この旅の記録は、僕がサラリーマン時代2002年4月27日から5月18日まで
GW連休+8日の有給休暇を使って旅したときの記録である。
今とは違った視点で、全てが新しく、新鮮で、感動の連続だった。
この時の喜びを、いつまでも忘れないでいたいと思う。
米原の夢
★★★2002年4月27日★★★
☆☆☆静岡→名古屋港☆☆☆


プロローグ

いつもは綿密に計画を立てそれにしたがって旅をする。
時間に縛られたサラリーマンには仕方のないことだ。
仕事を持っていれば、今の日本の社会では長期の休みも取れないだろう。
学生か、仕事をやめない限りは放浪の旅などは夢なのだ。
こんな夢を持つ人は実際は稀有なのだろうし、
そのようなことを一度も考えずに一生を終わる人が殆どなのだろう。
今まで旅で出会った人は、仕事をやめ自由に旅していた人もいたが、それが非常にうらやましかった。
仕事をやめる勇気があれば自分にも実現できる。
しかしいざその立場に立ってみると、失業するということはかなりの不安がつきまとう。
安定した収入得られる生活から、すべてを投げ捨て、簡単に足を踏み入れられる世界ではなかった。
今回21日という短期間ではあるが、少しだけ別の世界に行くことができるかもしれない。


いよいよ今日出発である。旅の出発前、緊張感と期待感が混在するひとときだ。
かなり以前から計画を練り、待ちに待ったこの瞬間。生きていてよかったと思える時間である。

今回はいろいろと紆余曲折があり、いつもと違った思いもある。
21日間、今までこんなに長い旅はしたことがなかった。
しかし、サラリーマンでいる間では今回が最初で最後になるだろう。
思いきり楽しんで来たい。決して忘れない思い出にしたい。

朝3時50分、目覚ましで起床。荷造りは昨日までに済ませてあるので朝は少し余裕がある。
食事をし、部屋を片付け電源を切り、出発の準備ができた。
暗闇の中車庫に降りバイクに荷物を積み込む。
今回は始めてキャンプ道具を携えて行く。
荷物が多くなってしまったが、着替えを少なくしたので何とか積み込めた。

朝5時、まだ少し薄暗い中バイクで走り出す。
道はすいているが若干の車の通行がある。GWの初日だからか。
沼津インターから東名に乗り、一路名古屋を目指す。
寒い、覚悟はしていたがやはり寒い。今まで数日が暖かすぎたのだが、まだ4月である。

1時間ほど走り、牧の原SAでトイレ休憩、乗用車が異常に多い。ほとんどがカップルか家族連れだ。
公立学校が週休2日になったので子供たちも目立つ。みんなどこかにでかけるのだろう。
バイクもかなりいる。大きな荷物を積んでいるところをみると、
みんなツーリングに出るのだろう。年配の人も多い。

また走り出すが、前にも増して寒い。歯がガタガタ震える。
15分ほどは耐えられないほど寒かったが、だんだん寒さに慣れてきた。
しかし寒いのは変わらずトイレが近くなるし、ペースが上がらない。
追い越していくライダーと挨拶を交わし、SAごとに休む。

レスポンスが悪くなったのでコックをリザーブに切り替えた。
まだトリップは200Kmなのに。エンジン不調か?
そういえば、リザーブ用にポンプでガソリンを抜いたんだ。

名古屋インターから東名阪に入り大治南で降りた。
懐かしい、1年ぶりに見る風景。これで5回目だ。迷うこともないだろう。
そのまま南進しR23に出ると相変わらず込んでいる。ディーゼルの排気ガスが不快だ。
水温が上がり、日差しもあって暑い、停車ごとにエンジンを止める。

ようやく埠頭入り口の交差点になりコスモで給油。約20リットル。
コンビニで食料を調達し、埠頭へと向かう。
すべて順調に来られた。待合所にはすでに何台かのバイクも到着していた。
しかし去年会った人はいなかった。
まあ当たり前か。5回も続けて来ているのは自分くらいなものか。
今日は太平洋フェリーも接岸していた。それで人や車が多かったのか。

この航路のよいところはやはり船の豪華さ、
二等運賃で全席寝台だし各部屋にシャワーがある。
土曜日出港ということも効率がよい。
静岡からもそれほど遠くないし、さらにコムレイドクラブで二割引になるのがうれしい。
乗客は少なくいつも空いている。

乗船手続きを済ませるが、1時間ほど出港が遅れるらしい。いつものことか。
この飛龍は4回目だが定時に出港したことは一度も無い。
外や待合室をうろうろし時間を潰す。これもまた楽しい時間だ。天気がよくてよかった。
しかし周りを見まわしても自分と同じようなツーリングライダーはいないな。少し残念。

11時40分、ようやく自動車バイクの積み込みが開始された。
バイクは全部で15台くらいか、自動車は10台くらい。
車両甲板のほとんどはコンテナだった。
係員の指示どおり壁際に寄せ停車、ギヤを入れバイクを降りる。
荷締め機でステップを次々に固定されていく。
テント、マット、ヘルメットを残し荷物を降ろした。
しばらくバイクともお別れ。次に会うときはもう沖縄だ。

荷物を持って車の間をすり抜け客室へと向かう。
上階へと向かうエレベーターは狭く、みんな大きな荷物をもっているので数人で満員になってしまう。
レセプションカウンターでチェックインし指定の部屋へ向かった。
部屋は定員の6人が割り当てられていた。
乗船したのはおそらく50人程度か。
以前は下段だけの3人の割り当てだったが、
倒産してからは効率化のため定員いっぱいまで詰めこんでいるようだ。

とりあえず下段を確保し、荷物を整理しているとメガネがないのに気付く。
そうだ、タンクバックに残してきてしまったんだ。
出港すると航海中は車両甲板には入れなくなるので取りに戻る。
エレベーターが来たので乗り込もうとすると、まだ下から上がってきた人がいた。
最後の人が降りようとすると、ドアに挟まれてしまった。
あわてた家族の人がボタンを押しているが反応しない。
僕がセンサー部分を押したところようやくドアーが開いた。
太っているから挟まれるんだよ、などと会話していたが、僕に礼を言って去っていった。

エレベーターに乗り込み下へ向かった。が、しかし車両甲板のドアは閉められていた。
クルーに忘れ物だと言って、ドアを開けてもらい足早にバイクへと向かう。
メガネを持ちすぐに戻る。ドアにはクルーが詰めていて、僕が戻るとすぐに閉めてしまった。
再びエレベーターに乗ろうとするとまた上から降りてきた人がいた。
さっき挟まれた人の家族だ。その人達も忘れ物らしい。

しばらくデッキで荷役を見ていたが、疲れがたまっていた上に今朝は早起きしたので眠くなってきた。
出港を見送る人もいないので、しばらく休むことにする。
結局出港したのは1時間45分遅れ、12時45分だった。

レストランでの食券の販売のアナウンスで目を覚ます。
ん?周期の長い揺れが続いている。外洋独特の揺れだ。
時計を見ると午後4時30分。食券を買いに部屋を出た。
まっすぐ歩けないほどの揺れだがそれほど苦はない。
念のためセンパアを飲んでおいたので何てことはない。
船には強いほうだが、ナホトカ事故の時以来予防のために薬を飲んで船に乗ることにしている。
カウンターでメニューを確認し焼肉定食にした。

船内でしばらく外を見ながらすごす。
進行左側にしか展望通路がないので下り便では海しか見えない。
携帯も圏外でメールチェックもできないので音楽でも聞いていよう。

レストラン営業開始のアナウンスが入ったのでしばらくしてからカフェテリアへと向かった。
夕食は焼肉定食。ボリュームはかなりあり満足できる。焼肉、サラダ、汁、漬物、海藻、とゼリーだ。
あまり利益を出そうとはしていないようだ。
そういえばいつから食券制になったのだろう。
このほうが無駄もなく用意する時間も短縮でき合理的だが、
食事の1−2時間前に食券を買わなければならない。
忘れると食事ができなくなってしまう。

食事を終え、うとうとしていると寝てしまった。

船中泊


★★★2002年4月28日★★★
☆☆☆終日航海日☆☆☆


午前0時過ぎ大阪着のアナウンスが入った。
しかし名古屋から大阪までの乗船客などいるのかと疑問に思ったが、
もしかすると那覇から大阪までの乗客がいるのかもしれない。

湾内に入り携帯も使えるようになったので接続してみる。
何故かすぐに切れてしまう。5回目くらいでようやく繋がった。

揺れがおさまったのでシャワーを浴びる。Tシャツと半ズボンに着替え外へ出てみる。少し寒いか。
しばらく荷役風景を眺めていたが退屈なので寝ることにする。

何度か目が覚め、時計を見ると7時50分。
昨日買っておいたパンを食べ歯を磨き外を見に行く。
空は雲が低く暗い。ドアを開け外に出てみると雨だ。
予報では今日天気が崩れるとのことだったが今日は終日航海の日。
外へ出られないのは残念だが現地へ到着してから降られるよりはましか。
確か去年、一昨年も雨だったような気がする。
その前の年まではピーカンで、デッキチェアで日光浴をしていた記憶がある。

時折周期の長いローリングに襲われるが揺れないと船に乗った気がしない。ベッドに戻りしばし休憩。

10時、食券販売のアナウンスが入ったのでレセプションホールへ。
外を見ると雲の切れ目から時折陽が射し始めた。
食券を買ってしばらく海を眺める。40時間以上の船旅だから時間はたっぷりある。
昼食まで音楽を聞きながら海を見て過ごす。
石垣に着いてからどこに行こうかと思案を巡らす。
飛行機ではできない贅沢な時間の使い方だ。

昼食はビーフカレー。
結構ボリュームもあり、サラダとアイスコーヒーが付いて700円とはまあまあか。
船の中にしては安いと思う。そう言えば清涼飲料も120円だった。

昼食を終え外を見てみると青空が広がっている。外に出てみよう。
風は暖かくTシャツ1枚でもちょうどいいくらいだ。
サングラスを取りに部屋に戻り、再び木甲板に出た。
かなり大きなローリングだがいい気分だ。
ウエストバッグを枕に空を眺める。
白い尾を引きながらはるか上空を飛行機が過ぎていく。
上からも曳き波をたてながら航行するこの船が見えるだろうか。

どれくらい時間が過ぎただろうか。午後2時、水滴が降りかかってきた。潮か、雨か?
太陽は雲に隠れて日差しがなくなってしまった。船の中に戻る。

ふと考えを巡らす。昨日、今日から連休の人も多いはず。
本土では道路の混雑もおきているだろう。
船に乗っているとそういう情報から遮断される。いや、遮断することができる。
テレビはあるが航行中はBSのみ。
社会情勢に疎くなってしまうが、それが日常から離れられる旅の良いところなのではないだろうか。
何も考えずに過ごす時間、日常ではほとんどできない。
いやでもいろいろな情報が入ってくる。否、取り入れる習慣ができてしまっているのだ。

ガイドブックを見ながら過ごす。
午後4時夕食の食券販売開始のアナウンスが入る。トンカツ定食900円。
展望通路の椅子に腰掛けてしばし過ごす。
夕食はデッキ後方のセブンシーズダイニング。
大阪から乗ってきた人は最初で最後の夕食なので人数が多いのだろう。
トンカツ、サラダ、味噌汁、漬物、海藻、アイスクリーム。
うまいとは言えないがまずくもない。ボリュームに関しては申し分ない。
ブルーシールのアイスというのも良い。が最後まで残しておいたら少々溶け気味だ。

夕食の後はしばらく外を見ていたが雲が低く夕日は見えそうにない。
部屋で休むか。また夜出てこよう。
そう思ったのだがそのまま寝てしまった。



★★★2002年4月29日★★★
☆☆☆那覇到着。阿嘉島日帰り・石垣へ☆☆☆


騒音で何度も目が覚める。昼間あまり活動しないので眠りが浅いのかもしれない。
しかしすっかり疲れは取れたようだ。

45時間の航海。長いと言う人がいるようだが自分にはまったく苦にならない。あっという間だ。
これほど贅沢に、日常から切り離された時間を過ごすことなど船以外ではありえるだろうか。
途切れることなく続くエンジンの音と振動、ゆっくりとしたローリング。
はるかに続く白い曳き波、時折姿を見せるトビウオ、少しずつ変わっていく海の色と風のにおい。
すべてに喜びを感じることができる。その目的地沖縄はもうすぐだ。

朝6時過ぎ、シャワーを浴びて外に出てみる。
残念ながら日差しはなく、雲が低い。時折霧雨のような感じだ。
左舷側に島が見えているが本島なのか?よくわからない。
到着予定時刻は9時とのこと。定刻からは1時間30分の遅れだ。
多少の遅れは取り戻したようだがわずか15分か。

船は遅れるとどうしても取り戻すのが難しいようだ。それとも時間に寛容なのか。
最大速力で航行することは問題なのだろうか。
燃費の問題もあるだろうが、制限速度というものも海上にはあるのだろうか。
そんなことを考えてしまう。

伊江島が見えてきた。下り便は沖合を航行している。
他社の上り便は確か本島との間を航行していたが、船格の関係か。
雲の切れ目に僅かな日差しを感じる。天気予報は晴れ続き。
沖縄の天気予報はあてにならないとは言うが、晴れの予報だけはあたってほしい、
というのはわがままなのだろうな。

朝食は食券制ではなかった。トーストは売り切れ、和定食のみだった。
しまった、もう少し早くくればよかった。
味噌汁と焼き魚、味付けのり、金ピラごぼう、梅干、漬物、900円。

那覇港入港のアナウンスが入った。部屋に戻り荷物をまとめる。
もう一日航海でもいいかな、少し名残り惜しい気がする。
結局遅れは取り戻せず1時間45分遅れ、9時15分。車両甲板に下りる。
荷物をバイクにくくりつけ、ランプウェイが下りるのを待つ。20分を過ぎても開かず。
暑い、みんな上着を着ているが、よく暑くないな。そんなことはどうでもいい。
阿嘉島行きのフェリーは10時、早くしてくれよ。

結局上陸できたのは9時30分。ギリギリだ。
通常は待合所に寄るのだが今日は泊港に直行する。
なんとか迷うことなくスムーズにとまりんに到着。
進入禁止を無視してバイクを駐輪場に止め窓口に。
今日は予約なしでも乗れるという。
買い物に行ってからでもいいかと聞いたが、先に積めと言われた。
コインロッカーに不要な荷物を入れ、急いで埠頭に向かった。
まあ今日はピークから外れているし、3年越しのリベンジ、始めての阿嘉島だ。
去年、一昨年と満席で乗れず、仕方なく渡嘉敷島に行ったんだよなs。
バイクを積み込むと、まだ20分近くあるので、プリマートに買い物に行った。
早足で往復、汗をかいてしまった、さすがは沖縄。

タラップから船に乗り込み最上階に行く。船内の座席は満席のようだ。
風を避けるためブリッジのすぐ後ろに陣取った。
出港の合図の汽笛、強烈な音だ。思わず肩が上がってしまう。びっくりした。
空からは日が射してきた。運がいいな。風が心地よい。ローリングも楽しく感じられる。
ハーリー船が出ようとしている。練習かな。
甲板では浮き輪を持っている人もいる。海水浴だな。家族連れも多いな。
沖縄の人はみんな明るくていいなあ。僕も楽しくなってくる。
この雰囲気が沖縄のよさなんだよな。
音楽を聞きながら僅か1時間半、阿嘉に着いた。
写真を撮ろうと思ったが、しまった、カメラをタンクバックに入れっぱなしだった。

念願の阿嘉に上陸、日差しが強い。
すぐに手の甲が赤くなってしまう。
肝心な日焼け止めはとまりんのロッカーに入れてきてしまったんだ。
不要なサイドバックは付けたままだった。

まずはケラマ空港へ、途中工事中で未舗装だがこのアフリカツインには何てことない。
すべる砂に注意しながら進む。あっという間に着いてしまう。
空港のターミナルは開いていたが、1日1便の発着らしい。
クーラーも効いていて開放されているようだが何のために開けているのか疑問だ。

展望台へと向かう。のどかな集落をぬける。
まるで地中海の白い街並みのようだ。アフリカツインは似合わないな。
最初の展望台はあまり展望が良くない。次に向かう。
途中入り口を行き過ぎてしまい、折り返す。
狭いダートだが歩くと暑いからいやだな。このままバイクで上がってしまおう。
強引に進入したら十数メートルカーブの先で階段、なんてこった、参った。
道幅が狭くUターンもできない。
あーあ、積んでいた荷物をすべて下ろし、身軽にしてゆっくりとバックする。
さっき追い越した自転車で来た人に追い越された。 
やはり遊歩道はバイクの入るところではなかった。汗だくになってしまった。

今度は徒歩で遊歩道に入る。10分ほどで頂上に出た。
多少木々に邪魔されているがなかなか良い展望だ。周囲の島々が良く見える。
望遠鏡が設置されていたが、肝心な渡嘉敷の方向は東屋の足が邪魔して見えない。
設置場所を考えるべきだ。

次にニシ浜へと向かう。急な狭い道を抜けるとビーチはあった。キャンパーの姿も見える。
浜に下りてみるとまだ先に道が続いているようだ。
バイクの荷物を下ろし進むと100メートルほどでチェーンが張ってあり進入不能、残念。

浜に戻りしばらく子供たちの遊んでいる姿を見ていた。
フリスビーひとつでいろいろな遊びを考えるもんだな。
兄弟達か知りあいの子供達か、沖縄の家族はみんな明るくていいな。

どこかで昼寝したいな。

港に戻りシロの像を発見、堤防の上で記念写真。
橋の下の日陰で昼寝。吹きぬける風が気持ちいい。
近くを通るダイビングボートのエンジン音やボンベの積み下ろしの音、
都会では決して味わえない時間だ。

まだ時間があるがバイクを積み下ろし場所に着け集落を散策。
子供たちがバイクの話をしているのが聞こえた。
2つライトがあるかっこいいバイク?僕の愛車アフリカツインのことか?
まだ多少時間があるので再び橋の下まで歩いて行き日陰で休む。

そろそろ船が来る時間だな、バイクに戻り船を待つ。
船の写真を・・・ん、カメラが無いな。おかしい、さっきまで持って歩いていたのに。

船が見えるところまで来ている。
そうだ、さっきの芝生だ。戻るか迷う。
この船を逃すと八重山には行けなくなる。
といって、カメラを諦めるわけにはいかない。
一瞬の迷いの後、エンジンをかけさっきの芝生に急行、あった。よかった。
すぐさま桟橋に戻りバイクで乗り込んだ。ふーっ、助かった。

客室最上階に上がり、来た時と同じ場所に陣取る。日帰りの人も多いんだな。
4人連れの女性が同じところにいるし、見たことがある人が多い。
ゆっくりとした時間も流れ、泊港が見えてきた。日が陰り少し肌寒い。日に焼けたか。

ふとドラのような音が、小学生くらいか、ハーリー船の練習をしていた。
みんな手を振り、拍手、指笛も。さすが沖縄。

コインロッカーから荷物を出そうととまりんへ。
あれっ、追加料金が表示されている。このロッカーは時間制なのか。
300円の超過料金を払い荷物を取り出しバイクにくくりつける。
乗ってきたフェリーを横目で見ながら安謝港へ向かう。

今日は有村と琉球の石垣行きと、名古屋行きがあるので、夕暮れの待合所は異常に混雑している。
飛龍と21が隣り合っているのを見ることはもう無いだろうな。珍しい光景だ。
以前琉球の貨客船が3隻あったことはGW中に帰ってこられたので、
バイクを乗せる人もいたが、今日乗せてしまうと15日まで帰ってこられないとあって、
ほとんど石垣行きのライダーはいない。
しかしよく探すと石垣行きを表示しているバイクがいた。
仕事を兼ねて西表に行くと言う横浜ナンバーのライダーと話をする。
仕事でキャンプしながら旅ができるなんて。
プロのカメラマンか。

積み込み予定時間の7時30分を過ぎた。
一般の乗客はバスで次々に乗り込んで行くが、一向にアナウンスが無い。
しびれを切らし窓口に聞きに行くと、もう積んでいるという。
喧騒の中放送が聞こえなかったようだ。
カメラマンのライダーと乗船口に向かう。

固縛が終わると、客室へ向かう。飛龍21は久しぶりだ。
ベッドを割り当てられる。この船には個別にコンセントがある。これは便利だ。
だがシャワーが3つしかないので混雑が予想されたが、待たずに利用できた。
シャワーを浴びているとレストラン営業開始のアナウンスが入ったので
早々に切り上げ身支度を整え、レストランへ。
トンカツ定食。900円。飛龍のメニューと一緒だ。

食事を終えるとベッドに戻りレポ作成。入力音がうるさいので切り上げ寝ることにする。

船中泊


★★★2002年4月30日★★★
☆☆☆最南端の島へ☆☆☆


朝6時前に起床、朝方何度も目がさめてしまう。何故か?
7時半石垣港に到着、2時間遅れか、でもちょうどいい時間になった。
しばらくすると琉球海運の船が入港してきた。
琉球海運の船は宮古経由なのになぜ到着がそんなに変わらないのか?

バイクに乗り船を降り、波照間行きフェリーの桟橋へ向かう。
久しぶりに走る石垣の道だ。やはり暑い。

まだ時間があったので買い物と荷物をコインロッカーに預け再び戻る。
往復7020円。バイクを積みこみ待合所へ。
ヘルメットを持った人が何故かタクシーで到着した。
乗客は僅か3人。クルーの方が多いよ。
しかし今日は連休の谷間。仕事の人も多いんじゃないかな。

明日の与那国行きの時刻を確認をしようと隣の福山海運の時刻表を見て唖然。
今日だけ不規則ダイヤになっているではないか。
明日のはずが今日出発。あちゃー。もうバイクは積んでしまったし。
仕方ない、与那国行きは最初の予定どおりは4日にするか。

この波照間航路はよく揺れるので有名だがそれは高速船での話だ。
このフェリーはどうだろうか。
下の甲板にはタンクローリーと鉄筋の束、U字溝、工事現場のプレハブ。こんなもんか。
バイクは自分一人、さみしいな。

もう一人の徒歩ライダーは北海道出身、茨城在住のKさん。
バイクを那覇に置いて、琉球海運の船で来たという。
ここまでバイクを運びたかったが、休みの都合上仕方なく置いてきたそうだ。
高速船より安いのでフェリーにしたそうだが物好きだな。
現状を知らないのであろうが、おもしろい。
ここまでバイクを持って来てしまうと15日まで帰り便がないので
普通のサラリーマンはもう来れないだろうな。
彼も言っていたがここまで来るマニアック?(本人は全然そうとは思っていないのだが)
な人は周りにはいないそうだ。自分の周りにもいないな。

旅に出るとこのように同じ境遇の人が出会うことができる。
それが大きな楽しみでもある。
いろいろな話をした。なぜか話があってしまう。
バイク乗りは仲間意識が強いので、すぐにうちとけることができる。
車で来るとこうはいかないな。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
彼も帰りはこの船だということなので、しばしの別れを告げ別れた。

ニシ浜は最後に回し、島内を散策する。いい天気だ。
彼が言っていたが自分が到着するまでは本島は雨だったそうだ。
ここ何年かあまり雨に降られていない。
天気が悪いはずの年末年始もだ。
晴男になったか。

シールドを開け、スタンディングで走る。
最高だ。こんなにいい天気の波照間は始めてだ。最南端の碑へ向かう。
さすがにバイクは早い。碑の前にバイクを止め記念写真。
東屋に2人いた。もう一人は自転車で帰るところだった。

空港へ寄ってブリブチ公園へ向かう。
古い看板はなくなっていたが、新しく標識が立っていた。
案内するほどの所なのか。
利用者が少ないということではマニアの間では有名だが・・・。
見ると周囲の草が茂って中に入れない。手入れがされていないようだ。
この方がこの公園の存在価値があるのかもしれないな。

次にシムスゲーを探す。
今まで何回も発見できなかったので今回こそは見つけたい。
それがどんなものであるのかは関係ない。
それがどこにあるのかがわかればいい。
それらしい脇道に入る。サンゴのかけらが敷き詰められている。パンクが気になる。
このバイクのパンク修理できるところはこの島にはないだろうな。

だいぶ走ったがそれらしい物はない。
坂が急になってきたのでバイクを止め歩いて先を確認する。
昨日と同じことはするまいな。
先に転回できるスペースを発見したのでそこまで下り引き返す。
ここじゃないようだ。

周回道路まで戻り先の脇道に入るがここも違う。元に戻ってしまった。
またダメかと思って舗装路を戻ると標識があるではないか。
今来た道の分岐点を調整池の下方向に向かえばいいのか。
これは気付かなかった。
なるほど道が続いていてしばらく行くとそれはあった。
調整池ができたために道が迂回していてわかりにくくなっていたようだ。
看板には説明があり、なるほどと思う。
たしかに底の方には水が湧いている、というよりも溜まっている。とても飲めそうにはないが。
とにかくそれが確認できただけでよしとしよう。

最後にニシ浜へ向かう。さっきのKさんが自転車に乗っている。
なぜ?バイクは?まさか全て貸し出されているのか、気が変わったか。
聞くと免許証を石垣に置いて来てしまい、貸してくれなかったそうだ。ご愁傷さま。

短パンに着替えようとシャワールームへ、複雑な気分だ。
中は水が溜まっていて使いにくい。それに男女の区別がわからない。
だれも来なかったからいいか。
何とか着替え、岩影に荷物を移し、海に入った。
水は冷たくもなくちょうどいい。もう少し潮が引けば、リーフまで歩いていける。
潮の引きは思ったより早く、30分もしないうちに歩いて行けるようになった。

するとKさんが息を切らして向かってきた。
自転車で時間をロスしたが、せっかく来たのだから海に入っていくという。
更衣室で着替えるのが面倒なのか外で着替えてしまった。
自分がリーフの先端まで行ってしまうと彼はいなくなっていた。
自転車を返しに行ったらしい。
僕もあと1時間くらいあるが港へ向かうとするか。

荷物を積みこみエンジンを・・・かからない。いやー、まいった。
ONにしたままではなかったと思うけど。バッテリーは新品だし充電系統か?
カウルを外し点検。ヒューズは異常なし。他には考えられない。
配線をあちこち確認するが異常は見られない。

時間もかなりロスしたので、最終手段「押し掛け」だ。これでかからないとやばいな。
でもここは坂の一番下。それにコイツは200キロを超える巨体だ。
荷物を全て降ろし、10メートルほど坂を押し上げたが息が切れふらふらする。
意識が朦朧とする中、切り返し勢いをつけて坂を下る。かかってくれ。

勢いがついたところでクラッチをつないだが、無情にも2速では後輪がロックしてダメだ。
うおーっ! 叫びたくなるのをおさえ天を仰ぐ、再度挑戦。
かからなかったらどうしよう。不安がよぎる。

もう一度坂を押し上げる。もう限界だ。これでダメならこの島に足止めだ。
今度は3速、勢いを溜め、一気にクラッチを繋ぐ。
強烈にノッキングしながらも何とかかかった。
周囲の人たちのの注目を集めてしまったがとにかくよかった。
取りあえず港へ行き、時間に余裕があるのを確認し島を2週。これで充電されただろう。

バイクを積みこみ、待合所へ。するとKさんがかき氷を食べていた。
それを見るなり僕も食べたくなり即注文。
泡波の話をしていると、もう時間がなくなってきた。
カップを持ったまま船に乗り込んだ。

今度は乗客は6人。来るときの倍だがさみしいな。
でも高速船があるのに敢えてこの船を選ぶ理由は何か。値段か?
見送りの人が多い。民宿で仲良くなった仲間だろうか。
多くの人に見送られるのはいいもんだな。今度は泊りで来たいな。
いや泊りで来るべき島なんだろうけどね。

桟橋を離れだんだん小さくなっていく島を見ていた。
高速船に比べればゆっくりとした舟足だ。
すこし、いやアレでかなり疲れたので中の座席で休む。
中に入ると船員が寝ているではないか。こんなんでいいのか。沖縄だからいいか。

あまり見なれない民放だ。でもなかな面白い。
うとうとしながらもつい見てしまう。大きな揺れも楽しい。
酔い止めの薬なんて僕には必要なかったな。
島を見ながら過ごす。いつのまにかスローに。
何隻かの高速船とすれ違い接岸。バイクに戻った。

頼むよ、かかってくれよ。おそるおそるセルスイッチを押すと・・・、かからない。
半分予想していたことだが愕然とする。
船員に手伝ってもらい何とか外へ運び出した。
外ではKさんが待っていてくれて。2人がかりで押し掛け。
原因がわからないまま彼と別れを告げ名前の交換をした。

再びカウルを外し点検。異常は見つからない、というかわからない。
ん・・・あれっ、バッテリーのマイナス端子が緩んでいる。これか!
そう言えばシムスゲーに行ったときかなりゆれたからな。
周囲を流し一度エンジンを止めすぐにセルを押すとかかった。
しかしにわかには安心できない。
とりあえずコインロッカーから荷物を取り出すが、怖くてエンジンを止められない。
ファンが回り熱風がこみあげる中離島桟橋を後にした。

キャンプ場の案内を確認しとりあえず向かう。
一度迷って元に戻ってしまったが地図を見なおすと、今度はスムースに来られた。
市街地に近く便利だな。料金3日分を前払いしサイトへ。
バイクで乗りつけテント設営。他にもバイクの人もいた。
案内所ではさっき波照間にいたと思われる人もいた。
設営に関しては始めてだったがうまく行った、と思う。

近くのコンビニに食料の買い出しに行く。セルは快調だ。
やっぱりアレが原因だったようだ。レギュレーターでなくてよかった。
が、まだ心配だ。明日の朝になるまで。

テントに戻り掲示板に書き込み。
シャワーを浴びテントに戻るが隣がうるさい。子供連れの家族だ。
まだ8時半。寝付けないのでコンセントのあるコミュニティードームでこのレポ作成。
だいぶ涼しくなってきた。今ごろになって平衡感覚がおかしいのに気付く。揺れている。
そういえば60時間近く揺られていたからな。
陸上に落ちついているのはよく考えると初めてなんだな。

突然の計画変更を余儀なくされ金曜日まで石垣にいることになってしまった。
何をしようか考える。とりあえず久しぶりに一周してみよう。天気もよさそうだし。
旅先で予定のない時間を過ごすなんて今まであっただろうか。
放浪の旅をしている人たちの気分はこんなものなのだろうか。

10時を過ぎたな。予定はないのだが疲れたから休むとするか。子供ももう寝ただろう。

石垣島 南夢楽園キャンプ場泊


★★★2002年5月1日★★★
☆☆☆島内探訪、米原へ引越し☆☆☆


午前4時30分、目が覚めトイレへ。再び寝入り6時半目が覚める。
隣のテントが撤収を始めていた。
ここは太陽が出ると遮るものがなく暑くてたまらない。
テントを出て日陰で過ごす。

今日はどこへ行こうか。とりあえず東回りで走ってみよう。
バイクでこの島を走るのは久しぶりだ。快調に飛ばす。
島人の車は依然としてゆっくりと流れている。
東海岸を走り、玉取崎展望台。こんな晴天に来たのは初めてだ。
駐車場へバイクを止め展望台へ。掃除をしている人がいた。他にも何人か来ていた。
前に来たときは曇りか雨だったな。こんなにきれいだったのか。
観光タクシーのガイドさんの話しに聞き耳をたてながら写真を撮る。

次に平久保崎灯台へ向かう。久しぶりに走った気がするな。
スタンディングで走る。風が気持ちいい。
脇道に入り灯台へと続く道を走る。
駐車場にバイクを止め坂を上がる。
灯台越しに見るリーフは色が鮮やかだ。
しかしカップルばかりだな。何か肩身が狭い気がする。

しばらくたたずんでバイクに戻る。川の名前はわからないがマングローブ見に行く。
パーキングにバイクを止めるとトラックが止まっていてカヌーをレンタルしている。
借りようと思ったのだが、オッサンが長電話していてなかなか終わらない。

しばらく待っているとようやく電話が終わったので1時間借りることにした。
まあ一度だけだが経験があるから大丈夫だろう。
カヌーに乗りパドルを操り漕ぎだした。干潮なので遡及は大変だ。
漕ぐのをやめると戻されてしまう。
数百メートルで枝が低くなり進めなくなった。少し戻り別の支流へ入ってみた。
もうひとつの支流も同じようにすぐに枝が低くなり進めなくなったので、
パドルをマングローブの根っこに引っ掛けて止まり音楽を聞いた。
木漏れ日がきらきらと水面に反射しきれいだ。
至福の時間だな。こんなことはもう無いんではないか。そう思えてしまう。

しばらくゆっくりとした時間が流れていたが、そろそろ時間なので引き上げるとする。
最初の地点にもどるとオッサンが河口まで行ってみろという。
行ったはいいが、このあたりは水深が浅く流れが早い。戻るのが大変だ、疲れた。

河口では関西人と思われる夫婦が二人乗りのカヌーをうまく操れず流されている。
アンタがしっかり漕がないからだと奥さんが旦那さんを罵倒している。少し笑えた。
僕は陸に上がりカヌーを返した。
オッサンはカヌーを引き上げ車に積んで帰ってしまった。昼休みかな。

少し休んで自分も引き揚げる。米原へ向かってみる。
中をゆっくり通過し川平へ向かおう、ん・・・もしかして、でもまさかな。
時間もあるので左に寄り停車しUターン、もう一度戻りキャンプ場の端にバイクを止め散策。
見覚えのあるディグリー?。浜松ナンバーだ。
3年前瀬底ビーチで会った子だ。えーっ、こんな所で再会できるは。感動。
あの時は少し話しただけだったけどな。
彼女と挨拶を交わす。向こうも覚えていたようだ。
変わってないな。なんかうれしくなった。でも食事中だったので悪かったかな。

米原は木が茂っていて日陰が多い。こっちのほうがいいな。
楽園の話しをしたが、引っ越すことにする。大歓迎といってくれた。
速攻で楽園に戻り撤収、かなり距離があるな。まあいいか。
猛烈な暑さの中テントをたたみバイクに積みこみ、過積載気味なのでバランスに注意する。
しばらくいくとマルソーに追いつく。抜かすに抜かせない。まいったな。
しばらく追走していると川平方面へいった。助かった。
そこからは快調に飛ばし到着。よさそうな場所を教えてもらい設営。
海岸では大音量でPAしている。
乗りのいい音楽で個人的には歓迎だが他の人はどう思っているのだろう。

キャンプ場を離れバンナ岳へ、島を見渡し帰る。
エンジンの掛かりが悪い。またあの現象だ。工具が無い。戻るか。
戻ってくると工具がタンクバックに入っていいるではないか。まあいいか。
バッテリーの端子はまた緩んでいた。
即閉め付け、給油と買い物に出掛ける。
市街地との距離がかなりあるので燃料がすぐになくなってしまう。
行ってくると1時間はかかるな。

戻ってくると音量は多少下がったがまだやっている。
日没まで流木の上に座ってすごす。きれいだ。

水シャワーを浴びる。強烈だが涼しくなった。
BBSしていると近くの人が来て話をした。いろいろな境遇の人がいるんだな。
ここに長期滞在している人はほとんどフリーターだ。
すぐ近くまで行ったのだがサラリーマンに逆戻り。

暗くなったので海岸に出てみる・・・。うおー、思わず絶句する。
こんなにたくさんの星を見たことがあっただろうか。
しばし星を見つづける。

テントに戻り、レポを作りながらも近くの人たちの聞こえてくる。
なるほどね。人それぞれの生き方。誰にも決められない。
自分の未来は自分で決める。そんな生き方すばらしいな。
焚き火を囲んで話している、参加したい気もしたが、ちょっと勇気がなかった。
1泊だけの予定だったが、こちらのほうが環境もキャンパー達もいいな。
ずっとここにいようと決める。

米原キャンプ場泊


★★★2002年5月2日★★★
☆☆☆久しぶりの海☆☆☆


今日は沖縄に来て何日目だったろうか。日にち、曜日の感覚が無くなってきている。

米原、ここはまるでパラダイスだ。
地上の楽園がここにあったのか。そう思えるほど感動の連続だ。
新参者を優しく受け入れ大歓迎する雰囲気、
周りの人と意気統合しすぐにうちとけられる。
旅人にとって出会いとは最大の喜びでもあるのだ。

周りの先輩たちに助言をもらい、試行錯誤する。
ブルーシートを張ると良いと聞き早速実行。街まで買い物に出掛ける。
自転車の人にも買い物を頼まれる。
自転車じゃ1時間半はかかるから簡単には出掛けられないな。
自転車すらなく徒歩で来ている人もいる。ヒッチハイクか。
沖縄とはいえかなり勇気がいるだろうな。
自分には信じられないが、自分も一般の人には信じられないことをしているんだよな。

買い物をしていると、いろいろと欲しいものが出てきてつい買ってしまう。
シュノーケリングセットが目に止まった。
せっかく来たんだ一度は海に入らなきゃ。
それなら水中カメラも要るだろう。
海パンも買ってから丸3年水に浸かってないしな。
一通り買い物を済ますと早速キャンプ場に戻った。

軽く食事を取り海に入る。海に入るのは何年ぶりだろうか。
前の会社の時が最後だとすると11年ぶりくらいか。
シュノーケリングはハワイ以来だから12年以上だな。
おそるおそるひざまで入る。ここからだ。
顔を水に付ける。小さな魚が泳いでいる。
さらに少しづづ沖へと向かう。懐かしい感触だ。
海水はそれほど冷たくもない。快適だ。
自転車の人も後から来て、いろいろ教えてくれる。
ガイド並に良く知っているな。さすがキャンプOMさん。
熱帯魚が乱舞している。くまのみはいそぎんちゃくから離れない。
逃げないのだ。つい写真を取りまくってしまう。
またしても感動。こんなに海の中はきれいだったのか。
ダイビングをしてみようと思ったのだが、急にそんな気が失せた。
これで十分じゃないか。

何分ぐらい海中にいただろうか。竜宮城気分だ。
潮も引き加減。少し寒さを覚えたので上がることする。明日でもできるしな。
海中に残っているテグスを拾ってくる余裕もできた。
みんなこんな暮らしをどれだけ続けているのだろう。
一生できればここにいたい。
帰らなければいいさー。3年ぶりに再会した彼女にそう言われた。
そうだよな。そのとおりだ。
自分の決断次第ではいつまででもいることはできる。
他のキャンパーを見送ることはどんな気分なのだろうか。
今日原付を借りて埼玉から来た青年は、沖縄が始めてで7月20日までいるという。

そんな人たちの楽園聖地なんだな。この場所は。
そこに一歩でも踏み入れられただけでも、大収穫ではないか。
普通に暮らしていれば、普通の人には絶対に味わえない感動。
形こそ違え、同じ時間を、同じ場所で過ごしているひとたちと共感する。
昨日は始めての米原だったので少し疎外感を感じたが、
帰りたくない。今日そう思った。
自分の社会的地位、財産全てを失っても今を失いたくない。
生きている喜び。始めて感じられた。

海から上がってから何をして過ごしただろうか。
何もかもが新鮮で感動の連続。
鳥の名前ひとつ教えてもらうたびに感動する。
辞典からは同じ知識は得られるが、感動は得られない。
何にも変えがたい。この言葉しかでてこない、「最高」だ。

再び買い物へ街へ出る。
つい余計なものまで買ってしまう悪い癖がでる。
5ハコのティッシュ。どうしたものか。
自転車の人が1箱買ってくれた。
旅立つとき誰かのために残して行こう。

再びいろいろな話をする。
いったい何の話であったのだろうか、あまり覚えてはいない。
バイトの募集に来た青年もいた。
話の内容が重要なわけではない。
この時間を共有できるという事実。
これはくどいようだが何ににもかえがたい。

誰かの吹くオカリナの音色に誘われて海岸に出る。
暗闇に紛れ吹く人の姿は見えない。
波の音、オカリナの音色、そして風の音のハーモニー。
上を見上げると満天の星空。
いったい何なんだ、ここは。いったいどうなっているんだ。
こんなことがあっていいのだろうか。まったく未知の世界だ。
日常から完全にかけ離れた別世界。そう思えてきた。

夜遅くてもそれがどうってことはない。
今が重要なんだ。明日は明日の風が吹く。
こんな歌があったが、意味がわかったような気がするな。
今を生きることが大切だってこと。

米原キャンプ場泊


★★★2002年5月3日★★★
☆☆☆建設ラッシュ☆☆☆


今日は5月3日だ。旅に出てからいったい何日が過ぎたのだろう。このキャンプ場に来てからは3日目だ。

今日からゴールデンウィーク後半。
朝起きると周りの雰囲気が何か違う。
聞くとファミリーキャンパーが大挙して押し寄せてくるらしい。
みんな自分の環境を守ろうとしているようだ。
噂には聞いていたが、いったいどんなもんなんだ。

朝食、その後音楽を聞きながら朝の海を見る。
ここにいるとだんだん現実と夢が逆転してくる。
現実の世界がだんだん遠くなっていく。戻ることが無いような気になってくる。
そうすることは物理的には簡単だ。
しかし未だに社会という現実からは離れられない。
こんな世界に一歩だけでも近づき、そんな世界の人たちと交流できたことは、
現実の世界に生きる「人間」にとって、まずありえないことなのだ。
普通は知る術も、知る機会すらないまま人生を終わるのだろうな。
こんな世界があることすら知らずに。
明日以降、いや今日のことすら、予定を立て実行するなどまったく意味の無い世界いる。
ここで過ごす時間は、一生の記録、記憶になるだろう。

9時半ごろまでゆっくりとした時間を過ごす。
周りの人はそれは日課になっているようだ。
昨日埼玉から来た青年は、鳩間島の音楽祭に出掛けるといって出発していった。
笑顔で挨拶を交わし、しばしの別れだ。

洗濯物がたまっているのでコインランドリーに行くことにする。
バイクを飛ばし西回りで市街へと向かう。
コインランドリーも学生時代1回だけ利用したことがあるが、15年くらい前か。
洗濯機を開けてみると全て使用中だ。
どれも同じようなものが入っているので同一人物のようだ。
隣のコンビニでアイスクリームを買っていると誰かが全て引き上げて行った。
やれやれ。洗濯物を全て入れ、コインを入れると残り時間30分が表示された。
結構かかるもんだな。待っているのも暑いので市街に行くことにした。

サザンゲートブリッジの上にバイクを止め見まわす。
離島桟橋は相変わらずあわただしいな。
ホームセンターに行きペグを買い増し、時間を見るとそろそろ終了時間だ。急がなければ。
到着するも他に利用者はいなかったようだ。
乾燥機に移しコインを入れると動き出したので、
またコンビニに行きハンバーガーとアイスクリームを買った。
8分たったが半乾きだ。もう100円入れ延長。
これでもまだ少し足りないような気がしたがまあいい。向こうで乾かそう。

キャンプ場に戻ると異常に人とテントが多い。まるで建設ラッシュだ。
テントを張れそうなスペースは全て埋まったようだ。すごいな。
諦めてシュノーケリングすることにする。
すいじ貝を探そうとするが、まず見つからないという。やってみるか。

岸からかなり離れてテーブルサンゴの周囲を探す。
クモ貝はたくさんあるがやはりすいじ貝は無かった。
いくつかの貝を持ちかえったところ、シュノーケリング初心者で、
僅かな時間でこんなに採ってくるのは才能がある。らしい。

食べられるというが食べたくないのでほとんど海に返した。
ディグリーの彼女がギタレレとかいう楽器の練習をしていたので楽譜を見せてもらった。
主旋律の他はコードだ。ピアノと同じだねと話す。

再び夕食を買いに街へ、バンナ岳から北へ通りぬける。
懐かしい景色だ。なぜか足の裏側が痛い。なぜだ。
もしかするとシュノーケリングの時日に焼けたのか。まさかここまで。

サイトへもどりシャワーを浴びてしばしたたずむ。
ホテルの洗い場でバイトしている青年と出会う。

ここではこんな出会いは普通である。都会では絶対にありえない。
ここにいるみんなは心に余裕と自由がある。
気兼ねなど必要無いことをわかっている。すごいことだ。

彼らと海岸に出て焚き火をしながら語り合う。
北海道の話題には大体ついていける。
ここに来る人たちはみんな日本中のいろいろなことを事を知っている。
知らない情報を交換しあう。楽しいな。

しかし米原初心者の自分。諸先輩方にはかなわないし、絶対に追いつけない面もある。
地元の人とすぐにうちとけあい食事を一緒に出きるなんてな。
しかし今回多少なりとも前進ができた気がするな。
気兼ねして距離を置く必要なんてない。
だれをもを容易に受け入れ、疎外しようなどというこはまるで無い。
都会と正反対の世界なんだ。
何を求めてみんなここに来、ふたたび戻ってくるのか少しわかったような気がする。

米原キャンプ場泊


★★★2002年5月4日★★★
☆☆☆最西端の島☆☆☆


今日は与那国に渡る日だ。朝早く起きコーヒーを飲み食事を済ます。
いつもと同じ朝だな。永久にこのままでいたい。
このままの米原、気候、このままの人、どれもいつかわ変わっていく。
はかないもなんだよな。だから今が輝き、楽しいんだな。

身支度を整え、荷物をまとめる。要らないものはコインロッカーに入れ、荷物は最小限にする。
場所を確保しておくため、テントは張りっぱなしにする。

とりあえず出発、途中コンビニに寄り昼食を確保、まではよかったんだが、またセルが回らない。
原因はほぼ判っているものの、面倒だし万一違う原因だったらと考えると落ち着かない。
シートを外しバッテリーケースを開け端子にドライバーを当てる。
回った。少し安心。だが何故こんなに頻繁に緩むんだ。この原因まではわからない。

ガソリンスタンドに行き給油。
端子が緩むたびにトリップや時計ががリセットされてしまうため、
何キロ走ったか判らなくなってしまう。給油タイミングも判らない。
結局14リットル強。何故かゆで卵を3つくれた。

桟橋に行き乗船手続きをする。結構たくさんの人が乗っている。飛行機は高いからな。
バイク、自転車持ちこみのほかは若者が多いようだ。
バイクは手で縛っている。かなり強く縛るがアフリカツインはサスストロークが長い。
オフロード車は固縛泣かせらしい。
いったん外へ出て客室に乗りこむ。
カーペットと寝台があるが空いていたのでカーペットにした。
しばらく外を眺めていたが、面白くないので休むことにする。夕べはうるさかったからな。

うとうとしていると汽笛が鳴った。船が動き出した。
9時55分。えっ、定刻前だけどいいの? 僕はいいんだけど。

エアコンが快適だと思っていたが寒くなってきた。毛布をかぶり寝てしまった。
気が付くと13時20分。んっ。外に出ると与那国が見えている。
寒い、エアコンで冷えきっていしまったようだ。
キャビン後ろの無風地帯で日光浴をし、体温を上げた。
港は一番西だからもう少しかかるだろう。
驚いた飛びウオをカツオ鳥がねらっている。

港に入ったが何故か接岸しない。
左舷側はアンカーを使用し、岸壁とは1メートルくらい空いている。何故だろう。
ようやくタラップがかかったので下りたがゲートがなかなか開かない。
近くにいた子に思ったより揺れませんでしたね
と声をかけたが、笑うだけで答えてくれなかった。

ようやくゲートが開いた。隣にはドカがいた。
米原に居ましたよね、と声をかけると、比川でキャンプをするという。
やかましいバイクにド派手なTシャツ。
思ったよりいい人だな。
もう一人、一緒に飛龍にママチャリで乗ってきた若者とも話をする。
最後に写真を撮ってもらった。

とりあえず宿を探す。あたりを見まわしても判らないので地図を見て走り出す。
すぐに判ったが、誰も居ない。
バイクに戻るとグローブがひとつ無い。
急いで探しに戻ると港の付近にあった。良かった。

再び宿へ、誰か出てきたので営業はしているようだ。
中に入ると電話がありこれで話をするらしい。
すると台帳に記入してくれというので書いていると誰か来て説明してくれた。
部屋は一番安いのでテレビは無く、トイレ、シャワーも共同。
キャンプ場よりはいいか。クーラーは無料だ。

適当に観光地を回る。最西端の碑で記念写真を撮る。
タクシーの運転手は観光客に、夜はNHKすら受信できなくなると説明していた。やはり・・・。
比川に行くと浜松ナンバーのXLRの青年と会う。
話をしてみると彼もキャンプらしい。
トイレはどこかとあちこち探すが防波堤の外側にひっそりとそれはあった。
機能が正常に働くことを確認し、一度そこを去る。
今度は東崎。430スタックのOMさんがいた。早速話をする。
アマチュア無線家は、同じ仲間だと結構話があう。
その人も愛知から車を持ちこんでいる。H.P.で見た人かな。バイクも持っているという。

営業職だったこともあるが、趣味がたくさんあると、金はかかるが、
いろいろな方面の人と話が出きるというメリットもある。

電波塔のある山の頂上付近でおにぎりを食べた。昼は寝ていたからな。忘れてた。
軽ワゴン車がエンジンをかけたまま止まっていた。どこにいるんだ?。

久部良バリというところは悲惨な歴史のあるところだ。
本で見るより現物を見たほうが説得力がある。
今に生まれたことに感謝しなければ。そして未来を残すことにつとめなければ。

後は適当に流し宿へ戻った。
すると後ろからさっき追い越した夫婦が来てグローブを届けてくれた。ありがたい。
ここの宿に泊っているのかと思ったが、清涼飲料水を自動販売機で買うと出ていってしまった。
何か妙におちついていておかしかったが、わざわざきてくれたのか。ありがとうございました。

食事は刺身、酢の物、ゴーヤー炒め、汁(もずくのようなもの)、レタス、焼肉(何だかわからない)。
酢の物以外は残すと悪いので無理に食べた。
刺身は味は良く判らない。生臭さは無いが、味も無い。(わからない)

部屋に戻りレポ作成。何か疲れた。ラジオは台湾の局しか入らない。
何を言っているのかさっぱり判らないが、何も無いのは寂しいのでラジオを付けっぱなしにする。
音楽は万国共通だ。ベッドは久しぶりだな。

与那国島 はいどなん泊


★★★2002年5月5日★★★
☆☆☆与那国2日目☆☆☆


今日は5月5日、子供の日か。朝早く目がさめ二度寝。
7時過ぎ起床。食事はポーク卵、味付け海苔、酢の物、味噌汁、ししとう、だったか忘れてしまった。
部屋に戻り身支度、午前中は島を巡ろうと考えた。
空港に行くとドカがいた。ひまですることがないらしい。
きのうは比川の堤防の上でテントなしで寝たらしい。
Tシャツを買って空港を出た。

祖納で田島商店を探すが見つからない。
お土産屋サンアイは何故か閉店。郵便局で貯金を引きだし、また島を巡る。
港へ戻ったがどうしよう。ダイビングはしたいのだが上級者向きらしいし、
一日がかりだとお土産屋へも行けなくなってしまう。ダイビングは諦めよう。
狭い島なのでバイクじゃすぐに一周してしまう。

再び比川方面に。途中昨日の女の子とすれ違う。自転車でよく走るな。感心してしまう。
ティンダバナの上に出られる道があると米原で聞いたので行ってみる。
坂を登ると駐車スペースがありスクーターと自転車が止まっていた。
ここから歩くのは面倒なので道を探す。
下り始めたので引き返そうと思ったら回りこむ道があったので、
そのまま登っていくとテキサスゲートがあり、その上に何やら航空官制システムのようなものがあった。
その付近は牧場だ。どうやらここがティンダバナの上らしい。
糞がいたる所に落ちているが、轍をたどって縁まで行ってみる。
階段のような物があり登ってみると断崖絶壁、足がすくむほどの高さだ。柵も何も無い。

しばらくするも誰も登ってこない。何故だろう。
下を見ているとさっきのスクーターの人がこっちを見上げている。
どうやらここまでは来ていないようで、どうやって登ったのか不思議そうだった。
君たちとは極め方が違う。少しの優越感を感じる。
あっ、またあの自転車が坂を登っている、元気だなあ。

坂を下り見上げると途中に展望台がある。アレだったのか。
次に満田原森林公園へ行ってみる。家族連れが多いな。
芝生にちょうど良い日陰があるのでシートを広げしばし休憩。
草刈機の音がうるさいが寝てしまう。

11時半過ぎ、ゆきさんちのカレーに行ってみるが駐車スペースに困った。
左は止めていいのか、右は不整地だし、迷っているうちに通り過ぎてしまう。
一周してから迷っていると、青年が店から出てきて止めるスペースを案内してくれた。

外の席に座り、今日の日変わりメニューのチキンカレーとココナツアイスを注文。
いいロケーションにあるな。写真を撮っていると早速運ばれてきた。
普通のカレーとはちょっと違うように見えた。ピーマンらしきものと骨付きの肉も入っている。
ご飯も何か赤い粉末状のものが付着している。
思い切ってピーマンも食べてみる。食べられないことはないな。
食べ終わると他のお客さんがたくさん来始めた。
ココナツアイスはうまかったな。

食事を終えると比川でシュノーケリングしようと行ってみるが誰もいない。
少し手前の浜には家族連れがたくさんいた。
海に入ると波があり風が強いのでダメだ。それでさっきの浜にみんないたんだ。

濡れたままバイクを出しさっきの浜に。島人から少しはなれたところから海に入る。
確かに波は少ないが海が汚い。サンゴも無い。今日は諦めよう。15分ほどで上がった。
島人が「魚はみれたか」と声をかけてきたので
「ちょっとだけ」と答えるとみんな笑っていた。なんで?

比川へ戻るとドカが日光浴していた。
向こうで潜ってたん?汚いのでシャワーを浴びに戻ってきたんだよ。
しばらくすると駐在さんがきて話をする。
キャンプ?違う、泳いで上がったところと説明すると、
ナンバーを見て「静岡、昔1号線を自転車で走った」などと話していた。
結局は職務質問で免許証を見せた。
ドカは寝ていたところを起こされ不機嫌そうだった。

ナンタ浜へ向かった。泳いでいる人がいる。きれいだな。
田島商店のホームページを思い出した。ほんとうに"ぼおーっ"と見ていたい。
自転車で来て泳ぎ始める人もいる。いいなあ、シャワーがあればな。
サンアイに行くがまだ閉まっている。
良く見ると貼り紙が、空港にも店があり就航時間帯は空港の方の店で営業しているらしい。
空港の売店に行くがステッカーは無く、結局買えなかった。

比川へもどると昨日来たXLRの人とドカの二人がいた。
海に入っていたので急いで着替えて一緒に入った。
米原のほうがきれいだ、と口をそろえた。
浅瀬に座りいろいろ話した。
海から上がりシャワーを浴びに、最初だけ温水が出る。
自分の番には冷水だ。まあいいか。
ドカは女子用のシャワーを使ったが温水は最初の一瞬だけだった。
関西弁が妙におもしろい。

ドカとXLRの人はテント設営、やっと張り終わったころ地元の人が来て移動しろと言う。
文句もいえずしぶしぶ移動。草刈をするというが本当だろうか。

おちついたところで、XLRの人と一緒にティンダバナの上へ行くことにした。
僕が先導して上までたどり着いた。
彼は展望塔のような物の頂上まで乗ってしまった。
上の石が動きびっくりしていた。

そこでいろいろ話をした。
夏に鮭の関係の仕事を北海道で5年くらい毎年続けているという。
彼は向こうの鉄塔によじ登ったといっていた。
僕も登ってみればよかったかな。今度のためにとっておこう。
西表縦走の話を持ち掛けられるが、体力に自信は無いがどうしよう。考えることにする。

1時間以上はいただろう。飛行機が僅か前方を通って行く。
機に向かって手を振る。向こうからは見えたかな。

彼に聞くと、ここは飛行機を見送る場所らしい。
彼は下の展望台からでは良く見えず、おかしいと思っていたという。

6時を過ぎたので別れを告げ宿に向かった。

宿に着き荷物を降ろしていると何やらやかましい。あの音はドカの音だ。
すぐ近くを走って行ったところを見ると、夕日を見に行くんだな。
荷物を部屋に置くと僕もすぐに向かった。やっぱり駐車場には赤のドカがあった。
カメラを忘れたので宿に戻って取って来た。

3年ほど与那国に住んでいるという爺さんがいた。
若いころ働いたから、少し遊ばせてもらうと言っていた。
民宿は高いので、しばらくしてどこかに間借りしたという。
言葉ははっきりとしてきれいな標準語だ。内地の人だな。
3年いて台湾がはっきり見えたのは2−3度らしい。

日没が近づくとドカが邪魔な人を排除している。さすがは関西人だと思った。
風景写真に要らんもん写るんなら撮らんほうがましや。と言っていた。
たしかにそうだ、共感する。

明日の船で、と別れを告げ宿に向かった。
7時20分。まずいな、夕食終了まであと10分。早速食堂に行く。
味噌汁、刺身、かきあげ、かぼちゃ、キャベツ、酢の物だ。
少しテレビを見ていたが、シャワーを浴びレポ作成。

しかし旅は楽しい。今回は特別だ。
いろいろな人と出会い、新しい知識や感動も得られ、また共感できる。
いろいろな人生があるんだな。
自分はかなり極端な道を歩んでいると思ったら、何てことない。
ほんの少しだけ幹線を外れているだけなんだな。
もうすこし若かったらな・・・。いや今からでも遅くないかもしれない。
毎日が新しい出会いと感動のうちに過ぎていく。僕の青春のひととき。
一生忘れられない旅になったな。
「できることはここでやっておかなければ」とXLRの人に言われた。
確かにそうだ。後悔しないようできる限りのことをしよう。
人生の価値とは何か。学歴でも所得でもない。感動の多さ、これじゃないかな。

中国語のラジオを聴きながら、はいどなん連泊


★★★2002年5月6日★★★
☆☆☆与那国→石垣へ戻る☆☆☆


今日は石垣に戻る日だな。ずっといたい気もするけど、米原にも戻りたい。

朝食を食べて荷物をまとめる。8時半までにチェックアウトしなければならない。
味噌汁、味付け海苔、野菜炒め、豆腐のようなもの(粘着性があり少し甘い)そんなもんだったかな。
食事を終えると支払いを済ませた。

まだ時間があるので昨日夕日を見た丘に登ってみる。
スクーターの女の子が来たので「台湾は見えませんね」と声をかけると、
6月くらいしか見えないと教えてくれた。
しばらく朝日を見ていた。久部良バリはどこかと聞かれたので案内した。
それを見て悲惨な歴史もさることながらその深さにも驚いていた。
彼女は昨日一日地元の人につかまって飲まされていたらしく、
今日早起きして島を回っていたという。来たときも同じ船だったという。

借りたバイクを9時までに返さなければと言って足早に去っていった。
同じ船で帰るらしく、「またフェリーの中で」と挨拶を交わし別れた。

坂を下り自動販売機で清涼飲料水を買おうとしたが新500円玉を受け付けない。千円札も却下された。
仕方ないので空港まで行く。さすがに空港なら使えるだろう。
さっきのスクーターを追い越し空港に着いた。
販売機は新500円玉をすぐに吐き出し、千円札は挿入口すらない。なんてこった。
仕方なく売店でペットボトルを買った。ついでにサンアイで与那国のTシャツも購入。
表示価格は税込みだった。100円を返してくれ、船内で食べて、とチョコレートをくれた。
祖納の店は店員がバイクで怪我をしたので、空港店開店中は閉めているという。
「また来ます」といって店を出た。

まだ少し早いが港へと向かった。
しかしXLRの人はすでに積みを完了していた。
ドカは相変わらずのんびりマイペースである。
とりあえずバイクを積みこみ客室へ荷物を置き、甲板へ登った。ずいぶんにぎやかだな。

しばらくすると与那国ホンダの軽トラックが走ってきた。
オーナーの運転する軽トラの助手席に一人と、荷台に二人乗ってきた。反則だあ!
荷台に立ち鳥居につかまってきたのはさっきの彼女だ。気分いいだろうなあ。

しばらくすると甲板に上がってきた。
「すごい登場の仕方だね」「あそこは特等席なのよ」島でのことや宿の話をした。
はいどなんは最初予約したが後から話を聞いてキャンセルしたという。
あの宿はやはり・・・。まあいいか、今度また。

岸壁では多くの人が見送りに来ている。犬も抱かれて手を振っている。
彼女はフィルム切れで撮れないので、僕が撮った写真を送ることにした。
あの自転車の子と仲良くなったみたいだった。

島全体が見渡せるようになると揺れが大きくなってきた。客室に戻って寝ることにする。
いつのまにか時間が過ぎ外に出るときれいなリーフが広がっている。
ここはどこだ。鳩間島か。八重山の島々が美しい。
石垣には少し雲がかかってきたか。
石垣に来てあんな雲は初めてだね、と話しをした。

接岸の準備が始まったので荷物をまとめる。
さっきの彼女と住所と名前を交換し「気をつけて」といって別れた。
今日これから小浜島に向かい2泊して直行便で東京に帰るらしい。
東久留米は東京だったか。九州だと思ってた。

ドカは機嫌が悪いらしくマフラーから火を吹き豪音を発している。
クルーは耳をふさいでいる。かぶりらしいが外車特有だな。
XLRの人と2人で見守り、適当に吹けるようになったところで米原に戻っていった。
自分も離島桟橋を通過し米原に向かった。
さっきの子が大きな荷物を持って歩いていた。

米原に戻ると懐かしいような気がする。
我が家に戻ったようなそんな気がした。

米原に着くと、Iさんが「おかえり」と一言。
徒歩の人はいなくなり、代わりに他のテントがあった。
潮の加減が変わったな。3時過ぎたが潮が満ちている。
すぐに準備をし海に入った。やっぱりこっちのほうがきれいだな。
1時間くらい泳いで上がった。

埼玉から来た青年K君が声をかけてくる。
髪が短くなり感じが変わったな、最初気がつかなかった。
西表縦走の話をするとかなり興味を持ったのでXLRのTMさんと話をするため楽園に向かった。
日程的に自分には無理だな。諦めて別の機会にしよう。

戻ってくると8時半過ぎ、すっかり暗くなっている。
焚き火をしている女の子が二人いた。「明日から留守にする」と言ったが要領を得ないようだった。
時折パラっと雨が降るがすぐにやんでしまう。
ふくろうの鳴き声がきこえる。この前の喧騒がうそのように静まり返っている。
聞こえるのは焚き火の音、吹く風に揺れる木、葉擦れの音。
知らない子達だったので、あまり話はしなかったが11時すぎまで焚き火を囲んでいた。

与那国のステッカーが買えなかったがなぜみんな貼ってあるのかと聞くと、
どうやら石垣で売っているらしい。

Kちゃんはメラメラと燃える火は嫌いらしく、テントから出てこなかった。
途中きれいな貝殻をもらったと自慢しに来た。

いろいろと出合いがあったな。楽しかった。
この旅が僕の人生に劇的な変化をもたらすことになるかもしれない。
いつかは帰らなければならないけれど、めいっぱい楽しみたい。後悔しないようにね。

米原キャンプ場泊


★★★2002年5月7日★★★
☆☆☆静寂の米原☆☆☆


普通の人達のGWは昨日で終わり、ここ米原も静かになり以前の静けさを取り戻したようだ。
しかし、この静けさは初体験である。どちらが自然なんだろう、自分に問い掛けてみる。
日常から脱してここに来て、毎日がパラダイスだ。
限られた時間の中で生活していた今までには体験できなかった。
心の余裕は時間の余裕無くしては見出せないんじゃないのかな。反対かな?
時計もカレンダーも無用な生活。
しかし長い間身についてしまった習慣は、ここに来ても払拭できないな。
どうしてもラジオをつけてニュースを聞き、天気予報に耳をそばだてる。
そう簡単には消えないんだろうな。

浜へ出てみる。昨日の女の子達がサンゴか貝殻を拾っている。
ゆったりと流れる時間。静かな海。
その中心に自分がいる、いや、中心にすることができるのだ。

今日は何もしない一日にしよう。いままでこんな贅沢はしたことはないな。
小雨がそぼ降る、暖かい八重山の雨、始めての雨。
タープの下にもぐりこみ、止めば外に出て音楽を聞いて過ごす。
なにもあせることは無い、そんな理由も無い生活。夢の中の世界のようだ。

ここがこんなに静かだったなんて始めて気付いた。
西表へ行く予定だったが、ずっとここにいよう。
すばらしい人達に囲まれて、ここは旅人たちのパラダイスだ。
親切だが決して干渉しない。お互い心地よさを保つ秘訣を自然と身につけている。
ここで生活していく暗黙のルールみたいなもんかな。
Iさん曰く「予定を決めて行動すると八重山の神様がヘソをまげる」

昼ころ二人が山に登りに行くついでにIさんがそばを食べに行くというのでついていった。
こちらで「そば」とは沖縄そばのことなんだな。
久しぶりに新聞を読んだ。沖縄のローカル新聞か。
白いトンコツスープに黄色い麺、豚肉、見た目は普通だがうまい。スープもこくがあっていいね。
店にいたお客さんが、帰るとき僕は静岡から来たと言うと、清水の歌を歌っていた。
何の歌だかよくわからなかったが。

どうもこっちに来てからエンジンの調子が悪い。
気温が高いせいか、ガソリンが濃くなってしまう。
キャブレターの調整をすればよいが面倒で、余計調子が悪くなる可能性もあるからな。
やめておこう。ついガス欠と勘違いしてしまう。
バッテリーの端子はスパナで閉めつけておいたからもう大丈夫だ。
トリップもこれからは信用できるだろう。

街までバイクにかけるシートを買いに行った。
木の葉から落ちてくる雨は、しみになってしまうから。

2時過ぎ米原に戻ってきた。しばらくするとTMさんが来た。
明日の打ち合わせに来たという。潮見台で3人で話す。
鹿児島から北海道まで歩いたことや、条件違反でFJ1200に乗っていたことなど。
同世代の人だな。

3時を過ぎて日が出てきたので3人で泳ぐことにした。
リーフの先端に波が立たないのでちょっとわかりにくいが、あまり沖に行かなければ大丈夫だろう。
きれいなリーフを発見、日も射してきて色鮮やかだ。カメラを持ってくればよかったかな。
1時間ほど泳いで少し寒くなってきたので上がることにした。

スコールのような雨が降っては止み、なかなか出掛けられない。
雨が降っているのはどうやらこのあたりだけらしい。
タープの下でのんびりとした時間を過ごす。

6時半前ようやく雨が上がった。すぐに出発。
やはり数キロ走ると路面は濡れていない。集中的に降っているようだ。
このあたりは山が高いからな。雲ができやすいだろう。
買い物を済ませサイトへ急ぐ。夕焼けがきれいだ。
山に写ってまるで紅葉しているようだ。

暗くなり水場では炭を起こしているようだ。
どうやらKちゃんが釣ってきたちょうちょうウオを焼こうとしているようだが、
こんな魚食べられるとは知らなかった。サザンゲートブリッジの上から釣ったらしい。

その後、比嘉さんがきてある人の消息を聞きに来た。こんなこともするんだな。
発泡酒とピーナッツを置いていった。
瓜の差し入れもあって今日は豪勢だ。瓜はまるでメロンのような味だ。
メロンといってもわからないだろう。二個いただいた。

火の周りに集まっていろいろな話をする。
こんなときに日本中走り回ったことが役に立つとは。
県の名所ひとつぐらいは知っているから。
星や元素記号、警察無線の話まで。
満奇洞や伊倉洞が共通話題になるなんて。

しかし女の子でキャンプで生活してる人がいたなんてカルチャーショックだな。
それに期間で仕事しながらその間はキャンプなんて。
もうすこし若ければそんな生活もできたかもしれないが、
今を精一杯生きることが大切なんだな。
でも実際の年齢よりは若く見られるというのはうれしいね。

11時近くまでそんな話は続いてお開きになった。
キャンプ場ならではの、新しく来る人を迎え、また新たな地に旅立っていく人を送る。
もう2度と会うことが無いかもしれない。
名前も年も知らずに別れていく。お互い知っているのはキャンパーネームと出身地くらいかな。
だから再び日本のどこかで再会できたときの喜びも大きいんじゃないかな。
実際そうだった。一回だけ話をした人と3年ぶりにこの地で再会し、
しばらく同じ時を過ごすことができるなんて。

しかし、自分の記憶の中には、この一瞬が刻み込まれ、
色あせることなく今という瞬間を残していくだろう。

米原キャンプ場泊


★★★2002年5月8日★★★
☆☆☆島内散策☆☆☆


5月8日、平日なのか。静かな朝だ。
みんなゆっくり寝ているが、どうも時間がもったいない気がして寝ていられない。
ここにしばらくいると社会から離脱してしまう。
会社や社会的立場などどうでもよくなってしまう。
ここに暮らす多くの人達は、そういう生活にのサイクルにはまってしまっているのだろうな。
とりあえず生きていければよい。
最低限のハードさえそろっていれば、ソフトはいくらでも手に入る。
最低限でもあり最高でもある。ふしぎな暮らし。
しかしみんなバイタリティーあふれる人達ばかりである。
「普通」からかけ離れた別世界の人たち、とでも言えよう。
米原キャンパー。地位も名誉も捨てて、
その引き換えに誰にも縛られない自由を得られるんだよね。

ここでは今まで自分の生きてきた軌跡を、
少し離れた場所から改めて見渡すことができる。ここにきてよかった。

本当はここにずっといたい。地位も名誉も要らない。
しかし何が自分を社会へと引き戻してしまうのだろう。
いままで普通に生きてきた勢いなのか。
やはり惰性にのって生きてきたんだろうな。
その惰性、自分の力で止めようとした。違うベクトルに向けようとした。
しかし、社会の力、その流れで引き戻される。
ほんの僅か、その流れを乱しただけなのか。
いつのまにかまた流れに乗ってしまうんだろうな。
流れの外の世界、少しだけ見ることができたかな。

昼はIさんMさんと3人で、とんかつ力にいった。
一人で行こうとしたら3人集まったから、行ったら満席、しばらく外で待つことに。
先に席が2つ空いたが、待っていた夫婦に譲った。
沖縄は食べ物が安いね。内地なら1000円くらいが相場かな。
とんかつは大きくて750円。お腹いっぱいだ。
やっぱり沖縄の人だな。先に待っていたのを気を使って謝ってくれた。
東京ならないだろうな、こんなこと。

Mさんが島巡りに行くというので自分も行くことにする。
彼女が着替えて出発しようとし、
「いっしょしますか」と言われたが準備がまだなので後から行くことにした。
途中伊野田キャンプ場へ寄ってみるがテントは僅か1張り。
確かにきれいだし設備はいいんだけどね。あまりここのメリットがないからな。
適当に見て道に出て北上、天気は上々。気持ちいいな。
景色を流しながら平久保崎灯台に到着。彼女もいま着いたところだった。

灯台まで一緒くと歩き視界が広がった。きれいだ。広くリーフが広がっている。
日差しを浴びてエメラルドグリーン、こんなきれいなのは始めてだ。
裏の丘に登ってみた。コンクリートの基礎が残っていたが、これは旧の灯台跡なんだろうか。

隣の山に登ってみる。
先ほどまで不審な二人が植物か何か採取しているようだったが、
人の気配を感じると足早に去っていった。
Mさんは体力には自信があるみたいだが「たばこやめなきゃ」なんてふとこぼしていた。
頂上は崖のようになっていたが、高いところは好きだという。信じられないな。
40メートルのバンジーをやったことがあるそうだが、この崖でも怖い、
10メートルくらいか。少し離れた岩の頂上に座り話しをした。

和歌山の谷瀬の吊橋の話が出たが、あの橋を喜んで渡ったなんて。
四国のかずら橋くらいはなんとかなるけど。
やっぱりいろいろな所に行っているんだな。
ここにきて今までの認識が一気に覆えされたな。完全にレベルが違う。

渡辺美里のことを話していると名前が一字違い、と自己紹介してくれた。
月間労働時間300時間。奨学金を全額返済し、1割報奨金をもらう。すばらしいな。
思いっきり稼ぎ、思いっきり遊ぶ。海外へも行く。
いろいろな話を聞いた。1年間オーストラリアへ言っていたこと、
あと何の話をしたのかよく覚えていない、
しかしこの旅の自分の記憶の中の最高の思い出のひとつになるだことは間違い無いだろう。

しかし話を聞けば聞くほど自分の視野の狭さを実感させられる。
カルチャーショックを受ける。感動と衝撃、複雑な感情に惑わされる。
やってみたい、しかしできない、でもできている人がすぐそこにいる。強い葛藤だ。
自分のいた世界の狭さを実感したが、その外に広がる世界の広さを身をもって体感している。
なんという所なんだ!ここは。完全に次元が違う。

出会いがって、別れがある。当たり前なのだが、なかなか受け入れられない。
みんな何故普通にそんなことができるのだろう。
別世界のことのように思えてならない。
安定した生活に完全に慣れてしまい、外の世界に目が向けられず、
いやその存在すら見出せなかったのだろう。
全てを安定した方向に持っていこうとする、そんな術を自然と身につけてしまっていたんだろうな。

どれほど話しただろうか、遠くからSRに乗った広島ナンバーのカップルが近づいてきた。
それを見ながら丘を下った。
バイクにまたがりバックしてると、なんでそんなに足が届くの?っと言う。
このバイクは足が着かないと危ないよ。
次に平野集落の先端に向かったが、テキサスゲートの先は牧場で牛がたくさんいる。
とてもじゃないが先に進む気にはなれない。引き返す。
ゲートの手前にぜんちゃんがいたが、あのバイクでは走ることすら無理だ。
一緒に引き返し南下した。

途中僕は自動販売機の前で止まると、サインを交わし追い越していった。
その先は会うことも無かったが、島中を巡ったらしい。

僕は一度引き返し米原に戻り、買い物を兼ねて街に向かった。
市民の森展望台、滑り台を下って八重山の島々を見た。
缶詰や夜食の買い物を済まし米原に戻り海を見に行った。
ちょうどMさんが海から上がってきた。
ちょうどよいときに帰ってきましたね、水もまだ暖かいし。
ん、?こっちでは今晴れてきたのか。すぐに着替え海に入った。
今日はリーフの先端の波が高く、流れが急だ。すぐに流される。
危険は避け30分くらいで海から上がった。
彼女に聞いたらフィン無しだったのでかなり苦労したらしい。

洗濯をした後、K君とアイスクリームを買いにいった。
浜に行くとIさんとZZ子さんが話していた。
近くに座り宵の海を眺めていた。
遠く稲光が空を一瞬白く染めた。
時折蛍が宙を舞う。幻想的な空と海、そして波の音。
どのくらい過ごしただろうか、小雨が降ってきたので引き上げた。

今日は宴もないかもしれない。そんなときはゆっくり休むか。

米原キャンプ場泊

★★★2002年5月9日★★★
☆☆☆ゆったりとした時間☆☆☆


朝7時いつものように起床、8時にはコインランドリーに行く。
だれか200円の洗濯機を占用しっぱなしだ。非常識な。
仕方ないので大型を使用する。

セットし街へ、離島桟橋、サザンゲート、台湾からの客船が接岸していた。
街には外国の人がたくさん観光していた。

10時にサイトへ戻る。昼、みんなでちゃーにそばを食べに行く、3時ごろまでいたかな。
Iさん、K君、Mさん、Z子さん。

4時ごろまで炊事場で話し、その後買い物に。パイナップルを買いにいった。
5時過ぎ戻るが、泳ぎに行く。
何か毎日海に入っているな。泳ぐのがうまくなったような気がする。

その後浜に出て4人で話しをした。
明日焼肉を食べに行くことにした。
少し雨が降ってきたか。
ZZ子さんとMさんに名刺を渡し自己紹介。

そういえば名前もいってなかったな。
炊事場に移動、10時半ころまで話しこみ。始めて泡盛飲んだ。
時々ゴキブリが出没、岡山の山の中の話、幽霊の話。
サイトへ戻るとパイナップルにゴキブリが。

レポ打つ時間があまり無かったな。


★★★2002年5月10日★★★
☆☆☆キャンパーネーム☆☆☆


午前3時過ぎか、大きな雨音に目が覚める。ラジオ深夜便が聞こえる。
隣の炊事場では話し声が聞こえるな。誰だ?

今日で旅に出て14日目、確認しなければ曜日すらわからなくなってしまった。

7時過ぎ起床。海を見ながら昨日Mさんにもらった短編小説を読んでいた。

遠くに消防車のサイレンの音、だんだん近くなってきた。
こっちに接近しているな、火事か事故か。突然サイレンが止まった。近い。
すぐに浜から引き上げバイクのエンジンをかけ出動。
意外にも米原観光ビーチの駐車場にポンプ車が止まっている。水難事故か。
浜に出ると一人が波打ち際、足を海に向け左を下に横向きに寝ていて、
周囲には数人が取り囲んでいた。
聞けば泳いでいて急に呼吸が止まったとのこと。
浜に引き上げ人工呼吸で蘇生し意識はあるとのことだ。肩をなでおろす。

ついで救急車が到着。患者を担架に乗せ毛布にくるみ搬送していった。
かなり苦しそうで、うなってはいたが意識はあった。水を飲んだのだろう。
命が助かったのは3人で泳いでいたことや、人工呼吸による蘇生法が普及したからだろう。
政府や消防機関、赤十字関係の努力の甲斐だろう。
水の怖さとともに初めて実感した。

しかし、雨上がりの後の冷たい海、午前7時。昨日透析をし54才。
今日帰るからといっても考えものだな。
自分の命、もう少し大切にしてほしいな。
自分のことも改めて自覚しなければな。

サイトに戻り話しをし再び浜にイスを出し続きを読む。
こんなに朝早く突然バイクを出し救急車が通過すると戻ってきた。
野次馬に行ったとすぐに見破られてしまう。

雲行きが怪しいな、もう梅雨入りか。
時折パラパラと雨が落ちてくる。予報では夕方からは雨か。

9時を過ぎると何やら荷物を満載した軽トラックとワゴン車が進入してきた。
それほど時をおかず大勢の中学生が入ってきた。
臨海学校か何かだろうが賑やかになるな。まあデイキャンプらしい。
夕方には静かになるだろうが、管理人さんの比嘉さんも少し心配していた。
充電していたモバイルを引き上げた。

10時ころか、Iさんは雲の様子を確認するとZZ子さんのセローで買い物に出ていった。

しばらくして戻ってきた。アンティークタイプのキャップ型+ゴーグル、似合ってるな。
「怪しさ倍増」の声も上がったが。
みんな(Mさん、ZZ子さん、Iさん、K君)集まったので3台に分乗して出発。
焼肉屋に着いた。他にも沼津ナンバーのバイク他3台発見。同じことを考えているんだな。

先に1050円払って席に着き、早速バイキング。
肉はロースとカルビだけでいい。
サラダ、びわ、ナタデココ、アンニン豆腐、ご飯、シャーベット状のアイス(イチゴ味)、
ピラフ、メロンソーダ、ウーロン茶、そんなもんかな。
お腹いっぱい食べて1050円じゃ安いな。みんなお腹いっぱいみたいだな。

野次さんというキャンパーネームが着いた。野次馬から来た単純な命名。
今日朝の出来事か。しかしそんなネームがつくということは、
仲間から認められた、そんな気がしてうれしいな。

IさんとZZ子さんは殺虫剤を買いに街へ、Mさんは給油、僕達は米原へ戻ることにした。
途中トンネルの中でメイン終了、サブに切り替える。
到着と同時に雨、ラッキーだったか?
ついでMさん、そしてIさんとZZ子さんも帰ってきた。
殆ど雨は大丈夫だったらしい。

暑いな、みんな泳ぐ準備をしてる。
そうだ、あの人にメールを送ろう。しかし何故かメールが送信できない。何回やってもダメだ。
仕方ないのでアイモードで作り直し送信。長すぎたのか途中で切れてしまう。2回に分けて送信。
しばらくすると返信があった。

海水は比較的暖かく温泉みたいだ。
Iさんだけは北方向に、僕とK君、ZZ子さんは南に向かった。
K君は相変わらずゴーグルの調子が悪いようだ。
ZZ子さんがクモ貝を見つけた。自分もいくつも見つけた。
ZZ子さんは上がるというので K君とシュノーケルセットを取り替えた。すこぶる快調らしい。
自分も浜に上がるとZZ子さんとMさんはクモ貝で遊んでいた。
シャワーを浴びて着替えていくと「さっぱりしてきたね」と言っていた。

みんなで話しているとIさんがいないな。
隅から隅まで探し、心配していたら、ずっと北側の入り江の方にいた。まったく。
みんな撤収し食事の準備かな。あまりお腹へらないな。

明日MさんとZZ子さんが西表に旅立つ。
新しい未来を切り開く出発に、笑顔で送りたいが、やっぱりさみしいな。
このメンバーはもう2度と揃うことはないんだろうな。
でもいつかどこかで再び出あえたら、そんな僅かな望みが頭の中をよぎる。
またそれを求めて旅に出るんだろうな。

時間は常に流れ止まることは無いし止めることもできない。
人間はその流れの中の一部分を生きている。
それぞれの生き方や、価値観で。
同じ時を過ごすこと、まったく知らなかった人達が偶然の積み重ねで出会い、そして別れる。
運がよければまた会えることもあるかもしれないが、
ほとんどは二度と会うことなく、それぞれの生き方の流れに戻っていく。
その流れとともに、それぞれの記憶からも少しづつその形を変え、薄らいでいく。
そして新たな出合いと別れ、永遠に繰り返されていく。

どんな言葉をもってしても表現できないこの心の中。
時間が止まってくれと願うけれど決して叶うことの無い願望。
明日を夢見ながらも今日を永遠に残したい。
ほんのすこしの接点、それが大きく自分の生き方を変えることになるかもしれない。
少なくともここにいた時間が、自分の人生の記憶の多くを占めるのは間違い無い。
ここで見た景色、肌で感じた暑さ、耳で聞いた音、心に抱いた感情。
決して何にも引き代えることなどできない財産だ。
そしてこのすべての感覚、同じ時を過ごしたすべてをこのまま残したい。続けていたい。
そして新たな未来を築く礎になれば最高だ。
今を生きることしかできない全ての生物。
しかし人間は未来を開拓することができる。
確かなものなど何も無いが。

浜で夕日を眺める。北の蛍を聞くと、思わず涙がこみあげてきて天を仰ぐ。
夕日は雲の中に消え、あたりは静寂に包まれた。
こみあげる感情を加速させていく。

浜に出て空を見上げるが、星はほとんど見えない。

みんな集まっての最後の夜。記念写真を撮る。
今までの短期間の旅では見送ることなんてほとんど無かったな。

米原キャンプ場泊


★★★2002年5月11日★★★
☆☆☆カメラマンと再会☆☆☆


朝6時過ぎ目が覚める。
MさんとZZ子さんは出発のため撤収を始める。
自分も行きたい、そんな気がしていた。
天気は曇りがちだが晴れ間も少し見える。昨日から梅雨入りか。
AIさんからのメールで気付いた。
でも雨は降っていない。よかったね。

二人とも荷物をバイクに積みこみ出発していった。
笑顔で手を降り見送る。実にあっけなくも重い瞬間だった。
出ていく二人の後ろ姿は見ていられなかった。
この米原で共に過ごした4日あまり。楽しかった。
いろいろな貴重な話しも聞けたし、自分の視界を大きく広げてもくれた。
みんなに感謝をこめて。

二人が去ったテントの跡、少しの寂しさを感じるな。
そんなことを考えていても仕方ないな。どこか離島に行こう。
まだ高速船も乗ってないし。黒島あたりに。
あした天気がよかったら。

そう思ったのだが、明日天気がよくなる保証もないから今日行こう。
この気分を紛らわすこともできるし。
途中コンビニに寄り食料を調達し離島桟橋に向かう。
10時ちょっと過ぎ到着。黒島行きは10時だった。
次は12時30分か、そんなに待っていられない。
どこの島に行くか、小浜か竹富か西表。迷うことなく西表、二人を驚かせてやろう。

早速荷物をコインロッカーに預け往復チケットを買った。
次は足の確保だ。1件目はスタッフ全員出払って誰もいないとのこと。
みどり荘を紹介されたが離島情報に無い。いったいどこだ?
二軒目西部レンタカー?聞いたことが無いが電話してみる。
ここも電話に出ても名乗らない。場所を確認し名前を告げ予約する。

船に乗りこみ出港を待つ。懐かしい感覚の高速船。
途中はるか向こうに貨客船が見える。鳩間島もみえる、リーフがきれいだ。
貨客船は鳩間へと進路をとり、だんだんと距離が離れていった。
上原港は初めてだな。40分だからすぐに着いてしまった。
聞いた場所に行くと看板が、しかしそこはみどり荘ユースじゃないか。何だ。

帳面に名前と免許番号を書き早速走り出す。ん、遅い!
55キロくらいしか出ない、坂道だと40キロだ、ストレスがたまる。
子午線モニュメントの写真を撮り、末端の白浜まで走った。何てこと無い。

そういえば横浜のプロのカメラマンはどうしているのかな。
きっと山の方にいるだろう。展望台へ向かってみる。
分岐がよくわからず行き過ぎてしまう。戻ってみるとこの方向からはよくわかった。
アップダウンを繰り返し展望台のようなところに出た。が、あまり展望は良くないな。

帰ろうと思ったが道が続いているので先に行ってみる。
しばらく行くと退避所に見たことのある横浜ナンバーのオフロード車。
何とも偶然というかラッキーというか、まさかこんなに簡単に見つかるとは思っていなかった。
藪の中を見ると踏み分けか道がある、人の気配を感じ覗きこむと、目が合った。
お互い「あっ」と発した。ついで「こんにちは」「もう来られないのかと思ってました」
しばらくどんな写真を撮っているのか、
自分も昔写真をやっていたことなど話し、機材を見せてもらった。
やっぱり800ミリ大口径、F-1ワインダー付、リバーサルフィルム。
さすがプロだ。ワインダーはよく故障し、中古品を探して来るそうだ。
鳥の写真か。6月末までいるなんて、仕事を兼ねているところがうらやましいな。
しかしこの人、渋くてかっこいいな。プロの風格がある。
それにしても会えてよかった。近くの安宿に泊っているという。

港に戻り貨物船を待つ。定刻に入港してきた。まだ気付いていないようだ。
二人がバイクにまたがると前に出た。
ええっ、どうして野次さんがいるのー、どうやってきたのーなどと驚いている。
降りてくる所の写真を撮り、しばらく話をした。ミトレアに行くと言っていた。
いつごろ帰るのかと聞き、また会えることが解ると正直ほっとした。
とりあえず先に行くことにした。星の砂を見に行こう。

道に迷っているとまた彼女達に会った。
ミトレアはこっちだったかな。まあいいや。星砂に行くのかな。
戻るとやはり曲がるところを間違えていた。
懐かしいな。4年前に出会った名古屋から来ていた女の子達のことを思い出した。

浦内川河口に着き近くのレンタルカヌーの店に聞くとやっぱり不沈タイプだ。
これではお尻が濡れてしまう。
船乗り場で聞いたがやはり同じであるうえに、修学旅行で全て貸し出しているという。
仕方なく滝に行こうとするが4人集まらないと船が出ない。まったくどうしたもんか。

諦めて帰ろうとしたところ6人くらいの中年の女性達が来た。これに便乗しよう。
急いで準備をし出発を待った。またしてもラッキーだ。

船が動き出すとバイクのキーが無いのに気付いた。
シートを開けるときに着けたままにしたかな。
戻るわけにもいかないのでそのままにする。
干潮のため所々徐行するが一度プロペラが底着きしたかな。
広島から来た修学旅行生がカヌーに乗って下ってきた。
あれだけたくさんいるときれいだな。カヌーが無いわけだ。

軍艦岩につくが運転が下手だな。別に問題ないので船を下りる。
さっきの人達はペースが随分遅いな、大丈夫かな。
自分は何故か足取りが軽く息も切れない。
たばこを止めて1年近くになるけれどそれのおかげかな。
途中展望台に寄り滝の写真を撮る。予定より早くマリウドの滝に到着。
雨が少し降ってきたが本格的にはなりそうもない。
今朝スタンドでもらった茹で卵を二個食べた。
カンピレーの滝に向かう。すぐに着いた。少し休憩しパンを1個食べた。
余裕をもって出発し帰路につく。
途中何人かとすれ違うがさっきの団体は見掛けなかった。船着き場にもいなかった。
時間になっても来ない。先の船で帰ったのかもしれない。
別の乗客が「ルール違反だ」などといっている。確かにそうだがかわいそうな気もする。
いったいどこに行ったのかな。知る術も無いか。

船を降り足早にバイクに戻るとキーが着いていた。よかった。
バイクを走らせミトレアに行ってみる。TMさんがハンモックに揺られていた。
他は知っている人がいない。
彼女らは?聞くと一度来たが出ていったらしい。星砂に行ったんじゃないかな。
ミトレアは冷蔵庫もありバイクも屋根下に止められるし洗車もできる。
しかし今停電だという。だから信号も消えていたのか。
でもやっぱり島だな。警察官は居なかったし。

星砂に着くとZZ子さんのセローがあったがMさんのバイクが無い。
二人乗りでどこかに行ったんだろう。

時刻表を見ると5時の船がある。雨も降りださないうちに早めに帰ろう。
まだ間に合うな。燃料を入れバイクを返した。

港に着くと小学生の野球の団体がいる。こんなに乗れるのかい?
しばらくすると二隻入港してきた。なるほど。
が、船が着くと後方に止まっていたバスから人が降りてくる。
なんだ、小学生が乗っていたんじゃないのか、暑いから待っていたのか。
しかし一般の客は数名、先に乗れたのでいい席を確保。中学生もみんな座れたようだ。

途中眠くなり気が着くと湾内でスローになっていた。楽しかったな。
コインロッカーから荷物を引き出し港を去る。
ホカ弁でチーズハンバーグ弁当を買い、米原へ直行。
雨にはほとんど降られなかった。晴男、未だ健在。

サイトへ戻るとIさんが出てきて1滴の雨も降っていないと言う。
ZZ子さんからのメールでも西表は時々パラっとくる程度。
黒島の船がなく西表に行き滝を見たというと、
行動派だねと言う。自分では普通と思っていたが・・・。

K君がKちゃんに楽譜を教えてもらっている。
蚊が多いので後からまた来ると言って帰っていった。
すると突然大粒の雨、スコールかな。
急いでバイクにシートをかけ、荷物やヘルメットをテントに押しこんだ。
木にたまった大粒の水滴がブルーシートを貫通する。まあ薄いから仕方ないな。
モバイルが壊れると困るが、明日天気が良かったら黒島に行こう。


★★★2002年5月12日★★★
☆☆☆黒島へ日帰り旅行☆☆☆


ついに12日になった。秒読み段階だな。でも良かった。
いろいろな人に出会えて、別れも経験し、少しは成長した感じだな。
しかし残りの日々十分満喫して帰りたい。
まあここまで晴男の強運続いたんだからよしとするか。

今日こそは黒島に。
朝7時過ぎ起きるが、なんだかんだやっているうちに出発は9時になってしまった。
途中コンビニで食料を買い離島桟橋へ。
バイクを止めコインロッカーに。昨日と同じパターン。黒島までの往復券を買った。
しばらく外のベンチにいたが、10分前ごろに船に乗りこむ。
離島桟橋は待っている間が楽しいな。
船が出入りし人々が行き交う、そんな風景を見ているのが好きだ。
八重山に来ていることを実感するひとときだな。

黒島までは約25分。定刻で到着。たいした揺れもなく快適だった。
ナンクルは自転車が時間制だが他は1日単位。
港に迎えの車を探したが見つからず、そのまま歩くことにした。
天気は晴れ、湿度は高めだが少しの風がある。

牧場の中の舗装道路を歩いていく。
途中レンタルサイクルの店があるが通過、
イルムティヤという民宿もあったがいい自転車が無いので通過。
歩くかどうか迷うが結局去年と同じ黒島マリンビレッジで借りることにした。
料金を払い自転車置き場へ。今年はいい自転車があるなと思ったら前輪の空気が無い。
他を物色するとチャイルドシートが付いていて同型の自転車があった。
こんなもんすぐ脱着できるだろう、適当に外し付けかえてしまった。

これでよし、出発だ。まず牧場の中を通過しよう。
途中孔雀のような大型の鳥類が逃げ去っていった。
その前方に、大きな牛二頭が道に立ちふさがっている。
まいったな、これはどうしようもない。気付かれないように引き返し仲本海岸へ行く。

引き潮で泳げる状態じゃないな、水着は不要だった。
持ってこなくて正解だったかもしれない。

一通り島を周り旧桟橋へ行き、先端でしばし昼寝。
しかし暑くて長くは寝ていられず、仲本海岸に戻って屋根下で休憩。
この島は他と違ってなんとなくのどかでゆっくりしているな。
あまり観光化されていないところがいいのかもしれない。

14時になった。自転車を返して港まで歩くか迷うが、さっきの牧場の中の道を通過したい。
マリンビレッジを通過し牧場の中へ。今度は牛はいなかった、が変な所にでた。
そうか、これは港の直前に通じていたのか。
ゆっくりと戻ることにし、港までは車で送ってもらうことにした。

宿の人に明日は牛のせりがあると教えてもらう。
今年は逃げている牛が少ないですねと言うと、そんなことはない、見えないだけだと言っていた。
ターミナルでは地元の工事関係者が、同じ料金で長く乗っていられるなどと話しているが何のことか。
しばらくして船が来て判った。はまゆうと言う船で足が遅いらしい。
他の船にどんどん抜かれてしまう。このことだったのか。
疲れたので寝てしまった。気付いたら港入り口。やはり10分ほど余分にかかっていた。

船を降りお土産屋で与那国のステッカーを探す。
港のお土産屋にあった。
客が少ないからか照明を半分消していた。

急いで米原に戻る。途中食料を調達。
サイトに戻るとIさんが出迎えてくれ、潮が入ってきた、泳げるよと教えてくれた。
早速着替え海に入る。まだ少し浅いのですぐに沖に行けた。
が、きれいなサンゴを見ていると白黒の不気味な、なんと海蛇。猛毒らしい。
すぐに退散、方向をかえて見ていたらまたいた。
冗談じゃない、残念だが上がることにした。

そのあと、浜にでて夕日を眺めているとK君が来た。
Iさんはオカリナを吹いていた。
暗くなり泡盛を飲みながらいろいろな話しをし歌を歌った。
流れ星もいくつか見えた。

明日の約束をし11時前別れた。


★★★2002年5月13日★★★
☆☆☆72歳のキャンパー☆☆☆


恐ろしく時間が経つのが早く感じられることがある。
決まった時間の流れや空間など無いんじゃないか。
ただ存在するのは現在だけ。過ぎて行き、蓄積された記憶が過去のもの。

今朝埼玉から来た自転車の爺さんが米原を後にした。
明日の琉球海運の船に乗るために早めの出発らしい。
姪の結婚式に出席するため戻るという。
今まではうっとおしくも感じられたが、去るときはやはり寂しい。
最後、周囲の人達に缶ジュースを配り、握手をして別れた。
いつまでも元気でいてほしい。
そして日本のどこかで再会できたら最高だな。
また来年も来ると言っていた。

しかし72歳にまでなって、あんな若さと行動力があるなんて。
自分もあんな風に歳を重ねてみたい。
地位や名誉なんていらないな。
少なくともここにいる時は年齢も学歴も関係無い。
今まで何をしてきて何ができるか。
周りにいる人達とうちとけあい引きつける力、そのほうがずっと重要だ。

しかしここでの生活に必要なものは、
今まで誰も教えてはくれなかったし、周囲に知っている人すらいなかった。
一人旅を続けていて自然に身に付いたり、先輩達に教えてもらったり。
普通に暮らしていたら絶対に身につかなったであろうし、
その必要性すら見出せなかったのではないだろうか。
こんな自由な暮らし、偶然かそれとも運命か、
いつのまにかこんな歳になってしまった。
普通の人達とはいったい何を考えて生きているのだろう。
結婚し、子供と暮らす生活。幸せとは何か、
永久に結論なんか出ないんじゃないか。

自分から見れば自由に暮らし、全国を渡り歩いている人達がうらやましくも感じられる。
彼らから言わせればサラリーマンがうらやましいと言う。両立は不可能だろう。
安定の引き換えに自由を得られるのかも知れない。

その後K君とマーペ登山へ。
チャーでIさんを降ろし林道を登り登山口へ。
Mさんに聞いた通りに行くが少し迷う。経験とカンを頼りに進む。
しかし退避所がいくつもありなかなか見つからない。
ついに下り始め通り過ぎてしまったのかというので、先を見てくることにした。
しばらく下ると退避所奥の木に黄色いスプレーで矢印が書いてあった。
ここだ。急いで戻り連れ戻した。

黄色いスプレーってこのことか。早速バイクを止め登り始める。
すぐにロープが張ってある急斜面に出た。
コブが作ってあるので登りやすいが、赤土が滑る。
ハイペースで登っていると「野次さん早いよー」と言われた。
いつもの早歩きの癖が出てしまったな。
立木に印があるので分岐を間違えなければまずルートを失うことは無い。
ペースは落ちずすぐに引き離してしまう。

10分くらいか、頂上に出た。大きな岩が数個ありこれが石になった女性か。
植物が生えてなく、見通しがすばらしい。
左右両方に海が見え、風が吹きぬける。天気はまあまあ、強運未だ尽きず、か。
リーフを見渡しながら記念写真を撮りいろいろと話しが尽きない。
1時間以上いただろうか、12時を過ぎたところで下山、チャーに向かった。

今回で3回目。裏メニューをオーダーしようか迷うが結局そば。
しかしうまいな。漫画を見ながら3時ごろまで過ごす。
戻る途中小雨に降られたが、たいした影響はない。
戻ってしばらくするとスコールのような大粒の雨。
僕の人生の運を全て使ってしまっているようだ。
干潮で泳ぐことはできなかったが、また雨からは救われた。

雨はなかなか降りやまず、5時ごろかドカが帰ってきた。
雨で仕事は切り上げ、知花食堂は通常5時までだが開けておいてくれるように頼んだと言う。
神戸ナンバーの軽ワゴン車が来て自転車の彼と二名乗車。
今日から遺跡発掘のアルバイトらしい。時給1000円は沖縄では高い部類に入るか。
そんなにきつくなく楽しいとのことだ。
時間には厳しいとのことだが、内地の人間にとって時間を守ることはいわば最低限のルールだ。
地元の人を雇いたくない理由にこれがあるそうだ。

そんな話しをしているうちに結構時間が過ぎてしまった。
K君が先遣隊で行き次いで自分も出発。大盛りそば350円?安い!
なんでこんなに安いんだろう。
汗をかきながら食べているとかなり強い雨が、とても帰れる状況ではない。
しばらく店で待つが、悪いので外で雨が上がるのを待った。
10分ぐらいで雲がきれ雨が止んだ。信じられない。

夕方管理棟前の炊事場で話しを始めた。
僕とK君、Kちゃん、自転車のHさん、11時ころK君が帰るとIさん、あべちゃんが登場。
二つにグループが別れたが、旅の話しで時間が過ぎ、
日付が変わって午前1時を回ったところで、引き上げた。
Iさんの意外な経歴がまた披露された。テニスのインストラクター?
へえーっ。KちゃんDHIの入力で喜んでいた。知らなかったん?


★★★2002年5月14日★★★
☆☆☆帰ってきた二人☆☆☆


いつのまにか時が過ぎ、ここにいられるのもあと1日となってしまった。
決まり文句だが長いようで短く感じられた時間だった。
現実から離れた僅かな期間、ここで得たものは一生の糧になり決して忘れないであろう。
ここを離れることを考えるとやはり寂しい。夢から覚めて現実に引き戻される、そんな感じだな。
出会いがあれば別れがある。一生続けられる付き合いなんてそうあるもんじゃない。
今日一日ここの記憶を自分の中に深く刻んでおこう。

あさ7時半起床。一度起きたのだがまた寝てしまったようだ。
寝たのが午前1時過ぎだからな。しかたないか。

海に入るにはまだ早いな。雲行きが少し怪しいがもう雨が降ってもいいだろう。
運を使い果たさないように。
陽が射しているが、川平方面は雨が降っているようだ。その方向大きな虹がかかった。
今日出る船を見送り祝福しているようだ。Kちゃんに教えてあげる。

海へ入れるのは今日が最後になるかもしれない。潮が満ちている間に入りたい。
K君は午前中街に行くといっていた。
10時過ぎ海に入る。ちょっと冷たいか。水中を除くといつもと様子が違う。
最初ゴーグルが曇ったのかと思ったが、どうやら水が濁っているようだ。
数メートル先しか見えないのでおもしろくないし、海蛇も確認できないので危険だ。
15分程で海から上がった。

もらった小説を読み始めるがいつも数ページで終わってしまう。船の中で出も読もう。
12時過ぎてもK君は戻ってこないので、とりあえず昼食の準備に。
力は定休日、知花は満員、仕方ないのでサイトへ戻り、荷物の消費作戦。
カップ焼きそばからやっつけることにした。

しばらくするとK君が戻ってきたので観光案内に出発。まずは市民の森展望台。
滑り台のある公園、夜はカップルばかりだそうだ。
次にバンナ岳展望台、こちらは島の説明があるのでよくわかる。
観光バスが二台ほど来ていたな。こんな道通るのか。
バンナ公園のセイシカの橋を見に行く。ずいぶん金をかけた公園だな。
遊休施設もかなりあるがメンテナンスはしっかりされているようだ。
原人の話しをし大笑いしながら歩く。もう一度再現できれば。
その橋は鉄骨構造でスリルも何もない。
なんでこんな橋を作ったのかいくらかかったのか、そのほうが興味惹くく。

川平湾に向かった。何故かK君は来たことがないといっていた。
途中道を間違えて引き返す。離島などを見て回ったので格別きれいだとは思わなくなったな。

ハブ館を探すが見つからない。ダイバーの人に聞くとこの先だといっていたが今いちはっきりしない。
よく見ると店の中を通過して奥の方らしい。
なるほど、店の中を通らせる、観光地の常套手段だ。中に入るといろいろな蛇がいた。
はっきりとハブを見たのは初めてだな。店の中には白蛇もいた。
K君が鳩間島で世話になったという人がいた。鳩間島出身でここで仕事しているという。
底地ビーチに行ってみるが、干潮で海水浴場の水位ゼロ。
防護ネットのフロートが完全に地面に着いていて、まるでオイルフェンスだ。
満潮時でも腰まであるかないか。子供向けだな。

その後は米原に戻った。Kちゃんが髪を整えていたので聞いてみるとやはり濁っていたそうだ。
それでも再び海に入った。干潮だが時間的に限界かな。
午前中よりはよくなったものの、まだ濁っている。浅いのでルートを選んで沖に出る。
水面直下のサンゴも日が出ているときれいだな。
水面から上は風が強く上がると寒い。水の中のほうが暖かい。
浅すぎて泳いではリーフまで行けない。あきらめよう。

Kちゃんの来客、遠くから見ると男のようにも見える。
キャンプ場から通っているという異色の看護婦さん。

浜でしばしたたずんでいた。するとセローが帰ってきた。続いてスティードも。
おかえり。なんか嬉しくなったな。4日ぶりだが再会できたのがまず嬉しかった。
K君を呼びに行きみんなで話をする。
西表、滝の上に行った話、スナックにいったとか楽しかったみたいだし天気もよくよかったね。

アベちゃんが帰ってきて救急車の話しが出たが気付かなかった。
赤のドカが止まっていたが、飲んでいたので止まってみてこられなかったという。
気になるな、そう言えば今日はドカの帰ってくる音を聞いていないな。
Iさんが現場を見に行くがもう何もなかったという。
結局ショートカット車との接触で、怪我もたいしたことないらしい。ひと安心。
旅先での事故や病気は不安だものな。ましてや観光で来ているんじゃないし、ここが生活の拠点なんだよな。

11時ごろまで話しこんでいた。ちょっと酔いがまわったか、いい気分だ。


★★★2002年5月15日★★★
☆☆☆最後の夜☆☆☆


今日でここに来て15日目。途中二日空いたが、ここを離れたくなくなってきている。
住めば都、初めてわかったな。
最後の日、やはり心の中の葛藤を隠せない。
ここにいつまでもいたいが、いつかはみんな去ってゆく。
それよりは楽しい思い出たくさん作ったほうがいいな。
今日一日最高の日にしたい。

午前6時半いつものように起床、天気は風が強いがまあまあだ。
滞在最終日まで雨にはあたらなかった、最高の日々だった。

今日は早めにちゃーがんじゅーさーに向かった。
11時前いつもの5人で、店はまだ開店前だったが、店に入り蛍さんは原稿作り、
ほかのみんなはお気に入りの漫画。今日は懐かしいミステリー系の少女漫画を読んでいた。
今日でこの仲良しグループも解散だな。いや、一人減るだけか。
仕出しの弁当をたくさん作ってあっって車に積みこむのを手伝った。
いつもアイスコーヒーをサービスしてくれるのだが、ちょっと恐縮してしまうな。

11時を過ぎたころ、今日は最後なので裏メニューを頼んだ。
ラフテー丼。これは大盛りで肉もやわらかくおいしい。
ボリュームもすごく、最後はやっとの思いで食べきった。
みんな満腹で二時ころまで漫画を読んで過ごす。
ZZ子さんが作ったストラップやブレスを見ていた。僕もひとつもらった。
こういう時間は内地では無いな。キャンプ場で知りあってみんなで食事なんて最高に楽しいな。
あした帰るので今日が最後だとおばちゃんに告げると、また来年、と笑顔で答えてくれた。
最後に店を出るとき、入り口まで出てきて手を振ってくれた。
また必ず来ます、覚えていてくれたら嬉しいな。

みんなで街へ買い出しに出た。
マックスバリューでお好み焼きの材料を買う。
何が必要なのかよくわからなかったが、みんなが知っているのでそれを見守った。
ひとりあたり350円くらい。そんなんでいいのかな。

僕とK君はメイクマンに行きスクーターのヘッドライトの球を買った。
その後港へ行き明日の乗船手続き。6時までに港へ来るようにと言われた。

米原に戻り撤収の準備にとりかかった。
二週間だがここで過ごした時間を思い出すとやはり寂しいな。
しかしこの場所をMさんが使うので、タープやロープはそのまま残しておくことにした。

Kちゃんは撤収準備が完了しバイクに積みこみも完了。
今日は街の知りあいの家に泊るという。
みんなに大声で挨拶をし米原をあとにした。「あしたフェリーでね」タオルを降り見送った。
短い間だけど一緒に過ごした人が離れていくのは寂しいな。

炊事場ではMさんが左右の胸の触覚が違うと言って、
ZZ子さんと胸を触りあっている。滑稽な光景である。
「あんたたち何やってんねん」K君が叫んだ。
トレジャーライン、ラブハンドル、ミューカス、そんな英語の説明をしてくれた。

近くの人に明日早朝帰ることを告げた。
あまり話さなかった人達でもやはり少しの寂しさを浮かべる。

浜に出て話しをしていた。これが米原で見る最後の夕日。
今度見られるのはいつになるのかな。初めてドカも加わってきた。

やや暗くなってきたのでさよならパーティー?の準備にとりかかった。
僕は作り方などまったくわからないので見守るしかなかった。

合間に撤収準備を進め、完全にバイクに積み終わった。
持ち帰れない余った装備品を残る人達に譲った。
食べきれなかったフルーツの缶詰は寄付した。
そういえばフルーツ類はZZ子さんのおごりなんだな。ありがとう。

雨の気配を感じたので屋根のある炊事棟へ移動。
ギターを持ってあべちゃん登場、第一弾が出来上がった。
焼いたのはIさん。うまい、玉葱はどうかと思ったが意外にもおいしかった。
次々と出来上がってくる。K君が通行人を捕まえて記念写真を撮ってもらう。
Mさん「こんなキャンプ初めて」
特別な時間を共有していることのすばらしさを感じ思わず嬉しくなった。
最後の一枚は食べきれないので、
たまたま洗いにきた人達にフルーツポンチともにあげることにした。
すごく喜んでいたという。

近くのテントの人に迷惑なので、片付けをしもとの炊事棟に戻った。

最後の夜、K君は寂しそうだ。なぜか先に帰ってしまった。二度握手をし別れを告げた。

初めてのキャンプ、二人乗りであちこち行ったからな。帰らないでくれとも言われた。
特別な思いがあったのかもしれない。やっぱり別れは寂しい。
だれも口にしないが雰囲気でわかる。
自分のことが話題になるのは嬉しい。
ここに溶け込み米原キャンパーの一員になった気がした。

免許証の写真を見てみんな驚いていた、イメージがまったく違う。どっちが本当の自分なのか。
あっというまに時間が過ぎてしまった。11時ころか、雨が降りだした。

本当の最後、楽しかった。「みなさんに出あえてよかったです」
涙をこらえながら別れた。「きをつけて、寝過ごさないようにね」
みんなそれぞれのテントに散っていった。

闇夜に誰も見えなくなった。楽しかった。

管理棟の窓から板の間に上がりマットを敷いて寝た。暑い。
窓も大きくは開けられないし、我慢するか。

しばらくすると誰か来た。こんな時間に充電しに来るなんて。
一度去っていったがまた来た。こっちに気付いたのかな。
二回目に「お借りしてます」、というとかなり驚いていた。
ライトでこちらを照らしているが、この状況をつかむのにしばらくかかったようだ。
ドカだった。「なんだ、アフリカツインの人か、ああびっくりした」まあそうだろう。
こんなところに人がいるとは思わんしな。
かなり酔っているようだが話しはできそうだ。
少し意味不明なことを言っているが、自己紹介をしたいらしい。
朝早いんでテント撤収してここで寝ているんだと説明した。
明日あさ帰ってしまうねんな、何か書くもの・・・他の人知ってん・・・ろれつが回らないようだ。
とりあえず名刺を渡した。驚かせてすまんかった。またどこかで会いましょう。


★★★2002年5月16日★★★
☆☆☆さようなら、沖縄☆☆☆


午前4時半、だれかが管理棟のドアを開けた。カギを閉め忘れたようだ。
K君だ。わざわざ来てくれたのか、ありがとう。
積みこみを手伝ってくれ、本当に最後の別れ。
でももう会えないわけじゃない。

みんなに見送られていたら泣いてしまっただろうな。
かえってこの方がよかったのかもしれないな。
Kちゃんと同じ船で帰れることで、寂しさを少しは軽減できたのかもしれないな。

合羽を着こみ出発した。
静寂の中の米原にセルの音が響き、前方に視界が広がった。
さようなら米原、また来るよ。声にならない言葉を頭に浮かべ、ギヤを入れクラッチを繋いだ。
景色が後方へと流れる。
亜熱帯の林を道を抜け舗装路に出た。
雨は上がっていたが星は見えない。闇を走る。
久しぶりに荷物を積んで走っている。
僅かに雨を感じる。涙雨か、天気に恵まれ、最後まで続いた強運。

港に着いたが僕が一番乗りだった。
ママチャリの青年も同じ船に乗るようだ。
何回か様子を見ているうちに入港してきた。
それほどの遅れは無いようだ。15分ほどか。

薄暗い中の入港は何か神秘さを感じさせる。
不思議の世界へ誘ってくれる夢の中の船、そんなことを想像させた。

岸壁の方にバイクを回し、指定の位置にバイクを止めた。少し雨が降っているか。
隣に荷物をたくさん積んだバイクが来た。
何を思ったのか突然こちら側に倒れてきたが、危うく接触は避けられた。
この荷物じゃとても一人では起こせないだろう。
二人がかりで起こすがかなりの重量感だ。

まもなく6時、数台のバイクや自転車が集まってきた。
しばらするとなんとあべちゃんが来た、そのあとKちゃんも来た。
そういえば見送りに行くと言っていたな。

接岸作業が終わりゲートが開くと何台かのバイクや自転車が降りてきた。
この時期に来る人達はいったい・・・ 
その列が途切れると、待っていたバイクがいっせいに乗船を始めた。
スロープは濡れて滑る、注意しながら上がった。
指定の位置に止めると不要な荷物を残し客室に入った。
荷物を置くとすぐに甲板に上がった。

岸壁にあべちゃんの姿を確認し手を降ると応答した。
次いでKちゃんも出て来た。
いつのまにかあべちゃんの姿が見えなくなったと思ったら甲板に上がってきた。
えっ!、見送りに船内に入れるらしい。
そういえば見送ってもらうのなんて初めてだな。
雨の降る中救命艇の下に入り出港を待つ。
荷役作業が終わりかけるとあべちゃんは下船していった。
しばらくするとターミナル二階の送迎デッキに上がっていた。

7時9分、バウスラスターが作動し離岸を始めた。
ドラや汽笛の音も無く静かな出港だ。
雲の切れ間に僅かな青空と日差しが感じられる。
岸から離れ前進を始めると二人で手を振った。
デッキからもあべちゃんが手を振っている。ありがとう、楽しかった。
バイバーイ!Kちゃんが叫んだ。
静けさに包まれた早朝の港に声が響いた。
「二週間だったけど離れるのは寂しいね」、「私は長かったから」
一度聞いてみたかったんだよな。
何度も来ているけど、離れる時って寂しくないのか、と。
このエメラルドグリーンの海もしばらく見られなくなるね、また来年まで。
彼女にもやっぱり格別の思いがあるんだろうな。

距離が離れるとあべちゃんは帰っていった。これから仕事らしい。

岬を回りこむと米原方面が見えてきた。
向こうからはこの船が見えているんだろうな。
なぜか懐かしい感じのする石垣島。
現住所を米原キャンプ場にしている人もいるという。
丸二日長いよね、自分は船が好きだから退屈することは無いけど。

風が強くなり揺れ始めたので二人とも船室に帰った。
そういえば本名を言ってなかったっけね、Tですと言って名刺を渡した。
「Oです」、Iさんの言っていた名前は本当だったのか。

しばらくし外に出ると石垣島が小さくなりつつあった。その姿を写真に残し船室に戻り休んだ。

この約二週間あまり、私の人生においてきわめて衝撃的な日々の連続だった。
船やキャンプ場で出会った人々や出来事。いろいろな土地での言葉や習慣。
だれかが発した言葉、あらゆるシチュエーションが記憶に焼きついている。
今までに体験したことの無い、別世界での体験だ。
いろいろな人々がいて、それぞれまったく別の世界で生きている。
誰にも邪魔されない、その人だけの世界を持っていた。

日本に、いやこんな身近に、見たことも無い異次元の世界が広がっていたなんて。
そしてその一部分でも垣間見ることができたし、
自分の世界がこんなに広がり、その世界と繋がったということは、
僕の生涯最高の財産になることは間違えないだろう。
そして一生記憶から消えることなく残り、より良い方向へと導いてくれるであろう。

もうこんな長い休みはとれないだろうな。
一瞬にして過ぎ去ってしまった日々だったが、これほど充実した日々が今までにあっただろうか。
一日、一時たりとも無駄になんかしていない。
今を感じながら生きたことは初めての体験だった。
「生きてるって楽しいね」、ちゅらさんで最後のセリフ、その意味がここに来て初めてわかった。

いつのまにか寝てしまった、今朝はあまり寝ていなかったからな。
感情が高まっていたこともあり寝つけなかった。

宮古接岸のアナウンスがあり外に出てみる。
考えてみると昼間の宮古寄港は初めてだったかな。
何人かの乗客が降り、また乗りこんできた。暑い日差しが感じられる。
沖縄の日差しはこれが最後になるのかもしれない。
エメラルドグリーンの海と共に目に焼き付ける。

レストラン横の展望通路の椅子に座ってレポを作っていた。
隣に誰か来た気配はあったが、それがKちゃんだったことを知ったのはしばらくしてからだった。
「携帯つながったよ」。昨日まで不調だった携帯のデータ通信ができるようになったようだ。
温度や湿度の関係か、修理が必要かもしれないな。

13時15分宮古出港。
後部の木甲板に座ってうとうとしていた。
船内には短波のインターバルシグナルのような音楽が流れ続ける。
眠気を誘い、哀愁をかきたてる。
何分くらい経ったろうか、気付くと何か黒いものが無数に付着している。
煙突からのすすのようだ。これはたまらん、すぐに退避した。

部屋に戻り少し食料を消費し休んだ。
4時半ころか食券販売開始のアナウンスが入ったのでレセプションへ向かった。
通路の席にはKちゃんがいたが、コンセントの近い座席は空いていなかった。
ペットボトルを買ってカフェでレポ打ち。しばらくすると席が空いたので移動する。

米原のことを少し回想する。
全員が個性的、近くにいた人。
Kさん、Kちゃん、Mさん、ZZ子さん、K君、あべちゃん、
隣のMDさん夫婦、ロビンソン氏、ひげさん、ドカ君。
酒を飲みながら浜や、焚き火を囲んでよく話したな。
何を話したかはよく覚えていないが、その内容が重要だったのではない。
ここで語り合い同じ時間を共有したこと、そのほうがずっと重要なんだな。
二度とない瞬間の連続的な流れ、同じ記憶を共有すること。

野次さん帰らないで、ここに野次さんは必要だよ。
そう言われると嬉しい反面帰るのがつらくなるな。
自分のことを言われるのは、なにか気になるものであるが、
ここの人達は、長年付き合ってきた人達と同じことを言う。
こんな僅かな時間で、人を見抜く能力がある。
いやここの暮らしにはそういうことが必要であるのだろう。
今ごろみんな何しているんだろう。
しかしみんなあと10日くらいでみんないなくなってしまう。
せっかく出会ったのに、離れていくのはやっぱりつらいな。
でもこの繰り返しで時間は常に流れているし、地球は回り続けているんだよな。

ごご6時過ぎカフェテラスで食事をする。
トンカツ定食。決まったメニューだ。相変わらずボリュームはある。
食事を終えると、展望通路の椅子に座りしばしたたずむ。
となりにKちゃんが来ていた。
窓の外は同じ早さで海が流れ続けている。

午後9時前か、外に出てみる。
かなり近くに明かりが見える。那覇の街か。
もうここまで来てしまったのか、そんな感じがした。
接岸のアナウンスが入るとレセプションホールは多くの人でごった返した。
Kちゃん「那覇ですごい降りるね」と言っていたのでのぞきこんだ。
予定では二時間停泊、一時上陸もできるらしいがそのまま居残った。

船内が閑散としている。みんなどこへ行ったのか。一時下船した人もいるのかな。
降りたところでいったい何をするんだろう。
僕は荷役作業を見守っていた。
夜の那覇の街、泊大橋のナトリウム灯か、オレンジのアーチが見える。
飛行機のフラッシュランプが時折雲の切れ間に見える。
遠くの稲光が、一瞬空を白く染める。

どのくらい経ったろうか、Kちゃんがコンビニの袋を持っている。
「上陸したの?」「うん、ビールを買ってきた」。
しかしコンビニまで歩いて15分もかかったらしい。

しばらく椅子に座って外を見ていた。
対岸の明かりしか見えないが、これで沖縄は最後だ。
明るくなるころにはもう鹿児島か。
すっぱい梅をひとつもらい食べてみる。梅干は初めてなんだが何ともいえない味だな。
確かにすっぱいが、単なるクエン酸のすっぱさではない。

Kちゃんは浜松では警備員の仕事をしていると話してくれた。
半年に一度4日間の講習があって既に切れてしまっているという。
ワールドカップも控えていて、仕事はいくらでもあるという。

一時間くらいの遅れか、11時船が動き始めた。
後部のデッキで最後の夜景を見ていた。
少しづつ角度を変え小さくなっていく那覇の街の明かり。
しかし夜の出港は、いまひとつ旅の情緒に欠ける。
なにか思い起こさせるものが感じられなかった。
Kちゃんも同じことを言っていた。

空の星の数もずっと少なくなってしまった。

通路に貼られた海図を見てきくちゃんと二人話しをした。
島の話しや台湾に行ったこと、レンタルバイクが125cc、3人乗りがよく見られること。

12時を過ぎたころだろうか、休むことにした。


★★★2002年5月17日★★★
☆☆☆回想☆☆☆


午前二時過ぎ、目が覚めレセプションホールのトイレまで行く。
展望通路の椅子には誰もいなかった。

6時半に起きたがまた寝てしまった。
インサイドキャビンでは外の明るさがわからない。
8時のアナウンスで完全に起きた。

カフェで朝食をとっていると、外の椅子にKちゃんが来た。
食事を終え隣に座り「おはよう」と声をかけた。
「何も見えないね」。そうだ、ここはもう沖縄じゃないんだな。
何度来ても、いくら長くいても、やっぱり離れるときは寂しいんだろうな。
いつかKちゃんが米原で「ふらふらしてられるのもあと半月だよ、こうしてるのがいちばんいい」
と言っていたのを思い出した。

空は白い雲に覆われ、あの太陽は見えない。
陸すら見えない、すれ違う貨物船くらいしか人工物はない。

どうしても沖縄には格別の思いがある。何故かはまだよくわからない。
吸い寄せられるように行ってしまう、不思議なところだ。
エメラルドグリーンの海、白い砂浜、熱い太陽の光、あの街並み、
そして人々、その全てが自分を魅了する。

限られた時間での旅、いつかは現実に引き戻される。
旅に出ると、現実と夢の世界が、時間と共に少しづつ接近してくる。
そしていつのまにかそれらは交差して入れ替わってしまう。
夢が現実に近づくと、それは夢としての存在価値を失ってしまう。
夢は現実から離れているからこそ夢であるのだろう。
旅の終わり、それらは再び元の定位置に戻る。
そしてまた夢を求めて旅に出る。際限のない繰り返し。
しかし、少しづつ夢の世界が広がってゆくのを感じられた。

米原での日々が頭の中をかけ巡る。
一人ひとりの顔が頭に浮かぶ。
あそこに暮らす人達は、自分の生きている世界とは一線を隔している。
自由に楽しく過ごしているようにも見えるが、
その裏には自分のようなサラリーマンにはわからない不安と苦悩があるんだろろうな。
そういえばMさんが言ってたな。
病気になったら収入の保証が全くないんだよ、健康保険くらいは入っておかないと・・・
切実なことだな。
社員ならみんな会社がやってくれること。
病気になったら有給休暇で休んでも所得は得られる。
そんな心配はしたことなかったな。

どちらがいいなんて言えない。
でもあの人達も、いつかは安定した暮らしを望み、その方向へと行くんじゃないかな。
K君が言ってたな。ここにいると堕落する。
人間は結婚し子孫を残すことが義務なんだって。
普通の人々にとってはそれは普通のことであって別に義務であるとは思っていない。
考えさせられるな。いろいろな考え方がある。
結婚なんて夢かと思っていた。
現実味も何もなかったのは目を背けていただけ、そんな気がしてきた。
真剣に向きあう必要があるのか、考え始めた。
そんな気になったのは初めてだ。

確かにある意味で堕落する。一般の社会からの堕落だろう。
しかし一生をそこで暮らすならばそうとも言えるもかも知れないが、
ほとんどの人は社会とかかわりを持って暮らしていく。
金さえあれば一生暮らすこともできるだろう、でも何のため?
何のために生きてるの?すべての人に問い掛けたい。
自分はあの人達に何にも代えがたい英気をもらった。
どんな講演を聞いても、どんなメディアからの情報でも、絶対に得られないよね。

昼、ビーフカレーを食べた。
そのあと船内では火災訓練が乗組員で実施された。
女性クルーの「かじだあーっ」には笑いがこみあげてきたが、
船内放送は妙におちついていて、乗客を慌てさせないようにとの配慮が感じられ、
それが逆に迫真に迫っていた。
セルコールに始まって非常配置の汽笛は初めて聞いた、
できれば総員退船の警告音も聞きたかった。
月1回の定期訓練という、運がよかったのか。

ピッチングが大きい。寝ては起きて、そんな繰り返し。
米原の夢を見た。まだ頭から離れないな。

現実に戻る。
夢の中にいた時間が長かったから、もう二度とこんな体験はできないだろうから。
今回の旅は「癒しと出会いを求めて」旅立った。
すべてを振り払う覚悟もできていた。

振り返ってみると今回の旅、後悔することなど何もなかった。
すべてやることをやった、そんな達成感からだろうか。
いつものような懐古的にならないでいられる。
あそこで出会った人達とはあれで終わりではない。
そんなことも理由のひとつにあるんだろうな。

見知らぬ人と話しする。思ったより言い人ばかりだ。
いや、自分の持つ先入観が間違っていたことに気付かされた。
今までなら声をかけなかった人達、今回いつのまにか考えが変わっていた。
ちょっとした一言で、自分の世界がより良い方向に変わって、変えていくことができると実感した。

夕方、ピッチングが大きくなる。念のため薬を飲んでおく。
船内中きしみ音がする。ローリングが無いだけまだましか。
外を見ると大きなうねりがあるな。時々大きな丘が迫って来るようだ。
それを乗り越えるたび真っ白な波がたち、船が長い周期で揺れる。
驚いたトビウオが飛んでいく。
展望通路の座席に出てくる人が少ないな。
みんなこの揺れのせいで部屋で休んでいるのかな。
いつかの時化よりはかなり状況はいい。
少し楽しくも感じられるが、いつまで続くのだろう。

外へ出てみる。風が変わったな。
あの八重山の風とはしばらくお別れだ。
でも、この少しづつの変化が感じられるのが、船旅のよいところなんじゃないのかな。
今日は時間がゆっくりと感じられる。

到着予定時刻はまた遅れ、名古屋午前9時。
全く支障は無い、却ってそのほうがありがたい。
朝ゆっくりできるし、ガソリンスタンドも開いているだろうしな。
於茂登トンネルでサブに切り替えてるから忘れないようにしないと。

午後6時半過ぎ、食事を終えしばしたたずむ。
曳き波は乱れている。雨が降ってきたか。
海上のうさぎは見えなくなった、風は無いようだ。
しかし相変わらずピッチングは続いている。
うねりは定期的にやってきてその回数も先ほどより多くなったか。

すこし暗くなってきた。夜を越えて、明るくなった頃には約20日ぶりの内地。
紀伊半島を回りこめば穏やかになるだろう。


★★★2002年5月18日★★★
☆☆☆エピローグ☆☆☆


午前7時起床、昨日は寝てしまったようだ。シャワーを浴びレセプションホールへ出てみる。
外は明るいが雲が低い。外へ出てみたが雨が少し降っている。

GPSを持っている人が鳥羽のあたりだと言っていた。
Kちゃんも来ていた。
ついに帰ってきてしまったね、あのエメラルドグリーンの海はどこへいったの?。
名古屋着は午前10時15分、3時間以上の遅れか。
急ぐわけでもないしいいか。
しかし、昨夜は揺れたなあ。ローリングが無いだけまだいいほうかな。

やっぱり旅の終わりを感じるな。海の色が変わり、風のにおいも変わった。
同じ日本かと思う。もう頭の中が真っ白になり、うまく思考回路が働かない。

カフェで朝食を食べしばしたたずむ。ひとりだけか?

名古屋港入港のアナウンスが入る。荷物をまとめ下船口に荷物を置く。
午前10時15分名古屋港到着。
車両甲板に降りると、恐竜を乗せたトレーラーが。
Kちゃんは巨大な荷物。
入り口にあったコンテナが降ろされ外が見えた。
ついに帰ってきてしまった。約3週間ぶりの名古屋。昨日のようにも思える。

やはり少し寒い。
ターミナルに寄り帰路へ、途中Kちゃんと合流、手を降って別れを告げた。
途中迷い反対方向へ行ってしまった。
折り返し高速に乗り一路裾野へ。
途中何度かSAに立ちより14:40無事生還。KちゃんとAIさんにメール。

今回の僅か3週間の旅。
この旅で出会った人達、そこで見たもの、さわった物、感じた物、すべてが感動を与えてくれた。
私の人生の転換点になったことは間違い無い。
毎日が夢のようで楽しかった。
3日前まではあの場所にいたのに何故か懐かしく感じられる。
夢から現実へ、距離が離れすぎていたのか。
いつかまた戻っていこう、米原キャンプ場。新しい出会いと感動を求めて。
home