また信頼のおけるものだった。
いつか再び麗江を訪れた時、また会えたらいいな。

セーフティーチェックを済ませ待合室で待っているが定刻になっても搭乗開始しない。
結局40分遅れで出発。中国ではこれが当たり前らしい。
滑走路に出たので窓から右の翼のフラップを見ると亀裂が入っている。
こんなんでいいのかと思うよ。

麗江の空港の滑走路は長いのでSTOL性能のいいB737でも余裕をもって離陸。
石垣空港に比べ加速感が無いのがやや残念だ。

高度を上げていくにつれ街並みが小さくなっていった。
いつかまた必ず戻って来るよ。

10時過ぎ、無事昆明空港に着陸。飛行機を降りると暑い。
4日間標高2400bにいたからね。
昆明も1900bはあるが麗江より暖かい。
バスに乗り到着ロビーで荷物を受け取った。
ここは麗江に行く時乗り換えた空港だから見覚えがあった。

昆明空港からバスに乗り一路石林へ約2時間のバスの旅。
郊外に出てからは朝早かったのでうとうとしていた。

途中ショッピングセンターでトイレ休憩をした。
店員は何人もいるのだが店は電気が消されカーテンも閉められていた。
商売をする気があるのか疑問だ。

石林に到着し昼食を食べるためレストランに行ったがまだ準備中ができていなかった。
日本からチャーター機で来た農協の190名余り団体が食事を終えたばかりだったのだ。
いま片付けているので待ってほしいとのことだ。

食事を終え、奇妙な石の間を縫って歩いた。
今日もいい天気で歩いていると汗ばむような気候だ。
しかし中国の人は写真が好きだな。
展望台などで景色を楽しんでいると、遠慮せずにどいてくれと言われる。

一通り歩いた後バスに戻ったが、お土産やに寄ると
いろいろな物がすごく安い。ある物は15個で千円という。
千円でもかなり余裕がありそうな雰囲気だったので
ちょっと無理かなと思ったけど50元でどうかと聞いたらあっさりとOKだという。
他にも10個千円の物を15個千円で買ってきた。
でも重量は無いが、かなりの容積になってしまった。持って帰れるかな。

帰りのバスでも出発して少しするとみんな寝ているようだった。
僕もいつのまにか夢の中へ。ふと目が覚めると昆明が近付いていた。

急な坂を下っていると、突然前の車が白煙を上げながら急ブレーキをかけた。
すると一瞬後輪が持ちあがり前のカルタスに追突して停車。
僕の乗っているバスも間一髪で追突を逃れた。
追突された車はさらに前にいたバスに玉突き衝突。
その先で起きた事故のため渋滞していたのだ。
すぐにたくさんの人が集まってきて人だかりができた。
僕は前から2番目に座っていたのでその一部始終を見ていた。

しばらくすると車の列が動き始めたので事故車を横目に見ながら通過。
怪我人は無かったようだ。
中国では大きい事故以外は警察を呼ばずに示談で済ませるという。

昆明の市街地に入り、国営のお茶の商社に寄りお茶を試飲してホテルに入った。
万怡(マリオット)酒店☆☆☆☆は今まで泊ったホテルでは一番豪華だ。
スイートルームみたいだ。

一度部屋に荷物を置いた後、別のホテルのレストランで夕食。
朝食以外は全て中華のフルコースだったが全然飽きないな。
最初来る前は毎日中華で食べられるか心配だったけど、とり越し苦労だったようだ。

夕食後一度ホテルに戻り、ホテルの周囲を散策。
近くにスーパーがあったので、文房具売り場を見て回った。
ここも例に漏れず安い。クレヨン25色3.5元×2、ハードカバーのノートが2元×4
トランプ2.5元×2、鉛筆0.8元×10、陸軍棋ゲーム5元×2個を購入、全部で38元。
あまりに安いので計算が間違っていないか確認する気にもならない。

まず品物をカウンターに持って行き金額を計算して伝票を書いてもらって
別の所で支払いを済ませる。支払い済みのスタンプを押してもらい
その伝票を持っていき商品を受け取る。
中国ではこういうシステムも多いらしい。

他にもいろいろ欲しい物があったが持って帰れるか心配なのであきらめた。

その後少し歩いた所のお茶屋さんに行った。
お茶を買おうとして試飲させてもらったが、今日見たお茶の入れ方と同じだった。
最初100c50元を1割引しかできないと言っていたが
添乗員さんが交渉してくれて、たくさん買うからと2割引の40元になった。
さっき寄った国営のお茶屋さんの1/4以下の値段だ。
みんなが買ったので僕も2缶買うことにした。
全部で600元くらいは買っただろう。

一緒に行った人がお店の人にトイレはどこかと聞いたらトランプをしていた店のおじさんが
わざわざ付いて行ってくれてホテルのトイレまで案内してくれたという。
戻ってきてからは段ボールのテーブルを囲んで何か話しているようだが
言葉は全然わからないけど身振りを見て大笑いしている。
最後にはみんな笑顔で記念写真を撮った。
中国にツアーで来て地元の人と交流できるなんて思わなかったな。
言葉は通じないけど同じ人間なんだなって思ったよ。
添乗員さんがいい人でよかったな。

10時過ぎホテルに戻ってきた。
中国最後の夜は最高に楽しい夜になったよ。


☆☆☆8日目 2003年3月13日☆☆☆
★★★昆明→成田 旅の終わり★★★

いよいよ今日で中国の旅も最終日、今まで奇跡的に天気に恵まれたよ。

目覚ましは6時半にセットしたが6時に目が覚めたので
バスタブにお湯をため、ゆっくりと温まった。
シャワーを浴びて、着替えをしているとモーニングコールが鳴った。やばい、もう7時だ。
荷物はそのままで、急いで準備をして1階のカフェに向かった。

今日も適当にパンとフルーツを選び、席で食べていたがいつまで待ってもコーヒーがこない。
痺れを切らし、ウェイトレスに英語で聞いたらちょっと待ってくれと言う。
しばらくするとコーヒーを持ってきてくれた。
急いで朝食を終え部屋に戻った。

問題は荷物だ。
ここ何日か街に出るとつい衝動買いしていしまい、荷物がかなり増えてしまった。
これを予想して、スーツケースは1/3くらい空けてきたんだが既にいっぱいだ。
昨日の石林でのお土産がかさばっている。まいったな。
このままでは埒があかないので衣類を圧縮し、
小物をバラしてパズルのように隙間が無いように詰めていく。
これで何とか収まったが、なかなか閉まらない。
体重をかけて無理やり閉め、ベルトを掛けて一件落着。
7時40分部屋の前に荷物を出した。

これで今日は物理的にリュックに入るだけの物は買えることになった。
あっ、昨日買った2箱の松茸は空港渡しだったんだ。

中国では物価が安いので、高級な物を買わない限りあまりお金を使わない。
一般的な農家は1ヶ月に500元あれば生活できるという。
外に出れば朝食は2・3元だ。
それでも5つ星ホテルに泊る中国人もいる。
上海では自動車のナンバーを取得するのに4万元くらいかかるという。
一部の人達は裕福になったが、ここ昆明でも200万台の自転車が走っている。

8時20分、荷物をまとめ1階のロービーに降りた。
あと半日、最後の中国を楽しんでこよう。
若干の時間があったので。3000円分だけ元に両替した。人民元210元だ。

今日は市内観光、8時30分バスに乗りこみ最初の観光地大観公園に到着。
バスを降りると何軒かのお土産物屋があり、「千円、千円」の声が聞こえた。
もうこの”千円”が頭に焼きついて、
中国といえば”千円”のイメージが完全にできあがったな。

公園の中には池があり、塔に登って公園内を見渡した。
料金は一人2元、シャワーキャップのような物を渡され
それを靴の底に被せて上に上がる。
なるほどこれなら汚れないが、団体が来た時は渋滞するので使用しないらしい。

塔を降り絵はがきとしおりを買って21.5元。
きれいな花が植えられた道を通り公園を出た。

次は東寺塔だ。日本の東・西寺と同じように東西に2つある。
西塔の前でバスを降り、歩行者用道路を渡り東寺塔内を見学。
信号の無い道路を渡るのも慣れてしまったよ。
東塔はピサの斜塔みたいに西側に傾いていた。
入場料は5角、約7.5元で随分安いな。
中ではなぜか大極拳や麻雀をしている人達がいた。

来た道を戻りバスに乗り市内最後の観光、円通寺だ。
門をくぐり中に入ると少し下り坂になっていて、いいにおいが漂っていた。
もう一つ門をくぐり、50センチはある線香に火を付けてお供えをした。
気温も比較的暖かく桜の花が満開で、いちばんいい時期に来たのかな。
僕はこういう古い寺院などを見て歩くのが大好きだ。
記念に”縁起のいい”文字の書かれた蝋燭を買って寺を出た。

バスは場所を移動したようで、駐車場まで歩いて行くようだ。
たくさんの露店が出ていて賑わっている。
こうして中国の人達の中を歩くのはこれが最後かな。
途中露店でお札の束を売っていたので「多少銭?(トゥオシャオチェン)」と聞くと
「サンクァイ」という答えが帰ってきた。1個3元だ、安いな。
記念に2個買おうと思い「二件(リャンチェン)」と言って欲しい物を指差すと
もっと高額の物もあるといって、もう一つすすめられた。
「サンチェン」と言って10元札を渡し1元のお釣を受け取った。

簡単な会話だけど、話す言葉の違う人と意思が通じると嬉しく感じるよね。

バスに乗りもう食事かと思ったら、まだ時間があるので昆明の博物館に寄ることになった。
瓦礫の中から再生された塔は印象に残った。
ガイドさんの流暢な日本語もよかったな。
でもやっぱり最後は売り場があるんだよな。
もう少し安いお土産を置いてあれば売れると思うんだけど。

博物館を出てレストランに向かう途中車窓の景色を記憶に焼きつける。
一瞬たりとも見逃すまい。瞬きをするのも惜しく感じられる時間だ。

レストランに着き中国最後の食事だ。
じっくり味わって食べる。日本ではこんなフルコース滅多に食べられないな。
そして最後に今日誕生日の人がいたのでケーキでパーティーだ。
ハッピーバースデーの歌をみんなで歌って祝福をした。
実は僕の誕生日は明後日だけど一緒に便乗させてもらった。
こんなことがあるなんて・・・。最高の思い出ができたよ。

ケーキをお腹いっぱい食べ、出発まで少しの時間があったので
周りを歩いてみた。観光客のいない街の道路。
相変わらず無謀と思える横断とクラクションの嵐。
横断歩道を渡ってる僕に何の戸惑いも無くクラクションを鳴らす。
中国では、俺はそっちに行くぞって挨拶みたいなもんなんだね。

レストランに戻り、バスに乗り空港に向かった。
空港までは5分ほど。流れる景色を楽しむ間もなく到着。
先に届けられていたスーツケースを受け取りチェックインの手続きをする。
ここで現地ガイドさんテイさんともお別れ。楽しい時間をありがとう。
手を振って別れを告げ、空港構内に入った。

チケットを受け取りセーフティーチェックを受ける。
カウンターは空いていて誰もいない。僕が一番最初。ちょっと緊張する一瞬だ。
パスポート、航空券、ビザなどを渡しチェックを受ける。
中国の役人は何も言わずスタンプを押して返した。

その先で手荷物のX線検査。
暇だからか?なかなかOKが出ない。
モニターを覗きこむとリュックの底にある傘を指差して何度も往復させている。
コンベヤーを3往復くらいさせてようやくOKになった。

僕のあとの人はバッグにペットボトルを入れてあったので
それを指摘され、本当に水かどうか飲んでみろと言われていた。
もちろんタダのミネラルウォーターなので飲んで見せていたが
他にも缶ジュースも開けて飲めと言われたが、開けてしまうと持ち歩けなくなって困る。
それなら要らないと言って所有権を放棄するようだった。

もし可燃性の液体や毒物だったら大変だからな。
アメリカのテロ事件以降シビアになっているようだ。

搭乗ゲート前に到着し、まだ時間があったので免税店に入った。
中国のお札は記念に一通り持って帰ろうと思ったが、50元札が5枚もある。
そのうち新旧の一枚を残して使ってしまうことにした。

適当に安いお菓子やお茶を選び、149元になった。
みんな同じことを考えているので会計が混んでいる。
列に並んで待っていると搭乗が開始された。
チェックイン済ませているからまだ大丈夫だろう。

しかしこの免税店にはレジが無い。
品物を次々に袋に詰めこみ暗算で計算し、端数のあるものは電卓を使う。
そして計算が終ると電卓を客に見せる。
店員は中国の人だがかなりいいかげんだな。
でも僕の計算通り全部で149元で、150元払いお釣は1元コインだった。
初めて手にした1元コインだ。
一般の店では”角”の単位までほとんどお札だった。
それに10元以上のお札だと入念に調べる。偽札が出まわっているのだろうか。

支払いを終え、搭乗ゲートを通りボーディングブリッジに向かったが
なぜが階段を降りるとその先にバスが待っていた。
なんでブリッジに着かないのだろう。空港使用料が高くなるのかな。

バスで駐機場所まで行き、最後に周囲を見まわしタラップを上がった。
ほぼ定刻通り機は動き出し離陸をした。
どんどん小さくなっていく昆明の街、周囲は緑の畑が見える。
しかし数分で雲に隠れ見えなくなった。
これで中国ともしばらくのお別れだな。今度はいつ来られるかな。
結局雨具は一回も使わなかった。
天候に恵まれ最高の中国の旅だったよ。

アモイに着いたのがつい昨日のように思えるよ。
いつか帰国する日は必ず来るのだけど、最高の8日間だったな。

僕はどこに行っても、また再び来ることができると思っている。
行こうと思えば、絶対に行けないなんてことはまず無いよ。
行けないと思うから、これが最後だって思うから行けないんだよ。
行こうと思えば行ける。いつか必ず訪れたい国だった。
時計を1時間進め、日本時間に戻した。

3時45分ころ機内食が配られた。
さっき食べたばかりだからあまりお腹がすいてないよ。
でも到着は4時間後、仕方なく無理やり全部食べてしまった。

機長からの案内があり現在上海の上空だという。
左下を見てみると確かに雲の切れ目から建造物が見えたが
それが上海だとは当然わからなかった。
何回か左に旋回してサービスしてくれたようだ。

しばらくすると眠くなり、気が付くと外はもう真っ暗。
機内アナウンスがあり成田到着まであと1時間。

日記を書いていると着陸態勢に入り、スチュワーデスにテーブルを戻すように言われた。

夜間の着陸。機内が減光され緊張感が高まる。
でも日本の航空会社だから少し安心していられる。

8時ちょっとすぎ、新滑走路に着陸。滑走路の変更があったため若干の遅れだ。
でも4時間半の飛行時間で15分じゃまあ定刻のうちだな。

ドアが開きボーディングブリッジを歩きターミナル内に入った。
あっ、字が読める。ついに帰ってきてしまったなあ。

ターンテーブルからは参加者の中で僕のスーツケースが最初に出てきた。
ここで解散だ。もうこの人達に会うことはないのかあ。


人それぞれ育った環境も性格も違う。合う人も合わない人もいる。
全く知らなかった人達が、こうして出会い、そして別れていく。
そして、また新たな出会いと感動をを求めて旅に出る。
生きている限り、その繰り返し。でも、別れるときは、やっぱり寂しい。


荷物を受け取り他の人達に挨拶をして税関に向かった。
何人か前の人はスーツケースを開けさせられ徹底的に調べられている。
僕はパスポートを見せただけで素通りできた。
ツアーのタグを付けているとほとんど税関はフリーパスだ。

金属製の扉を出ると、そこは完全に日本だった。
急ぎ足でバス乗り場に向かった。
8時37分、バス乗り場に到着。35分発のバスがまだ止まっていた。
一度閉めたラッゲージを開けてもらいスーツケースを積み込んだ。

一人バス停に立ち、夜の空港を眺めながら感傷的な気分に浸りたい気もした。
次のバスでもよかったかな。

でもそんな気分を感じる暇もなくバスに駆け込んだ。
空港から出ると、あっ、車が左を走っている。
強引に道路を渡る人も自転車もいない。ここは日本なんだ。
途中ビューホテルでほとんどの人が降り、ワシントンホテルまでは2人だけ。

駐車場に行きドアを開けた。エンジンはかかるかな。
少しセルの力が弱いような気もしたが一発でエンジンが始動した。

9時ちょうど、ホテルの駐車場を出た。
東関道は順調だ。環状線の飯倉から3号の三軒茶屋の先まで少し渋滞したが
おおむね順調に来られた。
東名に入ると大型トレーラーで74式戦車を運んでいる。それも何台もいる。
えっ、なんで東名をこんなのが走ってるの?74は確か40トン近くあるはずだ。
でも一般道をこれが走ったら一般の人に威圧感を与えてしまうだろうな。

秦野中井パーキングで軽く夜食をとった。
御殿場インターで僕は降りたが、戦車もここで降りていった。
夜の農免道路を走り23時50分家に到着。

本当に帰ってきたな。お昼を食べたのが中国だったなんて信じられないよ。
これで今回の旅も終わり。楽しかったなあー。
中華人民共和国
People's Republic of China